ロンリー系男子、愛を知る
人は、独りでは生きられない。
たとえ、どれほど独りを好もうとも。
孤独を愛すると豪語しようが、人は己ではない誰かの愛に守られることで、息が出来るのだ、と。
頭では分かっている、筈だというのに。
加賀谷蓮は独りを好んだ。
人が嫌いという訳でもなければ、関わりを持つことに抵抗があるという訳でもない。
ただ、己の実力を信じて高みを目指し、ひたすら実績を積み上げては困難を乗り越えてきた人間に、『仲間』という存在は不要だったのだ。
ライバルが存在することに感謝こそすれど、手を取り合うなど、考えられないと云えばどこか大袈裟だが。
ましてや、自分の売り込み方は関心を集めこそすれど、批判の的。
だからこそ蓮にとっては、独りが己の武器になりつつあった。
『友情』や『絆』と呼ばれるモノに、眩しさを覚えようとも、何者にも縛られず、時には自由奔放に、前だけを見て突き進む。
そうやって生きていこうと、否、生きていくのだと。
蓮は、そう思っていた。
だからだろうか。
自分が所有している台本と同じ物を手に、台詞合わせをしたいだなんて。
そんな話を持ち掛けてきた人物を、とても信じられないといった表情で見つめてしまったのは。
今思えば、随分と失礼な態度を取ってしまったことに対し、猛省するべきだろう。
だがその人物は、同じ学園の生徒であること以外、学年も、部活も、ましてや住んでいる寮も異なる、謂わば『接点』のない少年だった。
それも、まるで絵本に出てくる王子様のような、中性的とも取れる美しくも甘い顔立ちと。
サバサバした性格を持つ蓮からすると、自ら近付くのは躊躇う程に柔い雰囲気を纏っている、誰からも愛されているような第一印象を与えてくるような。
側から見れば、美女と野獣。
彼はいくら可愛らしい顔をしていようと、紛れもない男性なのだが。
実際、少年の声は低い。
恐らく、蓮が今まで出会ってきた同年代はおろか、同業者であろうと彼程の声質を持った人物はそうそう存在しないだろう。
だが、蔑むつもりは欠片もなかった。
むしろ、艶やかで、一度聞けば忘れることなど出来ないであろうその声は、自分では決して出すことなど叶わないことも含めて、ただただ羨ましい限りだと、正直な感想を抱くのは必然だ。
そんな彼が、何故。
学園内で、一匹狼と呼ばれているような自分に。
「あー、雛瀬…だっけ?」
「はい」
「お前さ、この作品に出るだけの実力持ってんだし、そういうの要らないんじゃね?」
「…え?」
首を傾げたいのはこちらの方だ。
どこか呆然と、相手の大きく見開かれた美しいエメラルドに、蓮は一瞬たじろぐ。
無理もない。
純粋とも取れるような、まるで人間の汚れた部分を見たこともないと言わんばかりの、真っ直ぐな眼差しを真正面から捉えてしまったのだ。
そんな顔をさせるつもりは、なかったというのに。
「いや、その…なんだ…」
「あ、もしかして、この後は何か予定が…、」
「ん!?いや、そうじゃなくて…!」
話を最後まで聞けないのだろうか。
否、歯切れの悪い自分にも非はあるのだが。
そう、一言を伝えるだけだというのに。
必要最低限のコミュニケーションを取ることは怠らないが、馴れ合うつもりは更々ないのだ、と。
「俺、同じ学園の人と共演するのが初めてで…。あの、加賀谷先輩…ダメですか?」
「ぐ…!」
まさか、先手を食らうとは。
典型的な必勝法に、蓮は奥歯を噛み締めた。
独りに慣れてしまった男は普段、人に頼られることなど滅多にない。
ましてや、男とはいえ可愛らしい顔立ちの年下に、不安げな表情を浮かべられながら『ダメか』と問われてしまったら。
あざとさに免疫など一切ない蓮であれば、尚更だ。
イチコロだったといわれても、過言ではないだろう。
「えっと、ここは強目のアクセント…で、大丈夫ですよね?」
「だな。あとは早口になり過ぎないように、気を付けろ」
「はいっ。ありがとうございます、加賀谷先輩」
「…おー」
もしも、相手がこんなにも素直で、物分かりが良くなければ。
即刻、煙たがっていたというのに。
女性のような丸い字で、蓮からのアドバイスを台本にいそいそと書き込む姿は、愛らしく、目を惹くものだった。
それが同性に抱く感情ではないにも、拘わらず。
『何だこいつ、滅茶苦茶可愛い』、と。
無意識に、柔らかそうな真っ白い頬を人差し指でつついてしまったのは、仕方のないことなのかも知れない。
「ふみゅ…ひぇんぱい?」
「ふっ、悪い…。すげぇ真剣そうだったから、つい」
「…!先輩が楽しいなら、良かったです」
「は、何だそれ」
まるで本心しか話さないと言わんばかりに、曇りのないエメラルドを柔らかく細めながら破顔する少年に、頬杖をついていた蓮も、釣られて笑う。
随分と、良い後輩に懐かれたものだと思いながら。
(コイツとなら、こういう時間も悪くねぇな)
見た目が麗しく、性格も温和。
物静かで、天然の入った発言は面白く、心地も良い。
まさに、良いこと尽くめとはこのことではないだろうか。
理由は一切不明だが、自分と同じように仕事は一人でこなし、オーディションを切り抜けてきたという実力もあり、己という芯もしっかりと持っている。
決して、流されてきた訳ではないと、言わんばかりに。
「あと一年、早く生まれたら、ダチだったかもな」
「え…?あの、今からじゃ、遅いですか?」
「あ?お前、先輩に向かって生意気だぞコラ」
「わっ、ひゅみまひぇ…!」
もしも、他校だったならば、その可能性もあっただろう。
だとしても、碧鳥は蓮にとって、可愛い後輩の一人となったのは代え難い事実だ。
実際、今回のことを切っ掛けに共演作も増え、顔を合わせた時には互いに相談を持ち掛けるようになり、やがて距離も縮まっていくことを、二人はこの時まだ知る由も無いのだが。
そう、今はただ、少年のマシュマロのような頬をひたすらつついては、柔らかさと優しい温もりを蓮は堪能した。
遂には、自分も破顔しながら。
一匹狼は知らない。
否、クラスメイトであり、気が付けば強制的に馴れ合うようになってしまった、認めたくはないが友人である百瀬に何度も指摘されていたのだが。
口調が荒く、普段のパフォーマンスやプロモーションに迫力や派手さが付き纏うだけで。
黙っていれば十分、容姿端麗だということ。
そして、尖った雰囲気が緩んだほんの一瞬、浮かべられた微笑が、時に美しさを感じさせることを。
「かがやんってば、可愛い後輩を誑かすだけでないなんて」
「何だ突然。頭大丈夫か」
「笑うと美人なんだから、いい加減武器にしちゃえば?」
「はぁ?会話してクダサイコノヤロー」
顔を商売道具にするなど、モデルではあるまいし。
確かに、舞台映えを意識する為、身嗜みは最低限よりも整えているものの。
笑うと美人というのは、最近校内でもよく話すようになった、お気に入りの後輩のことをいの一番に指すのではないだろうか。
ましてや自分の性格上、美人などと言われて嬉しいどころか、相手の視力と思考回路を疑ってしまっても、無理はない。
今回は相手が百瀬ということもあり、尚更だと蓮は警戒している。
折角、窓際で心地良い初夏の風に吹かれながら、台本を素読みしていたというのに、台無しだ。
「あ、それ、かがやんも出るの?」
「あぁ。お前は出ないだろ」
「うん、でもちっひーが出るから観に行こうかなって。あと、かがやんが最近楽しそうに話してる、雛瀬…だっけ?」
「何だよ、実際楽しいし、俺の勝手だろ。つか、アイツのこと知ってんのか」
恐らくユニットに所属していないであろう碧鳥を、頂きを目指す人間が知っていようとは。
百瀬の情報網は侮れないこともあり、蓮は思わず素直に目を丸くする。
ぽろりと、本音を零しながら。
その反応が、色男の興味を引きつけるというのに。
「なぁに?嫉妬?大丈夫だよ、まだ話しかけてないから」
「ッ、違ぇし、そもそもアイツに話しかけんな!大体、何で…」
「そりゃあ、街を歩けば逆ナンされ…、いやうちのちっひーと仲良い美少年だもの、気になるじゃん」
「逆ナンってマジかよ」
いや、食い付くところはそこではないだろう。
百瀬と蓮の会話を遠巻きに聞いていた何人かのクラスメイトは、心の中で声を揃える。
モテるとは思っていたがそこまでか、何か秘訣はあるのかと、腕を組みながら真剣に悩む蓮へ、伝わることはないのだが。
「あれ、かがやんと街に居る時は逆ナンされないんだ?」
「あー、何人かの野郎が変な目でアイツを見ていたから、追っ払ったけど」
「…それ、かがやんのことを見てたんじゃない?というより、そんなのに出喰わしたら女の子も近付かないよ」
蓮は、番犬か何かだろうか。
切れ長の美しいベキリーブルーを見て、恐れをなすのも分からなくはないが。
そう、美人は怒ると怖いのだ。
「どうせ、声に凄味も入れたんでしょ。可哀想な雛瀬、怯えてなかった?」
「は!?怯え…?いや、そんなことは…。苦笑い、か…?」
「雛瀬は大人だねぇ」
「どういう意味だ」
確かに、後輩を前に喧嘩腰の姿を見せるなど、良くはない話だが。
売られた喧嘩を買うのは、己の専売特許のようなもの。
その時は主に口論で負けたことなど、一度もない。(非常に悔しいが、百瀬にだけは口で勝てないと、自覚しているが)
蓮は碧鳥に対し、醜態を晒してはいない筈なのだ。
「あ、噂をすればちっひーと雛瀬だ。仲良いねぇ」
「…ん」
「あはは、分かりやすいほど落ち込まないでよ」
「るせぇ」
校舎外で、自分と居る時よりも更に近い距離で話す後輩二人の姿に、ただでさえ蓮の胸にはチクリと原因不明の痛みが突き刺さるというのに。
先程の百瀬の言葉、要約すれば自分が後輩に面倒をかけているといっているようなものではないか。
そんな話を聞かされて、最近他人との距離感が掴めてきた男が、気にしない訳がないだろう。
ましてや、自分の方がたった一つとはいえ年上だ。
情けないこと極まりない。
蓮は口を噤み、触れれば柔らかそうな碧鳥の後ろ髪を、思わず睨め付ける。
最近、目が合えば手を振り、駆け寄ってきたかと思えば、互いに他愛もない話を持ち出すようになった、可愛い後輩であるにも拘わらず。
「…ッ」
「あは、手を振ってる。可愛いー」
「見んな、減るだろ」
「…!ちょ、かがやん、耳まで真っ赤…っ」
こうなるから、誰かと馴れ合うのは嫌なのだ。
世話を焼くことも、誰かに頼って貰うことも、それが己の性分だと分かっていようとも。
こちらの視線に、気が付いたのか。
顔を上げたかと思えば、ふわりと美しいエメラルドを細めながら、笑みを浮かべて手を振ってくる碧鳥に、蓮は思わず緩みそうになる口元を片手で押さえ、項垂れたい衝動をグッと耐えた。
不審な挙動と捉われないよう、必死に。
それもこれも、全ては碧鳥が可愛いせいだろう。
ただでさえ、童顔で、おっとりしているというのに。
美味しいラーメン屋があると、何故か百瀬も同伴で誘われた時のこと。
容姿からして、てっきり甘い物が好きなのだとばかり思い込んでいた蓮が、彼の少し男の子らしいところが垣間見えたと頬を緩ませた途端。
「いただきます」
「いただき…、ッ!?」
「ふー、ふー、はふ…、んぅ?」
「あはっ、あはは!かがやん、ガン見し過ぎでしょ…ッ!」
「うっるせぇな!黙って食えよ!ラーメン好きなんだろ!?」
見るな、笑うな。
それは己へ対してか、はたまた目を丸くしながらちゅるりと麺を啜った後輩に対してかは分からない。
だが、まさかテーブル席の向こう側で、綺麗な箸使いで摘んだ麺に、息を吹きかける時。
その柔らかな髪を耳にかけながら、それでも声優かとツッコミを入れたくなる程の微量な空気を送る、アヒルのように尖った唇を見せ付けられて。
終いには、小さな口でちまりと麺を食われるとは。
女性に免疫のない蓮にとって、女性のような仕草を前に、目を逸らすことなど不可能な話だったのは言うまでもないだろう。
「ん…。先輩、ラーメン嫌いですか?」
「あ!?好きだよ、食うわ!だからお前も黙って食え!」
「んむっ!?」
「あは、やめ…、かがやん、面白すぎて…お腹、ひ、痛い…!」
そのまま腹を捩らせすぎて、動けなくなってしまえば良いのに。
蓮は熱くなってしまった顔をそのままに、隣に座るピンクの悪魔を睨め付ける。
無論、碧鳥の口へ強制的に突っ込んだ箸は、抜き取って。
ちなみに、はふはふと懸命に咀嚼している彼の口内に存在するのは、厚切りされた豚の角煮だ。
「あー、くそ。櫻井のせいで麺伸びちまうじゃねーか。…あ、」
「間接キスだね、かーがやんっ」
「ッ、ぐ…ゲホッゴホッ!」
「わっ、加賀谷先輩!これ水、飲んで下さい!」
その水は、碧鳥のだろう。
分かってやっているのか、はたまた天然か。
整った眉を下げ、心配で堪らないと言わんばかりに見上げてくる様子を見る限り、恐らく後者だろう。
狙っているとすれば、彼はただの小悪魔だ。
「けほっ、あ、りがとな…」
「大丈夫ですか?あ、良ければ食べやすいように麺を切りましょうか?」
「ばっ、大丈夫だから、大人しく食ってろ!つか櫻井、食わねぇなら帰れよ!」
「食わせてくれないのはかがやんだったのに。ねー雛瀬ー」
同意を求めるな、しれっと食い始めるな。
マイペースなピンクの頭を、蓮は横から拳で小突く。
向かい側で、困ったように笑う少年には気付かないまま。
以降、ラーメンを食べに誘われなくなったことを、目の前で百瀬と小競り合い(と言う名の戯れ合い)を繰り広げたせいだと考えた蓮は、仕事のインセンティブで貰った食事券をスウェットパンツのポケットに突っ込み、碧鳥の居る部屋を訪ねた。
彼の同居人である先輩が、出払うタイミングを狙って。
蓮は不安なのだ。
あまり良く言われていないような自分の傍に居れば、周りから何を言われるか分かったものではないと。
強く燃え上がるほど周囲の目を惹き、全てが己の糧となる商法を、碧鳥も携わっているというような噂が立つことなど、以ての外だろう。
蓮の隣に気が付けば居る百瀬も同伴するなら、まだマシだが。
なるべく周りの目を気にしない形で会うには、こうするしかなかった。
自分の部屋に招くなど、恐ろしいこと極まりない。
「どうぞ」
「おー。あ、それ次のか?」
「はい。また加賀谷先輩と共演出来るのが嬉しくて、気付いたら読んじゃうんです」
「…っ!お、れも…、ッ」
碧鳥との共演を心待ちにし、嬉しくて堪らない、と。
そう、口走りそうになってしまった蓮は、赤くなっているであろう顔を見られまいと、碧鳥に背を向ける形で彼のベッドに腰掛けた。
幸せで仕方ないと言わんばかりに、ほわりと微笑まれたことで釣られかけたのだと己に言い聞かせながら。
「先輩?」
「な、んでもねーよ!つか、お前の部屋なんだから突っ立ってないで、こっち来いよ」
「っ、はい!」
何故、今度はパァと花が咲いたように笑えるのか。
先程まで蕩けそうな笑みを浮かべていたというのに。
碧鳥は元々、表情が乏しくない方だとは思うが、流石に大袈裟だ。
無論、悪いことではない。
彼の笑顔に何度も撃沈してきた蓮にとっては、むしろご褒美といっても過言ではないだろう。
そういえば、部屋に招こうとしていた時は、随分と嬉しそうな様子だった。
「なぁ、俺が来る前に何か良いことあった?」
「え?」
「ずっと口元緩んでるぞ」
なんなら、ずっと笑みを浮かべている頬も痛いだろうに。
蓮は隣へ腰をおろした碧鳥の表情筋をマッサージしようと、散々突っついたことのある頬を両手でそっと包んだ。
ひんやりしていたことには、目を丸くしつつ。
ただ、しばらくもしないうちに、じわじわと掌には熱が伝わってきたが。
何だ、何故急に発熱した。
蓮はそのままの姿勢で、心なしか潤んできたように見えるエメラルドを覗き込み、滑らかな肌触りの額へ、額を寄せる。
「雛瀬、どうした?具合悪い?」
「う…ぅ」
「ん?」
「せ、んぱいが…、ちかい…っ」
拙い、怯えさせてしまったのだろうか。
或いは、最近距離が縮まってきたからと、少々馴れ馴れしかったのかも知れない。
所詮は先輩と後輩。
否、そのような関係であるというのに、今の距離感は明らかおかしかっただろう。
このように触れ合うのは、恋人同士くらいだ。
蓮はそんな体験を、憧れこそすれど、したことは一度もないのだが。
嗚呼、焦れば色々とボロが出そうだ。
蓮は顔を青くしながら仰け反り、碧鳥の両頬から放した手をパッと肩より上に挙げた。
「わ、悪い!」
「えっ、あ、違うんです。あの、その…」
「き、気持ち悪かったよな。もう、しない」
偶には、触り心地の良いその頬を、また指でつついてしまうかも知れないが。
その言葉はそっと心にしまい込んで、蓮は俯きつつ己の行動を思い返す。
己の人生経験の乏しさが、こんな形で浮き彫りとなったことに、隠し切れないショックを受けながら。
それも、可愛い後輩を相手に。
(けど、柔らかくて、温かかった…)
俯く先にある、膝上に乗せられた己の無骨な両手に残る人肌の感触を、蓮はごくりと唾を飲み込みながら思い返す。
触らないと言った手前、もう包み込むことなど、叶わなくなってしまったというのに。
独りが好きだと、叫ぼうとも。
自分が言おうものなら、もはや説得力など無いのだろう。
それは碧鳥に押し付けた食事券か、『なら一緒に行きたいです』と笑う彼か、その話をどうやって耳にしたのか自分の背中を強く叩きながら『良かったね』と笑う百瀬か。
何が物語るかは、分からない。
「俺、加賀谷先輩が無理してラーメンに付き合ってくれたのかと思って…」
「いや、ラーメンは普通に食う。まぁ、櫻井は大が付くほど好きだし、これからも誘ってやれば?」
「はいっ。先輩も、時々で良いので、一緒に行きましょうね」
「べ、別に、時々じゃなくて良いっつーの」
誤解があったのならば、尚更だ。
失った時間を埋めていきたいとまではいかないが。
むしろ、そう思っていたら、それは蓮が碧鳥に依存していることとなる。
そこまでではない。
同性の、可愛いとはいえ後輩を相手に、まさかそんな。
それもこれも全て、肩を並べながら隣を歩く彼が、またいつもの如く嬉しそうな笑みを浮かべているからだろうか。
このまま頭を撫でて、構い倒したくなってしまうような。
人を惹きつけるそれに、先日柔い温もりを知ってしまった己が目を逸らすことなど、出来る筈がないのだが。
「でも今日は、先輩と初めてたからバーガーに行きますね」
「…あー、もう食いたいもの、決まってんの?」
「うーん、ラーメンバーガーと、ポテトと…」
「は、そんな食えんのかよ」
「食べられますよ!」
そのような薄い腹に、よく収まると断言できるものだ。
下手をすれば、そこらを歩く小柄な女性と変わらないのではないだろうか。
蓮は怪訝な表情を浮かべ、思わず碧鳥のわき腹を横から摘む。
「うわ、うっす」
「ひ、人が気にしていることを、酷いです」
「あ?事実だろ。まぁ、出来るだけ食って、入らなかったら俺が食ってやるよ」
「わっ、せんぱ…くすぐったいっ」
なら、拒めば良いのに。
碧鳥が発言を躊躇うような雰囲気を、蓮は露にしていないつもりだ。
むしろ、気兼ねなく言いたいことを言えるよう、こちらも遠慮などはせず、ありのまま接している。
彼相手だからこそ、そんな態度で居られるのかも知れないが。
そう、蓮はやはり、碧鳥と共に過ごす時間にどうしようもない心地良さを覚えていた。
「買ってくるから、先に座ってろ」
「そこまで混んでいませんよ?先輩、早く行きましょう」
彼は優しい少年だ。
たった数分、少しは甘えてくれても構わない中、むしろ頼ってくれと言わんばかりに、微笑んで。
「雛瀬、飲み物は?」
「んー、ゆず茶が良いです」
メニューを共に覗き込む際、仕方ないこととはいえ肩口に頭が寄せられたことには、心臓が口から飛び出そうになったものの。(仕方ない、彼は良い匂いがするのだ)
店員に差し出されたトレーを、碧鳥はニコニコ笑顔を浮かべながら、受け取った。
ここで、後輩魂に火をつけなくても良いだろうに。
空いていたカウンター席に真っ直ぐ足を運んだかと思えば、紙ナプキンを取りに行って来ると周りをキョロキョロ。
「雛瀬、俺が取ってくるから、先に食ってろ」
「良いんですか?」
「お前に奢るんだから、むしろがっついとけ」
「ふふ、はーい」
腹が減っていたのだろう。
バーガー一つに心なしか目を輝かせている碧鳥に、蓮はにやける口元を押さえつつ、席を立った。
紙ナプキンを手に戻ってすぐ、トイレに行くとも告げて。
席とトイレの位置を鑑みて、経過した時間は約三分。
その間、一体何があったというのか。
先程まではしゃいでいたと思いきや、今の碧鳥は俯いてしまっていて。
明らか元気を失っているのか、ラーメンバーガーを両手に持って食べてはいるものの、ちまりちまりと進みは悪かった。
そんな彼に、自分は一体なんて声を掛ければいいのだろう。
(とりあえず、さっさと食って帰ったほうが良いか)
きっと、場所が悪いに違いない。
碧鳥は時折蓮を見上げるも、いつもはしゃんと伸びている背中を丸め、どこか萎縮してしまっているのだ。
まるで、天敵に狙われている小動物のように。
震えていないだけ、マシだろうか。
蓮は周囲を見渡しつつ、テリヤキバーガーを大口で食べ進めた。
その時。
「ねぇねぇ、あの人もイケメンだね」
「本当だ!でも声掛けて、またショック受けるのも嫌だよね」
「そうそう、ビックリ!めっちゃ可愛い顔なのに、声低いんだもん」
「声が高めだったら、完璧だったよね」
声を掛けてショック、可愛い顔なのに声が低い、声が高ければ完璧。
それは、隣で肩を大きく揺らし、微かに汗を浮かべている碧鳥に対する言葉だと。
そういう、ことなのか。
「あーあ!どっかのお二人さんが鼻息荒く逆ナンしたせいで、連れが食欲無くしちまったじゃねぇか!」
「…!?せんぱい…?」
腸(はらわた)が煮えくり返ったせいなのかは、分からない。
ただ蓮は、気が付けば店員に注意されてもおかしくはない声量で、すぐ近くのテーブル席に座る女子高生であろう二人を、口元にだけ笑みを浮かべながら煽った。
紛れもない事実を、捲くし立てるように。
そうしたくて、仕方なかったのだ。
自分が居ない間、その程度の言葉で何故彼が傷付いたのかは分からないが。
大切な後輩の、触れられたくはなかったのであろう傷口を抉られてしまえば、こちらも黙っていられる訳がない。
唖然と見上げてくる碧鳥の唇が、微かに震えていれば尚更だろう。
「帰るぞ、雛瀬」
「え、あ…っ、でも…」
「ったく、それ寄越せ!あと荷物も!飲み物は俺の分も持って、おら行くぞ!」
「は、はい!」
二人分のスクールバッグを肩にかけ、まだ半分以上も残っているラーメンバーガーと、手が付けられていないポテトをトレーに乗せ、蓮はレジカウンターを目指した。
持ち帰って、後から口をつけるならポテトくらいだろうが。
目の前で捨てれば、碧鳥に何かしらショックを与えることとなるだろう。
店員が慌てて詰め込んでくれた袋を片手で奪い取ってしまう程に苛立ちは加速しているが、蓮は耐える。
今すぐにでも舌打ちをしてしまいたい衝動を、抑えながら。
それをしてしまえば、どこぞの不良と同じだ。
自分は炎上屋であって、喧嘩屋ではない。
「せんぱ…、待って、せんぱい…!」
「っ、悪い…、早足になって、ッ!?」
いつの間にか痛まなくなった心で、傷付くのは自分だけで良いと思い始めてから。
煽りはすれど、誰かに不快な気持ちを抱かせるなど、あってはならないと。
そう心に決めていたが。
蓮は後悔した。
何故、もっとあの女子高生二人を罵倒しなかったのか。
お前達の心無い一言で、大切な後輩は、こんなにも。
「言われ、慣れているから…、だいじょうぶ…です」
くしゃりと顔を歪めながらも、懸命に笑おうとしているのに。
蓮が独りを好むのは、それが己のスタイルだからということ。
そして、不意に溢れてしまいそうになる己の弱さを、誰にも見られないようにする為だった。
煽って、時には言葉に傷付いて、その心から血が吹き出ようとも、塞がればまた繰り返して。
自分のやってきたことに後悔など無くとも、反省が付き纏うことも多々ある中。
もしも誰かが傍で慰めてくれたら、と。
本当に時々、そう思ってしまう自分が、蓮は死んでしまいたくなる程、嫌だった。
好きで、成功していて、向いているからと選んだ道。
そこから、逃げてしまっているかのようで。
ただ、プライドが高いのかも知れない。
だがそこにある見えない、どうしようもない弱さは、自分の強さだと。
(俺は、自分を信じている。けど、雛瀬…、お前は違う)
碧鳥が独りだったのは、それが向いているという訳でも、楽だからという訳でもない。
自分の心を切り刻んでくる言葉が、辛くて、怖くて。
溢れ出る血が、嫌で、苦しくなってしまって。
きっと、何度も泣いてきたのだろう。
苦しいと叫ぶ己の声を、疎み、悩んできたのだろう。
活かしたいと思える個性を、受け入れたくないと思っている心無い人間の言葉だけを、耳にしながら。
独りきりで、ずっと。
「雛瀬、ついて来い」
「は、い」
ならば、雑踏の無い場所へ行けば良い。
自分と彼が落ち着いて二人きりになれる、場所へ。
そこへ導く為とは言え、己の広くはない背を見せることに迷いはあったが。
碧鳥は、絶対についてくる。
彼は独りだったが、なりたくて独りになった訳ではない。
傍で慰めてくれる誰かを、きっと、求めているのだ。
まさか、正反対の自分がそうするとは思ってもみなかったが。
「ん、よく頑張ったな」
「…!」
蓮は知った。
否、教えてもらったことを、伝えたかった。
独りでは決して、知ることが出来ないことがあるということを。
もうすぐ日が暮れる、郊外の森で。
そっと頭を撫でた途端、持っていた二人分の飲み物を懸命に握り、唇を噛んでしまったいじらしい姿に、どうしようもない愛おしさを募らせながら。
「俺、好きだよ。お前のことも、お前の声も」
「…嘘だ。俺の見た目で、俺の声は、気持ち悪いって、」
「は?誰がそんなこと言ったの?」
気持ち悪いなど、蓮は考えたこともなかった。
ちぐはぐかと言われれば、世間ではそうなのかも知れないが。
誰からも愛されるような、砂糖菓子に似た見た目とは裏腹に、腰が砕けてしまいそうな程に低く艶やかな声。
その全てを持たない…否、持てない自分は、初めて共演した時からずっと、羨ましくて仕方なかったのだ。
初々しさはあるものの、実力も認めている。
何も恥じることは無い。
人の心を抉る不快な言葉など、彼に投げかける理由は愚か、必要も無いのだ。
「教えろ、ソイツ殴ってくるからよ」
「だ、駄目ですよ…!先輩はどうしてすぐ、悪い人になろうとするんですか!さっきだって…っ。本当は優しくて、とても良い人なのに…」
「世間が俺を悪い奴だと罵るような行動を、お前が優しくて良い人だと思ったんなら、それで十分だ」
それで、もう独りじゃない。
碧鳥という、かけがえの無い味方が居て。
後は笑ってさえくれれば、それが彼を守れたという証となる。
だから、それは独り善がりと呼ばれようと、蓮にとっては正しいことだった。
「お前に嫌われなきゃ、何だって良い」
「俺は、嫌です…っ。俺は先輩にみたいに強くないから、俺のせいで先輩が悪く言われたら、悲しい…っ」
「だから、傷付いたこと言われたけど我慢して、俺のことを優先させたかったって?
ふざけんなよ、俺がお前より弱くないからこそ、優先されるのはお前だろ」
ここまできて、ましてや今回の件で悪者扱いされようが、傷付く訳がないというのに。
彼は一体何を見てきたのだろう。
『加賀谷蓮』という男を近くで見てきたという癖に、全然分かっていないではないか。
だからだろうか、どこかムキになってしまったのは。
「俺の心が折れるなんて、そうそうねーよ」
メリットだけを見て、揺らぐ心を必死に隠し、独りで耐え抜いてきたからこそ。
男には、強い心がある。
だから蓮は、碧鳥に向かってからりと笑えるのだ。
「俺が好きなお前のこと、お前が嫌いになる方が、何倍も嫌だわ」
「…っ、俺は、こんな弱い自分のこと、好きになれません」
「なら、どうしたら良い。どんな自分なら、好きになれる?」
自己陶酔しろとは言っていないというのに。
ここに来て碧鳥は少し頑なだと、蓮は初めて感じた。
それは、彼が自分に対し、ようやく心を開いてくれたからだろうか。
どこか受け身だと感じていた少年は、聞き上手だった。
そのせいで、隠されていたらしい。
美しい彼の、醜い本性と。
秘められていた、強い幻想を。
「先輩の、何を言われても折れない心に、俺は、凄く憧れて…」
「ん」
「羨ましくて…。俺は…、先輩みたいな心が欲しくて、先輩みたいになれたら、良かった…」
ほろり、ほろり。
瞬きをするたびに、溢れ出る大粒の涙が彼の長い睫毛に纏わりついて、どこか重そうだというのに。
彼はそれさえも気にしないとばかりに、頬を濡らしながら吐露した。
否、自分自身が泣いていることに気付いていないのだろう。
碧鳥の眼差しはあまりも真っ直ぐで、伝えるだけで精一杯だったに違いない。
人によっては、重たいと思ってしまうような。
蓮にとっては、尊い気持ちを溢してしまったのだから。
そのことに、どれだけの勇気を使ったことか。
きっと今、彼は気力だけで此処に立っている。
「雛瀬、それ貸せ」
「…、は、い」
「ん、ありがとな」
早く、早くしなければ。
郊外の森に設置されたベンチに、荷物と彼から奪った飲み物を静かに置いた蓮は、顔を上げ、姿勢を正した。
両腕を、横めいっぱいに大きく広げながら。
「せん、ぱい?」
「なぁ、雛瀬。俺がお前になれないように、お前は俺になれないだろ」
「…はい」
「手を伸ばしたって、お前が触れられるのは、俺しかないんだ」
蓮は誘う。
両腕を広げたまま、手だけを動かして。
「もっと、俺を見ろ、雛瀬」
「…!」
「そんで、こっちに来て感じろ」
「…っ、せんぱい、せんぱい…!」
誰かを、守りたいと思う愛情を抱きながら、抱き締めたことなどないというのに。
独りを選んだ一匹狼は、胸に飛び込んできた、独りを選ばざるを得なかった哀れな少年を両腕の中に閉じ込めた。
やはりというべきか、震えている体の、力を込めれば折れてしまうような薄さを感じながら。
案の定、恐る恐る背中に回された細い両腕に、様々な欲望が膨らんで仕方ない。
そんな自分を、『良い人』などと呼ぶ可愛い後輩は、気付いているのだろうか。
「なぁ、俺、こんなにあったかいの、初めてなんだよ」
「お、れも…、ひ、く…、はじめ、て…ッ」
「一緒だな。じゃあ、お前には俺みたいな心、無くても大丈夫だろ」
自分も彼が思うのとはどこか違うが、欲して、求めて。
触れて、抱き締めて、同じように溶け込む体温を感じて。
ほんの少し、人には当たり前のよう向き不向きがあるだけだろう。
憧れても良い。
だが、羨むことはない。
「なぁ、雛瀬。俺と一緒に、いつか独りを卒業してくれないか」
「…っ、今じゃ、ダメですか…?」
嗚呼、また先手をくらったようだ。
タイトルくそ適当ですみません。
かがひな、愛してる。