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    もう、太陽は見られない その3※原作程度の猟奇表現があります。

     ……カイロ国際空港にようこそ。長時間のフライトお疲れさまです。トランジットは……

    「あー……、つっかれた」

     1993年4月9日。
     アヴドゥルと久々にエジプト支部・地下四階で眠った数日後、ポルナレフは空港出口を出て、あたりを見渡した。
     日の光が、人間のポルナレフを包み込む。

    「うお……、暑いしまぶしいな、相変わらず」

     太陽に目を細め、ヒジャブだのガラベーヤだのの人混みの中に、ようやくその姿を見つけた。

    『Mr.ポルナレフ』

     バス停より数メートル先に見えるプレート。持っているのは女性だ。

    「マリアンちゃん! え、なんで? なんでマリアンちゃんが!?」

     数ヶ月前に副支部長に就任したマリアンが、遠慮がちに目をそらした。
     二人連れだって駐車場へ向かうも、ポルナレフのテンションとは対照的に、マリアンはずっと彼と目を合わせようとしない。

    「ムジャーヒドのおっさんは?」
    「……ムジャーヒドはダラスに異動になりました」
    「本部じゃねえか! 栄転だな。……あ、そうだ。そういえばマリアンちゃん、言い忘れたけど、」

     後部座席に乗り込みながら、ポルナレフは長年に渡る誤解を謝罪した。

    「ずいぶんオレ、……その、」
    「私の年齢なら、気にしてませんよ」
    「そう、……ですか?」
    「ふふっ。その不思議な敬語も不要だって言ったじゃあないですか。……ええと、ポルナレフさん」

     新都市計画通りに建てられたビル群を眺めながら、静かに発進する。
     ポルナレフはおとなしく会話の続きを待ったが、しばらく車内に沈黙が訪れた。

    「……え? えと、なに? マリアン、」
    「助けてください」

     突如のはっきりとした意志表示に、ポルナレフはただただ困惑した。

    「え、なに。なんだいきなり、」
    「アヴドゥルさんが、……」
    「アイツになにかあったのか!?」

     シートベルトの金具が激しく揺れたものの、マリアンは静かだった。

    「アヴドゥルさんは無事です。ご本人がねんしていたように、突如吸血鬼の本能に目覚めたというわけでもありません」
    「じゃあなにが、」
    「アヴドゥルさんを、助けてください」

     彼女の台詞が終わると共に、エジプト支部に到着した。
     数日前は、チベットから久しぶりに訪れたポルナレフを相手に、誰もが挨拶してきた。
     エントランス脇のドアから、秘書室の女性達が営業スマイルと共に。
     ポルナレフ登場の連絡を受けた研究員達達は、キラキラした目と共にこちらを囲んできて。
     なんならイギーも飛びかかってきた。よだれの匂いさえ覚えている。

    (なのに誰もが出払っちまったかのように……)

     しんと静まりかえっているエントランスを抜け、エレベーターで地下四階へ。

    「廊下が明るい。……アヴドゥルに有毒じゃあねえかって、蛍光灯は切ってたんじゃあねえのか?」
    「ポルナレフさん、すみません」

     自動扉脇のテンキーにマリアンがパスワードを入力するが、……テンキーがエラー音を繰り返す。

    「なんど押しても、……おかしい……!」
    「ん……? ……なんだ、あれは、アヴドゥルが……」

     廊下が明るいことで、数メートル先のアヴドゥルの様子がポルナレフに見えた。
     赤いローブではなく、その姿は白い。白い布に包まれ、……ポルナレフは理解した。

    「どういうことだよ。白い拘束衣で、椅子に縛られてるじゃあねえか! マリアンちゃん、一体何があったんだ!?」
    「わかりません……。数時間前までは、確かにパスワードは変更されていませんでした。……もしかしたら、私も」
    「アヴドゥル! アヴドゥル! 返事しろッ! マイク通じて聞こえてんだろ!」

     自動扉を力の限りたたくが、アヴドゥルが反応する様子はない。
     目を閉じ、すべてを受け入れているかのような様子だ。

    「部屋の中にあんなにあった資料も本も、……持ち出されてねえか?」
    「まさか、……あの量を? でも確かに」

     ――マリアン副支部長。

     館内放送が流れ、ポルナレフは聞き慣れた秘書室の女性の声が恐ろしく冷たいことにゾッとした。

     ――ジャン=ピエール・ポルナレフ氏を連れ、最上階支部長室までお越しください。

    「ムジャーヒド支部長の後任か。ちょうどいい、どういうことか問い詰めねえとな」
    「一度、地下三階に立ち寄っていいですか。パスワードの件、確認します。ポルナレフさんは、先に最上階へ」

     二人でエレベーターに戻り、地下三階と、一階のボタンを押す。
     研究室に続く地下三階でマリアンが降り、近くにいた研究室長に話しかけた。
     ポルナレフはエレベーターで待機したまま、彼らの奥に視線を移動させる。
     アヴドゥルが今も収容されているスペースは天井が高く、地下三階にはマイクを通じて彼と会話できる席があった。
     マリアン達のずっと向こう側、……地下四階の廊下と同じ距離を歩いた先だ。
     だが、今は誰もその席に近づこうともしない。

    「おかしいだろ……。何もなくても観察のために一人はマイクの近くにいたはずだ……」

     ……ポルナレフは落ち着かないまま、扉を閉めずにいた。
     マリアンの呼びかけに対し、研究室長の困惑した声が聞こえる。

    「……ねえ。もう一度私の目を見て言って。地下四階のパスワードって、」
    「……支部長命令で変更になりました。つい先ほど、」
    「なぜ!? ……おかしい。だってさっきまで、」
    「――いい加減目を覚ましてくださいよ、副支部長」

     通りすがりの若い女性研究員が、マリアンに意見した。

    「聞けばあの吸血鬼に、みんな騙されていたって話じゃあないですか」
    「ちょっと、アヴドゥルさんは、」
    「騙されているんですよ! 私の前で、吸血鬼をようするようなことを言わないでください!」
    「おい、マリアンちゃん!」

     いたたまれずポルナレフは彼女に呼びかけた。
     彼女がエレベーターに乗るのを見計らって、扉を閉める。マリアンは目に見えてしようすいしていた。

    「なんならオレがチャリオッツで自動扉を切断する。大丈夫だ、落ち着いてくれ」
    「……すみません。こういうことなんです。……アヴドゥルさんを助けてほしいと言ったのは、この財団の状態からなんです。この数日で、……本当にわからなくて、」

     一階に到着し、乗り換えのエレベーターを待つ。
     だが、なかなか降りてこない。

    「花京院は?」
    「……つい先日、新支部長の指示で休暇を取りました」
    「休暇ァ? なんなら連絡してすぐ呼んで……。イギーは!?」
    「……姿を見せていません。だけど、こうなるまでは地下にすんなり入ってきていたのに」

     エレベーターが到着し、見慣れたはずの背広姿の男女が降りてくる。
     どこか冷ややかな視線にさらされながら、ポルナレフが乗り込み、マリアンも乗ろうとするが、

    「待ちなさい」

     秘書室の女性が彼女の手首をつかんだ。
     ふわりと立ち上るパフュームの香りに、あくまで、今が数日前と地続きなのだと再認識する。

    「ちょっと、」
    「マリアン。いいから貴女はここで待ってて。ポルナレフさん、貴方だけで最上階へ行ってください。の件なら、私も聞いてる」

     研究員でも戦闘員でもない彼女さえ、この件を知っている。
     一瞬、マリアンの不安そうな視線にポルナレフは戸惑ったが、優先すべきことは他にある。

    「大丈夫だって、すぐ戻ってくる」
    「ええ。……私は気にせず、アヴドゥルさんを!」

     扉が閉まり、ガラス製のエレベーター内部からは、カイロの街が一望できる。
     五年前の破壊は、いまや見る影もない。

    (アヴドゥルに、この世界を見せるって約束して、……もう五年か)

     だが先ほどのアヴドゥルは何も語ろうとはしなかった。

    (おかしいことだらけだ。副支部長に就任したマリアンちゃんは何も知らされてねえようだし、……新人研究員が彼女につっかかるような態度を見せたのも気にかかる)

     性急といわざるを得ない。
     いわばエジプト支部内を分裂させるに等しく、落ち着いても支部内に遺恨が残るだろう。

    (リーダーシップの取り方として、正解とは思えねえ。新支部長ってヤツは何を……。ああクソッ! 頭使ってもなんもわからねえッ!)

     エレベーターは途中階で止まること無く最上階に到着した。
     同時刻、日本行きの乗り換え便を待つ花京院は、国際空港ロビーで公衆電話の受話器を握っていた。
     異国の言語が飛び交う中、自分の口と受話器からだけは日本語が流れていく。

    「ああ……、承太郎。これから日本なんだ。支部長が、僕の家庭状況を察してくれてね」

     アメリカの承太郎は、そうか、と小さくつぶやいた。
     ここ数年、花京院に対し母親から何度も健康を案じる電話がかかるようになっていた。

    「急遽一週間の有給をもらって、話し合って来いって。いや、ムジャーヒド支部長じゃあなく、新しい……、僕らと同年代の……、その、……承太郎」

     声のトーンが落ちていく。
     自慢や単なる近況報告で、彼はわざわざ家族サービス中の友人に電話なんてしない。

    「気持ち悪いんだ」

     率直な感想を花京院は告げた。

    「突然人の家庭環境に踏み込んで、何を話し合うわけでもなく、突然有給を出してきた。確かに、これが最善なのだろうけど、……違和感が拭えない。まるで、僕を追い払ういいきっかけが出来たとでも言わんがばかりで――」

     もちろん、自身の家庭事情に誰かの差し金の存在は感じない。
     父親から事情を訊く限り、あくまで花京院の母親は彼女自身の意志で花京院を心配しているようだ。

    「それにイギーはおいてきた。万が一の場合は、アヴドゥルのそばにいるはずだ」

     はず、……なんだ。

    「正直なことを言えば、……新支部長は昔の僕に似ている。肉の芽を埋められていた時の、今からでも殺せるなら殺してしまいたい僕だ。こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないが、何かにとりつかれ、目的のためなら手段を選ばない印象が――」
    『わかった』

     拭いきれぬ不安をすべて受け止めてくれた承太郎が、受話器の向こうで娘をあやす声が聞こえる。

    『すぐに調べる。乗り換え便は何時間後に出る?』
    「二時間後だ」
    『じゃあ、その支部長の名前を――』

      ☆

    「私は、馬鹿とさかしらなヤツが嫌いでね」

     エジプト・カイロを見下ろす支部室の中、ポルナレフは机の上に掲示されているネームプレートで、男の名字がクラークということを知った。
     黒でまとめられた調度品に囲まれる彼の声色は、まだ若い。

    「先に申し上げるが、表面上はしゆこうしても腹の中でこちらの様子をうかがうようなヤツは好かない。花京院典明とマリアンからはそのがした」

     振り向いた顔から受ける印象は、若いのにせいかんだという矛盾したものだった。
     今年で二十九歳になるポルナレフと同い年に間違えられてもおかしくはないが、確か花京院と同い年のはずだ。

    「馬鹿はこちらの言いたいことを理解しない。理解せず、意に添わないことばかりする。――さて、Mr.ポルナレフ。一つ、財団支部として依頼させていただきたいのですが」

     こちらを振り向く姿に、毛足の長いカーペットを一歩、後ずさる。

    「なんだ」

     気を許すつもりはなく、すぐにドアノブに手をかけられる距離でポルナレフは腕組みしていた。
     クラークが、ビジネスライクな笑みを浮かべた。

    「吸血鬼の討伐依頼です。対象は、この地下にいる――」
    「ふざけるな! アイツはオレのだ!」

     最後まで聞かず怒りのままにチャリオッツを噴出させたが、クラークがスイッチのようなものに手をかけた。

    「うっ!?」

     あれがアヴドゥルの命を握るなんらかの装置なら?

    「……家族?」

     ポルナレフの答えをいぶかしんでいるが、おそらくクラーク支部長にスタンドは見えていない。
     だがあと数ミリで喉仏をかっきれる位置にある切っ先を、ズラさざるをえなかった。

    「……ああ、なにがおかしい」

     とっさの答えだが、間違っていないだろう。

    (く、口から飛び出しちまったが、……誤魔化すのもシャクだな)

     ポルナレフ自身は少々戸惑っていた。
     今まではアヴドゥルとの関係を問われる度に〈友達〉〈仲間〉〈親友〉と説明してきた。
     フツーに考えれば、それがストーレートな表現だ。〈家族〉って、

    (兄弟かなにかか? 別に嘘ついた訳じゃあねえが……)

     ……チャリオッツの動きに迷いはない。なら、後で理由は考えればいい。

    「アヴドゥルのためなら命をかけられる。友達っていうんじゃあ足りねえ。仲間よりも特別だ。……だから家族だ」
    「家族、……そうか、ふはっ、傑作だッ!」

     あーっはっはっは……、と身体中を震わせる彼の高笑いは、おそらくエジプト支部中に響いているだろう。
     ポルナレフの鼓膜を、ただただ不快にひっかいていく。

    「くぅううううだらないじゃあないですか! なるほど、ジョースター至上主義とおためごかしのパシフィズム平和主義の結果が、あの吸血鬼だ。財団創設者原理主義者達は一様にジョセフ・ジョースターに逆らえない。だが平和を願いながら吸血鬼を生かすとは、エジプト政府にはなんと言って説明したと思います?! 研究目的と銘打って起きながら、たいした調査も行っていない! 近隣住民はおろか、このエジプト支部の一般職員さえヤツの存在を知らなかった!」

     SPW財団エジプト支部長が、彼自身が所属する財団の矛盾をあげつらい、なおも口角を醜くゆがませる。
     ポルナレフは怒りで拳を握った。

    「たいした調査って、……研究員の奴らはアレが限界だったんだろ! 無駄にはなってねえ、日本で肉の芽が、」
    「どうでもいいです」

     突然のトーンダウン。

    「それよりこの依頼は、財団の無駄な出費をなくすため。いわばリストラチャリング。やらないというなら、これまでの出資金を返してください。取り急ぎ三五〇〇ドル」
    「はあ!?」
    「取り急ぎ、ですのでこれ以上の額が見込まれます。あの吸血鬼が人間のふりして請求した、図書館への複写請求や本棚を……」
    「馬鹿言ってんじゃあねえ! いい加減にしろッ! アヴドゥルをこれ以上馬鹿にすんなッ!」

     アヴドゥルが今日まで希望を持って生き抜いてきたのは、ポルナレフと人間として共に生きることを目的にしたからだ。

    「アイツ自身が生き残るための手段を探すために、図書館に調べ物の依頼をしてたんだ! それを『人間のふりして』だと!? 協力してきたマリアンちゃんにも失礼だ!」

     一閃、チャリオッツのレイピアがクラーク支部長の手からスイッチを引っかけ、宙に。

    「っ……!」

     手近なクッションで抱え込むが、子どものおもちゃのようなスイッチもどきに、舌打ちした。
     ドアノブをつかむ。付き合っていられない。

    「どこへ」
    「止めても無駄だ。アヴドゥルをここから出す。オレ一人で地下からアイツを出す」
    「ほーう?」
    「オレは別にお前の部下でもねえし、なんなら財団と契約した覚えもねえ。全額踏み倒す」

     堂々と宣言してドアノブを回し――

    「あなた方が正しいなら、五年前にあれほどの被害を出さなかったはずでしょう」

     これまでの悪魔のような口調から、クラーク支部長の口調はざんを求める宗教家のようなトーンに変わった。

    「正しいのはどちらですか。いずれ人を喰らう吸血鬼を生かすあなたと、財団職員の命を預かる私と」

     その言葉が、ポルナレフの心に影のように忍び込んできた。

    「そもそも、彼が元は人間だったというなら、なぜ吸血鬼になったんです? そのきっかけは、なんだったんです?」

     五年前、アヴドゥルが吸血鬼と化したのは、ポルナレフをかばったからだ。

    「そしてなぜ、その場で死ななかったんですか? 正しいというなら、なぜ」

     それは、ポルナレフが――。

    「ポルナレフ」

     どこかで聞き覚えのある口調が、脳の中にこだまする。

    「なぜ、あの場で私を見捨てなかった。……お前が生かしたから、私は……!」
    「うわああああああああああ!」

     半狂乱になり、ポルナレフはドアを開けエレベーターのスイッチを連打し、扉が閉まるのを震えながら待った。

    (嘘だろ……、あんな声出されたら、)

     自分自身の拠り所がなくなる。

    (オレがしていることは正しいんだ。DIOとの戦いの前に感じた! 正しいことの白の中にいると!)

     アヴドゥルだって助けたい。
     彼が正気を失うなんて、ありえない。人を喰うなんて、考えられない!

    (オレは正しい正しい正しい正しいッ! 正気を持て! アヴドゥルを連れてかねえと、……そうだ日光!)

     高度はみるみる下がり、ポルナレフは深呼吸を繰り返した。

    「焦ってる場合じゃねー。……エレベーター降りたら、マリアンちゃんと合流。日光を防ぐ布かなにか持ってこねえと。それに、」

     ふと、本物のアヴドゥルの手紙を思い出した。

    「……『いざとなったら、承太郎たちに助けを求めろ』。そうだ、承太郎や花京院に!」

     エレベーターのドアが開き、秘書室からマリアンを連れだした。
     地下室行きエレベーターのボタンを押す。待っていられず、ポルナレフは思考をそのまま口から流し出す。

    「布あるか? とにかくアヴドゥルを覆い尽くせるヤツ。承太郎達に連絡したいし、車も必要だ」
    「ポルナレフさん、落ち着いてください。……話が見えませんが、アヴドゥルさんを地下から出すんですか?」
    「ああ。ここには置いておけねえ。クラークって支部長は、アヴドゥルを殺せって言ってきた」

     ポルナレフの答えに、マリアンは小さく動揺するも、……やはり、という表情を見せた。

    「合点がいきました。まず、遮光性の高い布なら、地下三階にあります」
    「またさっきみたいに研究員に、」
    「急ぎましょう! そんなことを言っている場合ではありません!」

     エレベーターに乗り込み、地下三階のボタンを押した。
     ……降りるが、今度はすれ違う誰もが、するすると人の間を縫うように進むマリアンとポルナレフに感心を持たない。

    「ありがてえが、なんだ今度は」
    「この先の備品室です。何枚もありますから、誰も気にしません」

     ポルナレフとマリアンはダンボールだらけの備品室から黒く分厚い布をあさり、両手に抱えられるだけ抱えた。
     誰も使用せずにいたエレベーターに乗り、地下四階へ。

    「……カビくせえな」
    「すみません、普段は使用しないので」
    「いや、そういうことじゃあねえんだ。……アヴドゥルが文句言ったら、オレがぶっ飛ばしてやる」

     到着し、マリアンがテンキーを操作する。今度は自動扉が開き、二人は明るい廊下を駆け出した。
     扉の前、マリアンが布を置き、ポケットを探り始めた。

    「アヴドゥル、……アヴドゥル!」

     マリアンが鍵を取り出す前に、ポルナレフはチャリオッツでドア三枚分の鍵をこじ開けた。
     ドアを力任せに開け、白い拘束衣姿で椅子に縛られたアヴドゥルに駆け寄る。
     何も言わず、何も反応しない。

    「アヴドゥル、おい、ここから出るぞ」

     頬をたたくが、相変わらず冷たい。
     脈のなさも体温の冷たさも、呼吸する様子がないことも今はただ腹立たしい。

    「こんな仕打ちを受けて、なに黙ってんだよ……! アヴドゥル、アヴドゥル、」
    「ポルナレフさん、早く拘束衣を!」

     マリアンが収容スペースに入り、アヴドゥルの背に回り、拘束衣のベルトをはずそうとした。

    「え……」

     その瞬間、ありえないはずのものを二人は目撃した。
     アヴドゥルの、頭が、

    「これは、」
    「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

     突然の事態に、彼女の肺細胞がすべて震えたかのような叫び声が響き渡った。
     マリアンがその場で腰を抜かし、後ずさろうとして手を震わせる。

    「ああ、ああ……」
    「落ち着けマリアンちゃん! これは人形だ! ……アヴドゥルの、人形が、」
    「ハァッ、ハァッ、……な、なんで、なんで、ッ、人形、なんか……」

     収容スペースを見渡すが、ベッドも撤去され、洗面台のある個室ドアも開け放されたままだ。
     ここには、誰もいない。

    「アヴドゥルはオレが来たときから、ここにいなかった」

     数日前、確かにここで彼とチベットの顛末を話した。それは確かだ。

    「はぁ……、げほっ、私が朝、始業前、挨拶したときには、……確かに、ここに……、ああ、ああ……」

     時間にして、ほんの一時間前まで。

    「アヴドゥルはここにいたのか!? なら、この人形は……」

     不在の花京院。
     見当たらないイギー。
     財団の不穏な空気。

    「オレを足止めするため……、クソッ!」

     震え続けるマリアンを背負い、ポルナレフはエレベーターまで駆けだした。

    「マリアンちゃん、アヴドゥルの行き先に心当たりあるか?」
    「いいえ……、ですが……」
    「とにかく承太郎に連絡、花京院に連絡……。ここをさっさと出て、……風邪を引かずにアヴドゥルを追って、」

     焦る気持ちでエレベーター内で足踏みを続け、マリアンを背負ったまま財団エントランスを飛び出す。
     だが、それまでの静寂が嘘のように、財団前にはパトカーが数十台詰め寄っていた。
     大捕物といって差し支えない警官の数だ。
     無線機で連絡を取り合う者や、財団職員に事情を訊く者がいるが、誰もが武装をしている。

    「……なんだよ、これ」

     力が抜け、背中からマリアンがずり落ちる。

    「――失礼。あなたが、ジャン=ピエール・ポルナレフ氏ですか?」

     ボンネットに腰掛けていた警官が、ポルナレフに問いかけてきた。

    「あなた、五年前に密入国でこの国に来ていませんか?」

     指摘され、思わずたじろいだ。

    「だ、だとしたらなんだよ」

     警官は無線を取り出し、現在時刻と共にポルナレフにかけていた容疑が事実であったことを仲間に告げた。

    「では、ご同行願います」
    「はぁ!?」
    「法律は法律。……事実であれば、取り調べを受けて、」
    「ふざけんな!」

     ポルナレフのげきこうと同時に、警官達の銃口が一斉に彼に向けられた。

    「ご同行を」

     両手を挙げ、現状を認識する。

    (しまった……。ここでチャリオッツで蹴散らすことは簡単だが、……マリアンちゃんがいる)

     マリアンはまだ、ポルナレフの足下でうずくまっていた。

    (だがアヴドゥルを追わねえと! どうすりゃあいい!? どうすりゃあ、)

     頭を使うことが苦手だと、百も承知だ。
     考えることはずっと、姿の見えないアイツに頼んできた。

    「~~~~~~~~ッ! ちくしょおおおおおおおおおおおおおッ!」
     ポルナレフが無念を喉奥から振り絞ってから、数時間後。

    「……ついに、この日が来たか」

     アヴドゥルは粗末な小屋の片隅に腰掛け、じっと目を閉じた。
     彼が連れてこられたのは、エジプトから遙か四千キロ北に位置するフィンランド。
     具体的な地名はわからないが、空港から荷物扱いで降ろされ、車で相当な距離を運ばれた。
     扉には鍵がなく、壁の木目にはところどころ穴が開いている。
     その穴の一つと、アヴドゥルの足かせが鎖でつながれていた。

    「……燃やそうとすれば簡単に燃やせるが、」

     現在、フィンランドは二十三時。
     アヴドゥルは目を閉じ、眠ることなく数日前を回想した……。

      ☆

    「じゃーな! サクッと行ってくる」

     1993年4月7日。
     アヴドゥルが書きためた手紙の束をズタ袋に詰め込み、ポルナレフは意気揚々とエジプト支部地下四階収容スペースを後にした。
     手紙を道中で読んでやるーだの、寂しがるなよ! だの、……散々繰り返していたが、

    (寂しかったのは、お前の方だろう)
    「アヴドゥルさん、また寂しくなっちゃいましたね」

     小窓を通じて資料を受け取るマリアンが微笑んだ。
     ポルナレフがチベットから持ち帰った資料は、アヴドゥルが片っ端からファイリングしたものの、とてもズタ袋に入りきらなかった。

    「いいえ、数日で帰ってくると言っていたから、……」
    「大丈夫ですよ。そんな不安そうな顔しなくても、」
    「いえ、……これは彼自身の無鉄砲さが問題というか、私の心配性が過ぎるのか、」
    『両方だと思いますよ』

     地下三階のマイクを通じ、花京院が太鼓判を押した。

    『今日から入った新入職員に聞かせたいですね。ジョースター・エジプトツアー、アヴドゥルとポルナレフのなれそめ・進展・プロポーズ』

     他の研究員達が色めき立つ声が聞こえる。上階を見上げつつ、アヴドゥルはため息をついた。

    「……記憶にないんだが。それより、君も今日からインターンは終わりだろう」
    『ええ。支部長のありがたい訓示と、財団のこれまでをガイダンスで聞いたところです』
    「自分が出てくる英雄譚はどうだった?」

     これはアヴドゥルが茶化したわけではない。
     SPW財団新入職員ガイダンスでは、吸血鬼の歴史について講義が行われ、その中で〈吸血鬼に立ち向かった一族〉という肩書きでジョースター家の名前が上がっている。
     毎年四月、新入職員にせんぼうのまなざしで見つめられてきたアヴドゥルは、今年もそうだろうと考えていた。

    「あ、……ええと」

     なにかを誤魔化そうとする花京院に理由を尋ねるより先に、ガラス壁の向こう、地下四階のマイクが音声を拾った。

    「アヴドゥルさん。お話中失礼します、新支部長です」

     マリアンの声に、アヴドゥルは見上げていた視線を元に戻し、そこにいた男と目を合わせた。

    (代替わりとはいえ、妙に若いな)

     彼が新入職員と変わらない年齢であることと、ゲルマン系の顔立ちだが雰囲気で出身はアメリカであろうことをアヴドゥルは推察した。

    「はじめまして。モハメド・アヴドゥルです。以前より、この支部の方々にはお世話になっております」

     収容スペース内のマイクを通じて挨拶するが、……マリアンの隣で、男が口を開く様子がない。

    (……これは、どういうことだ?)

     足でリズムを刻みながら、値踏みするような視線を向けられている。
     この五年間、外出できないことを除けば心地よい生活を送っていたアヴドゥルにとって、久しぶりに向けられる〈敵意〉だろうか。
     いや、まさか。

    「失礼、聞こえなかったようなのでもう一度。モハメド・アヴドゥルです」
    「ああ。クラークと申します。ウィリアム・クラーク」

     ――時折、このようにあいさつすると、ガラス壁の存在とアヴドゥルが吸血鬼であることを忘れて握手をしようとしてくれる研究員がいる。
     だが、彼はぴくりとも動かない。
     ……それ自体は珍しくないが、舌打ちされたように聞こえたのは気のせいだろうか。

    「待遇に、不満はありませんか」
    「全く。先日もジョースターさんと長電話してしまい、ご迷惑をおかけいたしました」
    「とんでもない。……資料や新聞で足りないものは?」
    「そうですね。昔ながらの新聞をいただくことが多いのですが、新しい新聞社が作成したものもお願いできれば……」

     このところ、アヴドゥルには気にかかっているニュースがあった。
     伝統的な新聞は、紙面の片隅しか割いていない事件だが、できればそれを、多角的な視点から検証したいと考えている

    「ああ。ただ吸血鬼化には全く関係のない調べごとが目的なので……」
    「左様ですか」
    「あっ、ちょっと、イギーちゃん!」

     クラークの背後から、すっかりエジプト支部を別荘と考えているイギーが駆けてきた。
     パスコードもコイツには無意味だったのだろう。「ニヒッ」とでも聞こえてきそうな顔つきだ。

    (これは……、新しい研究員をからかって遊んでやろうとする、出会ったときから変わらない悪ガキの顔!)
    「イギーちゃん、きゃっ」

     捕まえようとしたマリアンを軽くいなし、イギーがクラークの後頭部に飛びかかろうとするのを見て、アヴドゥルは慌てた。

    「支部長、すみません! その犬はしつけが……」

     だが、クラークが振り返った途端、イギーは飛び上がるのをやめた。

    「アギッ……!?」

     目が合った瞬間、されでもしたのだろうか。イギーは床に着地した。
     舌打ちし、クラークがそのままエレベーターへと引き返す。

    「では、お邪魔しました」
    「いえ。こちらこそ、失礼を……」

     そのまま、イギーが甘えた声と共にガラス扉を開けようとしたが、……アヴドゥルは無視する。

    (どうにも、……エリートにありがちな〈結果を急ぐ〉きらいがある男だったな)

     舌打ちの多さ、足でリズムを刻む様子、極めつけにこちらを値踏みするような視線が気になった。

    (だが、悪人ではないだろう。そこまでは……)

      ☆

     翌日(4月8日)。

    「すまない! 誰かいないか!」

     地下四階に日光が降り注ぐことはないが、外ではようやく日が昇った時刻だ。
     意気揚々と出勤してきた新入職員しかまだいない。
     この日、マイクを通じたアヴドゥルの声を地下三階で聞いたのは、勤務二日目の新入職員だった。

    『え、これマイク、え? なに、』
    「すまない。……君は、新入職員か?」

     こちらを見下ろせる位置にいた職員は、アヴドゥルの姿を一目見た。

    「すまないが、人を」
    『あああああああああああああああああああッ!』

     ……マイクを通じて大音量の叫び声が収容スペース中に響き渡り、逃げ出す音まで聞こえる。
     一体何だったんだ。アヴドゥルは少しムッとしたが、……もしかしたら自分の顔が怖かったのかもしれないと考えた。

    「しばらく鏡を見ていないからな……」

     まだこの時までは、のんきでいられた。
     壁付けの電話でジョセフに連絡を取ろうとして繋がらないことにも気づくが、それでも故障かなにかだろうと考えていた。

    「アヴドゥル」

     ――数時間後、花京院が地下四階に足を運んできた。

    「花京院。新入職員研修は?」
    「特別待遇で抜けさせてもらった。……さっき、僕の同期の子に叫ばれたんだって?」
    「なぜそれを?」
    「本人が触れ回ってた。きつーーーーく言っておいたから、許してほしい」
    「……言っただけか?」
    「神に誓って喧嘩はしない。……さて、マリアン副支部長からもらってきたよ」

     おそらく神を信じていない男は、追加のフランス語新聞を小窓から差し入れた。
     ――今日はまだマリアンに会っていないが、最近では自分の世話をする人間は日替わりだ。
     彼女が来ないことも珍しくない。そうアヴドゥルは思っていた。

    「ありがとう。……この日付のものが欲しかった」

     アヴドゥルが気にしていた事件は、ポルナレフの故郷に関するものだ。

    「やはり麻薬汚染が進んでいる……。おそろしいのは、主要な新聞がこの件を取り上げていないことだ」
    「それは……、もうポルナレフが自宅に着いているだろうだけど、連絡しようか? 心配じゃあ、」
    「いや、必要ない。むしろ……」

     アヴドゥルは、こう考えていた。
     そのまま、ポルナレフがエジプトに戻ってくるべきじゃあないのでは、と。

    「多少の危険はあるかもしれないが、マフィアごとき彼の敵ではない。だが、もし彼の正義感がフランスでの戦いを選ぶなら、……」
    「まだそんなこと言ってるのか? あの単純な頭が、きみと故郷を両天秤にかけるような器用な真似できるわけがない。考え始めた時点で頭がショートして、君を選ぶに決まってるよ」

     花京院が見ているポルナレフと、アヴドゥルのポルナレフに対する解釈は大きくちがうのだろう。
     だが、言われた本人は花京院のセリフなど意に介さず、……ひたすら新聞記事を目で追っている。

    「アヴドゥル、聞いてくれ。僕、明日から一週間、休暇を取ることになった」

     深刻な声色に、アヴドゥルは疑問を抱いて新聞を読むことを止めた。

    「支部長の計らいだ。……日本に行くよ。母さんと話し合ってくる」
    「そうか、以前から相談してくれていた件だな。理解を得られてなにより――」
    「マジシャンズ・レッドは、まだ出せるかい?」

     重々しい決断を迫るような口調と共に、花京院の目つきは真剣だ。
     この五年間、アヴドゥルはスタンドを使用していない。
     自分のタガを外すことに繋がる行為を、意識的に拒否していた。

    「出せないわけじゃあないが、……ここにいる限り安全だ。普通の人間相手にスタンドは、」
    「出せるならいいんだ。いざというとき、絶対ためらわないでくれよ。たとえ、になっても」

     どうにも物騒だ。まだ平和を信じ切っているアヴドゥルはたじろいだ。

    「花京院……。冗談だとしても言っていいことが、」
    「昨日のガイダンス。ジョースター家の名前は出なかった。吸血鬼と柱の男の歴史ではなく、吸血鬼のおそろしさを伝えるものに変わっていたんだ。新入職員に吸血鬼の被害者がいたんだが、その子を中心に恐怖をあおり立てていた」

     花京院の告発に、アヴドゥルは今朝の事態を思い出す。

    「イギーは残していく。マリアンさんにも念押しした。……頼む、吸血鬼になったとかそんなことはどうでもいい。理不尽な要求には、絶対に、」
    『Mr.花京院。支部長がお呼びです』

     館内放送で言葉が途切れ、花京院は黙って目を閉じた。

    「じゃあ、……行くね」
    「ああ。……気をつけるよ」

     静かに花京院がエレベーターに乗り込み、……その後、地下四階の音はアヴドゥルが出すものだけになった。
    4月9日。
     クラーク支部長就任からアヴドゥルに拘束衣が与えられるまで、わずか3日の出来事だった。

    『監視対象:イチナナゼロゴーキユウイチナナゼロ。これより、移送を開始します』
    「抵抗する場合は、収容スペースに毒ガスを散布するッ!」

     財団支部の始業ベルと同時に、廊下の照明が点灯し、地下四階に武装職員が現れた。
     その中にマリアンの顔はなく、クラークの姿もない。
     アヴドゥルはようやく理解した。

    (財団が、……私を扱いきれないと判断したのか……)

     今朝、何も知らず地下三階へ新聞の追加を呼びかけた自分は、なんと愚かだっただろう。

    「17059170ッ! さっさと拘束衣に着替えろ!」

     小窓から投げ入れられた、皺だらけの拘束衣。
     そして彼らが押す台車に乗せられた棺桶を目にして、完全に人間としての扱いを打ち切られたのだと痛感した。

    「早くしろ!」
    「抵抗は無駄だ!」
    「これは正当な行為だ!」

     ……罵声を浴びせてくる彼らの中に、知っている顔は一つとしてない。
     仕事としてアヴドゥルに暴言を吐き、仕事だからなにをしてもいいと考えている目つきに対し、アヴドゥルの脳裏に〈抵抗〉がチラリとよぎった。

    (花京院が言っていたのは、これか)

     この場の全員を倒して脱出を……。

    (しかし、それは……)

     全員が銃火器を所持している。
     中には火薬が入っている。アヴドゥルの分身が火を使えば、たちどころに地下は炎につつまれ、アヴドゥル以外は生き残れないだろう。
     おそらくだが、この武装集団は、アヴドゥルがマジシャンズ・レッドを持っていることを知らない。

    「早くしろ!」

     脅しのつもりで持ってきたのだろうが、……とっさの判断でも人を傷つけることを嫌う男には、効果がありすぎた。

    「わかった、従おう」

     拘束衣を着るのは、初めての経験だった。
     そして今、アヴドゥルは拘束衣を外されたが、薄着のままフィンランドの小屋に閉じ込められている。
     深夜の大地は雪で覆い尽くされており、自分の身体が発する呼吸の音しかアヴドゥルには聞こえない。
     人の匂いもない。小屋の外の様子はわからないが、おそらく民家は近くに存在しないだろう。

    「さすがに、……寒いな」

     この時期、アヴドゥルのいる地域の平均最高気温は二度。
     マジシャンズ・レッドを出さないという決意は、この状況でも変わらない。
     だが他方で、小屋を燃やし暖をとることを、アヴドゥルは悪手だと理解していた。
     暗闇が支配する小屋の中、小屋の隙間から星が見える。

    「……星の位置がこれなら、今私がいる場所は、首都のヘルシンキよりもかなり北だ。つまり、来月には夜がこなくなる」

     太陽が一晩中沈まない、いわゆる白夜だ。
     地球の自転軸が傾いているため、夏に一日中太陽とふれあえる地域や人々がいる。
     吸血鬼である自分を、のけ者にして。

    「隠れる場所がなくなる。逃げ場が、……ない」

     結局、小屋で身を隠す以外、延命の方法がない。
     だがこれも不完全な方法だ。
     あと数時間で夜が開ければ、この星が見える隙間から日の光が差してくる。

    「小屋から脱出しても行く当てはない……。夜の間だけ移動しても、……この身体では」

     せめて日の出と共に全身が焼かれないよう、身体を縮こまらせた。
     暗闇の中、視界がますます塗りつぶされていく。

    「耐え忍ぶしか……」

     本もない。
     周囲に語り合える相手もいない。
     ……食料どころか、……希望さえ。

    (この身体は、……いつまでつのか)

     195センチの体躯を保つジョナサン・ジョースターの身体を乗っ取ったDIOは、海底で百年生き延びた。
     だが、これまで血液を主成分とする牛乳で身体を維持してきた自分が、一切の食料をたった場合は?

    (……悪い結果を考えるな。そうならないための、手段を)

     だが、最悪の結果とはなんだ?

    (私が、……自我を失い人を襲うことだ)

     手当たり次第に周囲を襲い、血をすすり、けんぞくを増やす自分。

    (たしか、……ジョースターさんの話では、ジョナサン・ジョースターは過去、DIOが支配した町〈ウィンドナイツ・ロット〉に乗り込み、……住民を二人救い出した)

     ただし、

    (おそらく全員吸血鬼になったか、……町民同士が自我を失い、もとは人だったもの同士で喰われたか……ッ)

     震えている自分の身体に気づき、腕をにぎしりめた。
     この五年間、心の隅に追いやってきた恐怖が、このフィンランドでありありとアヴドゥルの心を覆い尽くそうとしている。

    (なんてザマだ。ポルナレフには口でなんとでも言ってきたのに、……いざとなったらこの体たらく……!)

     まだ、自分の心には吸血鬼化に対する拒否反応がある。
     だが、これはいつまで、……。

    (DIOと同じ存在に……ッ!)

     ポルナレフに何度も、「出て行け」と、「自分のことを忘れろ」と諭したというのに……!

    (人を喰ってたまるか……、そんなことになる前に、私は私を……!)

     ――あのな、アヴドゥル。目標決めようぜ。

     思考の中に、一筋の光が差し込んだ。

     ――人間に戻って、ここを出たあとなにをしたいか、なにをするか。オレはお前と一緒に過ごしたい。

     ……五年前、ポルナレフがかけてくれた言葉だ。あのときの収容スペース、握られた手の体温まで思い出し、……アヴドゥルは、まばたきを繰り返した。
     啓示を受けた人間というのは、このような心境に至るのだろう。
     震えが止まり、アヴドゥルはその名を呼んだ。

    「ポルナレフ……」

     いつでも、いつだってこの五年間、お前が私の希望だった。
     太陽の光も、優しく包み込む風も、……お前がいなければ思い出せない。

    (あの日、お前をかばったことに、その結果としてこの身体を得たことに、なんの後悔もない)

     毎日、平和な環境でお前と共に生きることを目指せた日常は、何物にも代えがたい宝物だった。
     時折訪れるお前がベッドで寝るとき、毛布をかけてやるとき、……何より心が満たされた。
     チベットに行く前、土産物の話をするお前が困る顔を見たくて、分厚い本を頼むのが楽しかった。
     だが、筆無精な私にせっせと書いてくれた手紙を、……この場所に持ち出せなかったことを、……なにより悔やんでいる。

    (……持ち出していても、)

     太陽光の下では見られない。

    (叶うなら、最後に彼に会いたい)

     なにも心配は無いと伝え、感謝と共に別れたかった。
     本来五年前に済ませるべきだったことだ。
     今更なんの支障があるだろう。

    (……五年前は、なにも言うまいと決めていた)

     なにか言えば、庇われた彼が一生引きずるだろうと考えたが……。

    「……ふふっ」

     まさか追い縋られるとは。
     たいした効果もないのに自分のシャツを脱いできたポルナレフを思いだし、アヴドゥルは笑みをこぼした。
     ……ふと、アヴドゥルの記憶が点滅する。

    (そういえば言われたな)

     せめて、『大事だ』と伝えるべきだ、と。
     ……マリアンとエジプト支部の面々を思い出し、彼らに感謝を述べられないままここに来たことも思い出す。
     だが、もう死期が迫っている自分のワガママを言わせてもらえれば、……ポルナレフに会いたい。

    「手紙を、読んだだろうか……」

     最後にポルナレフに渡した、送り損ねた手紙の数々。
     あまり期待はしていない。
     もとより、字を読むのが苦手と宣言してはばからない男だ。
     しかもアヴドゥルの手紙の枚数は数百枚に上り、中身も読みづらい言い回しだらけ。

    (だがその中に、私が言える範囲で、……彼に本音を書いたものがある)

     たしかポルナレフが二度目のチベットから帰ってくる数分前、急いで書き上げてしまったものには、こう書いてある。

    (『お前を、私の家族だと思っている』)

     ……小屋の外に広がる雪原は、誰の足跡も残していない。
     地球環境を汚染する排気ガスも、人が排出するゴミさえ見当たらない。寂しく、広い土地に、アヴドゥルは一人だった。
     ただ一人、じっと待ち焦がれて一人を待っていた。

    【続く】
    ほむ Link Message Mute
    2022/08/18 23:13:46

    もう、太陽は見られない その3

    #アヴポル #ジョジョ-腐向け
    ピクシブ初出:2022年4月15日
    みやこ様主催「21世紀最高のアヴポル映画ベスト56(https://kissed.booth.pm/items/3420980)」※に寄稿させていただいたレビューをノベライズさせていただきました。
    ※現在は配布を終了されていらっしゃいます。

    全4話。
    次(最終回)→https://galleria.emotionflow.com/112013/633021.html

    more...
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