涙
染めたことのなさそうな黒髪が淡い陰を作る。
アナタはとても──。
□
どうしてこんなことになってしまったのだろう。呆然とワタシは考えた。けれど思考はまとまらずバラバラと崩れ、水面に落ちた滴のように感慨の波紋を広げ、端に行くと消えていく。
ワタシは何かをしたのだろうか。ワタシは何かをしてしまったのだろうか。覚えのない罪悪感めいたものが浮き沈みする。それほどにワタシは困惑していた。
俯くアナタをワタシは見つめていた。
アナタは静かに泣いていた。涙がはらはらと流れ落ち、アナタの頬を伝っていく。アナタは涙を拭おうとしない。ワタシもアナタの涙を拭おうとしない。
嗚呼、ワタシはなんて愚かなのだろう。なんて罪深いのだろう。
ワタシはアナタに見とれていた。アナタの涙に見とれていた。
アナタの涙の理由をワタシは知らない。哀しいのか、嬉しいのか、辛いのか、苦しいのか、アナタはワタシに教えてくれない。
はらり。
大粒の滴が落ちた。
アナタは瞬きをした。
動かなかった、役立たずのワタシの身体が錆びたブリキ人形のように鈍く動き出す。
冷たい指でアナタの濡れた頬に触れる。アナタの熱は心地よく、アナタの涙は温い。そうしてようやく、アナタはワタシに視線を向けた。
二つのガラス玉がワタシの顔を映した。
なるほど、情けない顔をしている。ワタシはアナタにこんなにも情けない顔をずっと向けていたのだろうか。
ワタシは情けない顔のまま微笑みを浮かべ、アナタの涙を拭った。けれど、アナタの涙は止まることなく、ワタシの指を濡らしていく。温かな涙がワタシの冷たい手に絡み、溶けていく。
不謹慎だと思った。
涙を流すアナタに抱く思いではないと分かっていた。
けれど、ワタシは思いを消すことはできなかった。何故なら、アナタに見とれているのは確かだったからだ。
アナタの涙は美しい。
アナタはとても、美しい。
END
恋慕恋焦
露が消えるように、私も儚く消えてしまったら良かったのに。
ただ、貴女を思い、恋い焦がれた。年ばかりが過ぎ去り、歯痒さだけを感じていた。
身分違いの恋。
貴女は京の都、帝の末娘。
私は名ばかりの歌人。
貴女が私をどんなに思おうとも、私が貴女をどんなに思おうとも、報われることのない恋。
そんな私達の逢瀬は、限られた日だけ。
夜も更けた頃。私と貴女はいつも、都の外れの川で待ち合わせをした。約束の時は、月が消える日。子の刻にその場所へ。
手紙を送りあうことも出来ない私と貴女は、月の消える日、その場所に行くことでしか思いを伝えることは出来ない。
会う度にすることはいつも同じ。再び会えたことを悦び、再び離れてしまうことを憂う。思い、恋い焦がれた歌を捧げあう。
私が貴女に贈れるものは、心を捧げた歌と貴女に相応しくない小さな花と価値も名もないこの身と心。
貴女に会えた悦びと、相応しくない格好をした貴女の姿に感じる虚しさ。嗚呼、そんなにみすぼらしい着物は貴女には似合わない。
けれども、そんな格好をさせてしまっているというのに、それでも尚、貴女はこんな私を思ってくれる。
月の無い宵闇の中に貴女を探し、暗がりの中の私を連れ出してもらい、ただ静かに寄り添う。
その時だけはただの二人になりましょう。身分違いの恋も思いも、寄り添うその姿も、見えぬ月明かりが消してしまうその時だけは。
今宵は月の消える時。貴女に会える唯一の日。
私は貴女に会いに行く。その片手には、貴女に捧げるための歌。
身分違いのこの思いにいつか終わりは訪れるだろう。おそらく、私と貴女の望まない終わりが。
けれど貴女を思うことのできる今だけは、私は貴女に恋い慕い、ただ恋い焦がれましょう。
貴女が私を思ってくれる今だけは。
暗い月明かりの中、私は貴女を見つけ出す。
ただ貴女に、この思いを伝えるために。
恋慕、恋焦、貴女を想う。
END