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    楽園ノ獣

    我が国に近代司法の礎を築いた司法家の一人である成歩堂龍ノ介氏の邸宅に世にも珍しい獣が飼育されていたという記述が、氏と親しかった幾人かの文士の日記に見られる。
    当時にしては珍しかったと彼らが口々に言う成歩堂邸の庭園はその後の関東大震災や東京大空襲および戦後の復興・発展により失われ、現在は都内にその所在を小さな碑として遺すのみであるが、当時の資料や写真から僅かながらその姿を窺うことができる。

    なお、その庭園にて飼育されていた珍獣というのは今日の研究では恐らく中東やアフリカから輸入したインパラやオリックスの類ではないかとされているが、その存在を証明する明確な資料は見つかっていない。



    帝都・東京は麹町、法曹界でその名を知られる成歩堂氏の邸宅。近頃流行りの和洋折衷式の建築はもちろんだが、ここを訪れる客がまず一番に目を惹かれるのは広大な庭園だろう。
    主人である成歩堂氏は豪奢を好む性格ではないのだが、邸宅と庭園の設計には何やら随分と拘りがあったらしい。本邸に対してやや広すぎる感のある庭はいつ訪れても四季の花々が咲き乱れ、たわわに実った果樹には小鳥たちが戯れている。
    「僕は草木のことはあまり詳しくないのですが、やっぱり植えるなら実の生るものや花が美しいものがいいじゃないですか」とは、初めて訪問した際に庭木としてはあまり見ない種類の木々が多いことを指摘した私に対しての成歩堂氏の言である(その言葉の通り、成歩堂邸の庭には庭木の定番たる松や青木といった類はほとんど植えられていない)。景観を保つため、庭師はさぞ苦労していることであろう。

    あれはちょうど木犀がよい香りを漂わせている時候であった。あちこちで葡萄や柿や梨などが実を結びつつある庭園を背景に、成歩堂氏はあの人好きのする笑みを浮かべて出迎えてくれた。
    余談だが、その美しく実り多い庭を密かに羨んだ私が数日後に意気揚々と植木市で買った苗木が、我が家の狭い庭の隅に植わっているあの蜜柑の由来である。
    さて私が成歩堂邸を訪ったのはまだ日の高い時間であったから、我々は庭園に面した障子を大きく開け放ち、その景観とともに暫し談笑を楽しんだ。特に勇盟大学時代の同級生たちの近況や、大日本帝国の司法についてに話題が及ぶといっとう盛り上がったのは言うまでもない。
    ふと話題が途切れ、ちょうど私が出された茶で口を湿らせていたときのことである(ちなみに「茶は熱いうちに飲め」を信条とする成歩堂氏の湯飲みは既に空であった)。庭へ視線をやっていた成歩堂氏が、何か珍しいものでも見つけたかのようにその黒い眼をぱちくりと瞬かせたのである。自然とその視線の先を追う形になった私は、秋に染まり始めた庭に「それ」を見た。

    「……放し飼いにしておられるので?」
    恐らくは決して短くない時間、私は「それ」に目を奪われていた。木立の向こうに「それ」が見えなくなってからようやく我に返って声を発した私に、庭から視線を戻した成歩堂氏は以下のように語ってくれたのである。

    僕が若い頃、英国へ留学したことはご存じでしょう。まぁ色々と事情があって、実際は渡航後に留学生と認められたわけですから、厳密には少し違うかもしれませんが。
    ええ、そうです、あの亜双義です。あいつの代理という形で。あの密航や亜双義が死にかけた話も、今となっては笑い話ですけどね。
    当時、あらゆる面で世界最先端だった大帝都、倫敦。
    ……実に色々なことがありました。一介の学生に過ぎなかった僕がこうして弁護士の道を歩むことになったのは、あの街で経験したかけがえのない一年間の結果ですから。そしてその英国で立った最後の法廷で……え? あぁ、日本の法曹界でも話題になっていたんですね。それもそうか……(ここで成歩堂氏は少し目を伏せ、何か考え込むように数秒黙した)。その裁判の渦中にちょうど僕もいたのです。本当に、今だから言えることなんですけどね。
    あれから何十年も経った今でも僕は、果たしてあの裁判での自分の行動は正しかったのかと疑ってしまうんです。いえ、弁護士として後悔はしていません。ただどうにも引っかかっていて。
    ……人が人を裁くというのは非常に難しいことだと思います。弁護士は依頼人のために法廷に立ちますが、時には残酷な真実を予期せず白日の下に晒してしまう。僕たちは真実を見つけることはできます。しかし、それを裁くための正義はいったいどこにあるのでしょうか。
    僕の中にあの時からずっと刺さっている棘のようなものが、きっと彼なのです(私が話の流れが掴めずにいるのに気づいたのか、成歩堂氏は表情を和らげて庭へと目を向けた)。こんなことを言うと僕の頭がおかしいと思われるでしょうけど、あの人は……ああ、ええと、どう言えばいいのかな。そう、彼は人なんですよ。人だったというか……(そこでようやく成歩堂氏が先ほど見た「それ」について言っているのだと気づいた私は、とにかく彼に話の続きを促した。氏が時折披露する驚くべき推論は私にとって非常に興味深く、またそれは氏なりの論理と証拠に基づくものであると経験から知っていたためである)。
    あの人は僕のせいで倫敦からこの大日本帝国までついてきてしまったんだと思うんです。そうでなければ、あれほどに倫敦を愛した彼が知り合いもいない東洋の島国にやってくるわけがないですからね。たぶん彼は自ら望んでここにいるわけではないと思います。

    成歩堂氏はふぅと息をついて、一旦言葉を切った。そこで私は話を聞くうちに胸に浮かんだ問いをこれ幸いと投げかけてみることにしたのだ。無論、失礼ながらお聞きしますが、という前置きをして。
    「幻覚……というわけではないですよね」
    「あなたも目撃したのであれば、僕が生み出した幻覚というわけではなさそうです」
    「貴方はあの生き物をかつて人だったと言いますが本当なのですか」
    「僕にもよく分かりません。ですが、心当たりがあるものですから」
    「倫敦からついてきたというのは本当ですか」
    「彼が僕の前に現れるようになったのは僕が日本に帰国してからなので、そうなのではないかと思っています」
    まるで突拍子もない夢物語のようだというのが成歩堂氏の話に対する感想だった。もしも私が自分自身の目で「それ」を見ていなければ、まず成歩堂氏に医者による診察を勧めたことだろう。氏が生粋の医者嫌いであることを重々承知した上で。
    「しかし、あれが真に人が変化したものというならば、その人というのは」
    成歩堂氏にしては実に珍しいことに、彼は右の手のひらをこちらへ向けて私の話を遮った。いざ弁護士として法廷に立てば裂帛の異議により検察や証人の発言を一刀両断してみせる氏であるが、法廷の外では他人の話を途中で断つことは滅多にしない温和かつ親しみやすい御仁なので、私は内心ひどく驚いた。
    「心当たりはありますが、確証があるわけではないのです。ですから、これから僕が話す想像はもしかすると彼の名誉を著しく傷つけるものかもしれません」
    成歩堂氏はそんな前置きをしてから、我々が見た「それ」について再び話し始めたのである。

    弁護士の端くれとしては、決定的な証拠がない状態で憶測を語るべきではないと思うのですが、しかし、「そう考えると全て筋が通る」という理論は少なくとも真実に肉薄し得るのではないかと僕は信じています(氏はよくこうして謙遜するが、彼の親友である亜双義氏が常々声高に賞する通り、成歩堂氏は間違いなく我が国が誇る優秀な弁護士である。彼の手によって誰も予想すらしていなかった真実が法廷で明らかにされたことは一度や二度ではない)。
    倫敦で、僕が弁護席に立った最後の裁判で暴かれたプロフェッサー事件に連なる一連の出来事、その首謀者こそがあれの正体なのではないかと思います(成歩堂氏はこうして話している間ずっと庭の方を見つめていた)。
    あの方が犯した罪は許されざるものです。しかし……しかし、それはあまりにも、人が裁くには崇高すぎる罪であったように思います。犯罪に崇高も何もないと言えばそれまでなのですが、彼をただ悪であると断罪するのは困難であったことは、当時の英国司法の混乱ぶりをご存じならば分かって頂けるかと。僕は彼の裁判が行われるよりも先に倫敦を発ちましたから実際にこの目で見たわけではないのですが、法曹界だけでなく倫敦市民の世論も割れに割れ、何年にも渡って混乱が収まらなかったそうです。彼の影響力と功績、そして犯した罪の複雑さを鑑みれば止む無しでしょう。
    ……そろそろお分かりでしょうね。はい、ですがこの場で彼の名前を口にすることは控えておいた方がいいと思います(成歩堂氏はそう言ったものの、その裁判および被告人の名は日英両国の法曹界において暗黙の禁忌とされている節があるため、氏の心配は杞憂であった)。この庭にいるのは名もなき獣一頭だけです。……僕が倫敦より連れてきてしまった。
    彼はあのように離れたところから、透き通った目でじっとこちらを見ているだけです。最初は、彼の罪を暴き立てた張本人である僕を怨んでいるのかと思いました。しかしどうやら違うようなのです。
    彼は司法に携わる権利を剥奪され、それまでに築き上げたものを全て失いました。また同時に、彼を失ったことは英国司法にとっても大きな損失だったでしょう。かの女王もあれからさほど間を置かずして崩御され、そして彼自身も裁きを受けました。あの極秘裁判が結審した時点で、彼に近しい人々(氏はあえて共犯者という言葉を避けたようだった)の多くは既に死者あるいは囚人でしたから……もはやあの国に彼の寄る辺となる場所は存在しないのでしょうね。
    そうは言っても、それだけでは彼がここにいる理由としては不十分です。
    閣下は「未来科学こそ来たるべき新時代の司法に必要である」と常々仰っていました。少なくともその彼の理想は素晴らしいものであったと思います。あまりに急進的な姿勢も、あるいは当時の倫敦には必要だったのかもしれません。彼の撒いた種はいずれ大樹へ成長し、罪なき倫敦の民を無数の悪意から護るはずでした。そうでなければ、法の番人たる《死神》があの世紀末の大帝都に生まれることはなかったでしょう。
    あの極秘裁判の後、僕はすぐに英国を去りました。
    沈む船から一足先に逃れようとするかのように僕が忙しなくトランクに詰め込んだ一年分の思い出に紛れて、彼までも持ち帰ってしまった。英国に残った親友やあの裁判に関わった人たちからの手紙で、無意識に考えないようにしていた彼の最期を知ってからも、あの不思議な生き物は消えないどころかますます彼の面影を濃くしていったように思います。
    そしてまた僕はこうも思うのです。何より悪を憎んだ彼が、長い時間と犠牲をもってようやく芽吹かせた新世紀の司法。輝かしい未来たるそれが無知蒙昧で無責任な者によって踏み躙られる様を、そしてその先にぽっかりと口を開けて横たわる暗黒を、ただ無力に眺めるしかできないことが堪えられなかったのではないかと。
    いえ、もしかすると……あの方のことですから、極東の島国にようやく生まれたばかりの未熟な司法、その行く末を見極めんがために遥々海を渡ってきてしまったのかもしれません。……帰国してからの僕が四苦八苦する様を眺めて面白がっておられただけの可能性も捨てきれないのが何とも言えませんが。

    僕は何も知りませんでした。何も知らない、あの事件には全く無関係の人間だった。今まで語ったことだって、あくまで僕の想像でしかありません。あの生き物は彼ではなく、僕の後悔や疑問がみせる幻に過ぎないのかもしれません。人が人を裁くという傲慢、正義の秘める暴力性といったものが法廷に立つ者に常につきまとうように。

    さやさやと吹き抜けた秋風が夕暮れを肌に伝えてきたのをきっかけに、私は氏に別れの挨拶を述べた。
    帰り際、成歩堂氏は先日庭で穫れたのだという大ぶりな柘榴を四つほど、手土産として持って帰るよう紙に包んで私にくれた。
    庭を横切って門まで向かう間、ふと私は小鳥たちのさえずりが賑やかであることに気づいた。彼らにとって、果樹の豊富なこの庭はまさに楽園のような場所なのだろう。
    成歩堂氏に見送られて門をくぐるまで、「それ」の姿は庭園のどこにも見えなかった。それどころか、以降も私は幾度となく氏の邸宅を訪れたが、再びその獣の姿を目にすることは終ぞ叶わなかったのである。氏と私の共通の友人の中には「それ」を見たという者が他にもいたのだが、あいにくと写真などは撮っていないため「それ」の実在を立証することは困難だろう。
    成歩堂氏の語ったおよそ信じがたい話がどうも心に残っていた私は後日、彼について色々と調べてみたのだが、彼が生前に大日本帝国を訪れたという記録は一切存在せず、またその裁判や処刑に関しても不審な点は見られなかった。しかし私はここに誓って、今は亡き成歩堂氏の名誉のためにも、彼が嘘で他人を騙すことを好む御仁では決してなかったと証言しておこう。そしてあの日我々は確かに「それ」を見たということも重ねて申し上げておく。
    あの秋の庭に静かに佇んでいた純白の獣。天を衝く一本の角、その気高く美しい容姿を私は今も瞼の裏に鮮明に描くことができる。あれはきっと、いと高く貴き場所から何かのきっかけでふとこの世にやってきてしまった生き物だったのだろう。そしてもはやあの生き物は、この地上のどこにも存在しないに違いない。

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    2022/06/18 13:52:50

    楽園ノ獣

    #腐向け #龍ヴォル ##大逆裁腐
    ※大逆裁1&2ネタバレあり
    捏造でしかない。龍ヴォル………なのかもしれない…

    2021/11/01 支部投稿
    2022/06/18 GALLERIA投稿

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