みの恭と春隼が事務所で話すだけ
「みのりさんみのりさん、髪いじらしてよ」
先日発売したばかりのアイドル雑誌を読んでいるみのりのところへやってきたのは、先日の一件で仲良くなった若里春名だった。春名たちはユニット全員が同じ学校に通っている為か事務所へ来ることが少なく、来たとしてもプロデューサーとミーティングだけしてすぐに帰ってしまうので春名一人で事務所をフラついているのは珍しい。
「今日は一人?」
「ううん、他のみんなは用事あるって帰ったけど、オレはハヤトがプロデューサーに呼ばれたからついてきたんです。恭二さんともそこですれ違って、今日はもう仕事ないって聞いたから、みのりさん暇かなって思って」
だから、髪いじらせて。
春名はついさっき言ったことをもう一度繰り返す。春名の腕に抱えられたヘアアイロンやらワックスやらのヘアセット用品を見ながら、春名の履歴書に書かれた特技がヘアメイクだったことをみのりは思い出していた。この事務所内で髪が長くて声をかけやすいみのりは春名が自分の腕を試すには格好の相手なのだろうと考えると、春名が期待のこもった目でみのりを見つめていることも納得できる。
みのりは、諦めて小さく息を吐き出した。諦めて、とはいっても最初から拒否をする気は無かったけれど。
「はいはい、どうぞ」
みのりが許可を出すと春名は嬉々としてみのりの後ろにまわり、バレッタを外す。そして下ろした髪を何度か梳くと、いいなぁと呟いた。
「いいって、何が?」
「やー、髪さらさらのストレートでさー、なんつーの?色っぽい?」
「そうかな」
クスリとみのりが笑うと、春名はうんうんと頷いた。いじりたいけど、あんまりがっちり固めたくもないんだよなぁ。そう、春名が独り言を始めたので、みのりはまた雑誌の記事に意識を集中させた。
春名とみのりが話をするようになったのは、わりと最近になってからだ。二人とも同じユニットの中に恋人がいて、ひょんなことからお互いそれがわかって以降、話をすることが増えた。先に仲良くなったのは二人の恋人である恭二と隼人のほうで、みのりと春名はその成り行きで仲良くなったに過ぎない。だがそれでも同じ状況にある相手でないと話せないことなどを話すにはうってつけの相手だった。そう例えば、惚気話とか。
「そういえばこの間、恭二が変なこと言ってきて」
「変なこと?」
「ふたりで飲んでたときなんだけど。やっぱり若い方がいいのかって」
「若い……って、まさかオレ?」
「そう」
春名が腹を抱えて笑い出し、カランと音を立てて櫛が床に転がった。
「笑い事じゃないんだよ、それで拗ねちゃって大変だったんだから」
「恭二さんそんな拗ねるの!うける……!」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら、春名は床に転がった櫛を拾い上げる。まだ笑いで震える手でみのりの髪をまた梳くと、最近隼人が似たようなことをぼやいていたのを思い出した。
「そういえばこないだハヤトも、ハルナにはもっと大人で綺麗な人が似合うよって。まぁみのりさんのことなんだけど」
「隼人くんに大人で綺麗とか言われるの照れるな〜!」
みのりが大げさにそう言うと、春名はまた吹き出した。つられてみのりも笑い出し、春名のほうを振り向いた。
「それで?なんて答えたの?」
爛々と目を輝かせてみのりは問う。そんなみのりと目をあわせると、春名は自分が隼人に答えた内容を思い出して途端に恥ずかしくなった。
「ダメ、教えない」
ぷいと顔を背けても、みのりはそう簡単には諦めてくれない。頭に思い浮かんだからといってこの話をしてしまったことを春名は後悔したが、今更後悔したところでもう遅い。遅いのはわかりきっていたし言ってしまった自分が悪いのだが、隼人のためにも自分のためにも口を割る気にはなれなかった。
「あっ、恭二さん!」
こんにちはと走り寄る隼人に、恭二はお疲れと返した。
「プロデューサーと話してたのか?」
「はい、新しい曲のことで。うまくいったらタイアップになるかもしれないんです!」
後ろに背負ったギターケースの肩紐を嬉しそうに握りしめる隼人の頭を恭二は撫でそうになったが、相手はピエールではないのだと思い留まった。
隼人とピエールの身長が同じくらいであることが理由になっているのかは分からないが、隼人と話しているとつい子供扱いをしてしまいそうになる。恭二よりも年下であることは確かだが、恭二たちの中で最年少のピエールと、ハイジョーカーの中でリーダーである隼人は身長や年がそう変わらずとも、意味は大きく違うのだ。そして隼人とピエールとの大きな差は、恋愛経験だろうか。そう考えて、隼人の恋愛対象の存在を思い出した。
「春名には、それ言ったのか?」
さっきすれ違ったときにみのりさんの居場所を探してたから、きっとそこにいると思う。
そう付け加えると、じゃあ恭二さんも一緒にみのりさんのとこ行きましょう、と隼人は笑顔を見せた。
春名とみのりを探して、恭二は隼人を連れて心当たりのある部屋のドアを開ける。いつも事務所所属のアイドルたちが時間を潰したり談笑したりしている場所で、みのりはそこにいることが好きだった。最近アイドル誌が発売されたばかりということもあって、みのりはきっとそこでその雑誌を読んでいるだろうと思ってのことだ。恭二の読みはしっかりと当たり、よく目立つオレンジ色の髪にヘアバンドをつけた後ろ姿がすぐに見つけられた。
「ハルナ!」
恭二のうしろから隼人がギターを揺らして駈け出したが、その足はすぐにピタリと止まる。どうしたのかと思って恭二が隼人の視線の先をよく見ると、その理由はすぐにわかった。みのりが、髪をおろしている。恭二には見慣れたものであったが見慣れていない隼人はきっと驚いたのだろう。
隼人の声で振り向いた春名は、少し顔が赤いように見えた。
そして隼人と恭二の姿をみとめると、なんだかほっとしたような表情になる。その向こうには、いたずらっぽい顔をしたみのり。これでは、まるで。
「なに高校生いじめてるんすか、みのりさん」
みのりの名を恭二が呼ぶと、固まっていた隼人が目を瞬かせた。
「え、みのりさん?」
ああ、わからなかったかい? そうみのりがくすくすと笑うと、隼人はそこでやっとみのりが自分のよく知っている渡辺みのりだと理解した。
「女の人かと思った……」
自分の驚いたことをそのまま口にする隼人に、春名が同調する。
「そうだよなー、みのりさん綺麗だもんなー。髪なんてさらさらだし、巻いたりとかしてもいいと思うんだけど」
言いながら春名は、ちらりとみのりの方に視線を落として先ほどの話題から話を逸らすことに成功したのがこっそりと確認する。みのりは自分の髪を一房とって見つめていたから、成功としてもいいかもしれない。春名はこの話を更に続ける。
「女装とかも似合いそう。ね、恭二さん、どう思います?」
「え」
女装というキーワードで隼人が少しこわばった表情をしたけれど、その後ろからみのりを見ている恭二に話を振る。まさか自分へ振られると思っていなかった恭二は、間抜けな声を出した。
みのりさんが女装……と恭二は考えこむ。まず、女性にしては少し背が高いのではないだろうか。いやしかし、モデルならもしかしたらそのくらいいるかもしれない。身長を抜きにして考えたら、まぁ、アリ、だろう。とは思ってもアリだなんて言ったら何を要求されるかわからない。少なくとも、女装で迫ってくるのは免れない。いくら女装していようとも腕力はみのりそのままなのだから、女装したみのりに押し倒されるなんてことも考えられる。そんなのは絶対にごめんだ。
「……どんなみのりさんでも好きだって。よかったね、みのりさん」
考えていた時間が長かったのか春名が飽きたのか、おそらく後者だろう。勝手に答えを出されてしまった。
「そんなこと言ってないだろ!」
間髪入れずに恭二が突っ込むが、みのりの意識は別の方向へと向いていた。
「そういえば、隼人くん、女装したんだよね?」
思い出したくなかったことを掘り返されて、隼人が呻く。そしてそこに、春名が追い打ちをかけた。
「大学のライブのときに。ハヤトすっげー可愛かったよな」
「いいなー、俺も見たかったなー」
はぁ、と溜息をつくみのりと、マジ可愛かった、とまるでどこかのボーカル担当みたいに繰り返す春名に、隼人は真っ赤になって叫ぶ。
「その話、やめろよハルナ!!」
みのりと恭二
「みのりさんは、やっぱ若いほうがいいんすか」
どうやら恭二は、相当酔っているらしい。
「なんのこと?」
「春名と、最近仲いいみたいだし」
ああこれは、ちょっと面倒臭いパターンのやつだ。
「あのね、恭二」
「あいつのほうが、きっと聞き分けもよくて素直だろうし」
ぐずぐずと今にも泣き出しそうな恭二の襟を掴んで、引き寄せる。
「あのね恭二。恭二のそういうめんどくさいとこもまとめて愛せるの、俺以外にいると思う?」
恭二はまともに考えることなんてできていないだろうし寝て起きたら覚えていないんだろうけど、これは俺の自己満足だ。
「……いないと思う」
「だろ?だから、俺のそばから離れるなよ」
ああきっと、俺も相当酔っている。
春名と隼人
「ハルナには、きっともっと大人で綺麗な人のが似合うよ」
二人でこっそり手をつないで歩く帰り道、やけに大人しいと思ったらこれだ。
「みのりさんに、やいてんの?」
「……だって、俺なんて」
俯いているハヤトの顔は見えないけれど、鼻をすする音が聞こえる。近くに人目の付かない建物の影を見つけて、そこに引っ張りこんだ。
「オレはハヤトが一番好きだよ?」
「俺も、ハルナが好きだよ。でも」
つないでいた手を離して、両手で頬を挟み込んで上を向かせる。そして、キスを落とした。
「こうしたいの、ハヤトだけなんだけど」
「……誰にでも、しない?」
「しない。子供っぽくても美人じゃなくても、ハヤトだけ」
ぎゅうと抱きしめると、ハヤトは満足そうに抱き返してきた。