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    美しき都、倫敦

    世界にはこんなにも美しいひとがいるのか、と僕はあの日、海を渡った先の国で感嘆と、そして圧倒的な畏怖とともに思い知らされたのだ。
    倫敦へようこそ、と両手を広げ歓迎の意を示してくれた英国紳士は、その名をハート・ヴォルテックスといった。
    今朝倫敦駅へ降り立ったばかりの東洋人である僕はともかくとして、倫敦に暮らす市民であればきっと一度は彼の名を耳にし、目にしたことがあるであろう。繁栄の陰に数多の犯罪が蔓延る大帝都を、法の番人として司るひと。
    白金の髪は、飴色の肌は、透き通る色の瞳は、決してスタンダードな英国人とは言い難いはずなのに、彼を一目見た瞬間、なぜか僕は倫敦という都が人のなりをして現れたならこのような姿ではないかしらん、と自然に思ってしまった。
    この第一印象は未だに思い返しても不思議なのだけど、それでも崩れることなく今も僕の中に変わらぬまま居座っているから奇妙なものである。本来留学生としてこの国へ来るはずだった親友の遺志を継いだとはいえ、司法の知識にも乏しく素性も定かではない僕に機会を与え、そして弁護士と認めてくれたひと。
    それがたとえ貴人の気まぐれや、引き受ける人がいない厄介ごとを押し付けるためであったとしても、少なくとも彼のその一言によって僕はこの異国の地で居場所を得ることができたのだ。倫敦そのものを象徴するかのような彼に許されたからこそ、そう強く刷り込まれているのかもしれない。

    煤と霧にけぶる街は、当然だが僕の生まれ育った国とは全く違っていた。異国の日常には懐かしき祖国の面影はなく、親友の遺したものを抱えて途方に暮れてしまいそうになったこともあった。馬車の行き交う石造りの通りを一人歩くとき、ふと自分がどうしようもない異物のようだと感じてしまうこともあった。もちろん寿沙都さんもいてくれるし、良くしてくれる街の人だって大勢いる。でも、それでもやっぱり僕は東洋人であるし、得体の知れぬ極東の島国から来た怪しげな弁護士なのだ。
    整然と、一定の間隔を乱すことなく時を刻む音。幾百の歯車から成る機構が生み出す時間の中に身を置いていると、己の浮ついた部分や揺らぎかけていた部分が矯正されていくような気分になる。何度訪れてもこの部屋の重厚で厳粛な雰囲気には慣れないけれど、一人立ち尽くす僕を害そうとするものではない。最初の頃はガチガチに緊張してしまってそれどころではなかったというのが正直な所だが、今ではここに満ちる重たい空気は大きな力と時間をかけて歪みを矯正していく、どこか優しさの感じられるものであると思えるようになった。水分が染みてよれたり、折り目やシワがついてしまったりした紙が重石によって平らになる、そんな感覚。
    ヴォルテックス卿は多忙な方だから、僕がこの執務室を訪ねても不在のときが多い。だからなのか、こうして書物の匂いと歯車の音に囲まれて彼を待つ決して短くはない時間は、無為というよりもむしろ禊のような、大いなるものを人の形に変化させて現世へと降ろす儀式であるかのように思えてしまう。

    林立する書架の奥から、高らかに蹄を鳴らして悠々と角もつ獣が姿を現す。主の帰還を言祝ぐように純白の鳩たちが巨大な文字盤を背景に飛び立った。
    「ミスター・ナルホドー」
    「ヴォルテックス卿」
    ああ、変わらず美しいひとだ。パチン、と澱みない仕草で開いた懐中時計を見つめる、僅かに伏せられた目。その何もかもを見透かし貫くがごとき視線が己から逸らされたことに安堵するよりも、銀細工のような睫毛が落とす影を見つめてしまうようになったのはいつからだろう。こちらを見下ろす彼を仰ぎ見て畏れていたはずなのに、いつの間にやら僕の視線は随分と大胆不敵で不埒なものへと変貌してしまっていたらしい。
    「倫敦での暮らしは慣れたかね?」
    「ええ、まあ……流石に観光気分は抜けたように思います」
    「それは結構。確かに最初の頃と比べれば、挙動不審さは薄れているな。初めてここに来たときの貴公は受け答えだけで精一杯、といった風だったが」
    慣れとは恐ろしいものだ、とこちらを見てほんの少しだけ細められた瞳にどこか面白いものを期待するような色が見え隠れしている。悪を憎み罪を許さないこの厳格な主席判事閣下は、けれど時折こうして人を揶揄っては興がるというなかなかに良い趣味をお持ちである。あたかもその広く温かな掌に載せた小さな生き物に、ふっと悪戯に息を吹きかけて、それの驚くさまを慈しむような。
    こと彼に関する僕のこういった観察力は慣れや余裕によって生じたというよりも、もっと不純で貪欲なものに根ざしているのだろう。
    「近頃の貴公には臆する様子がない。自信があるのは良いことだがね」
    「す、すみません……」
    くるりと回したステッキを手のひらで受け止める仕草を、白絹の手袋からちらりと覗く手首の肌色を、流暢なクイーンズイングリッシュを紡ぐ唇に秘められた歯列と濡れた舌を、僕がどのような想像とともに見ているのかを見透かされているようで、思わずピシリと背筋が伸びた。
    「用件を聞こう。可能な限り早く私はこの部屋を出ねばならない」
    帰りの馬車を外で待たせているのだ。既に1時間36分14秒、予定に遅れが出ている。
    懐中時計の竜頭を回しながら、特に焦っている風もなくヴォルテックス卿は言う。彼と話していると、まるで世界の全てが彼を中心として動いているように思えてしまう。まあ、もしかすると「世界」をこの倫敦という都市だと狭く定義するなら、彼を中心として動いているといってもあながち過言ではないのかもしれないけれど。
    日頃から自身の組織が寸分の狂いなく思うままに動くことを望むと公言する彼だが、果たして彼自身が生み出す波紋による乱れや遅れは構わないのだろうか、いつもそれが気になってならない。まさか自身に関する乱れや遅れは(ヴォルテックス卿本人にとっては)全て想定通りだからそもそも考慮の外だったり、するのかな。するのかもしれないな。

    * * *

    どうしてこうなったのだろう、と膝の上で手を握りしめた。拳の中に握りこんだ爪先がぬるりと脂ぎった冷や汗で滑る。どこに目を落ち着かせればいいのか分からず、瓦斯灯の光が車窓を左から右へと流れていくのを眺めたり、向かいの席に座った同乗者の様子を恐る恐る窺ってみたりと、きっと傍から見れば僕の視線は盛大に泳いでいるはずだ。
    僕が普段使うような乗合馬車に比べれば乗り心地が格段に良いことは分かる。分かるが、それを打ち消して余りある居心地の悪さにきゅうと肩を縮こませる様は、もし口さがない者に見られたらまるで借りてきた猫のようだと揶揄されるに違いない。いや、むしろ猫と一緒の檻に放り込まれた鼠の方が表現としては適しているような気がする。
    倫敦の深く濃い夜闇と心地よい車体の揺れ、そして正面にはこの馬車の持ち主であり、夜道を一人帰る僕の懐具合と身の安全を心配して同乗を許可してくれた主席判事閣下。防音がしっかりしていて馬蹄と車輪が石畳を駆ける音がやけに遠いのも良くなかった。小声で呟くだけならば聞こえまいと、瞑目して俯く姿を見て身の程知らずにも高を括ってしまった自分は、そんな車内の空気に酔ってしまって正常ではなかったのだろう。
    後から考えてみれば、いや考えるまでもなく、いくら疲れていても彼が僕の前で無防備に眠るなんてことは到底有り得そうにないし、たとえ声に出さずとも往々にして外に漏れだしがちな僕の思考をヴォルテックス卿ともあろう人が聞き逃すなど万に一つもないというのに。
    「好きです、ヴォルテックス卿」
    親と子ほど離れた年齢も、同じ性も、そもそも思考の土俵にすら上がっていなかった。この時点で僕が朧げに抱いていた彼への好意は、恋愛感情でさえなかっただろう。ただ美しいものを見て美しいと感じてしまったから、好きになってしまったのだ。
    僕は幼い頃から綺麗なものを好む子どもだったらしい。硝子玉や鳥の羽といった美しいものを見つけては誰にも知られぬよう持ち帰り、文箱の奥にこっそりと秘めておくような。
    そりゃあ人間誰しも綺麗なものに心惹かれずにはおられまい。
    目の前のひとは自分と同じ肉と骨と皮で構成される人間であると頭では分かっていても、それでも何故か僕は彼の中に繁栄を謳歌する霧の都を、羽ばたく鳩の群れを、木漏れ日の中に佇む一角獣を、そしてその他色々の美しいものを見出さずにはいられなかった。
    馬車は走り続けた。
    ゴクリと生唾を飲み、居もしない目撃者を恐れて周囲を素早く見回すといういかにも不審な挙動を僕がしてからたっぷり10秒ほどの時間を置いて、彼の瞼が開く。清い水の色をした双眸は真正面に座る僕を素通りした後に暗い車窓へと向けられ、それっきりだった。余分に飲み込んでしまった息をほっと安堵のままに吐くわけにもいかず、そろそろと息苦しさを我慢しながら呼吸に混ぜ溶かし、僕は油の切れた絡繰りのようにぎこちなく、ヴォルテックス卿とは逆側の窓へ視線を彷徨わせた。


    僕の下宿がある通りの前で振動と音が止まる。
    「あ、えっと、そのっ、わざわざ送って頂き、ありがとうございました……!」
    扉を開けてそそくさと馬車を降りようとする僕の肩を、白い手袋に包まれたヴォルテックス卿の大きな手指が掴む。すわ何事かと頭の天辺から足の爪先までぴしりと固まった僕の唇にふに、と柔らかくて温かなものが押し付けられた。彼の高い鼻筋がこちらの右頬に触れていて、あの美しい白銀の睫毛が目の前で一度静かに羽ばたくさまはまるで幻を見せられているかのよう。
    「……?!………え、あの、ヴォルテックス卿……???」
    「足元に気をつけたまえ。ではミスター・ナルホドー」
    良い夜を、とニコリともせずに言われた彼の声だけを路上に落として馬車の扉は閉まってしまう。
    石畳の歩道に取り残された僕はしばらく呆けたように立ち尽くしていたが、これが英国紳士のリップサービスというやつなのかしらん、と頓珍漢な理屈を捻りだして無理矢理自分を納得させ、いや納得などできないし頭の中は真っ白だがとにかく帰宅するべく歩き出し……やはりと言うべきか、お約束のように街灯の明かりの下で躓き、人っ子一人いない夜道で盛大に転んだのだった。

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    2022/06/18 13:49:38

    美しき都、倫敦

    #腐向け #龍ヴォル ##大逆裁腐

    2021/10/10 支部投稿
    2021/11/01 改題
    2022/06/18 GALLERIA投稿

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