【VVV夢】かっこうのむすめ 13話-2 ヴァルヴレイヴに関わった作戦を終えたパーフェクツォン・アミーは地球にてまとまった休暇と、持ち帰ったヴァルヴレイヴ――ジオールから連行した科学者達が言うにはあれは二号機というらしい――を元に作られる新兵器の開発補助の任務が待っていた。
兵器そのものはまだ完成していなかったが、モジュール77で相対したあの驚異的兵器達と同程度の能力を使いこなさせる為の、今までの兵器とは比べ物にならぬ動作能力に対応出来るよう様々な負荷に耐える試験だ。
……その実験に付き合う様相をまるでモルモットのようだとも感じたのは、言わないようにした。カルルスタイン機関の過酷な育成課程を修了した者達にとって、あまりにも今更過ぎる光景だったからだ。
「ハーノイン! こんな時間に出かけるの?」
試験訓練が終わり、ロッカールームから出たハーノインが向かうのは寮とは違う方向であった。
ツェーツェンはその一人きりの背中の後を追う。
「外で夕飯食うわ。食堂のメシも飽きちまうだろ?」
「じゃあ私も一緒に行っていい?」
ツェーツェンが気軽に腕を絡めようとすると、妙にばつの悪そうなハーノインの顔。
「……いや、その……。
ツェーツェンはちょっと一緒に連れてけないお食事……とか?」
「
現地調達か!!」
ツェーツェンが悔し紛れに訊ねる声は既に確信に近い。
「うーん、
ツェーツェンが男前だったら友軍として一緒に誘ったんだけどさ?」
「戦績は男前のつもりだけど!」
「生物学的に男前だったら、一緒に行ったよ」
それは男二人で女の二人連れを狙おうという魂胆か。この様子だときっとイクスアインは既に誘って、そして断られた上での単騎侵攻なのだろう。
だが昔から憧れていた年上の男の子が見知らぬ女達に掻っ攫われるのはなんだか悔しい。ハーノインの腕を掴む指にじわじわと力が入ったのは、少し怒りも混じっていたのだろう。
「ハーノインのうそつき! カルルスタイン村を出たら、恋人にしてくれるって約束したのに!」
「えっ、あんな昔のこと覚えてんの?」
幼い約束を持ち出され、次にギョッとさせられたのはハーノインの方であった。約束を交わした当初から既に不確かな決めごとであったけれど、本当に守る気もなく言っていたのかもしれない。
「私ハーノイン達とひとつしか年も違わないんだよ? 覚えてるに決まってるじゃん!」
「
クーフィアと同期だからうっかりしてたな」
「クーフィアはクーフィアで、機関入りが早過ぎたんだけどさ。アレは」
最年長のハーノインと最年少のクーフィアとでは5つも年齢が違う。
ツェーツェンはそのクーフィアと同期なものだから、実際の年齢よりもだいぶ軽んじて見られているらしい。心底心外な気分である。
「あはっ。……じゃあ
ツェーツェンにも用があったし、今夜は我らがお姫様を俺が一人占めとしますかね」
そう言って得意げに笑い、ハーノインは絡められた
ツェーツェンの腕に合わせ佇まいをリラックスさせる。
ツェーツェンはそれが嬉しくって、すぐ傍の肩に頭を預けてみたりなんかもした。
――彼の笑顔の中で少し困ったように眉が下がっていたのも、実際は気付いてはいたのだ。
「なあ……カイン大佐って、昔からああいう感じだったのか?」
適当なバーで食事をした後、ぶらぶらと帰り道すがら何の気もなさそうに訊ねてきたのはハーノインの方からだ。
軽くアルコールを呑み身体も火照ったところで、故意にゆっくりとした足取りだったものだから。このまままっすぐ帰らずにどこへと連れ込まれるのか――、どきどきと
ツェーツェンが淡い期待を抱いていた矢先の色気のない問いだった。
「昔からって――カイン“教官”だったら、ハーノインの方が指導が長いんじゃない?」
「俺やイクスが入った頃は、大佐はまだ総統の近くで仕事してたようでさ。カルルスタインの機関長になったのは、俺達が入ってから2年後だよ」
つまり先輩とはいっても、
ツェーツェンと比べて1年ほどしか接触の差は無いらしい。
「あと
ツェーツェンって
中将のお嬢様だし、大佐と面識――有ったんじゃねえの?」
「無いわけじゃないけど。むしろ昔の方が接点無かったよ?」
何せカインはかつての赤い木曜日の革命を起こしたアマデウス総統の古くからの側近であり、対して
ツェーツェンの父はその革命により権威を失った王族達を支持していた立場だ。父もはっきりと王党派という立場は取っていないにせよ、まるで主義の違うカインとそう親しかったわけがない。
「昔のカイン大佐はー……若かったしきびきびとしてて、もうちょっと溌剌としてたかな。まあ落ち着いた今も格好いいけどさ」
幼い頃の記憶なんて大してあてになりはしないけれど。何度か顔を合わせたカイン“少佐”はその頃から隻眼で、そして今よりも前線に自ら立つ事が多かったようだ。しかし恐ろしい鬼軍人というわけでなく、大人という責任感を手放さないままで幼い
ローレの目を見て話してくれる――心地良い若者であった気がする。
「目の前にこんないい男が居るのに、他の男褒める癖やめた方がいいんじゃねえの
ツェーツェン?」
「だってハーノインから訊いてきたんじゃん!」
冤罪だと叫んでから、
ツェーツェンは今宵連れ出された理由をようやくをもって察する事となった。
いくら遠回りで街を練り歩いても、ハーノインは
ツェーツェンをどこかの宿の灯りの下にまでは誘ってくれやしないだろう。
昔も今も、ハーノインはやはり彼女を“デート”に誘う対象としては見てくれていない。
そして
ツェーツェンの胸につかえているのもまた、恋や慕情よりも――あの“人の海”の光景だ。
「……ハーノイン、大丈夫? “前の作戦”がそんなにキツかったんなら、私だって力になるよ」
モジュール77で行われた毒ガスによる大虐殺は、そろそろ国際社会からの糾弾が向けられている。それに世間で騒がれようが落ち着こうが、実行した兵士本人の記憶は容易に消える事はない。
平気かと、出撃前にも問うた。だが作戦を終えたいま、実際に殺戮者となったハーノインの良心は無傷でいるはずはないだろう。
「私だって、あれが私達の祖国の英雄のする事かって幻滅はしたよ。分かってるんだけどね、どこの国でも英雄勲章なんて敵にとっての殺人鬼が貰うものだって」
物心ついた頃から軍人になると考えて生きてきた。だが戦った先の平穏を信じてこその軍事行動だ。
世界全体で条約が制定されていると知った上で敢えてルールを破られては、憧れの上官への信頼が陰らせられるには十分な理由になった。
「まあ――
ツェーツェンの言う通りだったな。あんま気分良くなかったわ、軍服着てない連中の死体の山見るの」
学生がどういう暮らしをしているかなんて、学校に通った事が無いハーノインは知らない。けれども非戦闘員である事は分かり過ぎていたくらいに、彼らの大半は無知で無力であった。
もしこれが敵国人ではなく“ドルシア”の学生であったなら、率先して守るべき立場の人間達だ。そんな同年代の少年少女達を率先して殺したという事実は、ハーノインの手を確実に汚した事に他ならない。
「オシゴトだったんだけどさ。俺だって少佐だった頃のカインに憧れて、軍人になったつもりだったのにな……」
ハーノインはイクスアインと違い、カインを崇拝視して呼ばないのは知っていたけれども。あからさまに呼び捨てにする様子は少々気にはなった。
この小さな反感の芽は、あの毒ガス作戦を考案し指揮を行ったカインへの疑念から芽生えたものなのだろうか。
「……“背中を共に預けるな。背中も友も、両方を守れる強さを持て”?」
「イクスの奴お喋りだな。いや、
ツェーツェン相手だからかな」
彼らが幼い頃にカイン本人から言い聞かされたという言葉は、やはり彼の胸にも希望を灯らせていたらしい。けれどハーノインの方の決意の炎は今、確実に揺れていた。
「俺はその言葉通りの軍人になりたくて必死に訓練にも耐えた。けどカインは――どうなっちまったんだろうな」
「私は戦場でのカイン大佐には会った事ないんだけど。現場主体だった人が政治中枢に来てそのままじゃいられなくなるっていうのは、よくある事だよ」
ツェーツェンはハーノインのようにカインを呼び捨てには出来ない。遠慮がちに階級を付けながら、おぼろげなカインの昔の姿を語る。
彼は子供達が憧れるような強きドルシア軍人の姿そのもの――という印象はあったのは覚えていて。しかし実際に彼の下で部下となって動くようになり、少々あの姿と重ならないというギャップには、何となくだが噛み合わない気持ち自体はあった。
「年取って落ち着いたっていうよりは、おっかなくなった感じかもな」
互いに幼い頃の、そう親しくもない人物の記憶だ。美化もあれば風化もしよう。ハーノインは「昔はああいう人じゃなかったと思うんだけどな」と添えた。
薄々は気付いていたが、はっきりと確信した。
ハーノインは
ツェーツェンと違い、
ドルシアを拠り所としていない。
そして信じるべき光を見失いかけている。
――いっそどこにも向かう気がないのならと、
ツェーツェンはぴたりと足を止めた。
「ハーノイン、……私と一緒に居なよ?」
「さしずめガールズセラピスってやつ?」
「もう。ふざけないで……」
今夜はこのまま帰らなくてもいいと、最初に一緒に歩き出した時からその覚悟自体はあった。
ツェーツェンがハーノインの背に腕を回すと、子供の頃と同じ困った笑いでハーノインは見つめ返してくる。だが彼女の背には、腕は返ってこない。
「子供の頃に約束したでしょ。普通の恋人のなり方、私にも教えてよ」
「……
ツェーツェンはそう優しい事は言ってくれるけど。内心俺達の中で一番強いのはエルエルフだって思ってるだろ?」
唐突に抜けてしまった――もう戻らせる機会を逸してしまった仲間の名を上げられ
ツェーツェンは目を丸くする。
「え、だって、まあ。軍人として評価したら、当然の判断だと思うけど……」
「それに王子様より俺の事、可愛がったりしてくれんの?」
「アードライ様は関係ないじゃん! ハーノインってそんなに駄々っ子なの!?」
次々と提示される決して無視出来ない存在感の男達の名に、
ツェーツェンは律儀に考え込んでは正直な気持ちを顕わにしてしまう。その反応はつまるところ、問いに対する彼からの“無理”を十分に表現していた。
「正直過ぎだって! 中将閣下のお嬢様は、お仕事熱心だねぇ」
「お父さんは関係ないし!」
「……俺は昔からこうだよ?
ツェーツェンが思ってるほど、“カイン様”みてえに大人っぽく振る舞えねえって」
すぐ目の前で見上げるハーノインの表情はまさに19歳の青年――いや、少年のものだったかもしれない。
けれど彼はまだ若くも過酷な人生を過ごした中で、
ツェーツェンという少女がたった今欲している抱擁の正体にも気付いている。
「そんな頑張る軍人様に――プレゼントだよ」
いつ渡そうか考えていたんだと続けて、ハーノインはポケットから小さな飾りを取り出した。
「これ、ハーノインの……色のピアス?」
彼の手の中で転がる緑色の輪を、
ツェーツェンは瞬時に“ハーノインである”と解釈する。
ハーノインの耳で踊る派手な耳飾り達は、青、赤、銀、そして薄い紫を帯びた銀。これは彼の訓練生時代からのチームの仲間達の髪の色を象徴したものだから、当時チームが別であった
ツェーツェンの分はない。そしてハーノイン当人の色も無い事は知っていた。
「私に――なの?」
「そっ。受け取ってよ
ツェーツェン」
ツェーツェンの分は作れずとも、不在であった本人の色を持っていて欲しいというのは……どういう意味での親愛なのだろうか。
「ハーノインのだけ、髪じゃなくて瞳の色なんだ。イデアールも緑で気に入ってるしね」
「だって俺の地毛の茶色じゃ、地味でつまんねーっしょ?」
新しく開発される兵器も、ハーノイン機はグリーンで塗装が行われる事が決まっている。
実際のところ、彼の瞳の色はむしろ緑に黄色がかった明るい色で。ハーノインが自分の装備にと指定するのはそれとは違い、青みがかかった緑色を好んで使っていた。
新しく作って
ツェーツェンに渡してくれたピアスは、彼が自分で指定してイメージカラーにと使っている青緑色の方だ。
「俺が“自分”のピアスを自分の耳に付けるのってなんか虚しいし、そんなら女の子に付けて欲しいしさあ?」
だから付けてよ、なんて。もっともらしい言い訳を作って贈るところが実に彼らしくて、
ツェーツェンは思わずくすりと笑ってしまう。
「じゃあ、お願い!」
「コレそういうアクセじゃねーし」
ツェーツェンがわざとらしく左手の薬指を見せるも、冗談は軽く流される。ちぇーという唇を尖らせて見せたけれど、代わりに別のリングをあげるよ……なーんて言ってくれそうな気配もなかった。
「じゃあハーノインが穴開けて?」
「……んー……」
今度は冗談ではない。髪をかき上げ、
ツェーツェンは自身の耳元をハーノインの前にさらした。彼はほんの少し躊躇してからピアスの針で柔らかな耳たぶを挟み力を入れ――。
「痛ったぁ……ッ」
「ほら、痛いだろ。やっぱ素人が女の子の耳に傷つけんのは怖いって」
上手く穴も開通せぬまま、
ツェーツェンは涙ぐみながらハーノインの腕の中で身をよじる。ピアスともなると、シンデレラのガラスの靴のようには上手くはいかないようだ。
「だからこっちに付けようぜ」
代わりに、と言うわりに。それは最初から想定していた事のように切り替えが早かった。
「やっ……」
ハーノインは無遠慮に
ツェーツェンの首や胸元を漁ると、無骨なチェーンを探り当てる。訓練を終えた帰りなら“有る”だろうと確信していた通り、
ツェーツェンは識別標を身に付けていた。アルファベットと数字が並ぶそれは自分達のコードネームが所詮、識別番号程度でしかない事を思い出させる。
小さな鉄板の横に、緑のピアスがころりと並ぶ。元々完全なる輪になっていないアクセサリーは少し頼りなさそうにぶら下がっていて、後でこのパーツでも付けててとハーノインは笑って補助パーツも渡してくれた。――本当に憎たらしいくらいに用意がいい。
「私が戦死したら――ハーノインの遺品が一緒に残るんだね」
「縁起わりぃこと言うなって」
ハーノインの首元に顔を埋めると、ようやくハーノインは
ツェーツェンの細い体に腕を回してくれる。これが子供の頃から夢見ていた憧れの男の子の胸の中だと、
ツェーツェンは夢見心地で首筋に顔を寄せた。
「ここまでしたんなら、キスくらいしてよハーノイン?」
「そういや約束、だったもんな」
そう
ツェーツェンがせがむと、ハーノインは唇へではなく――先ほどほんの少し傷つけた耳朶に小さく音を立ててキスをくれる。
耳に触れられる唇の感触を思い出に、
ツェーツェンはひとつの想いの終わりを感じた。
何年も経って、ようやく仲間にはなれた。だがハーノインは最初から、揃いのピアスを付けさせる気なんてなかったのだろう。きっとそうだ。
結局
ツェーツェンは、彼の特別な女の子にはなれはしなかったのだ。