イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    僕だけの特等席
    「…どうかした? P.T」
    「ん、いや……何でもない」
    「そう?」
    シャツの釦を外したとき、彼の表情が暗く翳ったような気がしたのは、僕の気のせいだったのだろうか。
    枕元に置いた蝋燭が時折ちらちらと揺れて、その度に濃いオレンジの光が彼の瞳に映り込む。そのせいで榛色の双眸は手品のように色を変えていく。
    くるくると色の変わる目に見惚れていると、下から伸びてきた手が僕の首元からタイを奪って、少し離れた所へ逃がしていった。それを横目で追っている隙に一つ二つと僕のシャツの釦が外される。
    「そうだ、次のショーは蛇を使うのはどうだろう?」
    彼が楽しそうに笑ってみせる。
    「爬虫類は苦手だ」
    「うーん、確かにライオンや熊に比べるとインパクトには欠けるか」
    こんな時だっていうのに、と少しの不満を込めて言えば、こんな時だからだよ、と悪びれずに返してくる。
    少しの呆れと苛立ちを含めて口づけると、大して堪えた風もなく、むしろ嬉々として舌が絡められた。
    毎日ステージに立つショーマンだからか年齢の割に引き締まった肌に手を這わせると、トクトク心臓の鳴る音が伝わる。いくらか速い鼓動に少しだけ嬉しくなって、もう一度彼の唇に自分の唇を重ねた。

    * * *

    フィニアス・テイラー・バーナムの青年期はお世辞にも綺麗なものとは言い難い。
    それは本人も痛いほどに承知していた。
    泥水を啜り、ひもじさに歯を食いしばりながら地獄のような日々を生き抜いてきた。暴力なんて日常茶飯事で、落ち着いてゆっくり休める場所なんて何処にも存在しなかった。
    弱者は虐げられ、愚者は騙される。当たり前の世界の真理を身をもって思い知ったし、裏切りも嘲笑もうんざりするほど受け取らされてきた。
    たとえそれが遠い過去となっても、刻み付けられた傷が完全に癒えることはない。

    フィリップの指が自らのシャツの釦に触れた時、バーナムはそれをまざまざと思い知らされた。
    短く切り揃えられた、傷も汚れもない綺麗な爪。力仕事も泥の汚れも知らないような、男にしては色白の指。何もかも違うはずなのに、正反対のはずなのに、かつての恐怖と重なって。ギシリ、油切れの滑車が軋むように強ばる体を、そっと深く息を吐くことで宥める。
    (落ち着け、大丈夫だ。今、私の目の前にいるのはあいつらじゃない)
    悟られないように、気づかれないように、細く細く息を吐く。
    「…どうかした? P.T」
    僅かに下に落ちていたフィリップの視線が真正面に戻ってくる。
    「ん、いや……何でもない」
    紛い物の笑みを浮かべるより、少しばかり歯切れ悪く返す方が疑われないだろう。そう思って、あえてそんな台詞を返した。
    「そう?」
    思った通り、純粋な彼はそれ以上の追及はしなかった。ボロが出る前に次のステップへ移ってしまおうと、彼のタイを引き抜いて放る。シュルシュルと衣擦れの音をたてて指先から離れていったそれは意志を持った生き物のようだった。
    それをきっかけに滑らかに動くようになった体。大丈夫、私はいつも通りのP.T.バーナムだ。
    「そうだ、次のショーは蛇を使うのはどうだろう?」
    いつも通り。そう自分に言い聞かせれば自然と笑みが浮かぶ。他人を誤魔化すための笑顔は、もう息をするかの如く当たり前に作れた。頭で考えるより先に次に言うべきセリフが唇から流れ出す。
    台本通りの展開に戻れたことに安堵して、ぬるりと歯列を割って侵入してきた舌に自らの舌を絡めた。

    * * *

    バーナムの過去が、普段彼の見せる姿そのままの明るく楽しいものではなかったことを、サーカスの団員は知っている。本人が話したわけでも、確かなことを彼の口から聞いたわけでもないが、暗黙の了解のように静かに、それは知られていた。また同じように団員たちの過去が明るく華々しいものでないことも各々知っていた。知ったうえで誰も不用意な詮索はせず、それでいて当然のようにそれらはサーカスにあった。
    スポットライトを受ければ出来る真っ黒い影の如く、誰もが過去をそのユニークな身の内に持っていた。

    「多少のハプニングはあったが、今日の公演も素晴らしいものだった!! 来週はもっと派手に火薬を使う予定だから楽しみにしておいてくれ!」
    「ちょっとP.T! 何を勝手に!? そんな予算は」
    「なに、君にかかれば予算はいくらでも捻り出せるさ!」
    夜の公演が終わり、舞台裏は高揚した気分のままショーの熱を引きずっていた。団員は心地よい疲労に笑顔を零しながら互いの演技に賞賛の言葉を贈っている。
    そんな喧騒の中でも朗々と響く団長の声に副団長が困惑の声で返し、聞き慣れたデュエットのような言い合いが始まる。
    それをBGMに団員たちはそれぞれ片付けを済ませ、一人また一人と舞台裏を去っていく。全くいつも通りの一日の終わり方。
    「そうだフィリップ、今日の公演のことで君と話したいことがある。あとで楽屋に来てくれないか」
    「あぁ、僕も話し合いたいと思ってた。片付けが終わり次第すぐに行くよ」

    今夜の公演の最中、サーカス反対派の一部が客席から舞台へ上がろうとした。今までにない緊急事態に、あわやショーが中断するかとステージ上の団員たちは焦ったが、他の客が反対派を客席へ引き戻したことで公演は無事つつがなく終わった。
    胸を撫で下ろすと同時に、今後もそんなことが頻発してはショーに影響が出るため、フィリップは対策について団長であるバーナムに相談しようと思っていたのだった。バーナムが話したいこともきっとそれだろう。
    ショーの後片付けと小道具の確認を終えて、小走りで楽屋へ向かう。着替える暇がなく、ステージ衣装のままだが構うまい。
    「P.T! 少し時間がかかってしまって…」
    ガタガタッ!!
    楽屋の扉を開けながら言うと、その瞬間弾かれるように長椅子から立ち上がったバーナム。彼のすらりとした脚が机にぶつかって、その振動で机の上に置いてあった物が揺れて音をたてる。静かな夜に、やけにそれが大きく響いた。
    「ごっ、ごめん…驚かせてしまったかな…?」
    反射的に両手を顔の横まで上げて謝る。数秒置いて、はっと我に返ったように彼の目に照明の光が差し込んだ。
    「あ、…あぁ……フィリップか…」
    力が抜けたように長椅子に崩れ落ちたバーナムは、大きな溜息をつきながら両の掌で顔を覆う。フィリップと同じように、彼もまだステージ用の衣装を着たままだった。
    「隣…座っても?」
    「構わないよ」
    フィリップがおずおずと長椅子に腰を下ろしたのとほぼ同時に、バーナムは顔を覆っていた手を膝へと下ろした。
    現れた顔はいつものP.T.バーナムで、その口から流れ出す言葉たちも普段の彼に相応しいものだった。
    だけど、どこか引っかかる。
    フィリップはバーナムの意見に相槌を打ちながらも、どこかいつもと違う彼の様子に内心で首を傾げていた。浮かべる表情も、喋る言葉も、どれをとってもいつも通りのはずなのに、どこかおかしい。釦を途中で一つかけ違えたような違和感を口の中で転がしながら、フィリップはバーナムの様子を窺っていた。

    * * *

    咄嗟に取り繕った『いつも通りのP.T.バーナム』は、かなり上手くできていると思っていたのだが、予想以上に私は動揺していたらしい。
    「……どうかした? P.T」
    透き通った水色が心配そうに覗き込んでくる。疑い混じりのそれに射貫かれて、ついセリフを途切れさせてしまったのが失敗だった。
    「、いや…何でも」
    「何でもないわけないだろ」
    さっきから様子が変だ、驚かせたのは悪かった、でも何だか今夜の貴方は笑い方がぎこちないよ、と次々に演技のダメ出しをされてしまう。いつの間にこの弟子はこんなにも目敏くなってしまったのだろうか。
    「…昔のキミは馬鹿みたいに純粋だったのにな」
    「話を逸らさないで」
    どうやら厳しい追及から逃れられそうにない。勿論、彼の声音はどこまでも気遣いと優しさに満ちていて、敵意なんて微塵も含まれていないものだったけれども。
    ステップを躓いてしまった。セリフを忘れてしまった。流れる音楽に置き去りにされる。それなのにスポットライトは私を照らしたままで、観客の視線は私の一挙手一投足に注がれていて。
    『いつも通りのP.T.バーナム』という役が自分から剥がれ落ちてしまう。

    「…………怖かったんだ」

    ほろり、台本に無いセリフが零れる。
    「怖かった? 何が?」
    野次は飛んでこなかった。拳も、罵倒も、飛んではこなかった。私の恐れるものは何一つ、ここには無い。
    柔らかな声に促されるように、次々と自分の頭の中身が溢れ出る。
    「ステージに、客が上がってきただろう?」
    「あぁ、ショーの時に反対派の連中が…」
    投げつけられる心無い言葉は歓声がかき消してくれる。敵意の視線はスポットライトの輪の中にまでは届かない。
    ステージは、バーナムにとってある種の聖域だった。
    その上では誰もが平等で、自由で、決して侵されることなど無いと信じていた。

    恐ろしかった。怖かった。あの瞬間、息が止まった。その場で崩れ落ちてしまわなかったのが奇跡とも思えた。
    思い出しただけでも体が震えて、冷や汗が背中を伝う。
    「ここだけは…サーカスだけは、安全な場所だと思ってたんだ。でも……違った…」
    項垂れて、手で顔を覆う。自分が今、どんな顔をしているのか分からなかった。

    * * *

    普段の彼とは正反対の、弱々しくて聞き取れないような声だった。けれど、だからこそそれが彼の本心からの言葉なのだと分かった。
    怖いと言った。あの、何者にも物怖じしないP.T.バーナムが。
    彼の過去について、何も知らないわけじゃない。けれど、まるで自分の世界がぐらりと揺さぶられたようだった。
    何もかもを拒絶するよう丸められた彼の背に手を伸ばしかけて、躊躇う。自分なんかが触れてもいいのかと。それと同時に、今まで自分は彼の何を見てきたんだろうと思った。これまで僕が『彼』だと思っていたのは、彼が作り上げた完璧な役柄だったのだ。
    彼がそうまでしなければならなかった理由を、過去を、思うと苦しい。それでいて、本当の彼の姿を見られたことに対する喜びも心のどこかにあった。
    「……フィニアス」
    迷っていた手を、意を決して彼の背に添える。
    「僕は…貴方のことをまだ全然知らないし、絶対に大丈夫だなんて無責任なことは言えないけど」
    それでも。
    「出来る限り、僕は全力でこの場所を、貴方が安心して笑っていられる場所を、貴方と一緒に守っていきたいと思うよ」
    彼の広すぎる背中を支えるなんて、僕の手ぐらいではきっと不可能だろう。
    そもそも僕は、彼の後ろに続く団員たちとは違うし、チャリティや彼の娘たちのように彼の背に守られる存在でもない。僕は、立っている場所が違う。だから彼の背中をこの手で支えることなんて出来やしないのだ。

    「だって、僕と貴方はパートナーだ」

    ただ隣に立つことしか出来ない。だけどそれは、とても素晴らしいことだ。
    隣に立っているからこそ、僕が見るのは、彼の背中越しの世界じゃない。僕が歩くのは、彼の足跡の上じゃない。
    隣に立っているからゆえに、彼と全く同じ世界は見られない。彼と全く同じ道を歩くことはできない。

    「……そう、だったな」

    俯いて顔を覆ったまま、バーナムが笑う。つられるようにフィリップも小さく笑った。
    一頻り笑って、吹っ切れたようにバーナムが勢いよく顔を上げる。いつものP.T.バーナムだ。
    「でも、確かに今回の件は検討しないと。客席とステージの間に柵を設けた方がいいんじゃないか?」
    「それは私も考えたが、やはり柵が有ると無いではショーの迫力が天と地の差だ。却下だ!!」
    次の公演をどうするか。火薬の量、新しい演出、売り物の種類…話題が次々と移り変わり、予算を無視した斬新で突拍子もないアイデアが泉のように滾々と湧き出していく。
    榛色の双眸が眩しいぐらいにキラキラと煌いて。それを見つめる空色の目もまた、その光を反射するように輝いていた。

    Link Message Mute
    2022/06/18 12:47:12

    僕だけの特等席

    #腐向け #フィリバナ ##その他ジャンル
    スポットライトの逆光も、ハットの影も邪魔にならないこの場所は、貴方の横顔が一番近くで見られる特等席

    2018/03/31 支部投稿
    2022/06/18 GALLERIA投稿

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品