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    EM-エクリプス・モース- エピローグ編慟哭の風人としての償い断罪と悲しみの中で死を越えた想い、そして……誓いの儀式-地上の光と太陽の心-慟哭の風

    世界が平和になっても、人間の愚行によって命を失った者達は救われたのだろうか。

    王国の更なる繁栄を目的とした理由で多くの罪無き命を奪った許されざる人間の愚行は、決して繰り返してはならないもの。

    人間が引き起こした戦争で犠牲を生み、住む領域を失ったエルフ族。更に、人間への不信感と憎悪が引き起こしたエルフ族の内乱。エルフ族が世界から消えたのは、人間がいたからだった。

    そして私は、最後のエルフ族となる者をこの手で殺してしまった。邪悪なる存在によって、人間への復讐に生きる闇のエルフに堕ちた者を。

    彼を救う為には非情なる決断を下すしか他に無かったとはいえ、思い出す度に胸が痛む。人間が支配欲による戦争という過ちを犯さなければ、いつか人間と解り合える時が来ていたかもしれない。

    大いなる災いの根源は滅び、世界は平和を取り戻した。しかし、人の罪は決して滅びたわけではない。人の罪による悲劇を生み出さない為にも、今すべき事は何だろうか。私に出来る事があるとならば……。

    今日も冷たい風が吹く。しかも、その風からは悲しみを表しているかのような声が聞こえる。この風は何を意味しているのだろうか。世界が平和になっても、何処かに深い悲しみが存在するのだろうか。

    私にはまだやるべき事がある。人の罪が生んだ悲劇を、繰り返してはならない。希望の太陽と呼ばれる存在となり、全てを救ったレウィシアの為にも───。



    冥神ハデリアが滅びてからひと月が経過した頃、ラファウスは風神の岩山の頂上に来ていた。風神の像と石碑はハデリアの力が引き起こした嵐の影響で破壊されており、砂利の舞う風が吹き付ける。ラファウスは壊れた風神の像を前に感謝の祈りを捧げ、静かにその場から去る。岩山を降りると、ウィリーが待っていた。
    「やあラファウス。今日もお祈りか?」
    「ええ」
    「全く、世界が平和になったっていうのに相変わらずだな」
    「これも習わしですから仕方ありませんよ」
    そんな会話を交わしつつも、ウィリーとラファウスは村へ戻っていく。村では村人一同による壊された家の復旧工事や、新しい櫓を組む作業等が行われていた。ウィリーも復旧工事に協力しており、作業に取り掛かろうとする。
    「私に出来る事があれば何かお手伝い致しますよ」
    作業に勤しむ村人達の様子を見ながらラファウスが言う。
    「いいよ、か弱い女の子にまで苦労させるわけにはいかないよ」
    「まあ、何を仰るのです。私は旅の中で幾度も生死を賭けた苦労を乗り越えているのですよ」
    「気持ちは有難いけど、第一君に大工の仕事は似合わないだろ。君には神子さんとして大事な事があるはず。じゃ、また後でな」
    上着を脱ぎ捨て、身軽な姿で作業に行くウィリー。
    「大事な事……ですか」
    ラファウスは大工仕事に精を出すウィリーの姿を見届けながらも聖風の社へ向かう。社にはエウナが祈りを捧げている。エウナの前に建てられている風神の像は、破壊されたままであった。
    「あら、ラファウス。お戻りになったのですね」
    「はい。母上。一つお伝えしたい事があります」
    「お伝えしたい事?」
    ラファウスは破壊された風神の像を見つつも、密かに思う事をエウナに告げる。冥神が滅び、世界が平和になった今、忘れてはならないエルフ族の悲劇を繰り返さない為にも世界中に伝えるべき大事な事があると。そして自身もエルフ族の血を引く存在であり、エルフと人間の間に生まれた子である事を伝える。
    「なんと……ラファウス。それは本当なのですか?」
    驚くエウナに、ラファウスは更に話す。セラクから聞かされた本当の両親の存在───エルフである本当の父親ボルタニオ、人間となる本当の母親ミデアンの禁忌が引き起こした悲劇、自身を裏切り者の子と扱い、命を狙う復讐鬼と化したセラクとの因縁を。エウナはラファウスの瞳を見ているうちに、言葉に出来ない複雑な想いを察する。生まれつき強い風の魔力が備わっていたラファウスは普通の人間ではないという事は感じていた。エルフ族の話については聞いた事はあったものの、まさかラファウスがエルフの血筋から生まれた存在だったなんて。けど、エルフの血筋の生まれだとしても、同じ人として共に生きてきた子である事に変わりない。この子は天から授かりし運命の子。子供がいない私にとっては大切な子供なのだ。そう思いつつも、エウナはラファウスの肩をそっと抱く。
    「ラファウス。あなたが何者であろうと、愛する私の子なのです。ウィリーや村の人々も、あなたが何者なのか知っているのでしょう?ラファウスは……ラファウスです」
    穏やかな声で言うエウナの優しい眼差しにラファウスは思わず心を打たれる。
    「母上……」
    ラファウスの目から一筋の涙が溢れる。
    「あなたには村を守護する神子を継ぐ者としてこのまま村にいて欲しいものですが、今やるべき大事な事があるのならばそれを済ませてきなさい。エルフ族にも伝えたい想いがあるのでしょう?」
    エウナはそっと石を差し出す。ベントゥスの翠石であった。
    「これは……」
    無言で頷くエウナ。ラファウスはエウナの想いを察しては、ベントゥスの翠石を受け取る。
    「……母上。私は人の罪によって滅びの運命を辿ったエルフ族の悲しみを世界中に伝えたいのです。この世界は希望の太陽と呼ばれる仲間によって救われました。だからこそ、人の罪による悲劇を繰り返さない為にも……再び旅に出ます」
    強い意思が秘められた目でラファウスが言うと、エウナは快く引き受ける。ラファウスは深々を礼を言い、社を出る。力を合わせて復旧工事に勤しむ村人達。大工担当の村人と櫓を組むウィリー。皆が、団結して荒れた村を立て直そうとしている。そんな様子にラファウスは人の在るべき姿が何たるか、人としての心が何たるかを考える。


    人はお互い励まし合い、力を合わせて頑張る事だって出来る。

    この村の人達は、在るべき人の優しさを持っている。私がどんな存在であろうと、人として受け入れてくれた。

    皆が、村を立て直す為にお互い励まし合っている。ずっと共に生きていたからこそ、村人達の絆がある。

    もし正しき心を持つ人々が集まり、人としての心をエルフ達に伝える事が出来たら───。


    その日の夜───寝間着姿のラファウスは手元にあるベントゥスの翠石をジッと見つめていた。
    「エアロ……いえ。風の神よ……死した者達に想いを伝える事は可能なのでしょうか」
    翠石に問い掛けるようにラファウスが呟く。不意にエアロの事を思い出してしまうラファウスだが、風の英雄として地上から去った今、もう存在していない。ラファウスは自身の力を呼び起こす風の魔魂として共にしていた相棒であるエアロと主である英雄ベントゥスの事を思いながらも、翠石を強く握り締めた。窓の外から星が瞬く夜空を眺めると、そよ風がラファウスの長い髪を靡かせる。
    「レウィシア……」
    満点の星空を眺めているうちに、ラファウスはレウィシアの姿を思い浮かべる。あれから一ヶ月が経過した今、レウィシアはどうなったのだろうか。いつか必ず帰って来ると信じているものの、最早レウィシアは人間ですらない、人智を越えた女神と呼ばれるような存在になっていた。炎の英雄曰く、レウィシアは神界にいる。例え人ならざる者として帰って来たとしても、世界中の人々は彼女を人として受け入れてくれるのだろうか。
    「……レウィシア。あなたが取り戻した平和を守る為にも、私は人としての在るべき心を世界中に伝えていきます。人の愚かさによって犠牲となったエルフ族の為にも……そして人の罪による悲劇を生まない為にも……」
    夜空に想いを馳せながらも、ラファウスは床に就いた。


    夢の中───そこはならず者が集う場所。闇の都市ラムスであった。一人の少女が買い出しに出掛けている。少女はラムスの密輸組織の団員に引き取られた孤児で、組織のメイドのような仕事をさせられていた。
    「ククク……お前、なかなか可愛いな」
    「おい、なかなかの美人じゃねえか。頂いちまおうぜ」
    刃物をちらつかせながらも嫌らしく迫る暴漢集団は少女に手を出していく。
    「い……いやあああ!!」
    酷い仕打ちを受け、少女が悲鳴を上げた瞬間、周囲に巻き起こる真空の刃。切り裂かれていく暴漢達。突然の出来事に立ち尽くす少女。周囲に集まる住民達の冷ややかな視線。
    「なあ、今の見たかよ?あの女がやったんだよな?」
    「バケモノだ!人間の姿をしたバケモノだ!」
    「殺せ!誰か、あの魔物を殺せ!」
    無意識のうちに発動した風の魔法で暴漢達が死んだ事によって少女は畏怖の対象となり、次々と凶器を手に襲い掛かる住民達。
    「やめて!誰か……いやああ!!やめてええええええ!!」
    バケモノ、魔物と口々に罵られ、無慈悲な迫害によって傷を負い、少女は涙を流しながら逃げる。少女の名はミデアン。ラファウスの母親となる者であった。


    どうして……どうしてこんな酷い事を!

    これが人間だというのですか。これが……これが……!


    悪魔のような表情で凶器を手にミデアンを追い続ける無数の住民一同。逃げていくミデアンの表情は痛々しく見え、住民の姿は魔物並みの醜悪なものに変化していく。


    うっ……ああああぁぁぁぁあああっ!!


    怒りと悲しみの叫びと共に荒れ狂う真空の竜巻。住民達は一瞬で切り裂かれ、汚れた返り血が舞う。住民達の姿は消え、ミデアンの姿は既になかった。


    夢から覚めた瞬間、見慣れた部屋の光景が視界に入る。
    「今の夢は一体……」
    ラファウスはぼんやりとした表情で夢の内容が気になり始める。鮮明に記憶に残るもので、尚且つ意味のあるものだと感じていた。何故こんな夢を見たのだろう。それに、夢の中に出てきた女性は……。
    「……やはり私は旅に出なくてはならない」
    何処かに夢の内容の答えを示すものがあるのかもしれない。そう直感したラファウスは改めて旅に出る決意を固め、身支度を整えてはエウナに挨拶を済ませる。
    「行くのですね、ラファウス」
    ラファウスはエウナに見送られながらも社を出ようとする。
    「ラファウス!」
    突然の声。ウィリーであった。ラファウスはまさか旅に出る事を事前に聞かされていたのかと思いつつも、返事せずに立ち止まる。
    「ラファウス……エウナ様から聞いたけど、また旅に出るっていうのか?世界は平和になったんじゃないのか!?」
    やはり、と心の中で呟いてはラファウスはエウナの方に視線を向ける。
    「ごめんなさい、ラファウス。だからと言って黙っているわけにはいかないでしょう?」
    どの道言うつもりだったのにと思いながらもラファウスは再びウィリーと向き合う。
    「ウィリー。あなたには解らない話でしょうけど、例え世界が平和になっても私にはまだ果たすべき使命があるのです。あなたはこう仰いましたね。神子として大事な事があると」
    「なっ……た、確かにそう言ったけど……」
    ウィリーは言葉を詰まらせてしまう。
    「今私がすべき事は神子として、ではなく。世界を救った者の同士として大事な事なのです。今から果たすべき使命を成し遂げないと、神子の後を継ぐ事は出来ない。本当の平和が永劫に続く世界へ導く為にも……もう一度旅立たなくてはならないのです」
    ラファウスの強い意思が込められた目を見ているうちに、ウィリーは何も言い返せなくなる。
    「あなたが何を言おうと、私は決して意思を曲げる事は致しません。そこを通しなさい」
    威圧するように力強く言うラファウス。
    「……解ったよ。俺には止める権利なんてないし、君にとっての大事な使命だって言うなら止めるわけにはいかないよ。君は昔から頑固なところがあるからな。そういうところは敵わないや」
    ラファウスは表情を綻ばせ、ウィリーに軽く礼を言って歩き始める。
    「ラファウス!」
    ウィリーが呼び掛ける。
    「俺達はいつでも君の帰りを待っているからな!君が帰って来るまでにこの村を見違えたものにしてやるから、楽しみにしててくれよ!」
    その一言にラファウスはそっと振り向き、ウィリーとエウナに笑顔を向ける。
    「母上、ウィリー。ありがとうございます。それでは……」
    ラファウスは社を後にし、そして村を出る。ラファウスが再び旅に出たという話は一瞬で村人達に広まり、大騒ぎとなった。
    「ねえお兄ちゃん。ラファウス様がまた旅に出たって本当なの?」
    村の入り口前で立ち尽くしているウィリーとノノア。
    「ああ。あの子は俺達には解らないような使命を背負っているんだ。それを果たす為、再び旅に出たんだ」
    涙を浮かべるウィリーは、旅立ったラファウスの事が頭から離れない様子であった。
    「あの子はエルフの血を引く人間。旅の最中、人間への復讐に明け暮れるエルフとの敵対の末、命を奪ってしまった。だからこそ、世界中に伝えたい想いがあるのでしょう」
    ウィリーとノノアの元にエウナが現れる。
    「エウナ様!」
    「あの子は人の罪の愚かさと、人の手で失われたエルフの悲しみを重く受け止めている。取り戻した平和から、罪を生まない世界にする。それがあの子の使命───」
    エウナは祈りを捧げながらも、ウィリー、ノノアと共にラファウスの旅を静かに見守っていた。


    人が犯した罪や過ちを裁くのは人であり、正しき方向に人を導くのもまた人の務め。

    世界が平和になっても、人間の中に存在する悪しき者が絶えたわけではない。人が存在する限り、悪しき者はいずるもの。

    だから、罪の愚かさとそれが生んだ悲劇を伝える事に意味がある。エルフの血を持つ人間として。


    村から旅立ってから数日後、ラファウスが辿り着いた先は賢者の神殿であった。建設中ではあるものの、簡易な建築物としては出来上がっていた。デナを筆頭とするマナドール族による建設作業が行われている中、ラファウスは神殿に入ろうとする。
    「お待ちなさい!」
    デナが呼び止める。
    「あなたはリラン様や賢王様のお仲間ですの?無用のお方はお通し出来ませんわよ」
    ラファウスが用件を説明しようとした途端、扉が開かれる。
    「どうした、デナ。むむ、君はラファウスではないか!?」
    やって来たのはリランであった。
    「リラン様。お久しぶりです」
    畏まりつつも深々と頭を下げつつも挨拶をするラファウス。デナはラファウスがリランの仲間だったと知り、慌てて詫びる。
    「まさか君が一人で訪れるとは……何事か?」
    「はい。世界が平和になってからの使命を果たす為にも、皆様にご協力をお願いしたいのです」
    「協力とな?ふむ、皆の前で詳しく話を聞かせて頂こうか」
    リランはラファウスを神殿内へ招き入れ、祭壇から地下の大広間へ連れて行く。大広間ではマチェドニル、ルーチェ、リティカ、賢人達が集まっていた。
    「ラファウスお姉ちゃん!」
    ルーチェが呼び掛けると、ラファウスは軽く微笑みかける。
    「久しいな、ラファウスよ。あれから一ヶ月以上経つが、元気そうで何よりじゃ」
    「こちらこそお久しぶりです、賢王様」
    挨拶をしては皆の前で事情を話すラファウス。
    「成る程……真の平和と呼ばれる世界へと導く為に人の罪の愚かさと、過去に起きたエルフ族の悲劇を世界中に伝えていくとな」
    ラファウスの話を聞いたマチェドニルは考え事をする。
    「世界はレウィシアによって救われました。そして私達は世界の平和を守り抜くというのが使命だと考えています。その為にも、今から私達に出来る事をやらなくてはなりません。冥神が滅びても、悪しき人が消えたわけではありませんから」
    強い意思の光が宿るラファウスの目に、リランは思わず見入ってしまう。そして軽く咳払いをする。
    「……確かに君の言う通りだ。例え冥神が滅びても、人が存在する限り、いつか何処かで人が人としての過ちを犯し、災いを招く事は否定出来ない。過去のアクリム王国のような愚行や、誤った正義による悲劇を生み出さない世界にしなくては。希望の太陽となったレウィシアの為にも」
    ラファウスとリランが口にしたレウィシアの名前に、ルーチェは思わずレウィシアの事を思い浮かべてしまう。
    「リラン様。ルーチェも宜しければご同行願います。まずはアクリム王国に向かいます。アクリム王のご協力を得る事から始めましょう」
    ラファウスの旅の目的はアクリム王国を始め、各国の王や各地の町村の長を通じてエルフ族の悲劇と人としての罪の愚かさを民に伝えていくというものであった。その考えに同調したリランとルーチェはラファウスと同行する事を選び、共にアクリム王国へ向かっていく。
    「リラン様ったら、世界が平和になっても旅に出るなんて忙しないですわね」
    ラファウス達が神殿を後にした頃、地下に戻っていたデナが呟く。
    「例え世界が平和になっても、本当の始まりはこれからじゃろうな。世界の未来は、今を生きる者達が創っていくものじゃからの」
    マチェドニルはしみじみと呟きながらも、ラファウス達の旅の無事を祈った。


    アクリム王国に辿り着いたラファウス達は、国王に会う目的で王都にやって来る。
    「この空気も懐かしいですね。テティノは如何お過ごしでしょうか」
    ラファウスはふとテティノの事を考えてしまう。潮風の香りが漂う王都は一見何事もないかのように思えるものの、王都内を見張る兵士は暗い表情をしていた。
    「しかし妙だな。いつになく街に活気がないように思えるのは気のせいか?」
    リランが呟くと、ラファウスは辺りを見回す。確かに見張りの兵士や住民の表情に活気がない。
    「……テティノ……」
    不意に何とも言えない胸騒ぎを覚え、ラファウスは足を急がせて王宮へ向かおうとする。だがその途中、ラファウスは立ち止まる。王宮の前に多くの花に囲まれ、巨大な石碑が建てられているのだ。
    「これは……以前このような石碑はなかったはず」
    かつてアクリムを訪れた際には存在していなかったはずの見慣れない石碑に刻まれた文字を解読するラファウス達。次の瞬間、ルーチェとラファウスは衝撃を受ける。


    水の神に選ばれしアクリムの第一王子テティノ・アクアマウル

    己の命を捧げし禁断の大魔法ウォルト・リザレイで一つの命を救い

    大いなる災いの根源となりき邪悪なる神に挑み

    そして此処に眠る


    石碑に刻まれていた文字───それはテティノの墓標であり、そしてこの石碑は死したテティノの墓であると知ったラファウスは愕然とし、涙を溢れさせる。
    「嘘……でしょ……そんな……テティノ……」
    その場で泣き崩れるラファウス。
    「テティノ……お兄ちゃん……」
    ルーチェも涙を流していた。
    「何という事だ……テティノが何故このような事に?」
    リランはテティノの突然の死という事実に実感が湧かず、涙に暮れる二人を黙って見守るばかりであった。
    「あら、あなた達は……」
    背後から聞こえる少女の声。マレンであった。マレンの存在に気付いたラファウスは何も言えないまま涙を流している。
    「……うっ……うえぇぇぇん!!」
    ルーチェはマレンの胸で泣き出してしまう。
    「ルーチェ君……」
    マレンは兄であるテティノの死に悲しむルーチェを抱きしめているうちに、止まらない涙が溢れ出す。深い悲しみに溢れる中、リランは沈痛な思いで見守るしか出来なかった。

    それから、ラファウス一行はマレンに案内される形で謁見の間へ招き入れられる。アクリム王と王妃が腰掛ける玉座。傍らにはウォーレンがいる。一行は深々と頭を下げ、ラファウスとリランは新たなる旅の目的を王に伝える。
    「ふむ……世界中に人としての愚行とエルフ族の悲劇を伝える為の協力か。我がアクリム王国が過去に犯した大いなる罪は如何なる償いでも決して許されるものではないが、人としての過ちは絶対に繰り返してはならぬ事。そなたらは我が息子テティノと共にこの世界を救った英雄。我々はいつでもそなたらの力になろう」
    過去に犯した王国の罪を思いつつも、アクリム王はラファウス一行の考えに賛同し、協力の意思を示す。
    「ありがとうございます。それで、もう一つお聞きしたい事があるのですが」
    「何だ?」
    「……テティノは……」
    半ば解ってはいるものの、テティノの死因を聞こうとするラファウスだが、これ以上話を切り出す事が出来ず、項垂れてしまう。
    「テティノは……『ウォルト・リザレイ』の影響で死を迎えた。マレンと共にアクリムへ帰って来た頃には、生命力が尽きる寸前だったのだ。英雄として世界を救ったというのに……奴は……無茶をし過ぎていたのだ」
    アクリム王は手を震わせつつも涙を流す。重い空気が支配する中、ラファウスは止まらない涙を拭いながらも立ち上がる。
    「……アクリム王。貴方様のご協力に感謝致します。仲間として共に戦ったテティノの為にも……私はこの世界の平和を守ります」
    涙で潤んだラファウスの目には、秘められた強い意思が宿っている。再び礼をして謁見の間から去ろうとする一行。
    「ラファウスよ」
    アクリム王が呼び止める。
    「改めて、我が誇り高き息子テティノに伝えてくれ。『親らしくしてやれなかった我々を許してくれ』と」
    その言葉に力強く承諾し、一行は再びテティノの墓である石碑の場所へ向かう。
    「テティノ……これはお父上からの御言葉です」
    ラファウスが追悼の意を込めつつ、アクリム王からのメッセージを伝える。
    「ぼくは最初あなたのこと、レウィシアお姉ちゃんを馬鹿にする嫌味な人だと思っていたからすごく嫌いだったけど、お姉ちゃんを助けてくれたのもあなただったから……安らかにぼく達の事を見守っていて下さい」
    ルーチェはテティノとの思い出を振り返りつつも、祈りを捧げる。当初はテティノの尊大な態度に悪印象を抱いて毛嫌いしていたものの、セラクとケセルの襲撃や瀕死の重傷を負ったレウィシアの出来事を機に心変わりするようになってから徐々に打ち解けていき、仲間の一人として受け入れるようになっていた。誰よりも慕っているレウィシアを救ったのもテティノであり、その際に禁断の大魔法で自らの命を削っていた。そんなテティノの勇気ある決断と行動力、そしてレウィシアを救ってくれた事に心から感謝しているのだ。
    「レウィシアを救う為には致し方無かったとはいえ、己の命を犠牲にする方法を選ぶとは……君は本当の意味で英雄と呼ぶに相応しい。君の偉業は来世へと伝えていくつもりだ。どうか安らかに……」
    ウォルト・リザレイの全貌とテティノの一連の行動を全て聞かされたリランは改めて追悼の意を込め、黙祷を捧げる。そこにマレンが再びやって来る。
    「この度は、兄をお弔い頂きありがとうございました。ふとお聞きしたところ、人による罪の愚かさとエルフ族の悲劇を世界中にお伝えしていく旅に出ているとか」
    「はい。これからエルフ族の領域だった場所へ向かうつもりです」
    一行が次に向かう場所は、アクリム王から聞かされたエルフ族の領域に当たる場所であり、エルフ族への償いと弔いを込めた巨大な石碑が建てられた『弔いの湖』と呼ばれる湖のある場所であった。そこにエルフ族の魂が佇んでいる可能性があると睨み、ルーチェの協力で魂の声を調べ、死したエルフ族へ抱えている意思を伝えようと考えているのだ。
    「弔いの湖に行くおつもりでしたら、私も同行させて下さい」
    「え!?」
    「私もアクリムの王族として、償いの意思を伝えたいのです。兄の分まで、私に出来る事があればお父様やお母様と共にあなた達の力になるつもりです」
    マレンの想いを汲み取ったラファウスは快く承諾し、一行は弔いの湖へ向かった。
    人としての償い
    地上を救いし女神が齎した光によって世界が浄化されても、地上に佇む深い悲しみはまだ残っている。

    その悲しみは闇よりも深く、中には悲しみを大いなる憎悪に変えた者もいる。

    深い憎悪の念は無数の悲しみの念を引き寄せ、怨念の塊として叫び続けている。

    人間への憎悪と復讐のままに闇に堕ちる事を選び、死した者の憎悪の念が地上に佇んでいるのだ。

    そして今、憎悪の念が膨れ上がろうとしている。ある訪問者によって───。



    日が暮れる頃、一行は湖の前に辿り着く。だが湖は汚染され、中心部の小さな島にはセラクによって破壊された石碑がある。
    「あれは……」
    破壊された石碑の存在を確認したラファウスは島に向かおうとするものの、島に辿り着くには泳ぐ必要がある。汚染された湖を泳ぐ事に抵抗を感じるものの、意を決して飛び込もうとするラファウス。
    「待って」
    ルーチェからの一言。
    「魂の声が聞こえる。あの島から……」
    「何ですって!?」
    ラファウスが声を張り上げると、ルーチェは島から感じる魂の声を聞き取ろうとする。それは僅かに存在するエルフ族の苦しみと嘆き、そして一つだけ存在する深い憎悪の声。
    「うっ!ううっ……あぁっ!!」
    魂の声を聞き取った事によって頭を抱えながら叫ぶルーチェ。
    「ルーチェ!」
    ラファウスとマレンがルーチェを支え始める。ルーチェが感じている魂の声の中に存在する深い憎悪の声はどんどん大きくなっていく。


    忌々しい人間どもは我々を滅ぼした……そしてこの私をもコロした……

    ニンゲン……滅びろ……

    滅びロ……滅ビロ……ホロビロ……

    ホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロホロビロ……


    「うくっ……あの時と同じだ。物凄い恨みの声が響き渡るように聞こえる……」
    恐ろしい程の恨みの声を聞いたルーチェは何かに取り付かれたかのように過呼吸になり、苦しみ出す。それは闇王の城に佇んでいた闇を司りし者達の魂の声の比ではない恨みの声だったのだ。
    「ルーチェ!しっかりしなさい!」
    ラファウスが呼び掛けるものの、ルーチェは苦しむばかりである。
    「気を付けろ。何か妙な気配がする」
    リランの一言でラファウスは状況を確認し、ルーチェが聞き取った恨みの声の正体を推測する。即座に浮かんで来たのは、セラクであった。
    「……セラク。あなたでしょう?」
    そう言うと、突然ラファウスの元に小さな光が現れる。
    「うっ!」
    小さな光がラファウスに降り注ぐと、不意に意識が遠のき始め、視界が真っ暗になる。


    ……忌まわしき裏切り者の子よ……まだ私の前に姿を現すか……


    声の主は、セラクであった。暗闇の世界の中、幻影として現れるセラクの姿。
    「セラク……!」
    ラファウスに憎悪の目を向けるセラク。だがその瞳の奥からは悲しみの心が感じられる。人間に与する事を選んだ同族の反逆によって深く傷付き、邪悪なる者から闇の力を与えられては人間への憎悪と復讐のままに生きる存在へと堕ちた悲しきエルフの末裔である事を改めて痛感させられ、そして自身は悪しき人間によって領域を奪われたエルフ族の更なる悲劇を生んだ元凶となる者達の子である事実を突き付けられたラファウスは俯きながらも拳を震わせる。
    「セラク……あなたは死しても憎悪のままに魂として佇んでいたのですね。あなたとはもう解り合えないのは承知していますが……私達がこの地を訪れたのは、ある目的の為です」
    「何だと?」
    「私達の目的は、人としての償いを込めて、人間が引き起こしたエルフ族の悲劇のような出来事を繰り返させない世界にするという意思をあなた達に伝える為……」
    顔を上げ、強い意思が秘められた目をセラクに向けるラファウス。
    「人間には正しき心を持つ者も沢山存在している。そして私達は、今を生きる人々を正しき方向へ導く。人としての心を持つ多くの人間達と共に。命を失ったエルフ族の生まれ変わりが平和に生きられる世界にする為にも」
    ラファウスが想いを伝えると、セラクは冷たい笑みを浮かべる。
    「……クッ……クックックッ……笑わせる。下らぬ綺麗事もここまで来ると虫唾が走る。償いを込めてだと?貴様らが如何なる努力をしたところで、世界から愚かな人間が絶える事など絶対にあり得ぬ事。そんな綺麗事を理想にした世界など所詮は貴様らの夢物語でしかない。貴様らがどう償おうと、我々の悲しみは消えぬのだ。永遠にな!」
    セラクが血の涙を流しながらも凄まじい形相を向けると、ラファウスの周囲に多くのエルフ族の幻影が出現する。現れたエルフ族の幻影は苦痛の声を上げる者、悲しみの余り泣き叫ぶ者、絶望に満ちた声を上げる者等、ありとあらゆる形で苦しんでいる姿であった。


    痛い……クルシイ……

    助けて……タスケテ……

    ぎゃあああああああ!!があああああああああああ!!

    うわあああああああああああ!!助けてえええええええええ!!!


    「ううっ……!あああぁぁっ!!」
    耐え難い苦しみの声に耳を塞ぎ、蹲るラファウス。響き渡る無数の声は、聴いていると気が狂いそうな程であった。
    「これが人間どもの愚かさが招いた我々エルフ族の悲しみだ。そして裏切り者の子よ。貴様もこの私に想像を絶する程の苦痛を与えたのだからな」
    セラクの言葉でラファウスの脳裏に過去の戦いの出来事が浮かび上がる。自身の力でセラクの身体を貫き、血を大量に吐きながらも倒れていくセラクの姿。


    永劫の苦しみを味わう程の大罪を犯した人間を正しき方向に導く等といった下らぬ綺麗事の理想など、聞くにも値せぬ。忌まわしき人間どもの罪が生んだ、我々の深い悲しみを思い知れ───


    「ラファウス!ラファウス!」
    光が降り注いだ時、ラファウスは意識を失っていた。リランが必死で呼び掛けるものの、ラファウスは目を覚ます気配がない。
    「この感じは……怨霊だ」
    「何!?」
    落ち着きを取り戻したルーチェが言う。
    「ラファウスお姉ちゃんから怨霊の力を感じるんだ。さっき聞こえてきた声は、魂じゃなくて怨霊の声。おそらく深い憎悪の念によって生まれた怨霊がラファウスお姉ちゃんに取り付いたんだと思う」
    「何……だと!?」
    驚きの表情を浮かべるリラン。
    「怨霊って……もしかしてエルフ族の?」
    マレンの問いに頷くルーチェ。
    「下がってて。ぼくが救済の玉で怨霊を浄化させる」
    ルーチェは救済の玉を握り締めながら念じる。玉は眩い光を放ち、ラファウスの身体から小さな光が抜け出し、みるみると変化していく。現れたのは、深い憎悪と悲しみの顔が集まった怨霊そのものであった。
    「うっ、これは……!」
    身構えるリランに、ルーチェは更に念じる。救済の玉からの光に包まれる怨霊だが、浄化される気配はなく、様々な苦痛の声を辺りに轟かせる。
    「そ、そんな……ううっ!」
    怨霊による苦痛の声で再び過呼吸に陥ったルーチェはその場に蹲ってしまう。
    「ルーチェ!」
    「ルーチェ君!」
    リランとマレンが支えるが、ルーチェは過呼吸ながらも救済の玉を握る。
    「ぼくの事は気にしないで。リラン様……力を貸して欲しい。リラン様の光の力と併せれば……」
    「解った。魔力を与えるだけでいいのか?」
    「うん、この救済の玉に……」
    即座に理解したリランはルーチェが握る救済の玉に手を置く。
    「あと……マレン様。ぼく達が怨霊を浄化しているうちに、想いを伝えて」
    「え!?」
    「あの怨霊は、エルフ族の怨霊だ。マレン様が想いを伝える事に意味がある」
    ルーチェの考えは、怨霊として現れたエルフ族に償いの意思を伝える事であった。
    「……解ったわ。やってみる」
    理解したマレンはルーチェの言う通りに怨霊と向き合い、想いを伝える。


    私はアクリムの王族。私達の遠い先祖があなた方エルフ族を犠牲にした罪は、どんなに償っても償い切れないものだと承知しています。先祖がどれ程愚かで、どれ程人としての心を失っていたのか、王家として、人として許し難いものです。そして私達人間もあなた方エルフ族にとっては愚の骨頂となる存在なのでしょう。

    王国の過去の罪は、決して消えないもの。過去の罪を繰り返さないよう、そして人としての罪が招く悲劇を生み出さないような世界にする。それが私達の想いです。

    贖罪として、過去の罪を、あなた方エルフ族の悲劇を来世に伝えていき、永劫の大罪なき世界にしていくと此処に誓います。


    マレンが全ての想いを伝えた瞬間、怨霊が激しく苦しみ始める。深い憎悪を募らせているかのような、それでいて深い悲しみの咆哮を辺りに轟かせた。
    「……虫唾が走ル……笑わセるナ……貴様ラ人間どもの誓いなどをヲヲヲ……!!」
    その声はセラクの声であり、様々なエルフの声が入り乱れていた。リランとルーチェは光の魔力を最大限まで高め、救済の玉よりいずる浄化の光が怨霊の姿を溶かし始める。
    「ングオオオオアアアアアアアアアアアアァァァアアア!!」
    痛々しい程の苦痛の声を上げる怨霊。光は眩く輝き、視界を遮られる一行。


    ニンゲンンンンンン!!!オノレエエエエエエエ!!!ニンゲンドモオオオオオオオ!!!


    ……


    ……もうよせ、お前達。


    もがき苦しみながらも溶けていく怨霊の前に、男の幻影が現れる。
    「貴様……ボルタニオか!」
    幻影は、ラファウスの実父であるボルタニオであった。
    「お前達は人間の醜さに囚われたせいで、人間への憎悪を膨らませ過ぎたのだ。憎悪に蝕まれるがままに、お前達は醜き人間と同じ道を辿るようになっている。俺は……人間の良さを知っている」
    ボルタニオは哀れむように怨霊を見つめていた。
    「憎悪のままに生きる者は、いずれ全てに害を成す魔に堕ちる。元は我々の領域だった人間の住む町の中にも罪無き人間は存在していたはず。それが裁きでも、罪無き人間まで滅ぼす事も愚かな事だ。それを教えてくれたのが、ミデアンだった。ミデアンも醜き人間に虐げられていたが、心ある人間だった」
    拳を震わせながらも言葉を続けるボルタニオ。
    「……黙レ、裏切り者が!同族でアりながらモ人間を受け入レ、人間との間に子を生む禁忌に手を染めタ貴様の戯言などォォォ!!」
    溶けかけた怨霊の顔が醜悪なものに変化していく。
    「……セラクよ。何処までも哀れだな。死しても人間を憎悪する余り、心は死に切れていないという事か」
    ボルタニオが両手を広げると、全身が光に包まれ始める。
    「ミデアンは俺に心を許し、俺をずっと愛してくれた。俺は知ったよ。ミデアンの優しさは人間の優しさだという事を。人間の中には、罪無き優しさを持つ者も存在する。そんな人間を受け入れる事すらも許されぬのが掟とならば、己の全てを消し去ってエルフとしての宿命から解放される事を選ぶ。お前達と共にな」
    ボルタニオの全身を包む光は大きくなっていく。
    「グオオオオオオ!!貴様、キサマァァァ!!忌々しイ人間どもに与する裏切り者ガアァァァァ!!!」
    断末魔の叫び声を轟かせる怨霊は光の中で溶けながら蒸発していき、跡形も無く消えた。
    「……そこにいるのは……俺の子なのか……」
    ボルタニオは倒れているラファウスの姿を見つめながらも想う。


    この地はかつて我々の領域を奪った忌まわしき人間が住む王国の地であった。だが今は過去の過ちを悔やみ、命を落とした同族達への償いと弔いの意を抱く人間達が存在している。

    その事を知った俺は、此処で心ある人間が訪れるのを待っていた。死してもミデアンや、名を付けられる事もなく引き離された我が子にもう一度会いたいという想いから、精神体として地上に留まる事が出来た。

    だが、訪れたのは憎悪と悲しみに囚われた同族の念ばかりであった。怨念となった奴らは手の付けようがない程のものとなっていた。

    光ある人間達が奴らを蝕んでいた憎悪という名の闇を浄化しようとしていたから、俺は奴らと共にエルフとしての宿命から解放される事を選んだ。

    俺は知りたかった。今を生き、心ある人間が我々についてどう考えているのかを。

    そして、想いを知る事が出来た。想いを伝えたのは、かつてエルフ族の領域を奪った忌まわしき王国の者であった。

    死を迎えた我々はいつか新しき命へと生まれ変わる。来世が心ある民の暮らす世界で生きられる存在である事を願いたい。皆と共に。

    我が子は今、此処にいる。ミデアンはもうこの世にいない。ミデアンは……死後の世界と呼ばれる場所で俺を待ち続けているのだろうか。それとも───。


    薄らいでいく光の中、ボルタニオの幻影は静かに消えていった。
    「今のは一体……」
    怨霊が完全に浄化された事を確認したリランは状況が把握できず、呆然としていた。ボルタニオの幻影は、リランにも見えていたのだ。


    意識を失ったラファウスは、再び夢を見ていた。見慣れない光景が浮かび上がる。ラファウスが見た夢の中に現れた一人の少女、ミデアン───傷だらけの姿で辿り着いた場所は、エルフ族が暮らしている里。ミデアンに手を差し伸べるエルフ族の若者。周囲のエルフ族から敵意を向けられる中、若者は人間であるミデアンを洞窟へ匿う。


    お前は人間のようだが……何故此処に来た?

    ……帰る場所を……失ったの。悪い人達のせいで……。

    ……そうか。お前も愚かな人間に苦しめられていたんだな。本来は許されざる事だが、お前からは何の悪意も感じられん。我々と同じようなものだ。例え人間であろうと、悪意なき者を討つ理由は無い。俺が面倒を見てやる。


    ミデアンを受け入れたエルフ族の若者はボルタニオ。心無い人間による酷い仕打ちを受け、備わる風の力で無意識に人を殺害した事によって迫害を受けたという事情を聞かされた事で憐みと住む場所を失った事への共感を抱き、同族から白い目で見られながらもミデアンを世話するようになった。共に暮らしているうちに心を通わせるようになり、ミデアンは次第にボルタニオに惹かれていく。行き場の無い自分を助け、献身的に世話してくれる存在であるボルタニオがエルフ族であろうと構わない。唯一自分を救ってくれた存在だから、ボルタニオを愛するようになった。そしてお互い愛し合うようになった。


    ねえ……本当に此処にいてもいいの?もしあなたに何かあったら、私……。

    構わないさ。お前は良い人間だ。こんな俺でも解る。

    ボルタニオ……良い人間は私だけじゃないわ。

    何?

    私はたまたま悪い人間ばかり住むところに拾われただけ。でも、私が住んでいたところにも良い人間はいたの。その人は悪い人間と関わっていたけど、決して悪い人じゃなかった。親がいない私を育ててくれたから……。どんなところでも、良い人間だっている。私はそう信じたい。

    ……。

    ……いつか、良い人間が暮らすところへ行きましょう。あなたにとっては難しいかもしれないけど、私が助けてあげる。あなたには助けられたから、今度は私があなたを助けたい。

    ……ミデアン……お前……。


    ミデアンを育てた人物は、ラムスの密輸組織に属する人間でありながらも、人の心を持っていた。その人物は妻と子を亡くし、やがて財産をも失ってしまい、路頭に迷っていたところを闇の組織に拾われ、孤児であったミデアンを育てる役目を与えられた。心から妻と子を愛していた彼は、ミデアンを実の娘のように育てていたのだ。だが彼は、ミデアンが成長した頃にこの世から去っていた。死因は、闇の組織同士の抗争に巻き込まれた事によるものだった。


    ミデアン。俺は……長の考えについて行けないと思い始めているんだ。もし俺が人間だったら、お前を幸せに出来たかもしれないのにな……。

    ボルタニオ……

    ……どんなに良い人間でも、受け入れてはならないという掟さえなければな。如何に忌まわしい過去があったにしても、俺は長に付いて行きたいとは思えないんだ……。


    ボルタニオはミデアンをそっと抱きしめる。ミデアンは涙を溢れさせ、ボルタニオはずっとミデアンの身体を抱きしめていた。エルフ族の長であるエイルスの考えとは、人間を受け入れてはならないという掟を破りし者には裏切り者として死の裁きを与えるというものであり、ミデアンを追い出さなければ裁きを下すという通告を受けていたのだ。ミデアンを心から愛していたボルタニオは、同族と決別してまでミデアンと共にする事を選んでいた。周りが敵になっても、俺はお前と一緒にいたいと呟きながらも───。


    「……うっ……」
    目を覚ますと、ラファウスは室内のベッドで寝かされていた事に気付く。そこは、アクリムの王宮の客室であった。今いる場所を確認しようとするラファウスは実の両親となる者達の夢を見たせいで、頭がぼんやりとしていた。
    「ラファウス様!気が付きましたか?」
    マレンがリラン、ルーチェと共にやって来る。
    「私、あれから何が……?」
    「エルフ達の怨霊に取り付かれて気を失っていたんだ。ぼくが聞いた声は、全て怨霊の声だった」
    ラファウスに取り付いた怨霊はリランとの協力による光の力で浄化された事を話すルーチェ。続いてリランが浄化の際、ボルタニオと呼ばれたエルフの幻影が現れ、人間の良さを知っていると告げながらも怨霊と共に消えた事を伝える。
    「ボルタニオ?私の本当の父上が……?」
    自分の知らないところで実父が現れていた事に驚きを隠せないラファウス。そしてマレンがルーチェの言葉を受けて償いの意思を伝えたという事を話すと、ラファウスは様々な想いを抱きつつも三人に礼を言い、意識を失っている間に見た夢の内容を打ち明ける。
    「本当の父上はエルフであっても、人を受け入れられる心がある。いえ、人間である母上が父上の心を変えた……と言う方が正しいのでしょうか」
    ラファウスが呟くように言う。
    「彼は、人の良さを知るが故に同族が深い憎しみに堕ちていくのが耐え難いと感じていたのかもな。人の愚かさが多くの犠牲を生んだ挙句、同族同士の対立を生み、深い憎しみと悲しみの塊として佇み続けていた。人の罪がこれ程救われぬものになるとはな……」
    リランは改めて人の罪の愚かさを思い知り、エルフ族の憎悪と悲しみの意味、同族と共にこの世から消えたボルタニオの想いについて考え始める。
    「エルフ達の声を聴いた時は、とても胸が痛む思いでした。長い間、人を激しく憎みながらも苦しみ続け、何処か救いを求めているような……そうなってしまったのはアクリムの王家が過去に犯した罪によるものだと思うと、私……」
    マレンは言葉に出来ない思いのまま項垂れる。王国の血塗られた歴史とされているエルフ族の領域への侵攻はテティノと共に王妃から聞かされ、決して忘れてはならない王家の罪だと代々伝えられている。侵攻の犠牲となり、怨霊となったエルフ達の深い憎悪と悲しみの声はマレンの心に重く圧し掛かり、過去のアクリム王国の罪の大きさが如何程のものかを思い知らされていた。どんなに償いの意思を伝えても、憎悪と悲しみは消える事は無い。怨霊と化したエルフ達は、最後まで人を憎みながらもこの地上から消えたのだから。
    「……マレン王女」
    ベッドから出たラファウスは身支度を整え始める。
    「ご協力感謝します。私達は次なる目的地へ向かいます。どうか、事の全てを国王陛下にお伝え下さい」
    そう言って、部屋から出ようとするラファウス。
    「行くのか?」
    「……こちらでやるべき事は全て終わりました。さあ、行きますよ」
    冷静な声で返答し、ラファウスは部屋から出る。リランとルーチェはラファウスの後を付ける。
    「あ、あの!」
    マレンが呼び掛けると、リランが立ち止まる。
    「私も……お父様、お母様と共に、出来る限りの協力をさせて頂きます。王国として、人間としての償いの為にも……世界中に過去の罪と悲劇を伝え、永劫の平和を守れるように精一杯頑張ります!」
    マレンの強い意思が感じられるその一言にリランは心を打たれ、黙って頷いては再び歩き始める。王宮を後にするラファウス達を見守りつつも、マレンは弔いの湖で起きた一連の出来事をアクリム王に報告し、ラファウス達への協力の意向を固めた。


    天国のお兄様……私はお父様、お母様と共に王家の償いの為に、そして世界の平和を守る為にも頑張ります。

    永遠に消えない憎しみと悲しみがいずる事のない世界へと導くのが、今を生きる私達の使命。

    お兄様……どうか私達を、見守っていて下さい……。


    亡き兄テティノへ想いを捧げつつも、マレンはテティノの墓の前で祈り続ける。瞳からは一筋の涙が溢れていた。旅を再開し、次なる目的地へ向かおうとしているラファウスは思う。


    夢の中に現れた本当の両親は、人としての心を持っていた。お互い受け入れ、そして愛し合っていた。だからこそ私は、人を信じられるのかもしれない。

    もし私が人の愚かさを目の当たりにしていたら、私までも心が人への憎しみに染められていたのだろうか。旅立つ前に見たあの夢はその事を意味していたのだろうか。

    マレンが伝えた私達の想いは、全ての死したエルフに伝わらなかったわけではない。幻影として現れた父上は、人の良さを知っていると言っていた。人の良さを知っているから、父上は想いを受け止めていた。そう信じたい。

    私達は今、この旅を通じて人として大事な事を世界中に伝えなくてはならない。人の愚かさによる災いと悲劇を生み出さない、本当の平和な世界にする為に。

    レウィシアによって救われたこの世界を、真の平和へと導くのが私達の使命だから───。


    定期船に乗り込んだラファウス、リラン、ルーチェは次なる目的地へ向かう。真の平和へと導く旅はまだ始まったばかりであった。
    断罪と悲しみの中で
    世界は平和を取り戻した。しかし、平和が戻っても罪を背負いし者は多く存在する。

    罪人は己の罪を償う義務がある。罪への裁きは国の権力者が下すものであり、全ての民が裁く事でもある。

    人として許されざる罪を犯した者への裁きもまた、国に住む民と権力者が裁くもの。

    民が集まる場所で裁かれようとしている罪人達は、国の財産を目当てに多くの命を奪った愚者であった。そんな彼らに下される裁きとは───。


    ブレドルド王国───オディアンとブレドルド王が帰還してから一ヶ月余りが経過した頃、破壊された建物や住居の復旧活動が積極的に行われていた。街中には幾つかの爪痕が残るものの、少しずつ活気を取り戻しつつあった。城の地下に多くの人々が集まっている。そこは王国の裁判所であり、『人として許されざる罪を犯す罪人でも、裁くのは一人ではなく全ての民』という王の考えに基づいて設けられたものであった。以前、城の財産を目当てに猛毒が塗られた矢を放つクロスボウで多くの兵士を毒殺し、城内を襲撃した盗賊一味の裁判が行われようとしているのだ。オディアンを筆頭とする兵士達に連れられ、法廷に立つ三人の盗賊。その中の一人は片腕をオディアンに切断された事によって完全に失った状態であった。裁判員となる人物が次々と現れ、裁判官は大臣が務めていた。そしてその背後には二人の兵士を傍らに、ブレドルド王が居座っている。
    「静粛に!これより開廷します。被告人、前へ」
    ハンマーを叩く音と共に、盗賊一味の裁判が始まる。大臣から名前と出身地、身分を聞かれた際、盗賊一味はそれぞれの名前───ソドム、アロン、ダッカーと名乗り、闇の都市ラムス出身の盗賊である事を明かした。検察官が起訴状を読み上げると、法廷内が緊迫感に包まれる。
    「あなた方は猛毒の矢で我が王国の兵士と侍女数名を殺害した。犯行の目的は城の宝が狙いである事。これは事実で間違いありませんね?」
    大臣の問いに盗賊一味は黙って頷く。
    「かつてあなた方は闇の都市ラムスに存在する闇組織に身を置き、現在では組織を離脱、流浪の盗賊として各地を流離い、今回の事件に至った。あなた方が所属していたラムスの闇組織はどのような組織かお答え頂けますか?」
    「……賊殺団、という組織だ」
    盗賊一味のソドム、アロン、ダッカーは元々ラムスの闇組織の一つである賊殺団の構成員で、身寄りのない街の荒くれとして過ごしていたところを賊殺団の親玉に拾われた身であった。だが、組織の任務による成果を思うように出す事が出来ず、無用者と判断され、死刑宣告を言い渡された三人は組織から離脱した。居場所を無くした三人は生活資金を稼ごうとトレイダにて職を探すものの、ろくに雇える場所に巡り会えず、仕事を見つけられても店主との折り合いが悪く、長続きしないという有様であった。まともに働く事すらも出来なかった三人は流浪の盗賊として生きる事を選び、巨万の財産を狙い続けていたのだ。その他、使用していた猛毒の矢を放つクロスボウの入手ルート等一連の尋問が終わると、兵士から三人が使っていたクロスボウの残骸が提示され、検察官と弁護人による弁論が始まる。
    「社会から弾き出され、行き場を失った末に多くの人々を犠牲にしてまで我が王国の城の宝を狙った。彼らの暴挙が多くの命を奪った。犠牲になった人々はもう戻らない。人として許されざる大罪です」
    検察官が声を張り上げて主張する。
    「彼らの背景には闇の都市ラムスに存在する闇社会の組織があった。彼らは組織から弾き出された故に行き場を失い、真っ当に働けるような職に巡り会う事も出来ず、生活出来る程の財産がない状況だったという供述があった。つまり彼らは生きていく為には如何なる方法でも致し方なかった。彼らもまた闇社会が生んだ被害者だと考える事も出来るのではないか?」
    弁護人が主張を始めるものの、検察官は異議を示す。
    「だが、例え自身が生きていく為といえど、罪無き人を無差別に殺害するという行為が許されても良いものか?如何に財産が底を尽き、生活が出来ない状況に置かれていても城の宝を狙う事は疎か、その過程で人を殺害する事は決して許される事では無い。現に、犠牲となった者達の遺族の方々から訴訟があり、人として許してはならないという怒りと悲しみの声があるのです」
    双方による弁論が行われる中、三人の盗賊達は微動だにせず、棒立ちのまま立ち尽くしていた。裁判の様子を傍観していたオディアンは険しい表情で盗賊達の姿を見据えている。
    「では改めて問う。あなた方が殺害した兵士達や侍女及び、我が王国には何らかの個人的な恨みは一切無い。今回起こした事件はかつて所属していた『賊殺団』という組織の命令によるものではなく、あなた方の独自による計画的犯行である。そして動機はただ生活出来る財産が欲しかったが為。そういう事で間違いありませんね?」
    「……そうだよ」
    「あなた方が所属していた組織から離脱した後、トレイダで職を探し、働こうとしていたのは真人間になる意思が少しでもあったという事ですか?」
    大臣の更なる問いにソドムとダッカーは一瞬顔を見合わせ、アロンは俯いたまま何かを考えている様子であった。
    「……まあ、その時は少しあったよ。少しくらいはな。食っていける金が欲しかったもんでね。でも、俺達をちゃんと雇ってくれる奴らは何処にもいなかった」
    「その理由はあなた方に非はないと言い切れるのですか?」
    「何もねぇってか、俺達が悪だからってどいつもこいつもまともに使ってくれなかったんだよ。人手は十分間に合ってるだの、みずぼらしいならず者はいらねぇだの、お前らのような奴らがいるせいで店のイメージが悪くなるだのと、何処へ行っても無駄だった。カタギになろうとしてもなれるわけがねぇ。言える事はそれだけだよ」
    ソドムとダッカーが淡々と問いに応じるが、アロンはひたすら無言で俯いていた。
    「その時に少なからず真っ当に働く意思はあったとならば、その意思を何故曲げてしまったのか。もし彼らを人材として受け入れる場所が一つでもあらば、彼らは非人道的な行いに走る事は無かったのではないか?闇の組織に関わっていた者には陽の当たる場所に佇む事すら許されぬのだろうか?行き場を失った彼らに手を差し伸べる者が誰一人いない事も関係しているのではなかろうか?」
    「否。彼らが職を求めていた場所はトレイダだけであろう?それ以外の街や王国で安住の地と働ける場所を求めるという考えはなかったのか?」
    再び弁護人と検察官による弁論が始まる。
    「例えトレイダがならず者と呼ばれる輩に閉鎖的であっても、世界には彼らでも同じ人間として受け入れる場所は必ず存在すると私は考えている。今あなた方にお聞きする。トレイダ以外の街や王国でカタギになるという考えまではなかったのですか?」
    検察官の問いに三人は沈黙する。
    「一般人の間ではならず者と呼ばれる存在は煙たがられているが故、彼らは他の街や王国でも恐らく同じ運命を辿っていた。どうも私はそんな気がしてならぬのです。このブレドルド王国においても、彼らを人材として雇える場所は存在していると言えますか?」
    弁護人が意見を述べると、検察官は険しい表情を浮かべる。法廷は沈黙に支配され、緊迫感と共に重い空気が支配する。
    「確かにこのブレドルド王国には彼らを雇える場所は存在すると言い切れるわけではない。しかし、問題はそんな事では無い。一番の問題は彼らが所持していた猛毒の矢で罪無き人々の命を奪ったという犯行なのです。訴訟を起こした遺族の方々の声を聞いて頂きましょう」
    検察官の一言で、兵士達に連れられた犠牲者の遺族一同がやって来る。その中にはアイカを連れたベティの姿もあった。
    「お前達の事情がどうあろうと、息子を殺したのはお前達だ。息子の命はもう戻らない。息子を返せ!」
    「あんた達がジェシーを殺したのよ!この人殺しども!」
    次々と感情的に怒鳴りつける遺族達。三人は何も言わず、無表情で黙り込んでいた。
    「お父さんを……返して……お父さんを返してよお!」
    アイカが涙声で言う。
    「……あんた達は最低だよ。どうして……どうして自分達の為に罪の無い人を殺したの?いくら金が欲しいからって……人の命を奪ってまで強盗なんかしたところで、行き着く先は破滅でしかない。あんた達が奪ったものは二度と戻って来ないものなんだよ。あんた達は悪魔だよ!」
    続いてベティが怒鳴りつける。
    「如何ですかな。これが彼らによって命を奪われた者達の遺族の方々の声です。彼らの行いは大罪である事に変わりない。生きていく為に致し方ない事情だとしても」
    検察官の一言に、弁護人は唇を噛み締めながらも沈黙する。弁論は最終段階に突入し、判決の時が来ると、陪審員となる人物が十二人登場する。
    「では陪審員の皆様。有罪か無罪かの意思をご提示下さい」
    陪審員が次々と挙手する。それは有罪か無罪かの意思表示であり、有罪であらば挙手、無罪であらばそのままという方式であった。挙手した陪審員の数は十人。残りの二人も半ばぎこちない様子で挙手し、陪審員全員は有罪の意を示していた。オディアンは固唾を呑んで判決の行方を見守っていた。
    「最後に、何か言う事はありますか?」
    大臣が問うものの、三人は何も言わず、ひたすら沈黙している。
    「では、判決を言い渡します」
    張り詰めた空気に包まれた法廷に轟くハンマーの音。
    「判決は……有罪とし、孤島の監獄での流刑に処す」
    有罪判決にどよめく法廷。傍聴している人々の中には死刑を望む者も少なからず存在していた。オディアンを含む数人の兵士達が三人を取り囲む。
    「……クッ……クックックッ……あはははは……あはははははははははは!!」
    アロンが狂ったように笑い始める。
    「死刑にされるのかと思えば、流刑で済ますのかよ。全く面白おかしくて笑えるぜ。いっそのところとっとと殺してくれれば良かったのになあ!俺達はシャバに出てもカタギになれやしねえ、クズ中のゴミクズだ。特に俺なんてこの通り、片腕無くしちまったんだしなぁ……あははははははははははは!!あははははははははははは!!」
    死んだ目で笑い続けるアロンの姿に、法廷にいる人々全員が呆然としている。精神に異常をきたし、崩壊しているのだ。
    「どうせ死ぬんだ。最後にいい事教えてやるよ。俺はな、この城の宝を手に入れたら猛毒の矢でこいつらも殺そうと考えていたんだ。手に入れた財産を全部俺のものにする為にな」
    「なっ……どういう事だ!?」
    アロンの本心を聞いたソドムとダッカーが愕然とする。非人道的な凶行の末に狂い、仲間をも裏切ろうと考えていたというアロンに醜悪なものを感じ取ったオディアンは込み上がる怒りを抑えていた。
    「あはははははははは!さあ偽善者ども。さっさと監獄に連れて行けよ。そこでてめぇらの望み通りに朽ち果ててやるからよぉ……俺達がくたばるのがてめぇらの望みなんだろぉ?もう俺達に何の希望もねぇ。クズに相応しくくたばってやるよ……あは、はは、あはははははははははは!あははははははははははははははははははははははははははははは!!」
    精神崩壊を起こしたアロンはひたすら笑い続けている。オディアンは殺意が込められた目でアロンを見据えながらも、兵士達と共に連行していく。ブレドルド王は盲目ながらも、法廷を後にするオディアン達を無言で見守っていた。

    城の裏口の水路に停めている小舟に乗り込み、監獄のある孤島へ向かう。小舟の中、オディアンに抑えられたアロンは崩れた表情で笑い続けている。ソドムとダッカーは兵士達に刃を突き付けられた状態で、終始無言に徹していた。数時間後、小舟は孤島に辿り着く。孤島に存在するのは岩場と地下に続く秘密の階段であった。階段を降りた先には、監獄が設けられていた。ブレドルド王家の先祖が王国の重罪人を投獄する場所として設けた監獄であり、現在も重罪人の投獄に利用されている。存在するものは牢獄であり、牢屋は重々しく頑丈で、鉄格子には電流が流れているという仕組みになっており、如何なる罪人も脱出不可能と言われている。しかも監獄内は、牢屋の中で朽ち果てた罪人達の腐乱死体による腐臭に満ちていた。それぞれの牢屋に投獄されていく三人の盗賊。牢の扉が閉められ、鍵が掛けられると、オディアンはアロンに鋭い目を向ける。
    「……もう貴様等に話す事は無い。貴様等の顔を見るだけでも吐き気がする。死刑判決にまで至らなかった事を有難く思え」
    静かな怒りに満ちた声で言うと、兵士達と共に監獄から去るオディアン。流刑となった三人の盗賊は、孤島の監獄の牢屋で残りの人生を過ごす事となったのだ───。


    王国に帰還したオディアンは城へ向かおうとする。そこに、アイカとロロを連れたベティがやって来る。
    「む、あなた方は……」
    ベティの傍らにいるアイカの姿を見て内心戸惑うオディアン。スフレの事をアイカに話すべきか迷っているのだ。
    「オディアン兵団長!この度は訴訟にご協力頂きありがとうございます」
    ベティが深々と頭を下げる。ベティも訴訟を起こした遺族の一人で、オディアンを通じて裁判を起こす事を試みたのだ。
    「いえいえ。我が王国の裁判制度は国王陛下のお考えに基づいて出来上がったもの。如何なる罪人でも、全ての民が裁くというのが陛下のお考えですから」
    返答するオディアンに、ベティは改めて礼を言う。
    「ねえ、兵団長のおじさん」
    アイカがオディアンに声を掛ける。
    「スフレお姉ちゃんは?スフレお姉ちゃんはどこにいるの?」
    案の定な質問が来たと思い、オディアンは一生懸命考えを整理する。
    「アイカはあれからずっとスフレちゃんに会いたがっているみたいで。この子ったら本当にスフレちゃんの事が大好きだから……」
    ベティがアイカの描いたスフレの似顔絵を見せると、オディアンはますます言葉を詰まらせてしまう。どうする?ここは正直に話しておくべきか?と自分に言い聞かせるものの、法廷で父の死に悲しみ、泣き叫ぶアイカの姿を思い出しては躊躇してしまう。
    「スフレは……今旅に出ている。まだやるべき事があると言ってな」
    真実を告げず、俯きがちで淡々とアイカに言うオディアン。
    「そうなんだ……」
    アイカの悲しそうな表情を見たオディアンは、嘘を言ってしまった気まずさと共に申し訳ない気持ちになってしまう。まだ幼いこの子は父の死を深く悲しんでいる。そんな中で更なる悲しみを与えるわけにはいかないという思いやりによる嘘であった。
    「スフレお姉ちゃん……いつ帰ってくるの?スフレお姉ちゃんと遊びたいよ……」
    寂しそうに言うアイカ。
    「……済まない。そこまでは私にも解らない。平和になった世界を守る為の大事な旅だからと言っていたからな」
    生真面目な性格上、嘘を付く事に不慣れなせいか半ばぎこちない様子のオディアン。ベティはそんなオディアンから何か隠し事をしていると感じたのか、怪訝な顔をしていた。
    「私はこれにて失礼します。国王陛下に報告せねば」
    城へ向かって行くオディアン。
    「あ、おじさん!」
    アイカが呼び掛ける。
    「スフレお姉ちゃんに会ったら、アイカは元気だよって伝えておいて!あたし、スフレお姉ちゃんが帰ってくるの、ずっと待ってるから!」
    アイカの言葉を聞く度、オディアンは胸が痛む思いをする。スフレは邪悪なる存在の手に掛かり、命を失ったが故にあの子の願望はもう叶わぬ事。如何に嘘を付いてまで真実を隠しても、いずれは知る事になる。だが、あの子にはこれ以上の悲しみを背負って欲しくなかった。父を失い、更に慕っていた人まで失う二重の悲しみは幼心に深い傷を残し、影を落とす事になるだろう。元々嘘を付く事が嫌いだったから、本当はこんな嘘を付きたくなかった。もし真実を知る事になれば、自分は嘘つきな大人と軽蔑されても仕方が無い。だが、あの子には幸せに生きて欲しい。あの子のように、今を生きる子供達の為にも俺は───。


    「戻ったか、オディアンよ」
    ブレドルド王を前に跪くオディアン。傍らに大臣がいる。
    「私が囚われている間、邪悪なる存在のみならず、あの監獄を使う程の大罪を犯した人間までも現れるとはな。例え世界が平和を取り戻しても、人の罪は消える事は無い。だからこそ、我が王国の裁判制度は非常に意味がある」
    オディアンは跪きながらも、王の言葉を心に刻み込んでいた。
    「オディアンよ、一つ問う。もしお前にあの賊達を裁く権利を与えられたら、どう判決を下す?」
    僅かな沈黙が支配すると、オディアンは顔を上げる。
    「……私ならば、躊躇なく死刑判決を下します。大臣も仰っていましたが、あの賊達は非人道的な行為に手を染め、人の心を捨てた存在でしかありません。罪を償う権利はあっても、犠牲は深い悲しみを残し、失われた命は戻らない……自身の為に幾つもの罪無き命を奪う行いは、断じて許してはならない大罪だと私は考えています」
    法廷で泣き叫ぶ遺族達やアイカとベティの姿を浮かべながらも、オディアンは率直な気持ちを王に伝えた。
    「お前の考えは決して否定はせぬ。かといって正しいとも言わぬ。だが……忘れてはおらぬな?あの時の事を」
    王の言うあの時とは、十数年前の賊一味による非道な行いへの怒りの余り自我を失い、命を奪う勢いで賊一味を斬り付けていくオディアンに鉄拳を振るった時の出来事であった。
    「人の心を捨てた愚者はいつの時代にも存在するもの。人間社会の闇に苛まれ、愚者へと堕ちた人を裁くのも人だ。あの賊達も我々を含めた全ての民によって裁かれた。今後もし人の中に大罪を犯した者が現れても、民の声と罪人たる者の声を聞き入れ、人としての正しい在り方で裁く事を忘れるな。お前は、罪を犯した愚者を裁く民の一人に過ぎぬのだからな」
    王の言葉を受けたオディアンは深々と頭を下げる。王との対話を終え、謁見の間を後にしたオディアンは身体を休めようと休憩所に向かおうとするが、ベティがやって来る。
    「ベティ殿。何故此方へ?」
    ベティは訝しむようにオディアンを見つめている。
    「……すみません、オディアン兵団長。どうしても気になる事があってお聞きしたい事があるのですが」
    オディアンはまさかと思いつつ、僅かに表情を強張らせる。
    「その……スフレちゃんは本当にやるべき事があると言って旅立ったのですか?私の思い過ごしかもしれませんが、失礼ながら何か隠し事をしているような気がして、どうしても……」
    明らかに疑っていると察したオディアンは本当の事を言わざるを得ないと考えてしまう。
    「……解りました、ベティ殿。本当の事をお伝えします」
    オディアンは緊張した面持ちで真実を話すと、ベティは愕然とする。
    「まさか、スフレちゃんがそんな事に……それで私達に嘘を?」
    「嘘を言った事は深くお詫び申し上げます。そしてこの事は、アイカにはご内密にするようお願いします。あの子はまだ幼い。私は……アイカにこれ以上の悲しみを与えたくなかったのです」
    父の死を深く悲しんでいるアイカにスフレの事を知らせると更なる悲しみに苛まれ、アイカの人生に大きな影を落とす事になる。まだ幼いアイカにとっては二重の悲しみは残酷すぎる。一つの悲しみを経験したアイカが成長し、如何なる悲しみを受け止められる頃になるまでは下手に告げるわけにはいかないと考えていた事を打ち明けるオディアン。ベティはオディアンのアイカに対する思いやりに心を打たれ、涙を零しながらもオディアンの意向を汲み取る。
    「オディアン兵団長。真実をお教え下さってありがとうございます。勝手なお願いですみませんが、天国のスフレちゃんにアイカの想いを……届けて頂けますか」
    ベティの願いをオディアンは快く引き受ける。感謝の意を込めて礼を言い、去り行くベティの姿を見たオディアンはふと父について考える。父は生まれた頃に凶悪な魔物との戦いで戦死していたが、剣聖の王であるブレドルド王に仕える誇り高き王国の騎士としての名声を轟かせていた存在であった。父との思い出は無いものの、母からは父について色々聞かされていた。子供心に父の存在や王国の英雄に憧れ、血筋の影響もあるのだろう、戦士兵団の騎士を志願して父譲りの騎士となった。英雄の闘志を継ぐ兵団長として光ある者達と共に邪悪なる存在に挑み、今に至る。騎士としての誇りは父から譲り受けたものであり、人を守る心は、人としての思いやりを持つ母から譲り受けたもの。誇りは、決して失ってはならない。平和となった世界を守り続けるのに必要なものは民を守る騎士としての誇りであり、人としての心だからだ。そして、仲間として行動を共にしたスフレの事も考える。賢者としての実力を持ち、常に明るく天真爛漫に振る舞うスフレの姿には、何処か安心させられていた。人や大切な仲間を守るのが騎士としての使命であり、ヴェルラウドと共に蘇った闇王を討つという大きな使命を背負ったスフレも守るべき存在であった。王からの任務でボディガードとして共にしているうちにお互い信頼関係が生まれ、そして大切な仲間だと認識するようになった。ケセルの卑劣な手によって命を失ったスフレや、父の死を悲しみながらもスフレの帰りを待ち続けるアイカの事を思うと己の無力さに怒りを覚える。もし自身の命が与えられるのならば幾らでも与えたいものだが、一度失った命は戻らないのが定め。罪無き者の命が奪われ、深い悲しみを生む世界にしない為にも、これから出来る事は───。

    「……陛下。勝手ながらで申し訳ありませんが、私はこれから賢者の神殿へ向かいます。邪悪なる者の手によって命を失った仲間に伝えなくてはならない事があるのです」
    オディアンの申し出に王は快く引き受ける。
    「気にせずに行くが良い。お前の仲間の事もマチェドニルから聞かされておる。時折顔を見せてやると良いだろう」
    王の温かい言葉に感謝しつつも、オディアンは賢者の神殿へ向かう。マナドール達による復旧作業が行われている賢者の神殿跡に辿り着くと、デナがオディアンの元へやって来る。
    「あら。どこかで見覚えがあると思えばあの時のデクの棒ですの?」
    「オディアンだ。デクの棒ではない。お前達が何故此処に?」
    「リラン様からの頼みで神殿の復旧作業をしていますのよ。デクの棒とお会いするのも久しぶりですわね」
    デクの棒呼ばわりしながらも高飛車に振る舞うデナと、一生懸命仕事をしているマナドール達を見て懐かしさを感じたオディアンは表情を綻ばせる。そこに、マチェドニルがやって来る。
    「おお、オディアンではないか。久しいな」
    「こちらこそお久しぶりです、賢王様」
    オディアンは挨拶をしつつも、スフレにアイカの想いを伝える為に訪れた事を話す。
    「ふむ、なるほどのう。実は数日前にラファウスがやって来てな。リラン様とルーチェを連れて再び旅立ったのじゃよ」
    オディアンが訪れる数日前にラファウスが神殿に訪れ、人の罪の愚かさと過去に起きたエルフ族の悲劇を世界中に伝えていく為にリラン、ルーチェと共に旅立っていたのだ。
    「なんと、あの子達がリラン様とそのような旅を……!?」
    「うむ。まさかあの子にあれ程の行動力があったとはのう。レウィシアが己を捨ててまで救った世界の平和を守らなくてはならないという使命感が備わっていたのじゃろうな」
    呟くようにマチェドニルが言うと、車椅子に乗ったヘリオが現れる。
    「おや、これはヘリオ殿」
    「フン、誰かと思えばブレドルドの騎士オディアンか。まさかお前も旅立つつもりなのか?」
    「いえ。スフレの弔いに訪れた、と言ったところです」
    「そうか」
    ぶっきらぼうに振る舞うヘリオの足は包帯が巻かれており、車椅子は賢人によって押されていた。ヘリオも神殿でレウィシアの帰りを待ち続けており、時折車椅子を利用して外の空気を吸いに出ているのだ。オディアンはマチェドニルに案内される形で、スフレの墓の前にやって来る。墓標は冥神の力による嵐の影響で多少壊れかけているものの、再び花が添えられ、スフレが使っていた杖も添えられていた。
    「スフレよ。これはアイカからの言葉だ。『アイカは元気だよ』とな」
    オディアンはアイカの想いを伝えると、マチェドニル、ヘリオと共に黙祷を捧げる。スフレの弔いを終えたオディアンは神殿を後にし、再び王国へ向かう。


    世界の平和を守るには、この世界そのものを変える事が必要なのだろうか。

    罪を犯す愚者となった人は、人の闇からいずるもの。あの子達は、人の闇と全ての罪を生まない世界に変えようとしているのだろうか。

    これからも何らかの罪を犯した者が現れる事にならば、一人の民として罪を裁く事になるのだろう。だが、人としての正しい在り方による裁きは決して忘れてはならない。それが国王陛下のお望みであり、断罪に酔いしれる余り、正しい心を失ってはならない。

    もしあの子達が俺を必要とする時が来れば、幾らでも力になるつもりだ。罪が生んだ犠牲による悲しみを背負う者達、そして今を生きる民の為にも。

    そう、これからが始まりなのだ。太陽となった一人の王女によって平和を取り戻したこの世界を守る為にも───。
    死を越えた想い、そして……サレスティル王国の城下町の広場に立てられたシラリネの墓。王国へ帰還したシルヴェラはヴェルラウドと共にシラリネへの弔いを捧げていた。
    「シラリネ……私は母親失格だ。お前までもがこんな事になろうとは……許せ……」
    シルヴェラは涙を流しつつも、娘であるシラリネの墓を前に詫びる。ヴェルラウドはシルヴェラの傍らで黙祷を捧げていた。

    王女シラリネを失い、ゲウドによって多くの人々が浚われ、多大な犠牲を残したサレスティル王国。冥神が倒された事で世界は平和を取り戻し、女王であるシルヴェラの帰還に国民は大いに喜び、宴が開かれた。宴の夜、ヴェルラウドはバルコニーでシラリネと過ごした時の事を振り返っていた。


    自分が王国に災いを呼び寄せていると思い悩んでいた際、シラリネから優しい言葉を掛けられ、突然仕掛けてきたキスの感触を思い出してしまう。

    あの時シラリネは俺にどういう感情を持っていたのだろうか。

    俺にとってシラリネは、騎士として守らなくてはならない存在。故郷で守るべき者達を目の前で失い、二度も守るべき者を失いたくない思いもあって、騎士としてシラリネを守る事を心に誓った。故郷を失った俺を快く受け入れてくれた女王の娘だから、騎士として守りたかった。だが、それも叶わぬ事であった。

    偽の女王の奸計に翻弄されるがままの俺を救う為、自らの死を選んだシラリネの姿。血に塗れたシラリネの遺体の感触は、未だに忘れられない。そして、ずっと信じられなかった。忌まわしき出来事が繰り返されたという現実と、二度も三度も守るべき者を守れなかった自分の無力さを恨むばかりであった───。


    夜空を見上げると、一つの流れ星が流れる。ヴェルラウドはシラリネから与えられたルベライトのペンダントを握り締めながらも、無数の星が鏤められた夜空をずっと眺めていた。
    「此処にいたのか」
    声と共に現れたのは、シルヴェラだった。
    「シラリネの事は本当に残念だが……お前は災いの根源を滅ぼしてくれたレウィシア王女の力になったのだろう?お前を責める理由が何処にある?」
    ヴェルラウドは何も言えないまま、俯き加減にシルヴェラの言葉を聞いていた。
    「このサレスティルも多大な犠牲を生んでしまった。失ったものが多すぎるな……」
    シルヴェラはバルコニーから夜の城下町を見下ろす。
    「……女王様。明日、私はクリソベイアへ……父ジョルディスの元へ向かおうと考えています。宜しいでしょうか」
    亡き父が眠る墓と、故郷であるクリソベイアに向かおうと考えていたヴェルラウドはシルヴェラに許可を求める。
    「構わぬ。私も付いて行きたいところだが、城の者を心配させるわけには行かぬ。ジョルディスに顔を見せてやるがいい」
    「ありがとうございます」
    ヴェルラウドが胸に手を当てて礼を言うと、シルヴェラは旧知の仲であるエリーゼとジョルディスの事を想う。


    エリーゼ……ジョルディス。お前達の子は、お前達を越えたようだ。

    ヴェルラウドは、世界を救う太陽となったレウィシア王女を守る為に戦い抜いていた。お前達の子が女王となった私の元を訪れたのは運命だったのだろう。

    お前達は……ヴェルラウドは、我々の誇りだ。どうか、あの世で彼を見守っていてくれ。



    翌日───ヴェルラウドはジョルディスの墓がある集落へやって来る。
    「父さん……終わったよ。全てが終わった……」
    ヴェルラウドは黙祷を捧げつつ、亡き父に想いを馳せる。今あの世で父さんと母さんが見ている気がする。そう思ったヴェルラウドは空を見上げる。
    「陛下も、姫も……俺を見守っているだろうか」
    クリソベイア王とリセリア姫の事が頭に浮かんだヴェルラウドは祈りを捧げ、廃墟となったクリソベイア王国に向かおうとする。
    「あ、あの時のおにいちゃん!」
    突然聞こえてきた声に振り返るヴェルラウド。現れたのは、かつて転んで膝を擦り剝いて泣いていたところをヴェルラウドに薬草で手当てされた女の子であった。
    「君は確かあの時の……」
    女の子の顔に覚えがあるヴェルラウドは過去の出来事を思い出してしまう。
    「ユア、どうしたの?」
    ユアと呼ばれた女の子の元に男の子がやって来る。
    「あ!騎士さま!騎士さまだ!」
    男の子は目を輝かせてヴェルラウドを見つめている。ヴェルラウドはあの時の子か、と思いつつも懐かしい気分になる。
    「また君達と会えるなんてな。元気してたか?」
    「うん!世界をすくったのは騎士さまなんだよね!?」
    「あ、えっと……」
    ヴェルラウドはどう答えようか迷うものの、そういう事になるかなと答えると、男の子はますますはしゃぎ出す。
    「すごいやすごいや!やっぱり騎士さまってかっこいい!ぼく、ぜったいに騎士さまになる!」
    男の子のはしゃぎようにヴェルラウドは表情を綻ばせ、背丈を合わせるようにしゃがみ込む。
    「君だったらきっと立派な騎士様になれるさ。大切なお友達を守るという気持ちを忘れるんじゃないぞ」
    ヴェルラウドは穏やかな表情を浮かべながらも男の子の頭を撫でると、再び立ち上がり、集落を去ろうとする。
    「あ!ねえ……」
    男の子が呼び掛けると、ヴェルラウドは足を止める。
    「騎士さま、お名前を教えてよ!ぼくはポルク!」
    ヴェルラウドは僅かに振り返る。
    「……俺はヴェルラウド。ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスだ」
    名を名乗り、静かに去って行くヴェルラウドの姿をポルクとユアはいつまでも眺めていた。
    「ヴェルラウドさま……かっこいいや……」
    ヴェルラウドに憧れを抱くポルクとユア。無垢なままに自分を慕う幼い少年少女の純粋さに触れたヴェルラウドは、心の何処かで救われるような気持ちになるのを感じた。


    ……あの子達は、こんな俺でも純粋に慕ってくれる。

    守るべき大切な存在を守る事すら出来なかった俺に憧れを抱くなんて、考えた事もなかった。

    だからこそ、俺はあの子達の気持ちに応えなくてはならない───。


    廃墟となったクリソベイア王国に辿り着いたヴェルラウドは、主君であったクリソベイア王とリセリア姫への追悼の意で黙祷を捧げる。そして城内に放置されていた騎士達の屍を埋葬していき、犠牲となった者達の墓を立てていく。
    「陛下……姫様……そして犠牲となった民よ。どうか安らかに」
    日が暮れ、静寂に包まれる中、ヴェルラウドはただ一人で全ての犠牲者を弔い続けていた。同時にスフレやオディアンと初めて出会った場所であった事を思い出すと、二人との出会いを振り返る。


    二人は、蘇った闇王を討つ為に赤雷の騎士の子である自分の力を求めていた。

    あの二人との出会いが、俺の運命を大きく変えたんだ。


    ヴェルラウドはスフレとオディアンとの出会いが自分にとって大きな意味のあるものだったという事を改めて実感する。この場で二人と出会い、自分の力になろうとしている仲間として共にし、苦難を乗り越えて来た。だが、スフレはもうこの世にいない。リセリア、シラリネに続き、スフレまでもが命を失ってしまった。自分にとって守るべき存在でもあったスフレを、守る事が出来ないまま自分の前で命を失ったという事実は未だに信じられない程だった。
    「スフレ……」
    ヴェルラウドはスフレのブローチを取り出し、力強く握り締める。不意に涙が溢れ出し、脳内からスフレの過去の声が繰り返される。


    初めまして、赤雷の騎士様。賢王に仕えし賢者スフレ・モルブレッドと申します。

    あたし達は賢王様の予言に従い、赤雷の騎士の力を求めてやって来たのよ。ヴェルラウドと言ったわね。あなたはかつて闇王と戦った赤雷の子であり、赤き雷を継ぐ者。復活した闇王を討つ為には、あなたの力が必要なの───



    それから一ヶ月余り───サレスティル城の謁見の間に一人の兵士がやって来る。謁見の間にいるのは玉座に腰掛けるシルヴェラ、傍らに大臣、ヴェルラウド、護衛の戦士数人であった。
    「女王様。ヴェルラウド様の旅仲間となる者達がやって参りました」
    「何?」
    城を訪れたのはラファウス、リラン、ルーチェであった。三人が兵士に案内される形で謁見の間にやって来る。
    「お前達、どうして此処に?」
    一ヶ月ぶりのラファウス達との再会にヴェルラウドが思わず声を掛ける。
    「お久しぶりですね、ヴェルラウド。そしてサレスティル女王、初めまして」
    ラファウス達は深々と頭を下げる。
    「そうか、お前達はレウィシア王女の……お前達の事はヴェルラウドから聞かされている。我がサレスティルへ訪れるとは何用があっての事だ?」
    「はい。どうか女王にもご協力願いたい事情ですが」
    ラファウスは旅の目的の全てを話す。
    「成る程、人としての罪の愚かさとエルフ族の悲劇を世界中に伝えていくとな。人の罪が災いを生み出したというのならば、この世界そのものを一度見つめ直す必要があるのかもしれぬ」
    シルヴェラはラファウス達の目的に協力の意向を示す。
    「ご協力感謝致します。ヴェルラウドは……」
    ふとヴェルラウドの事が気になるラファウス。
    「悪いが俺は女王様を守らねばならない。俺に出来る事があればお前達に協力したいのは山々だが」
    ヴェルラウドが返答すると、ラファウスは少々残念そうな表情を浮かべつつも、シルヴェラに深く頭を下げる。
    「それでは、私達はこれで失礼します」
    ラファウス達が去ると、シルヴェラはふとヴェルラウドに視線を移す。
    「ヴェルラウドよ。彼女達と同行しなくて良かったのか?」
    シルヴェラの問いに驚くヴェルラウド。それは予想外の問いであり、ヴェルラウドは返答に戸惑ってしまう。
    「いえ……私はただ、女王様をお守りせねばと……」
    「私を守る必要が何処にある?お前は内心考えているのではないか?己にけじめを付けなくてはならぬという事を」
    ヴェルラウドは驚きの余り、言葉を詰まらせる。内心、過去の様々な忌まわしい出来事による心のしこりがいつまでも残り続け、何処かでけじめを付けたいと考えていたのだ。そんなヴェルラウドの本心を、シルヴェラは見抜いていた。
    「私の事は心配せずに行くと良い。お前自身の為にもな。シラリネや、エリーゼとジョルディスもその事を望んでいるはずだ。お前は……未来の光なのだ」
    シルヴェラの温かい言葉を受けたヴェルラウドはその想いに応えるべく、力強く返事をする。
    「女王様。温かいお言葉とお気遣いに心から感謝致します。私……ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスは再び旅に出ます。全てにけじめを付ける為に」
    己のけじめを付ける旅に出る決意を固めたヴェルラウドはシルヴェラと大臣に挨拶をし、城を後にする。王国の兵士達は、去り行くヴェルラウドに熱い声援を送っていた。城下町を出た時は、ラファウス一行の姿は既になかった。
    「……俺は俺で旅に出るか。あいつらの邪魔をするわけにはいかない」
    王国を後にしたヴェルラウドは船着き場へ向かって行く。最初の目的地は、ブレドルド王国であった。


    翌日、ラファウス達はクレマローズ王国でガウラとアレアスに協力を求め終えると、ルーチェが住んでいた教会の跡地へ弔いの祈りを捧げる。
    「ルーチェよ、この教会の修道士達もきっと浮かばれるだろう」
    涙ぐみながらも教会の跡地を見つめているルーチェにそっと声を掛けるリラン。
    「平和になっても、犠牲となった命は戻らない……このような悲劇を繰り返させない為にも、私達に出来る事をやらなくてはなりません。ルーチェ、解りますね?」
    ラファウスが冷静に問い掛けると、ルーチェは黙って頷く。
    「行きますよ、ルーチェ。いつまでも悲しんでいる場合ではありません。涙を拭きなさい」
    厳しくも優しい言葉を受け、ルーチェは涙を拭いながらも歩き始めるラファウスとリランの後を追う。その時、一匹の犬がシッポを振りながらラファウスの元へやって来る。
    「この犬、何処かで……」
    犬に見覚えがある様子のラファウス。犬は、メイコの飼い犬であるランであった。
    「あ~~~!ランったら、また走り出して!」
    駆け付けて来たのは、メイコであった。
    「まあ!ラファウスさんにルーチェ君じゃありませんか!お久しぶりですね!」
    「お久しぶりです、メイコさん」
    「久しぶり」
    メイコを前に淡々と挨拶をするラファウスとルーチェ。
    「誰だ?君達の知り合いか?」
    リランは不思議そうな顔をする。
    「あら?レウィシアさんはご一緒じゃないんですか?そちらの見慣れないお方はどなたですかぁ?」
    「う、うむ。私はリラン。彼女の仲間といったところだ」
    リランが軽く自己紹介をすると、ラファウスはメイコにレウィシアは様々な事情で不在である事を話す。
    「そうなんですかぁ~。まさかレウィシアさんが世界を救うなんてビックリしましたよ!あんな凄いバケモノと戦っていたなんて、最早女神様の一言ですよね!」
    軽い調子で言うメイコの一言に、ラファウスとルーチェは思わずレウィシアの事が気になってしまう。
    「あ!もし何か必要でしたら品揃えでも見ていきます?今回は世界が平和になった記念という事で特売品も揃えてますよ~!」
    営業に入るメイコを見てラファウスはルーチェの手を引き、すぐさまその場から去ろうとする。
    「ちょっと待って下さいよ!せめて旅の必需品となるものくらい見ていってもいいじゃありませんか!」
    「別にお困りではありませんので。商売でしたら余所でお願いします」
    「そ、そこまで素っ気なくしなくてもいいじゃありませんか!ほら、旅のお助けアイテムという事でこれを特別サービスでお売り致しますよ!」
    メイコが道具袋から取り出したものは、リターンジェムであった。
    「む?それはリターンジェムではないか」
    リランが驚きの声を上げる。
    「あら?ご存知でした?」
    「うむ、私も所持しているものでな。父から譲り受けたものだが」
    「まあ!それは奇遇ですねぇ。もしやあなたも私達と同じ商人……という感じではなさそうですね」
    「少なくとも私自身は商人とは無縁だ。父の友人が世界で有名な大商人だったそうだが」
    「ええっ!?その大商人というのはもしかして親方様の事ですかぁ!?」
    「親方?どういう事だ?」
    メイコが所属している商人団体の親方───その名はアキード。かつて大商人として世界に名を轟かせていた存在であり、リランの父リヴァンの友人でもあった。アキードはリヴァンと共に世界各地を冒険していた時期があり、冒険の末に手にした数々の財宝を資金源に商人団体を設立し、リターンジェムはリヴァンとの共同で作られた魔法アイテムであった。アキードはトレイダを拠点に世界中に物資を提供する数々の行商人を育成し、メイコもアキードの元で商人の修行を重ねてきたのだ。
    「成る程……不思議な縁もあったものだな」
    「まさか此方で親方様のお仲間さんだった賢者様の息子さんとお会いするなんて思いもしませんでしたよ~。もし宜しければ親方様に顔見せしては如何ですかぁ?トレイダならば私のリターンジェムであっという間ですよ!」
    リランはふとラファウスの方に視線を向けるが、ラファウスは否定的な表情をしていた。
    「……いや、今は遠慮しておく。彼女達との旅を優先しなくてはならぬものでな。我々はそろそろ行かせてもらうよ」
    「そうですか~。あ。もし何かお困りでしたら私をごひいきにお願いしますね!いつでも秘蔵の品でお助け致しますから!」
    メイコが言い終わらないうちに、ラファウス達はその場から去って行く。
    「もう!最後まで話を聞いてくれてもいいじゃないですかー!」
    膨れっ面をするメイコだが、ラファウスは構わずに前進していた。
    「……行商人といえど、少し気の毒な気もするな」
    歩きながらも、僅かに背後を振り返るリラン。
    「気にする必要はありませんよ。あの人と関わっていたら不要なものを売りつけられそうですからね。今は私達の目的を優先せねばなりません。次の目的地へ向かいますよ」
    ラファウスはルーチェの手を引きながらも、早歩きで王国から出る。リランはやれやれと思いつつも、ラファウスとルーチェの後を追った。


    数日後───ブレドルド王国の闘技場では、二人の騎士が激しく剣を交えていた。ヴェルラウドとオディアンであった。ヴェルラウドがブレドルド王国を訪れた際、オディアンは再会した際に剣を交えるという約束を果たす為、一騎打ちによる真剣勝負に応じたのだ。闘技場内には観客や兵士の姿はなく、ただ二人だけしかいない。何者にも邪魔はさせない、男同士の本気の戦いであった。神雷の剣が破損した今、並みの剣で、しかも赤雷の力に頼らない己の剣技のみでの戦いを望んだヴェルラウドはオディアンの大剣と激突する。数々の必殺剣を駆使するオディアンの猛攻に押され気味になるヴェルラウドだが、カウンターを狙い、反撃に転じていく。傷付き、血に塗れても勝負を捨てず、双方が渾身の一撃を繰り出した瞬間、凄まじい轟音が闘技場内に響き渡る。剣を折られ、迸る鮮血と共に大きな傷を負い、ガクリと膝を付くヴェルラウド。勝負は決まったと思いきや、オディアンの甲冑は砕かれ、大剣には罅が走り、音を立てて折れてしまう。勝敗は、引き分けであった。
    「……流石だな。己の剣のみで俺の甲冑を砕く程の力を付けていたとは。やはりあの時とは全く違う」
    ヴェルラウドの実力を認めていたオディアンが脱帽したように呟く。
    「やはり……あなたが一番の強敵だ。今まであなたに勝てたのは赤雷の力と神雷の剣があったからこそ。今度はそれらに頼らないで、普通の剣で戦いたかったんだ」
    自分の力のみで戦いに挑む事を望んでいたヴェルラウドの心意気にオディアンは心を打たれ、思わず尊敬の対象であったグラヴィルとエリーゼの事を考えてしまう。
    「……お前のような男と出会えた事を誇りに思う。お前は本物の騎士であり、本物の戦士だ」
    オディアンは激しい戦いで傷付いたヴェルラウドに肩を貸し、闘技場を後にした。

    その日の夜───ヴェルラウドとオディアンは城の屋上で佇んでいた。
    「もうすぐ、世界が大きく動き出すかもしれんな」
    オディアンが呟くように言うと、ヴェルラウドが訪れる前日、ラファウス達が王国を訪ね、世界の平和を守る貢献活動で王に協力を求めてきた事を打ち明けた。
    「あいつらも頑張っているようだからな。俺も何れは……」
    ヴェルラウドはラファウス達の活動に少しでも力になろうと思い、改めて自分の気持ちにけじめを付けようと考える。
    「国王陛下はラファウス達の貢献活動に協力の意思を示しておられるが、視力を失われておられる。俺は陛下の支えにならなくてはならぬ」
    オディアンがその場から去ろうとする。
    「……ヴェルラウドよ。己の心にけじめを付けるならば、決して焦るな。何があってもな」
    そう言い残し、屋上から去るオディアン。ヴェルラウドはオディアンの言葉を胸に刻み込み、心の整理を始めた。

    それからヴェルラウドは、マナドール達が復旧作業をしている賢者の神殿へ訪れる。ヴェルラウドの来訪に気付いたデナが颯爽とやって来る。
    「あら、ヴェルラウド。デクの棒に続いてお久しぶりですわね」
    「ああ。お前達がどうして此処に?」
    「神殿の復旧ですわよ。リラン様のご命令での行いですわ」
    マナドール達の存在に懐かしく思いつつも、ヴェルラウドはマチェドニルがいる神殿の地下へやって来る。
    「ヴェルラウド!お前も来てくれたのか」
    地下へ訪れたヴェルラウドをマチェドニルは快く迎え入れる。地下の大広間には多くの賢人達や車椅子で本を読むヘリオ、祈りを捧げているリティカの姿があった。
    「ヴェルラウドよ、一つ聞いて欲しい事があるのじゃ。先日妙な事が起きてのう」
    マチェドニルは一ヶ月前に起きた出来事について話す。神雷の剣と共に台座に保管していたアポロイアの剣が砂のように崩れていき、消滅してしまった事を。
    「何だって!?それは一体どういう事なんだ……?」
    「わしにもよく解らぬ。レウィシアの武器としての使命を果たしたと考えて良いのか、それとも……」
    レウィシアの武器であるアポロイアの剣の消滅は一体何を意味しているのか。その答えが見出せず、不安な気持ちに陥るヴェルラウド。冥神が滅びてから、レウィシアは神界へ行ったと言われている。それから一ヶ月余りが経過した今、レウィシアが帰還したという知らせは何処にもない。アポロイアの剣は、レウィシアの魂の象徴でもあるのか、それとも……。
    「……賢王様。俺はスフレの墓参りへ行く。今は、己の心にけじめを付けたい」
    そう言い残し、ヴェルラウドはスフレの墓へ向かって行った。

    スフレの墓の前にやって来たヴェルラウドは黙祷を捧げ、ブローチを手に数々の思い出を振り返りつつもスフレに想いを馳せる。


    スフレ……俺はお前に何度も助けられた。

    自責の念に苦しんでいた俺を助けてくれたり、試練の時に偽りの世界に迷い込んでいた俺を真実に導いてくれたのもお前だった。

    お前と出会っていなかったら、今の俺は絶対にいなかっただろう。

    お前の気持ちの全てを受け止められず、守る事が出来なかった自分が憎かった。

    ……ごめんよ。そして、ありがとう。こんな俺の為に。


    スフレの墓の前で止まらない涙を流すヴェルラウドの元に、マチェドニルがやって来る。
    「邪魔してすまぬ。ヴェルラウドよ、心にけじめを付けるそうで一つお前に伝えたい事があっての」
    「伝えたい事?」
    「うむ。数日前にリティカから聞いた話なんじゃが、かつてライトナ王国と呼ばれる国があった場所の付近に魂を司る力を持つ呪術師が住む洞穴があるそうじゃ」
    魂を司る力を持つ呪術師とは、かつてライトナ王国の祈祷師として活動していたガイスという名の男であった。しかしある日、ガイスが魂を操る禁断の呪術を披露したが為に国王や多くの人間から魂を冒涜する者と畏怖されるようになり、王国を追われる形で付近の洞穴に隠居するようになったという。
    「魂を司る力……そんな事が本当に可能なのか?」
    「わしにもよく解らんが、もし確かめるつもりならば用心して行くが良い。呪術師と呼ばれる者は何があるか解らんからの」
    「……俺は胡散臭い話題には基本的に乗らないタチだが、とりあえず了解した。感謝する」
    ヴェルラウドはスフレのブローチを握り締めながらも、スフレの墓に心の中から別れを告げ、去って行く。マチェドニルは再び地下の大広間へ戻ると、祈りを終えたリティカがやって来る。
    「ふむ、リティカよ。祈りを捧げる毎日だと退屈か?」
    「いえ、そんな事はありませんわ。いつか息子と会える日が来る事を祈っておりますもの」
    リティカの口から息子という言葉を聞いた瞬間、マチェドニルは何とも言えない気持ちになってしまう。リティカの息子であるロドルの安否は知る由もなく、寧ろ死亡している可能性が濃厚だと密かにラファウスから聞かされていたのだ。
    「息子……か。会える日が来るといいのう」
    マチェドニルは軽く咳払いをし、ヴェルラウドとラファウス達の旅の無事を心から祈り始めた。


    一週間が経過した頃、ヴェルラウドは各地を巡りつつも、辺境の地に存在するライトナ王国へと辿り着く。だがそこは見る影もない廃墟で、クリソベイア同様、完全に滅ぼされた亡国と化していた。
    「クッ……まさかクリソベイアのように滅ぼされていた国がもう一つあったとはな」
    ヴェルラウドはやり場のない怒りに震えつつも王国を後にし、呪術師ガイスが住むという洞穴を探す。半日間に渡る捜索の結果、小さな洞穴を発見する。此処に違いない、と思いつつも洞穴に潜入するヴェルラウド。中には古びた本棚と骨董品、大釜等が置かれた隠れ家のような空洞が設けられている。
    「……何じゃ、誰か来たのか?」
    突然の声にヴェルラウドは身構える。現れたのは、みずぼらしい恰好をした老人であった。
    「あなたがガイスという呪術師か?俺は旅の騎士ヴェルラウド」
    ヴェルラウドは魂を司る力がある呪術師の噂を聞いてやって来た事を伝える。
    「ふん……今時わしの噂を聞いてやって来るとは随分な物好きもいるもんじゃの。如何にも、わしがガイスじゃよ。呪術師と言われても今やこの通り、すっかり落ちぶれた身じゃがな」
    半ば不機嫌そうな態度でガイスが言う。
    「で、何の用があって来たんじゃ?つまらん用事なら聞かんぞ」
    「ああ……あなたに魂を司る力があるというのが本当ならば、どうか俺の頼みを聞いて欲しいんだ」
    ヴェルラウドはガイスの魂を司る力で、スフレやシラリネ、リセリアの魂に自分の想いを伝えられるかを確かめようとしていた。その事を伝えると、ガイスはそっぽを向く。
    「……つまらん。何かと思えばそんなつまらん事でわしに協力を求めに来たというのか」
    「どうしてもダメか?」
    「ダメというか、お前のつまらん事情なんかに付き合う気になれん。大体、わしの力がどんなものなのか、解った上で言っておるのか?」
    ヴェルラウドは俯いてしまい、何も答えられなかった。
    「……ふん、お前に死ぬ覚悟があれば少しくらいは背中を押してやらんでもないぞ」
    ガイスの一言にヴェルラウドは思わず顔を上げる。
    「それは本当か?」
    「本当というか、ちょっとした実験じゃがな。もしお前に死ぬ覚悟が備わってるなら、わしの実験台となってもらう。わしの魂を司る力の可能性を確かめたくてのう」
    不敵な笑みを浮かべながら言うガイスの実験台という言葉に得体の知れない不気味さを覚え、一瞬立ち去ろうと考えるヴェルラウドだが、何故かその場から動く事が出来なかった。
    「どうじゃ?わしの実験台になってみるか?お前の頼み事が聞けるチャンスでもあるんだぞ?ん?」
    迫るようにガイスが言うと、ヴェルラウドは躊躇しつつも引き受けてしまう。
    「カカカカカ……後で後悔する事が無いように、今のうちに言いたい事を言っておけ。遺言のつもりでな」
    こいつは一体何者なんだ。何を考えているんだと内心思いつつも、ヴェルラウドは無言で応じるばかりであった。
    「ふん、何も言う事なしか。まあいい。そこを動くなよ」
    ガイスがヴェルラウドに怪しげなまじないを掛け始める。呪術は徐々にヴェルラウドの意識を奪って行き、ヴェルラウドは意識が吸い込まれていく感覚に襲われる。


    な、何だこの感覚は……まるで……何かに吸い込まれてい……く……


    奇妙な感覚の中、ヴェルラウドの意識は遠のいていった。


    気が付けばそこは、無限に広がる光に満ち溢れた世界であった。地面は淡い光の花畑となっており、暖かく不思議な雰囲気が漂う光の空間。此処は何処だ?何故こんな場所にいるんだ?そんな事を考えながら彷徨っていると、人影が見え始める。
    「おい、誰かいるのか?此処は何処なんだ!?」
    ヴェルラウドが呼び掛けると、人影は一人の男の姿になっていく。甲冑に身を包んだ男───バランガであった。
    「お、お前は……バランガ!?」
    バランガの姿を見て驚愕するヴェルラウド。
    「……ヴェルラウド。お前までもが此処に来たというのか」
    淡々と返答するバランガ。
    「どういう事だ?お前は一体……」
    「解らぬのか。此処は死後の世界と呼ばれる場所……」
    バランガの言葉にヴェルラウドは更に驚愕する。今いるこの場所は死後の世界。ガイスの魂を操る呪術によって、自分は死後の世界に来てしまったという事なのか?自分は一体どうなってしまったんだ?そんな考えが頭を過る。
    「嘘だ……まさか、俺は死んだという事なのか?俺は……」
    突然の出来事に呆然と立ち尽くすヴェルラウド。
    「何処までも愚かだ。王女だけでなく、女王陛下を守る事すら出来ずに死を迎えるとは。貴様は最後まで甘い奴でしかなかったわけか」
    辛辣な言葉をぶつけるバランガを前に、ヴェルラウドは今自分が置かれている現状をなかなか受け止める事が出来ず、俯き加減に拳を震わせている。
    「……そうだな。確かに俺は甘い奴だ。俺とお前とはどうしても相容れない運命だったという事は解っていた。だが……俺はあの時、お前にトドメを刺す事は俺にとっては心苦しいものだった。俺は……自分の力で人の命を奪う事がどうしても許せなかったんだ。お前もケセルに心を操られていた犠牲者だからな」
    サレスティルにてシラリネを守る騎士に任命された事から始まり、ブレドルドやクレマローズでの戦いを重ねての因縁の顛末を振り返りつつ、ヴェルラウドは密かに抱えていた想いを吐露すると、バランガは薄ら笑みを浮かべる。
    「フン、まさかそんな事を気にしていたというのか?あの道化師の傀儡にされていたとはいえ、俺は貴様を殺す事に変わりはなかった。そんな俺に不要な情を抱くとはヘドが出る」
    バランガは振り返り、言葉を続ける。
    「……王女がお前を選んだのは、お前には人の心があったからだ。俺にはそれが無かった。お前の甘さも、人の心が備わっていたが故なのだろうな」
    淡々と呟くように言い、歩き始めるバランガ。
    「堕ちた身として死を迎えた俺の行き着く先は光無き場所。俺にもお前のような甘さがあれば、お前とは少しは解り合えたのかもな……」
    歩くバランガの姿が次第に薄れていき、消滅していく。ヴェルラウドは何も言えず、その場に立ち尽くしていた。
    「……俺は……本当に死んでしまったのか……?」
    自分の置かれている状況をなかなか信じられずにいたヴェルラウドは再び足を動かし始める。


    ……ヴェルラウド……ヴェルラウドなの?


    不意に聞こえ始める少女の声。それは忘れもしない懐かしい響きの声であった。
    「……スフレ!?」
    ヴェルラウドが呼び掛けた瞬間、スフレの姿が見え始める。呼び掛けに応えるかのように、スフレが振り返る。
    「ヴェルラウド……あんたまで此処に来てしまったの?」
    スフレは切なげな表情を浮かべている。
    「お前……スフレなのか?」
    半ば信じられない様子でヴェルラウドが問う。
    「何言ってんのよ。あたしはスフレよ。まさか、あたしの事を偽物だと思ってるわけ?」
    返答するスフレだが、その声は悲しげであった。バランガに続き、スフレまでも自分の前に現れたという現状にヴェルラウドは自身が死んだと考えるしかないのかと思ってしまう。
    「ねえ……どうしてあんたも此処に来たのよ。あんたは世界を守ろうとしていたんでしょ?それなのに……」
    スフレは俯きながらも涙を零し始める。そんなスフレを見ている内に、ヴェルラウドは自身が死んでしまったという考えを全力で否定し始める。
    「……馬鹿野郎!勝手に死んだって決め付けるな!俺は好きでこんなところに来たわけじゃねぇ!此処が本当に死後の世界だって言うなら、俺は早くこんな世界から抜け出したい。お前に想いを伝えたい気持ちがあったとはいえ、こんな事になるなんて……」
    感情的に声を張り上げ、拳を震わせるヴェルラウド。
    「……お前の言う通り、俺はレウィシアが救ってくれた世界を守るつもりだった。その為に、俺は自分にけじめを付けたかった。あの時お前を守る事が出来なかったのがどうしても心残りだったんだ。その為にも俺は……」
    真剣な表情で全ての事情を話すヴェルラウド。スフレの死はヴェルラウドに心のしこりを残す事となり、抱えていた心のしこりを取る為にもスフレに想いの全てを打ち明けたかったという事を話すと、スフレは涙を流しつつもヴェルラウドに顔を向ける。
    「あたしの為に、そこまで思っていたなんて……。あたしの事なんて気にせず、平和になった世界で幸せに過ごせていたらそれでよかったのに……何処までも不器用なんだから……」
    涙ながらに言うスフレを見て言葉を失うヴェルラウド。
    「あたし、ずっと見ていたよ。あんたがレウィシアの為に死ぬ覚悟で戦い続けていた事や、レウィシアが世界を救った事も。あんたはレウィシアを守る為にも生きていて欲しい。あたしはずっとあんたの事が好きだったけど、あんたと過ごす事はもう叶わない事だから……」
    スフレの言葉にヴェルラウドは驚きの表情を浮かべる。
    「あたしはいつまでもあなたの幸せを見守るよ。レウィシアはいつかあなたの元へ帰って来る。そんな気がするんだ。レウィシアを守れるのは、あなたしかいないから……。あたし、あなたが幸せだったらそれでいいの」
    切ない表情を浮かべつつもヴェルラウドに笑顔を向けるスフレ。ヴェルラウドは止まらない涙を拭いつつもスフレを抱きしめようとするが、その身体は透き通っていて掴む事は出来なかった。
    「……スフレ……こんな俺の為にありがとうな。お前には何度も助けられたから……お前の気持ちは絶対に忘れない。本当に……本当にありがとう……!」
    泣き崩れるヴェルラウドの頭をそっと撫でるスフレ。
    「ヴェルラウド……ヴェルラウド……」
    更に聞こえてくる声。顔を上げると、穏やかな表情でヴェルラウドを見守っているシラリネ、リセリア、クリソベイア王の姿があった。
    「シラリネ……姫様……陛下……」
    ヴェルラウドは死した大切な人々との再会に、まるで夢でも見ているかのような錯覚に陥ってしまう。
    「ヴェルラウド……生きて。私はずっとあなたの事を見守っています。どうか、私の分まで幸せになって……」
    「ヴェルラウド……私はあなたと出会えて幸せでした。あなたは私達の誇り……私達はずっとあなたを見守っています」
    「ヴェルラウドよ……お前にはまだやるべき事があるだろう?我々はお前の心の中にある。今こそ未来の光として生きるのだ」
    穏やかな表情を浮かべる三人を前に、ヴェルラウドは止まらない涙を拭いつつも立ち上がる。スフレは涙を零しつつ、切なげな笑顔を向けると、全身が淡い光に包まれ始める。シラリネ、リセリア、クリソベイア王の身体も淡い光に包まれていく。不意に意識を奪われる錯覚に陥ったヴェルラウドは、スフレの声を聞いていた。


    ……ヴェルラウド。あなたの想い……伝わったよ。

    どうか……レウィシアと幸せに……


    「……うっ、あぁっ!」
    目を覚ますとそこは、ガイスの隠れ家の洞穴の中だった。
    「おお……驚いたぞ。帰って来れたのか?」
    ヴェルラウドはすぐさま起き上がり、辺りを見回す。無事で元の場所へ戻れたという事を確認すると、今までの出来事は夢だったのか?という考えが生じ始める。
    「……俺は……何故あんなところにいたんだ?あんたは俺に一体何を……」
    ぼんやりとする頭で出来事を整理しつつもガイスに問うヴェルラウド。
    「カッカッカ。このわしの呪術でお前の魂をあの世へ運んだのじゃよ」
    ヴェルラウドが死後の世界に運ばれたのは、ガイスの呪術によるものであった。それは禁呪とされている呪術の一種であり、過去に死した者に会いたいという願望を抱く者の依頼を受けて手を出してしまい、呪術を使用した結果、失敗に終わり、依頼者の魂はそのまま帰らなくなったという恐ろしいものであった。
    「しかしながらお前の魂が無事で帰って来たという事は、この呪術も捨てたもんじゃないという事が証明された。カカカカ、実に愉快じゃ」
    半ば信じられない出来事であるものの、死後の世界にてバランガ、スフレ、シラリネ、リセリア、クリソベイア王と再会した出来事は鮮明な記憶として残っている。そして何処か心のしこりが取れたような気分となっていた。まるで夢のようだったけど、決して夢ではない。俺はこの世界を守る為に、大切な人を守る為に、生きなくてはならない。そして皆の分まで、もっと生きる。その想いがあったおかげで、俺はあの世界から帰って来れたんだ。そう思うしか他に無かった。
    「……何だか色々信じられない経験をした気分だが、おかげで何かが吹っ切れた。あんたには感謝するよ。今は礼らしき事は出来そうにないが、そのうち礼をさせてくれ」
    「礼?そんなものはいらんよ。わしは今、気分がいいからの」
    ガイスの身体が徐々に薄らいでいく。
    「お、おい待てよ……まさかあんたは!?」
    ヴェルラウドが声を上げると、ガイスの身体は天に昇るように消滅していく。ヴェルラウドは誰もいなくなった洞穴の光景の中、ずっと立ち尽くしていた。


    形はどうあれ、胸のつかえが取れた気分だ。あそこで会ったバランガとスフレは幻覚ではなく、本物だった。そしてシラリネ、姫君、陛下も……。

    皆が俺を見守り、皆が俺の幸せを願っている。こんな俺の為に、皆は……。

    そして父さんと母さんも、きっと俺を……。

    そう、俺は皆の想いに応えなくてはならない。レウィシアはきっと帰って来る。俺はずっと信じている。

    レウィシアが取り戻した光溢れるこの世界を、ずっと守らなくてはならない。

    俺に出来る事があれば、この世界を……そしてレウィシアを……!


    洞穴を後にしたヴェルラウドは決意を固め、再び旅に出る。その瞳には力強い意思が宿り、表情にも決意の心が表れていた。

    時は流れ───ラファウス達の貢献活動の結果、世界は大きく動き始めた。世界各地の国王と首脳がクレマローズに集い、世界会議が開かれた。平和を維持する為に必要なものは何か?何故過去に災いが起きてしまったのか?災いの根源となる闇は何から生まれるのか?人としての過ちによる過去の悲劇を繰り返さない為にはどうすればいいのか?様々な議題が課せられ、幾度となく行われた会議の結果、各国それぞれの民の意を踏まえ、民の平穏を重視する様々な制度が設けられるようになった。

    日が暮れる頃、クリソベイアの廃墟にて弔いを終え、サレスティルへ帰還しようとするヴェルラウドは不意に優しい香りを感じ取り、背後を振り返る。次の瞬間、ヴェルラウドは驚愕した。
    「……ヴェルラウド……」
    懐かしい響きがする少女の声。香りを運ぶそよ風に靡くピンク色の長い髪。美しく輝くドレスを身に纏い、穏やかな表情をした可憐なる姫の姿。


    レウィシア───!


    ヴェルラウドが駆け寄る。数年の時を経て、肉体に宿る太陽の源となるものを生命力に変える事に成功し、レウィシアは人として地上に生きる望みを叶える事が出来たのだ。ヴェルラウドに抱きしめられているレウィシアは、優しい微笑みを絶やさないままヴェルラウドの頭を抱き、涙を浮かべる。夕暮れの中、再会を喜び合う二人は、いつまでも抱き合っていた。



    地上の太陽となりし者よ……人々に希望を与える太陽として生きよ。

    人々の心に光と希望を絶やさぬ為にも───。
    誓いの儀式-地上の光と太陽の心-
    冥神が滅びてから十余年───。

    地上を救った者達の動きによって世界は大きく変わり、過去の罪と災いによる悲劇を教訓に、各国は平和を目的とした友好条約を締結し、全ての民の為、そして永劫の平和を守る為の制度を設け、人々はそれぞれの平穏を保っていた。

    世界会議は定期的に行われ、今を生きる民が求めているもの、必要としているもの、そして過去に起きた災いの根源となるもの、新たな災いの可能性についての議題が課せられ、世界各地の国王と首脳、そして地上を救った者達も会議に参加していた。

    光溢れる地上を取り戻した世界は、本当の平和へと向かっていた。


    ある日、一隻の船が大海原を渡る。船は、クレマローズ地方の船着き場へ向かう客船であった。
    「ねえ父ちゃん、これ何?」
    船の客室では、一人の幼い少年が逞しい体付きを持つ男の持つ青色に輝く小さな石に興味を示していた。石はアクリアムの蒼石であり、男はアクリム王国の槍騎兵隊隊長ウォーレンであった。
    「ああ、これはな。王女様から貰ったものだよ。お前が無事で産まれますようにって事で授かってくれたんだ」
    「へえ……」
    少年は、ウォーレンの息子レニであった。アクリアムの蒼石はウォーレンの妻であるミズナの安産用のお守りとしてマレンから与えられたもので、一人の息子を授かった感謝の意を込めてウォーレンは蒼石を一生の宝物として大事にしているのだ。レニが蒼石を眺めていると、ミズナが客室にやって来る。
    「ミズナ、船酔いは大丈夫か?」
    「え?船酔いしたわけじゃないわよ。ちょっと外の眺めを堪能したかっただけだから」
    「何だ。てっきり船酔いしたのかと思ったぞ」
    「バカね、船なんて子供の頃から慣れっこよ」
    仲が良さそうに談笑するウォーレンとミズナ。
    「父ちゃん、母ちゃん。クレマローズってどんなとこなの?」
    「太陽の王女って言われたお姫様が住む国さ。昔この世界を救ったという凄いお方なんだ」
    「へえ、すごいや!マレンさまよりもきれいなの?」
    「うーん、マレン様と同じくらいかな……?」
    レニの純粋な質問にウォーレンは半ば回答に少し戸惑うものの、何事もないように笑顔で答える。レニはレウィシアに興味を抱きつつも、海を見ようと客室から出ようとする。
    「レニ、一人で行っちゃ迷子になるわよ」
    「大丈夫だって!」
    レニはさっさと客室を出て上甲板へ出る。船から見える景色は広がる青い海。地平線の向こうには陸地が見える。船はかなり広く、上甲板には多くの乗客が集まっていた。レニは船を探検するつもりで船内を歩き回っていると、不意に誰かと激突する。
    「うわあ!ご、ごめんなさい!」
    礼儀正しくレニが謝る。
    「あら、あなたは……」
    レニと激突した相手は、マレンであった。
    「マレンさまだ!マレンさまも来てたんだね!」
    「レニ君!ふふ、元気してた?」
    マレンは美しくもあどけなさが残る笑顔を向けながら背丈に合わせるようにしゃがみ込み、レニの頭をそっと撫でる。
    「えへへ、父ちゃんと母ちゃんも元気だよ!またマレンさまと遊びたいなー!」
    「そうね。こうしてレニ君と会えて嬉しいわ」
    レニはマレンと何度も遊んだ事があり、マレンもレニを愛おしく思いながらも実の子供のように可愛がっていた。
    「やや、これはマレン王女!」
    ウォーレンがやって来る。
    「あら、ウォーレン。あなた達もクレマローズに行くつもり?」
    「ハッ!我々もご招待を受けまして我々も向かうおつもりであります」
    マレンを前に敬礼をするウォーレン。
    「ふふふ。レニ君もいるんだし、堅苦しくなる必要は無いわよ。今日はおめでたい日なんだから、たまには肩の力を抜かなきゃあね」
    「は、はぁ……陛下はどちらへ?」
    「お父様とお母様は部屋で寛いでらっしゃるわ。久しぶりの船旅を満喫してるみたいよ」
    アクリム王と王妃は特別客室にてグラスに注がれた酒を口にしつつ、旅のひと時を満喫していた。王は机の上に置かれたテティノの槍を見つめていると、ふとテティノの事を考えてしまう。
    「あれからもう十年以上になるのか……テティノよ、マレンはお前の分まで我々と共に世界の平和に貢献している。お前が命を掛けて救った者は、きっと幸せに生きるであろう」
    亡き息子テティノを想う王が呟くように言う。
    「テティノもきっと見守っていますわ。あの子の偉業は私達の誇り。太陽を救った英雄として後世に語り継がれていく事でしょう」
    「うむ、そうだな。過去の過ちを繰り返さぬ為にも、我々はマレンと共に王国の平和を維持していかねばならぬ。各国と友好条約を結んだ今、罪を生む闇なき世界にする事が我々の務めだからな」
    王と王妃はテティノの偉業を誇りに思いつつも、グラスの酒を飲み干す。船は、間もなく陸地へ到着しようとしていた。船がクレマローズ地方の船着き場へ到着すると、乗客が次々と降りて来る。乗客の目的地はクレマローズであり、ウォーレン一家もその中に紛れる形でクレマローズへ向かって行った。皆がクレマローズへ向かう理由───それは、レウィシアの結婚式であった。アクリムの王族とウォーレン一家は結婚式に招待されてやって来たのだ。

    クレマローズでは賑やかで華やかな雰囲気に満ち溢れ、パレードの準備が行われていた。トリアスを始めとする兵士達が警備する中、王国全体で挙行されるレウィシアの結婚式という事で城下町がお祭り騒ぎの真っ只中となっている。城へ続く道には美しい銀色の布が敷かれ、周囲には綺麗な花が添えられている。
    「わーすごい!ねえねえ、これから何がはじまるの?」
    お祭りな雰囲気に目を輝かせるレニ。
    「お姫様の結婚式だよ」
    「けっこん式?」
    「父さんと母さんがこうして一緒になれたように、お姫様が好きな人と一緒になれるというとてもおめでたいお祭りだ。でもまだ時間がありそうだな」
    挙式時間までまだ三時間程あるとの事で、ウォーレンとミズナは一先ず王国中を散策する事にした。レニは好奇心旺盛のまま先立って走っていく。
    「あ、レニ!」
    ミズナが止めようとするものの、レニの姿は雑踏の中に消えていく。
    「もう、レニったら。迷子になっても知らないわよ」
    「まあ、これ程の賑やかなパレードが行われるとならば子供心にワクワクするものだからな」
    「それはそうだけど……これだけ広いと迷子になっちゃったら大変よ」
    ウォーレンとミズナは走って行ったレニの後を追う。初めて訪れる異国の城下町という事もあって、レニは王国の雰囲気を楽しみながら辺りを見て回る。
    「ちょっと、それって本当なの!?その占い、的中するんでしょうね!?」
    少女の声が騒がしく聞こえて来る。一人の少女が占い師に詰め寄っているのだ。占い師は、フーラであった。レニは何だろうと思いつつ少女の元へ近寄る。
    「本当じゃよ。わしの占いは九十九パーセント的中するものじゃ。信じるか信じないかはおぬしの勝手じゃがな」
    「ふーん、てことは一パーセントの確率で外れるって事ね。ま、よっぽどの悪運じゃない限り的中するなら信じてやろうかしら」
    少女がフーラに頼んだ占いは、憧れの人物への想いが伝わるかどうかの占いであった。少女がレニの方に振り向くと、レニは興味深そうに少女を見つめる。
    「何よあなた。わたしに何かご用?」
    「えっと……何やってたの?」
    「見てわかんないの?占いよ!このババ様にわたしの将来を占ってもらったのよ」
    高飛車な態度で少女が返答すると、レニはきょとんとしてしまう。占いを全く知らない様子であった。
    「あなた、ここに来るのは初めて?」
    「う、うん」
    「だったら占ってもらったら?記念日という事でお子様はタダで占ってくれるみたいよ」
    「占いって何?」
    「へ?あなた占いを知らないの?イナカ者なのねぇ」
    「い、イナカ者ってひどいな!おれはアクリム王国から来たんだぞ!」
    「アクリムだかアイスクリームだか知らないけど、占いを知らないんじゃあイナカ者と変わりないわよ」
    「くうう!」
    レニは頬を膨らませながらも占いについて知ろうと思い、フーラに占ってもらう事にした。
    「ふむ。ボウヤは占いというものを知らないんじゃな?」
    「は、はい。知らないです」
    「占いというものはな、ボウヤの願い事が叶うかどうかとか、未来はどうなっているかとか、そういったものを予言するのじゃ。それが良い事になるか悪い事になるかは見えるもの次第。ボウヤは今、何か願い事とかはあるかの?」
    「願い事かぁ……父ちゃんのような立派な戦士になりたい!かな?」
    「ふむふむ。ではボウヤの願い事を占ってしんぜよう」
    フーラは水晶玉を両手で握り締めつつ念じる。すると、水晶玉からは逞しい肉体を持つ戦士の姿が映し出された。
    「フム……見えたぞ。ボウヤの願い事は……叶うと見た」
    「ほんと!?」
    「うむ、なかなかゴツくて男臭くて暑苦しいゴリラのような戦士になるようじゃ」
    「えー……それってなんかやだなぁ」
    「アハハハ!あなた、将来はゴリラ戦士になるんですって?ウケるー!」
    少女がからかうように笑う。
    「何だよ、おれは父ちゃんみたいなかっこいい戦士になるんだ!ゴリラなんかじゃないぞ!」
    レニが反論すると、少女はずっと笑っていた。
    「ところで、あなた名前は?」
    「レニだよ」
    「ふーん、変な名前。わたしはドルチェ。覚えておいてよね」
    「うん、よろしく!」
    「あなたって何だか面白そうだから、結婚式が始まるまでご一緒してあげる」
    ドルチェという名の少女はレニの手を引っ張る形でその場から去る。
    「やれやれ、あれ程しっかりしたお嬢ちゃんを見たのは姫様以来じゃわい」
    積極的に行動するドルチェを見ているうちに、フーラはしみじみと幼少時代のレウィシアの姿を思い出していた。

    ドルチェはレニと手を繋いで街中を散策し始めると、レニを追っていたウォーレンとミズナに遭遇する。
    「あ、父ちゃん!母ちゃん!」
    「おお、レニ。早くもガールフレンドを作るとはお前も隅に置けんな」
    「え?そ、そういう事じゃ……」
    レニは少々顔を赤らめながらも、ドルチェに両親であるウォーレンとミズナを紹介する。
    「初めまして。ドルチェと申します」
    礼儀正しく挨拶をするドルチェ。
    「まあ、礼儀正しい子なのね。レニもしっかりと見習わなきゃダメよ」
    「おれだってちゃんと挨拶くらいはするよぉ」
    そんな会話を繰り返している中、一人の青年がやって来る。中性的な顔立ちをした聖職者であった。
    「ルーチェさま!」
    ドルチェが目を輝かせる。青年は、ルーチェであった。
    「ドルチェ。此処にいたんだね。あんまり離れちゃダメだぞ」
    「えへへ」
    優しい笑顔を向けながらドルチェの頬を撫でるルーチェ。
    「このひと誰?」
    レニは不思議そうな顔でルーチェを見つめている。
    「むむ?そなたは何処かで……」
    ルーチェの顔に見覚えがあるウォーレンは何かを思い出そうとしていた。
    「あ、ウォーレンさん。お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?かつてレウィシア、テティノ王子と共に旅をしていた聖職者のルーチェです」
    「なんと!?」
    ルーチェの事を思い出したウォーレンは驚きの表情を浮かべる。
    「まさかあの少年がこのように逞しく成長なされていたとは……」
    「いえいえ、大した事ありませんよ。僕なんてまだまだ未熟ですから」
    和気藹々とした雰囲気の中、レニはますます不思議そうに見つめていた。
    「ところで、君はドルチェのお友達かな?」
    ルーチェがそっとレニに問い掛ける。
    「う~ん、さっき会ったばかりだから……」
    レニはドルチェを横目で見つつも少々ぎこちなく返答する。
    「そっか。僕はルーチェ。賢者の神殿から来た聖職者なんだ。ドルチェは僕の妹みたいな賢人の卵だよ」
    「そういう事よ!わたし、未来の賢人さまなんだからね!」
    ルーチェの妹分となるドルチェは、マチェドニルによって賢人として育てられている少女であった。元は辺境の小さな集落に住んでいたが、唯一の肉親であった母親を病気で失い、集落を訪れたラファウス達によって賢者の神殿に引き取られていたのだ。そんな経緯もあり、孤児となった自分を助けてくれた恩人であるラファウス達を誰よりも慕っていた。
    「ドルチェ。ルーチェも此方にいらっしゃったのですね」
    声と共に現れたのは、ラファウス、マチェドニル、ヘリオ、リティカであった。車椅子に乗ったヘリオの足には義足が施されている。皆が結婚式の招待を受けてやって来たのだ。
    「あー!賢王さま!ラファウスさま!」
    「ラファウス!賢王様!ヘリオさんにリティカさんも来てくれたんですね!」
    「フォッフォッフォッ、世界で一番おめでたい日じゃからの。まさか生きている間にこんな大規模な結婚式を堪能出来るとは夢にも思わんかったわい。リラン様は一足早く城に向かわれたそうじゃからの」
    マチェドニル曰く、リランは挙式での特別な役割を受け、城で準備に取り掛かっているという。
    「私達だけでなくウィリーとノノア、母上も招待されていますからね。きっと世界最大の結婚式になりますよ」
    ラファウスの言葉通り、ウィリーとノノア、そしてエウナも結婚式の招待を受け、王国に訪れていた。
    「フッ……まさか私までもこんなめでたい出来事に呼ばれるとは。全く、生きていると本当に何があるか解らんな」
    澄ました表情を浮かべるヘリオ。
    「驚いたわ……これだけ大掛かりな結婚式が行われるなんて」
    リティカは城下町の雰囲気に驚きつつも、パレードの準備が行われている街中を見回していた。
    「このひと達も父ちゃんの知り合いなの?」
    レニがウォーレンに問うと、ウォーレンはどう説明しようかと考えてしまう。
    「ドルチェ。この男の子は?」
    「えっと、お友達!将来はゴリラ戦士になる子よ!」
    「ゴリラじゃないもん!」
    膨れっ面になるレニをからかうドルチェ。そんな二人の微笑ましさにルーチェとラファウスはくすくすと笑っていた。そこに逞しい風貌の男がやって来る。オディアンであった。
    「オディアン!」
    「久しいな。お前達と会うのもいつぶりだろうか」
    無精髭を生やしたオディアンは貴族の服装を着用していた。ブレドルド王は数年前に崩御し、グラヴィルの闘志を受け継ぎし光ある王国の英雄となり、次なる剣聖の王に相応しい存在として選ばれたオディアンが王位を継承する事になり、新たな剣聖の王に即位したのだ。
    「うわあ、ゴリラさんが来た!」
    レニの一言にオディアンは自分の事かとつい苦笑いしてしまう。
    「これ、失敬な!」
    ウォーレンからお𠮟りを受けるレニ。
    「ああ、気にしなくても良い。幼子は元気が一番だ」
    オディアンは穏やかな表情で言うと、ウォーレンは軽く頭を下げる。
    「オディアンさん……いや、オディアン王も来てくれたんですね!」
    「うむ。間に合って何よりだ」
    「フォッフォッ、オディアンよ。暫く見ぬうちに随分と王らしい風貌になりおったな」
    「まだまだ先代王には及びませぬ。剣聖の王としてもっと大切な事を学ばなくては」
    「相変わらず生真面目じゃのう。ま、そなたならきっと大丈夫じゃ」
    皆が再会を喜び合っている中、リティカはオディアンの姿に見とれていた。過去にブレドルド王国を訪れた際、戦士達を従えつつも王国の平和を守ろうとするオディアンのひたむきさに惹かれていたのだ。
    「む、そなたはリティカ殿。如何なされた?」
    オディアンに声を掛けられると、不意に顔を赤らめるリティカ。
    「私で宜しければ何かお役に立てればと……」
    俯き加減でリティカが言う。
    「ふむ。そなたは賢王様に仕えし僧侶として生きる事を選んだと聞く。もしそなたに僧侶としての力が備わっていたら、民を助ける者として……」
    言い終わらないうちに、鐘の音が鳴り始める。挙式時間が迫ろうとしているのだ。
    「そろそろ城へ行かなくてはならんのう。皆の者、行くぞよ」
    マチェドニルが結婚式の会場となる城へ向かって行く。
    「ドルチェ、もうすぐ結婚式が始まるからお城へ行くよ」
    「はい!」
    ルーチェと共に城へ向かうドルチェ。ラファウス達も後に続いた。
    「リティカ殿。申し訳ないが続きは後でお聞きしよう。先ずはレウィシア王女の挙式へ向かわなくては」
    城へ向かうオディアンの後をリティカはゆっくりと付いて行く。
    「そろそろ始まるという事か。ミズナ、レニ。我々も行くとするか」
    ウォーレン一家も城へ向けて歩き始めると、一匹の犬が駆け付けてくる。
    「わーいぬだ!」
    レニが嬉しそうに犬を触り始める。犬は、ランであった。
    「あ~~!ランったら、こんなところを走り回っちゃダメよ!」
    声と共にやって来たのはメイコであった。
    「ハァハァ、ありがとうボク。うちの犬を捕まえてくれて」
    「この犬お姉さんが飼ってるの?」
    「ええ、そうよ。いつになっても元気一杯で走り回るから困ったものだわ」
    メイコは息を切らせながらも、ランを抱き寄せる。
    「おやおや。飼い犬から目を離してはなりませんぞ」
    ウォーレンの一言にメイコは頭を下げる。
    「お騒がせして申し訳御座いません!私も結婚式の招待を受けたものでして……あ。もし宜しければ何か見ていきます?この国のお姫様であるレウィシアさんの結婚記念日に相応しい特売品ですよ!」
    営業モードに入るメイコを見て、ウォーレンとミズナは呆然とする。品揃えは紅白饅頭とウエディングに因んだ様々なアイテムであった。
    「申し訳ありませんが商売目的ならば余所で願います。行くぞ、レニ」
    「え~、まんじゅう食べたいなぁ!」
    半ば無理矢理レニを引っ張りながらも去って行くウォーレンとミズナ。
    「くう~~!いざ営業モードに入ったらさっさと逃げ出すなんて!だったらこのパレードに参加している人達から大儲けしてやるわ!」
    商人根性を剥き出しにしつつも、メイコはランを連れてパレードの様子を見て回る。再び鳴り響く鐘の音。挙式時間まで残り僅かとなっていた。


    クレマローズ城内での結婚式の会場となる場所は炎の儀式の間と呼ばれる大広間であり、カーネイリス一族が炎と戦神の加護と呼ばれた王家の洗礼を受ける儀式の場であり、王家の挙式としても利用されている場所であった。中心に敷かれたバージンロードの先にある祭壇の後ろには巨大な像が祀られている。炎の神ヘパイストを模した神の像であった。ルーチェ、ラファウス、マチェドニル、ヘリオ、オディアン、リティカ、マレン、各国の王やその他招待された人々が集まる中、ウォーレン親子がやって来る。祭壇にはリランが立っていた。挙式時間の合図を告げる鐘の音。辺りが静まり返ると、バージンロードを歩く新郎新婦の姿が露になる。ブーケを両手にウェディングドレスを着たレウィシアと、純白のタキシードを来たヴェルラウドであった。
    「レウィシア……ヴェルラウド……」
    皆がバージンロードを歩くレウィシアとヴェルラウドの姿に見入る中、ルーチェはレウィシアと再会した時の出来事を思い出していた。


    二年前───ヴェルラウドは地上に帰って来たレウィシアと共に賢者の神殿を訪れていた。
    「レウィシア!?」
    レウィシアの帰還に驚くリラン。傍らにはマチェドニルとヘリオがいた。
    「……ただいま、みんな」
    レウィシアの第一声に、ルーチェが姿を現す。
    「レウィシア……!」
    大きくなっていたルーチェの姿を見たレウィシアは驚く。
    「ルーチェ……?あなた、ルーチェなの?」
    「そうだよ。僕はルーチェ……あれから八年も経っていたんだ」
    レウィシアは目の前にいる青年が成長したルーチェだという事実を知らされ、八年の年月が経過していた事をなかなか実感出来ないものの、表情からルーチェの面影を感じ取り、そっと抱きしめる。レウィシアに抱きしめられたルーチェは匂いと温もりに懐かしくなり、涙を浮かべていた。
    「……大きくなったのね……もう抱っこも出来ないわね」
    顔を寄せつつルーチェの頬を撫でるレウィシア。
    「フン……相変わらずだな。もう子供ではないというのに」
    ヘリオはぶっきらぼうな態度で振る舞いつつも、至近距離でルーチェに接するレウィシアをジッと見つめていた。
    「レウィシアは変わってないね。今の僕と同じくらいに見えるよ」
    ルーチェの言う通り、レウィシアの外見は八年前の頃から変化が全く見られない。それはレウィシアが太陽の源を生命力に変えるまでの間、神の力によって肉体が凍結した状態で保存され、その影響で肉体の年齢が止まったまま復活を遂げる事に成功していたのだ。
    「いやはや、レウィシアよ。よくぞ帰って来てくれた。皆がそなたの帰りをずっと待っておった。そなたが帰るまでの間、皆は世界の平和を維持する為に頑張っていたのじゃからな」
    マチェドニルとリランはレウィシアが戻るまでの八年間の出来事を全て語る。ラファウス達の過去に犯した人の過ちとそれによる災いと悲劇を世界中に知らしめつつ、世界の平和を守る為の貢献活動を行っていた事や、それによって開催された世界会議の事も伝えた。
    「みんな、私が地上に戻るまで色々頑張っていたのですね……」
    自分の力で災いの根源を打ち倒し、取り戻した平和を守る為に皆が頑張っている。その事を知らされたレウィシアは不意に涙ぐむ。
    「俺はこれからレウィシアと共に世界を回るつもりだ。色々な人に顔を見せなくてはな」
    ヴェルラウドの一言。風神の村に戻ったラファウス、ブレドルド王国にいるオディアン、アクリム王国にいるマレンにも顔を見せたいというレウィシアの意思に従い、お供として世界中を巡ろうとしているのだ。
    「レウィシア……改めて言わせて。お帰り、レウィシアお姉ちゃん」
    ルーチェの迎えの言葉を受け、レウィシアは穏やかな表情で微笑みかける。
    「ありがとう、ルーチェ。大きくなってもお姉ちゃんって呼んでくれるのね」
    優しい笑顔を向けるレウィシアに、ルーチェはいつまでも照れ笑いをしていた。


    レウィシア……おめでとう。僕を実の子供のように、ずっと守ってくれた事……忘れないよ。

    僕はレウィシアの幸せをずっと祈ってる。それが僕に与えられた使命だから。

    どうか、ヴェルラウドと幸せに……。


    レウィシアと過ごした数々の思い出を振り返りながらも、ルーチェは涙ぐみながらウェディングドレス姿のレウィシアを見つめていた。
    「これより、ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスとレウィシア・カーネイリスの挙式を行います」
    祭壇に立つヴェルラウドとレウィシア。
    「新郎、ヴェルラウド・ゼノ・ミラディルス。あなたはレウィシア・カーネイリスを妻とし、健やかなる時も、病める時も。喜びの時も、悲しみの時も妻を愛し、共に助け合い、生涯夫婦として支え合う事を誓いますか?」
    リランが誓いの言葉を問い掛けると、ヴェルラウドは過去の出来事を振り返る。


    レウィシアが地上に戻ってから半年間に渡る世界巡りの旅を終え、ヴェルラウドはレウィシアと共にサレスティル王国へ帰還した。
    「レウィシア王女よ。そなたの事はヴェルラウドから聞いている。災いの根源となる冥神が滅びてから八年程経つが、この場でようやくそなたと顔を合わせる事が出来て光栄に思うぞ」
    レウィシアの来訪を快く歓迎するシルヴェラ。
    「そなたは紛れもなく我が戦友ガウラとアレアス、そしてクレマローズが誇る地上の太陽だ。私自身やこのサレスティルが救われたのもそなたのおかげだからな」
    シルヴェラの感謝の意を受け、深々と頭を下げるレウィシア。
    「サレスティル女王。如何に私が地上の太陽と呼ばれていても、今の私にはもう戦う力はありません。この身に宿る力の全てを生命力に変えたからこそ、私は再び地上に戻って来れたのです」
    「何と!?」
    驚きの声を上げるシルヴェラ。太陽の源を生命力に変えた事によって、レウィシアは戦う力の全てを失っていたのだ。そしてレウィシアは語る。精神体と化した魂となって訪れた神界での出来事や、自身の肉体に宿る太陽の源を生命力として輝かせ、地上に生きる人間としての自分を取り戻せるようになるまで八年間の年月が経過していたという事を。そしてそれは奇跡に等しい形での成功であったと。
    「まさかそのような事が……そなたが人としてこの地上に生きる事が叶ったのも奇跡だと言うのか……」
    シルヴェラはレウィシアの瞳を見ながら少し考え事をすると、ヴェルラウドの方に視線を向ける。
    「……ヴェルラウドよ。今一つ問う。お前はこれからどうするつもりだ?」
    突然の問いにヴェルラウドは僅かながら戸惑いの表情を浮かべる。
    「お前は知ったのだろう?未来の光として生きる事を願い、お前の幸せを望んでいる、という死した皆の想いを。そして地上に戻ったレウィシアは戦う力をなくしている。今お前がすべき事は何か解るか?」
    シルヴェラの一言に、ヴェルラウドは言葉に出来ない思いで満たされていた。
    「そう、お前は地上の太陽を護る者となるのだ。護りの騎士としてな」
    その言葉にヴェルラウドとレウィシアはただ驚くばかりであった。
    「女王様!お言葉ですが……」
    「私の事は構わぬ。お前も色々辛い思いをしてきただろう。お前の幸せを望んでいるのは私も同じだ」
    ヴェルラウドはシルヴェラの瞳から優しい光を感じ取る。そう、女王は故郷を失った自分にとって、もう一人の母親のような存在。バランガとの確執でひと悶着があった時でも、常に親身になってくれたのも女王だった。そして女王は自分の想いを察していた。この世界と共に、騎士としてレウィシアを守りたいという想いを。己の力の全てを生命力へと変えたレウィシアにはもう戦う力が備わっていない。だからこそ、護りの騎士としてレウィシアを守らなくてはならない。その為にも───。


    「……はい、誓います」
    誓いの言葉に返答するヴェルラウドを、シルヴェラは穏やかな表情で見守っていた。そして心から祝いの言葉を送る。おめでとう。お前の幸せを心から祈る、と。
    「新婦、レウィシア・カーネイリス。あなたはヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスを夫とし、健やかなる時も、病める時も。喜びの時も悲しみの時も夫を愛し、共に助け合い、生涯夫婦として支え合う事を誓いますか?」
    レウィシアに向けて誓いの言葉を問い掛けるリラン。僅かに頬を赤らめながらも、レウィシアは様々な想いを胸に過去を振り返る。


    始まりは、サレスティルでの出会いであった。ケセルが生み出した影の女王の奸計に踊らされるがままに激しく剣を交え、シラリネの犠牲を機に本性を現した影の女王との戦いでの出来事。シラリネの死による悲しみに暮れるヴェルラウドの姿が最愛の弟の死を目の当たりにしていた時の自分と重なり、大切な人を救えなかった無力感に苛まれると共に心の底から力になりたいと思うようになった。あの時はあくまで悲しみに共感したが故に力になりたいと考えていただけに過ぎなかったけど、その時から初めて異性として意識し始めたのかもしれない。別に特別な感情なんて持っていないと思っていたけど、自分に嫉妬心や敵意を抱いていたスフレといがみ合いたくない事もあって、ずっと自分の気持ちに嘘を付いていたのかもしれない。幾多の戦いを乗り越え、冥神との決戦の際、ヴェルラウドはこう言っていた。命に代えてでも君を守りたかった、と。如何なる危険を顧みず、自分の為に尽くしてくれた彼の心に触れた時、自分の本当の気持ちに気付いていた。


    私は、彼の事が好きだった。初めて抱いた恋愛感情であり、異性として惹かれ、彼を好きになっていた。

    太陽の源を生命力に変える事を選び、自身の肉体の中で長年の眠りに就いた時でも、ヴェルラウドの声が聞こえていた。何も見えない、何も聞こえない、死の感覚に等しい真っ暗闇の中、過去の記憶に存在するヴェルラウドの声が何度も繰り返して響き渡っていた。そう、守りたいという想いの声が。

    八年間の期間を経て人としての自分を取り戻し、地上に生きる事が許され、ヴェルラウドと再会を果たした時は涙が止まらない想いで満たされていた。戦う力を完全に失い、普通の人間となってしまった自分を強く抱きしめるヴェルラウドの想い。運命は、決まっていた。『結ばれる』という運命が、決まっていたのだ。

    弟のように小さくて愛おしい存在だったルーチェも成人して自立し、自分の人生を歩んでいる。共に戦っていた仲間達も世界の平和を守り続けている。例え普通の人間として生きる事になっても、太陽の心はずっと存在している。人として生き、全ての人々に希望を与える地上の太陽として、今こそ新たな人生を歩む時───。


    ヴェルラウドと共に世界の全てを巡り終えた日の夜、レウィシアはヴェルラウドと二人きりでクレマローズ城の屋上に佇んでいた。
    「何だかあの時の事を思い出すわね」
    「そうだな……」
    闇王との決戦前夜の頃を思い出しつつも、レウィシアはそよ風を浴びながらもヴェルラウドに顔を向ける。
    「ねえ、ヴェルラウド」
    「何だ?」
    「あなたは護りの騎士として私を守る使命を与えられたけど……戦う力を失ったからといって、守られるだけの女になるつもりはないわ」
    俯き加減でレウィシアが言うと、ヴェルラウドは黙り込んでしまう。
    「私だって、あなたの力になりたい。戦いだけじゃなく、人としてあなたを助けていきたい気持ちがあるの。戦う力がなくても、太陽の心がある。あの時も言ったでしょう?もっと私を頼ってもいいって」
    そよ風が運ぶレウィシアの髪の香り。優しい眼差しを向けるレウィシアを見ているうちに、ヴェルラウドは心の中が熱くなるのを感じる。
    「……でも……本音を言うと、嬉しいかな……って」
    再び俯き、顔を赤らめながらも小声で言うレウィシア。
    「うまく言えないけど……私、ドキドキしてるの。あなたと共にしているうちに、ずっと離れたくないと思うようになったというか……その……」
    内心抱えている気持ちを上手く言葉に出来ず、半ばぎこちない様子で言葉を続けるレウィシアだが、ヴェルラウドは無言に徹するばかりであった。
    「……ごめんなさい。つまらない事を言って」
    顔を赤らめているところを見せたくないのか、レウィシアはずっと俯いたままであった。
    「レウィシア。君がどう思おうと、俺は君を守る事に変わりないよ」
    ヴェルラウドが返答する。
    「俺は騎士として、君を守りたい。そしてこの世界も。守りたいものは守る。それが俺の生まれ持った性だから」
    真っ直ぐな気持ちで想いを伝えるヴェルラウド。
    「……ヴェルラウド……ありがとう」
    レウィシアは徐にヴェルラウドの唇を奪う。
    「んっ……」
    両腕でヴェルラウドの頭を包み込み、突然のキスは濃厚なものとなっていく。熱い呼吸の中、ヴェルラウドの中に何かが侵入していく。それは口付けを通じた熱い想いであった。お互いの想いが絡み合う中、吹き付けるそよ風。夜の屋上に立つ二人はお互いの身体を抱きしめ合ったまま唇を離すと、混じり合う息を感じながらも至近距離で見つめ合う。
    「レウィシア……」
    不意にレウィシアのキスを受けたヴェルラウドの脳裏に、シラリネからのキスの記憶が蘇ると共にシラリネのキスの感触を思い出してしまい、熱い吐息を感じながらも目の前にあるレウィシアの顔をぼんやりと見つめていた。
    「……あっ……」
    我に返ったように離れては顔を背け、俯くレウィシア。
    「……ごめんなさい。私、何て事を……」
    レウィシアは俯いたまま詫びる。ヴェルラウドは何も言えず、そよ風が運ぶレウィシアの髪の香りを感じながらも、その場に立ち尽くしてしまう。二人は止まらない胸の鼓動と共に、全身が火照り出す。今まで感じた事のないこの感覚。これが愛なのだろうか。沈黙が支配する中、ヴェルラウドは俯くレウィシアにそっと近寄る。
    「……レウィシア」
    何かを言おうとするヴェルラウドに、俯いていたレウィシアが顔を上げる。その表情は赤く染まっていた。
    「……俺は……嬉しいと思ってる。俺も君の傍から離れたくない。君と共にしている時……今まで感じた事のない気持ちになった。それは……君の事が、心から好きになったという感情だったんだ。君の言う太陽の心に、俺は惹かれていたのかもな」
    偽りの無い眼差しを向けながら想いを伝えるヴェルラウド。レウィシアは何も言わず、ヴェルラウドに寄り掛かり、胸に顔を埋める。
    「……ヴェルラウド……うっ……うう……」
    感極まり、ヴェルラウドの胸で涙を流すレウィシア。ヴェルラウドはレウィシアの身体をそっと抱きしめていた。


    私にとっては初めての恋愛による感情であり、王国を守る騎士という使命を受けた王女の立場もあって恋愛とは無縁な世界で生きていた自分は心の何処かで恋愛に憧れ、心から好きになった人に愛され、辛く悲しい時や傷付いた時には好きになった人の胸で泣きたいという気持ちがあった。

    彼の力になりたいという想いは私の中に宿る母性本能がいずる感情によるものだったけど、彼への想いは恋となり、私と結ばれる運命の人としての愛となった。

    彼との再会から二年間の間、サレスティル女王から護りの騎士に任命され、クレマローズに移住する事になった彼と共に父王の手助けをする形で国を支え、共に愛を深め合った。定期的に開催される世界会議や各国との外交等様々な出来事がある中、私達は共に支え合いながら生きていた。

    そして、とうとう結ばれる時が来た。誓いの儀式を受け、夫婦として結ばれる日が。


    「……誓います」
    過去を振り返りつつも、想いを込めて神に誓うレウィシア。両者が向き合い、至近距離で見つめ合いながら両手の指を絡ませる。指輪の交換であった。ヴェルラウドは赤い宝玉が埋め込まれたサレスティルリングをレウィシアの指に、レウィシアは黄金色の宝玉が埋め込まれた太陽のリングをヴェルラウドの指に填めていく。そして二人の顔が近付き、誓いの口付けを交わす。祝福の拍手に包まれる中、想いを交わし合いながらキスをしている二人の姿は美しく見えた。
    「神よ、今此処に誕生した新たなる夫婦に永遠の祝福を!」
    多くの人々から祝福される中、手を繋いだままバージンロードを歩くヴェルラウドとレウィシア。祭壇に立つリランは二人の祝福を祈り続け、ルーチェ、ラファウス、オディアン、マレン、リティカ、シルヴェラ、マチェドニル、ヘリオ、ガウラ、アレアス、アクリム王、アクリム王妃、ウィリー、ノノア、エウナ、アイカ、ベティ、ウォーレン一家、ドルチェ、メイコ、レンゴウ、マナドール達───皆が、夫婦として結ばれた二人を見守っていた。
    「ねえ父ちゃん、あの人がお姫さまなの?」
    レニが不思議そうな顔でウォーレンに問う。
    「ああ、そうだよ。お姫様はかっこいい騎士様と結婚したんだ。父さんも昔はあんな風に母さんと結婚したんだからな」
    「まあ、ウォーレンったら。そこまで言わなくていいでしょ」
    ミズナが恥ずかしそうな様子で言う。
    「お姫さまとかっこいい騎士さまかぁ……」
    レニはレウィシアとヴェルラウドの事がずっと気になっていた。

    それから王国内では、盛大なパレードが行われた。世界最大級ともいう大規模なパレードとなり、人々は宴を大いに楽しんだ。踊る人々に混じり、王国の警備を務めていたトリアスを始めとする兵士達も踊りを楽しむようになった。ドルチェに引っ張られつつもパレードを楽しむレニ。パレードの中で商売に勤しむメイコ。人々と共に踊るラファウス達の姿。バージンロードを渡り歩いたヴェルラウドとレウィシアが乗り込む馬車は、ある場所へ向かっていく。馬車が向かう先は、クレマローズの王族が結ばれた時に夫婦共々永遠の愛を誓う場所、太陽の丘であった。そこには炎神の像が祀られており、炎の神に誓いの言葉を捧げる事で祝福を受けるという仕来りがあるのだ。馬車は太陽の丘を昇り、炎神の像が立つ場所に到着する。ヴェルラウドとレウィシアは手を握ったまま像の前に立つ。
    「炎の神よ。クレマローズの王族となるこの私、レウィシア・カーネイリスはたった今、我が夫となるヴェルラウド・ゼノ・ミラディルスと結ばれました。私達は夫婦として永遠に愛し合う事を誓います」
    想いを胸に、誓いの言葉を捧げるレウィシア。ヴェルラウドも同様の誓いを捧げると、二人の身体が仄かな光に包まれる。炎の神が齎した祝福であった。
    「私達、とうとう結ばれたのね」
    「ああ」
    二人は向き合い、顔を寄せる。
    「神は……太陽は、きっと私達を見守ってくれるわ。これからを生きる人々や、世界を守る為にも……私達は夫婦として支え合いながら生きていかなきゃね」
    「そうだな。それが俺達の使命だから」
    至近距離のまま言葉を交わし合う二人。レウィシアは僅かに顔を赤らめ、優しい眼差しを向けていた。


    私達は、太陽の心で結ばれている。太陽の心を持つのは私だけじゃない。あなたにも、太陽の心がある。希望という名の太陽が───。

    そして、人々の心にも太陽がある。私達は太陽の心で、人々の心の太陽に光を与えなくてはならない。それが私達の使命。

    光を取り戻したこの世界を守る為に、私達は地上の太陽になる。


    仕来りを終え、王国に戻った二人を待ち受けていたのは、ルーチェを始めとする仲間達であった。
    「レウィシア、ヴェルラウド。今改めて祝福するよ。おめでとう。僕はあなた達と出会えて、本当によかった」
    笑顔で二人に祝福の言葉を送るルーチェに、レウィシアは思わず涙ぐんでしまう。
    「風の神と共に、聖風の神子としてあなた達の幸せを心からお祈り致します。どうかお幸せに」
    続いてラファウスが祝福の言葉を送る。
    「ヴェルラウドよ。共に戦い、共に剣を交えた友として祝福させてくれ。お前は俺の誇りだ。俺はいつまでもお前の幸せを祈っている。そしてレウィシア王女。貴女からも様々な事を学ばせて頂きました。どうかヴェルラウドと共に、夫婦円満で幸せになられますよう……」
    オディアンの祝福の言葉を受けたヴェルラウドも次第に涙ぐんでいく。
    「ヴェルラウド、レウィシア。君達が末永く幸せになる事を祈る。夫婦として生きる彼らの未来に光あれ」
    リランが杖を手に祝福の祈りを捧げる。
    「善きかな善きかな。お前達が本当の意味で幸せを手に入れたと思うと、わしらもまだまだ頑張らねばならんのう。世界の平和を維持する為にな」
    マチェドニルの言葉に頷くルーチェ達。
    「レウィシアさーーーん!」
    突然聞こえて来る声。ランを連れたメイコであった。相変わらずのテンションにレウィシアはいつになっても変わらないわねと心の中で呟いてしまう。
    「レウィシアさん!結婚おめでとうございます!まさか旦那様がイケメンな騎士様だなんて、羨ましい限りですよぉ」
    メイコは目を輝かせながらもヴェルラウドをじろじろと見ている。
    「メイコさん……変な事を考えていたら承知しませんよ」
    ラファウスが冷静な声で言う。
    「な、何を仰るのですか!人様の結婚相手を横取りするとか、私がそんな最低な事をするとでも!?」
    必死な様子で反論するメイコだが、ルーチェとラファウスの視線は冷ややかであった。
    「もう、あなた達はいつになっても私には冷ややかですね!私だってレウィシアさんと共にしてきた仲ですから、祝福する権利くらいはあるでしょう!?」
    「それは解りますけど、物売り目的なら帰ってもらいますよ」
    「だ~か~ら~物売り目的じゃありませーーん!!」
    メイコとラファウスのやり取りにくすくすと笑うレウィシア。ヴェルラウドは全く何やってんだかと思いながらもつい笑顔になってしまう。
    「ぬ、これは!」
    リランが突然声を上げる。
    「リラン様、どうかされましたか?」
    ラファウスが問う。
    「天からの祝福の声だ。テティノとスフレが、君達を祝福している。それどころか、何人かの祝福の声も感じる……」
    「え!?」
    リランの口から出たテティノとスフレの名前に全員が驚く。死した者達からの祝福の声を、リランは感じ取っていたのだ。
    「テティノ……スフレ……あの世で私達の事を……」
    レウィシアとヴェルラウドはあの世でテティノとスフレ達が祝福しているという事実に、ただ驚くばかりであった。ヴェルラウドにとってスフレは一方的に想いを寄せられ、本心に気付かぬまま目の前で死を迎えてしまった仲間であり、守るべき存在でもあった。スフレだけではなく、同じ仲間であったテティノ、騎士として守るべき存在であったシラリネ、リセリア、クリソベイア王、そして両親であるジョルディスとエリーゼ。死した者達も、自分達を祝福している。例え死しても、大切な人を想い、大切な人の幸せを願う気持ちは存在している。それを知った二人は晴れ渡る空を見上げる。太陽は、まるで黄金のように輝いているように見えた。


    僕達はいつまでも、君達の幸せを見守ってる。


    幸せで、ありますように───


    光り輝く太陽。空の上から見える死した者達の幻。地上の人々を見守るかのように穏やかな表情を見せながらも、幻は消えていく。新たな夫婦として結ばれた太陽の王女と、太陽を守る使命を受けた護りの騎士。神界の神々は二人の姿を見守っていた。


    人として再び地上に立つ事が出来た太陽の子よ。お前は人であり、地上の女神でもある。

    世界の未来は太陽であるお前自身と、お前と共にする者、そして光ある者達が育むのだ。

    お前の太陽の心は、人々に光を与える。そして人々も、心に太陽が存在する。人々の心の太陽に光を与え、全ての平和を守る。それが地上の女神として生きるお前の使命。

    我々はいつでもお前を見守っている。人々の太陽として生きよ───。



    時は流れ、光ある者達はそれぞれの道を歩む。ルーチェは賢者の神殿で道に迷いし者達を導く聖職者となり、リランはマチェドニルの後を継ぐ形で神殿を治める新たな賢王となった。ラファウスは風神の村を治める聖風の神子となり、オディアンは剣聖の王としてブレドルド王国を支えていた。神殿に住む僧侶として生きていたリティカはブレドルド王国へ移り住むようになり、王国のシスターとなった。剣聖の王となってもオディアンは未来の王を育む為、騎士を志す者達への厳しい鍛錬を絶やさず、剣の腕を鍛える事も怠らない日々を送る。王国を守る騎士団の中にはアイカの姿もあった。マレンは王、王妃と共にアクリム王国を支えながらも、テティノとの思い出を胸に、世界平和への貢献活動に勤しんでいた。シルヴェラは引き続きサレスティル王国を治めるものの、王の後継ぎがいない王国の現状を見て、将来は共和制で王国を支えていくサレスティル共和国とする事を計画していた。メイコは後輩の商人達と行商団体を結成し、各地で営業巡りに勤しんでいた。そしてレウィシアは、新たにクレマローズを治める者として玉座に腰を掛ける。その傍らにはヴェルラウドが立ち、トリアスを筆頭とする多くの兵士達が跪く。光ある者達は、世界の平和を維持する為に新たなる人生を歩んでいた。



    人々の心に希望という名の太陽がある限り、世界は輝き続ける───。




    ────了


    橘/たちばな Link Message Mute
    2021/03/16 23:06:57

    EM-エクリプス・モース- エピローグ編

    エピローグ編。これにて本編は完結となります。最後までご愛読ありがとうございました。
    ##EM-エクリプス・モース- ##創作本編 #オリジナル #創作 #オリキャラ #R15 #ファンタジー

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