もう、太陽は見られない その1※原作程度の流血・欠損表現があります。
……カイロ国際空港にようこそ。長時間のフライトお疲れさまです。トランジットは……
「あー……、つっかれた」
1988年3月
「エコノミークラスはひでえな、日本から棺桶状態だったぜ」
入国審査後に手荷物を受け取ったポルナレフは、ロビー客が読む新聞の見出しに目をやった。
『二ヶ月前に発生したカイロ大規模テロ、犯人、目的ともに未だ不明』
『遺族が国家賠償訴訟を視野に。ウィルソン・フィリップス上院議員、謎の死』
好き勝手言いやがって。舌打ちした。
空港出口を通過した瞬間、日光がすべてを包み込む。
「うお……、まぶしい」
目を細め、ヒジャブだのガラベーヤだのの人混みの中に、ようやくその姿を見つけた。
『Mr.ポルナレフ』
バス停より数メートル先に見えるプレート。中年男性に、ポルナレフは文句たらたらで近づいた。
「ムジャーヒドさん。もーちっとわかりやすい場所にいてくれよ」
「ハハッ、すみません」
「天下のSPW財団エジプト支部長ともあろうモンが、ちょっと抜けてるぜ。なんなら、かわいい子が迎えに……」
「はいはい、行きますよ」
ポルナレフのあしらいをよくわかっている財団エジプト支部長――ムジャーヒドは、駐車場までポルナレフの荷物を預かり、さっさと後部座席のドアとトランクを開けた。
「……シートベルト、締めてくださいね。お疲れでしょう」
「ああ……」
ポルナレフは思いを口にせず、町並みを眺めながらため息をついた。
(わかってるってことだよな、今回もダメだったって)
空港から市街地へ。ビルが倒れ、野郎同士の喧嘩が目につき、……今年一月に比べ、明らかにカイロの治安は悪化している。
ポルナレフの視線は、あるベイブリッジで止まった。
「……アイツ、元気?」
「ええ。ポルナレフさんがいらっしゃることを、楽しみにしていました。どうか、胸を張ってください」
「……あんがとよ」
カイロ官庁街に位置するSPW財団エジプト支部では、世界から集められた有数の医療・環境のスペシャリストが働いている。
「ポルナレフさん!」
「お、マリアンちゃん!」
ビル入口で出迎えた女性に案内され、ポルナレフは彼女とムジャーヒドと共に地下エレベーターに乗り込んだ。
「あー、疲れた」
「お疲れさまです。チベットはどうでしたか?」
「ほとんど手がかりナシ。それらしいヤツもみつけたが、……数ヶ月後にまた来いってさ。それだけなら仕方がねえが、アイツのワガママで」
荷物を探り、取り出したのは日本語で書かれた『ノルウェイの森』上下巻。
「これだけ買うのに成田だぜ!? アホかって話で……」
「わあ! それ私も読みたかったんです。あとで貸してもらおうっと! 日本で大ブームのハルキ・ムラカミ!」
「ああ、……うん」
……愚痴に乗ってくれない女の子との話ほど、男がどうしたらいいかわからないものはない。
地下四階に到着し、自動扉脇のテンキーに、マリアンがパスコードを入力する。
その先には、暗闇。
最低限のフットライトしか点いていない廊下がまっすぐ伸びている。
「ま、暗い顔してちゃあ仕方ねえよな。オレもアイツも独り身。せめて明るく馬鹿な顔で……っ」
天井に備えられた蛍光灯は全て消されているこの廊下を、扉が開くと同時にポルナレフは駆け出した。
「ポルナレフさん! ……本当に落ち着きがないな」
「……とにかく暗いですよね。当初は、別の存在を収容する予定だったとはいえ……」
かつてメキシコに存在し、柱の男・サンタナを実験・収容していたドイツ軍メキシコ基地。
技術改良を経て、当時の基地と比較し強度を数十倍に改良した施設を、SPW財団エジプト支部はカイロ地下に造り上げていた。
ジョースター一行が倒した、DIOの遺体を収容し、実験に使用するために。
暗い廊下を進んだ奥。
三枚のガラス扉で隔てた監視施設には、本来ここに入れる予定のない、別の
吸血鬼が収容されることになった。
「アヴドゥル!」
監視施設のガラス扉三枚を開け、ポルナレフは中にいる存在に呼びかけた。
「一ヶ月ぶりだな! そんなに牙伸びたりしてなくてホッとしたぜ!」
「……例の本は?」
モハメド・アヴドゥルは、二ヶ月前のDIO討伐時と何ら変わらないガラベーヤ姿でポルナレフに手を差し出した。
ポルナレフは『ノルウェイの森』を渡しながら、辺りを見渡す。
ガラス張りのスペースに、机、椅子、ベッドが設置され、床には積み上げた本の塔がいくつもできあがっていた。
「うへっ、ちったあ片付けろよ。オレおまえの母ちゃんじゃあねえけど、これはさすがに……」
「誰が来るわけでもないんだ、気にする必要は無い」
いくつか塔は崩れており、ポルナレフは踏まないように気をつけながら、ベッドに腰掛ける。
片付けようとしないのは、部屋の主に〈誰も入れる気がない〉からだろう。
「よくもまあ日本語で日本の小説なんざ読もうとするよな」
「だからこそいいんだ。著者が本来何を書こうとしていたか知るには、原作にあたることが何よりだ。他にはなにを?」
ポルナレフは、しぶしぶバッグの奥に手を突っ込んだ。
奥から出てくるのは日本の小説ばかり。
「中国の北京からカイロに直行しようとしたタイミングで、お前からのリクエストにわざわざ応えてやったんだぞ。空港で適当に十冊、なんて言われたがホントによかったのか?」
「ああ、すまない。空港の書店は定番品をそろえるのが常だ。『三姉妹探偵団』『宮本武蔵』『雨月物語』『堕落論』『銀河鉄道の夜』……、ちょっと待てポルナレフ」
直接ポルナレフの手から受け取っておきながら、アヴドゥルは文句をいまさらつける。
「なぜ、ここに入っている」
「え?」
「財団職員さえ、一つ上の階でこちらを観察していて……、しかもドアの鍵を開けっぱなしじゃあないか!」
「えぇ~?」
自分で自分を収容しているガラス戸を閉め、アヴドゥルはポルナレフがまだいることに気づいて、……もう一回開けた。
「出て行け」
「いやだけど」
「力づくでも」
「さっさと本の代金払えよ~。お前が思っているより、日本円は今爆上がりだからな! お前のわがままのせいで、オレはエコノミークラスで日本~エジプト間を、キュークツな思いで飛ぶ羽目になったんだ!」
うっ、と答えに詰まり、……アヴドゥルは壁に掛けてある受話器に手を伸ばした。
「……お疲れさまです。私です。……お手数をおかけしますが、ジョセフ・ジョースターさんにお電話を」
苦虫を噛み潰したような表情をするアヴドゥルの脇をつつきながら、ポルナレフはニヤニヤしていた。
「おこづかいか~? おじいちゃん、お願い♡って」
「やかましいっ! いま国際電話につないでもらっているところだ! ……ムジャーヒド支部長の前だろう!」
アヴドゥルのいる収容スペースは天井が高く、一つ上の階からもアヴドゥルの様子が監視できるようになっている。
ドアはマリアンに連れてこられた地下四階にしか存在しないが、スペース内外の音声はマイクで拾われており、マリアンが控えめに笑う声が聞こえる。
「テキトー言いやがって。女の子の前だから恥ずかしい真似したくないんだろ?」
「ア! ホ! ……違います、ジョースターさん。あなたのことではなく、いまポルナレフが来ておりまして……」
二言、三言会話を続け、……アヴドゥルは絞り出すようにジョセフに送金を依頼した。
振り込み先は、財団エジプト支部。
アヴドゥル個人名義の口座は、もう存在しない。
「……ん? オレ?」
「ジョースターさんが、お前の声を聞きたいとのことだ」
受話器を受け取り、ポルナレフは二ヶ月ぶりにジョセフの声を聞く。
『ポルナレフ』
「ジョースターさん、久しぶり。アヴドゥルはさっきの通り、ピンピンしてるぜ」
『思ったより元気で何よりじゃな。……こっちもようやく経営がワシが抜ける前の状態に戻ったから、いくらでも送金できるよ。いっくらでも』
「そりゃあ何より。アヴドゥルがスネをかじりたがるだろーな」
後頭部にチョップを受けるが、振り向くとすでにアヴドゥルが知らんぷりで遠ざかっていた。
『……はぐらかすわけにもいかんが、チベットはどうじゃった?』
ジョセフに聞かれ、……ポルナレフは正直に答えた。
「ああえっと、そうだな。うん、……まあその手がかりの川を探しに向かったけど、また行くことになりそうだ」
この二ヶ月、ポルナレフは波紋の手がかりを、そしてアヴドゥルを人間に戻す術を探し続けた。
「DIOの野郎の思い通りには、……絶対にさせねえから……」