イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    EM-エクリプス・モース- 第五章「氷に閉ざされし試練」氷の聖都氷鏡の迷宮荒れ狂う鉱石魔獣犠牲と葛藤闇に見えるもの追憶の世界本当の試練氷の聖都
    「はああああああっ!」
    「うおおおおおおお!」
    双方の剣が金属音を轟かせると同時に火花が迸る。二人の男による剣と剣のぶつかり合いは、吹き荒れる吹雪を寄せ付けない程であった。
    「だああああああっ!!」
    お互いの全力を込めた一振りが空を切り、ガキィンと轟音が響いた瞬間、回転しながら宙を舞い、凍り付いた地面に深々と突き刺さったのは大剣だった。ヴェルラウドとオディアンの剣を交えた手合わせは、神雷の剣を掲げたヴェルラウドの勝利であった。
    「ぬう……見事だ。我が剣を打ち払うとは」
    脱帽したようにオディアンが呟く。
    「へえ、思ったよりもやるじゃないの。オディアンですら敵わないくらいなの?」
    そっと勝負を見守っていたスフレがやって来る。
    「……いや、まだまだだな」
    ヴェルラウドは僅かに手を震わせながらも、剣を鞘に収める。
    「え?まだまだって?」
    「確かに剣は使えるようになった。だが、今はまだ完璧に使いこなせたとは言い難いな」
    剣を凝視しながらヴェルラウドが言う。激しく剣を交え、全力で剣を振るい続けた影響で両手に痺れが残っているのだ。
    「ヴェルラウドよ、お前も理解しているようだな。例え神雷の剣を使えるようになっても、それで終わりではないという事を」
    「ああ」
    オディアンが地面に刺さった大剣を引き抜き、鞘に収める。
    「ねえ、どういう事よ。つまり剣が使えても、使い方を完全にマスターしなきゃダメって事?」
    「そんなところだな。尤も、剣というのはそんなものだ」
    「ふーん、剣ってのは色々大変なのね」
    スフレは体を解そうと背伸びをする。
    「今日のところは一先ず休むぞ。明日に備えて身体を休めておかなくては」
    オディアンの一言で、二人は歩き始める。凍り付いた大地を歩く中、ヴェルラウドは思う。


    あの試練を乗り越えたおかげで、神雷の剣を使う資格を得る事が出来た。
    だが、これだけではまだダメだ。剣が使えても、それだけでは本当の力を発揮出来ない。剣を完璧に使いこなす程の力量、そして心が必要だ。

    そう———あの試練が、そう教えてくれたんだ。



    一週間前———ヴェルラウド達を乗せた飛竜ライルは世界の最北端に位置する氷の大陸チルブレインに到着した。氷に閉ざされた大地と呼ばれたこの大陸には試練の聖地と呼ばれる場所がある。歴戦の戦士ですら踏み入れた事がない未開の地となるこの大地で神雷の剣を使えるようになる手掛かりを求めてやって来たヴェルラウド達は大陸に降り立つ。
    「ひゃあ!な、何なのよこの寒さ!」
    大陸内は視界が阻まれる程の猛吹雪による極寒であり、普段着で立ち入るのは自殺行為に等しい程であった。
    「クッ……これではまともに進む事すら出来んな。スフレよ、お前の魔力で何とか凌げないものか?」
    「あ、あたしの力で上手くいくかわかんないけど……賢王様直伝のあの魔法をやってみるわ」
    スフレは寒さに震わせながらも魔力を集中させる。
    「……お前にそんな事出来るのか?」
    横でヴェルラウドが言うが、スフレはひたすら精神を集中させていた。
    「……炎の力よ……凍てつく世界から我らを守れ……ヒートヴェール!」
    ヴェルラウド達の周囲が熱の結界に覆われる。結界の中は少し暖かい温度に満ちていた。
    「すげぇ……これもお前の力なのか?」
    スフレの力にただ驚くばかりのヴェルラウド。
    「このスフレちゃんを侮ってもらっては困るわ!と言いたいところだけど、正直ずっと持つかどうかも解んないのよね」
    「何だって!?本当に大丈夫なのかよ……」
    「何もないよりかマシでしょ!ってか、さっさと行くわよ!それともこのままとんぼ返りするの!?」
    「とにかく、今は全身するしかなかろう。進めば何かあるかもしれん」
    スフレによる熱の結界に守られながらも、ヴェルラウド達は氷の大地を進んでいく。大陸内には魔物の気配はないものの、凍てつく吹雪は止まる事を知らず、次第に視界が真っ白になっていく。
    「……なあ……本当に大丈夫なのか?温度が下がっている気がするんだが」
    不安な気持ちで言うヴェルラウド。結界内の温度が少し下がっているのだ。
    「あ、あたしも正直不安になってきたわ……一端出直す?」
    弱気な様子のスフレ。魔力が消耗していくにつれて、結界の力が次第に弱まっていた。
    「どうやら、この地を侮っていたようだ……歴戦の英雄が立ち入りしなかった理由が解ったかもしれぬ」
    一行が一度撤退を決め込もうとした瞬間、突風が襲い掛かる。
    「な、何だあれは!?」
    一行は愕然とする。なんと、前方には吹雪による激しい竜巻が巻き起こっているのだ。
    「ちょっとー!な、なんでこんなところに竜巻が発生してるのよおお!!」
    スフレが思わずパニックになる。
    「逃げるぞ!巻き込まれては一溜りもない!」
    その場から逃げようとする一行だが、竜巻は一瞬で勢いが増し、広範囲に渡って拡大していくに連れて一行を吹き飛ばしていった。
    「うわああああああああぁぁぁぁ!!」
    竜巻に吹き飛ばされた瞬間、スフレの魔法による結界が消滅し、一行はそのまま意識を失った。



    一方、闇王の城では———


    「そうか……後は貴様に任せる」
    「フフフ、この私に任せて下さい。レグゾーラのように不覚は取りません」
    巨大な台座に祀られた球体には、魔族の女の姿が映し出されていた。会話が終わると球体に映されたものは砂嵐となり、玉座に佇む闇王の前に黒い影が現れる。黒い影の大きく開かれた口からケセルが姿を現した。
    「クックックッ、ご機嫌如何かな?闇王よ」
    ケセルは不敵な笑みを浮かべつつ、腕組みをした状態で声を掛ける。闇王は杯に注がれた酒を飲み干し、息を付く。
    「貴様が直接出向くとは……何のつもりだ?」
    ケセルは返事せず、手から漆黒の炎に覆われた邪悪な闇の光を放つ光球を出現させる。それは、ブレドルド王の魂がケセルによって暗黒の魂に作り替えられたものであった。
    「クックックッ、喜ぶがいい。貴様が求めていたものだよ。元は栄誉ある剣聖の王の魂だったものが、このオレの手で大いなる闇の力が込められた魂と化したものだ。完全なる復活を遂げるには、これが必要なんだろう?」
    黒く燃える暗黒の魂は不気味な輝きを放ち、ケセルの邪悪な笑みを照らす。
    「貴様……それを我に与えると言うのか?」
    「それ以外に何が考えられる?完全なる復活を望んでいるのならば、オレの気が向かぬうちに試してみたらどうだ?必要ないというならば受け取る必要は無い。元々オレは貴様の復讐に干渉する気は無いのでな」
    尊大な態度で言い放つケセルを前に、闇王は手に持つ杯を粉々に砕く。
    「……貴様は色々気に食わぬが、試してやる。魂をよこせ」
    ケセルは歪んだ笑みを浮かべたまま、魂を闇王に差し出す。闇王が魂を手にすると、ケセルの額の目が紫色の光を放つ。その光に応えるかのように、魂が闇王の中に入り込んでいく。
    「ぐっ……おお……グオアアアアアッ……グアアアアアアアアア!!」
    突如、激しい苦しみに襲われた闇王は頭を抱えながら叫び声を上げる。苦しみは全身に響き渡る激痛と化し、体内の血液が沸騰するかのような感覚となり、黒く染まった血を吐き出した。
    「ごっ……あぁ……ハ、ァッ……ハァ……ぬ……おああああアアアッ!!ゴオオオオオオオオアアアアアアアアアッ!!ンオオオオオオオオオオォォォオオオオッ!!!」
    咆哮と共に立ち上がり、力任せに腕で台座を破壊する闇王。同時に闇王の全身から闇の瘴気が発生していく。
    「クックックッ、思ったよりも刺激が強すぎたか?まあいい。仮に失敗したとしても所詮オレの計画に支障は無い。気まぐれに復活の手助けをしてやった事だけでも感謝するんだな」
    ケセルが黒い影の口の中に入り込むと、黒い影は球体に変化し、蒸発するように消えていく。闇王は暴走する形で辺りのものを力任せに破壊しつつも、地獄のような激痛と激しい苦しみに叫び続けていた。


    ヴェルラウドが目覚めると、そこは見知らぬ部屋の中だった。
    「ここは……何処だ?」
    目を開けて起き上がろうとした瞬間、スフレの顔が視界一杯に広がる。
    「ヴェルラウド、やっと目を覚ましたのね!?もう、あんただけ死んでるのかと思ったわ!」
    途轍もない至近距離で顔を覗き込むようにスフレが言ってくると、思わず顔を逸らしてしまうヴェルラウド。
    「何よ、顔逸らす事ないでしょ!あたしが可愛いからって顔が近くなると恥ずかしいの!?」
    「違うっての。いきなりでびっくりしただけだよ。大体そこまで近付く事ねぇだろ……」
    僅かに赤面するヴェルラウドにちょっかいを掛けるスフレの傍らには、オディアンが腕組みをして座っていた。
    「何はともあれ、全員無事で何よりだ。どうやら我々は誰かに助けられたらしい」
    「そのようね。こんなところにも住んでる人がいるなんてちょっと予想外だったけど、おかげで命拾いしたわ」
    三人が会話を交わしていると、部屋のドアが開く。
    「やあ。三人とも気が付いたか?」
    入って来たのは、小柄の少年だった。少年はまるで人形のような印象を受ける外見をしていた。
    「君かな。我々を助けてくれたのは」
    「うん、まあね。見た感じ、君達は人間かな?」
    「え、そうだけど?まさかこんな可愛い美少女賢者様のあたしを魔物だとか言わないよね~ボクぅ?」
    スフレは半分からかう調子で少年に寄ってくる。
    「いやいやまさか。僕は人間じゃなくてマナドール族だからな。この地に住む人間は大僧正リラン様だけなんだよ」
    「ええっ!?」
    「ここは聖都ルドエデン。そして僕の名はイロク。僕達マナドール一族とリラン様によって守られている聖地でもあるんだ」
    吹雪の竜巻に巻き込まれ、気を失っていたヴェルラウド達がイロクによって運ばれた場所———チルブレイン大陸の中心地に位置する場所にある聖都ルドエデンは、神の遺産を守る民族によって生み出された人形の種族マナドールが暮らす地であった。古の時代、世界にはそれぞれの魔力に適応する特殊な鉱石が存在し、その鉱石をベースに様々な物質を生命体へと変化させる魔力によって誕生したのがマナドール族で、ルドエデンを治める大僧正リランと共に聖地を守る役割を与えられているという。
    「成る程、つまりその大僧正リランと呼ばれるお方が試練の聖地に関するカギを握っているという事か」
    話の全てを聞いたオディアンは試練の聖地の存在に確信を持つと、ヴェルラウドはイロクに旅の目的について全て話す。
    「試練の聖地か……それはリラン様じゃないと解らないな。まあ、リラン様の元には僕が案内してやるよ。外で待ってるから」
    イロクが部屋から出る。
    「はーん、やっぱりあの子の言うリラン様ってのが全てを知ってるってわけね」
    「そういう事だな。彼に案内してもらうとしよう」
    ヴェルラウド達は部屋を出て、家から出る。外に出ると、過ごしやすく暖かな気温に満ちていた。聖都全体が吹雪を遮断する巨大な結界に覆われており、神の遺産を守る民族が残したという大気の魔力で並みの人間でも過ごせるような気温を保っているのだ。
    「信じられない!ここだけ別世界みたい!世界ってこんな不思議なところもあるのね!」
    スフレは立派な建物が並ぶ聖都の光景と合わせて観光気分ではしゃぎ始める。ヴェルラウド達が案内されたのは、聖都の中心部に建てられた神殿であった。神殿前に辿り着いた瞬間、オディアンが不意に気配を感じ取る。
    「お前達、下がれ!」
    オディアンは斧を手に振り返ると、巨大な氷の塊が飛んでくる。即座に斧で氷を叩き割るオディアン。
    「あらあら、なかなか珍しい客人ですわね」
    機敏な身のこなしで颯爽と現れたのは、イロクと同じ背丈で三つ編みのお下げをしたマナドール族の少女だった。
    「デナ!今のは君の仕業だったのか!」
    「そうですわよ。イロク、この方達はどなたですの?」
    イロクがヴェルラウド達について説明すると、デナと呼ばれた少女は首を傾げる。
    「まあ、イロクったらろくに考えもせずに何処とも知れない他所者を受け入れたんですって?第一、人間がこんなところに立ち入り出来るとは思えませんわ」
    腰を手にヴェルラウド達を見つめるデナ。
    「おい、何なんだよこいつは。いきなり不意打ちで攻撃して来るなんてどういうつもりだ?」
    「そうよ!あたし達はお客様よ!随分酷い歓迎してきて何様のつもり!?」
    ヴェルラウドとスフレが抗議する。
    「お黙り!ただの人間の旅人がリラン様に何のご用事ですの?」
    「我々はそのリラン様に一つお尋ねしたい事があるのだ。まずは話を聞いてくれないか」
    オディアンが旅の目的と事情を話す。
    「試練の聖地ですって?アッハッハッ、大笑いですわ。ただの人間でしかないお方が試練を受けるなんて無駄死にするのが見えていますわ」
    「何よ!そんなのやってみなきゃわかんないでしょ!」
    小馬鹿にするように笑うデナに対してスフレが掴み掛るように反論する。
    「全く、知らないというのは幸せですわね。あの試練を乗り越えられたのは、古の戦女神と呼ばれる者だけ……並みの人間は疎か、我々でも手を出すようなものではないと伝えられていますのよ。即ち、死を意味するという事ですわ」
    ヴェルラウドはマチェドニルの言葉を思い返す。神雷の剣を手にした赤雷の騎士であるエリーゼ達歴戦の戦士ですら足を踏み入れていない未知の領域であり、試練を受けた事で力を得たのは古の戦女神と呼ばれし者だけだという事を。いかに赤雷の力を持つとはいえ、自身は人間である。そんな自分が立ち入るような試練ではないという事なのだろうか。
    「……デナと言ったな。とにかく、リラン様に会わせてくれないか。試練の事がどうあろうと、俺にはどうしても果たすべき目的がある。その為にここまで来たんだ」
    ヴェルラウドが真剣な表情で頼み込む。
    「だったらこの私の動きを捉えてみなさい。でないとお断りですわ」
    デナが素早い身のこなしでアクロバットのような動きを披露すると、突然姿を消す。それは眼力では捉えられない程の恐るべきスピードで動いており、気が付くと既にヴェルラウドの背後に回り込んでいた。
    「私はこっちですわよ」
    振り返った瞬間、ヴェルラウドはデナの途轍もないスピードによる動きに驚くばかりだった。
    「い、いつの間に!?」
    「私はマナドール最強の闘士と呼ばれる者。パワーは疎か、スピードに関しては誰にも負けませんのよ」
    更に動き始めるデナ。即座に背後を振り返るヴェルラウドだが姿はなく、辺りを見回しても姿を捉える事が出来なかった。
    「ホホホ、お話になりませんわね。その背中にある立派な剣は切り札ですの?」
    ヴェルラウドの眼前まで顔を近付けた距離に現れるデナ。思わず両手で捕まえようとするヴェルラウドだが、デナの姿は背後に回り込んでおり、挑発するように背中をタッチした。
    「うぐっ……!な、なんて速さなんだ……」
    恐るべきスピードに手も足も出ないヴェルラウドはその場に立ち尽くす。
    「ど、どうなってんのよこいつ……」
    驚きの表情を隠せないスフレの傍ら、オディアンは冷静にデナの姿を凝視していた。
    「やはり人間なんて所詮この程度ですわ。この私の動きすら捉えられないようでは試練を受ける資格などありませんわよ。諦めてお帰りなさい」
    デナは勝ち誇ったように言い放ち、高笑いする。
    「くっ……だからといって帰るわけにはいかねぇんだよ!」
    悔しさの余り地団駄を踏むヴェルラウド。
    「そうよそうよ!あたし達には果たすべき使命があるんだから、あんたが何言おうと絶対に帰らないからね!大体何なのよ、デナだかデブだか知らないけど偉っそうにしちゃって!ただ素早ければいいってもんじゃないわよ!」
    スフレの一言にデナは蟀谷をピクッとさせる。
    「……デブですって?そこの小娘、デブって誰の事ですの?」
    「何よ、やる気?」
    喧嘩腰で食って掛かるスフレ。
    「ふん、いやらしい恰好です事。随分とお胸を強調させた恰好してて恥ずかしくないんですの?」
    「うるっさいわね!調子乗ってんじゃないわよ、このデブ!」
    「あなた、ブッ飛ばしますわよ?私が誰だか解ってますの?」
    「ブッ飛ばされるのはあんたの方よ!あんたがどんなに素早くてもあたしの魔法があれば……」
    「スフレ、つまらぬ事で張り合うのはよせ」
    オディアンが制するように言う。
    「何よ。こいつムカつくからいっそのところ全員で叩きのめしちゃおうよ!」
    「まあ落ち着け。彼女は確かに捉えられぬ程の素早さを持つが、決して勝てなくはない」
    「え、どういう事よ」
    オディアンはヴェルラウドに視線を向ける。
    「ヴェルラウドよ。心を静めろ。相手の動きを捉えるのは眼だけが全てではない。動きを捉える事に気を取られると却って相手の思うツボだ。まずは精神を研ぎ澄ませるのだ」
    心を静め、精神を研ぎ澄ませる———その一言に、ヴェルラウドはオディアンと剣を交えた事を思い返す。ブレドルド王国の闘技場での戦いにおいて、オディアンの動きに剣を掲げて精神集中を行った上での攻撃があった。あれが精神を研ぎ澄ませている事を意味するものだとしたら———。

    ヴェルラウドは目を閉じ、そっと剣を掲げる。心を落ち着かせようと一つ息を吐き、精神を集中し始めた。

    確かに俺は相手の動きに翻弄され、目で捉える事に必死になっていた。だが、相手の動きに気を取られず、惑わされず、感じる事が出来れば———。

    「あら、まだやるおつもりですの?私はあなた方にお付き合いする程のお暇じゃなくってよ?」
    デナが再びアクロバットのような動きと共に物凄いスピードでヴェルラウドの周囲を回り始める。だが、ヴェルラウドは動じずに心を集中させていた。オディアンはそんなヴェルラウドの姿を真剣に凝視している。


    そうだ……かつて父さんから教わった事がある。


    ———戦うべき相手が、全て目に映るものとは限らない。時には、見えない敵と戦う事もある。
    見えない敵とは、眼で戦うものではない。邪念と雑念を捨て、研ぎ澄ませた心眼と、心で感じ取る気。

    それを全て心得てこそが真の戦士———。


    それを教えられる父さんだからこそ、俺に出来ない事は無い。俺にだって———!


    翻弄するようにデナがヴェルラウドの背後に回り込んだ瞬間、ヴェルラウドは即座に剣をデナに向けて振り回す。その一撃は、デナの身体を見事に捉えていた。
    「なっ……何ですと……!?」
    予想外の出来事に驚きの表情を浮かべつつ、膝を付くデナ。
    「……ひゃー!やるじゃないの、ヴェルラウド!あの超スピードを捉えるなんて!」
    歓喜の声を上げるスフレ。
    「うむ、見事だ。俺が思った通りだった」
    オディアンが賛辞の声を投げる。
    「クッ……まぐれとはいえ、少し侮っていたようですわね」
    デナの強気な態度は相変わらず変わらない様子。
    「おい、もういいだろ?彼らもリラン様と会わなければならない事情があるようだから、認めてあげなよ。少なくとも悪い人じゃないようだし」
    イロクが頼み込むように言う。
    「仕方ありませんわね。お約束通り、リラン様の元へ案内致しますわ。もし何か変な真似をしようものならこの私が許しませんわよ。本来はあなた方のような旅行者が立ち入り出来るところではありませんからね」
    デナによって神殿内へ案内されるヴェルラウド達。
    「ねえ、あいつほんとムカつくと思わない?何であんなに偉そうなんだろうね」
    スフレが耳打ちするようにヴェルラウドに言う。
    「確かにいけ好かん奴だけど、今は揉めてる場合じゃねぇだろ」
    「何言ってんのよ。あんたも色々コケにされてたじゃない。隙あらばブッ飛ばしてやりたいところだわ」
    耳打ちでデナの悪口を言ってるうちに、ヴェルラウド達は巨大な扉の前に辿り着く。扉を開けると、燭台に囲まれた立派な祭壇の上の玉座に、少年とも少女とも取れる中性的な容姿を持つ魔導師風の若者が佇んでいた。
    「リラン様、客人で御座います」
    デナとイロクが跪く。若者が、大僧正リランであった。


    大陸内に再び発生した吹雪の竜巻が、吸い寄せられるように上空に消えて行く。空中に浮かび上がる杖が竜巻を吸い寄せているのだ。竜巻を全て吸収した杖が回転しながら地上へ向かって行く。杖を手にしたのは、貴族のような衣装を着た魔族の女だった。傍らには額に宝石が浮かび上がった醜悪な魔獣がいる。
    「フフ……赤雷の騎士のみならず、新たな素材もあるとならば一石二鳥になりそうね」
    凍てつく吹雪が絶え間なく吹き荒れる中、魔族の女は杖を手に不敵な表情を浮かべていた。
    氷鏡の迷宮
    「よくぞ来た、赤雷の騎士ヴェルラウドよ」
    リランがヴェルラウドの名前を口にした時、思わず驚きの表情を浮かべる一行。
    「俺を知っているのか?」
    「うむ。そなたがこの聖都ルドエデンを訪れる事は予知していた。そして神の試練を受ける事もな」
    一行は自己紹介と共に、これまでの経緯を全て話す。リランは赤雷の騎士であるヴェルラウドとその仲間達が聖都を訪れ、試練の聖地にて神の試練を受ける事で闇王に挑む事を予知していた。部下であるデナがヴェルラウドの実力を試したのもリランの命令によるものだったのだ。
    「色々話が早くて助かるぜ。その神の試練ってのはお袋ですら関わった事がないらしいんだが、それ程過酷なものだというのか?」
    「あなた、さっきから礼儀がなっていませんわね。リラン様にタメ口だなんて何様ですの?」
    怒り口調で言うデナ。
    「構わぬ。無駄に畏まる事は無い。私は彼らに話がある。無用の者は下がっていろ」
    「そうよそうよ!リラン様はあたし達に用があるんだからね!外野は引っ込んでなさいよ!」
    便乗してスフレがデナを追い払おうとすると、デナは心の中で覚えてなさいよと捨て台詞を吐き捨ててイロクと共にその場を後にした。
    「全く、面倒な部下を持つと疲れるものだ。では、改めて話そう」
    リランが話を続ける。試練とは自身の心の鏡を映し、己の心に潜む様々な闇と向き合い、それを全て乗り越える事で力を得るものだと伝えられている。試練の聖地となる場所は神殿を抜けた先にある氷鏡の迷宮と呼ばれる地下洞窟であった。
    「試練の内容はこの私でもどのようなものかは解らぬ。一つ言える事は、人間で試練を乗り越えた者は誰一人いないという事だ。赤雷の騎士と呼ばれる君も人間である事に変わりない。それでも覚悟の上か?」
    ヴェルラウドは一呼吸置き、過去の出来事を振り返りつつも決意を新たにする。
    「……ああ。その為に俺は此処に来たんだ。もう後には引けない。どんな試練であろうと、絶対に乗り越えてみせる」
    真剣な眼差しで答えるヴェルラウド。
    「解った。ならば付いてくるが良い」
    リランは一行を試練の聖地となる場所に案内する。神殿の裏口から通じる地下道からの経由で、氷の壁に囲まれた巨大な空洞に辿り着く。そこにあるものは炎のない燭台に、凍り付いた大扉。氷鏡の迷宮の入り口であった。
    「ここが試練の聖地となる氷鏡の迷宮だ。扉はもう何百年も閉ざされている」
    氷に閉ざされた迷宮の扉を開ける事が出来るのはリランのみ。リランは杖を手に、意識と精神を集中させる。


    我は神の遺産を守りし者。蘇りし巨大なる闇に立ち向かう神の力を受け継ぎし者に試練を与えよ———。


    リランの全身が光に包まれ、それに共鳴するかのように扉から光が放たれる。光によって氷が溶けていき、重々しい音と共にゆっくりと開いていく。
    「この扉の向こうに入れるのは、試練を受けし者のみ。それ以外の者は結界によって阻まれる。私を含めてな」
    ヴェルラウドは扉の向こうから威圧的な空気を感じ取り、思わず息を呑む。同時に、神雷の剣をそっと手に取った。
    「……一つ、聞いていいか?」
    「どうした?」
    「もし俺がこの試練を乗り越えたら、神雷の剣を使えるようになるのか?」
    ヴェルラウドの問いに、辺りが一瞬静寂に支配される。リランは、神雷の剣に関する事情も全て把握していたのだ。
    「残念ながらそれは私でも答えが見つからぬ。だが一つ言える事は、闇王と呼ばれる相手は今のお前では到底勝ち目はない。何れにせよ、お前がこの地を訪れる事も運命だったのだ」
    リランの返答にヴェルラウドは神雷の剣を見つめる。
    「ヴェルラウドよ。この扉の向こうの試練は一体何が待ち受けているのか解らぬが、如何なる出来事が起きようと、決して迷いに囚われるな。己の弱さが引き起こす迷いに囚われると死に繋がる。陛下もそう仰っていた」
    オディアンの言葉を受けたヴェルラウドは黙って頷く。同時に、オディアンと手合わせで剣を交えた時、オディアンの迷いのない剣の一撃の重さが脳裏を過っていた。
    「……スフレ、オディアン。俺は必ずこの試練を乗り越えてみせる。必ずな」
    ヴェルラウドは心を決め、扉の中に入ろうとする。
    「待って!」
    呼び止めたのはスフレであった。
    「……これ、お守りとして持ってて」
    スフレが差し出したのは、黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチであった。
    「これは?」
    「あたしが子供の頃に賢王様から授かったものよ。スファレライトと呼ばれる災いから守る光の力が込められた貴重な鉱石のブローチだから、ちゃんと返してよね!」
    詰め寄るように言うスフレに、ヴェルラウドはブローチを強く握り締めながらも「ありがとよ」と返事し、扉へ進んでいく。扉の向こうへ進んだ瞬間、扉は重々しい音を立てながら閉じていく。
    「絶対に帰ってきてよね!絶対に……」
    扉が閉まった瞬間、スフレは半ば心配そうな様子で何度も呼び掛けた。
    「スフレよ。今はヴェルラウドを信じるしかなかろう。我々はこれからどうするか……」
    「ああ、そなたらにも話したい事がある。一先ず戻るぞ」
    リランに連れられて迷宮の入り口を後にするスフレとオディアン。再び祭壇の間に戻ると、学者のような風貌をしたマナドール族の女性がやって来る。女性は、聖都の周辺で発生した吹雪の竜巻に関する調査を任されたリランの部下の研究者であった。
    「ベリルか。調査は如何であったか?」
    「はい。昨日から発生していた吹雪の竜巻は先程収まった模様です」
    「ふむ。あれ程激しい竜巻だったのが突然収まるとは……果たして安心して良いものだろうか」
    どこか不安げな様子のリラン。
    「ベリルよ、引き続き大陸の調査を頼む。もし何かあらば私に知らせるのだ」
    「畏まりました」
    命令を受け、ベリルが去って行く。
    「吹雪の竜巻って、あたし達が巻き込まれたアレの事?それが収まったっていうの?」
    「うむ。このチルブレイン大陸は年中猛吹雪だとはいえ、竜巻が起きる事など全く無かったのだが……」
    リランがふと考え事をする。
    「いや、それよりもまず。君はスフレと言ったな。こうして君と会うのも運命の導きなのだな、同士よ」
    「へ?同士?あたしが?何の事?」
    突然の一言にスフレは戸惑うばかり。
    「戸惑うのも無理はなかろう。スフレよ。君は私と同じ、神の遺産を守る民族の子孫なのだ」
    「えええ!?ってか、神の遺産を守る民族って何なのよ?」
    リランは全てを話す。古の時代、マナドール族のベースとなる様々な魔力に適応する特殊な鉱石は神の手によって造り出されたものと呼ばれていた。鉱石はマナリアン鉱石と名付けられ、神は鉱石のみならず、邪悪なる闇の力に対抗する武具や遺産を守る聖地を造り、それらを守る使命を与えられた人間が神の遺産を守る民族であった。神の遺産を守る民族は各地に存在する遺産を代々守り続け、リランとスフレは神の遺産を守る民族の血を引く子孫として生まれ、神雷の剣を守るブレドルド王も子孫だという。そして神雷の剣も、神の遺産の一つだったのだ。
    「なんと……まさか国王陛下までもがその神の遺産を守る民族の子孫であったというのか?確かに神雷の剣はブレドルド王家によって代々守られていたが……」
    オディアンは驚きの表情を浮かべていた。更にリランは話を続ける。スフレは神の遺産の一つ『月の輝石』が封印された聖地ルイナスに住む神の遺産を守る民族の子孫となる魔導師の子だったが、近い将来訪れる災厄を予知し、物心つく前にマチェドニルに預けられたという。
    「嘘でしょ……ねえ。それ本当なの?」
    「うむ。全て父から聞いた話だ」
    先代の大僧正であるリランの父は、マチェドニルの師匠に当たる存在であった。リランの父の名は、リヴァン———。マチェドニルが住む賢者の神殿の大僧正であり、大賢者でもある。マチェドニルはリヴァンの一番弟子であった。


    赤雷の騎士エリーゼを中心とした歴戦の戦士達によって闇王が倒されてから数年後の時代———赤子を抱くマチェドニルの元に、リヴァンがやって来る。
    「や、これはリヴァン様」
    「マチェドニルよ、その赤子は?」
    「はっ、聖地ルイナスから来たという魔導師の男によって預けられた子です」
    リヴァンはマチェドニルが抱く赤子の姿をジッと見つめる。
    「聖地ルイナス……何故にこんな赤子を預ける必要がある?」
    「近い将来訪れる災厄を予知して、との事だそうです。私からすると身勝手な理由のように思えますがな」
    災厄———その言葉にリヴァンは思わず眉を顰める。マチェドニルの腕の中の赤子はぐっすりと眠っていた。
    「……マチェドニルよ。その赤子は未来の大賢者として育てるのだ。私は神殿を出る」
    「ぬぬ?一体どちらへ向かわれるおつもりです?」
    「氷に閉ざされた大地……チルブレイン大陸だ」
    「なんと!?しかし、チルブレイン大陸といえば我々にとっては未開の地となるのに一体何故……」
    「チルブレイン大陸には、我が祖先が治めていた神の遺産の一つとなる場所が存在する。闇王は決して滅んだわけではない。近い将来、闇王をも凌駕するような大いなる災厄が現れようとしている。その時の為に、神の遺産を守らなくてはならぬのだ」
    表情を強張らせるリヴァン。マチェドニルはリヴァンの表情を見て思わず息を呑む。
    「……マチェドニルよ。その赤子の名は?」
    「ふむ。スフレ、と名付けておきましたぞ」
    「そうか」
    リヴァンは未来の出来事を予知していた。未来に訪れる災厄とは、闇王の復活に加え、大いなる闇を司る邪悪なる存在が地上に現れる事———その時に、チルブレイン大陸に存在する神の遺産の一つである試練の聖地と聖都ルドエデンを訪れる者が現れる。同時に、エリーゼの赤雷の力を受け継ぎし子が生まれる事も予知していた。リヴァンはマチェドニルに賢者を統べる存在『賢王』の称号を授け、息子リラン、妻のカヌレと共に旅立ち、リヴァンの祖先が治めていた聖都ルドエデンに身を潜め、祖先が遺したマナリアン鉱石で多くのマナドール族を生み出した。やがてカヌレは病で亡くなり、リヴァンも与えられた使命の全てをリランに託し、この世を去った。マチェドニルに引き取られたスフレは賢者として育てられ、両親の血筋の影響で備わっていた炎、水、地、風の四大属性を司る魔力と天性の才能で四大属性魔法を自在に操る高等魔導師へと成長を遂げ、赤雷の騎士エリーゼの子を守る使命を受けたのであった。


    「やっぱり、あたしにも故郷があったのね」
    リランの口から知られざる自身の出生を聞かされたスフレは驚きが隠せない様子。
    「あたし、お父さんとお母さんの顔も知らずに賢王様に育てられてきたし、何も聞かされなかったから……お父さんとお母さん……もし生きてたら会いたいな」
    スフレは複雑な想いを抱えながらも、両親の生存が気になっていた。
    「ところで、あたしが生まれたところ……聖地ルイナスだっけ?あたしが賢者様に預けられた理由はそこで訪れる災厄を予知しての事らしいけど、その災厄っていうのは闇王の事なの?」
    「いや……父が言っていた災厄は、闇王とは違う邪悪なる存在……それは闇王をも凌駕するようなものと言われている。今解る事はそれだけだ」
    「闇王とは違う邪悪なる存在……あっ!」
    スフレの脳裏に何かが浮かび上がる。ブレドルド王国が闇王配下の魔物の襲撃を受けた時に遭遇した邪悪な道化師———ケセルの姿であった。
    「どうした?」
    「あのね、ブレドルド王国が魔物に襲われた時、ヤバそうな力を持つピエロがいたのよ。そいつは闇王を蘇らせたと言ってたわ」
    「何だと!?」
    リランの表情が強張る。
    「闇王を蘇らせたピエロ……災厄……ふむ」
    ふと考え事をすると、リランは軽く咳払いする。
    「……スフレ、オディアンよ。色々話すべき事はあるが、今日のところは一先ず休んでくれ。どうか君達の力も貸して欲しい」
    「え、どういう事?」
    「君達が訪れる前から薄々感じていたのだが、この聖都ルドエデンでも近々何かが起きようとしている。我々だけでは手に負えないような何かが迫っている予感がするのだ」
    不吉な予感を抱き、真剣な表情でリランが言う。
    「解りました。如何なる敵が現れようと、騎士として貴方様とこの神聖なる聖地をお守り致します。スフレ、良いな」
    「勿論よ!ヴェルラウドが生きるか死ぬかの試練で頑張ってるんだし、あたし達も頑張らなきゃね!」
    迫り来る邪悪なる者との戦いに備え、スフレとオディアンは神殿で休む事にした。マナドールの兵士によって案内された客室は、綺麗に内装された部屋であった。部屋を掃除していたメイドのマナドールは湯飲みに熱い茶を注ぎ、軽くお辞儀をして部屋から出た。
    「へえ、綺麗な部屋じゃない!いつかの汗臭い部屋とは全然違うわね」
    スフレは嬉しそうにベッドに横たわる。
    「リラン様は何か不吉なものを感じておられたようだが、この地にも闇王の手の者が近付いているという事だろうか。スフレよ、いつでも戦えるようにしておけ」
    「はいはい、それくらい解ってるわよ。ヴェルラウドの事も気になるけど、あたし達二人で何とか頑張らなきゃね」
    スフレはマントを脱ぎ、寝間着姿に着替えようとした矢先、部屋をノックする音が聞こえてくる。デナだった。
    「あ、あんた……!何なのよ、何か用?」
    「御用は終わりましたの?」
    「終わったわよ!言っておくけど、あたし達はリラン様からの頼みを受けた上でこうして寝泊まり出来る場所を与えられたんだからね!」
    「ふん、まさかあなた達如きがリラン様に頼りにされるなんてね。リラン様の寛大さに感謝する事ですわ」
    「何よ、文句ある?」
    デナのふてぶてしい態度に喧嘩腰で食って掛かるスフレ。
    「ヴェルラウドと言いましたっけ?あの男は試練に行きましたの?」
    「そうよ」
    「全く、リラン様も少しは止めたりしなかったのかしら。生きて帰れる可能性なんてほぼ皆無に等しいのに」
    「いちいちうるさいわね!これはあたし達にとって大事な事なのよ!あんたが何を言おうと、あたし達はヴェルラウドを信じてるんだからね!」
    「ふん、本当よく動くおクチですこと。このまま帰って来なかったらどうするおつもりですの?」
    「帰って来るわよ、絶対に!命賭けてでも言うわ!もしヴェルラウドの事を悪く言ったらブッ飛ばすわよ!」
    「あらそう。ま、私は彼がどうなろうと知った事じゃないから好きに祈ってるがいいわ」
    高慢な物言いで返し、部屋から去って行くデナ。
    「あーもー!!ほんっと何なのよあいつ!」
    スフレは苛立つ余り、部屋のドアに蹴りを入れる。
    「気にする事では無い。今は身体を休める事だ」
    冷静にオディアンが言う。
    「あんな事言われたら黙ってられないわよ!いちいちやって来てあれこれ嫌味言ってさ!ったく!絶対にブッ飛ばしてやるわ!」
    不貞寝するようにベッドに転がるスフレ。オディアンはやれやれと呟きながら注がれた熱い茶を口にしつつ、リランの「何かが迫っている」という言葉を気に掛けていた。


    氷鏡の迷宮の入り口となる扉を抜けたヴェルラウドが見たものは、真っ白な空間であった。そこには何も無い。存在するのは自分自身のみ。背後の扉もいつの間にか消えている。進んでも無限に続く空間。引き返そうにも引き返せず、自分自身だけが存在する世界のような錯覚を受ける場所であった。
    「何なんだ此処は……これが試練だというのか……」
    何もない真っ白の空間で今から何をすればいいのか、どうすべきなのか答えが見つからないまま、当てもなく前を進む。だが、歩いても歩いてもその答えは見つからない。引き返してもきっと同じ事だ。いや、前へ進む事で何かあるのかもしれない。そう考えて、更に前を進む。刹那、足が止まる。一瞬、肌で何かを感じた。何かが見えたわけではなく、周囲は相変わらず真っ白でしかない。本能で何かを感じ取ったのだ。ヴェルラウドは本能に従うかのように剣を抜く。すると、何かの気配を感じた。此処に何かがいる。そう、この何もない真っ白の空間に存在する、見えない何かが。次の瞬間、ヴェルラウドは腕に傷を負う。やはり見えない何かがいる。今、見えない何かに攻撃された。それと戦うのが試練なのか。そう確信したヴェルラウドは身構え、冷静に敵の気配を探る。だが、見えない敵の攻撃は続く。
    「がはあっ!!」
    見えない衝撃が次々と襲い掛かり、ヴェルラウドは唾液を吐き出しながらも吹っ飛ばされる。立ち上がろうとした時、顎に殴られたような衝撃が襲ってきた。大きく仰け反らせ、倒れたヴェルラウドは口から血を流している。
    「……見えない敵が相手だろうが、俺は負けるわけにはいかねぇんだ。絶対に……負けるわけには……!」
    ヴェルラウドはオディアンの言葉を思い浮かべていた。


    心を静めろ。相手の動きを捉えるのは眼だけが全てではない。動きを捉える事に気を取られると却って相手の思うツボでしかない。精神を研ぎ澄ませるのだ———。


    そして、父ジョルディスの言葉を思い浮かべる。


    見えない敵とは、眼で戦うものではない。邪念と雑念を捨て、研ぎ澄ませた心眼と、心で感じ取る気———。


    そうだ、この戦いにおいては精神を研ぎ澄ませ、心で感じ取る事だ。眼に頼らない、心で感じる敵との戦い———そういう試練なのだ。だからこそ、乗り越えなくてはならない。絶対に———。


    ヴェルラウドは目を閉じ、精神を集中させながらも見えない敵の気配を探り始めた。次々と襲い掛かる敵の攻撃。だが、絶対に焦ってはいけない。そして油断してはいけない。心を乱す事は死を意味する。即ちこれは、心を乱してはいけない戦いなのだ。更に心を研ぎ澄ませると、背後に何かを感じる。そこにいる!無心で振り返り、剣を振った瞬間、手応えを感じた。声はなく、音もないが、相手に一撃を与えた感覚があった。だが、敵は単調な攻撃ばかりとは限らない。如何なる状況においても、決して惑わされてはならない。一瞬の気の緩みを許さない戦いは、これからであった。



    その頃、大陸の調査を命じられたベリルは聖都の入り口で調査報告用のノートを纏めていた。
    「や、ベリルか。引き続き調査かい?」
    声を掛けてきたのはイロクであった。
    「そうね。先日発生した吹雪の竜巻についても、リラン様は何か気に掛けていらっしゃったわ」
    「なるほど。僕も何か嫌な予感がするんだよね。気のせいだったらいいけど、昨日からどうもざわつくような感じがする」
    イロクは半ば不安げに神殿を見つめる。
    「……私も、何だか落ち着かないわ。今までは静かだったのに、何かが起きようとしているのかしら」
    ベリルはノートに書かれた調査内容のメモを読み返していた。
    「僕は神殿でデナと共にリラン様をお守りするよ。もし何かあったらいつでも言ってね」
    「ええ、わかったわ」
    イロクが神殿へ向かって行くと、ベリルはノートを鞄の中に収め、聖都から出る。
    「……ククク、リランも案外大マヌケね。私が完璧過ぎたのかしら。あの吹雪の竜巻は実験材料をおびき寄せる為のエサ。あんたの部下は既に手中にあるのよ」
    聖都の外で、ベリルが不敵に笑いながらも鞄から水晶玉を取り出す。水晶玉には、醜悪な魔獣の姿が映し出されていた。
    「さあて、そろそろ始めるとしましょうか。鉱石魔獣収集計画と、赤雷の騎士抹殺計画を……クックックックッ」
    吹雪の中、ベリルは水晶玉を鞄に収め、再び聖都へ戻る。ベリルの表情は邪悪な笑みを浮かべていた。


    イロクが神殿に戻ると、デナが待ち受けていた。
    「イロク、戻りましたのね」
    「ああ。デナ、リラン様をお守りするなら僕も手伝うよ。不吉な予感がするんだ」
    デナは半ば呆れたかのような様子でイロクを見つめる。
    「まあ、そんな事言わずともお手伝いして当然ですことよ?あなたもマナドール族の闘士の端くれでしょう?」
    イロクもデナと同様マナドール族の闘士の一人であり、大陸の調査や聖都を守る役割を与えられていた。実力はデナに劣るものの、氷の魔力を活かした格闘による戦いを得意としているのだ。
    「不吉な予感がするのは私も同じですわ。何があっても、足手纏いにならないように頼みますわよ」
    「そんな事はわかってるよ。それに、あの人間達は……」
    「ああ、あの連中は知りませんわ。少しくらい役に立てるというなら協力してもらってもいいですけどね」
    ヴェルラウド一行を見下すようにふてぶてしく言うと、デナはリランの元へ向かって行く。
    「……全く、君の方こそ思い上がらないようにしてほしいものだよ」
    イロクはぼやきながらも、デナの後を付いて行った。


    翌日———聖都内では異変が起きていた。街のマナドール達が激しい苦しみに襲われ、蹲っていた。その姿を見下ろすように住居の屋根の上で眺めている者がいる。ベリルであった。
    荒れ狂う鉱石魔獣
    「おい、どうした!何があったんだ!?」
    聖都内で激しく苦しみ続けているマナドール達の姿に異変を感じた見張りの兵士が辺りを探り出す。住居内のマナドールは無事だったものの、屋外に出ているマナドールは全員苦しんでいる状態であった。只ならぬ気配を感じた兵士は神殿へ向かう。
    「何事だ!?」
    「街の者達が苦しんでいるんだ!一体何が……」
    「何だと!リラン様にお伝えしなくては!」
    兵士の一人が祭壇の間へ向かって行く。数人の兵士は即座に神殿を出て、苦しんでいるマナドール達の様子を伺う。兵士達は外部から現れた何者かの仕業だと察し、神殿へ戻ろうとすると、背後に一人のマナドールが降り立つ。ベリルであった。
    「む、そなたはベリル殿?ご無事か!?」
    「そうねぇ……私は無事よ。一応ね」
    ベリルの目から紫色の怪しい光が放たれると、兵士達は突然激しい苦しみに襲われ、その場に倒れ込む。
    「うっ……ぐああああ!く、苦しい……うっ、ぐあああっ……」
    苦しむ兵士達を前に、ベリルは残忍な笑みを浮かべていた。


    与えられた客室用の部屋で一晩過ごしたスフレとオディアンが、リランがいる祭壇の間へやって来る。祭壇の間にはイロクとデナ、そして数人のマナドール兵士が騒然としていた。
    「君達か。丁度いいところに来てくれた」
    何事かと思っていた矢先にリランが呼び掛ける。兵士曰く、聖都のマナドール達が原因不明の苦しみに襲われているというのだ。
    「それって早速敵が来たって事!?」
    スフレは緊張感と共に杖を握り締める。
    「リラン様、ここは私達にお任せを。私とイロクがいればあんな連中の出る幕ではありませんわ」
    わざわざスフレの姿をチラッと見ながらも、見下すような言い回しでデナが言う。スフレはムッとした表情で黙って睨みを利かせた。
    「デナよ、クチを慎め。敵はまだ何者なのか判明すらしておらぬ。お前の方こそ侮るな」
    リランが冷静に窘めると、玉座からそっと立ち上がる。
    「スフレ、オディアンよ。やはりこの聖都にも敵が現れたようだ。何が待ち受けているか解らぬ上、聖都内のマナドール達が攻撃を受けているらしい。私も同行するぞ」
    「え!?お言葉ですが……」
    「構わぬ。君達の足手纏いにはならんようにする。私とて神の遺産を守る大僧正。大人しく構えているわけにはいかぬ」
    スフレ達と同行しようとするリランに、イロクとデナは不安を隠せない様子であった。
    「ま、このあたしだって血ヘドを吐きながらの戦いを経験してるんだから任せといて!それじゃ、いっちょ暴れますか!」
    杖を手に戦いへ赴こうとするスフレ。リランはそんなスフレに信頼の笑顔を見せ、先立って進み始める。
    「ふん、リラン様をしっかりお守りしないと承知しませんわよ」
    面白くなさそうにデナが言い放つ。
    「安心しろ。騎士たる者、君主を守るのが使命。如何なる敵が相手でもリラン様をお守りする」
    オディアンが冷静な声で言うと、リランとスフレの後に続く。
    「デナ、彼らだってきっと頼りになるさ。リラン様が信用してるくらいだからな」
    一言を言い残してイロクも後を付ける。デナはふてぶてしく無言で付いて行くだけであった。


    一行が神殿から出た瞬間、聖都内は異様な光景になっていた。激しい苦しみに蹲るマナドール達と、鉱石のような身体を持つ無数の魔獣の群れ。そんな異変を目の当たりにした一行は驚愕するばかりであった。
    「こ、これは一体……!何があったというのだ!」
    リランは辺りを見回しながらも、異変の原因を探し求める。無数の魔獣は襲ってくる様子はなく、低い唸り声を上げていた。
    「あれは!?」
    スフレが指す方向には、高みの見物と言わんばかりに住居の屋根の上で様子を眺めるベリルの姿があった。
    「ベリル!これは何事だ!」
    リランが声を掛けると、ベリルは薄ら笑みを浮かべている。
    「クックックッ……どこまでも大間抜けですこと。リラン様。あなたは既に私の策に嵌っているのよ」
    ベリルの言葉を聞いた瞬間、リランは不吉な気配を感じ取る。
    「……貴様、ベリルではないな?何者だ!」
    「フフッ、もうこの姿を借りる必要はないわね」
    ベリルの目が赤く光り、全身が黒い瘴気に覆われ始める。瘴気が消えた時、ベリルの姿は杖を手にした魔族の女に変化していた。
    「私はモアゲート。闇王様に仕えし魔公女……」
    モアゲートが杖を掲げつつ自己紹介すると、一行は一斉に身構える。
    「やっぱり闇王の部下なのね!目的は何なの!?」
    「フフフ、赤雷の騎士の息の根を止めに来たのと、優秀な兵器を集めに来たのよ。この聖都ルドエデンに住むマナドール族は想像以上の素晴らしい兵器になりそうだからね」
    モアゲートの目的———それは、赤雷の騎士であるヴェルラウドの抹殺のみならず、マナドール族を自身の力で魔獣に変え、自らのしもべとなる兵器として利用する事であった。モアゲートには様々な鉱石を魔力によって『鉱石魔獣』と呼ばれる魔法生命体タイプの魔物に作り替える能力があり、聖都内に現れた多くの魔獣もモアゲートによって造られた存在であった。
    「この聖都ルドエデンに存在するマナドール族が様々な魔力に適応する特殊な鉱石をベースにしていると聞いてねぇ。そいつらをこの私の魔力で魔獣に作り替えると強力な兵器が生み出せると思って潜り込んだというわけよ。でもって結果は予想以上に面白い事になったわよ」
    「貴様、それが目的で私の部下に化けて謀ったというのか!本物のベリルは何処だ!」
    「ククク……そいつなら既にこの通りよ」
    モアゲートが鞄から水晶玉を取り出し、念じると黒い瘴気が発生する。すると、緑色の鉱石を思わせる色合いを持つ醜悪な魔獣が姿を現した。
    「こ、これは……!?」
    「こいつが本物のベリルさ。魔獣として生まれ変わったからベリウルと名付けておいたよ。大陸内に発生した竜巻を生み出したのもこの私。実験材料にする奴をおびき寄せる為にね。こんな素晴らしい素材を遺してくれた事に感謝するわよ。リラン」
    冷酷な笑みを浮かべるモアゲート。鉱石魔獣ベリウルは雄叫びを上げていた。
    「おのれ……モアゲート!」
    リランは怒りを露にする。
    「魔獣へと変化した奴らは最早この姿のままで生きる運命。例え私が死んだところで抜け殻の魔獣となるだけで、元の姿には戻らない。理性も何もない、私の命令だけで動く忠実なる飼い犬さ。聖都内で苦しんでるマナドール族の連中ももうすぐ凶暴な魔獣へと生まれ変わる。あと一時間くらいかしら」
    「その前にあんたを倒してやるわ!」
    スフレが杖を両手に立ち向かおうとする。
    「アッハッハッ、私を倒す?それは不可能な話よ。大人しく鉱石魔獣どもの餌になるがいいわ」
    モアゲートが杖を振り翳すと、聖都内の鉱石魔獣達が次々と襲い掛かる。
    「リラン様、ここは我々にお任せを」
    オディアンが大剣を両手に構え、襲い来る鉱石魔獣達に立ち向かう。スフレが魔力を高め、オディアンと共に応戦を始めた。
    「ふん、デクの棒と鬱陶しい小娘の加勢なんて気は進まないけど、リラン様をお守りしなくてはなりませんわ。イロク、行きますわよ」
    「ああ。油断だけはするなよ」
    「それはお互い様ですわよ」
    デナとイロクも加勢に向かう。大量の鉱石魔獣はオディアンの剣技、スフレの数々の魔法によって撃退されていく。デナのスピードを生かした地属性を併せ持つ格闘とイロクの氷の魔力による格闘のコンビネーションで倒されていく鉱石魔獣達。だが、魔獣はどんどん襲い掛かる上、ベリウルが耳に響く程の激しい雄叫びを上げながらやって来る。
    「クッ、何という数だ。しかもあれは……」
    オディアンはベリウルが元リランの部下となるベリルであった事を考えると、思わずリランの方に視線を移す。
    「オディアンよ、構わぬ。奴は最早ベリルではなく、荒れ狂う魔獣だ」
    「しかし……」
    「ここで要らぬ躊躇をしては犠牲を生むだけだ。頼む」
    リランの眼差しを見て、オディアンは改めてベリウルに視線を移す。
    「……邪悪なる存在に姿を変えられた哀れな魔獣よ。悪く思うな」
    オディアンは大剣を構え、ベリウルに斬りかかる。
    「あのデクの棒、ベリルを殺すつもりですの!?」
    ベリウルに挑むオディアンを見て驚くデナの元に魔獣の鋭い爪が襲い掛かる。しまったと思い目を瞑るデナだが、間髪でイロクの蹴りによって魔獣は倒される。
    「デナ、どうしたんだ。油断するなと言ったろ」
    「お黙り!デクの棒がベリルだったバケモノに挑んでますのよ」
    咆哮を上げながら暴れ回るベリウルと戦っているオディアンの姿を見たイロクは半ば項垂れつつも、拳を震わせる。
    「……だからといって止めるわけにはいかないだろ。今のベリルはあのモアゲートとかいう奴によって魔物に変えられたんだ」
    「まあ、あなたも意外と冷徹ですのね」
    「君が何を言おうと、僕は彼を止めないよ。現にリラン様は彼を止めていないだろ」
    デナはリランの方を見る。リランはベリウルに戦いを挑んでいるオディアンを見守りながらもその場に佇んでいた。その汗ばんだ表情には、怒りと悲しみの色が感じられる。
    「敵はまだまだいるぞ」
    更に襲い掛かる鉱石魔獣達。デナは気持ちを切り替え、襲い来る魔獣に攻撃を加えていく。
    「ったく、どうしてこんな事になったのかしらね」
    デナは切なげな表情をしつつも、飛び掛かる魔獣をムーンサルトキックで蹴り飛ばした。

    ベリウルの鋭い爪の一撃で傷を負い、膝を付くオディアンの前にスフレとリランがやって来る。
    「オディアン!」
    「大丈夫だ。まだ戦える」
    「傷ならば私が治してやる」
    リランが即座に回復魔法を唱えると、オディアンの負傷は一瞬で回復した。光の魔力による回復魔法であった。
    「ぬう、忝い限りです」
    「礼には及ばぬ。君達を死なせるわけにはいかないからな。直接戦う事は出来なくとも、傷の治療なら出来る」
    負傷から回復したオディアンが再び構えを取る。
    「オディアン、リラン様。こいつは任せるわ。あたしは、あのモアゲートとかいう奴をやっつけて来る」
    「スフレ、ちょっと待て!」
    リランの制止を聞かず、スフレは魔獣の群れを振り切りつつもモアゲートのいる場所へ向かって行った。
    「リラン様、彼女は賢王マチェドニル様の元で育てられた優秀な賢者です。彼女を信じましょう」
    そう言い残し、オディアンが戦いに挑む。リランは走り去るスフレを見守りながらも、杖を握りながら心の中で無事を祈った。

    モアゲートは、聖都内での光景を民家の屋根の上で嘲笑いながら見下ろしていた。
    「高みの見物はそこまでよ」
    その場に現れたのは、スフレだった。
    「あら、何あんた。私と遊んで欲しいわけ?」
    「そうよ。あんたみたいな胸クソ悪い女は大っ嫌いだからブッ飛ばしてやるわ」
    スフレが杖を手に、魔力を集中させる。
    「ブッ飛ばす?アッハッハッ、この私に向かって随分でかいクチが叩けるのね。頭が足りなさそうな小娘だと思ったけど、やはり賢くない子で安心したわ」
    「何ですって!あたしをなめるんじゃないわよ!」
    スフレは杖から炎の玉を作り、モアゲートに向けて投げつける。モアゲートは余裕の表情で回避し、空中に浮かび上がりながらも冷たい笑みを浮かべている。
    「クチだけの子にはしっかりお勉強してもらわなきゃあいけないわね。喧嘩を売る相手はよく考えるという事を」
    モアゲートが杖を掲げると、全身が闇のオーラに包まれると同時に冷気の渦が巻き起こる。
    「アイストルネード!」
    冷気の渦は吹雪の竜巻となり、荒れ狂うように襲い掛かる。
    「ガストトルネード!」
    それに対抗し、事前に溜め込んでいた魔力を呼び起こしたスフレの風の魔法が唸る。双方の竜巻が激突した瞬間、相殺という形で吹き飛んでしまう。竜巻がぶつかり合った影響で、民家はボロボロになっていた。モアゲートはその場を離れ、聖都の広場へ移動する。既に屋根から飛び降りていたスフレは即座に後を追う。
    「逃げようったってそうはいかないわよ」
    モアゲートは冷酷な目でスフレを見据えている。
    「バカね。せっかくの素材を巻き添えにしたくないからよ」
    モアゲートが器用に杖を手で回転させ、天に向けて振り翳した瞬間、周囲に波動による突風が巻き起こる。スフレは突風を受け、思わず身構えた。
    「言っておくけど、この私をあまり怒らせない方がいいわよ。まだ死にたくないんでしょう?」
    「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと来なさいよ。こっちはいつだって死ぬ覚悟は出来てんのよ、バーカ」
    「……いちいちムカつく小娘だわ。ならばもがき苦しんで死ねえ!」
    激しく凍てつく猛吹雪を放つモアゲート。
    「エクスプロード!」
    猛吹雪の中、スフレが放った魔法による炎の力が爆発を起こす。
    「虫ケラめ……」
    モアゲートの目が赤く光ると、全身を纏うオーラに黒い電撃が走る。スフレは次なる攻撃に備え、防御態勢に入る。
    「ヘルズサンダー」
    スフレに襲い掛かるのは、闇の魔法による天から降り注ぐ黒い稲妻であった。
    「きゃああああ!」
    稲妻の攻撃を受けたスフレは全身を焦がし、倒れる。焼け付くような痛みが走る中、スフレが立ち上がろうとすると、モアゲートは至近距離まで移動していた。
    「全く、素直に忠告に従えばよかったのにねぇ」
    嘲笑うように見下ろすモアゲートを前に、スフレは鋭い目を向ける。
    「くっ……こんなんで負けないわよ」
    立ち上がり、再び戦闘態勢に入るスフレ。モアゲートは不敵に笑いながらも、スフレに向けて口から紫色の霧を吐き出す。
    「うっ!な、何よこれ!」
    得も言われぬ匂いが漂う霧はたちまち辺りを覆い尽くす。口元を押さえ、手で霧を振り払うスフレ。霧が晴れた時、モアゲートの姿は既にその場から消えていた。
    「ククク……遊びはこれまでよ」
    スフレが見たものは、空中に浮かび上がる数人のモアゲートの姿であった。その数は七人いる。七人のモアゲートがスフレを取り囲むように動き始め、杖から揺らめく闇のオーラを纏う球体を次々と放つ。飛んでくる七つの球体を回避しようとするスフレだが、途中で球体が消えていき、一つの球体が生き物のように飛び回りながらもスフレの鳩尾に直撃する。
    「ごおあっ……!」
    身体を大きく曲げながらも目を見開かせ、血と唾液を吐きながら地に引き摺る形で吹っ飛ばされるスフレ。七人のモアゲートが更に杖の先端部分に魔力を集中させると、黒い雷光の玉が次々と現れる。スフレが立ち上がろうとすると、黒い雷光の玉が次々と放たれる。だがそれらは全てフェイクであり、七人のうちの一人が本物の雷光を放つという幻を利用したフェイントで欺く形の攻撃であった。スフレは襲い掛かる七つの雷光の玉を避けようとするものの、フェイントを突かれて背後からの雷光の玉の攻撃を受けてしまう。
    「ああああっ!!」
    数メートル先まで大きく吹っ飛ばされ、倒れるスフレ。周囲に七人のモアゲートが取り囲んでいく。
    「どう足掻こうと、あんたは私に勝てやしないのよ。そろそろ効果が現れる頃かしら?」
    体を起こそうとするスフレだが、突然、全身に異変を感じる。悪寒と共に力が入らなくなるような、そして全身がじわじわと焼けつくような感覚に襲われていた。
    「な、何よこれ……すごく寒気がするし、身体が……あんた、何をやったのよ!」
    「アッハッハ、教えてやろうか?あんたはファントムベノムによって猛毒を受けたのよ」
    モアゲートの口から吐き出された紫色の霧———ファントムベノムは吸い込むと猛毒に冒される上に幻覚が見えてしまう効果があり、スフレの視界に映る七人のモアゲートは幻覚によるものだった。
    「汚い!汚いわよあんた……!ちゃんとした戦い方が出来ないの!?」
    「ちゃんとした戦い方?何寝ぼけた事言ってるの?あんた達正義の味方さんは敵に潔さを求める程のバカなの?潔い戦い方なんて、所詮は正義こそが全てだと思ってるボケどものする事なんだよ」
    蹲るスフレの腹に蹴りを入れるモアゲート。スフレは全身を猛毒に蝕まれながらも、諦めずに立ち上がろうとする。
    「……許さない……あんただけは……!」
    苦しそうに息を荒くしながらも、スフレが鋭い視線を向ける。
    「へえ、まだ戦うつもり?命乞いすれば助けてやらなくもないわよ?まあ私の機嫌次第だけど」
    嘲笑うように言い放つモアゲート。
    「……うるさい!絶対に負けるもんか……最後まで、諦めないんだから……!」
    よろめきながらも杖を構えるスフレ。モアゲートは冷酷な笑みを浮かべるばかりであった。



    無の世界で見えない敵と戦うヴェルラウドは、全身がボロボロに引き裂かれていた。気配で察し、捉えては相手に攻撃を与えるものの、敵の攻撃は激しくなっていくにつれて次第に追い詰められている戦況であった。
    「がはっ……ぐっ」
    血を吐き、剣で支えながらも膝を付いては口元を拳で拭い、立ち上がる。飛び散る鮮血と共に左腕を斬りつけられても、心を落ち着かせ、敵の動きを探る。相手の攻撃に乗せられてはならない。少しでも焦ったら負けだ。敵は、俺が焦りによって心を乱す事を狙っている。そう、これは試練なんだ。見えない敵と戦う事で、戦術だけでなく心を鍛える事を意味している。そうに違いないだろう。心の中で悟ったヴェルラウドは大きく剣を振り上げる。僅かに手応えがあった。恐らく掠った程度のダメージであろう。次の瞬間、ヴェルラウドの脇腹が見えない一撃によって貫かれる。
    「ごあっ!がっ……げぼっ」
    血が滴り落ち、更に血を吐くヴェルラウド。貫かれた脇腹からは夥しい量の血が溢れ出る。ヴェルラウドは傷口を押さえるものの、全身に響き渡る激痛によってガクリと崩れかける。更に情け容赦なく襲う見えない敵の攻撃。深々と身体を袈裟斬りにされ、鮮血が迸る。
    「ぐあああ!ご……あっ、がはあっ!!」
    深手を負ったヴェルラウドはその場に倒れる。激しい出血によって意識が薄らぎ始めた。
    「ぐっ……このまま、では……」
    ヴェルラウドは立ち上がろうとするものの、身体が言う事が聞かず、出血は止まらないままだった。
    「ち、くしょ……う……俺は……まだ……」
    意識が遠のいていく中、ヴェルラウドの脳裏に仲間達の姿が浮かび始める。剣の先輩であり、幾度も剣を交えた事によって信頼関係を築き上げたオディアン。友好的に接し、明るく振る舞いながらも自分の力になろうとしているスフレ。そして、次に浮かんできたのは剣の師でもあった父ジョルディス、歴戦の英雄の一人であり、赤雷の騎士でもあった母エリーゼ。目の前で死したリセリア姫と、シラリネ王女———。


    俺は、ここで終わるのか?

    だが、俺は決して一人じゃない。今、俺には支えてくれる仲間がいる。

    俺はあの時誓った。俺に出来る事なら何だってやると。

    俺は、ここで終わらない。終わらせはしない。俺は———まだ戦わねばならない。


    仲間達や死した大切な人々の想いが不屈の魂を奮い立たせ、ヴェルラウドはゆっくりと立ち上がる。赤雷の力と共に、剣を構え始める。
    「……見えない敵よ、この一撃で終りにしてやる」
    目を閉じ、精神を集中させる。今、敵は攻撃を仕掛けている。その攻撃はまともに受けると決定打になる。
    「うおおおおおお!!」
    見えない攻撃が襲い掛かる瞬間、ヴェルラウドは赤雷の力を込めた渾身の一撃を振るわせる。一撃を決めた瞬間、ヴェルラウドは倒れ、そのまま意識を失った。



    我は、心を映す者———。
    無だけが広がる空白の世界に現れしものは、汝の心に潜む自責、葛藤、悲痛、罪、悔恨、そして悪魔———。

    汝は今、何を想い、何ゆえに神が造りし剣の力を求めるのか?
    汝の忌まわしき過去が生んだ闇は、汝には真に不要なものなのか?

    汝の正しき光の魂と穢れた闇の心———全ての魔を裁く断罪の赤き雷光と呼ばれし神の力を受け継ぐに値するものか?

    汝の心に魂を移す時———見い出した全ての答えを見つけ、行きつく先は光ある世界か、絶望なる永遠の闇か。

    我は、全てを見届けん———。



    辺りに響き渡る声。次の瞬間、倒れているヴェルラウドの身体が光に包まれる。深い傷を負っていたその身体は徐々に回復していく。だが、ヴェルラウドの意識はまだ戻らないままだった。
    犠牲と葛藤
    まあ、ベリルったら今日も研究ですの?たまには息抜きしたらどうですの?

    この研究は思った以上に大事な結果が出そうなのよ。だからもっと研究を重ねる必要があるわ。

    そう……勉強熱心ですのね。

    ハハハ、ベリルは有能な研究者だからな。僕達も負けてられないよ。

    ふん、パワーだったら絶対に負けない自信がありますわよ。


    リランの直属の部下に仕える身であり、優秀な研究者であったマナドール族のベリルは、イロクやデナとは仲が良い間柄であった。時には研究の手伝いをしたり、ベリルの研究を参考にした戦術を会得したりと様々な面で共に過ごしていた。だが、ベリルは今、魔公女モアゲートによってベリウルと名を改めた荒れ狂う鉱石魔獣に変えられている。その姿には最早ベリルの面影はなく、理性も失われている。イロクとデナは友人である存在と戦う事に苦痛を感じていた。
    「くそ……ベリル……!」
    ベリウルの咆哮と共に放たれた衝撃波に吹っ飛ばされたイロクはよろけながらも立ち上がると、両手に剣を持ったオディアンが突撃し、大きく飛び掛かる。
    「空襲裂覇斬!」
    その一撃はベリウルの身体に大きな傷を刻み、ダメージを受けたベリウルは暴走するように大暴れする。鋭い爪の一閃がオディアンの右腕を引き裂き、更に牙がオディアンの左肩を捉える。
    「うぐああっ!!」
    牙は鎧の肩部分を噛み砕き、左肩に深く食い込んでいた。激痛に襲われ、膝を付くオディアン。唸り声を上げるベリウルにデナの回し蹴りが叩き込まれる。
    「全く、世話が焼けますわね」
    負傷したオディアンにデナが棘のある言葉を投げつける。
    「済まないな。私とした事が」
    「お詫びは後になさい。デクの棒、こいつに手加減なんていりませんわよ」
    気丈に言い放つデナだが、その表情はどこか悲しげであった。見かねたリランがオディアンの元に駆け寄り、回復魔法を掛ける。負傷から回復したオディアンは立ち上がり、剣を手に再びベリウルに挑む。
    「イロク。デクの棒を援護しますわよ」
    デナが鋭い目つきで言う。イロクはふとリランの方に視線を向けると、リランは無言で何かを伝えようとしている。その目からは、魔物となったベリルを倒してくれという想いが感じられる。イロクは意を決して、再びデナに顔を向ける。
    「……よし、やるぞ。デナ、しくじるなよ」
    「それはこちらの台詞ですわ」
    イロクとデナが同時に飛び掛かる。イロクは氷の魔力を高め、作り上げた巨大な氷の岩をベリウルに向けて投げつける。その一撃にベリウルが怯んだ瞬間、デナが空中からの鋭い蹴りを連続で叩き込む。
    「奥義———閃翔連覇!」
    懐に飛び掛かったオディアンの高速による連続斬りが次々と決まっていく。猛攻を受けたベリウルは大ダメージを受け、耳障りな咆哮を上げながらも勢いよく両手を地面に叩き付ける。その瞬間、周囲に衝撃波が巻き起こり、その衝撃で後方に転倒するオディアン達。ベリウルは苦痛の叫び声を轟かせていた。


    一方スフレは、猛毒に苦しみながらもモアゲートに食って掛かるものの、まともに戦う事すらもままならない状況であった。止まらない寒気と全身に響き渡るような痛みで、視界も霞んでいた。
    (ぐっ……このままではやられる!せめてこの毒を……毒を何とかしないと……!)
    スフレは体内の毒を浄化させようとするが、水の魔力を利用した回復魔法で毒を浄化させる魔法の類は存在しておらず、唯一使える回復魔法ヒールレインで一か八かの賭けに出るしか他になかった。だが、モアゲートは容赦ない攻撃を繰り出していく。
    「死ね……ダークネスショット」
    魔力によって作り出された闇のオーラを纏う球体の攻撃であった。球体はグルグルと旋回しながらもスフレを嬲るように痛め付けていく。攻撃を受け続けるスフレに追い打ちを掛けるように、黒い稲妻が襲い掛かる。ヘルズサンダーであった。
    「ふん、汚らわしい下等生物のゴミが。そのザマではこれ以上手を下す間もない。苦しみながら野垂れ死にするがいいわ」
    モアゲートは倒れたスフレを見下ろしつつ、悪態を付きながらもその場から離れていく。
    (……もう、動けない……けど……あんな奴の好きにはさせない……あんな奴なんかに……!)
    身体を蝕む猛毒と数々の攻撃によって受けたダメージによって生命力が尽きる寸前にまで達していたスフレは、薄らいでいく意識を奮い起こしながらも残る力を振り絞って魔法を唱えようとする。
    (あたしの中の魔力よ……動いて!あたしは、まだ倒れるわけにはいかないのよ!)
    スフレは老体に鞭を打つように意識を集中させ、心の中で叫び続ける。それに応えるように、スフレの中に宿る魔力が全身を包むオーラとなって現れ始めた。


    モアゲートは、ベリウルとの死闘を繰り広げているオディアン、イロク、デナの姿を見届けていた。狂ったように暴れるベリウルの身体は数々の攻撃によってボロボロになっていたが、それでも倒れずに動いていた。
    「へえ……マナドールをベースとした鉱石魔獣があれ程のものになるなんてねぇ。やはり最高の素材だったわけね」
    薄ら笑みを浮かべながらも、モアゲートはイロクとデナに注目し始める。
    「特にあの二人ならもっと凄いものを生み出せそうだわ。ベリウルとは比べ物にならない程の強力な兵器が……ククク、ますます面白くなってきたわ!」
    苦しんでいる聖都内のマナドール達の姿を見回しながらも、モアゲートは足を動かし始める。
    「待ちなさいよ」
    突然の背後からの声に立ち止まるモアゲート。声の主は、杖で身体を支えているスフレであった。スフレは顔色を悪くしながらも口に溜まっていたものを吐き捨て、ハァハァと息を荒げながらも口元を拭い、モアゲートに鋭い目を向ける。
    「あんた、まだ立ち上がれる力が残っていたの?」
    「毒を少しでも軽くしようと、胃の中のものを全部吐き出して回復魔法を掛けたのよ。雀の涙程度の効果だったけどね」
    スフレは体内の毒素を少しでも軽くしようと自ら嘔吐し、ヒールレインによる回復を試みたものの毒への効果には至らず、回復魔法による自身の生命力の促進で動けるだけの体力を確保していたのだ。
    「クックックッ、何かと思えば悪足掻きをするつもりでノコノコとやって来たのか。全く、何処までも笑わせてくれる」
    嘲笑うモアゲートを前に、スフレはよろめく身体を支えながらも、密かに意識を集中させる。
    「そこまで死に急ぎたいならば、二度と起き上がれないように息の根を止めてやるわ」
    モアゲートは杖から黒い雷光の玉を出現させる。スフレは動じずに意識を集中していた。
    「ブラックボルト!」
    黒い雷光の玉がスフレに襲い掛かる。
    「……はああっ!!」
    スフレが魔力を解放させると、黄金に輝くオーラがスフレの身体を覆い始める。次の瞬間、黒い雷光の玉はスフレに直撃した。ニヤリと笑うモアゲートだが、スフレは全身を焦がしながらその場に立っていた。
    「……アーソンブレイズ!」
    スフレが杖を地面に突き立てると、モアゲートの足元に巨大な火柱が巻き起こる。
    「おおおおおおおッ!!」
    火柱に巻き込まれたモアゲートが叫び声を上げた時、スフレは杖を拾い上げ、モアゲートに向けて投げつける。
    「我が炎の血肉よ……今こそ魔を砕け……サーマルドバースト!」
    巨大な火柱状に燃え上がる形で巻き起こる爆発。スフレの杖の先端部分に込められた全ての炎の魔力と自身の血が術者の持つ魂の力と共鳴し、破壊の力が秘められた爆発を起こす炎の上級魔法であった。
    「ギャアアアアアア!!」
    モアゲートの絶叫が響き渡る中、スフレは四つん這いで苦しげに呼吸をしながらも、何とか立ち上がろうとする。爆発による煙が消えた時、体中に炎を残したまま倒れたモアゲートの姿があった。傍らに杖が転がっている。
    「何とか、うまくいったみたいね……。もう戦う力は残ってないけど、これで……」
    スフレは転がり落ちた杖を拾おうと、身体をふらつかせながらもモアゲートに近付いた瞬間———モアゲートの目が見開かれ、口から紫色の液体が吐き出される。毒液だった。
    「……あああああぁぁぁああああっ!!」
    スフレは目を押さえながらも叫び声を上げる。モアゲートの口から吐き出された毒液は、スフレの目元に直撃していたのだ。
    「目が……目がっ……!ああぁああっ……」
    目をやられたスフレは視界を奪われ、その場で目を押さえて蹲っていた。モアゲートは全身を焦がせながらも立ち上がり、怒りに満ちた表情でスフレを蹴り倒す。
    「……このクソガキィィイイッ!!」
    モアゲートは怒り任せにスフレの背中を踏みつける。
    「虫ケラの分際でこんな事までして、タダで済むと思ってるの?ええ?」
    憎しみと殺意が込められた目で見下ろしながらも、嬲るようにスフレの背中を何度も踏みつけていくモアゲート。
    「ハッ、忌々しい。忌々しい事この上ないんだよ、このボケッ!」
    口汚く罵りながらも、モアゲートはスフレの脇腹に蹴りを入れる。
    「う……あうっ……」
    目が見えないスフレは毒によって体力の殆どを奪われてしまい、立ち上がる事も出来ず苦しそうに喘いでいた。モアゲートは憎悪に満ちた表情を浮かべつつ、倒れているスフレの頭を足蹴にする。
    「ぐっ!ああぁああっ……!」
    足蹴にされたスフレの叫び声が響き渡ると、モアゲートは残忍な笑みを浮かべていた。
    「おっと、あまりやりすぎると殺してしまうわね。あんたにトドメを刺す前に、残りの目障りなゴミどもを片付けなきゃあいけないからねぇ」
    スフレを足蹴にしながらも、モアゲートは遠い位置でベリウルと交戦しているオディアン達の様子を眺め始める。


    オディアン達の奮闘によってベリウルは多大なダメージを受け、倒れる寸前まで来ていた。雄叫びを上げながらも暴れ回るベリウルだが、最早動きすらも鈍っている状態だった。
    「トドメを刺すなら今しかない。行くぞ」
    剣を天に掲げ、心を集中させるオディアン。大口を開けたベリウルが飛び掛かる寸前、オディアンの目が見開かれる。


    秘技———閃覇十字裂斬!


    十字状に引き裂く斬撃の嵐は、ベリウルの巨体を一瞬でバラバラに切り裂いていった。断末魔の叫び声を上げる間もなく散ったベリウルの身体は消滅し、赤紫色の鉱石だけが残されていった。それは、ベリルの元となったマナリアン鉱石である。
    「ベリル……」
    リランがマナリアン鉱石を手に取ると、イロクとデナが駆けつける。
    「何て事ですの……ベリル……」
    リランの手元にあるマナリアン鉱石を見て、デナが悲しそうに呟いた。
    「ちくしょう、モアゲートめ!僕はあいつを絶対に許さない!」
    イロクは悔しさの余り、地面に拳を叩き付ける。ベリルの死を悲しむイロクとデナの姿を見ていたオディアンはやり切れない気持ちになっていた。
    「リラン様……魔獣と化したベリルを倒す事は本当に正しかったのでしょうか。如何に闇王の手の者に掛かったとはいえ、私は……」
    リランは項垂れながらも、ベリルの元となったマナリアン鉱石を見つめている。
    「……元々マナドールは我が一族によって命を与えられ、人形の肉体を与えられた鉱石。モアゲートはマナドールであるベリルを荒れ狂う魔獣へと作り替えた。ベリルを取り戻すには、我が手でもう一度命を吹き込むしか方法が見つからなかったのだ」
    リランはマナリアン鉱石を握り締め、デナの方に顔を向ける。
    「……安心しろ。私が再びベリルを蘇らせる。どれくらいの期間を必要とするか解らぬが、必ず……」
    自らの魔力でマナリアン鉱石に命を吹き込み、マナドールを生み出すにはかなりの年月が必要とされている。ベリルとして蘇らせる事は可能ではあるが、記憶は全て失われるというのだ。
    「何れにせよ、あのモアゲートという卑劣者を倒さねば。だがスフレは……」
    オディアンは不意に単身でモアゲートに挑んだスフレの事が気になり始める。
    「……何か悪い予感がする。モアゲートはあそこだ!」
    リランが声を上げると、オディアン達はモアゲートがいる場所へ向かった。


    ベリウルが倒された事を確認すると、モアゲートは倒れて動かないスフレを前にニヤリと笑う。
    「待て!」
    オディアン達が駆けつけて来る。
    「来たわね。どうだったかしら?私の自慢の兵器は」
    モアゲートが嘲笑うように言い放つ。
    「黙れ!よくもベリルを……!」
    「この腐れ外道!あなただけは絶対に生かしておけませんわ」
    イロクとデナが怒りに拳を震わせる。
    「フン、うるさいゴミどもだわ」
    モアゲートが目から紫色の怪しい光を放つ。
    「うわあああああ!!」
    「あああああああっ!!」
    怪しい光を浴びたイロクとデナは激しい苦しみに襲われ、その場に蹲る。鉱石を魔獣へと変化させる呪いの力であった。
    「貴様、二人に何をした!」
    オディアンが剣を構える。
    「おっと、動くんじゃないわよデクの棒。これが見えないかしら?」
    モアゲートは再びスフレの頭を足蹴にした。オディアンは足蹴にされているスフレを見て愕然とする。
    「スフレ!」
    「動くなと言ったでしょう?こいつを助けたければ、私の言う通りにしてもらうわよ」
    「くっ、貴様……!」
    オディアンとリランは唇を噛みしめながらモアゲートを見据えている。スフレは頭を踏まれた状態で、息も絶え絶えで声を出そうとする。
    「……あたしに……構わないで……」
    弱々しくも声を出すスフレ。
    「……こいつを……この薄汚い女をぶった斬って……」
    モアゲートは醜悪な表情を浮かべ、力を込めてスフレの頭を踏みつける。
    「あ……あがあああぁ!ぎゃああっ!!」
    苦悶の叫び声を上げ、気を失うスフレ。残虐なモアゲートに怒りを募らせるオディアンだが、嬲られながらも人質に取られているスフレに気を取られ、その場から動く事が出来ずにいた。
    「アッハッハッ、安心しろ。あんたがちゃんと言う事を聞けば殺さないでおくよ。ちゃんと言う事を聞けばね」
    オディアンは鋭い視線を向けながらも、剣を持つ手を震わせていた。イロクとデナは苦しみに蹲るばかりである。
    「まずは……そうねぇ。デクの棒。その立派な剣で大僧正リランを殺してしまいなさい」
    「何だと!?」
    「そいつもあんた達や赤雷の騎士同様、闇王様にとって邪魔で愚かな存在でしかない。あんた達のようなくだらない正義で生きている人間がこういう時にどちらを選ぶのか見てみたくなったのよ。尤も……このヘド臭いゴミクズの命がどうなってもいいというならいつでも来るといいわよ。その瞬間にこいつは粉々になるけどね」
    モアゲートはスフレの頭を踏みつけながらも、杖の先端部分をスフレの身体に充てがう。杖の先端部分からは、いつでも魔法を発動出来るように禍々しい魔力が込められていた。
    「おのれ……外道め!」
    オディアンは激昂する。
    「外道?クチの利き方にも気を付けて欲しいわね。私の機嫌を損なう事をすると気が変わってこいつを殺すかもしれないわよ?」
    スフレを人質に取りつつもしゃあしゃあと言い放つモアゲートを前に、オディアンは手も足も出ない状態であった。
    「……オディアン、構わぬ。やれ」
    リランが手を広げて言う。
    「リラン様!?」
    「君達はいずれこの世界に現れる巨大な闇に立ち向かう者。スフレや、君達までも犠牲にするわけにはいかぬ」
    オディアンは戸惑いの表情を浮かべる。イロクとデナは苦しみながらも、リランの元に近付いた。
    「リラン様、そんな事は……」
    「許せ。私がいなくても、この聖地だけは守ってくれ」
    「どうして……そんなの、絶対に許しませんわ……!」
    死をも覚悟したと言わんばかりに目を閉じるリラン。オディアンはモアゲートによって足蹴にされているスフレの姿を見る。傷付き、気を失っているスフレを見ているうちに、過去の出来事が頭を過る。


    ヴェルラウドと出会う少し前———賢者の神殿を訪れたオディアンは賢王マチェドニルに仕える賢者であるスフレと出会う。マチェドニルの要請を受けたブレドルド王から、スフレのボディガードになるという任務を与えられたのだ。
    「あなたがあたしのボディガードになるブレドルド王国の戦士さん?」
    「うむ。名前はオディアルダ・レド・ロ・ディルダーラ。オディアンと呼んで頂きたい」
    「ふーん、ややこしい本名ね。あたしはスフレ・モルブレッド!宜しくね、オディアン!」
    オディアンとスフレは蘇った闇王を討つとされる赤雷の騎士たる者を探し求める為に、行動を共にする事になった。スフレが操る数々の魔法は、オディアンも一目置く程であった。
    「成る程……噂には聞いていたが、流石は賢王様に仕える賢者といったところか」
    「まーね。このスフレちゃんはこう見えても炎、水、地、風の四大魔力を司るんだからね!魔法だったらお任せよ!」
    賢者としての実力は本物であり、それでいて物怖じせずに天真爛漫に振る舞うスフレの姿に、オディアンは何処となく信頼を寄せるようになっていた。同時にスフレもオディアンの騎士として、兵団長としての剣の実力を前にして、とても頼もしい味方と認識するようになり、剣と魔法のバランスが取れたコンビとしてお互いの信頼関係が生まれていたのだ。

    ある日の夜———。

    「ねえ、オディアン」
    「何だ?」
    「赤雷の騎士って、どんな人なんだろう?オディアンみたいな逞しい人なのかな?」
    焚き火を囲む中、オディアンは少し考え事をしつつも空を見上げる。
    「赤雷の騎士……かつて闇王に挑みし英雄であって、俺にとって憧れの存在だ。我々が探している赤雷の騎士たる者は所謂英雄の子でもある。逞しい人物と言われればその通りかもしれぬ」
    「英雄の子ねぇ……つまり勇者様みたいな存在だよね。その人がいたら、闇王を倒せるのかな」
    スフレは少し物憂げな表情を浮かべている。
    「……正直言うとね。あたし、この旅に出るのが怖かったんだ。賢王様に仕える賢者の中では一番優秀という事で、こんな大役を背負う事になったんだから、色々不安だったのよ。もしオディアンがいなかったら、きっと途中でリタイアしていたわ」
    俯き加減にスフレが言うと、オディアンはそっとスフレの傍に寄る。
    「……スフレよ、安心しろ。お前が背負う使命は、決してお前一人で立ち向かうものではない。その為に俺はお前を守る使命を受けた。人を守るのも騎士の務めだ」
    スフレはオディアンの力強い眼差しを見ていると心を打たれ、思わず笑顔になる。
    「ふふ……あはは。あたしとした事がついしんみりとしちゃった!こんな切ない顔するなんて、ちっともあたしらしくないよね。でも、聞いてくれてありがとう」
    胸の内を打ち明けたスフレは心が晴れたように普段の明るい調子になる。オディアンはそんなスフレを見て心が救われる思いであった。
    「ともあれ、今日はもう遅い。早く寝るようにな」
    「はーい」
    静かに燃える焚き火の中、一晩を過ごす二人。眠りに就く前に、オディアンは思う。


    そう、騎士としての使命は人や大切な仲間を守る為。若くして大きな使命を背負った彼女もまた、守るべき存在。
    だからこそ、この命に代えてでも守らなくてはならない。誇り高きブレドルドの騎士として。


    「スフレ……!」
    スフレと過ごした過去の出来事が頭を過ると、オディアンはリランの方に振り返り、目を閉じながら剣を掲げる。リランは既に覚悟を決めた様子で目を閉じて手を広げていた。だが、オディアンはその剣を振り下ろそうとしない。
    「言っておくけど、あんまり悩んでいるとマナドールどもが魔獣になってしまうわよ。残り時間はあと数分くらいかもしれないわねぇ」
    背後から聞こえるモアゲートの言葉に、オディアンは冷や汗を流していた。
    「……リラン様……どうかお許しを……!」
    仲間を守る為にも非情になる事を自身に言い聞かせつつ、震える手でその剣をゆっくりと振り下ろし始める。そうだ、それでいい。出来る事ならもっと君達の力になりたかったが……君達ならばきっとこの世界を守ってくれると信じている。心の中でそう呟きながらも死を覚悟したリラン。振り下ろされたオディアンの剣によって切り裂かれたのは———イロクであった。
    「……イロク……!?」
    思わぬ出来事に全員が愕然とする。剣は、イロクの左肩から大きく食い込まれ、深々と切り裂いていた。
    「がはっ……!リラン様……あなたはまだ死ぬ時ではありません……あなたには、ま、だ……」
    致命傷で既に助からない状態となっていたイロクの身体は砂のように崩れて行き、マナリアン鉱石を残して息絶えた。
    「イロク……何故だ……何故お前が……」
    リランはイロクだったマナリアン鉱石を拾い上げ、その場に頽れる。
    「……イロク……そ、そんな……こんな、事って……」
    苦しみながらも、嘆きの声を上げるデナ。オディアンは思わず地面に剣を落としてしまい、その場に立ち尽くしてしまう。
    「ふん、小賢しい。ザコの分際で犬死にする事を選ぶなんてね。どうせならもうこいつも殺してやろうかしら?」
    モアゲートが足蹴にしているスフレを見下ろす。
    「……いい加減にしなさい」
    デナがよろめきながらもそっと立ち上がり、モアゲートに鋭い視線を向ける。何事かと思った瞬間、デナは瞬時にモアゲートの懐に飛び込み、回し蹴りを叩き込んだ。
    「ごあっ!?」
    「許さない……許さない!この腐れ外道!!絶対に許しませんわあああ!!」
    不意に攻撃を受けたモアゲートが怯んだ瞬間、怒りに満ちたデナは連続蹴りをモアゲートの腹に叩き込む。
    「ぐぼっ……げっぼおあ!!」
    口から赤黒い血反吐を吐き出すモアゲート。その隙にオディアンとリランは倒れているスフレの元に駆け寄った。
    「大丈夫だ、まだ息がある。オディアン、スフレは私に任せておけ。奴を倒すんだ」
    リランはスフレに回復魔法を掛け始めると、オディアンは再び剣を手に取る。モアゲートに攻撃を加え続けるデナは再び苦しみに襲われ、バタリと倒れてしまう。
    「貴様ぁっ……このガラクタ人形がぁぁ!!」
    モアゲートは口から血を滴らせながらも、凄まじい形相で倒れたデナに黒い稲妻を叩き付ける。口内の血を吐き捨て、倒れているデナに憎悪の目を向けながら何度も何度も踏みつけていくモアゲートの前に飛び出したオディアンが剣による一閃を加える。間髪でその一撃を回避したモアゲートは怒りに震える。
    「くっ、どこまでも目障りなゴミどもが。貴様らだけは許さん……許さぁぁん!!」
    モアゲートの全身が禍々しい闇のオーラに包まれると、顔が悪鬼のような醜悪なものに変化していき、黒い刻印が浮かび上がる。その姿は闇の力を全て解放した魔族を象徴させるものであった。
    「人間……コロス……まずはオマエからだ……」
    牙を剥けながらも空中から次々と黒い雷光の玉ブラックボルトを放つモアゲート。オディアンはブラックボルトによる攻撃を凌ぎながらも身構えるが、闇のオーラに包まれた魔力の球体———ダークネスショットが襲い掛かる。生き物のように旋回する球体に翻弄されながらも、オディアンは距離を取りつつ、精神を集中させて大きく剣を振り下ろす。斬撃によって球体は真っ二つに裂かれ、溶けるように消えて行った。
    「があああぁぁぁっ!!」
    口から紫色の霧を吐き出すモアゲート。ファントムベノムによる毒霧であった。この霧は危険なものだと察したオディアンは霧を振り払おうとするが、霧は広範囲に渡ってどんどん広がっていく。
    「ハハハハハッ、デクの棒め。虫ケラに相応しい死を与えてやる」
    モアゲートが杖を掲げ、ヘルズサンダーによる黒い稲妻を呼び寄せ、ブラックボルトの連打を繰り出す。霧が消えた時、モアゲートの表情が青ざめる。なんと、光に包まれたオディアンが立っていたのだ。リランの光の魔力による防御魔法がファントムベノムの霧を遮断していたのだ。
    「……お……おのれえええええ!!」
    焦りと共に激昂し、オディアンに向けて闇の魔法を発動しようとするモアゲート。オディアンは剣を両手に構え、大きく飛び上がる。
    「魔の者よ、覚悟。秘技———裂空覇!」
    渾身の力が込められた空中からの一閃———そして更なる一閃。赤黒い血が迸ると共に、モアゲートの身体は真っ二つに両断されていた。
    「……ごあはっ……あ……や……闇王……様ぁ……」
    モアゲートは多量の血を吐きながらも断末魔の言葉を残し、溶けるように消えて行く。モアゲートが完全に倒れた事を確認すると、オディアンは気を失っているデナを抱えながらリランの元へ向かう。
    「奴を倒したようだな」
    「はい。スフレは……」
    「大丈夫だ。猛毒で危険な状態だったが、辛うじて一命を取り留めた」
    リランの回復魔法によってスフレの体内の毒は全て浄化され、傷も完治されていた。命に別状はないものの、暫く安静にさせておく必要があり、オディアンは意識を失っているスフレを神殿に連れて行く。モアゲートが倒された事を再度確認したリランは聖都内で苦しんでいるマナドール達の様子を見る。魔獣化の呪いが解けたマナドール達は既に苦しみから解放されていた。
    (よかった……街のマナドール達は無事で助かったようだな。だが……)
    リランは手元にあるベリルとイロクの元となったマナリアン鉱石をジッと見つめる。
    (お前達も人間と同じ生きとし生ける者……もっと私に力があれば……!)
    ベリルとイロクの犠牲にやり切れない思いを抱えつつも、リランはマナリアン鉱石を懐に忍ばせ、倒れているデナを抱えて神殿に向かって行った。
    闇に見えるもの
    おれは王国の騎士になる。父さんや英雄さまのような騎士になって、母さんやみんなを守るんだ。


    二十数年前のブレドルド王国———英雄に憧れた一人の少年が王国の騎士を目指して戦士兵団の騎士を志願した。少年の父も王国の騎士の一人であり、少年が生まれた頃に魔物との戦いで戦死していた。少年の実力は父譲りの素質があり、それに目を付けたブレドルド王によって徹底的に鍛えられた。剣聖の王と呼ばれる王の過酷なる訓練によって、少年は騎士としての実力を身に付けていく。

    オディアンよ。騎士たる者は、民を守るのが使命。お前にも守るべきものがいるのであらば、己の命に代えてでも守り抜く力を身に付けよ。そして、騎士としての誇りを忘れるな。

    王から受けた言葉を胸に、オディアンと呼ばれた少年は、英雄の闘志を継ぐ者へと成長を遂げていく———。


    「……夢か」
    モアゲートとの戦いの後、倒れたスフレを別室で安静にさせ、神殿の客室で眠っていたオディアンは過去の夢から覚め、起き上がる。


    あの頃が夢となって再び出て来るとは……。

    父よ、母よ。あの世で見ているだろうか。俺は今、王国の兵団長として、英雄の闘志を継ぐ者として大いなる使命を持つ者と共に戦っている。

    だが、俺にはまだ至らぬところがあった。仲間を守る為とはいえど、敵の思惑に踊らされていた自分がいた。敵の卑劣な手によるものとはいえ、俺の剣で犠牲を生んでしまったのだから。

    不本意ながらも、我が手で罪無き者の犠牲が生まれるのは心苦しい。しかし、今は過ぎた事を悔やんでいる場合では無い。闇王と呼ばれる者、その背後に潜む邪悪なる敵との戦いに挑まなくてはならぬからだ。国王陛下を救う為にも。


    夢によって思わず過去の出来事を振り返りつつも、オディアンは亡き両親への想いを馳せていた。生まれた頃に亡くした父、そして数年前に亡くなった母。あの世へ旅立った両親に様々な想いを抱えつつも、オディアンは部屋から出てリランがいる祭壇の間へ向かう。祭壇の間にはリランがいた。
    「オディアンか」
    「リラン様。あれから街の様子は?」
    「ああ、皆は無事のようだ。スフレももうすぐ目を覚ますだろう」
    オディアンはふとデナの事が気になり始める。
    「デナの事ならそっとしておいてくれ。私が無力だったせいでイロクとベリルを助ける事も出来なかったのだからな……」
    リランはイロクとベリルの犠牲に無力感を覚え、悔しさに打ち震えていた。
    「あ、やっぱりここに来てたんだ?」
    背後からの声の主は、スフレだった。
    「スフレ!もう大丈夫なのか?」
    「うん、この通り無事で全快したわよ!リラン様のおかげで命拾いしたわ」
    身体が完治したスフレは杖を手に元気よく振る舞っていた。
    「でも、今回は思いっきり助けられたわね。あたしが出しゃばったせいでかえって厄介な事になったから……ごめんなさい」
    スフレは自分の軽率な行動を悔やみ、詫びながらも項垂れる。
    「気にする事では無い。過ぎた事を悔やんでも仕方のない事だ」
    オディアンが励みの声を掛ける。
    「うん、そうね……。あ。そういえばあのデブ、じゃなくてデナは?」
    スフレの問いにリランが一瞬言葉を詰まらせる。
    「リラン様、どうかしたの?」
    「……何でもない。もし何か言われる事があっても、どうか悪く思わないでやってくれ」
    「え?どういう事?」
    事情が理解出来ていないスフレはキョロキョロとするばかり。オディアンは軽く頭を下げ、スフレと共にその場を後にした。
    「ねえ、何があったの?気を失ってから何がどうなったのかよくわかんないんだけど、オディアンがモアゲートを倒したんでしょ?」
    「うむ。だが……」
    オディアンは心苦しい様子で全ての出来事を話す。気を失ったスフレを人質にされて手も足も出ずリランを抹殺するように命じられ、魔獣化の呪いを掛けられたマナドール達やスフレを守る為に渋々と言うがままになり、その際にリランを庇ったイロクがオディアンの剣によって犠牲になった事を。
    「嘘でしょ……そんな事……あたしの為に……」
    スフレは血を吐く思いで立ち尽くす。
    「……スフレよ。お前のせいではない。今は誰かを責めている場合ではない」
    「でも、あたしのせいで……」
    自分が人質に取られた事で犠牲を生んだという現実を突き付けられたスフレは苦しむ思いで満たされていた。オディアンはこれ以上何も言わず、気まずい雰囲気のまま客室へ戻って行った。
    「……ヴェルラウド……」
    ベッドの上に佇むスフレはヴェルラウドの事を気に掛ける。
    「一先ず聖都を守り切る事は出来たものの、ヴェルラウドはいつ戻るのか……」
    オディアンもヴェルラウドの無事が気になる様子であった。
    「ヴェルラウドは戻って来るよね?あたし、ヴェルラウドまで帰らぬ人になるなんて死んでも嫌よ!」
    「スフレ、彼を信じろ。我々に出来る事は彼の無事を信じるしか他に無い」
    冷静に言うオディアンを前にスフレは黙って頷く。その目にはうっすらと涙を浮かべていた。その時、ドアをノックする音が聞こえ始める。訪れたのは、デナだった。
    「あなた達。気が付きましたのね」
    デナの来訪にスフレが緊張した面持ちになる。
    「えっと、何か用?恨み言なら覚悟は出来てるわよ」
    気まずそうな様子でスフレが言う。
    「恨み言?何を仰いますの?あなた達の様子を伺いに来ただけですわ」
    「そんなわけないでしょ!全部……全部あたしが出しゃばったせいでイロクが死んじゃったんでしょ!?あたしのせいで……」
    叫ぶように言うスフレの目から涙が零れ落ちる。
    「まあ……何を仰いますの。別にあなたを責める気はありませんのよ。イロクを殺したのは……」
    「いいから好きなだけあたしを殴って!あたしのせいで、最悪取り返しのつかない事になったかもしれないんだから……」
    「よさないか、スフレ!これ以上自分を責めるのはやめろ」
    オディアンが叱咤するように言うと、スフレはすすり泣きながら俯いてしまう。
    「デナよ、イロクの事は本当に済まなかった。彼女を守る為とはいえ、奴に踊らされていなければ……」
    「もう、あなたまで何ですの。あなた達に謝る理由が何処にありまして?大体、イロクを殺したのはあのモアゲートとかいう腐れ外道女ですのよ。現にあなた達がいなければイロクどころか、リラン様も確実に犠牲になっていましたわ。そういう事で、あなた達には感謝していますのよ」
    デナはオディアンとスフレにそっと笑顔を見せる。
    「聞いたところ、あなた達は世界に脅威を与える闇と戦う人間なんですってね。どうやら私はあなた達の事を軽く見過ぎていたようですわ。どうか数々の無礼をお許し下さいまし」
    深々と頭を下げるデナ。スフレはその様子を見て呆気に取られてしまう。
    「それから、スフレと言いましたわね。もう泣くのはおやめなさい。あなたも立派な救世主ですわ。あなたにも、まだやるべき事があるでしょう?今までの事はお詫び致しますわ。ゴメンなさいまし」
    詫びの言葉と共に穏やかな態度でスフレに声を掛けるデナ。その声に棘は微塵も感じられない。スフレは我に返り、取り乱していた自分を恥ずかしく思いながらもそっと頷く。
    「……うん。つい取り乱しちゃったけど、ありがとう。あたしの方こそごめんね。イロクやベリルの分まで頑張るから……」
    スフレは涙を拭いて、笑顔で手を差し伸べる。
    「あなたとの友情も……悪くありませんわね」
    デナはそっとスフレの手を取る。そんな二人の姿にオディアンは安堵の表情を浮かべていた。
    「ふむ、打ち解けたようで何よりだ。ところで……」
    オディアンは試練に挑んでいるヴェルラウドの現状が気になっていた。
    「ヴェルラウドだったかしら?彼が無事で戻って来るか否かは神のみぞ知るといったところですわね」
    デナが冷静に呟く。
    「きっと帰って来るわよ。あたし、ヴェルラウドの事をずっと信じてるから。なんせ、お守りを預けたんだからね」
    そう言ったのはスフレだった。
    「うむ。彼は幾度の苦難を乗り越える程の精神力がある。俺と剣を交えた時も決して屈せぬ心があった。彼ならばきっと大丈夫だ」
    オディアンが続けて言う。
    「ずっとここにいるのも何だから、気晴らしに街の散策でもしない?聖都を見て回りたいしさ!」
    普段の明るい調子でスフレが言うと、オディアンは賛成の合図を送る。
    「それならば私が案内しますわ。この聖都ルドエデンの歴史をしっかりと堪能するといいですわよ」
    デナは快く二人を聖都へ案内していく。スフレはふと立ち止まり、試練に挑んでいるヴェルラウドに想いを馳せる。同時に、魔物達にブレドルド王国が襲撃された事で自責の念に駆られるヴェルラウドを叱責した時の自分の姿が思わず頭に過った。


    ……馬鹿よ、あんた。一人で悩んで自分を責めないでよ……あんたには、守れなかった人達の為にも果たすべき使命があるんじゃないの!?


    かつてヴェルラウドに向けて言った自分の言葉が、まるで自分に突き刺してくるように頭の中から聞こえて来る。


    ……ふふ。あんな事言っておきながら、あたしが同じようにクヨクヨしてたらカッコ付かないよね。
    あたしも、もっと頑張らなきゃ。どんな運命にも負けないくらい強くなる。あんたを守れるように。

    だから、無事で帰ってきて……ヴェルラウド。


    想いと決意を胸に秘め、スフレは空を見上げつつも再び歩き出した。



    暗闇の中———気が付くと、ヴェルラウドは全てが暗闇に支配された地に立っていた。自身がどうなったのかも解らない。俺は死んだのか?だが、意識はハッキリとしている。この暗闇の中、歩いても歩いても何も見えない。何も聞こえない。声を出しても、それに応える者は誰もいない。自分自身しか存在しない暗闇の世界であった。
    「真っ白の世界から……真っ暗闇の世界だってのかよ……」
    これから何をすべきなのかも解らないまま、当てもなく歩くしかない。ずっと歩いても何もない。走っても何かに辿り着く気配がない。一体ここで何をどうしろというのだ。俺は今どうなってしまった?それとも、既に死んでいるのか?次第に襲い掛かる不安感。いくら前へ進んでも答えが見えない。一体どうしたらいい?俺は、一体何をすればいい?その答えが見つからないまま、数分、数十分、そして一時間———ずっと歩いても、答えは全く見えない。俺はどうなってしまうんだ?俺は本当にどうしたらいい?そんな考えに襲われていく。不安と孤独、その次に頭に浮かんできたのはどう足掻いても答えは永遠に見つからないのではないかという恐怖、そして絶望。どんなに自身に言い聞かせても、見えるものは存在しないまま。そもそも、このまま歩き続ける事が本当に正しかったのか。答えの無い無限の迷宮を彷徨っている感覚に襲われていき、やがて体力に限界が迫る。どれくらいの時間が経過したのか解らない。最早考える気も失せている。俺に与えられたのは何だ?残されたのは何だ?何においても答えが見つからない絶望に襲われ始めると、次第に気が遠くなっていく。俺は今何をやっているんだ?俺は何故こんなところを彷徨っているんだ?俺は何処へ行こうとしているんだ?


    俺は……何なんだ……?


    俺は……。


    ……。


    ———迷イハ、常ニイズルモノ———



    疲労と共に眠気に襲われ、意識が吸い込まれるような感覚に陥った時———何かが見え始める。全てがモノクロに映る懐かしい光景。それは、母国であるクリソベイア王国だった。一人の騎士の元に美しい姫が近付いてくる。姫は、リセリアであった。そして、騎士は自分自身の姿———ヴェルラウドであった。リセリアは切なげな表情を浮かべている。
    「ねえ、ヴェルラウド。私、何だか胸騒ぎがする。だから、ずっと傍にいて。あなたといると、どんな不安な事があっても安心できる気がするの」
    抱きつくようにヴェルラウドに寄り掛かるリセリア。ヴェルラウドは自分に寄り掛かるリセリアの身体を抱きながらもこう誓う。
    「……騎士として貴方を守る。例え何があろうとも」
    だが、リセリアを抱いているヴェルラウドの表情はどこか暗い。まるで過去の映像を見ているかのような、過去の世界に来てしまったかのような過去の出来事がそのままモノクロの光景として視界に映し出されている。これは夢なのか、それとも幻なのか。その答えを知ろうとした矢先、王がやって来る。
    「ヴェルラウドよ。この度は見事であった。だが、少しばかりリセリアと二人で話がしたい。リセリアよ。来てもらうぞ」
    この当時は、王国に住んでいる一人の少女を助ける為に空飛ぶ魔物に戦いを挑み、その最中に赤い雷の力を呼び起こし、そしてその力で魔物を打ち倒し、自身の秘められた力に戸惑っていた時であった。次の瞬間、視界が歪み始め、全ての景色が歪んだまま声が聞こえて来る。
    「……魔物と戦っていた時……赤い雷の力で打ち倒したとの事だな。その力……考えたくはないが、まさか……」
    「やめて、お父様!」
    「……リセリアよ。我が国の言い伝え、お前も存じてはいるな?私だって出来れば信じたくはない。だが、この世界に災いを生む能力が……」
    「違うわ!大体そんな言い伝え、いつから存在していたの!?ヴェルラウドは騎士団長ジョルディスの子なのよ!そんな人が災いを呼ぶなんて絶対にありえない!」
    視界が歪んだまま聞こえて来るリセリアと王の会話。赤い雷の力———母エリーゼから受け継がれた戦女神の雷光とも呼ばれるこの力が、皮肉にも古くから王国に存在する言い伝えにある災いを呼ぶ能力と認識されている。そんな事実を聞かされた矢先、魔物の叫び声が聞こえ始める。忌まわしいあの出来事。ヴェルラウドを狙う闇王配下の魔物の襲撃であった。
    「何という事だ。このままでは……。陛下。姫様を連れて早くこの場からお逃げ下さい!」
    「何を言う!お前まで犠牲にするわけには……」
    「ダメよ!あなたを置いて行くなんて出来るわけがない!」
    王とリセリアの言葉を聞かず、魔物の群れに立ち向かっていくヴェルラウド。だが、視界に映るのは歪んだ光景であり、あらゆる物や形もまともに見る事が出来ない。ただ声だけが響き渡るように聞こえるだけであった。干渉したくても出来ず、成り行きを見守るしかない状態であった。
    「やめてえええええええ!!」
    脳に響くように聞こえる、忘れもしないリセリアの叫び声。次の瞬間、視界が血のように真っ赤に染まっていく。過去の忌まわしい出来事が歪んだ光景で蘇り、そして繰り返される悲劇。過去の自分が叫び声を上げた瞬間、歪んだ景色がガラスのようにひび割れて砕け散り、再び暗闇となった視界に飛び込んできたものは、血に塗れたリセリアの遺体と、王の遺体であった。
    「……うわああああああああああああああ!!あああああああああああああぁぁぁぁああ!!」
    忌まわしい過去の悲劇を見せられ、暗闇の中で実像となって現れた王とリセリアの無残な姿。ヴェルラウドは血の涙を流し、発狂したかのように叫び続けた。その叫びに応えるかのように、ヴェルラウドの全身から赤い雷が迸る。
    「おぁぁぁああああああああああ!!あぁぁぁがああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!」
    喉が潰れるような咆哮を轟かせ、剣を手にするヴェルラウド。血の涙を溢れさせるヴェルラウドは剣を掲げると、刀身が赤い雷の力に覆われ始める。それは己の意思によるものではなく、自我は既に失われており、目の前に現れた忌まわしい悪夢を消し去りたいという本能が自然に身体を動かしているのだ。
    「うおおおおおおおおおおあああぁあぁぁぁぁあああああああああああああっ!!」
    赤い雷に包まれた剣を両手で振り下ろした瞬間、巨大な雷光が唸る。全ての魔を砕く雷と闇を浄化する光の炎の力を併せ持つ赤き戦女神の雷光は、闇と悪夢だけが存在するこの場所そのものを消し去ろうとする勢いで荒れ狂い、そして赤い光を放つ。今此処に存在するものは闇と悪夢のみ。本能は、それらを全て消し去ろうとする力を呼び起こしていた。赤い光に飲み込まれたリセリアと王の遺体は浄化するように消えていく。


    あなたがジョルディスの息子なのね。

    ええ。姫様をお守りする騎士として、この命に代えてでもお守り致しましょう。


    騎士団長である父ジョルディスから徹底して鍛えられ、王と姫を守る騎士として任命されたあの日の出来事。リセリアと共にした数々の出来事。様々な記憶が走馬灯のように浮かび上がる。やがて全てが光に包まれ、意識が吸い込まれるような錯覚に襲われる。それはまるで死を意味するような錯覚であった。


    俺はもう、過去に囚われたくない。忌まわしい過去に囚われるわけにはいかない。

    今、俺には果たすべき使命がある。

    本当の陛下と姫様は、俺の中に存在する。そして、父さんと母さんから受け継いだものが此処にある。

    俺は……まだ死ぬわけにはいかないんだ。


    俺は……俺は———。


    光の中、ヴェルラウドは声を聴く。意識が遠のき、全身の感覚が感じられなくなった中、響くような重々しい声だけが聴こえていた。


    ———汝は、何を見つけたのか?無限なる闇の中に現れた己の忌まわしき記憶。それを打ち倒す事で、全ての答えを見出せたつもりか?

    人の心には、自身が気付かぬ心も存在する。己の気付かぬ心は如何程のものか?そして、汝は何を知り、何を見つけ、行き付く答えは何か?

    汝は、全てを知り、そして真実となる心を見出せるのか?

    汝の行く道は、光か?闇か?


    ———。


    「……ん……」
    目を覚ますと、そこはベッドの上。荘厳なる王宮の部屋のベッドだった。ヴェルラウドはぼんやりとした様子で光が差す窓を見る。窓から映る光景は、サレスティルの城下町であった。
    「……俺は今までどうしていたんだ。頭が痛い……」
    まるで記憶喪失であるかのように、いつから城のベッドで寝ていたのか、今まで何をしていたのかもハッキリと解らない状態となっていた。記憶を辿ると母国を失い、彷徨った末に流れ着いたサレスティル王国の騎士に就任し、女王とシラリネ王女を守る役割を与えられた時の出来事までは覚えている。だが、他に何かあったような気がする。ベッドで寝る前の出来事が思い出せないのだ。いくら思い出そうとしても思い出せない。しかも、それだけではない何かがあった気がする。不思議な気分が収まらず、ヴェルラウドは痛む頭を抑えながらもベッドから離れた瞬間、ドアをノックする音が聞こえて来る。現れたのはシラリネであった。
    「ヴェルラウド。目が覚めた?」
    シラリネが笑顔を浮かべながら近付いて来る。だが、ヴェルラウドはボーっとした様子であった。
    「どうしたの?何かあった?」
    「……ああ。姫。何でもない。ちょっと、頭が痛くてな……」
    「まあ。疲れじゃないかしら。あまり眠れなかったとか?」
    「いや……俺にもよく解らない。寝る前に何をしていたのかも……」
    自然に口から出たヴェルラウドの言葉に一瞬きょとんとするシラリネだが、くすっと笑う。
    「ふふ、ヴェルラウドったら何とぼけた事言ってるの。寝る前に私に言ってたじゃない。命に代えてでもお守りするって」
    「えっ……」
    ヴェルラウドの頭の中にシラリネに向けて言った言葉の記憶が蘇り始める。そうだ、確かに言った。クリソベイアが滅ぼされ、目の前で陛下と姫を失ったのも己の無力さによるもので、俺がこの国の騎士として女王とシラリネを守る役割を受けた時に改めて誓ったんだ。騎士としてこの命に代えてでも絶対に死なせやしない、守ってみせると。何故その事を忘れていたのだろう。どういうわけか、俺の断片的な記憶が失われている感じだ。そして、何か途轍もない胸騒ぎがする。これから何かが起ころうとしている。そんな予感もしていた。
    「ねえ、ヴェルラウド。本当に大丈夫なの?」
    シラリネが心配そうに顔を覗き込む。
    「……あ。いや。大丈夫だ。で、今日は何をするんだったかな?」
    「え?今日はバランガとの特訓でしょ?」
    「ああ。そうだったか。支度しないと」
    半ば成り行きに任せるようにヴェルラウドは身支度を始める。
    「……ヴェルラウド……さっきからなんか変。どうしたというの?」
    シラリネはヴェルラウドの様子を不審に思いながらも、身支度を終えて剣を手に部屋を後にするヴェルラウドを静かに見送った。ヴェルラウドの部屋の奥には、黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチが置かれている。それに気付いたシラリネは思わず手に取ると、不意に心の中で何かざわめくものを感じる。
    「ヴェルラウド……あなたは一体……」
    シラリネはブローチを元の位置に戻しては、ヴェルラウドの後を追うように部屋から出た。
    追憶の世界
    クリソベイアが陥落しただと?それに、お前は……。

    何!?お前があのジョルディスの……

    ……お前も親や故郷を失った故、色々苦労しただろう。このサレスティル王国は、元々行き場を失った者が多く移り住んだ国でもある。お前はこれから我が国を守る騎士として生きるが良い。我が娘、シラリネを守る騎士としてな。


    ヴェルラウドは頭痛を堪えながらも、再び記憶を辿る。クリソベイアが滅ぼされ、守るべき姫を目の前で失い、更に父を失い、何もかもを失った末に辿り着いたサレスティル王国。女王に迎えられ、王女であるシラリネを守る役割を与えられた事までは覚えている。そして、シラリネとの出会い。シラリネとの初対面の時には、こんな会話を繰り返した事も記憶に残っている。
    「あなたが騎士様?」
    「はい。ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスと申します」
    「まあ、ちょっと覚えにくそうだけど素敵な名前ね。私はサレスティル王女のシラリネ。よろしくね」
    「姫様、ご安心を。このヴェルラウド、命に代えてでもあなたをお守りいたします」
    「もう、騎士様ったら堅苦しいわよ。私は王女だからって偉いとは思ってないしそんなに偉くもないから、畏まらなくてもいいのよ」
    「ふむ……では、改めてよろしく頼むよ。姫。俺の事は騎士様じゃなくてヴェルラウドと呼んでくれ」
    「そうそう、それでいいのよ!こちらこそよろしくね、ヴェルラウド!」
    余所者である自分を受け入れてくれた少女らしさのある優しい笑顔を前にした時、二度も守るべき者を失いたくない思いから騎士として彼女を守る事を心に誓った事も覚えている。だが、それ以外の記憶も存在していたような錯覚があり、思い出そうとしても何故かはっきりと思い出せない。まるで不要な記憶が取り除かれているかのような、今いる場所が何か違うような、そしてこれから何か悪い事が起きるような、妙な違和感を感じている状態であった。心に深い靄を抱えながらも、城の廊下を歩くヴェルラウドは槍を手にした鎧の戦士と遭遇する。
    「来たか。特訓は地下の訓練所で行う」
    鎧の戦士は、バランガであった。
    「ちょっと待ってくれ」
    バランガが訓練所へ向かおうとした時、ヴェルラウドが不意に声を掛ける。
    「どうした」
    ヴェルラウドは収まらない心の靄を晴らそうとバランガに何か聞き出そうとしたが、どう聞いていいか解らなかった。
    「あ、いや……すまん、何でもない。えっと、地下の訓練所だったな。すぐ行くよ」
    「……何だ?つまらん事を言う暇があらば早く来い」
    一瞬首を傾げるバランガだが、再び足を動かす。ヴェルラウドは何とも言えない気分のまま、バランガに付いて行く形で訓練所へ続く地下階段に向かって行った。地下の訓練所は、汗の臭いと湿気に満ちていた。訓練所での特訓は、バランガとの実戦訓練であった。槍を構えるバランガを前に、ヴェルラウドはそっと剣を抜く。
    「ヴェルラウド、貴様の実力を見せてみろ。貴様が本当に姫を守る戦士に相応しいか確かめたいものでな」
    有無を言わさず攻撃を仕掛けて来るバランガ。心の靄が晴れないヴェルラウドは戸惑いつつもその攻撃を剣で受け止め、距離を開けては反撃に転じる。だがその攻撃にキレがなく、逆にバランガの連続突きを受け続けた。
    「……これは……」
    バランガの攻撃を受けた時、ヴェルラウドは今の出来事に既視感を覚え始める。以前にもこんな出来事があった気がする。以前というか、既に経験している出来事であるかのような錯覚に襲われている。だが、それが何故なのかよく解らない。どうしてこんな錯覚になっているんだ。俺は一体どうしたというんだ。必死で自分に言い聞かせながらも、バランガの攻撃を剣で凌ぎ続けるヴェルラウド。
    「……貴様、なめているのか?本当に姫様を守る気があるのか?」
    様々な考えが止まらないせいで全力で戦えないヴェルラウドに対し、バランガは次第に苛立ちを覚える。
    「くっ……うおおおおお!!」
    ヴェルラウドは迷いを振り払うように声を上げ、バランガの攻撃を受けながらも剣を振る。激しい攻防が繰り返され、ヴェルラウドがバランガの懐に飛び掛かった瞬間、頭に痛みが走り出す。次の瞬間、頭の中に一つの出来事が浮かび上がる。その出来事は、氷の力を駆使しながらも自分を殺そうとしているバランガの姿であった。だがその出来事はすぐに頭から消え、気が付くと剣を落としていた。
    「ふざけるな!」
    バランガはヴェルラウドの腹に蹴りを入れる。呻き声をあげ、思わずその場に蹲るヴェルラウド。
    「笑わせる。栄誉あるクリソベイアの騎士団長ジョルディスの子がまさかこんなザマだったとは失望したぞ」
    見下ろしながら言い放つと、バランガはヴェルラウドの胸倉を掴み、拳を叩き付ける。
    「貴様のような愚か者が俺に代わる姫様の護衛になるとは片腹痛い。その腑抜けた根性を叩き直してくれる」
    更にヴェルラウドを殴るバランガ。ヴェルラウドが来る前はシラリネの護衛を任された戦士であり、生粋の真面目かつ厳格な性格故に王女の護衛はいかに女王の命令であっても生半可な実力を持つ者が務めるものではないと考えており、自分に代わる護衛となる者が腑抜けた姿を見せる事は非常に許し難いものであった。
    「やめて、バランガ!」
    シラリネが駆けつける。
    「姫様!」
    「どうしてこんな事をするの!?ヴェルラウドは……」
    口から血を流して蹲るヴェルラウドを庇うようにシラリネが言うと、バランガは冷静に事情を説明する。
    「だからといってここまでする事ないでしょ!?それに、ヴェルラウドはお母様から……」
    「姫様。私に代わる貴方様の護衛を務めるには、この私自身を打ち負かす程の実力の持ち主でなくてはなりません。この男は一体何を考えているのか、私と本気で戦おうとしなかった。このような腑抜けた輩に貴方様の護衛を任せるには信用ならぬのです」
    「違うわ!きっと何か事情があるのよ!そうに違いないわ!そうでしょ!?ヴェルラウド!」
    涙声で言うシラリネだが、ヴェルラウドはどう言うべきかわからず、答えられなかった。
    「後程女王様にお伝えしておきます。姫様もどうか考えを改めて下さい」
    バランガは冷徹に振る舞いながらも去って行く。
    「大丈夫?ヴェルラウド」
    「……ああ」
    返事をするものの、ヴェルラウドは半ば放心状態になっていた。
    「バランガの事は気にしないで。あの人は昔から厳格で真面目過ぎて融通が利かないところがあるけど……決して悪い人じゃないと思うわ」
    シラリネが顔を寄せながら言うと、ヴェルラウドは再び頭痛に襲われる。そして頭の中にある出来事が浮かんでくる。クリソベイアにいた頃の出来事———リセリアが魔物との戦いで傷ついた自分を介抱していた時であった。


    ヴェルラウド、気が付いたのね!?

    ハッ、申し訳ありません。私とあろう者が、このようなブザマな姿を見せてしまいまして……。

    まあ……そんな事ないわ。あなたが無事だっただけでも幸いよ。あなたの事、とても心配したんだから。

    姫様……。

    ヴェルラウド……私、何だか最近ずっとあなたの事を考えてる。何ていうか、あなたがいてくれるだけで元気が出るというか。

    な、なんと……俺、いえ。私なんかで……っ!?

    ……。


    慈悲深い言葉と共に、甘い口付けを授けたリセリアとの出来事。この時の自分の感情は、言葉では言い表せない高鳴りを感じていた。そして、忘れられない感触と温度があった。だが、その出来事は一瞬で血塗られたものに切り替わってしまう。
    「ヴェルラウド……?」
    シラリネの言葉で我に返ったヴェルラウドは自分が今置かれている現状を把握しようとする。
    「うっ……姫様……いや、シラリネ……」
    「姫様?」
    ヴェルラウドの口から出た姫様という言葉に一瞬驚くシラリネ。
    「あ、いや。ちょっと休みたい。うまく言えないんだが、何だかずっと調子が悪いんだ」
    今は一人で自分の置かれている状況を整理をしたいと考えたヴェルラウドはその場から逃れようとする。シラリネはヴェルラウドの様子を見て何処か不信感を覚えるようになる。
    「……ヴェルラウド。あなたが今何を思ってるのか解らないけど……私、あなたに言われた事は本当に嬉しかったんだから。ただの堅物のバランガよりも、あなたの方がずっと安心できるような気がするから……」
    シラリネはヴェルラウドにそっと口付けをする。それは半ば強引に唇を奪うようなキスであり、次第に濃厚なものとなっていく。突然のシラリネのキスにただ戸惑うばかりのヴェルラウドは動く事も出来ず、成すがままにされていた。唇が離れると、シラリネの吐息がヴェルラウドの顔を擽る。鼓動が高鳴る中、ヴェルラウドは言葉を失っていた。シラリネは僅かに涙を浮かべながらも、無言でその場を後にする。シラリネが去ると、ヴェルラウドの脳裏にある出来事が浮かび始める。


    どうしてそう思うの?呼び寄せた悪魔って何?あなたが何者であろうと、そんな事関係ないわ。あなたは、私達をずっと守ろうとしているじゃない。

    あなたがこの国に来て間もない頃、こう言ったじゃない。命に代えてでもお守りするって。私、すごく嬉しかったんだから。


    それは、記憶に無いはずのシラリネの言葉であった。そして、自分の頭を抱きながらも唇を重ね合わせるキス。それらの出来事は突然自分の記憶として現れるようになった。何故だ。何故こんな出来事が浮かんでくる?いつの出来事だ?しかも何故かそれを知っている。本当に、俺は一体どうなったというんだ?俺は……俺は……。ヴェルラウドは頭を抑えながらも、自室に向かって行く。自室に入り、ぼんやりと部屋の中を見つめていると、部屋の奥に黄色に輝く宝石が埋め込まれたブローチが置かれているのを見つける。
    「何だこれは……?」
    ふとブローチの事が気になり始めたヴェルラウドは手に取ってみる。その瞬間、ヴェルラウドは激しい頭痛に襲われる。
    「うっ……ぐあああ!あっ……!」
    これまで起きた頭痛の中では一番の痛みであり、頭が割れそうだと感じる程であった。激しい痛みの中、頭に浮かび上がるのは、黄色い服を着た金髪の少女。


    ……帰ってきてよね!絶対に……


    ———誰だ。誰だか解らない。突然頭に浮かんできた女の子は一体誰なんだ。過去を辿っても、会った記憶がない。それなのに、頭の中に浮かんできたという事は、もしかしたら何処かで会った事があるのかもしれない。だが、はっきりと思い出せない。けど、何故か知っている。まさか、このブローチが……。
    「ヴェルラウド!」
    謎の記憶の答えを探ろうとした時、シラリネが部屋に入って来る。シラリネは止まらない頭痛に苦しんでいるヴェルラウドの姿と、手にしているブローチを見て驚きの表情を浮かべる。
    「ねえヴェルラウド……そのブローチは一体何なの?まさかそのブローチに何かが……」
    不可解なヴェルラウドの様子と相まって不安を覚えたシラリネは、思わずブローチを取り上げようとする。だが、ヴェルラウドは不意にその手を払い除けてしまう。
    「ヴェルラウド、そのブローチを渡しなさい!」
    「ダメだ。こいつは……渡せない。何故だか知らないが、渡してはいけない気がするんだ……うっ、おああぁっ!」
    更に頭の痛みが増し、その場に崩れ落ちるヴェルラウド。次の瞬間、ヴェルラウドの脳裏にある光景が浮かび上がる。その光景は、自身の左胸を剣で突き刺し、大量の血を吐いて倒れるシラリネの姿であった。
    「う、ぐっ……あああああああ!!!」
    ヴェルラウドはブローチを無理矢理奪おうと近付いてくるシラリネを突き飛ばし、部屋から飛び出して行く。
    「ヴェルラウド!待ちなさい!ヴェルラウド!」
    シラリネはヴェルラウドの後を追うが、ヴェルラウドの姿は既に消えていた。
    「ハァッ、ハァッ、ハァッ……うっ、ううっ……」
    城から出て人通りの少ない場所まで全速力で走るヴェルラウドだが、頭痛のせいで思うように走る事が出来ず、力尽きてその場で頽れてしまう。手に持っていたブローチが地面に転がり落ちた時、ヴェルラウドの頭にある少女の声が浮かび上がる。


    ……馬鹿よ、あんた。一人で悩んで自分を責めないでよ……あんたには、守れなかった人達の為にも果たすべき使命があるんじゃないの!?

    あの時言ったじゃない。あたしでよかったらいくらでも協力するって。あんたは……もう一人じゃないんだから……。


    「……スフレ!」
    ヴェルラウドはブローチを握り締めると、不意に声を感じ取る。そしてその声が、はっきりと聞こえて来る。



    ねえ、ヴェルラウド……あの時、約束したよね?これから何があっても、もう自分を責めたり過去に囚われたりしないって。あんたは決して一人じゃないから。

    あたしはそんなあんたをずっと助けて行きたい。ずっと守ってあげたい。それがあたしの使命だから。

    あたしはいつだって待ってる。あんたの事、ずっと信じてるから。

    だから、帰ってきて。ヴェルラウド……。



    その声を聞いた瞬間、ヴェルラウドの全ての記憶が蘇っていく。そして悟る。この場所は偽りの世界である事を。神の試練に挑む中、記憶の一部を消され、自分の過去の記憶を元に作られた偽りの世界に飛ばされたという事を。


    ……そうだ、此処は本当のサレスティルではない。俺の心に存在していた何かを利用した試練なんだ。俺を試す為のな。


    ヴェルラウドはスフレのブローチを握り締めながら立ち上がると、シラリネがその場に現れる。
    「ヴェルラウド、此処にいたのね」
    シラリネが抑揚のない声で言う。
    「……もう茶番はよせ。あんたは俺が知っているシラリネじゃない。本当のシラリネは死んだんだからな」
    「何を言ってるのよ?やっぱりあのブローチのせいでおかしくなってしまったんじゃない?お願いだからブローチを渡して!」
    ヴェルラウドは無言で剣を抜く。
    「な、何をするつもり!?」
    「……今から教えるよ。このブローチは、俺の仲間がお守りという事で貸してくれたものだ。今まで俺の挙動がおかしかったのも、記憶をなくしていたからだった。だが、今全ての記憶が戻った。そして今解ったんだ。あんたと、この世界は全部俺を試す為に作られた存在だという事がな」
    「ねえ、何なのよ?一体何の話をしているの!?」
    ヴェルラウドは上着の内ポケットから、ルベライトのペンダントを取り出す。そう、シラリネから貰ったペンダントであった。
    「……仮に過去に戻っていたという事だとしたら、このペンダントは存在していなかったと思う。あくまで推測だがな。もうこんなまやかしに付き合うのも沢山だ。何を試すつもりなのかは知らんが、終わりにしてやる」
    「ヴェルラウド!お願い、目を覚まして!ヴェルラウド!」
    悲痛な声を上げるシラリネに一瞬心を奪われそうになるヴェルラウドだが、すぐに心を無にして目を閉じ、剣を両手で構える。
    「っ……あああああああああああ!!」
    無心で剣を振り下ろした瞬間、シラリネの身体は深々と切り裂かれていた。迸る鮮血の中、ヴェルラウドは思わず目を背ける。血に塗れたシラリネの口からゴボリと血の塊が吐き出され、涙が溢れ出る。
    「……ヴェル……ラウ……ド……」
    血を撒き散らしながらもシラリネが倒れた瞬間、ヴェルラウドは剣を地に落とし、身震いさせる。
    「うっ……あぁ……ああぁぁぁぁああああ!!うあああああああああぁぁぁぁ!!」
    喉が潰れる程の叫び声を轟かせると、景色が歪み始め、空間に罅割れが生じ、硝子が叩き割られるように砕けて行く。ヴェルラウドは意識が吸い込まれていく感覚に襲われ、気を失った。

    再び目を覚ますとそこは、自分以外何も存在しない暗闇の世界だった。ヴェルラウドは少々ふらつきながらも立ち上がり、いつ何が起きても立ち向かえるよう剣を構える。


    ———汝の心が生んだ偽りの世界を自らの手で砕いたか、試練に挑みし者よ。


    響き渡るように聞こえる重々しい声。
    「……やはりお前の仕業だったのか。お前は一体何なんだ!さっきから何の為にこんな胸くそ悪い事をさせやがる!?俺の何を試すつもりなんだ!」
    感情的に声を張り上げるヴェルラウド。


    ———汝が見たものは、己の心に巣食う、己自身が生み出した闇の姿。

    汝が挑んだ見えざる敵———それは、己の心に潜む様々な闇が生んだ仮想の敵。
    汝が歩んだ暗闇の迷宮———それは、己の拭い切れぬ負の感情が生んだ無限の迷宮。
    汝が見た追憶の映像———それは、己の心に大きな影を落とした忌まわしき記憶が呼び起こした映像。
    そして汝が訪れたかの地———それは、己の罪の意識と汝を愛する者の想いが生んだ偽りの世界。

    今こそ汝に問う。全ての闇を見て、全ての闇を乗り越えて何を見つけた?汝が見出した答えは何か?


    「ぐあっ……!」
    ヴェルラウドは全身が縛られる感覚に襲われ、身動きが出来なくなる。


    ———答えよ、試練に挑みし者よ。全ての闇を乗り越えて見出せた真の心を示さぬ者は、この場で朽ち果てるのみ。真の心を我に示すのだ。


    「真の……心、だと……?」
    身動きが出来ない中、ヴェルラウドは声を聴きつつもこれまでの出来事と過去を振り返る。


    真っ白の空間で戦った見えない敵から始まり、暗闇の空間を歩き、過去の映像を見せられ、一部の記憶を失った状態で訪れていた偽物のサレスティルでの出来事———それが俺の中に潜む闇? ……つまり、今までの出来事は俺自身の闇と戦い続けていたという事か?

    確かに、俺はあの忌まわしい出来事から自責と後悔に打ちのめされ、心の中でずっと自分と戦い続けていた。何と戦っているのか自分でも解らなくなる程に。それがあの見えない敵だとしたら……。いや、あれだけではなく無限に広がる暗闇の世界も、俺がずっと抱えていた闇が生んだという事を意味しているのだろう。そしてあの過去の映像と、偽物のサレスティルで出会ったシラリネは———。

    クリソベイアが滅ぼされる前、俺はクリソベイアの騎士としてリセリア姫を守ると心から誓った。だが、俺の力が足りなかったせいで目の前で守るべき者を失ってしまった。その後、サレスティルに流れ着き、王女であるシラリネを守る事にしたのは、姫を守れなかった自分の無力さによる罪の意識が軽くなるかもしれないという気持ちがあったからだ。

    シラリネからの吐息が混じった深い口付けの感覚が、今でも忘れられない。あの時の口付けの意味は、俺に対する特別な想いを意味しているのだろう。だが俺には、その想いに応える事が出来ない。あくまで護衛という任務を受けた王国の騎士として守る為であって、決してリセリア姫の代わりというわけではない、という気持ちがあったからだ。それに俺は、決して普通の人間ではない。現に俺のせいで国が滅びてしまった。あの悲劇を繰り返さないよう、守るべき姫に対して特別な感情は持ってはいけないものだと悟っていたのだ。シラリネの想いに応える事が出来ないという事に対する罪悪感が、俺の中に生まれていたのだろう。

    そして今では———。


    ヴェルラウドは全ての出来事を整理しつつ、身動きが出来ないまま目を見開き、ゆっくりと口を開いた。

    「……お前が何者なのか知らんが、俺が心の中で抱えている事を全て打ち明けてやる。俺は今……守るべき者、いや。守りたいものを全て守りたい。お前の言う闇とやらは、全て俺の中に存在するモノだったんだろ?それを嫌という程見せられたおかげで、自分でも気付いていない感情や想いを知った気がするんだ。もう過去に囚われたくない。振り返りたくもない。だが、過去はあえて封印しない。過去を封印すると、俺が守ろうとしていた者達の想いを封印する事になってしまうからだ。俺は、ずっと前に進みたい。俺に出来る事なら何でもする。そしてこの命に代えてでも、守りたいものを守りたい。これは騎士としての使命ではなく、俺自身の意思によるものだ!」

    全ての想いを打ち明けると、ヴェルラウドは全身が熱くなるのを感じる。


    ———汝の真の心、とくと受け止めたぞ。

    心を爛れさせた忌まわしき闇の記憶をあえて封印せず、そして振り返らず、守りたいものを守るという己の行く道を進むという意思———それが真の心と証明するのであらば、神が造りし剣の力を扱う事を許そう。

    だが、汝は剣を使う資格を得たに過ぎぬ。己の力量を見つめ直し、剣を使いこなす力量、そして心を手に入れよ。汝の真の試練は、これからなのだ。とくと覚えておくがいい。


    まるで全身が焼かれるような感覚に襲われながらも、ヴェルラウドは意識を失った。


    その頃スフレは、単身でリランの元を訪れていた。試練に挑んでから数日経過しても戻らないヴェルラウドが気掛かりなのだ。
    「ねえ、ヴェルラウドはいつ戻って来るの!?あたしがこれだけお祈りしてるっていうのに、帰って来ないなんて絶対に許さないわよ!」
    掴み掛るようにスフレが言う。
    「スフレ、落ち着くんだ。私も彼がどうなるかは予測出来ぬ。ただ彼の無事を祈るしかない。それしか言えぬ」
    「リラン様!あなたも何かお祈りくらいしてよ!ヴェルラウドはあたしにとって……」
    思わずリランの眼前で怒鳴るように言うスフレだが、途中で顔を赤らめて言いあぐねてしまう。
    「……ごめんなさい。何でもないわ」
    リランはスフレの素振りを見て何かを察すると同時に、冷静に咳払いをする。
    「君にとって彼が大切な存在ならば、彼が帰って来る事を信じるべきだろう?君が信じなくてどうするんだ」
    スフレはリランの一言を聞いてハッと我に返る。
    「……そ、そうよ。お祈りした時も帰って来る事を信じてるって言ったのに何やってんだろあたし。ヴェルラウドだって頑張ってるのよ!」
    リランは無言で頷く。
    「ヴェルラウド……あたしはずっと待ってるよ。あなたが帰って来る事を……!」
    スフレは祈る気持ちでヴェルラウドの帰還を願い続けた。


    翌日、リランの元にデナが駆けつける。
    「リラン様!氷鏡の迷宮に来て下さいまし!」
    デナの一言にリランは目を見開かせる。
    「何事だ!?ハッ、もしや……!デナよ、スフレ達を呼んでまいれ!」
    「畏まりましたわ」
    リランは即座に氷鏡の迷宮へ向かう。遅れてスフレとオディアン、そしてデナがやって来る。氷鏡の迷宮の入り口前には、ヴェルラウドが倒れていた。
    「ヴェルラウド!」
    リランとスフレが倒れているヴェルラウドの元に駆け寄ると、リランは即座にヴェルラウドの様子を確かめる。
    「大丈夫だ、息はある。今すぐ客室に運ぶんだ」
    スフレとオディアンはヴェルラウドを客室に運び、ベッドに寝かせる。
    「ヴェルラウド……死んだわけじゃないよね?帰って来れたのよね……?」
    スフレはベッドで眠るヴェルラウドの手を強く握った。その手は冷えているものの、微かな温もりがある。
    「あたしは何があっても、絶対に死なせないよ。だって、あたしはあなたの事が……」
    眠るヴェルラウドの顔に一滴の雫が零れ落ちる。それは、スフレの涙であった。


    気が付くとそこは、靄が立ち込める空間の中だった。夢なのか、それとも生と死の狭間の世界なのか解らない。そんな空間を、ヴェルラウドは歩いていた。


    ヴェルラウド……ヴェルラウドよ……。


    何処かで名前を呼ぶ声が聞こえる。懐かしい響きの声。次の瞬間、懐かしい姿が視界に飛び込んで来る。その姿は、父であるジョルディスだった。
    「父さん……!?」
    「ヴェルラウドよ。成長したな。あの惨劇から、俺はずっとお前の事を見守っていた。そしてお前は、俺を越えたのだな。言わずとも解る」
    「俺が……父さんを越えた……?」
    「お前はあれから多くの苦難を乗り越え、我が命を捨てる覚悟で我々ですら踏み入れた事のない未知の試練に挑み、そして打ち勝った。お前にはエリーゼが遺した神の遺産がある。今こそ赤雷の騎士として巨大な闇に立ち向かうんだ」
    ヴェルラウドは驚愕する。ジョルディスの隣に、母であるエリーゼの姿が現れたのだ。
    「あなたが……母さん……?」
    「ヴェルラウド。お前がヴェルラウドなのだな。私がお前の母、エリーゼだ。まさかこんなに逞しい姿に成長していたとはな……」
    エリーゼはそっとヴェルラウドの傍に寄る。
    「ヴェルラウドよ。お前に辛い運命を与えてしまった事や、母親らしい事をしてやれなかった私を許してくれ。私が赤雷の騎士たる者でなければ、普通の母親としてお前に沢山の愛情を注げたはず……」
    「……いいんだ、母さん。あなたが遺した物は、俺にとって誇りでもある。それに、こういう形で母さんと会う事が出来るだけでも嬉しいんだ。俺にとって……父さんと母さんは誇りだ。だから、俺は戦う。赤雷の騎士として」
    決意を固めたヴェルラウドの眼差しを見たジョルディスとエリーゼは穏やかな表情を浮かべる。そしてその姿は次第に薄れて行く。


    もっとお前と過ごしたかったけど、残念ながらそうはいかないようだ。
    だが、嬉しかったぞ。大きく成長したお前に会えたのだから……。

    さようなら、ヴェルラウド。我々はいつでもお前を見守っている。

    お前は、我々の誇りだから———。


    目を覚ました時、そこは神殿の客室のベッドだった。誰もいない暗い部屋の中、起き上がってはそっとベッドから出る。ああ、俺は無事で帰って来れたのか……。だが、何故こんなところで目を覚ましたんだ?そんな事を考えながらもヴェルラウドが部屋から出ると、スフレとオディアンがいた。
    「ヴェルラウド!」
    「……よう。何とか……帰ったぜ」
    ヴェルラウドの登場に、スフレは驚きと同時に目を潤ませる。
    「ヴェルラウド……ヴェルラウドーー!!」
    スフレが勢いよくヴェルラウドに抱きつく。
    「お、おい。こんなところでやめろっての」
    ぶっきらぼうに振る舞うヴェルラウドだが、スフレはヴェルラウドに抱きついたまますすり泣き始める。
    「えうっ……だって……あたし……あんたの事、ずっと心配してたんだからっ……ぐすっ……もう、バカァッ!うっ……うえぇぇぇん!」
    スフレは感極まって号泣してしまう。ヴェルラウドはやれやれと呟きながらもスフレをそっと抱きしめた。オディアンはそんな二人を見て表情を綻ばせる。
    「ヴェルラウドよ、見事に試練を乗り越えたのだな。我々は疎か、リラン様も危惧されていたが、無事で何よりだ」
    「ああ、心配かけて済まなかった。まだ実感はないんだが、上手くいったみたいだ」
    ヴェルラウドはスフレ、オディアンと共にリランのいる祭壇の間へ向かって行った。
    本当の試練
    祭壇の間には、リランとデナが待っていた。スフレとオディアンに続き、ヴェルラウドがやって来る。ヴェルラウドは胸に手を当て、軽く敬礼をする。
    「まさか本当に神の試練を乗り越えるとは……いや、この私でもどのような試練だったのかは解らぬが。いやはや、この度は見事であったぞ。ヴェルラウドよ」
    リランが賞賛の言葉を与える。
    「全く驚きましたわ。どうやら私は人間を甘く見過ぎていたようですわね。ヴェルラウド、無礼をお許し下さいまし」
    デナはヴェルラウドを前に、頭を下げながら詫びる。
    「気にするなよ。済んだ事だ。ま、一先ず目的は果たせたってところだな」
    「ふむ、試練を乗り越えた以上、神雷の剣を使う資格を得たのだろう?試しに見せてくれぬか?」
    ヴェルラウドはリランの言葉に従い、神雷の剣を手に緊張した面持ちで構えを取る。スフレとオディアンがその場から離れると、ヴェルラウドは気合を込めた素振りを披露する。だが、何も起こらない。試練を受ける前は振りかざす度に全身に重りが圧し掛かると共に激しい電撃に襲われていたのに、全く何も起こらなかった。使える。剣が使える……!試練を乗り越えた事によって神雷の剣を使えるようになっていたという事実に、ヴェルラウドは心の底から喜びを覚える。
    「あー!神雷の剣を使えるようになったのね!?やったじゃない!」
    スフレが歓喜の声を上げる。
    「みんな、下がってろ。色々試したい事がある」
    ヴェルラウドは神雷の剣で様々な剣の技を披露しようとする。
    「まあ待て。ここでは場所が悪い。広い場所の方が良かろう」
    リランはヴェルラウド達を聖都の広場まで連れて行く。広場に到着すると、ヴェルラウドは再び剣を構える。
    「はああああっ!!」
    ヴェルラウドは次々と剣技を繰り出す。激しく空を切るその攻撃に、オディアンは一生懸命凝視していた。
    「ふむ……あの攻撃、かつてのヴェルラウドとはまるで違う。これも試練によって得たものか」
    「え、どういう事よ?」
    「あの目には迷いがない。決意を固めた目に見える」
    「へえ……あたしにはよく見えないけど」
    スフレとオディアンが会話を交わしている中、ヴェルラウドは剣先に赤い雷を集中させ、地面に叩き付けるように振り下ろす。赤い雷は地を走るように迸り、大きな爪痕を生んだ。
    「……うっわ、ここまで出来るの?」
    スフレが驚きの表情を浮かべる。
    「うーむ、見事だ。やはり君は赤雷の騎士の子なのだな。だが、まだ話す事がある。すぐに戻って来てくれ」
    リランはデナを連れて再び神殿へ向かう。
    「ヴェルラウド、凄いじゃない!見違える程パワーアップしたってわけぇ?」
    「……さあな」
    「はい?」
    素っ気ない返答をするヴェルラウドに、スフレは一瞬きょとんとする。
    「ま、とりあえず戻るぞ。何やらまだ話す事があるらしいからな」
    ヴェルラウド達は神殿の祭壇の間へ向かう。
    「オディアン、ちょっといいか?」
    「何だ?」
    「もしよければ、後で試させてくれ。俺と剣を交える事で」
    オディアンはヴェルラウドの目を見てはすぐに察し、無言で頷いた。
    「ねえ何?今度は男同士で特訓のつもり?」
    「まあそういう事だな」
    「何だったら、このスフレちゃんの必殺魔法フルコースによる特訓も受け付けてるわよ?」
    「いらんよ。俺は剣を交えたいんだ」
    「あー!何よその素っ気ない態度!ふん、いいわよ!男同士で思う存分チャンバラでもやってなさいよ!」
    スフレは膨れっ面でさっさと走って行く。
    「何だあいつ」
    「ふむ、あの素振り……もしやスフレはお前の事を……」
    オディアンはスフレのヴェルラウドに対する振る舞いが気になっているようだ。
    「ん?どうかしたのか?」
    「……ああ。何でもない。行くぞ」
    オディアンが足を進めると、ヴェルラウドは何なんだと呟きながらも後に続いた。祭壇の間に佇むリランとデナを前に三人が揃うと、リランは手元の青く輝く宝玉を見つめては軽く呼吸を整える。
    「よし、皆揃ったな。ヴェルラウドよ、君が神雷の剣を使う資格を得たとならば、これから闇王との戦いに挑む事になるだろう。だが、その前に一つ君達に伝えるべき事があるのだ」
    「え?」
    「実のところこれも密かに予知していた事なのだが、この世界には君達と同じ使命を受けた者達が存在し、やがて君達と共にする事になる。蘇りし巨大なる闇に挑む為に」
    リランの予知によると、ヴェルラウド達と同様に巨大な闇に挑む使命を受けた者達が世界の何処かに存在し、その者達はヴェルラウドと共に全ての闇を司る者と戦う事になるという。そして闇王を打ち倒すには、ヴェルラウド達のように闇に挑む使命を受けた者の力も必要としているのだ。
    「ええ!?せっかく神雷の剣が使えるようになったのに、今度はあたし達と同じ使命を受けたという人達を探さなきゃいけないわけ!?」
    「そうだ。その中心となる人物は太陽に選ばれし存在となる者……太陽の戦神と呼ばれる英雄の血筋を持つ王家によって建国された王国の姫君。そして王国の名は……」
    リランは宝玉を握り締めながらも念じる。
    「……ローズ……クレマローズ。レドアニス大陸に存在する王国だ」
    「クレマローズだと!?」
    ヴェルラウドは思わず声を張り上げる。クレマローズという名前を聞いた瞬間、ヴェルラウドの脳裏に浮かんだのはレウィシアであった。
    「知ってるのか?」
    「ああ……俺はクレマローズの王女とは縁がある。なるほど、話が見えて来たぜ。つまりクレマローズ王国の王女とその仲間となる連中が俺達と共に戦うという事だろう?」
    「その通りだ。そうか、君とも所縁ある者だったのだな」
    「ねえ、縁があるってどういう事よ!あんた、もしかしてその王女様と密かにデキてるとかいうオチじゃないわよね!?」
    スフレが詰め寄るように言う。
    「んなわけねぇだろ。過去にちょっとした因縁があっただけだ。いちいち寄るなっての」
    「何よ、そんなに避ける事ないじゃない」
    再び膨れっ面になるスフレ。
    「どうやら、我々には闇王の元へ行く前にまだやるべき事があるようだな。ヴェルラウドよ、クレマローズ王国の王女たるお方はどのような人物かは存じているのだな?」
    「ああ。王女でありながら俺とタメを張る程の剣の腕を持ち、炎の力を操る事も出来る実力者だ。ワケあって一度剣を交えた事もあった」
    ヴェルラウドはかつて影の女王がサレスティル王国を暴政で支配していた頃、唆される形でレウィシアと激しく剣を交え、シラリネの犠牲を機に影の女王が本性を現した際にレウィシアと共闘した事を振り返っていた。
    「何にせよ、君達が次に行くべき場所はクレマローズ王国だ。今日のところは休んでおくがいい」
    リランから次なる目的地を知らされたヴェルラウド達は祭壇の間を後にした。
    「まさか、ここでレウィシア王女の力を借りる事になるとはな……」
    ヴェルラウドはレウィシアの事を思い出しつつも考え事をしていた。
    「ねえヴェルラウド。クレマローズとかいう王国の王女様と関わりがあるんでしょ?一体どんな関係なのよ」
    スフレが眼前まで顔を寄せて詰問するが、ヴェルラウドは反射的に顔を逸らすばかりであった。
    「もう、人が真剣な顔で質問してるのになんでそうやって顔を逸らすのよ!何か疚しい事でもあるわけ?」
    「ったくうるっせぇな。ただの知り合いだ。特別な間柄というわけじゃない」
    「本当にそうなの?」
    スフレの表情はまるでヤキモチを焼いているかのような顔だった。
    「よせ、スフレ。いらぬ邪推はやめておけ」
    オディアンが冷静に声を掛ける。
    「まあいいわ。ただの知り合いだったら別にどうという事はないもんね」
    スフレは気を紛らわせようと両手を広げ、軽く身体を解し始める。
    「何なんだよ……」
    ヴェルラウドは訳が分からないままスフレの姿をジッと見つめていた。
    「剣を交えるぞ、ヴェルラウドよ」
    オディアンの一言。
    「ああ。試させてもらう。神雷の剣をな」
    力強く返事をしたヴェルラウドは神雷の剣を手にする。
    「よし、ならば聖都の外でやるぞ」
    「解った」
    ヴェルラウドとオディアンは揃って歩き始める。
    「あー!ちょっと待ちなさいよ!」
    二人の後を追うスフレ。二人の真剣勝負は、凍てつく吹雪が吹き荒れる聖都の外で行われた。


    あの試練を乗り越えてからが、本当の戦いだ———。

    例え剣を使えるようになっても、まだ闇王は倒せない。剣を完璧に使いこなすまでは。そしてこの剣は闇王を倒す為に存在するものではない。全てのものを守る為に存在するものだ。

    俺に出来る事なら何だってやる。サレスティル女王を助ける事は勿論、大切なものを救う事も。そう誓ったから、この剣は俺に託された。

    これから待ち受ける出来事も、剣を完璧に使いこなす程の力量と心を物にする為の試練となるのだろう。

    俺はもう後ろを振り向かない。何があろうと、ずっと前に進み続ける。心の中に父と母、姫様、シラリネがいるのだから———。


    その日の夜、ふと目が覚めたヴェルラウドはそっとベッドから降りる。隣のベッドで寝ているはずのスフレの姿がない事に気付き、客室から出る。すると、スフレが廊下で開いた窓からの風を浴びていた。
    「スフレ、お前何やってるんだ?」
    ヴェルラウドの声に一瞬驚くスフレ。
    「なっ、ヴェルラウド!?びっくりさせないでよ!」
    「それは悪かったな。どうかしたのか?」
    「別に。眠れなかっただけよ」
    スフレの表情はどこか物憂げであった。
    「……お前、まだ俺の事で何か気になるのか?」
    「違うわよ!考え事してたのよ」
    「考え事?」
    「なんてーか……クチではなかなか言い表せないんだけど。正直あたしの事、どう思ってるのかなって」
    「……お前の事をか?」
    「そんなところよ」
    俯き加減に言うスフレの顔は若干赤らめていた。
    「お前は……仲間だよ。俺にとっては頼れる仲間だ」
    ヴェルラウドが率直に言う。
    「……仲間、か。まあそうよね。あたし達、仲間だもんね」
    スフレはまるで何かを隠しているような素振りで苦笑いする。
    「何故そんな事聞くんだよ」
    ぶっきらぼうに言うヴェルラウド。
    「ちょっと気になっただけよ!何ていうかあたし……あんたにさ。あれこれ絡んだりしたじゃない?それでね。密かに鬱陶しいとか思われてるんじゃないかって気がして」
    どこかぎこちない口調でスフレが言葉を続ける。
    「……誰がそんな風に思うんだよ。お前には寧ろ感謝してるよ。試練の時も俺を助けてくれたんだからな」
    「え!?」
    ヴェルラウドは試練の中で起きていた出来事を語る。一部の記憶を消された形で自分の過去の記憶を元に作られた偽りの世界に迷い込んでいた時、スフレのブローチから声を聴いた事を。そしてその声によって消された記憶が蘇り、偽りの世界を叩き斬った事を。
    「……あたしの祈り、しっかり届いてたんだね」
    スフレの目から涙が零れ落ちる。
    「お前からのお守り、まだ返してなかったな。返しておくぜ」
    ヴェルラウドはブローチをそっと差し出した。だが、スフレは首を横に振る。
    「いいよ。返さなくても。あんたが持ってて」
    「ん?何故だ?」
    「何ていうか、あんたが持ってた方がいい気がするの。あたしの想いが込められたお守りだから……」
    スフレは涙を拭い、ヴェルラウドの胸に顔を寄せる。
    「これからも、あたしを頼ってもいいのよ。あたしは、いつでもあんたに付いていくから……」
    ヴェルラウドは心の中で「ありがとよ」と呟き、涙を溢れさせるスフレをそっと抱きしめた。


    翌日———ヴェルラウド達はリランに旅立ちの挨拶をしようと再び祭壇の間へやって来る。
    「出発の時だな。クレマローズ王国は此処からだと遥かに遠い場所にある。そこでだが……暫しこの私も君達と同行させてもらおう」
    「何ですって!?」
    リランの傍らにいるデナは驚きの声を上げた。ヴェルラウド達も予想外の出来事に驚きを隠せない様子である。
    「リラン様、どういうおつもりですの?この聖都ルドエデンに統治者がいなくなられては……」
    「私にもやるべき事がある。世界の運命を賭けた出来事が待ち受けている以上、大人しくしているわけにはいかぬ。現に今、父が予知していた災厄が訪れている。だからこそ彼らの力になる時なのだ」
    真剣なリランの目を見たデナは思わず黙り込んでしまう。
    「本当に俺達と同行するつもりなのか?」
    「うむ、私にも君達の助けになるような魔力は持ち合わせている。足手纏いにはならぬつもりだ」
    「なーに、スフレちゃんの魔法だってあるんだから心配無用よ!そんなわけで宜しくね、リラン様!」
    リランの同行を承諾したヴェルラウド達は祭壇の間から出ようとする。
    「デナよ、聖都の護衛は君に任せる。マナドールの闘士として聖都を守ってくれ。よいな?」
    「……はい!この私に任せて下さいまし!」
    快く返事をするデナに、リランは安堵の表情を浮かべる。
    「ヴェルラウド!スフレ!デクの棒!リラン様を頼みましたわ。もし何かあったら承知しませんわよ!」
    「任せなさいって!あたし達はどんな困難も乗り越えられる最強のパーティーなんだから!」
    スフレが力強く返答してヴェルラウド達と共に祭壇の間を後にすると、デナはふふっと笑顔を浮かべた。


    その頃、闇王の城では濃度が濃い闇の瘴気に覆われていた。ケセルに与えられた暗黒の魂を受け入れた事で爆発的な力の暴走が起こり、周囲に存在するものを次々と叩き潰し、苦しみに蹲る闇王。濁った目は禍々しい光に満ちていた。
    「……赤雷の……騎士……ヴェルラウド……ニンゲン……全て……消す……全てを……滅ぼす……オッ、オオオォッ……!」
    譫言のような声を上げる闇王の姿を見て驚きながらも、遠い位置から見守っている者がいる。ゲウドだった。
    「な、なんというパワーじゃ……闇王様はあの頃より上回るパワーを得られたかもしれぬ……」
    ゲウドは蹲っている闇王をジッと見つめている。
    「か、完全に復活した闇王様を……ワシの手で制御出来れば……」
    掌を僅かに震わせつつも、ゲウドは恐る恐る闇王に近付こうとする。
    「……オ……オオオァァアアア!!ンオオオオアアアアア!!!」
    耳に響く程の咆哮を轟かせる闇王。
    「……魂、を……魂……を……よ、こ、せ……もっ……と……もっと魂を……ウオオオオオアアアア!!」
    闇王は再び激しい苦しみに襲われ、四つん這い状になって息を荒くする。
    「魂……ですと?さては暗黒の魂がまだ必要だと……」
    ゲウドは闇王が口にした魂という言葉に首を傾げつつも、そっとその場から離れた。


    神殿から出たヴェルラウド一行はクレマローズ王国へ向かう前にまず結果をマチェドニルに報告しようと、賢者の神殿に戻ろうとした。飛竜ライルを呼び出そうとスフレが笛を取り出す。
    「ちょっと待て」
    リランが声を掛ける。
    「一瞬で賢者の神殿に行ける方法がある」
    そう言って取り出したのは、翼の装飾が施された宝石———これまで行った事のある場所へいつでも自在に戻る事が出来るリターンジェムだった。
    「あ、それってリターンジェムじゃない!それを使うって事は賢者の神殿に行った事があるのよね?」
    「うむ。父がお世話になった場所なだけに時々顔を出しているものでな」
    「何の話だ?その宝石は何なんだよ?」
    訳が解らないヴェルラウドにリランがリターンジェムについて説明する。
    「そんな便利なものがあればあの飛竜に乗らなくてもいいって事だな。助かったぜ」
    「助かった?どういう事だ?」
    飛竜による空の旅が苦手なヴェルラウドは思わず言葉を詰まらせる。
    「ヴェルラウドったら、飛竜に乗るのが怖いのよ。ここに来る時もすっごい怖がってたくらいなんだから」
    「おい、やかましいぞ!」
    「あはははは!」
    顔を真っ赤にして怒鳴るヴェルラウドを見て悪戯っぽく笑うスフレ。
    「とりあえず。皆の者、しっかりと私に掴まってくれ」
    ヴェルラウド、スフレ、オディアンはリランに掴まると、リランは念じながらリターンジェムを天に掲げる。すると、一行の姿は吸い寄せられるように消え、一瞬で賢者の神殿の前にワープ移動した。
    「すごーい!あっという間に賢者の神殿に到着したわ!さっすがリターンジェムね!」
    スフレが感激の声を上げる。
    「むむ、まさかこんな事が可能だとは驚いたな……。まあともかく、賢王様の元へ向かうとしよう」
    オディアンは神殿の門へ向かって行く。一行は神殿の中に入ると、内部は静まり返っていた。
    「誰もいない?これはどういう事だ!?」
    内部の状況に思わず身構えるリラン。
    「落ち着けよ、リラン様」
    冷静に言うヴェルラウド。
    「ふむ、誰もいない上に静まり返っている。さては……」
    「賢王様ったら、あれからずっと地下で身を潜めているのかしら」
    オディアンとスフレが続けて言う。
    「何を言ってるのだ?君達は事情を知っているのか?」
    「大丈夫よ。賢王様は地下に避難中なのよ。説明するのも面倒だから黙って付いてきて」
    スフレはリランを大祭壇の間へ連れて行く。
    「お前達、無事で戻ったようだな。むむ?そこにいらっしゃるのはリラン様!?」
    一行が大祭壇の間に来ると、マチェドニルの声が響き渡るように聞こえ始める。
    「その声はマチェドニル殿か?何処にいる!?」
    「フォッフォッフォッ、ご安心を。わしらは地下にいますぞよ」
    「地下だと?」
    スフレはリランの手を引っ張りながらも祭壇の上に登る。続いてヴェルラウド、オディアンが祭壇に登ると、祭壇は下降していった。
    「うわわわわっ!な、何事だ!?」
    突然の出来事に驚きを隠せないリラン。下降が止まり、地下の大広間に出るとマチェドニルを始めとする賢人達が集まっていた。
    「マチェドニル殿!」
    「おお、これはリラン様。こちらをお訪ねするのはいつ振りになりますかの……」
    「全く驚いたぞ。まさかこんな場所を設けていたとはな」
    マチェドニルの姿を確認したリランは安堵の表情を浮かべる。
    「ヴェルラウドよ。その様子では上手くいったという事か?」
    「ああ。何とかな」
    ヴェルラウドは全ての出来事を話した。
    「我々にとって未知の領域であった試練の聖地……まさかそれを乗り越えるとは。ヴェルラウドよ、試練を乗り越え、神雷の剣を使えるようになったお前はエリーゼを越える事が出来たかもしれぬ」
    「……いや。まだ終わりじゃないんだ」
    「ぬ?終わりじゃない、と?」
    「俺は神雷の剣を使う資格を得ただけに過ぎない。剣を完璧に使いこなす力量と心を手に入れない限り、神雷の剣の力を発揮出来ない。本当の試練はこれからだと言っていた」
    そして今後の目的———クレマローズ王国へ向かい、レウィシアを始めとする使命を与えられし者達に会うという目的についてリランが話すと、マチェドニルは少し考え事をする。
    「クレマローズ……かつてわしの仲間であったガウラが治める王国。太陽の戦神と呼ばれた英雄の血を分けた王家によって建国された王国でもある。ガウラ自身も大いなる炎の力を司る騎士だった。彼の子ならばきっとお前達の心強い味方になるであろう」
    マチェドニルは賢人達に何か指示するように無言で手を上げるサインをする。賢人達はそのサインに応えるかのように、慌ただしく動き始める。
    「ヴェルラウドよ。次なる目的を終える事が出来たら必ずわしのところへ戻って来てくれ。お前達に渡したいものがある」
    「渡したいもの?」
    「うむ、闇王との戦いに備えたとっておきの物を作っているところじゃ。だが、完成にはまだ時間が掛かる。こいつがあると闇王との戦いが有利になるかもしれんからの」
    マチェドニルが言うとっておきの物について気になりつつも、ヴェルラウド達はクレマローズへ向かう準備を始めた。
    「ねえ、賢王様……」
    声を上げたのはスフレであった。
    「何だ?」
    「私……お父さんに預けられたんですよね?」
    スフレの問いにマチェドニルは驚きの表情を見せる。
    「すまない、マチェドニル殿。彼女は私の同士になる。いずれは知る事になる故に話しておいたのだ」
    リランが詫びながら説明する。
    「……スフレよ、確かにお前は聖地ルイナスから来た魔導師……つまりお前の父親によって預けられた子だ。そのうち話そうとは思ってはいたが……」
    マチェドニルの言葉に俯くスフレ。
    「それで……お父さんの行方は?お母さんは……」
    「残念ながらそこまでは解らぬ。今頃聖地ルイナスにいるのか、それとも……」
    マチェドニルにはこれ以上言う事は出来なかった。
    「……解りました。ありがとうございます」
    スフレは軽く礼を言い、気を取り直して準備に取り掛かる。マチェドニルは心の中ですまぬと詫びながらも、明るく振る舞っているスフレの姿をずっと見つめていた。

    笛の音と共に、飛竜が神殿の前に降り立つ。スフレ、リラン、オディアン、そしてヴェルラウドが恐る恐る背に乗り込むと、飛竜が飛び立った。リランはクレマローズにまで訪れた事がない故リターンジェムでの移動は不可能で、飛竜ライルを利用して向かう事になったのだ。慣れない空の旅に落ち着かない様子のヴェルラウドをオディアンがしっかりと抑えている中、スフレは思う。


    あたし、ヴェルラウドに惚れていたのかな。
    最初は取っ付き難い男だと思ってたけど、一緒に旅しているうちに何だか放っておけなくなって。

    お父さんとお母さん……生きているのか解らないけど、もし生きていたら、会いたいな。
    お父さんは、あたしを賢王様に預けた時は何を思っていたのだろう。そしてお母さんは———。

    けど、今はヴェルラウドの力になる事を考えなきゃ。戦っているのは、彼だけじゃない。あたしも、みんな戦っているんだから。

    ヴェルラウド……あなたが試練に挑んでいた時に、あたしの祈りが届いていたという事は、いつかきっと……

    ……

    ふふ、あたしったらこんな時に何考えてるんだろう。でも、あたしはずっとあなたに付いて行くよ。何があっても。


    雲一つない晴れ渡る空の中、翼を大きく広げる飛竜の鳴き声がけたたましく響き渡った。


    一方その頃———。

    「たああっ!」
    クレマローズ近辺の平野にて、鋭い角を持つ巨体の魔物バッファロードに槍による一撃が決まる。魔物に挑んでいるのはテティノとラファウスで、背後にはルーチェを守るように抱くレウィシアがいた。ケセルによって武器と防具を破壊され、丸腰のレウィシアは無力同然の状態であり、テティノとラファウスが戦っているのだ。
    「こいつ……まだ動くぞ」
    テティノが槍を構えると、ラファウスが前に出る。ラファウスの手には大型のチャクラムが握られている。風の魔魂の化身エアロが『風円刃ふうえんじん』と呼ばれる武器に変化したものであった。
    「皆さん、下がっていなさい」
    ラファウスは魔物に向けて風円刃を投げつける。すると、風円刃は激しく回転すると共に魔物の巨体を切り裂いていった。
    「我が風の魔魂を刃に変え、回転による真空で全てを切り裂く。その名も、華円烈風閃かえんれっぷうせん
    魔物が倒れると、風円刃は元のエアロの姿に変わり、ラファウスのところに戻る。
    「凄いな……ここまで出来るのか」
    テティノは驚いたように呟く。
    「何とか倒したけど、以前よりも強い魔物が棲み付くようになったわね」
    魔物の死骸を前に、レウィシアは不意に悪い予感を覚える。
    「この辺りも物騒だと考えると、いつまでもモタモタしない方が良さそうですね。気を引き締めて行きましょう」
    ラファウスの一言に、レウィシア達は早歩きでクレマローズへ向かって行った。

    橘/たちばな Link Message Mute
    2020/06/20 22:58:26

    EM-エクリプス・モース- 第五章「氷に閉ざされし試練」

    第五章。ヴェルラウド主人公のエピソードです。氷の大陸チルブレインに存在する聖地とそこで待ち受ける試練の話。
    #オリジナル #創作 ##EM-エクリプス・モース- ##創作本編 #ファンタジー #R15

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品