夢蝕撫子「……まただ」
枕元に置かれた可愛らしい花を手に取り、監督生はすっかり賑やかになった花瓶を横目に見る。
「さすがにそろそろ調べた方が良いかな……」
そう呟きながら監督生は鞄の中から引っ張り出した手帳に花を挟んだ。
「花の本、花の本……あ、あった」
その日の放課後、図書室で目当ての本を見つけた監督生は早速手に取り、ぱらぱらとページを捲る。
「うーん……似てるような、違うような……」
「何を唸っているんだ、人間」
「っ!?」
突然声をかけられたことに驚くのと同時に顔を上げた監督生は目の前に立つセベクとシルバーの姿にぽかんとする。
「えーっと……若様なら見てないよ?」
「そうか。なら良い」
「いや良くないだろう。当初の目的を忘れるな」
「うるさいぞシルバー!」
「セベクの声の方がうるさいよ」
監督生の容赦ない一言にセベクは言葉を詰まらせる。
「……改めて聞くが、監督生は何を調べていたんだ?」
「ちょっと待ってください……あったあった、この花です」
監督生が差し出した花を見た瞬間、セベクとシルバーは僅かに表情を歪める。
「その花は──」
「どこでどうやって手に入れたんだ?」
「えっと……朝起きると枕元に置かれてまして……」
「それはいつからだ?」
「い、一ヶ月くらい前……?だったと思うんですけど……」
どこか拙い監督生の説明にシルバーは口元に指を当てて思案する。
「……その花、少し預からせてくれないか」
「あっはい、どうぞ」
「おいシル──」
何か言おうとしたセベクを制し、シルバーは監督生から花を受け取る。
「行くぞセベク」
「ぼ、僕に指図するな!」
「平常運転って感じだなぁ……」
忙しなく去っていく二人の背中を見送りながら監督生はぽつりと呟いた。
「人の子がその花を?」
シルバーから受けた報告にマレウスは目を丸くする。
「……あれの様子に異変は?」
「傍目には何も」
「だとしたら妙じゃのう」
「妙、とはどういうことですかリリア様?」
「その花が如何なるものであるかを知っておれば矛盾点が見出だせる筈じゃよ」
「矛盾点……」
眉間に皺を寄せて考え込むセベクを横目に見ながらマレウスは呟く。
「あれの身を案じるなら早々に手を打った方が良さそうだな」
「──おや、こんな夜更けに外出とは感心しませんねぇ」
「それはこちらの台詞だ」
吐き捨てるように言いながらマレウスは眼前の学園長を睨み付ける。
「お前こそこんなところで何をしている」
「何、と言われましても」
とぼけた顔をしながら学園長は腕の中で微かな寝息を立てる監督生の頬にキスをする。
「スキンシップですよ、スキンシップ」
「夢魔の常套句だな」
溜め息混じりに言いながらマレウスは一輪の花を取り出す。
「おやそれは──」
「ユメハミナデシコ。またの名を、夢魔の道しるべ」
小さな花弁に火を点しながらマレウスは低い声で呟く。
「この花は妖精──特に夢魔が好む香りを放つ。枕元に置けばほぼ確実に夢魔を招き寄せることが出来る」
「端から見ればただの可愛らしい花、ユウさんなら何の疑問も抱くこと無く部屋に飾るでしょうね」
「それの無知に付け入るとは実に悪質だな」
燃え尽きた花を放り捨て、マレウスは学園長を睨み付ける。
「──何度だ。何度それの魂を食んだ」
「人聞きの悪いことを言わないでもらいたいですね、私はユウさんに安眠を提供しているだけですよ?」
学園長の言い分にマレウスは更に表情を歪める。
「しかし驚きましたよ。まさか夢の中へ直接乗り込んでくるとは!さすがはドラコニアくんと言ったところでしょうかね?」
「低俗な夢魔が犯人であれば焼き払って終いにするつもりだったが……お前の目的は何だ?」
「ですからユウさんに安眠の提供を──」
「それはただの副産物だろう」
マレウスの目に殺意がこもってきたことを察した学園長は大袈裟に肩を竦める。
「下準備ですよ。ユウさんをこちらに留めるための、ね」
「──それを元の世界に帰す方法を探していたんじゃないのか?」
「勿論探していますよ、ユウさんの手が届かないところへ隠すためにね」
学園長が浮かべた笑みにマレウスは頬に冷や汗を伝わせる。
「それに並々ならぬ執着を抱くものは少なくないが、お前は頭は一つ抜きん出ているな」
「執着ではなく親心ですよ。私、優しいので」
監督生の首筋に歯を立てながら学園長は笑みを深くした。
「……あ、またある」
翌朝、目を覚ました監督生の枕元にはこの短期間で見慣れた花が置かれていた。
「クルーウェル先生なら何か知ってるかな……?」
そう独りごちながら監督生は朝の身支度に取りかかった。
「──ユメハミナデシコとはまた面倒なものを持ってきたな、仔犬」
「ゆめ……えっと、何ですか?」
「ユメハミナデシコ、だ」
溜め息混じりに言いながらクルーウェルは監督生が持ってきた花を弄ぶ。
「盛った雄犬がこれを贈られたらほぼ確実にこう解釈するだろうな。こいつは俺に抱かれたいのだ、と」
「……うっわぁ」
監督生があからさまに引いた顔をしたのを見てクルーウェルはくつくつと笑う。
「後でオンボロ寮に飾ってある分も俺のところに持ってこい。まとめて処理しておく」
「ありがとうございます。でも誰がそんなものを……」
「大方お前の無知に付け入って辱しめたい馬鹿の仕業だろうな」
「趣味が悪い……」
「ああ全くだ」
窓の向こうで飛び立った鴉を睨みながらクルーウェルは苦々しげに呟いた。
「──おやおや、処分の目処が立ってしまいましたか」
鏡に映る光景──監督生とクルーウェルが会話する様子を眺めながら学園長は呟く。
「まぁあの花が無くともユウさんのところには行けるんですけどね、私」