宵闇の約束今日は一日晴天で。
風が少し冷たくて。
星がよく見える新月の夜で。
──最高の日だった。
「あ、来た来た」
「えっと……待たせてしまいましたか?」
「そんなこと無いよー」
オンボロ寮の裏手に広がる森の入り口でケイトと監督生は他愛も無い会話を繰り広げる。
「式典服、着るの手間取っちゃった?」
「少し、いえ大分……」
「だと思った、すっごい縒れてるもん」
監督生の服の襟を直しながらケイトは微笑を浮かべる。
「うん、良い感じになったね」
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。それじゃ──」
襟から手を離し、ケイトはふっと表情を陰らせる。
「ゲームスタート、だよ」
そう告げるのと同時にケイトは一枚のトランプに姿を変える。
「え、」
「ユウちゃーん、こっちこっちー」
声がした方に振り返った監督生の目にフードを目深に被ったケイトが手招きする姿が映る。
「けい──」
駆け寄った監督生が声をかけるよりも先にケイトはまたトランプに姿を変える。
「次はこっちだよー」
「こっちこっちー」
「今度はこっちねー」
呼びかけるケイトの元へ駆け寄ってはトランプに姿を変えられ、また別のケイトに呼びかけられる。
そのルーティンを繰り返す内に森を抜けた監督生の視界に宵闇に染まりゆく空が広がる。
「すご……」
橙と藍のグラデーションに散りばめられた星の瞬きに監督生は感嘆の声を上げる。
「おーい、ユウちゃーん?」
はっと我に返った監督生が向けた視線の先にはケイトが二人佇んでいた。
「それじゃあ気を取り直して最終問題。本物のけーくんはどーっちだ?」
「正解だと思う方にハグしてねー」
全く同じ服装で同じ表情を見せながら両腕を広げる二人のケイトを交互に見た後、監督生は懐から一枚のトランプ──ダイヤのKを取り出す。
「本物のケイト先輩はここ、ですよね」
「………………大正解」
二人のケイトが消えるのと同時にダイヤのKがケイトに姿を変え、監督生を抱き寄せる。
「なーんでわかっちゃうかなー?」
「なんとなく、ですかね」
「なんとなくかー」
気の無い返事をしながらケイトはくつくつと笑う。
「……どうして崖に誘導したんですか?もしうっかり足を滑らせでもしたら──」
「まっ逆さまに落っこちて大惨事、だろうね」
「さらっと怖いこと言わないでください。ケイト先輩も巻き添えになってたかもしれないんですよ?」
「逆だよ。オレがユウちゃんを巻き添えにするんだ」
低い声で告げながらケイトは監督生の身体を抱き締める腕の力を強める。
「一緒に崖から落ちて、道連れになってよ」
「──、」
普段とは明らかに違う声色で告げられた内容に監督生は呆気に取られる。
「無理強いはしたくないから返事を聞かせて」
「……一つだけ、条件を出させてください」
「条件?」
「自分の──この言い方だと紛らわしいかな……」
軽く咳払いをした後、監督生はケイトの目をじっと見据える。
「わたしの人生を、背負えますか?」
「っ、」
思いがけない言葉にケイトは目を見開く。
「……どうしてそんなこと言えるの」
「え?」
「ホントやめてそういうの」
「ケイト先ぱ──」
「拒めよこんなワガママ!オレのことなんか突き飛ばして、逃げて、それから……」
「──うそつき」
「は、」
「心にもないことを言わないでください」
「っ──」
監督生が向ける真っ直ぐな眼差しに堪えきれなくなったケイトは今にも涙が溢れ落ちそうな目を伏せ、額を突き合わせる。
「……拒んでほしくない。逃げてほしくない」
消え入るような声と共に大粒の涙がケイトの頬を伝う。
「ずっとずっと、オレだけを好きでいてほしい」
微かに震えるケイトの手に自分のそれを重ね、監督生はぽつりと呟く。
「ぐちゃぐちゃですね」
「──そう、だね。顔も心もぐちゃぐちゃになっちゃった」
ゆっくりと瞼を開け、ケイトは力無く笑う。
「あーあ、かっこわるいなー」
「たまには良いと思いますよ。そんな日があっても」
ふっと笑みを浮かべ、監督生はケイトの唇に自分のそれで軽く触れる。
「え、ちょっ、えええええ!?」
「……いくら何でも驚きすぎでは?」
「いや驚くよ!」
「ケイト先輩がいつもやってることじゃないですか」
「やるのとやられるのじゃ全然違うの!」
「えぇー……」
ケイトの言い分に監督生は不満げな顔をする。
「さっき出してきた条件もそうだけどさ、ユウちゃんって時々とんでもないことをするよね」
「あ、それなんですけど……」
「──飲むよ。でなきゃ釣り合いが取れないしね」
掌で乱暴に涙を拭い、ケイトは溜め息を吐く。
「ユウちゃんはオレのワガママを聞いてくれる?」
「聞きますよ。そうじゃなきゃ不公平ですから」
監督生の返答に一瞬固まった後、ケイトは苦笑いを浮かべる。
「──ありがとね」
そして今一度監督生の身体を強く抱き締めた。
その日は一旦引き上げて。
いつでもまっさらな状態に出来るようにしてある自分の部屋に戻ってきて。
窓の向こうに広がる星空を眺めながら独りごちる。
「良い日、だったんだけどなぁ」
──翌日。
「なぁなぁ監督生、昨日の流星群見た?」
「見たよ。もう凄かった」
「語彙力無さすぎ。まぁ確かに凄かったけどさ」
「僕はあんまり覚えてないな……」
「お前途中で寝オチしてたからなー」
「そ、そうなのか!?」
「ダッセェんだゾ」
「完全に寝過ごしたグリムがそれ言う?」
「ふなっ!何でバラすんだゾ!?」
「相変わらず賑やかだな」
「ホントそれなー」
後輩たちが談笑する様子を遠目に眺めながらトレイとケイトは微笑を浮かべる。
「ところでケイト」
「んー?」
「計画は取り止めにしたのか?」
予想外の質問にケイトは表情を強張らせる。
「……な、何のことかなー?」
「さて何のことだろうな?」
「それはナシでしょ……」
こめかみを押さえながらケイトは深く溜め息を吐く。
「……まだ早いと思ったから先延ばしにしただけだよ」
「向こうの覚悟に自分のそれが釣り合ってなかったからか?」
「トレイくんこっわ……どこまで分かってんの……」
「ただの勘だよ」
「それが怖いんだってば」
ケイトの反応にトレイは笑みを深くする。
「すっかりズブズブだな」
「ホントそれ。これでも最初はライトなお付き合いで済ませるつもりだったんだよ?」
「でも悪い気はしていないんだろ?」
「……まぁね」
肩を竦め、ケイトは友人たちとの雑談に花を咲かせる監督生の背中に視線を向ける。
「 」
とても小さな声で紡がれたその言葉は風に揺れる葉の音にかき消された。