イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    魚は泡に、鳥は人に
    雲に霞む山頂には一年を通して消えることの無い雪の冠、そこから流れ落ちる豊かな雪解け水の瀑布と、鬱蒼と茂った森林。地上の殆どを我が物顔で支配する人類が未だ足を踏み入れることを躊躇する大自然の中には、お伽噺に謳われる人とも獣ともつかない異形の民が棲んでいた。
    濃厚な生の気配に満ちた真昼間でも薄暗い森林。己の身に生存のため磨き上げた武器を隠し持つ生き物にとっては最も生きやすい環境も、無力を道具で補うしか術のない生き物が迷い込めばもう二度と朝日を拝むことはできない。
    太古の昔のままに食物連鎖を絶対のルールと敷く緑の世界では、そこで生き抜くための力を持つ獣とともに、猛々しくも美しい多種多様な獣人たちが暮らしていた。人間の身に獣の爪牙を生まれ持った彼らはあまりにも増え過ぎた人類に狩り尽くされる運命を拒み、森へ還ることを選んだ者たちだった。
    人里から遠く離れた岩山の、断崖絶壁ばかりが連なる峰。四足の生き物にとっては容易く駆け上れる岸壁も、二足の生き物が歩けば即座に道を踏み外して谷底の奈落へと真っ逆さま。
    剥き出しの岩塊とそこに根を張った歪な大樹のコントラストは雄大で、しかし何よりも目を奪われるのは枝から枝へ自由に飛び交う有翼の民の姿だろう。胴体や顔、腕は人間と同じだが、背に生えた大きな翼と鱗に覆われた両脚は鳥類のもの。地上を追われた彼らは生きる場所を大空へ求めて進化した。


    紅の艶やかな翼を広げ、目の眩むほど高い崖から身を投げるようにして鳥人の少年が谷へと飛び降りる。一度大きく羽ばたいた両翼は山向こうから吹き抜ける風を掴んで、小さく軽い子どもの体をグンと上空へ引っ張り上げた。
    少年には親と呼べるものがいなかった。こうして空を飛ぶ方法も、日々の糧の狩り方も、誰も教えてはくれなかったから自分で見つけてきた。有翼の民などと呼称されてはいるが、それは種族名のようなもので人間のように共同生活を送っているわけではない。狩りの際に協力したり、血の繋がった鳥人が群れを作って行動したりすることはあるが、基本的に鳥人は個人主義だった。だから親に見捨てられた雛が飢えようが凍えようが、誰も見向きもしなかったのだ。
    少年は谷底を流れる川に沿って、せり出して迫る岸壁すれすれのところを飛んでいく。
    同族がひしめく谷での狩りは、赤く目立つくせに未だ発達途上の羽を背負う一人ぼっちの彼にとっては難しかった。せっかく追い詰めた獲物を横取りされた苦い経験は一度や二度ではない。それよりはまだ眼下に広がる森でウサギやネズミといった小動物を捕らえる方が空腹を満たせる。本当はさらに森をも飛び越えて、その先の平原で草を食む獣を狩る方が競争相手もおらず全力で飛べるため効率も良いのだが、それは出来ない。

    樹上から僅かに見える地面に目を走らせ、枝の揺れる音や落ち葉を踏みしめる音に耳を澄ませる。近づいてくる。鹿の親子だ。春に生まれたばかりの小鹿は少年にとってちょうど良いサイズの獲物だった。
    折り重なって進路を阻む木々の枝や蔦に引っかからないよう飛ぶ道筋を計算する。いける。
    留まっていた枝を蹴って、翼をたたみ滑空しながら手を伸ばす。抱きかかえるようにして腕の中に小鹿を捕らえ、羽ばたく。風圧で舞い上がった木の葉の向こうに、一目散に逃げていく親鹿の姿が見えた。

    手ごろな高さの枝に留まって、鉤爪で獲物にとどめを刺す。血が抜けるのを待ちながら、干し肉にすれば何日分になるかと少年は考えた。
    ここ数日、他の鳥人たちが騒がしい。やたらと狩りに精を出しているようだから、きっとまた大雨が降るのだろう。昨年の長雨のときもそうだった。天気の変化を教えてくれる親がいない少年は、そうやって周囲の様子を窺って推測するしかなかった。
    雨が降っても飛べないわけではない。ただ、雨の日は獲物が少ないのだ。だから雨雲が来る前にできるだけ数日分の食料を備えておきたい。見よう見まねで作り方を学んだ干し肉では心許なかった。まだ仄かに温かい小鹿を抱いて谷川を遡るように飛ぶ少年の脳裡に、平原で狩りをしようかという案が浮かんでは消える。

    人間と同じ高い知能と獣と同じ身体能力を併せ持ち、山野の食物連鎖の頂点に君臨する鳥人や獣人といった異形の民は、人間の領域へ踏み込んだ途端に狩られる側となる。希少性が高く見目麗しい生き物は人間に目をつけられたが最後、あらゆる方法で狩りたてられて剥ぎ取られてしまう。艶めいた皮革を、柔らかな毛並みを、立派な爪牙を、美しい羽や鱗を、滋味に富んだ肉を。あるいは、矜持や生き方を。
    同族ですら奴隷として売り買いする人類にとって、かつては脅威であった異形の民は今や己の富や権力を示す良いステータスでしかなかった。それらを狩り、捕らえ、高値で売買するというビジネスが成立してしまうほどに。
    平原を飛んではならない。なぜならそこは人間の狩場であるからだ。命知らずの馬鹿な鳥人や、狩りが下手で食うに困った鳥人が平原に行くことはあったが、無事に戻ってくる者は殆どいなかった。

    ―――しかし人間とはそんなにも恐ろしいものだろうか?

    少年は人間をその目で見たことがあった。
    鳥人が棲む岩山には一か所だけ人間の通る道がある。ちょうど少年が寝床にしている岸壁の洞穴から見下ろせる位置。遥か昔、人間と異形の民がともに暮らしていた頃、山の向こうとこちら側の行き来のために作られたという細く粗末な山道だった。通る者が絶えて久しいそこを二本足で歩いて行く、自分たちによく似た一匹の生き物。あれが噂に聞く人間か、と少年はそれを眺めていた。ボロボロで疲弊しきったそれは何かに追われているかのように忙しなく辺りを見渡し、崩れそうな足場をよたよたと進んでいた。傷を負っているのか、時折立ち止まる。
    「何しとーと?」
    十分な距離をとって、すぐに逃げられるよう翼を広げながら声をかけてみた。人間はビクリと肩を跳ねさせ、怯え切った目で勢いよく振り向いた。
    「な、なんだ、追手じゃねぇのか」
    人間は何も持っていなかった。諦めながらも据わった、追い詰められた獲物と同じ目をしていた。どうやらこの人間も狩られる側らしい。
    「あっちに行け、別にお前らを捕まえにきたわけじゃねェ」
    そう言ってシッシッと追い払われたからそれ以上は干渉せずに眺めることにした。けれど人間はその後すぐに吹き付ける谷風に足をすくわれ、よろめいて、ごうごうと下を流れる激流に飲み込まれてしまった。
    呆気ないな、と思った。あれほど恐れていた人間が、こんなにも弱いのかと。
    翌日、気になったので獲物を探すついでに下流へと飛んでみた。森と平原の境目のあたりで死体が岸に引っかかっていた。その周りには何人かの人間が集まっていた。きっとこいつらが追手だったんだな、と漠然とした確信があった。

    それっきり人間を見たことはない。以来、少年は人間を得体の知れない生き物とは思えど、恐ろしい脅威とは思わなくなった。
    「あ、」
    雨が降り始めた。みるみるうちに勢いを増して叩きつけるような激しさになった雨脚は滝のように、少年のいる洞穴の入り口を閉ざしてしまった。


    *****


    することもなくて、生乾きの干し肉を噛みながら止まない雨を眺める。
    かれこれ三日、雨は降り続けていた。今日は昨日よりもいくらか雨が弱まったな、と谷川の方を見下ろす。水かさが増した川が岸を削りながら流れていく轟轟という音はここからでもよく聞こえた。
    「えっ」
    人間がいる。雨水が流れ落ちる不安定な山道を岩壁に手を付きながらゆっくりと歩いてくるのは紛れもなく人間だった。雨除けに大きな布を纏って、ゆっくりと着実に一歩一歩進んでいる。この豪雨の中、山を越えてきたのだろうか。
    随分と大きな人間だ。獣人にも見えたが、もしもそうならばこんな不安定な足場をわざわざ二足歩行はしない。声をかけてみようか、と翼を広げる。でももしかしたら鳥人を狩りに来た人間かもしれない。躊躇して、もう少しだけ様子を見ようとした瞬間。
    「あっ、落ち……」
    ガラガラと山道のふちが崩れ落ちる。長雨で脆くなった地面に亀裂が入り、流れ落ちてくる雨水がそちらへ逸れる。道はみるみる削れ、崩れ、あっという間にただの岸壁になってしまった。ぐらり、踏ん張ろうとした体は傾いで、敢えなく崖下へ転げ落ちた。

    洞穴から走り出て、岩壁を蹴る。皮膚を貫くような雨粒が痛い。降り注ぐ水の勢いに負けぬよう何度も羽ばたいて濁流と化した谷川に目を凝らした。
    ぼやけた暗い色彩の中で鮮やかな赤毛を捉える。
    見つけた。
    持ち上げられるだろうか、ぎゅっと手に力を籠める。無理だ。渦を巻いて荒れ狂う水に逆らって、この人間を抱えて飛ぶなんて。けれど流れが普段の穏やかさを取り戻す頃にはこの人間はずっと下流に流され、とっくに死んでしまっているだろう。
    せめて岩にぶつからないよう、水底に沈んでしまわないよう、それぐらいならきっと。
    広くて分厚い肩を両脚でがっしりと掴む。途端、重みと水流に引っ張られる。崩れかけたバランスをなんとか取り戻して必死に翼を動かした。このまま突き立てた爪が抜けなければ、自分もこの人間と一緒に溺死するしかない。もう離せない。水飛沫と雨に呼吸と体温を奪われながら、両腕で人間の頭を抱える。命を奪う目的以外で生き物の温もりに触れたのは初めてだった。


    無我夢中で、小さな翼が千切れてしまうのではないかと思うほど羽ばたき続けてどれぐらい経ったか。川幅がいくらか広がって、流れがほんの少し和らいでくる辺り。随分と下流まで流されてから、ようやっと少年は人間を浅瀬まで引きずり上げることが出来た。肩口に食い込んでいた鉤爪をどうにかこうにか外して、ぐったりしたままの人間の頬をぺちぺちと叩いてみる。
    反応は無かったが、人間はまだ生きた熱を保っていた。きょろきょろと辺りを見渡す。雨はいつの間にか小降りになっていたが、このままこの人間を雨ざらしにしておいても良いのだろうか。かといって浮力の助けもなく人間を運べるほどの力は少年には無かったし、そもそも酷使した体は今にも倒れそうなくらい限界だった。
    しゃがみ込んで、人間の脇腹あたりに身を寄せる。雨に打たれた少年の体は冷え切っているというのに、水に浸かっていたはずの人間の体は不思議と温かかった。ドクドクと力強い鼓動の音を聞きながら目を閉じる。その様は親鳥の温もりを求めてすり寄る雛によく似ていた。


    *****


    崖沿いの山道が崩れて、谷川へ落ちた。気がつけば下流の岸辺に打ち上げられていた。運が良かったのだろう。肩と背中に何か刺さったような不可解な傷はあるものの、あれだけの高さから落下して濁流に飲まれたことを考えれば、全身軽い打撲程度で済んだのは奇跡とも言えた。
    エンデヴァーという名の男はのっそりと起き上がると、自分の身に付けているものを検めた。もともと所持品はそこまで多くは無かったのだが、腰につけていたはずの携行ポーチが見当たらないことに眉を顰める。
    続いて周囲を見渡した。増水して勢いよく流れる川、その両岸に茂る鬱蒼とした木々。川上の方を見遣れば、自分が越えてきた山の白い頂が遥かに見える。
    ―――さて、どうしたものか。
    雨雲が途切れて晴れ間から光が降り注いでくるという明るい光景とは反対に、エンデヴァーの置かれた状況には暗雲がどんよりと立ちこめていた。

    どうしても三日のうちに山を越える必要があった。
    エンデヴァーは山の向こうにある大国の王だった。人の手の入らない険しい高峰と深い森林を挟んで、東と西に位置する二つの国。数年に一度の両国の会合に向かう途中でエンデヴァーは重臣たちに反旗を翻された。妻子を人質に取られ、己の治める国を丸ごと乗っ取られた形だ。
    首謀者たる宰相を中心に、大臣どもは数々の汚職や失敗の全ての責をエンデヴァーになすりつけ、追放という建前でエンデヴァーを暗殺しようとした。向けられる追手はことごとく返り討ちにしてやったが、新たな国王となった裏切り者どもの圧政と重税に苦しむ民衆と疲弊する国を救うにはエンデヴァーひとりの力では難しい。
    愚かにも周辺諸国に宣戦布告したかつての自分の国は、五日後を開戦と定めた。多くの無駄な血が流される前に、不要な犠牲が生まれる前に、エンデヴァーはかの国へ向かわねばならなかった。会合相手、オールマイトの治めるもう一つの大国へ。
    山を迂回していては間に合わない。通れるかどうかも怪しい昔の交易路の存在を信じ、それを使って無謀な山越えをしなければならないほど状況は逼迫していた。さらに運悪く降り始めた豪雨はエンデヴァーを行かせまいとするようで。
    雨は止み、最大の難所である岩山を越えはしたものの、状況は好転したとは言い難い。最低限の旅の装備すら失い、自分の現在地も分からない。可能な限り早く最短距離で目的地へ向かわねばならないエンデヴァーにとって、今の状況は非常にまずいものだった。
    立ち止まっていても仕方ない、と川に沿って歩き始める。このまま下っていけば森を抜けられることは知っていた。脳内に地図を思い浮かべる。続いて行程にかかる日数の計算。川に沿って森を抜けても目指す国へは辿り着けない。何故ならこの川は南北に流れるものであり、エンデヴァーの辿るべき最短距離の道筋ではないからだ。森を突っ切るのが望ましいのだが、磁石も地図も無い状態で迷わずに森を抜けられる可能性は限りなく低かった。
    「どこ行くと?」
    唐突にかけられた声に身構える。幼い子どものような高い声だった。
    「誰だ」
    声のした方を睨みつけるも、それらしい影は無い。この辺りに棲むという獣人か、と警戒する。
    「どこ行くと?」
    再びの問い。敵意や殺意は感じられなかった。
    「……この森を抜けたい。俺はあと二日のうちに王都に辿り着かねばならん」
    「王都? 人間がおる所?」
    「ああ。森を抜け、平原を越えたい」
    少し思案するような沈黙。声の主が信頼できる相手かは分からない。獣人には人間を嫌う者も多い。森の奥を散々歩き回らせて迷わせた挙句、食い殺すようなタチの悪い奴がいないとも限らない。
    「……こっち」
    声の聞こえる方向が変わる。木の上を渡っているのだろうか、姿は相変わらず見えない。
    それでも今は声の主を信じるしかなかった。


    *****


    人間がついてきているのを確認しながら枝を飛び移る。人間が目指しているという王都が何なのか少年にはよく分らなかったが、平原の向こうに広がる人間たちの住処は山の上からでも見えたから、きっとそこだろうと思った。人間はどこか焦るような目をしていた。追われているというよりは、何かを追いかけているような。
    ときどき樹冠を潜り抜けて空に出て、方角を確認する。人間は急いでいるようだったから、少年は最短距離を辿れるよう王都に向けて真っ直ぐに彼を導いた。

    日が沈んで、森は漆黒の闇に包まれる。最後の夕日のひと欠片すらも消えてしまい、これ以上進めなくなった少年はどうしようかと途方に暮れる。自分は夜目が効かないが、人間はどうだろうか。
    「おい」
    下から呼びかけられる声。
    「すまないが、今夜はこれ以上進めそうにない。休んでも構わないか?」
    足元で口を広げる真っ暗闇に うん、と返せば人間の歩く音が止んだ。ガサガサと落ち葉を掻き分けるような音がして、次の瞬間。
    ぼう、と夜闇を照らす光が芽吹いた。ゆらゆらと揺れながら周囲を明るくしたそれは沈む寸前の太陽の色をしていて、少年は目を奪われる。
    「何、それ」
    下を覗き込むように乗り出しかけた体を慌てて引っ込めるも、少年の目はその光に釘付けだった。
    「火を見たことがないのか?」
    「ない……知らん……」
    少年が留まっている木の根元に腰を下ろした人間は、指先から火を生み出して見せた。
    「人間はみんなそういうこと出来ると?」
    「いや、俺が特殊なだけだ」
    燃える橙色に照らされた人間はぽつりぽつりと色々なことを話してくれた。空腹と、寝床でない場所で過ごす夜への不安に目が冴えていた少年にとって、初めて聞くことばかりの人間の話はちょうどいい気晴らしになった。

    日が昇ると同時にまた歩き出す。
    少年は後ろをついてくる人間のことが気になって仕方なかった。低く響く伸びやかな声も、硬くて真っ直ぐな赤い髪の毛も、汗の滲む屈強な体も、こちらを見上げながらも決して交わらない透き通った碧い瞳も、そして昨夜彼が灯した美しい火も。その全てが少年の幼い心を絡めとってしまっていた。枝から枝へ飛び移りながら少年は思った。この人間とずっと一緒にいられたらいいのに、と。
    初めて触れた他人の温もりだったからだろうか。初めて他人とこんなにも長く一緒に過ごしたからだろうか。少年にとっての初めてを、この人間があまりにも沢山与えてくれたからだろうか。
    ―――どうすればこの人間とずっと一緒にいられるだろうか。
    人間は人間と一緒に暮らすのだという。では自分は?
    背中から生えた翼と、鱗に覆われた逆関節の脚。たったそれだけの違いは、どう足掻いても変えられない差だった。


    「助かった、礼を言う」
    人間は深々と頭を下げた。それがどういう意味の仕草なのか鳥人の少年には分からなかったが、ここでお別れなのだということは分かった。木立が途切れて、平原へと視界が開ける寸前。これより先は人間たちの領域だ。自分には行けない、いけない。
    「俺はエンデヴァーという。お前の名が聞きたい」
    少年は一瞬ためらった。今なら地上に降りて、一緒に連れて行ってと言えるのではないかと。は、は、と吐く息が荒くなる。一緒に行きたい、自分も一緒に、この人間と。

    けれど結局少年の口からそんな言葉は出てこなかった。
    「……っ、……ホークス」
    本当はそれが自分の名前なのか少年にはよく分かっていなかった。呼んでくれる親もいなかったし、他の鳥人が自分のことをそう言って指すから漠然とそれが自分の名称なのかと思っていただけだった。
    「ホークスか。覚えておこう」
    人間の声で紡がれた瞬間、その音はストンと少年の中に落ちてきてしっくりと馴染んだ。
    人間はもう一度少年の名前を呼んで礼を言うと、振り返らずに平原へと歩いて行ってしまった。その姿が鳥人の優れた視力でも見えなくなってから、ホークスは枝の上から飛び立った。森の上を旋回しながら遠く彼方へ去っていく人間を見つめる。どれだけ高度を上げて目を凝らしてもその背が見えなくなってようやく、名残惜し気にくるくると飛んでいた小さな鳥は住処へ帰っていったのだった。


    *****


    鉤爪が過たず脇腹を捕らえる。体重と着地の勢いで獲物を地面へ押し付けて、角を振りかざして暴れるその喉笛を蹴るようにして掻っ切った。痙攣し、やがて動かなくなった牡鹿を手際よく解体すると、自分の体重よりも重い肉塊を両脚で掴んで飛び立つ。大きく広げた赤い翼を数度動かせば、あとは風が勝手に運んでくれる。
    便利なこの体ともあと少しでお別れだ。
    羽をたたんで洞穴の入り口をくぐる。吊るした干し肉や薬草で、ただでさえ窮屈な空間が一層手狭になっている。
    青年に成長したホークスは鳥人をやめるつもりでいた。人間になって、あの人のところへ行く。きっとあの人間は自分のことを覚えてはいないだろう。それでも良かった。傍にいられれば、いや、同じ世界にいられさえすれば。
    旅支度はできた。人間として生きていく覚悟もした。そのための手段も知っている。
    血抜きをしたばかりの生温い肉を噛んで、飲み下す。


    「エンデヴァーさん」
    あの日から何度呟いたか分からない名前。せっかく発音を練習したのに、もう面と向かって呼ぶことはできないのかと少し残念だった。
    物好きな奴だな、病気だよお前、と心底嫌そうに吐き捨てた異形の民は、それでもホークスが望んだものを与えてくれた。
    声と引き換えに、人間の脚を。
    一歩踏み出すたびに激痛が走るっていうオプションはいらなかったんだけどな、と歯を食いしばる。脂汗を浮かべながらよろよろと歩く練習をする俺に、腐れ縁の兎の獣人は呆れ顔で肩を貸してくれた。

    森と平原の境目、異形の民と人間の境目。ずっと前にあの人を見送った境界線を、俺は今日、人間として踏み越える。
    背中の羽を自分の手で毟る。自分じゃ届かないところは何だかんだ言ってついてきてくれた兎の獣人が毟ってくれた。落とした深紅の羽が足元に散らばる様はまるで血抜きされたみたいだった。つるっぱげで随分とコンパクトになった翼のなれの果てを指さして、兎の獣人は美味そうだな! なんて笑っていた。肌色の突起になってしまった翼を折りたたんで、用意していた毛皮の服の下に隠す。
    (お世話になりました、ミルコさん)
    口の形だけで言って頭を下げると、彼女は何言ってるか分かんねー! と笑ってバシバシ俺の空っぽになった背中を叩いた。
    まずはあの人が言っていた王都とやらに行こう。ズタズタに切り裂かれていると錯覚するほどに両の足は痛むけれど、それでも足取りは自分でも驚くほど軽やかだった。

    Link Message Mute
    2022/06/18 13:19:30

    魚は泡に、鳥は人に

    #腐向け #ホー炎 ##hrak腐
    人魚姫(ではない)パロのよく分らないファンタジー世界線ホー炎。CP要素はほぼ無い。続きを書いてはいたのですが着地点を見失ったので尻切れトンボです。供養。

    2020/06/25 支部投稿
    2022/06/18 GALLERIA投稿

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品