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    もう、太陽は見られない その4【完】 1993年4月11日。
     花京院典明は、SPW財団エジプト支部長室のドアを開けた。

    「ご連絡ありがとうございます。ポルナレフという男は、エジプト支部が業務を委託していたスタンド使いです。……。表向きには密入国と横領で警察に被害届を出してありますが、……吸血鬼に騙されたという報告が、」

     ダイアル式電話の金属音が響き渡り、クラークが怪訝な表情を見せる。
     部下が、組織長である自分の、ヘルシンキ支部宛国際通話を終了させるなんてどういう了見だ、とでも言いたげだが、……咳払いとともにビジネスライクな笑顔を見せた。

    「突然入ってきてなんだ。無礼だぞ」

     花京院の後ろには、副支部長であるマリアンが着いてきている。
     ――アヴドゥルがフィンランドに拉致され、ポルナレフが消えてから二日後。

    「……なにしに来た、ッぐ……!」

     すべてが終わり、花京院は机に悠々と座っているこの男の顔面に、全身全霊で怒りの拳をたたき込みに来た。
     鼻が折れ、勢いで舌を噛んだままクラークが背中から倒れ込む。
     椅子が背中のクッションになったが、たまたま、背後のガラス壁に後頭部がぶつかってしまったようだ。
     カイロを一望できる、この高さで。

    「おっと、マリアンさん。……ちゃんと、目をつぶっていただけましたか」
    「はい。まだ、……閉じていた方が?」
    「すみません。少々、熱くなりすぎたようです」

     割れたガラスがいくつか突き刺さったようだが、致命傷には至っていない。
     恭しくマリアンを気遣いながらも、花京院はハイエロファントでこちらに引きずり、落下して死なせるまいと拘束した。
     胸ぐらをつかんで起き上がらせ、ビンタで意識を戻させる。

    「はひッ!」
    「クラーク支部長、いえ、ウィリアム・と名乗っていたそうですね。あなたのお父様が亡くなるまでは」

     彼の父は、DIOにその命を弄ばれたウィルソン・フィリップス上院議員だ。

    「家族の敵討ちで吸血鬼であるアヴドゥルを狙った。……いや、違う。秘書室の女性から、一昨日のポルナレフとお前の会話録音データを聞かせてもらった」

     肉の芽が埋められていた頃に感じた〈選民意識〉と、コイツの目的は部分的に共通している。
     幸せに見える無関係な他人への逆恨みだ。

    お前の・・・復讐対象は、このSPW財団全体・・・・・・・だった。エジプトへの賠償請求時に、SPW財団とDIOが関わりがあったことを知り、……その課程で財団が、〈研究目的〉で吸血鬼を匿っていることを知った」

     相手の顔面から噴き出す血が背広にかかり、花京院はなおも苛立った。

    「自分の父が死んだのは、それまでの財団の努力不足と考えたお前は・・・、『財団の判断ミスでアヴドゥルを死なせ、スポンサーであるジョースター家と絶縁』という筋書きの元に、支部長として、」
    「……花京院。さかしらなきみにしては、全く理解できていないようだな。主語が違うんだよ、主語が」

     息も絶え絶えに、クラークが白状する。

    「ハーッ、ハーッ、……花京院くん。お母様はなんて?」
    「母とは話さずとんぼ返りだ。父に言付けを頼んだが、『友がかかっているなら、上司だろうと従う必要はない』と言い切ってくれたよ」

     ……その言葉に、クラークがひひっ、と笑う。

    「なるほどぉ……。羨ましいな……。お父様がご存命なのか」
    「……? なにを言っているんだ」
    「母は美しい。僕にはフィアンセもいる。家族は、……男と女で成り立っている。女は男の経済力に頼るほか無いが、男は女を失った瞬間……、ただの排泄を繰り返す存在になる。……女に選ばれれば、僕は僕、〈ウィリアム・クラーク〉でいられるんだ……」
    「おい、意味が……、……ッ!」

     花京院は、苦々しくもいま自分が胸ぐらをつかんでいる相手が、アメリカの政治家の息子であることを思い出した。
     上流階級のパーティーはパートナーが必須だ。独身男性に向けられる目の厳しさは日本の比ではないだろう。
     男には女が必要だという認識は、……この物語から三十年経ったとしても変わらない。

    「男である僕は、女に逆らえない。女がいなくなった瞬間、僕は死ぬ。社会への参加資格を剥奪され、居場所が消えるんだ。君も同じだろう、花京院」

     異性パートナーの存在が当たり前の世界で生きてきた男は、それ以外を選べなかった。
     花京院も人間だ。コイツを説教して謝罪させ、……真人間の道に戻すことも考えなかったわけではない。
     だが、そもそも見ている世界が違う。
     この男に〈家族〉を説いても通じない。
     人が人を大切に想い、そこに性別が必要ないということを言っても、ファンタジーと一掃されるだろう。

    「なあ、花京院、マリアン。家族とは、……拘束だよな……?」

     ……すべては終わってしまったことだ。

    (〈家族〉が、コイツを生み出した)

     そしてクラークを痛めつけても、クラークの家族は、拘束は残り続ける。
     花京院は手を離した。胸ぐらをつかんでいても、ただむなしい。
     だが……、お前の身の上話を理由に赦すつもりはさらさらないッ!

    「ッグァ!」

     頭突きをくらわせた。この一撃で殺人罪に問われてもいいと覚悟さえするほどの力加減だ。
     だが人は簡単には死なない。鼻血を盛大に吹いて仰向けに倒れたクラークは、まだ、息をしていた。

    「……このまま消えろ。消えて、成功も堕落もするな。僕と承太郎の前に名前を現れたら、その場で怒りをぶちまけてやる。殺さないのは、せめてもの温情だ」
    「は、は……」
    「喋るな汚らわしいッ! さっさと行けッ!」

     蹴飛ばして起こすと、這いつくばってクラークが支部長室を後にした。
     野良犬よりも惨めで、無様な姿だった。

    「あの……」

     マリアンの声に、花京院はようやく彼女のことを思い出した。

    「そろそろ目を開けてもいいでしょうか。何があったか、……知りたいんです」
     1993年4月10日
     フィンランド・サーリセルカ

    「……ッ」

     アヴドゥルは、小屋の隅でうずくまっていた。
     日が昇り、穴だらけの壁から四方八方に紫外線が入り込むようになると、吸血鬼となった彼には恐怖の対象でしかない。
     午前五時だがすでに小屋には日の光が何本も差し込んでいた。サーリセルカの日没は午後八時頃。あと、十五時間もある。
     格子状に絡み合う日光を避け、アヴドゥルの体躯が収まる場所が、この隅しかない。
     壁に身体を預けるが、……ここも安全とはいえなかった。

    「ッ!」

     軽く触れるだけで穴が開くほど小屋は老朽化しており、新しく差し込んだ日の光を身をよじって躱す。
     ……昨日考えた自分の炎で燃やすという案が、いかにナンセンスか痛感した。

    「これでは白夜が始まる来月末まで、保たない……!」

     しかし、まだ死ぬわけにはいかない。
     ポルナレフが、自分と生きたいと言っていた。
     ここで死んでしまえば、彼は一生悔やんでしまうだろう。
     彼をかばって吸血鬼になり、……その結果、太陽光のせいで死んだとなれば。

    「死んでたまるか……、……彼の努力を、……無駄にしてはならない……! ゲホッ、」

     しかし、ついにアヴドゥルはこの五年間恐れてきた事態と向き合うことになった。
     咳き込み続け、荒い呼吸を繰り返す。
     ジョナサンの身体を取り込んだDIOは、百年海の底でなにも摂取することなく身体を横たえた。
     だが、ジョナサンの身体に残っていた血液を自らの栄養にしなかったわけではない。

    「……ア、……アア、」

     はっきりと自覚した。
     身体が乾いている。
     野ねずみでもいい。血液を欲している。

    「……これは、……ここまで早く……!」

     SPW財団エジプト支部では、毎日、血液を主成分とする牛乳を飲んでいた。
     そして危険性を考慮し、誰も『アヴドゥルに牛乳(血液)の投与を中止したらどうなるか』という実験を避けた。
     現在、アヴドゥルの肌は指先から樹皮のように剥がれはじめ、喉は咳き込まなければ呼吸が出来ない。

    (視界が……、チカチカしてきた……。吐き気もする……。これは、……早く)

     栄養を補給しなければ、

    (死にたくない……、だが)

     人の血を吸うわけにはいかない。

    「ガァッ! ……ッフゥ、ゴハッ、ア、ああ、……ッ!」

     体力を失いつつある筋肉がうずくまったままの姿勢を維持できず、アヴドゥルはその場に崩れ落ちた。なにも出てこないまま身体が嘔吐しようとする。
     腹と喉がヒクヒク動き、奥から聞くに堪えない音が繰り返されるが、苦しみが繰り返されるだけ。
     金槌で左右から殴られ続けるような頭痛の一方、小指の先に注射針で神経まで刺されるような痛みに襲われた。

    「…………ッ!」

     途端に身体の下に手を隠すが、紫外線は無慈悲にアヴドゥルを襲う。
     床から数センチの高さに開いていた壁の穴が、広がり、増え、アヴドゥルの目まで、

    「マズイ、ッ!」

     身体を起こそうと腕に力を入れるが、やっとの事で数秒持ち上がる程度。
     地に伏し、アヴドゥルは断念した。

    (これが……、私の最期か……)

     なにかを助けることもできず、愛した相手に再会することさえなく、ひたすら苦しみに耐えてを待つしかないのか。

    (解放は、……死だ。仮に今日を逃れたとしても、明日も同じことが繰り返される……)

     五年前、DIOを追い詰めた際、頭から血を流していたヤツと同じ症状が、今アヴドゥルに襲いかかっている。
     紫外線か、欠乏か。

    (せめて、……人間の心だけは手放すものか……)

     仲間のことを思った。
     ポルナレフのことを案じた。

    (今ごろ財団で私がいなくなったことを知ったか、……それとも故郷の惨状を知って戦いに赴いているか……)

     あるべき姿は、後者だ。

    (お前が無事なら、……それで)
    「……ドゥル!」

     絶望の小屋の中、最期に自分が望む妄想の相手の声が聞こえた。
     ぼやけた視界の中、特徴的な銀髪とブロークンハートのピアスらしきものが揺れている。
     声の主が自分の身体を起こし、身体になにか羽織らせ、口に、

    「ングッ!」

     容赦なく牛乳パックから、ダイレクトに流し込まれていく。

    「まずこれ牛乳! ヘルシンキ空港であるだけチーズも買い占めたから食え! マリアンちゃんと秘書課の子が縫ってくれた紫外線防ぐパーカーとズボン! マスクにサングラスもあるけど、……おい、オレのことわかるか、アヴドゥルッ!」

     ……視界がクリアになり、動かないはずの心臓が身体中を揺らしているような感覚を覚える。

    「……ポルナレフか?」

     アヴドゥルの心を揺らしているのは、彼だ。
     気づけば鎖でつながれていた足首が、軽い。

    「そうだよ! 間に合った! ……よかった、お前が無事で!」

     口にぶち込まれた牛乳とチーズをえんしてもまだ信じられないアヴドゥルは、抱きとめた彼の体温でようやく自分が生きていることを理解した。
     髪を下ろしているが、確かにポルナレフだ。間違うはずがない。
     気づけば足が軽い。チャリオッツが足首の鎖を切断してくれていた。

    「マリアンさんとは、……一体なにが、」
    「お前あのクラークって支部長にハメられたことわかってるか?」

     うなずくと、ポルナレフが涙をボロボロこぼしながら何度も大きくうなずき返した。

    「そうか、そうか、……ごめんな。そばにいなくて……」
    「ポルナレフ。お前はどうやってここまで、」
    「とりあえず今羽織っただけになってるから、パーカーとズボンに着替えろよ……、生きてて、……よかった……」

     アヴドゥルは着衣に手をかけ、パーカーとズボンを身につけながらポルナレフが泣き止むのを待った。
     彼のあふれる涙が止まらず、脱いだ服を渡すと鼻までかまれたが許すしかない。
     ポルナレフは昨日、エジプト支部を出ようとしたところで、五年前の密入国で警察に包囲されたらしい。

    「マリアンちゃんも腰が抜けたままでどうしようもねーッ! ……ってところに、ドブまみれでイギーが駆けつけて」

     ワクワクした顔で喋るポルナレフと二人、腰を並べて小屋の隅に座る。

    「くやしいけど流石だな。五十人ぐらいいた警官が手も足も出ねえし、オレはその隙に逃げられたんだ。……で、承太郎に連絡しようとしたところで気づいたんだけど、オレ四年もチベットいたから、」
    「承太郎の新居の連絡先がわからなかったのか」
    「ああ。で、ジョースターさんに連絡した」

     これが正解だった。
     ジョセフの元には、花京院の訴えからクラークの身元を探っていた承太郎の情報も届いており、なにより戦後を生き抜いてきた男の判断は的確だった。

    「北の港に向かうよう指示された。そこに行って、地中海を抜けてトルコまで出ろって」

     深夜の港に着くと、ジョセフの顔なじみが二人分の偽造パスポートを渡してきた。

    「これ、お前の分な」
    「……今日から私はウルムド・アブドゥルか」
    「オレも適当に作ってもらった」

     港には、ポルナレフに会うためもう一人が到着していた。

    「マリアンちゃんが、お前が今着ている服と、秘書課の子から事前に聞いていた『フィンランド行き国際便チケットの手配をした』という情報を持ってきてくれた。あと、牛乳を途中で買って欲しいって言って、エジプト支部からカンパ金もらった」
    「……それは、」
    「彼女が信頼できる職員数人からだから、そんなに多くねえけどな」

     ポルナレフがチーズを頬張りながら笑う。彼が食べているものと、アヴドゥルが食べているものは同じだ。
     こうしていると、先ほどまで吸血鬼として血液を渇望していたことが嘘のように思える。
     人間としての誇りが、いつの間にか取り戻せていた。

    「エジプト出た後は指名手配されてる可能性見越して髪を下ろしてトルコの空港行って、フィンランドのヘルシンキに到着。あとはひたすら情報を頼りに聞きまくった」
    「聞き込み?」
    「ヘルシンキの財団支部は全然お前のこと知らないって感じだったな。ただ、余所から来た職員にトラック業者知りたいって言われたから教えたって話と、……運転した業者の社名は控えてた」

     そこから運良くアヴドゥルまでたどり着いた。

    「……お前、もしヘルシンキまで話が回っていたらどうするつもりだったんだ?」
    「その時はその時だな。……説教はよせよ!」
    「まあ、……結果としてうまく行った以上、いまさら心配するのも……」
    「ところでカンパ金だけど、結構な額あるぜ。ヨーロッパなら、二人分のチケット買ってどこでも行けるな」

     アヴドゥルのフードのひもを締め、らんらんとした目でポルナレフがが提案する。

    「せっかくなんだし、どーんと行きたいとこ行こうぜ! イギリス・ロンドンを夜中練り歩くって手もあるな。オレ、読んだことねえけどホームズがあの辺りにいたってことぐらいは知ってる。
     スペインでサグラダ・ファミリアの完成をゴロゴロ待つっていうのもアリだな。2026年に完成するんだって?」

     五年前に感じた通りだ。
     ポルナレフの頭の中には、アヴドゥルとしたいことが数え切れないほど詰まっているのだろう。

    「ベルギーでチョコレート食って、そのままオランダ行ってみようぜ。知ってるか? ドイツも含めて反復横跳びで三つの国境超えられる場所があって」
    「……そうえば、気づけばドイツが統一していたな」
    「あー! そっか、なら絶対行った方がいい! 酒場歩くぐらいなら、夜だけ動ければ問題ねーだろ! ベルギーとドイツでビールの飲み比べしようぜ」
    「……オーストリアで、本場のザッハトルテを食べたことは?」
    「美味いの? あの”お上品ッ!”って感じのチョコレートケーキ」
    「美味いぞ。占い稼業を再開すれば、そのぐらいいくらでも食わせてやる」

     夜しか動けない身だとしても、金を稼ぐには事足りるだろう。

    「船旅さえできれば、……地中海に出てギリシャにも行けるな」
    「いいな! そしたらイタリア……、」

     揚々としたポルナレフの様子が、止まる。

    「……ポルナレフ」

     アヴドゥルは、これまでの会話で気づいていた。

    「故郷はどうだった」

     彼の口から、フランスの地名が出てこない。

    「……あ、そのだな」
    「なにも責めない。私の手紙を持って帰国した後のことを、教えてくれ」
    「……お前、……知ってるのか……」

     叱られた子どものようにうつむく彼の、肩を抱いた。

    「……すまねえ」
    「謝ることじゃあない」
    「……これ以上は、……お前に言うことじゃあない」

     所在なさげに指で偽造パスポートをひっかく姿に、……アヴドゥルは深くため息をついた。

    (故郷を、見捨てさせた)

     家族を第一に考え、敵討ちの旅までした男に、自分はつらい決断をさせてしまった。

    (私が言ったからだ。『お前と、生きていきたい』と)

     新聞で調査する限り、麻薬に汚染された町は大きく様変わりしたらしい。
     医療現場は崩壊し、クスリを買う目的で行われた恐喝・強盗の検挙件数がが去年の十倍に増加。
     税金を真面目に納め、平穏に生きている市民はとても耐えられず、着の身着のまま引っ越す姿が相次いでいる。

    (思い出が残る故郷を蹂躙されることを、なにより嫌がるであろうことぐらい、……わかっていたはずだ)

     隣に座っているポルナレフの表情はわからない。
     彼の肩にかけた手に気づかれないよう、アヴドゥルは拳を握りしめた。自分を許せず、……もうどうしようもないことなのに、悔しくてたまらなかった。
     ふと、ポルナレフの偽造パスポートの写真、そして記載している名前が見えた。

    (……この名前は)

     アヴドゥルは、パスポート記載の名前に心当たりがあった。
     幾度も他人と養子縁組を繰り返し、姓を変えてパスポートを発行している名前だ。
     この名前も、永くは使えない。

    (……そうか)

     ポルナレフは、先ほどから偽造パスポートを何度も気にしていた。
     おそらく、彼もわかっているのだ。
     さきほどまでの話が、夢物語であることを。

    「ポルナレフ」

     アヴドゥルの胸中は、静かだった。

    「……お前と一つだけ、どうしても行きたい場所が、」
    「ああっ! そうか、やっとわかった!」

     突如顔を上げ、ポルナレフがこちらの肩をつかんだ。

    「オレ、昨日クラークとやりあったんだけど、」
    「やりあった? まさか拳で?」
    「ちがうちがう、口げんか。その中で、オレ、お前のこと『家族だ』って言ったんだよな。家族だと思ってる、って」

     目の前に、心から望んだ相手の笑顔がある。

    「オレ、……今、気づいたんだけど、それってお前の」
    「手紙を読んだのか? あれを全部……!?」

     興奮のあまり、アヴドゥルはポルナレフの両肩をつかんだ後、……二、三度咳き込んだ。
     なんだよいきなり~、とポルナレフが屈託なく笑った。

    「ああ。だいたい一枚に数行って感じだから、なーんなく読めたぜ。笑っちまうのは、大体が、『ポルナレフへ』の一行で終わってることなんだけどな。……あー、……よかった」

     ふっと、ポルナレフの空気が緩んだ。

    「オレ、もうひとりぼっちじゃあねえんだな」

     家族を失い、あがき続けた数年を思っているのだろう。
     この言葉になにも感じないほど、アヴドゥルも鈍感ではない。

    「どこにも行けなくて、誰も隣にいないってことは、……もうないんだな」

     彼を抱き寄せ、体温のない手で込められるだけの力を込めた。

    「ポルナレフ。お前は一人じゃあない」
    「……そうか」
    「私が共に生きていきたいといったことさえ、忘れたか」
    「いいや。ンなわけねーだろ……」

     アヴドゥルは彼がここにたどり着き、ただなんでもないことを話しているとき、身体全体で心地よさを感じていた。

    (これが、人生を預けられるということなのだろう)

     この世でたった一人、他に渡すなんて考えたくもない。
     だが、それでもなお、彼を手放すべきだろう。

    「ポルナレフ。先ほども言いかけたが、お前と一カ所だけどうしても行きたい場所がある」

     身体を離し、どうしてもってなんだよ、と軽口をたたくポルナレフを、優しく見つめた。

    「お前の故郷に行きたい。そこで、お前に戦い続けて欲しい」

     ……この言葉と共に、アヴドゥルはじっと目を見た。

    「密入国の件も、いずれなんとかなる。ジョースターさんや承太郎が警察に追われていないなら、……そういうことだ」
    「……馬鹿か、お前。そんな顔で……」

     ふと、口の中に鉄の味が広がった。
     どうやら、ポルナレフが故郷を見捨てたことを聞いてから、……無意識でずっと唇を噛んでいたようだ。
     指で拭うと、想像以上に血がついていた。
     それほどまでに悔しいなら、もっと彼をちゃんと、突き放すべきだった。

    「そんな顔で言うなよ。……わかった」

     突き放そうとして突き放せなかったポルナレフが、最後の最後でやっと納得してくれた。
     穏やかな表情に、……この五年で彼に年齢を追い抜かれてしまったことに気づかされた。

    「日没後にここを出ようぜ。適当な車つかまえて、イヴァロ空港からヘルシンキに出るまで二時間半ぐらい。ヘルシンキからパリへの最終フライトには間に合うだろ」

     それから夕方までアヴドゥルはポルナレフと並んで座り、ぽつぽつと、今まで話せなかったことを話した。
     お互いの故郷の話や、家族との思い出。
     小さい頃、苦手だった勉強と運動。
     レクイエムのように穏やかな空気が流れる中、ポルナレフは、……アヴドゥルの手を離さずにいた。

    「眠くないか」
    「いいや。……お前こそ」

     アヴドゥルも、手を離そうとは思わなかった。
     アヴドゥルが着ていたローブや耳飾りを持ち、二人は小屋を後にした。
     ヒッチハイク後は飛行機を乗り継ぐ。途中、ポルナレフの服も買い換えることにした。
     アヴドゥルに似た、灰色のパーカーとズボン。ダウンジャケットを合わせ、見た目が寒くなくなった。

    「むしろあの肩を出した格好でよくここまで来たな」
    「だって別に寒くねーじゃん」
    「私はいいが、お前は人間だろう」

     ヘルシンキ空港でのトランジットの際、ポルナレフがキャビンアテンダント相手にもたつく以外、彼らの道程みちのりはおだやかなものだった。

    「まさか自分の名前を読めないヤツがいるとは」
    「仕方ねーだろ。うっかり忘れたんだ」

     パリに着く頃には、日付が変わっていた。
     二人分の服を入れた買い物袋を抱え、タクシーの後部座席に乗り込む。
     大柄な男二人が座席を揺らした数秒後、運転手がバックミラーの位置を何度も直し、チラチラとポルナレフの顔をうかがう様子を見せた。

    「う、……運転手さん、オレ、なにか変な顔してる?」

     特徴的な髪型も、ブロークンハートのピアスも外したが、まさか……?

    「あ、いえ。最近どこかで見た覚えがある顔だなー……、と思ったものですから」
    「ははっ、そうかい」

     ……指名手配でもされているのかという不安を抱えつつ、ポルナレフはアヴドゥルの手を離さずにいた。
     指と指を完全に絡めているわけではなく、指先だけをもつような握り方で。
     アヴドゥルは、なにも喋ろうとしない。
     タクシーは静かに発進し、街灯だらけのきらびやかな街を横目にすり抜けていった。

    (……アヴドゥル)

     きっと彼はフランスなんて何度も来たことがあるに違いない。
     だが窓の外を眺め、一切こちらを見ようとしなかった。

    (……これから、か)

     ポルナレフは、アヴドゥルの意図に全く気づいていない訳ではない。
     お尋ね者になるなんて何度も経験したことなのに、なんで今更! と反発してやろーかとも考えたが、……。

    (オレにもわかる。オレの家に連れて行っても、アヴドゥルには未来がない)

     警察が動くきっかけはクラークの罠だったとしても、一度あがった容疑を警察が簡単に取り消すとは思えない。
     財団内部のしゆうぶんが消えても、もはやポルナレフがアヴドゥルの為に世界を旅することは叶わないだろう。
     アヴドゥルは、二度と人間に戻れない。

    (……やりたいことは、数え切れないほどあった)

     五年前、自分は心の底からアヴドゥルと夜明けを見ることを望んだ。
     それは今も変わらず、彼を家族だと思っていることも紛れもない本心だ。
     大事な相手は、いつだってポルナレフの心に寄り添っていた。彼以外の相手は考えられない。

    (……だが八方塞がり。コイツは完全に諦めやがった。……オレになにが出来る? アヴドゥルのために、オレになにか……)
    「運転手、失礼ながら」

     突如アヴドゥルが口を開き、運転手がこちらにもわかるようにビクッ! と身体を震わせた。

    「今、私たちの右斜め前方に見えるのが、目的地のであっていますか」
    「ええ! そうです」
    「……街灯が、数えるほどですね」
    「そうなんですよ。あの辺りは言いたくないですが、イタリアからマフィアがクスリを流してるって話です。しかも結構えげつない量の。あそこに近づいたが最後、100パーセントの確立でタクシー強盗に遭うって話で……」

     不安から解放されたいのか、運転手の舌はよく回った。

    「お客さん達が、その手前までいいっておっしゃってくれて、……正直、ホォォォォォッとしてます、私。はい」
    「そうか」
    「絶対に、近づかない方がいいですよ。行ったら最後、男性は内臓、女性は人権と内蔵を抜かれるって話ですからね」

     胸くその悪い話に舌打ちすると、「ヒィッ」罪のないタクシードライバーが震えた。

    「わ、わわ私そういえばちょっと警察から注意を受けていたんですけど、ちょっと面白い注意をちょっとうけたんですよ、ちょっと」

     なにを言いたいんだか、と無視を決め込んだが、運転手の言葉はポルナレフの注意を嫌でも引いた。

    「吸血鬼が来るかもしれないって」

     ひひっ、と緊張をほぐそうとした笑いが車内に響き、ポルナレフは笑えなかった。

    「警察がみょーに真面目な顔で言うんですよね……。SPW財団? ほらよく聞くじゃあないですか、年末に寄付とか募集してるあそこの財団が、警察に情報提供したって」

     ……アヴドゥルは、何も言わずに車窓の外を眺め続けている。
     ポルナレフはふと、アヴドゥルの唇に目をやった。

    (また噛んだのか)

     サーリセルカからずっと唇の皮を噛み続けているのだろう。

    「マフィアと吸血鬼とドッチが怖いデショーって話で、」
    「運転手さん!」
    「はい、なんで、」
    「くだらねー話続けるなら、もうちょっと運転距離伸ばしてもらうけどいいか?」

     ポルナレフの一段低い声のトーンに、アニメのように震えて「滅相もありません!」と叫んだきり、……運転手がおとなしくなった。

    (……アヴドゥル)

     なんども旅の間盗み見た唇の中央から、血がにじんでいた。

    (五年も引きこもっていると、ストレスに弱くなるのかね。あーあ、情けねえっつーか、……馬鹿だよな、コイツ)

     馬鹿だから、放っておけない。

    (オレのことなんて放っておけと、旅の間は散々言った)

     守られるのは性に合わねえ、放っておけ、邪魔すんな! ……なんど繰り返しただろう。

    (思えばアヴドゥルが吸血鬼になり、立場は逆転した)

     たとえば吸血鬼化したのが、関係ない一般市民だったら、ポルナレフはここまでしていただろうか。
     たとえば財団職員や、マリアン達だったら。

    (……逆に、アヴドゥルがオレをかばったとかじゃあなく、オレとは関係なくDIOの血を浴びて吸血鬼になっていたら……)

     シェリーなら、父さんなら、母さんなら。
     承太郎なら花京院ならイギーならジョースターさんなら……。
     無数の可能性に思いを馳せ、いつだって返ってくるのはシンプルな答え。

    (アヴドゥルじゃあなきゃ、ここまでしねえ)

     チベットにも行かずに、故郷を優先して戦っていただろう。

    (そしてアヴドゥルだからこそ、全てを投げ出しても助け出したかった)

     オレは、最期までコイツを放っておけない。

    「あ、ありがとうございましたああああああああっ!」

     料金を渡すやいなやタクシーのドアが閉まり、まだ治安のよい〈隣町〉から、〈目的地〉までは徒歩数十分の距離だ。

    「なあ、アヴドゥル」

     街灯が数メートルおきに続いている道を、ポルナレフはアヴドゥルの手を離さず進んだ。
     湿った土の匂いがただよい、帰ってきたのだと実感する。
     足が、雑誌ゴミを蹴り上げた。その中に入っていたチラシには、『……グラム、~~フラン』と堂々記載してあった。

    「オレの記憶よりきたねえけど、……普段はもっときれいなんだぜ。オレの故郷」

     かつては太陽の下、この道をシェリーとなんども歩いた。
     ぎらめくという表現が似合う太陽から妹を守ろうと、自分の麦わら帽子を被せ、彼女を背負って家路を急いだ。

    「小さな商店街があって、そこから田舎道沿いに家がちらほら」

     道沿いにどこまでも広がる草原は、誰かが手を加える姿を見たことがないのに、気づけば刈り込まれていた。
     夏には蚊柱が、秋には枯れ葉をいくつも踏んで。
     いつでも見られる景色は、何よりもポルナレフが願った〈故郷〉の姿だった。

    「チッ、草ボーボーで虫だらけだな。……それで、この先。学校と商店街からちょうどいい距離にある赤い屋根の平屋が、オレの家」

     歩き続け、……赤い屋根をもつ一軒家が見えてきた。
     街灯がついておらず、ほぼ暗闇といえるような草原の中に、その家の周囲だけが明るく光っている。
     光の正体はパトカーの赤色灯が回転しており、二人の警察官がなにかを嗅ぎ回っていた。

    「やべっ」

     とっさに他の家の陰に隠れ、様子を二人でうかがった。
     警官達はポストを開け、鍵が開かないことを確かめ、……家主が数年間帰ってきていないと判断したのだろう。
     パトカーの赤色灯が遠のいていく。他の車が近づかないことを確認し、ポルナレフとアヴドゥルは家に近づいた。

    「あぶねー。ポストの中、片付けないで正解だった」
    「……今後は注意しろ。ポルナレフ」

     ポルナレフが玄関の鍵を取り出す一方、アヴドゥルが控えめに質問してきた。

    「その、……お前の家族の墓は、あれか」

     家の裏手にある、小さな墓をアヴドゥルが指さした。
     うなずくと、アヴドゥルが近づき、この国の儀礼に従って祈りを捧げてくれた。
     彼から離れて玄関の鍵を開け、

    「ただいま」

     電気をつけずにもう一人の家族を待つ。数時間前まで着ていた服を放り込んだ買い物袋から、とりあえず中身を取り出した。
     ……いつまで経ってもアヴドゥルが来ず、どうすればいいかわからないまま、ポルナレフも墓前に向かった。

    「おい」

     タクシーメーターと、数日前に時刻を合わせた時計で確認した。
     日の出まで、あと二時間程度だ。

    「家の中、入らねえのか」

     目を閉じ、じっと祈りを捧げているアヴドゥルが、全く動く様子を見せない。
     芝生に囲まれた墓前で、彼がゆっくりと目を開き、夜空を指さした。

    「星を見るという約束だっただろう」
    「星、……あ」

     五年前の提案を、彼は覚えていた。
     見上げ、ポルナレフは感嘆の声を上げる。
     妹が通学に使用していた道も街灯が消えており、今はあのころより星がよく見える。

    「すっげえな……」

     隣に腰掛け、のけぞろうと地面に手をついた。アヴドゥルは慣れたもので、顔だけを上げて星を見ている。
     ポルナレフには、星座のことは全くわからない。

    「あれがデネブ?」
    「いいや」
    「じゃあ、アルタイルか」
    「知っている星はそれだけか」
    「……ベガか!」
    「残念ながら、全部外れだ」

     ロマンのかけらもない会話に憤慨するが、アヴドゥルの屈託ない笑顔にほだされた。
     ……田舎町は静かで、誰かが起きている気配も、近づく音も聞こえない。
     肌にふれる空気は冷たいが、その冷たさにポルナレフは覚悟を決めた。

    「アヴドゥル」

     逃げられない現実から、目を背けられない。

    「人間に戻る方法を見つけられなくて、すまねえ」

     家族の眠る前で頭を下げ、ポルナレフは静かにアヴドゥルの答えを待った。

    「……いいや。いずれこうなる運命だった」

     顔を上げ、へへっ、と誤魔化したい気持ちが笑みとしてこぼれ落ちた。

    「オレのしてきたこと、無駄だったか」

     クラークの言葉が、なおも心に引っかかっていたらしい。
     震え声で弱音があふれ、心臓の辺りを強く握った。

    「お前を治せず、波紋も使えねえまま、……フラフラしただけで、……故郷もこの有り様だ」

     あごまで震え出し、情けなさに余計泣きそうになった。
     ……数日前、ポルナレフは家族の墓にガムが付着していることに気づき、急いで剥がした。
     だがそれしか、できていない。
     死んだ家族の尊厳さえ守れず、今生きている家族にはなにもできない。

    「……無駄ではない」

     アヴドゥルが優しく諭した。

    「お前のしてきたことが、努力が、いずれ必ず財団職員や承太郎達の手でつなげられ、報われる。正しいことをしたのだから、必ず受け継がれる」
    「でも、お前は、」
    「家族にそんなことを言われて、なにも言い返さずにいられるか。……その場にいなかったことが悔やまれる」

     彼の優しさにどこまでも甘えたくなるが、まだプライドが残っており、ポルナレフはアヴドゥルに涙を見せまいと念じていた。
     念じたまま、下を向いて涙を地面にこぼす。

    「ポルナレフ。少なくともこの五年があったから、気づけたこともある。俺とお前は、……」
    「家族、だよな」

     腕でゴシゴシと涙を拭うと、アヴドゥルがゆっくり微笑んだ。

    「先ほどまで、お前の両親と妹にその話をしていた。あなたの息子のおかげで、……私は一人ではない、と」

     ポルナレフは、妹を失ってから八年間、この世を一人でさまよい続けた。
     アヴドゥルは、吸血鬼と化してすぐ、自らの希望で戸籍や生きてきた証を消した。

    「美しい場所で穏やかに最期を迎えられる。これ以上の幸せはない」

     ……アヴドゥルの告白に、ポルナレフは拳を握りしめた。
     ついに、この時がきた。

    「……いや、でも治安ずいぶん悪くなっちまっただろ? ほら、タクシーの運転手も半狂乱だったし、警察はクスリの売人追っかけるどころか顔も知らない吸血鬼にビビってて」

     街灯は消えているのではない。すべて割れている。
     ポルナレフの家以外に、人の気配がする民家はない。窓が割れ、すべての家が盗難の被害に遭っているだろう。

    「まあ星はきれいだろうけど、美しいって言うのは……」
    「お前がいる」

     まっすぐこちらを見る目に、切れている唇に、ポルナレフの口が動きを止めた。
     アヴドゥルが、嘘や冗談を言っているとは思えない。
     手紙を書こうと何百枚も便せんを無駄にした男が、たった一言でポルナレフへの想いをようやくぶつけてきた。

    「そ、……そうか」
    「ああ」
    「……」
    「お前がいる以上、ここ以外に地球上で美しい場所はない」
    「……」
    「もう、どこにも行かない」

     今のセリフは、ポルナレフではなく、家族の眠る墓を見ながら言っていた。
     だから、ポルナレフの動きは、アヴドゥルに気づかれなかった。
     日の出まで、あと一時間。

    「……、っ!」

     ポルナレフが唇を近づけ、アヴドゥルの唇の真ん中、ぷっくりと膨らんだ血をなめとるのに、力もテクニックも必要なかった。
     ただ唇を合わせ、冷たい血を自分の唇と舌で味わうだけ……。

    「なあ、アヴドゥル」

     顔を離すと、驚愕した表情を拝むことができた。
     ようやくコイツに勝てたか。こっそりポルナレフはほくそ笑む。

    「オレ、誰でもいいってわけじゃあねえんだ」

     そう思われているなら、お門違いも甚だしい。

    「お前を助けたい」

     もう一度唇を重ね、腕を首に回す。
     ひとりぼっちには、させねえよ。

    「……馬鹿か、ポルナレフ」

     ……アヴドゥルの手が自分を抱きしめた。
     折れるかと思うような力加減に身体中が熱くなり、まるでアヴドゥルの身体に五年前のような体温があるのかと勘違いした。
     身体と身体の隙間がなくなり、アヴドゥルの苦々しい告白がポルナレフだけに聞こえた。

    「もう、戻れんぞ。……離すことも、逃がすことも……!」

     これで正しかったのだとポルナレフは微笑む。
     二人の身体が重なり、ポルナレフはうつ伏せに倒れ込んだ。
     故郷の地面の上、何度も繰り返されるキスの最中、……ポルナレフは静かに気づいた。

    (オレの体温が、……アヴドゥルと同じになった)

     ポルナレフは、この世でたった一人、アヴドゥルの口内に牙があることを知る存在になった。
     二人の影は重なったまま、もう離れようとはしない。
     ポルナレフに見えるものは、何より愛おしい男の顔と、夜の世界が見せる漆黒の闇だけだ。
     闇が黒から、灰色に変わり、……太陽が近づきはじめる。

    「アヴドゥル」
    「どうした、ポルナレフ」

     オレ、あの収容スペースに行くときとか、……一度言いたかったことがあるんだよな。

    「……ただいま」

     もっと早く言えばよかった。

    「おかえり」

     1993年4月11日
     指と指を完全に絡めあい、二人は待ち焦がれていた夜明けを迎えた。
     穏やかな朝だった。

    「その一時間後、じょうた……、空条承太郎が、家の中、そして墓の前で二人の服を発見したそうです」

     SPW財団エジプト支部長室。
     花京院はソファーに腰掛け、マリアンに二人の結末を話していた。

    「服だけ、ということは……」
    「アヴドゥルのローブや耳飾り、ポルナレフのトップスとズボンにブロークンハートのピアス。……それらのそばに、灰が検出されたと言っていました」
    「……私たちが提供した服は、」
    「アヴドゥルのパーカーとズボン、そしてレシートからポルナレフも途中で着替えたようなのですが、それらは見つからなかった。おそらく、」

     花京院は、絞り出すように息を吐き、一つ一つを確かめるように語った。

    「アヴドゥルとポルナレフはフィンランドを脱出したものの、二人とも自分たちの運命を悟ってフランスに。アヴドゥルは太陽を見ながら、……ポルナレフも吸血鬼化してあとを追った」

     偽装パスポートの履歴、ポルナレフの家に残された買い物袋、……そして残った彼らの服から、花京院はそう考えていた。

    「承太郎も、急ぎこちらに向かうそうです」

     数人の信頼できる財団職員を率いた承太郎は、すべてを察すると同時に、職員共々引き上げることを決めた。
     冷静沈着な彼だが、その場にいたくなかったのかもしれない。
     一晩で、友人二人を失った。

    「空港にとんぼ返りし、ほんの数分前にここに電話してくれました。……あとは、見ての通りです」

     花京院は手の甲をさすった。
     SPW財団職員の最短退職記録樹立だろう。

    「承太郎がやる前に僕がやった。彼はもう父親だ。娘に話せないようなことはすべきじゃあない」

     ムジャーヒドには連絡済みだ。
     今後のエジプト支部は一から立て直しになるだろう。
     クラークの所業を信じられず、今もなおショックを受け続けている職員もいる。
     収容スペースは、最初から誰もいなかったように空のままだ。

    「でも、こればっかりは誰かを責めるようなことじゃあない。クラークが一人で画策した。アヴドゥル達は、……必然的に道を選んだ」
    「花京院さん」
    「……マリアン支部長。今までお世話になりました」

     花京院は胸につけていた職員バッジを外し、深々と頭を下げた。

    「僕はこのまま、イタリアに行きます。彼らの故郷を汚したマフィアを壊滅させるつもりです」
    「ですが、一人で……」

     ドアの開く音と共に、イギーが入ってきた。
     花京院の肩に乗り、ニヒッ、と笑ってみせる。

    「……どうやら、一人じゃあないみたいです。参ったな、君ら二人とも子持ちなのに、二人とも来るって言って聞かない性分なんだよな……」
    「つまりは、空条承太郎さんも?」
    「何度も後方支援に徹するよう頼んでいるんですが、多分無理ですね。……僕の友人は、まったく。……勝手な奴らが多すぎる! では、」
    「花京院さん! あの……」

     ……マリアンと最後の会話を終えた花京院は、支部長室を後にし、イギーと地下三階研究室へ向かった。

    (……誰もいないな。数日前、顔なじみの先輩達が歓迎してくれたばかりなのに)

     結局数日しか使わなかった机に向かい、荷物をまとめ始めた。
     念のため引き出しを開けると、マチ付きだがはち切れんばかりの封筒が入っていた。

    「これは、」

     開けると、中には手紙が入っていた。
     おそらく受領者がマメな性格だったのだろう。到着日付が、すべての封筒に書かれている。

    「ポルナレフからの……」

     誰かが収容スペースから持ち出したのだろうか。誰が?

    「……最後の日付。1993年3月25日」

     ポルナレフがエジプトに戻る数日前だ。
     花京院は中を開いた。

    『アヴドゥルへ。

     元気か?
     相変わらずオレは波紋三昧で、字ばっかり見ながらお前を治す方法を探っている。
     こっちは全員元気、……と言いたいところだが、師匠が最近咳ばっかしてるんだよな。
     しかもボケてんのか、

    「お前に帰る場所はあるのか」

     これを百回ぐらい聞いてくんだよ。

     で、面倒だから

    「家はあるけど女の子はいねえ」

     とかなんとか繰り返してたんだが、……師匠がそうじゃねえ、って言うんだよ。
     性別なんてものにとらわれず、ここを出てすぐ、会いに行きたい人はいるかって。
     家の有無も関係ない。
     ましてや血のつながりも無意味だ。

     ただ会いたくて、なにがなんでも寄り添っていたい相手を、人は『家族』って呼ぶんだと。

     ……そろそろ二通目の返事くれよ。
     別になくてもいいけど、お前が退屈なんじゃあねえの?
     いい子で待ってろよ。
     かならず、オレが夜明けを見せてやるからな』

     花京院は綺麗に便せんをたたみ、……ふと、マリアンとの会話を思い出した。

    『……あくまで一つの考えですが、アヴドゥルさんに渡した遮光性の高い服は、なぜ消えたのでしょうか』
    『それは、……五年前のDIOと同じように、アヴドゥルが着ていたからでは、』
    『着ていたなら、紫外線で亡くなるはずはないんです。フィンランドからの脱出中も着ていたなら、日光をほぼ通さなかったと考えられます』

     そしてアヴドゥルが、服を独り占めして生き残るとは考えられない。

    「まったく、……人の気も知らないで」

     花京院はため息をついた。
     今ごろ思いつかなかった方法でヨーロッパぐらい脱出済みだろうか?
     二人でチベットに立ち寄り、香港でもう一度馬鹿みたいに騒ぎ合って、……日本で和食に舌鼓。
     もしかしたら、

    「イタリアから帰ったら、僕の実家に住んでたりしてね、イギー」
    「?」
    「いいや。ただの希望的観測だよ。だけど、これだけは言える」

     二人は、ずっと離れずにいるのだろう。

    「『家族』だから」

     エジプト支部を出ると、春風が吹いていた。
     太陽は、変わらず世界を照らしている。

    【完】
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    2022/08/18 23:15:39

    もう、太陽は見られない その4【完】

    #ジョジョ-腐向け #アヴポル
    ピクシブ初出:2022年4月22日

    みやこ様主催「21世紀最高のアヴポル映画ベスト56(https://kissed.booth.pm/items/3420980)」※に寄稿させていただいたレビューをノベライズさせていただきました。
    ※現在は配布を終了されていらっしゃいます。

    映画レビューとは別のエンディングの可能性を仕込みましたが、
    みなさんはどちらが幸せだと思いますか?

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