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    もう、太陽は見られない その1※原作程度の流血・欠損表現があります。


     ……カイロ国際空港にようこそ。長時間のフライトお疲れさまです。トランジットは……

    「あー……、つっかれた」

    1988年3月

    「エコノミークラスはひでえな、日本から棺桶状態だったぜ」

     入国審査後に手荷物を受け取ったポルナレフは、ロビー客が読む新聞の見出しに目をやった。

    『二ヶ月前に発生したカイロ大規模テロ、犯人、目的ともに未だ不明』
    『遺族が国家賠償訴訟を視野に。ウィルソン・フィリップス上院議員、謎の死』

     好き勝手言いやがって。舌打ちした。
     空港出口を通過した瞬間、日光がすべてを包み込む。

    「うお……、まぶしい」

     目を細め、ヒジャブだのガラベーヤだのの人混みの中に、ようやくその姿を見つけた。

    『Mr.ポルナレフ』

     バス停より数メートル先に見えるプレート。中年男性に、ポルナレフは文句たらたらで近づいた。

    「ムジャーヒドさん。もーちっとわかりやすい場所にいてくれよ」
    「ハハッ、すみません」
    「天下のSPW財団エジプト支部長ともあろうモンが、ちょっと抜けてるぜ。なんなら、かわいい子が迎えに……」
    「はいはい、行きますよ」

     ポルナレフのあしらいをよくわかっている財団エジプト支部長――ムジャーヒドは、駐車場までポルナレフの荷物を預かり、さっさと後部座席のドアとトランクを開けた。

    「……シートベルト、締めてくださいね。お疲れでしょう」
    「ああ……」

     ポルナレフは思いを口にせず、町並みを眺めながらため息をついた。

    (わかってるってことだよな、今回もダメだったって)

     空港から市街地へ。ビルが倒れ、野郎同士の喧嘩が目につき、……今年一月に比べ、明らかにカイロの治安は悪化している。
     ポルナレフの視線は、あるベイブリッジで止まった。

    「……アイツ、元気?」
    「ええ。ポルナレフさんがいらっしゃることを、楽しみにしていました。どうか、胸を張ってください」
    「……あんがとよ」

     カイロ官庁街に位置するSPW財団エジプト支部では、世界から集められた有数の医療・環境のスペシャリストが働いている。

    「ポルナレフさん!」
    「お、マリアンちゃん!」

     ビル入口で出迎えた女性に案内され、ポルナレフは彼女とムジャーヒドと共に地下エレベーターに乗り込んだ。

    「あー、疲れた」
    「お疲れさまです。チベットはどうでしたか?」
    「ほとんど手がかりナシ。それらしいヤツもみつけたが、……数ヶ月後にまた来いってさ。それだけなら仕方がねえが、アイツのワガママで」

     荷物を探り、取り出したのは日本語で書かれた『ノルウェイの森』上下巻。

    「これだけ買うのに成田だぜ!? アホかって話で……」
    「わあ! それ私も読みたかったんです。あとで貸してもらおうっと! 日本で大ブームのハルキ・ムラカミ!」
    「ああ、……うん」

     ……愚痴に乗ってくれない女の子との話ほど、男がどうしたらいいかわからないものはない。
     地下四階に到着し、自動扉脇のテンキーに、マリアンがパスコードを入力する。
     その先には、暗闇。
     最低限のフットライトしか点いていない廊下がまっすぐ伸びている。

    「ま、暗い顔してちゃあ仕方ねえよな。オレもアイツも独り身。せめて明るく馬鹿な顔で……っ」

     天井に備えられた蛍光灯は全て消されているこの廊下を、扉が開くと同時にポルナレフは駆け出した。

    「ポルナレフさん! ……本当に落ち着きがないな」
    「……とにかく暗いですよね。当初は、別の存在を収容する予定だったとはいえ……」

     かつてメキシコに存在し、柱の男・サンタナを実験・収容していたドイツ軍メキシコ基地。
     技術改良を経て、当時の基地と比較し強度を数十倍に改良した施設を、SPW財団エジプト支部はカイロ地下に造り上げていた。

     ジョースター一行が倒した、DIOの遺体を収容し、実験に使用するために。

     暗い廊下を進んだ奥。
     三枚のガラス扉で隔てた監視施設には、本来ここに入れる予定のない、別のが収容されることになった。

    「アヴドゥル!」

     監視施設のガラス扉三枚を開け、ポルナレフは中にいる存在に呼びかけた。

    「一ヶ月ぶりだな! そんなに牙伸びたりしてなくてホッとしたぜ!」
    「……例の本は?」

     モハメド・アヴドゥルは、二ヶ月前のDIO討伐時と何ら変わらないガラベーヤ姿でポルナレフに手を差し出した。
     ポルナレフは『ノルウェイの森』を渡しながら、辺りを見渡す。
     ガラス張りのスペースに、机、椅子、ベッドが設置され、床には積み上げた本の塔がいくつもできあがっていた。

    「うへっ、ちったあ片付けろよ。オレおまえの母ちゃんじゃあねえけど、これはさすがに……」
    「誰が来るわけでもないんだ、気にする必要は無い」

     いくつか塔は崩れており、ポルナレフは踏まないように気をつけながら、ベッドに腰掛ける。
     片付けようとしないのは、部屋の主に〈誰も入れる気がない〉からだろう。

    「よくもまあ日本語で日本の小説なんざ読もうとするよな」
    「だからこそいいんだ。著者が本来何を書こうとしていたか知るには、原作にあたることが何よりだ。他にはなにを?」

     ポルナレフは、しぶしぶバッグの奥に手を突っ込んだ。
     奥から出てくるのは日本の小説ばかり。

    「中国の北京からカイロに直行しようとしたタイミングで、お前からのリクエストにわざわざ応えてやったんだぞ。空港で適当に十冊、なんて言われたがホントによかったのか?」
    「ああ、すまない。空港の書店は定番品をそろえるのが常だ。『三姉妹探偵団』『宮本武蔵』『雨月物語』『堕落論』『銀河鉄道の夜』……、ちょっと待てポルナレフ」

     直接ポルナレフの手から受け取っておきながら、アヴドゥルは文句をいまさらつける。

    「なぜ、ここに入っている」
    「え?」
    「財団職員さえ、一つ上の階でこちらを観察していて……、しかもドアの鍵を開けっぱなしじゃあないか!」
    「えぇ~?」

     自分で自分を収容しているガラス戸を閉め、アヴドゥルはポルナレフがまだいることに気づいて、……もう一回開けた。

    「出て行け」
    「いやだけど」
    「力づくでも」
    「さっさと本の代金払えよ~。お前が思っているより、日本円は今爆上がりだからな! お前のわがままのせいで、オレはエコノミークラスで日本~エジプト間を、キュークツな思いで飛ぶ羽目になったんだ!」

     うっ、と答えに詰まり、……アヴドゥルは壁に掛けてある受話器に手を伸ばした。

    「……お疲れさまです。私です。……お手数をおかけしますが、ジョセフ・ジョースターさんにお電話を」

     苦虫を噛み潰したような表情をするアヴドゥルの脇をつつきながら、ポルナレフはニヤニヤしていた。

    「おこづかいか~? おじいちゃん、お願い♡って」
    「やかましいっ! いま国際電話につないでもらっているところだ! ……ムジャーヒド支部長の前だろう!」

     アヴドゥルのいる収容スペースは天井が高く、一つ上の階からもアヴドゥルの様子が監視できるようになっている。
     ドアはマリアンに連れてこられた地下四階にしか存在しないが、スペース内外の音声はマイクで拾われており、マリアンが控えめに笑う声が聞こえる。

    「テキトー言いやがって。女の子の前だから恥ずかしい真似したくないんだろ?」
    「ア! ホ! ……違います、ジョースターさん。あなたのことではなく、いまポルナレフが来ておりまして……」

     二言、三言会話を続け、……アヴドゥルは絞り出すようにジョセフに送金を依頼した。
     振り込み先は、財団エジプト支部。
     アヴドゥル個人名義の口座は、もう存在しない。

    「……ん? オレ?」
    「ジョースターさんが、お前の声を聞きたいとのことだ」

     受話器を受け取り、ポルナレフは二ヶ月ぶりにジョセフの声を聞く。

    『ポルナレフ』
    「ジョースターさん、久しぶり。アヴドゥルはさっきの通り、ピンピンしてるぜ」
    『思ったより元気で何よりじゃな。……こっちもようやく経営がワシが抜ける前の状態に戻ったから、いくらでも送金できるよ。いっくらでも』
    「そりゃあ何より。アヴドゥルがスネをかじりたがるだろーな」

     後頭部にチョップを受けるが、振り向くとすでにアヴドゥルが知らんぷりで遠ざかっていた。

    『……はぐらかすわけにもいかんが、チベットはどうじゃった?』

     ジョセフに聞かれ、……ポルナレフは正直に答えた。

    「ああえっと、そうだな。うん、……まあその手がかりの川を探しに向かったけど、また行くことになりそうだ」

     この二ヶ月、ポルナレフは波紋の手がかりを、そしてアヴドゥルを人間に戻す術を探し続けた。

    「DIOの野郎の思い通りには、……絶対にさせねえから……」
     ――二ヶ月前のカイロは、まだ肌寒かった。
     だが夜を徹してスタンドと共に怨敵から目をそらさずにいたポルナレフには、そして仲間達には、

    『……ッ! どこに消えたッ!』

     寒さなど問題ではなかった。
     倒壊したビル。数が多すぎてどこから聞こえているかもうわからないサイレン。
     ジョセフと承太郎の感覚を頼りに、互いに声を掛け合ってヤツを追い詰める。

    『承太郎、ヤツは大橋に逃げたようじゃ!』
    『そのままハイエロファントで追い詰めろ、花京院!』
    『もちろんだ。……イギー! エメラルド・スプラッシュを挟むように、砂で追い詰めてくれッ!』
    『ギャウッ!』

     横倒しになったままのロードローラーの前、DIOは前屈みで頭から大量の血を流していた。

    『アヴドゥルッ! 油断すんじゃあねえぞッ!』
    『こちらの台詞だ、ポルナレフッ! 夜明けは近いッ!』

     射程距離範囲が狭い自分と承太郎は近づかざるを得ない。
     そして自分と承太郎がとどめを刺す。

    (……万が一、……万が一だッ! 承太郎が下手を打つようなことになったら、オレがどうなってもいいから、DIOの脳天をぶっささねえと!)

     ジョセフは一度吸血されかけたせいで、出血がひどい。
     花京院はケガから復帰したばかりだ。しかも、当人は不服だろうがスタンドがパワー不足だ。
     イギーはペット・ショップとの負傷が治っていない。その上、館突入時に配下の吸血鬼のせいで手ひどいダメージを受けた。

    (……アヴドゥルが気づかなきゃあ、イギーは喰われていたッ! オレが気づきさえすれば、……アヴドゥルだって、)

     アヴドゥルは、イギーをかばって右手を失っていた。
     傷口を縛り、焼いて、額に汗を絶やすことなくDIOを炎で追い詰めている。

    (だけど、……アイツなら平気だッ!)

     炎が、DIOの背後に鎮座するロードローラーを噴き上げた。

    『WRYYYYYYYYYYYYYY!?』

     相変わらずの馬鹿みたいな火力だ。
     大橋の中心で突如噴火発生といって差し支えない。
     炎から発する紫外線で、地面に這いつくばるDIOの細胞をじわじわと焼いていく。

    『逃げ場が……っ! 回復が……、……このDIOがッ……!』

     もはや吸血鬼であるDIOの身体は、砂像のような有様だった。
     腹ばいで逃れようとするも足がとれ、地面についた手のひらの皮膚がアスファルトで削れていく。

    『クッ……、頭痛がする。吐き気も、……ぐわりぐわりと世界が揺れ、……なにもかも信じられんッ!』

     コイツの、負けだ。
     承太郎と共にポルナレフは近づいた。
     ビル陰に隠れ、狙撃手のようにDIOを狙う花京院とジョセフ。
     自分と承太郎をカバーできる位置に、イギーとアヴドゥルが後ろに控えている。

    (全員でお前を追い詰めた。……全員で、ここまでたどり着いた)

     チャリオッツは準備万端。
     スター・プラチナも拳を構えている。
     二人はDIOを見下ろしていた。

    (これで終わりだ)

     長かった旅が。

    (アヴドゥルに助けられて、……Jガイルを倒し、……アヴドゥルと再会してようやくお前までたどり着いたこの旅がッ!)

     レイピアの切っ先はは地面に這いずるDIOの脳天に向けられ、スター・プラチナの拳も同じだ。

    (さあッ!)

     やるぜッ!

    『これで終わりだDI――、『我がけんぞく達よ、頭が高い』

     DIOの皮膚が剥がれた右手が、こちらに向かって何かを招くように動いた。
     指一つ一つの動きが、妖しく、ゆったりとして――。

    『ッ!?』
    『ポルナレフッ!』

     DIOの奥の手。
     突如ポルナレフと花京院は地面に這いつくばる体制になり、そのまま身体の自由がきかなくなった。

    『ぐあああああああああああッ!』
    『頭が、……割れる……ッ!』

     ポルナレフは、何が自分に起きているかわからないまま額に猛烈な痛みを覚え、地面を見つめ続ける。

    『こちらに、……来い』
    『ッ!!!!』

     再度DIOの指が動き、肉の芽を埋められていた二人はあらがいようもなく、身体が宙に浮き、引き寄せられた。

    『ポルナレフッ!』
    『最後のあがきかッ!』

     花京院はその場でハイエロファントの触脚を操り、自分とビルのがれきを結びつけた。
     だがポルナレフは、

    (……ダメだ!)

     剣を地面に突き立てたチャリオッツのもう一方の手を握りしめたが、

    (スタンドの力が、……オレ一人を引っ張るには……)

     スタンドから手が離れ、自分の身体が宙を舞う。
     DIOが、上半身を起こし、その手をポルナレフに向ける。
     五指の爪で腹を突き刺し、血を抜くために。

    『ポルナレフッ!』
    『アギ!』
    『野郎……ッ!』

     アヴドゥルが駆け出し、イギーが叫ぶ。そして承太郎が、拳の照準をDIOに合わせた。

    (ダメだ、みんな、悪い……)

     間に合わねえ……ッ!

    『ッ!』

     目をつぶった瞬間、肉屋が肉をたたく時のような音、そして破裂音が周囲に響き渡り、……

    (……?)

     恐る恐る目を開いたポルナレフが最初に気づいたことは、自分の身体に全く痛みがないことだった。
     自分の頬にかかった血液。
     目を開けたはずなのに、DIOの姿は見えない。

    『まさか……ッ!』

     この香りは、……なんども自分を安心させたこうの……!

    『…………ッ』

     ポルナレフの前に立ち塞がったアヴドゥルが、DIOに腹をつらぬかれていた。

    『アヴドゥルッ!』

     炎が消え、噴出していたロードローラーが落下し、大橋全体が大きく揺れる。
     すでに力を使っていたマジシャンズ・レッドでは、間に合わないと判断したのだろう。
     スター・プラチナの拳でDIOの頭を吹っ飛ばした承太郎が近寄るも、もう遅い。

    『ほう……?』

     離れた位置にある首が口角を上げ、DIOの胴体が前のめりに倒れた。
     血液が、バケツをひっくり返したかのようにアヴドゥルにすべて降りかかる。

    『アヴドゥル、……』
    『アヴドゥル! なにやってんだよ! アヴドゥル、アヴドゥルッ!』

     承太郎とは対照的に、ポルナレフは半狂乱でアヴドゥルの身体を抱きしめ、頬をたたくが返事はない。
     身体を揺らし、力の限り頬をはたき、頭突きを繰り返しても、……アヴドゥルの目が動くことがない。
     すべての痛みが、アヴドゥル自身に伝わっていないのだろう。

    『……これは、面白いことになったな』

     首だけで転がったDIOが、ほくそ笑んだ。

    『この身は終わるが、……我が野望はついえることがない』

     承太郎は、スター・プラチナを解除しない。
     ポルナレフは、ずっと呼びかけていた。

    『世界は数えきれぬほどの夜明けを迎え、……いずれすべての存在が『幸福』を享受する』

     DIOは、この状況で笑っていた。

    『お前達に、……『夜明け』は与えん……』

     首の断面を波紋が覆う。アヴドゥルの起こした炎の柱から発した紫外線から出た波紋だ。
     じわじわとDIOの脳へと上っていく。

    『承太郎!』
    『無事か、……アヴドゥルッ!』

     花京院とジョセフ、そしてイギーが駆け寄ってきたが、承太郎は最後までDIOへの警戒を解かなかった。

    『ジジイ……、アヴドゥルを頼む。まだDIOが……、』

     それから全員、スタンドを解除することなく、……DIOの頭と身体がチリになるまで見届けた。
     ただ一人、――アヴドゥルを除いて。

    『……思っていたより、あっけないな』

     DIOの毛髪が風に乗って消え、花京院の言葉で全員がその場に引き戻された。
     サイレンは鳴り響き、空が白み始め、……もう吸血鬼は存在しない。

    『……………………だが、…………彼は立派だった』

     花京院の独白が、DIOに向けられたものではないことは明らかだった。
     承太郎がポルナレフの肩をたたき、促した。

    『行くぞ』
    『……………………いやだ』
    『夜明けがくる。財団の救急車もだ。……戦いは終わった』
    『いやだ』
    『ポルナレフ、』
    『ッ!』

     ポルナレフは、承太郎の手を振り払い、……あまりにも軽いアヴドゥルの身体を抱きしめた。

    『なあ、……また前みたいに、オレのことだましてるんだろ?』

     インドの思い出を引き合いに、……ポルナレフはちようした。
     鼻をすすり、息を吸おうとしてしゃくりあげる。
     苦しい。悲しみで喉がつまったかのようだ。

    『オレ、……全然成長してねえな』

     アヴドゥルの身体は、軽い。
     本当に、砂でできているかのようだ。
     イギーを見て、ポルナレフは一筋の希望を抱いた。

    『……イギー、まさか、……そうなのか?』

     イギーの表情は、読み取れない。
     焦っているかのようで、逃げ出しそうな雰囲気さえある。

    『……砂の偽物。……そうか、そうなの……か……』

     だからこんなに軽い。
     そして、ありえないことも起きる。

    『……腹の傷が・・・・

     縛っていた傷口も、布がとれ、……右手が復活した。

    『なんだ、そういう……』
    『違う! ポルナレフッ!』

     承太郎が、今度は強い力でアヴドゥルとポルナレフを引き離した。
     ポルナレフ以外の全員が、恐怖に身を震わせている。理解したくないことを、理解しなければならないことにおびえていた。
     ポルナレフから離れた瞬間、アヴドゥルの身体が大きく揺れた。
     腹の傷口から何かが広がっていくかのように、揺れ、わななき、苦しみの声が口からあふれていく。

    『あ、ああ……、ああああああああああああああああああああああああああ!』
    『まさかッ!』
    『あのクソ野郎がッ!』
    『……ッ!』

     嘆いていることしかできないポルナレフを差し置いて、花京院がアヴドゥルを縛り上げた。

    『今のうちに離れろ、ポルナレフッ! 目覚めてすぐ、アヴドゥルが、……アヴドゥルじゃあない場合もあり得る!』

     アヴドゥルが、吸血鬼に。

    『……ッ!』

     ジョセフがポルナレフを立たせようとする。
     だが、ハイエロファントの触脚が破られ、花京院が血を吐いた。

    『グアアアアッ!』
    『花京院ッ!』
    『アギ!(下がってろ、花京院! 今度はオレが押さえる!)』
    『承太郎ッ!』

     祖父の呼びかけに、承太郎が戸惑った。

    『……ジジイ』

     たった数分前まで仲間だった男だ。
     地平線の彼方、太陽が見えるようになるまであと数秒――。

    『……ジョースターさん。心配は無用です』

     先ほど落ちてきたロードローラーを背に、アヴドゥルの口が動いた。
     全員が、正しくこの事態を理解していた。
     そして、これからの結末を受けいれられずにいた。

    『もうじき、私は人を喰う存在になります……。そうなる前に、……覚悟はできている』

     後ずさり、アヴドゥルが仲間達から離れていく。

    『お世話になりました。……ここで、ホリィさんのご無事を祈っております』

     ジョセフの手から力が抜け、ポルナレフがその場にへたり込んだ。

    『承太郎、……ホリィさんには、私のことをうまく言っておいてくれ。花京院、……きみなら、どこでもやっていける』

     アヴドゥルは袖からコーヒーガムの束を放った。
     だが、イギーは受け取ろうとしない。

    『……ポルナレフ』

     名前を呼ばれ、ポルナレフは顔を上げた。

    『……アヴドゥル』

     名を呼ぶも、彼はなにも言ってくれなかった。
     言ってくれさえすれば、『ごめん』とも、『オレが代わりに』とも言えたのに。

    『……』

     ただ、黙って微笑むだけだった。

    『アヴドゥル』

     日が昇る。

    『待ってくれよ、』

     ロードローラーが作っている影が、アヴドゥルを守っている影が。

    『なあ、』

     消えていく。

    『消える、』

     事実を理解した瞬間、役立たずの足が地面を蹴った。

    『ダメだアヴドゥル!』

     はじかれたかのように駆け出し、ポルナレフは自分のシャツを脱いだ。

    『紫外線にやられるな! これかけろ、他はえっと、』
    『ポルナレフ、』
    『しゃがめ! ちょっとでも紫外線に当たるな! ……、承太郎! なにボサッとしてやがる!』
    『おい、』
    『もうなにもできずに大事なモノをうしなうなんて、たえられねえよ!』

     人目をはばからない泣き声があたりに響き渡る。
     アヴドゥルはおとなしくしゃがんだ。
     ポルナレフの必死さに折れ、承太郎が学ランを脱ぎながら近寄った。
     次いで花京院も。
     到着した財団職員にジョセフが事情を説明し、戸惑いつつも護送車の一つが扉を開けた。

     ポルナレフは、ずっとアヴドゥルの手を離さなかった。
     護送車がビル陰に停車し、輸送先がエジプト支部に決まってもなお、アヴドゥルから離れようとしなかった。
     そして、ポルナレフはエジプト支部にアヴドゥルを預け、即座に今後の目的を決めた。
     彼を人間に戻す手段を探す。
     それが今の指針だ。

    「なあ、それエッチな本? なあ、なあ、なあなあ」

     ジョセフとの通話を終え、早速座って『ノルウェイの森』を読み始めたアヴドゥルの頬をつつく。
     ……二度、三度つついたところで、アヴドゥルがため息をついた。

    「ポルナレフ。……お前、……いつまでいる気だ」
    「へ?」

     ベッドに腰掛け、荷物から酒まで取り出したポルナレフを見て、……もう一度アヴドゥルはため息をついた。

    「今の私はなんだ」
    「……モハメド・アヴドゥル」

     間抜けな答えに、何度目かわからないため息が聞こえた。

    「そうじゃあなく、……お前が先ほど言ったとおりだ」
    「なんか言ったっけ?」
    「私は、……吸血鬼だろう」

     ポルナレフはまばたきを繰り返すが、ガラス戸を隔ててムジャーヒド支部長が目をそらした。

    「ようやくこの二ヶ月で、鉄材や、血液を原料とする牛乳で食料の代替ができることがわかったばかりだ」
    「へー。吸血鬼って、牛乳でどうにかなるのか。それまでどーしてたんだ? 生レバー頬張ったりしてたの?」
    「……ポルナレフ」

     軽口を無視し、至極真面目にアヴドゥルは告げた。

    「もうここに来るな。お前は人間だ。いつ私に吸血されてもおかしくない」

     アヴドゥルの言葉が脳に届かず、ポルナレフの反応は一テンポ遅れた。

    「……は?」

     どう見ても二ヶ月前と変化がない。
     着ている服も、肌の色も、時折見える口の中、牙が生えた様子さえない。

    「なに言ってんだよ。DIOの館でイギーに一発食らわせたヤツも吸血鬼だったけど、財団のおかげかアンタそんなに変わってねーじゃん」

     なにを心配しているのか。真面目すぎていらんことまで考えているんじゃあねえのか?

    「だ~いじょうぶだって。心配すんなよ、さっさとチベットで今でも波紋を教えてる奴ら探して、治す方法聞いてくるって」
    「……そんな簡単なものではない。DIOが消えた今、肉の芽の後遺症で何人もの人が苦しんでいることは知っているな」
    「ああ。承太郎が助かる見込みのあるヤツのところに行ってることまで知ってる。……お前だって、そうやって、」
    「――歯肉炎」

     アヴドゥルが、突如氷柱のような、冷たく、重い一言をつぶやいた。

    「ポルナレフ、お前うわあご奥歯のあたり、毎日のように出血する歯肉炎があるんじゃあないのか? この匂いなら、虫歯か」

     ガラス壁を隔て、ムジャーヒド所長が息をのみ、マリアンが急遽メモを取り出した。

    「……え、オレの口臭、クセえってこと?」
    「……」
    「そ、それならさっさと言えよ! はーっ、うわッ! 自分の手に息吹きかけてクセえって、結構ショッ、」
    「あとは、ささくれか」

     右手中指と親指。

    「ストレスで皮をむいていたようだな。特に親指のほうが深い。これ自体はひどくないが、服の下。左腰あたりの傷口」

     二ヶ月前にDIOとの戦いでついた傷だ。

    「……傷が開いたのか。手術後、おとなしくしろと散々伝えたのに、無駄に慌てるから、」
    「やかましいな。ちょっと血がにじんだだけで」
    「そうだ。でさえ、今の私にはわかるんだ、ポルナレフ」

     ポルナレフは、言葉を失った。
     アヴドゥルの見た目は、全く二ヶ月前と変わらない。

    「たとえるなら、……夕食の支度をしているであろう住宅街を歩くだけで、どの家が味噌汁を用意しているか、隣の家が魚を焼いているか、家に入らなくてもわかるだろう」

     かすかな匂いだけで、血液ならわかる。

    「財団職員は、最初からこのスペースに入ってこない。身体検査さえ、小窓から体温計などを差し入れてもらうようにしている。ポルナレフ」

     アヴドゥルは、はっきりポルナレフの目を見た。

    「もうここに来るな。そして怪我を治さないまま動き回ろうとするなら、論外だ。私のことを忘れて故郷に帰れ」

     ……予想さえしていなかったことを言われ、ポルナレフの脳は冷静さを失った。

    「は、…………はぁ!?」

     胸ぐらをつかむが、ビクともしない。

    「お前、なに言ってんだ! せっかくオレがチベットまで行って治してやろうと、」
    「頼んでいない。本については感謝するが、後日送金させてもらう。これ以上のお節介は結構だ」
    「アホなこと言ってんじゃあねえッ! お前、ジジイになるまでこの暗いところで過ごすつもりか!」
    「歳をとることがそもそもあり得ない。ポルナレフ、お前は無駄なことに力を尽くそうとしていることがわからないのか」
    「無駄だとッ!? オレが一生かけて・・・・・お前を治すつもりでいるのにッ!」

     淡々とした態度に腹が立っていたポルナレフだったが、この一言でアヴドゥルは彼以上に逆上した。

    「ああ無駄だッ! 現実を見ろッ! DIOの館に捕らえられていた女性達は、誰一人として生きた人間の姿で戻って来なかっただろう! 俺もいずれ人を喰う側にまわるだけだッ!」

     アヴドゥルの机の上には、日々の身体検査結果を記載した書類がおいてある。

    「だが万が一ってこともあるかもしれねえだろッ! あきらめんのかよッ!」

     書類には、この二ヶ月間のアヴドゥルについて、体温、血圧、心拍数が記録されていた。

    「……ありえない」

     毎日、すべての数値欄に記載されているのは同じ数字。

    「……お前は、死人を生き返らせようとしているだけだ」

     体温:「0」℃
     血圧:「0/0」mmHg
     心拍数:「0」拍/分

    「妹のときと同じように、自分の罪悪感から逃れようと俺にも全身全霊で償おうとするなら、結構だ! そんなこと、最初から望んでいない!」
    「アヴ、」
    「無駄に、……生かしやがって」

     苦しそうにつぶやいたアヴドゥルの一言に、ポルナレフはナイフで貫かれたような痛みを覚えた。

    「万が一、俺が正気を失ってお前を喰ってみろ! ……その時、責任をとるのはお前じゃあなくここにいる所長達だ」
    「……」
    「……ふぬけた顔を、するんじゃあない」

     アヴドゥルの胸ぐらをつかんでいた手から、とっくに力が抜けていた。
     抜け殻のようだ。アヴドゥルの役に立ちたかったのに、……今の言葉が本気かさえ疑わしい。
     心の隅でほんの小さな期待を持つ。アヴドゥルが「言い過ぎた」と言って謝ってくれないかと。
     だが、……期待は打ち砕かれた。

    「他にも出血している箇所を当ててやろうか。出て行く気がないなら、この場で」
    「いや、……いい」

     かつてインドで喧嘩したときとは全く逆の結果だ。
     反論する気力さえそがれ、ポルナレフは荷物を手にした。

    「……じゃあな」

     ガラス扉を開け、二枚目、三枚目の扉も開けて外に出る。
     ムジャーヒド所長に連れられて、ポルナレフはカイロのホテルへと向かった。
     一週間後、アヴドゥルは静かになった収容スペースで、文庫本のページをめくっていた。
     床に積まれた本は増えたが、誰も入らないのだから崩れても問題ない。

    「アヴドゥルさん、採血の時間です」

     収容スペースに設置されたスピーカーが働く。ガラス壁の向こうに設置されたマイクにマリアンが口を近づけていた。
     小窓が開き、トレーに載せられた注射器が入ってきた。

    「ありがとうございます」
    「『ノルウェイの森』、ありがとうございます。アヴドゥルさん、読むの早いですね」
    「……時間だけは、ありますから」

     自分で採血した血液を試験管に入れる。見よう見まねだが、痛みもなく、スムーズに終了して注射針をビニール袋に放った。

    「……不思議ですね。なぜ採血できるのに血圧と心拍数が測れないんでしょう」
    「そうですね」

     小窓を閉め、文庫本に戻る。
     ……ガラス壁の向こうで、マリアンがため息をついていることには全く気づかないままだ。

    「ポルナレフさん、あのあと病院に行ったんですよ。カイロの」

     ページをめくる手がとまった。

    「支部長の指示で、彼に総合病院の場所を教えてほしいって言われたので、地図と電話番号だけ教えたんですが、」
    「……」
    「そのまま手術になったって、今朝連絡がありました。……詳しい症状を教えてくれなかったんですが、入院予定だって」

     入院。

    「……そうですか」

     アヴドゥルは、深いため息をついた。
     吸血鬼になり、鼻が効くようになったことは事実だ。
     その結果、……彼の身体に起きている事態が少々重いことにも気づいていた。

    「マリアンさん。退院後に彼がここに来たいと言っても、絶対に通さないでください」
    「いいんですか?」
    「いいもなにも、……ワガママばかり許してはおけません」

     さっさとフランスに帰り、結婚でもなんでもすればいい。
     目につく女性をナンパするばかりで、妻になった女性は気が気じゃあないだろうが、さぞかし幸せな家庭を築くだろう。

    「……子どもじゃあないんだ」
    1988年4月。
     ポルナレフを追い出した一ヶ月後、アヴドゥルはすべての本を読み終えていた。
     文字を目で追うどころか、再読を繰り返し作者の意図まで読み込み終えていた。

    「……」

     静かだ。
     三ヶ月前の旅が嘘のように、この地下施設では何の音も聞こえない。
     廊下はアヴドゥルの体質に配慮し、蛍光灯のスイッチが切られている。
     紫外線以外にも、アヴドゥルの身体に毒となる光があったら困る、という理由だ。

    「……」

     この収容スペースだけは、天井からこうこうと四六時中光が降り注いでいる。
     上階である地下三階研究室から観察・監視されているが、ガラス壁が厚いせいか、人の声は全く……。

    「…………ん?」

     廊下の奥から、何か聞こえる。

    「……アヴドゥル~~ッ!」

     アヴドゥルは、一度自分の耳を掻いた。
     通すなと言ったはずだが、なぜ彼の声が聞こえるのか。

    「アヴドゥル~~!」

     迷い無く駆けてくる足音。
     聞き間違えるはずのない声。
     戸惑っている隙に、力任せの音とともにガラス戸が開いた。

    「ポルナレフ、お前」
    「エレベーターでマリアンちゃん待ってるけど、鍵いらなかったな。チャリオッツでちょちょっと」
    「お前、」
    「なんだよ。あのな、言っとくけど、オレお前の言うこと聞く気一切ねえからな」

     マリアンが乗ってきたエレベーターが、上階に向かう音が聞こえた。

    「一ヶ月間、ベッドの上で考えたが、フランスに帰るのはナシだ! こんな状態で帰っても、なんにも楽しくねえッ!」
    「わがままを、」
    「お前オレに豪勢なメシをおごるっていうのはどうした!」

     机をたたき、一歩も引こうとしない。
     立ったままこちらを見下ろす彼は、座ったままのアヴドゥルを言い負かすつもりなのだろう。

    「……忘れろ」
    「いやだ。オレなんのために戦ったかわかんねーだろ」

     アヴドゥルは舌打ちした。おそらく、この状態のポルナレフはごわい。

    「吸血鬼になったとかDIOのせいとかオレが罪滅ぼしだとか、そんなのはどーでもいいッ! オレはお前を人間に戻してここから出して、一緒に夜明けを見るって決めた!」

     ……頭をかく。
     思考を全部放り出し、子どものワガママで動くことにしたのだろう。

    「だからといってここには、」
    「問題ねえ。チャリオッツがいる」
    「……お前は私に勝てたことがないだろう」
    「お前だって、オレを本気で殺そうとしたことねえくせに何言ってんだ!」

     ベッドに腰を下ろし、大股開きで「オレはここを動かん!」という姿勢でポルナレフがわめく。

    「お前がいなけりゃ、今後の人生なんざなーんも楽しくねえ! ジョースターさんも、承太郎も花京院も同じこと考えてる。だから情報をそれぞれ集めてるし、オレもこのあとチベットにもう一回行く」
    「だから、」
    「なんだ。オレじゃあなくて、承太郎が行くならいいのか」

     アヴドゥルは答えに詰まった。
     一ヶ月前の台詞をまとめれば、そういうことになる。

    「なーんでオレが嫌なんだよ! あれか、勝手に死にそうとかそんなこと思ってるのか!?」
    「……そういうわけではなく」
    「ちゃんとした理由がなけりゃあ、オレが行くからな! お前に何度も命救われて、このままって訳にはいかねえんだ!」
    「あのだな、」
    「ちゃんとした理由を聞いてこいって、承太郎が言ってた!」

     ……入れ知恵か。

    「……ポルナレフ」

     観念して、アヴドゥルはつぶやいた。

    「人生は長い。お前は、……お前の人生がある。結婚して、幸せに」
    「嫌だ!」

     最初からはねつけることが決まっていたかのようなスピードで却下された。

    「確かに結婚、……アリかもしれねえけど、~~~~、ッ、アリかもしれねえけど! お前が! この状況のままなら! オレは結婚なんざしねえ! なんにも楽しくねえし、なんならお前が参列しないなら式なんざ挙げるか!」

     ……時折、期待させるかのようなことを言うポルナレフの無神経さが、アヴドゥルはどうしても嫌いになれない。

    「そのためにも、……うん。オレにご祝儀渡すためにも! お前は! 人間に戻らねえとダメだろ」
    「ご祝儀、……か」
    「ん? なんだよ、渡したくねえって言うのか、けちんぼ」

     無言で顔を背けた。

    「なら、こういうのはどうだ。花京院は無理だろうから、承太郎が結婚するときに、オレとお前で参列する。イギーもつれて」
    「……ポルナレフ」
    「あのな、アヴドゥル。目標決めようぜ」

     ポルナレフが、駄々っ子のくせに、子どもをあやすように語りかけてくる。

    「人間に戻って、ここを出たあとなにをしたいか、なにをするか。オレはお前と一緒に過ごしたい」

     その目に、嘘偽りはない。

    「豪勢な飯食って、フランスで二人で遊ぶんだ。もちろん、シェリーの墓にも連れて行くし、オレの友達にも紹介する。たいしたホテルがねえから、オレの家に泊まればいい。そこからパリ……、は遠いから、オレの家の周りうろうろしようぜ。美味いメシ屋巡って、酒飲んで笑い合って、」

     旅行会社顔負けのフランス旅行プランが組まれていく。
     彼の頭の中には、アヴドゥルとしたいことが十どころか百も千もあるのだろう。

    「まあ、……ホンットーにクソ田舎だからたいした店ってわけじゃあねえけど、……アレだ! 星だけはとにかく見える。よく晴れた日にはシェリーと二人で眺めていたんだ。砂漠以上には見えねえかもしれないが、静かで広くて、吸い込まれるような星空だ」

     ポルナレフが、もう体温のないアヴドゥルの手を握った。

    「それに星が見えた日は、夜明けが最高にいい。町中を覆っていく日の光が、すべてに色をつけていく。美術絵画なんざ目じゃあねえ。あれこそ故郷、我が風景!」
    「だが……」
    「なあ、人間に戻ってくれよ。じゃねえと、オレいやだよ」
    「……ポルナレフ」
    「お前のいない人生なんて、耐えられねえ」

     ……ずいぶんな口説き文句だが、当人はなんら意識していないのだろう。

    (これだからタチが悪い……)

     アヴドゥルが内心何を思っているかなんておかまいなしで、かといって放っておけず、……いっそ嫌われた方がどんなにマシだろう。 手を離す、様子がない。

    「それなら、私のいない世界を生きてくれないか」

     アヴドゥルは、静かに告げた。

    「最初から死んでもらったと思ってもらってかまわない。ポルナレフ。もしも私が、お前を喰ってしまったら、……」
    「……」
    「もしも私が、お前の皮膚を少しでも傷つけるようなことしてしまったら。その可能性があるなら、私はこれ以上生きたくない」

     あの日、DIOの手からポルナレフをかばったことに対し、なんら後悔はしていない。
     だが生き残ってしまったことだけが、失敗だった。

    「あり得ない訳じゃあないんだ。そうなったら、私は……」

     この広い世界で、ポルナレフの命を奪って、自分だけ生きるぐらいなら、

    「生きている意味がない。そうなる前に、お前のいないところでひっそりと死にたい。そしてお前が残ってしまっても、幸せに生きてくれるならそれでいい」
    「……」
    「今の私は人間じゃあない。だがこのぐらいの希望をお前にもつことくらい、許してくれ」

     ふと、もう体温がない自分の手が、無意識で力を込めていることに気づいた。
     アヴドゥルの手を握りしめたまま、ポルナレフが黙っていることにも。

    「……ポルナレフ」
    「いやだ……」
    「頼むから、」
    「オレが、……喰われた方がいい」

     いつの間にか下を向いていたポルナレフが、涙だらけの顔を上げた。

    「お前が死ぬなんざ、絶対にいやだ……」

     一瞬、愛しいとかそういう感情を差し置いて、アヴドゥルの胸の内が

    (まるで、親が死ぬ夢を見て泣く幼児のようだ)

     この浮かんだ想いにとらわれ、ポルナレフが抱きついてくるのを受け止めるほかなかった。
     椅子がきしむ音を、ポルナレフの泣き声がかき消す。
     腰に回された手を、離そうなんて考えもしなかった。

    「ポルナレフ、」
    「いやだ」
    「あのだな、」
    「オレだって、助けられてばっかりじゃあいられねえ。大事なものぐらい、守らせてくれよ……」
    「……」
    「いやだ、いやだいやだいやだッ!!!!」

     収容スペースどころか、財団支部全体に響き渡るような泣き声が、自分にすがりつく青年の口からあふれ出した。
     脳内で響き渡る声量に、止めなければと思った。声が枯れる、とか、大の男が、とか、言い様はいくらでもある。
     だが、ポルナレフが顔を胸に押しつけ、どうしようもできない。

    「いやだああああぁぁぁぁ…………」

     わんわん泣きだし、……ここまで素直なヤツに出会うのは、ある意味幸運なのだろう。
     彼を説得し、……ここから追い出すのは……。

    (できないわけではない、……が)

     天を仰ぎ、アヴドゥルはもうこれ以上、こちらが抵抗する方が無駄だと悟った。

    「……星空か」

     つぶやきを聞き逃すまいと、ポルナレフが手に力を込めた。

    「……断っておくが、DIOの影響で人生を狂わされた人間は、俺だけじゃあない」
    「わかってる……」

     鼻をすする音が、二度、三度響き渡る。

    「承太郎達にまかせず、そちらの対応も……、…………ポルナレフ?」

     腕の中の暖かさはそのままに、返事がない。
     どうやらポルナレフはアヴドゥルから離れず、しまいには疲れて眠ってしまったようだ。

    「いいか、アヴドゥル……。絶対、オレが……、お前と、夜明けを……」

     彼の身体が脱力し、膝の上に頭をのせる。
     夢の中まで説得を繰り返され、勝ち逃げのずるさに頭を抱えた。

    「……仕方がない」

     ……どうやら、〈誰かを助ける〉ことが彼のアイデンティティーなのだろう。

    (出会った頃は、妹の敵討ちに固執し、……とても未来なんて考えていないような男だったが……)

     そんな彼が、少しでも自分を必要としている未来を考えているというなら、頷かないわけにはいかなかった。

    「……チベットに行くのはいいが、気をつけろよ」

     アヴドゥルは一人ため息をつき、普段は自分が使っているベッドにブランケットを掛けた。
     何より愛おしい男が、ベッドの上で丸まって眠っている。

    【続く】
    ほむ Link Message Mute
    2022/08/18 23:10:37

    もう、太陽は見られない その1

    #ジョジョ-腐向け #アヴポル
    ピクシブ初出:2022年4月1日 21:17

    みやこ様主催「21世紀最高のアヴポル映画ベスト56(https://kissed.booth.pm/items/3420980)」※に寄稿させていただいたレビューをノベライズさせていただきました。
    ※現在は配布を終了されていらっしゃいます。

    全4話。
    次→https://galleria.emotionflow.com/112013/633018.html

    more...
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