毎月3日は大包三日の日【4/3】本当は3話くらいの詰め合わせにしたかったけど、1つ間に合わなかったのでとりあえず2つを。
<いとし、にくし>
「お前のことが憎たらしい」
大包平はそう言いながら、隣に横たわる三日月宗近の肢体に手を這わせた。
布団の上に二振り。敷布はしわを寄せて乱れ、部屋には未だ熱気がこもる。
常夜灯が闇を淡く照らし、むき出しの肌を浮かび上がらせた。
刻限はいかばかりだろうか。日付が変わるまでには、まだ幾ばくかの猶予がある。
天には星がまたたき、ひんやりとした空気が夜露を冷やす。
春の夜の、茫洋として密やかな気配。
三日月の肌は滑らかで、水気を含んで掌に吸い付いてきた。その従順な様に、大包平はますます眉間のしわを深くする。
「憎たらしいとは、ひどい言い様だな、大包平」
横臥して寝そべりながら、三日月が喉の奥を震わせて笑った。
「近頃はたいそう愛されているとばかり思っていたが、なんと嫌われていたとは驚きだ」
「阿呆か、嫌ってなどいない」
大包平はますます顔をしかめると、薄い肌を爪先でわずかにつねった。
肌についた微かな赤みは、やがてふわりと溶けるように消える。いっそ銘でも刻んでしまえれば、自分のこの遣る瀬なさも報われるだろうか。
「嫌った相手と睦み合う趣味などない」
「でも憎たらしいのだろう?」
「それとこれとは別の感情だ」
「なるほど、別か。ならばよかった。安心だ」
「安心とはどういうことだ」
「もう二度と、抱いてはもらえないのだろうかと案じてしまった」
全くそんな不安など感じてなさそうな顔で、三日月が笑う。
つい先ほどまであられもない声を上げていたとは思えない顔だ。
脚を開いて、受け入れて。どこもかしこも濡らしていた。
そんな気配など微塵も見せず、三日月はただ悠々と手足を伸ばして脱力している。
「この頃、お前のことがあんまりにも憎たらしくて」
大包平はため息交じりにそう呟きながら、くたりとした三日月の身体を大きな掌で撫で回した。
胸元をまさぐり、脇腹をさすって下腹部に至る。
三日月の身体は、磨かれた大理石のように美しい。
張り詰めたきめ細やかな肌も、その下にうっすらとある脂肪の柔らかさも、さらにその下に隠された密度高い筋肉の硬さも。
描く曲線も。触れるものに与える感触も。
「あんまり憎たらしいから、これはもう折るか抱くかしかないと思っていて」
三日月の身体に浮かぶ筋肉のおうとつをなぞりながら、大包平は手を下に伸ばしていく。
下生えに指先が届くかどうかのところで手を止めると、この胎の奥に、まだ自分の放った子種が溜まっているのだな、などと考えた。
「折る訳にはいかないから、こうして抱いている。だが、抱けば抱くほどに憎くなる」
「どうしてまたそんな……」
苦笑を浮かべる三日月は、腹に当てられた大包平の手に、そっと自分の手を重ねる。
体温が重なり合って、まるで包み込まれているようだった。
「だってお前は、弱いだろう」
「うん?」
「抱かれている時のお前はあんまりにも哀れで、か弱げで、とてもではないが折る気になどなれなくなる」
狩衣を脱げば、存外にほっそりとした体格が露わになる。許して、助けて、お願いと、聞き慣れた声で懇願する。
それなのに抵抗らしい抵抗などひとつもせず、ただ従順に快楽を受け入れて、与えられるものを懸命に飲み込もうと健気を尽くす。
「かと思えば、再び戦場に出たらクソジジィだ。腹が立ってかなわない」
「だから仕方なく抱いてやろう、というわけか」
それで脱がしたらこの頼りなさだ。あんまりいじめるのは可哀想だからと、いつも結局手加減してしまう。
手加減して、いざことが終わるとこの憎々しさだ。
いっそ哀れぶったまま悄然とでもしていれば、下る溜飲の一つや二つもあるのだろうが。
「俺はなぁ、大包平」
三日月が歌うように囁いた。
「いつもお前に殺されている」
だから安心しろと、艶めいた笑みを三日月は浮かべた。
「俺がいつお前を殺した」
「それはもう、毎夜のように」
ふふふと、声だけの笑いが耳をくすぐる。
「お前に刺されるたびに、ああ、俺はこれで死ぬのだなと思っている。刺されて、死んで。しかしどういうわけか、しばらくすると息を吹き返す」
「いっそ戻ってこられないようにしてやろうか」
そう言って大包平は、三日月のうっすらと骨が浮いた肩に噛み付いた。
「俺に刺されて死ぬなら本望だろう」
「そう思っていつも殺されている」
三日月は手を伸ばして、大包平の頭を搔き抱いた。
とくとくと、少々早い鼓動の音が伝わってくる。この刀は、言葉よりも身体の方が正直だ。
大包平の頭を愛おしげに撫でながら、三日月が「……何を考えている?」と聞いてきた。
「このまま誤魔化されてやるか、誤魔化されずにまたお前を殺すかを考えている」
「なんと、なんと」
三日月は「恐ろしい男だ」と言って笑う。
刻限はいかばかりだろうか。あと少しで日付が変わることだろう。さて、どうしたものか。
大包平は、鋭利な目を今この時だけ、なごやかに和らげた。
<海の錆>
ざざん、ざざんと、潮騒が響く。
遠くまで続く波打ち際は、寄せては返しながら白く泡立つ。
砂浜は清く、空は霞みがかった春の淡い色合いで、何もかもが茫洋としていた。
その景色の中を、三日月宗近が踊るようにふわふわと歩いていた。
草履と足袋は懐に。袴を少し持ち上げて。
春のうららかな日差しに照らされながら、三日月は泡立つ波を追いかけていた。
追いかけては逃げ、また逃げては追いかける。
思わぬ動きをする波に裏をかかれ、うっかりと足首まで海水に浸かっては、無邪気に歓声など上げている。
足先が跳ね上げる水飛沫が、淡い春の日差しに照らされ、きらきらと輝いた。
「入らないのか?」
三日月が、ふとこちらを見て言った。
「……やめておく」
子供じみた真似はよせとか、立場に見合った行動をしろとか、そういう言い訳は、喉元までせり上がってから、かき消えた。
「気持ちがいいぞ」
三日月の誘いに、大包平はただ頷く。
ああ、そうとも。確かに気持ちがいいだろう。
さらう波の動きも、足の裏に感じる砂つぶの繊細な動きも、得たばかりのこの肉体にはきっと、たまらなく新鮮に感じられるに違いない。
だが、行かない。大包平は三日月から数歩離れた、濡れることがない砂地を歩く。
しっかりとした足取りが、砂浜に点々と靴跡を刻んでいた。
「錆びたりなどしないのに」
どこか夢見るような口調で、三日月が小さく呟く。
そんなことを気にしているわけではない。今は人の身であって、塩水につかったところで錆びないことなど、重々に承知している。
だがそちらにいく決意は、まだ大包平の中で育っていないのだ。
「錆びなくても、なまくらになるかもしれん」
大包平がそう答えると、三日月がふわりと目元を和らげた。今日のこの日の天気のような眼差しだった。
「なまくらでも、名刀は名刀だ」
「名刀なものか。斬るに斬れなければ鉄くずだ」
「であれば、何よりも美しい鉄になればいい」
簡単に言ってくれると、大包平は苦々しげに顔をしかめた。
「さあ」
三日月が言う。
「おいで」
差し出された手を、大包平は見つめた。
潮騒が聞こえる。ざざん、ざざんと、繰り返している。
三日月の足元を、泡立つ波が洗っている。
水飛沫がきらきらと、輝いている。