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    毎月三日は大包三日の日【10/3】夜が!明けるまでは!3日です!!!



    ―――――――――――――――――――

    自分はどうやら恋をしているらしい、ということに気が付いたのは、いつの頃だろうか。
    と、三日月宗近は思った。
    三日月はいま、屋根の上に腰掛けていた。眼下に広がるのは平和な本丸の風景。
    戦場では血で血を洗う死闘が繰り広げられているが、本丸での生活は平穏そのものだ。
    いまも、中秋の名月を観るために、長曽祢虎徹や日本号らが庭に床几を並べている。
    別の芝生の上には緋毛氈が敷かれ、傘を立てて歌仙兼定が一足先に茶会を開いたりなどしていた。
    また別の場所では、月見団子を作るために餅つきを始めている。おやおや本格的なことだと、三日月は思わず目を細めた。
    が、その目がすぐに丸くなる。厨房から、蒸しあがった餅米入りのセイロを抱えて足早にやってきた刀を見て、三日月は咄嗟に瞼を伏せた。
    膝を抱えるように座り、顔を膝の上の手に押し付ける。それでも、目線はしっかりとその刀を捉えていた。
    その刀、大包平は大きなセイロをやすやすと抱え上げ、危なげなく臼まで運んでいった。臼のふちにセイロを置き、もうもうと湯気を立てる餅米を臼の中に移す。
    すかさず杵を持っていた同田貫正国が、慣れた手つきで小突きを始めた。小突きが上手くないと餅は美味しくならない。この本丸では正月以外にもこうして自分たちで餅をつくことが多く、中でも同田貫は存外に丁寧な小突きをする男だった。
    今日の餅は美味くなるだろう。同田貫がついて、大包平が返しをするのだから。
    大包平は厨房には戻らず、セイロを他の刀に預けてその場にしゃがみこんだ。ちょうどその折、同田貫がスパンと心地よい音を立てて餅をつき始めた。
    二度、三度とついたところで、大包平がさっと餅を返す。端を掴んで引っ張り、中央にぐっと沈み込ませる。そこを目掛けて、同田貫が再びスパンと気持ちのいい音を立てて杵を落とした。
    ついて、返して。返して、ついて。
    華麗な演舞にようにも見えるが、実際はかなりの重労働だ。杵を落とすことは実はそんなに難しくないが、持ち上げ続けると、いかに刀とはいえ疲れ果てる。
    それに、返しはもっと大変だ。高温で蒸された餅米を、素手で掴まなくてはいけないのだから。
    しかも手を濡らすための桶には、冷水ではなくお湯が入っている。餅を冷やして固めないためなのだが、熱いものを触ったのに、すぐまた熱いものに触れなくてはいけないなど、とんだ苦行だ。
    しかし、大包平は平然とした顔でやっている。
    いや、額には汗を滲ませているし、頰は次第に赤くなってきている。手だって火傷しそうなはずなのに、しかしそれを表情には出さないところが、大包平らしかった。
    そもそも返しは、つき手の呼吸に合わせないといけないため難しいのだ。相手のつくペースを見極め、邪魔にならないようにすかさず手を入れなくてはいけない。
    三日月のようにぼんやりとした刀では、到底できない芸当だった。大包平は実は、そうした機微を察することがとても上手い。
    同田貫が杵を一瞬持ち替えたことで乱れたリズムも、大包平は動揺することなく受け止める。そのおかげで、同田貫も気持ちよさそうに手を動かしていた。
    「……すごいなぁ」
    顔を腕に埋めたまま、三日月は大包平の俊敏かつ繊細な動きを見守る。
    以前、三日月がつき手を務めて大包平が返しをしてくれたことがあるが、小狐丸と同じがそれ以上に気持ちよくつかせてもらって驚いた。
    小狐丸もかなり返しが上手いのだが、大包平は文句を言いながらも、三日月のわかりにくい動きに合わせてくれた。
    小狐丸が三日月の兄弟刀で、しかも本丸で長く一緒に過ごしてきたことを差し引くと、大包平の気遣いの細やかさぶりには驚かされる。
    自分にはできない芸当だと、三日月は思う。
    だが前にそう大包平に言ったら、おかしな顔をされた。このところ、三日月が大包平に話しかけると変な顔をされる。
    それがなんだか切なくて、このところ大包平と顔を合わせないように気を付けていた。もし自分を見て、嫌そうな顔をされたりしたら、きっと自分はひどく傷つくような気がして。
    しかしこうして遠くからでも見つめていても、やはり心がざわざわとして落ち着かなくなる。嬉しいような怖いような、でもやはりどこか高揚する感覚に、三日月はむやみに大きな声を上げたくなった。
    もちろん、実際はそんなことはしない。ただ、黙って屋根の上から一振りで大包平を見守るだけだ。自分には、これくらいがお似合いだろう。
    だが、その時だった。
    「――――ッ!」
    大包平が、ふと三日月の方を見上げてきた。絡み合った目線が、火花を散らしたような感覚がした。
    もちろん大包平は、すぐに目線を手元に戻して餅つきに戻った。ごくわずかな一瞬のできごとであったし、果たして大包平が三日月の方を見ていたのかもわからない。一瞬何かに気がそれただけかもしれない。
    それなのに。
    「……熱いな」
    今にも燃え出しそうなくらいに、頰が熱い。これ以上ここにいたら、本当にゆだってしまいそうだと、三日月はそそくさと屋根をあとにした。その背中を、大包平が地上から見送っているとも知らないで。




    あいつはどこにいるんだと思っていたが、まさか屋根の上にいるとは思わなかった。
    神出鬼没といえば鶴丸国永を多くの刀は思い浮かべるだろうが、大包平にとっては、三日月宗近の方がよほど神出鬼没だった。
    縁側にいるな、と思って厠に行って戻ってきたら、そのわずか数分の間にいなくなっているし、どこにも見当たらないなと思っていると、いきなり雑木林の中から現れてみたり。
    今回も、ふと顔を上げてみたら、屋根の上に一振りでちょこんと座っている姿が目に映った。
    映るや、三日月は慌てた様子でどこかに行ってしまった。説教されるとでも思ったのだろうか。
    いや実際、屋根の上に登ることはあまり好ましくはない。落ちたら危険だし、場合によると屋根が傷むこともある。
    しかしそうは言っても、屋根の上は特にこの秋の涼しさの中では気持ちがいいし、大包平も遠くの様子を見るために屋根に登ることは、時にある。
    単に登ったからという理由だけで怒るつもりはないし、怒ったとしてもそれは三日月の身を案じてのことなのだが、三日月の中では大包平と言えば自分を怒る刀ということになっているのかもしれない。
    致し方ないことだ。確かに励起した当初、持って生まれた物語のために、三日月に散々突っかかって、喧嘩を売ったのは自分なのだから。
    そう、あれはまさしく喧嘩をふっかけたようなものだったと、いまの大包平はわかっている。
    当時はまだ人の感覚や感情の機微などがわからなかったため、思うままに発言し行動していた。思い返すとまるで小さな子供のようで、我がことながら頰が赤らむ思いがする。
    幸いだったのは、先にいる刀達いずれもが同様の感覚を経験しており、悪意あってのことではない、しばらくすれば収まることだと、鷹揚に構えてくれたことだろう。
    三日月も無論そうだった。むしろ、鷹揚さでは筆頭に上がるだろう。
    とはいえ、自分はあまりに三日月につっかかりすぎたように思う。だから今になってなお、三日月は自分を遠巻きにしているのだろう。
    確かに、三日月ののんびりとした性分からすれば、大包平の持つ激しさは恐ろしげに映るのだろう。
    別におびやかすつもりはないのだが、子供が大きな犬を怖がるようなものだと思えば理解できる。
    たまに自分を褒めてくれるようなことを言ってくるので、三日月が自分を嫌ったりしているわけではなく、むしろ高く評価してくれていることはわかるのだが、もっと気安く話せないものかと、大包平はこのところ長らく頭を悩ませていた。
    いまも、屋根から降りて行ってしまった三日月は、こちらにやってくる気配はない。
    あの食いしん坊な刀のことだから、つきたての餅を丸める作業を手伝うのみならず、ちょいちょいとつまみ食いをしたくてたまらないだろうに。
    そんなことを考えながらも、大包平は的確に同田貫と呼吸を合わせていた。あっという間にもち米は細かくなって、つやつやとした上質の餅に生まれ変わる。
    「これぐらいでいいか?」
    「ああ、こんなものだろう」
    二振りがうなずきあうと、見計らったかのように宗三左文字がもち箱を持ってくる。大包平は火傷するような熱さをこらえて餅を臼から剥がすと、雪のように白いそれをでんと餅粉の上に置いた。
    短刀たちの歓声が上がる。三々五々に走り寄ってきた彼らは、次々に洗い場に行って手を洗ってくる。
    そしてまだほかほかと湯気を立てる餅に駆け寄ると、我先にと手にとって丸め始めた。その賑やかな様子に、大包平は思わず目を細めた。
    この光景の中に三日月もいたら、などと思うと、胸の奥がきゅうと切なくなった。
    せめて今夜の観月会には顔を出してくれるだろうか。そうしたらこの痛みも、少しは和らぐかもしれない。



    昨夜の観月会のことをぼんやりと思い出しながら、三日月は部屋の中で書き散らしたものを整理していた。
    散らかしているもののほとんどは、本丸に来てから書きためていた覚書で、数年した今では、もはや意味をなさないものも多い。
    例えば着物のたたみ方、例えば米の研ぎ方、例えば畑の作物の成長日記など。
    しかしこうして並べてみると、どれもこれも刀剣男士としての三日月宗近の記録に見えて、捨てるのが惜しいように思えてくる。
    ああ、この頃はまだ天下五剣は俺だけだった、この頃に初めての花見をしたのだった、ああ、この頃に大包平がやってきたのだなどと記憶を手繰っていると、そのまま昨夜の記憶にたどり着く。
    短刀達が活躍してくれたおかげで、ススキの飾りも、月見団子も、それは見事なものだった。
    三日月がこっそりと用意した生花も会場を彩り、今剣や岩融、小狐丸らが管弦を披露した。ソハヤノツルキと大典太は剣舞を、粟田口が協力して能の高砂を演じ、宴は華やかに進んでいった。
    三日月も所望され舞を奉じたが、果たしてどれほどのものだったかは自信がない。なにせ、大包平が座っている床几の方は全く目を向けられなかったのだから。
    大包平はいつもは洋装だが、季節や催し物に合わせて和服を身につけることがある。昨夜はまさにそれだった。
    濃い墨染の紬を着流して、白と見まごう淡い藍色の帯を合わせていた。夜空に浮かぶ月を隠喩していたのだろう。細部にまで気を遣う、大包平らしい洒落ぶりだった。
    「――――はぁ」
    思い出しただけで思わずため息が出る。何も考えず正装で出て行った自分が恥ずかしかった。着るものはもちろん正装以外にも持っているのだが、どうにも無頓着で嫌になる。
    こういう始末だから、大包平も自分に「天下五剣らしくない」と言って怒るのだろう。などと思い至ると、ふと切なくなってくるから、心というものは勝手だと三日月は思う。
    それで気を取り直して片付けを始めるのだが、なにせここ小一時間ほど同じ行動を繰り返しているため、いつまで経っても終わらない。
    書付を並べては思い出し、思い出を辿っては大包平を想い、好きだな、と思うほどに、釣り合わない自分が情けなくなる。
    なるほど、これが「もの想い」というやつか、平安貴族が毎度死ぬかけるアレかと、三日月は一振りで妙に納得する。
    いや、この程度のことでどうにかなるほど三日月は軟弱ではない。平安貴族だって、実際に恋煩いで死んでいたわけではなく、他の病で死んだことをそのようにして伝えられたりなどしているだけだ。
    それでも、「恋しとは 誰が名づけけむ言ならむ 死ぬとぞただに いふべかりける」などと詠えてしまうところが、ある意味彼らの顔の皮の厚いところなのかもしれない。
    あるいは自分もそれくらいに図々しければ、少しは何か違っただろうかと三日月は考えてみるが、すぐに、いや、そんな軟派な刀のことを、それこそ大包平は絶対に好きになどならないだろうと否定する。
    だがそうなるとつまり、自分はこうしてただただ悶絶するしかないのだろう。
    「これは確かに……辛いものだなぁ」
    三日月はそう言いながら、押し花にされた桜の花びらをそっと撫でた。
    散る花はどれも惜しいが、特に桜はあっという間に消えてしまうことが切なくて、毎年いくつか拾っては押し花にしている。
    いま触れているそれは、大包平がここの本丸に来て初めての桜だった。
    二振りきりで見たわけではない、今回の観月会と同じく、本丸の仲間達と見た桜だった。が、どうしても残しておきたくて、こうして押し花にしてとっておいてある。
    来年の桜も一緒に見られるだろうか。三日月がここで過ごす、三度目の春だ。仲間達と一緒で構わないから、大包平とまた桜が見たい。
    そんなことを思っていたとき、部屋の戸がとんとんと、誰かによって叩かれた。



    その日、風呂が遅くなったのは全くの偶然だった。
    大包平は皿洗いの当番だったため、夕飯が終わり次第、片付けを始めた。他の刀と協力して仕事を終わらせたときに、ばったりと廊下で会った鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎の兄弟に、脇差ボードゲーム大会に誘われたのだった。
    はじめは二回か三回か、子供の遊びに付き合う程度の気持ちだったのが、これが存外に頭を使う。
    そして脇差達は手慣れているせいか滅法強い。そして大包平は生来の負けず嫌いだ。
    始めにこっぴどく負け、その次にまぁまぁの成績になったとくれば、勝つまで粘りたくなるのは当然だった。
    しかし勝っても反省点は多く、結局ああだこうだと夜遅くまで遊んでしまった。いよいよ寝る時間だとお開きになってから、大包平はようやく風呂に入ることができた。
    そしておそらく本日最後の湯をもらって上がったときに、脱衣所の隅で髪飾りが落ちているのを見つけたのだった。
    それは見間違えようもなく三日月のもので、おそらく何かの拍子に手荷物から滑り落ちたのだろう。
    見つけたのならば、届けないわけにはいかない。だがこの時間であれば寝ているかもしれないと思いつつ、大包平は妙に脈打つ心臓を胸に抱えながら、三日月の部屋の戸を叩いた。
    戸の隙間から、まだ明かりは漏れている。早寝早起きの三日月にしては珍しいことだと思い待っていると、しばらくして戸がすっと開いた。
    「……大包平」
    瑠璃色の目がきょとんと丸くなった。この刀は、存外に素直に感情を表現する。おそらくは、心根がまっすぐなのだろう。
    はじめは狸だ爺だなどと思っていた大包平だが、いまは、三日月の心がその名の通り、繊細で清らかなものであることを知っている。
    「夜分にすまない。寝ていたか?」
    「いや、片付けをしていた」
    確かに、肩越しに見える三日月の部屋は、いつになく散らかっている。いい加減に見えて片付けなどはしっかりする三日月の部屋は、平素であればいっそ素っ気ないほどに整っている。しかし今は、畳の上には様々な色や大きさの紙が散らばっていた。
    「もう夜も遅い。ほどほどにして早く寝ろ」
    「ああ、そうするつもりだ。……して、俺に何か?」
    そう聞かれ、ああ、そうだったと大包平は思い出す。
    つい世話を焼きたくなるのは性分か、あるいは三日月自身のもつ雰囲気か。こうして髪飾りを届けてやることも、なんだか面はゆい気がしてならない。
    「これが落ちていた。ないと困るだろう」
    「おお、大包平が持っていたくれたのか。どこに落としたのかと思っていた」
    髪飾りを受け取りながら、三日月がふわりと花のように微笑んだ。季節は秋なのに、なんだかふと気温が上がったような気持ちがする。
    「脱衣所にあった。探していたのか?」
    「ああ、風呂場も見たんだがな。見落としていたようだ、助かった」
    「いや、構わん。わかりにくいところにあったしな」
    大包平がそう言い終わるより早く、三日月がくちゅんと小さなくしゃみをした。
    「すまん、冷えたか」
    そういえば、三日月は寒さが苦手だったなと大包平は思い出す。
    「とりあえず、これを着ておけ」
    「だが……」
    「俺は平気だ」
    廊下が寒いかもしれないと念のため羽織っていたジャージを、無理やり三日月の肩にかけた。体格と身長の違いのせいか、大包平のジャージは三日月には少々大きいように見えた。
    三日月もかなり高身長で体格もいいはずなのだが、それにしては随分と細身に見える。ぶるりと肩を震わせたせいもあって、なんだかいつも以上に頼りないように感じられて、大包平は慌ただしく三日月を部屋の中に押し込んだ。
    「このままだと風邪を引くぞ。早く片付けて寝ろ」
    そう言った後で逡巡し、「……俺も手伝うから」と大包平は言い足した。その申し出に、三日月はいよいよ驚いた顔をして大包平を見上げてくる。
    「いいのか?」
    「お前が嫌でないならな」
    「嫌など、そんな……」
    躊躇いがちに言ってから、三日月はそれを隠すように俯いた。ほんのりと桃色を帯びたうなじが露わになって、大包平は思わず喉を鳴らしかける。
    「迷惑なら、戻るが」
    「い、いや。手伝ってくれると嬉しい。一人だとなかなか進まなくて……」
    「そうか」
    大包平はわざと三日月とは目を合わさないようにしてその場に腰を下ろすと、並んだ料紙の一枚を手に取った。
    「これは?」
    「それは……初年に開いた観月会の覚書だ。始めはこうしたことも手探りでな」
    「はは、月見の由来から調べてたのか」
    「知識としては知っていても、実感があまりにもなかったからな。刀気分から人間らしさを得るまで、当時は随分と時間がかかった……」
    懐かしそうに語る三日月の目に、当時の苦労がしのばれた。
    彼らの苦労があったからこそ、大包平は円滑にこの生活に馴染むことができたのだ。
    「買い揃える品目に……買い出しの要員まで書いたのか。そうか、蛍丸はこのときからもう剛力だったんだな」
    「ああ、そうだ。俺がやってくるより少し前に来ていたんだが、すでに頼もしい先輩だった」
    「今でも頼もしいな、アイツは。小さい体でよく戦う」
    本来であれば、寝るためにただ紙を積んで脇に良ければいいところを、大包平と三日月はつい手にとって話し込んでしまう。
    大包平が知らなかった三日月が、思い出話の向こうに透けて見えた。
    数が少なくて本丸の掃除や炊事に手が回らなくなった頃合い、数は増えたのに練度が足りず出陣がままならなかった時期、初めての検非違使、初めての正月、初めての……。
    「これをどうするつもりだったんだ?」
    「もう取っておいても仕方のないものだから、捨ててしまおうと思っていたのだが……」
    「もったいなくなったか」
    大包平が聞くと、三日月はひどくバツが悪そうな顔をした。また叱られるとでも思っているのだろうか。その様がなんだか哀れに思えて、大包平は思わず三日月の頭に手をやっていた。
    「お、大包平…?」
    「捨てる必要はない」
    三日月の小さな頭は、大包平の大きな掌に心地よい大きさだった。なだめるように何度か撫でると、三日月は嬉しそうな、しかし切なげな、なんともいえない顔をする。
    「だが……」
    「これは物語だ。そうだろう?」
    「物語…?」
    「そうだ、三日月宗近が、ここで歩んで来た物語だ」
    口に出してみると、ますますここに散らばったものが愛おしく思えてくる。
    これらの時間を共にできなかったことは口惜しいが、三日月がここでしっかりと自分の足で道を歩んで来たのだと思うと、我が事のように誇らしかった。
    そして、これらを捨てられない三日月の優しさを、大包平は好ましいと思う。
    「俺たちは物語から生まれた。だがこうして肉体を得たことで、今度は物語を生み出すことができるようになった。ここにある書付は全て、お前が紡いで来た物語そのものだ。違うか?」
    「違わない……と、思う……」
    「だから捨てるな。捨てないで取っておいて……」
    大包平は言葉を切った。
    これを言っていいものか。ひどく迷ったが、勇気を持って口に出してみることにする。
    俺はお前の過去も、歩んで来た道も否定するつもりはない。ただ、負けたくないだけなんだ。
    「……また俺に、お前の話を聞かせてくれ」
    三日月が、ぽかんと口を開けて大包平を見て来た。そのどこか間の抜けた顔に、大包平は思わず吹き出す。
    「なんだよ、その顔は」
    「い、いや……まさか、大包平が、俺の……」
    さっと、三日月の頰に朱が走った。
    「俺の話を聞きたいなど……」
    小さな声でそうつぶやくと、三日月は照れ臭そうにはにかんだ。子供のようなその表情が、しかしどういうわけか艶めいて見える。
    いやいや、そんなまさか自分の妄想だと大包平は思うが、三日月の全身から喜びが溢れ出ているように感じられて、それに当てられるように気持ちが勝手に高揚してしまう。
    「嫌ならいい。俺が勝手に聞きたいだけだ」
    それだというのに、この憎たらしい口は考えるより先にこんなことを言いだすのだ。なんと可愛げないと我ながら呆れている大包平を尻目に、三日月はうふふ、と嬉しそうな笑い声を出す。
    「聞いてくれると嬉しいぞ。あれこれ思い出して片付けが進まなかったが、大包平がいればすぐに片付きそうだ」
    「別に、あわてる必要はないだろう」
    「え?」
    三日月に聞き返されて、大包平は自分が言った意味をようやく理解する。
    「あ、いや、今は片付けるぞ?でないと寝られないからな?」
    「ああ、そうだな。うん」
    「だが別に……」
    「うん?」
    また考えるよりも先に口が動いていた。動いてしまったからには、言わないことには先に進まない。これではまるで、励起したての頃のようじゃないかと、大包平は内心で赤くなったり青くなったりする。だが、口ごもったままも体裁が悪い。
    「別に思い出話は……急がなくても、いいだろう」
    「そ、そうか?」
    「ああ」
    「そうか……」
    小さく何度か頷いた三日月の目は、柔らかい微笑みを浮かべている。その表情を見ると、度重なる失言も気にならなくなるからおかしな気持ちだった。
    二振りはなんとも面映ゆい空気の中、散らかった紙をひとまず一つにまとめ直した。最中に何度か指先が触れ合って、大包平は思わず大仰に手を引っ込めてしまったが、それは三日月も同じだった。
    なんだかお互い、今日はいつもと違う。
    しかしそれを口に出して確かめることすら気恥ずかしく、ただ無言で紙を重ねていった。



    次の日の朝、三日月はふわふわとあくびをしながら朝食の席についた。
    「めずらしいですね、三日月が寝坊とは」
    「寝坊したわけではない」
    小狐丸の隣に座ると、案の定からかわれた。
    寝坊というほどの時間ではないが、確かにいつもはもっと早くに起きて朝食を作るのを手伝ったり、朝の散歩を楽しんだりしている。
    昨夜遅くまで書付を片付けたり、大包平と話していたせいで、布団に入るのが遅くなってしまった。
    その上、直前まで大包平と会っていたせいでなんだか気持ちが昂ぶって、布団に入ってもなかなか寝付けなかったのだ。
    ジャージを肩に着せてくれた。
    片付けを手伝ってくれた。
    身体を気遣ってくれた。
    思い出話を、またしてくれと言ってくれた。
    思い返したただけで、身体がなんだか暖かくなってくる。なんともいえず、心地よい。
    大包平の言う「次」はいつくるのだろうか。目の前の鮭を箸でほぐしながら、三日月はそっと頬を染めた。
    ひょっとしたらあれは社交辞令で、本当は次などないのかもしれない。
    でもそれでも構わなかった。ここにいる限り、「いつか」を永遠に待てるのだから。
    目を泳がせると、ちょうど大包平が広間に入ってきたところだった。
    大包平もなにやら眠たそうに顔をしかめている。大包平も、自分と同じで寝付けなかったのだろうか。
    などと思ってから、いやいやまさかと三日月は首を振る。
    自分は大包平と話せて嬉しかったが、大包平の方は特にそんなことはないはずだ。ただせめて、それなりに有意義だと思っていてくれればいい。
    三日月はそう思って、そっと目を伏せた。



    大包平にとっては、口約束も大事な約束だった。約束をする以上は守るつもりでするし、約束をしたら絶対に守る。
    もとより真面目な大包平にとっては、それは今更確認するまでもない、当然のことだった。
    だから、三日月の部屋を訪れて驚かれたときは、むしろいささか腹が立った。
    「また来ると言っただろう」
    「ああ、しかし……本当に来てくれるとは思わなかった」
    俺がそんな不誠実なことをするとでも思ったのかと怒りそうになった大包平だったが、自分を見上げて嬉しそうにはにかむ三日月を見るや、その言葉はすぐに霧散した。
    「約束は約束だ。お前が迷惑だと言うなら別だがな」
    それなのに、口をついて出て来るのは憎まれ口だ。大包平はいっそ自分から口をもいでしまいたくなった。
    しかし三日月は気にした様子もなく、ただ嬉しそうに目を細めた。
    「迷惑などではないさ。だが、もてなしの用意もなくもなくて……」
    「別に構わん。夜だし、飲み食いしたら身体に悪い」
    「ああ、それもそうだ。すまんな、気が利かなくて」
    そんなことはないと思いながら、大包平は三日月について部屋に入る。
    三日月は戸棚を開けると、中から和紙を貼った本のようなものを取り出した。
    「これは?」
    「あれらを放って置くとやはり片付かないのでな、こうして貼り付けてみた」
    それはただの白いページだけでできた冊子で、そこに溜まっていた書付が一枚ずつ時系列に合わせて貼ってあった。
    写真であればアルバムにすればよいが、大きさもばらばらな紙をまとめるにはこうするのが一番だと、同じく紙をたくさん溜め込んでいる歌仙兼定が教えてくれたそうだ。
    「前は初めての正月まで話したが……どこか聞きたいところなどはあるか?」
    「正月の続きから教えてくれ」
    大包平はそう言って、三日月の隣に腰を下ろした。
    一緒に冊子を見ながら話すためだったが、座った場所が存外に三日月に近かったせいでどきりとする。
    鼻先に香る湯上がりの匂いが心臓に悪い。だがわざとらしく離れるのもなんだか誤解を招きそうで、大包平が込み上げてくる感情をぐっとこらえた。
    「そ、の。うむ、正月のあとか」
    三日月も戸惑っているのか、ページをめくる手がぎこちない。その桃色の指先を見ながら、なんだか砂糖菓子のようだなどと、大包平は口の中に唾液をためた。
    なめたら甘いだろうか。口に含んだら、三日月はどんな反応をするだろうか。
    だがそんな妄想は、三日月の柔らかな声音で遠くに追いやられた。
    「正月のあとは……ああ、これだ。源氏兄弟がやってきて、その歓迎会の記録だ」
    「ほう、兄弟一緒にやってきたのか?」
    「いや、この本丸では膝丸の方が少し早くにやって来た。だが兄がいるはずだから、歓迎会は兄が来た時にしてくれと本人が言ってな」
    そうして、当時の様子を三日月が語る。
    源氏兄弟の歓迎会をし、彼らを得るために戦った際の情報をまとめ、やがて季節は春となった。
    「ちょうど桜が咲き始めた頃に、数珠丸がやってきたのだ」
    「数珠丸殿がか」
    大包平が思わず声をあげて背筋を正すと、どういうわけか三日月の顔が少し曇った気がした。
    「ああ。数珠丸らしい、気持ち良く晴れ渡った、清らかな日だったぞ」
    しかしその微かな憂いは一瞬で消えて、すぐに優しい微笑みを浮かべる。
    大包平が数珠丸のことを尊敬していることを知っているのだろう。当時から、彼の刀がいかに品行方正だったかを大包平に教えてくれる。
    「数珠丸殿がきて一週間ほどで、桜が見頃になってな。歓迎会は花見を兼ねて行われた。咲き誇る桜の下で、数珠丸殿は大層美しかったぞ」
    「そうか。……お前はこのとき、何をしていたんだ?」
    「俺か?もう人では十分にあったからな、主には雑用さ」
    急に自分のことを語らなくなった三日月に、大包平は眉を寄せる。
    「雑用と言ったって、いろいろあるだろう。それに……先日のように、舞を奉じたりはしなかったのか?」
    「舞は……したな。小狐丸とともに、青海波を舞った」
    全く違うようでいて似ている二振りがする青海波は、さぞかし立派なものだったろう。三日月は多くは語らないが、きっと好評だったはずだ。
    しかしそう思うと、どういうわけか胸の奥がひりひりと痛み、喉の奥が重たくなった。
    それを目にしたかった気がするし、見なくてよかったとも思う。
    俺の方がずっと上手くお前と舞える、と言えればまだよかったのだろうが、さすがにそれを口にできるほど、大包平は恥知らずではなかった。
    「……去年は、胡蝶の舞だったな」
    「おお、覚えていてくれたか」
    話題をそらしたくなって、大包平は昨年の話を持ち出した。
    ちょうど励起して数ヶ月だった大包平は、その舞を見て度肝を抜かれたのだ。だから、今もよく覚えている。
    踊ったのは三日月と短刀たちで、それぞれ手作りの蝶の羽根飾りを背負っていた。
    胡蝶の舞は本来は童舞であるのだが、指導してもらった短刀たちがねだったそうで、大きな蝶である三日月を中心に、小さな蝶たちがくるくると踊るかたちで行われた。
    その春らしい華やかさと賑やかさ、小さな蝶の愛らしさと、三日月の典雅にして優美な動きに、大包平は目を奪われた。
    思えば、三日月に対する評価が変わったのは、これがきっかけだったかもしれない。
    「今年は蘭陵王を舞ったし……来年は何にしようか」
    三日月が微笑みながら、目の前のページを指でなぞる。見ればそこには、押し花にした桜の花びらが数枚あった。
    「これは?」
    「俺が初めて見た桜の花びらだ。あまりに美しさに、散らすばかりなのがもったいなくてな」
    「――――納蘇利」
    大包平が、ぼそりと呟いた。
    「え?」
    「納蘇利だ。来年、これを舞うといい。蘭陵王とは番舞なのだろう?」
    納蘇利は舞楽の演目の一で、別名、双舞龍とも言う。二頭の龍が互いに戯れる様を描いたもので、三日月が今年舞った蘭陵王とは、共に舞われる番舞となっている。
    「俺と舞えばいい」
    蘭陵王は一人舞だった。一人であれば、稽古は一人でやれば済む。ほかと舞うことを三日月が最近しなくなったのは、そうした気遣いがあってのことかもしれない。
    それをわかっていながら、大包平は気持ちを抑えきれなかった。
    小狐丸や短刀に張り合うつもりはない。だがあの美しい瞬間を、自分も三日月と共有したかった。
    来年、桜の下で。三日月と共に舞えたら、それはどんなにか幸せなことだろう。
    そう思いながら花びらをなぞっていると、その指先に、はらりと薄桃色の何かが触れた。
    「――――え?」
    驚いて顔を上げると、周囲ではらはらと何かがひらめいていた。
    「す、すまない」
    「いや?え、これは……」
    突然三日月に謝られ、大包平は戸惑った。
    見れば、三日月は手で顔を覆っている。隙間から見える目元が赤い。耳の先まで血色に染まり、ひどく照れていることがわかる。
    その三日月の周囲を、桜の花びらとまごう薄桃色の何かが舞っていた。
    「どうして……」
    舞い踊っては消えるそれは、実物の花とは違う。溢れ出た霊力が、花びらのように姿をとっているものだ。
    元戦場などで気持ちが高揚したときなどに、大包平も溢れさせることがある。だがいまは、どうして。
    「お、お前が……共に舞いたいなど言うから……」
    顔を真っ赤にしながら、三日月が咎めるような口調で大包平に訴えた。
    「言うから?」
    「言うから……」
    三日月は、はぁっと深く息を吐き出した。
    「……嬉しくて」
    その一言に、大包平の血流がどっと勢いを増した。
    身体の中が燃え盛るように熱くなり、歓喜と共に全身を駆け巡る。
    抑え込んでいた感情が一気に噴き出して、とめどなく心の中から溢れ出していった。
    その勢いに合わせて、大包平の身体の周りから、三日月と同じく薄桃色の霊力が花びらのようになってこぼれ落ちた。
    「……大包平?」
    「ち、違う!これは……」
    驚いた顔をされて、必死になって言い繕おうとしたが、しかし言葉は出てこなかった。
    しばらく逡巡したのち、大包平はばかばかしくなって言い訳をやめた。
    その代わりに、三日月に向かって照れ臭そうに微笑みかける。
    「……少し早めの花見だ」
    「そ、うか。……そうか」
    大包平のこじつけに、三日月はぽかんとしてから頷いた。こくこくと何度か頷いてから、三日月がくふっと小さな声で笑いを漏らす。
    「そうか、花見か」
    「ああ、花見だ」
    まだ秋だがなと言いながら、大包平と三日月は自然と互いに寄り添った。
    花びらの数が増える。溢れる。踊り出す。
    くるくると舞い散って、そして空に消えていくそれを、二振りはいつまでも並んで見つめていた。




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    2018/10/04 2:00:59

    毎月三日は大包三日の日【10/3】

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