【超忍Fes.2024】きらきらひかる【サンプル】【きらきらひかる
Twinkle twinkle little star】
◇本書は個人によって作成された、非公式のファンブックです。
◇原作者様および出版社様をはじめとした全ての公式コンテンツとは一切関係がございません。
◇キャラクタの過去等、一部設定に捏造が含まれます。
◇ 一部に暴力、戦争、階待などを想起させる表が含まれます。
ご自身を第一に、無理のない範囲でお読みいただけますと幸いです。
1 さらさらつもる
明け方から降り出した雨は、昼には地面を覆うほどの雪に変わった。屋根を叩いていた滴りは音を失くし、沈黙が鼓膜を痛ませる。どこからか響く子どもの歓声は、時折耳を慰めたが、陽炎のようにすぐに消散した。
久々知は校庭を横切りながら、白い息を吐いた。吐こうと思っていたわけではない。寒さの中では吐く息全てが白く変わる。人間が生きて、熱を持っているために。己の呼吸のために視界は白く霞む。
止まない雪を避けるように僅かに顔を俯けて歩けば、自ずと足元が目に入った。まだ薄く足跡を残すだけであったが、あと数刻もすれば一面の雪景色に変わるだろう。瞼を半ば伏せながら、黒目だけで空を見やる。灰色の雲は厚く、天幕のように空を包んでいる。太陽はどこにもない。この眩さはどこから生まれるのだろうと、考える。
雪のひとひらが光を纏って舞い落ちた。
ちょうどまつ毛の先に当たり、彼の目に薄幕を滲ませる。
目眩。
瞬きの間に溶けた氷の温度を思い出すことはできなかった。
校庭から校舎の裏に周り、久々知は誰もいない道を歩き続けた。雪の中でも足取りに迷いはない。風を切って歩くためか、降り頻る雪に反して藍の制服は乾いたままだった。つま先だけが雪と泥に汚れている程度。時折、背に垂れた黒髪が風に煽られ、雪と踊った。
厚い石壁から成る倉庫が木々の影から見えると、彼は微かに足を早めた。外観に相応しい重厚な鉄扉の前で立ち止まり、足先を覆う泥を落とす。鈍重な雰囲気を醸し出す蔵において厳禁とされるのは火器の類だけであったが、泥のついた足では蔵を汚してしまう。綺麗好きの後輩が眉を顰める姿を想像し、彼は喉奥で笑いをこぼした。
懐から鍵を取り出して錠を回す。扉の中に収められているものを思えばあまりにも小さな鍵。その潔い黒が、並の人間には到底看過できないほど緻密な技巧によって作られていることを彼は知っている。学園が始まって以来、焔硝蔵へ不法に立ち入られたことがないことも。
石造りの蔵の内は仄かに温かく、埃っぽかった。
地層のような停滞。
微睡のような倦怠。
風がないだけでも温かく感じるらしい。久々知は両手で蔵の扉を閉め、内側から鍵を掛けた。光源を無くした蔵は薄闇に包まれている。屋根に近いところで、明かり取りの窓から漂う淡い光だけが微かに滲んでいた。
彼は扉に手を置いたまま双眸を閉ざした。三秒。瞼の裏に鈍く四角形の影が浮き上がり、蠢いた。五秒。雪の礫が踊るように。輪郭が明滅を繰り返す。十秒。瞼を持ち上げ、久々知はゆっくりと歩き出した。
整列した棚の隙間を縫い、一番奥の棚に辿り着くと下段に並べられた帳面を一冊手に取る。題の代わりに記号が振られた表紙を開く。薄黄色の紙に目を走らせては慎重に頁を捲った。時々、蔵の中に並んだ棚に置かれた壺の蓋を、一つか二つ覗き込む。何かを調べるというよりは確かめる動きに近い。実際に帳面を見れば、壺の一つ一つを直接調べた結果から答えを見出すよりも早く、幾つかの推論を展開することができる。その内のどれかが正解であれば、どれが正解であったとしても大きな差はない。つまり、彼にとってこの作業は正しく確認の行為だった。
明かり取りの窓から一筋の光が差し込み、久々知は顔を上げた。
雲が切れたのか。時間が経ったのか。
陽射しの角度を計算し、今が何時であるかを把握する。長く焔硝蔵で過ごす内に身に付けた術だ。苦も無く割り出した時刻とここへ来た時の時間を比較する。仕事を始めてから二刻あまり経っていた。
軽く息を吐き、首を回す。停滞していた血が巡り始め、足先の感覚は殆どなくなっていることに気付いた。雪原よりも温かいとはいえ、常に冷え切った蔵の中にいたためだろう。時が経っていることを、数字よりも確かに実感する。結局、雄弁なのは自らに働きかける感覚だ。どれほど想像できても、実体を見なければ安心していられる幽霊のように。
【以降は本編にてお楽しみください】
2 ゆらゆらおよぐ
夜明けよりも鮮やかな色彩を目にした瞬間、鉢屋は彼がこの部屋に訪れた理由を理解した。
「入っても?」黄昏と呼ぶには淡い夕焼けを背に、無表情に佇んだまま彼は尋ねた。
部屋と廊下を隔てる敷居と垂直になった爪先は微動だにせず返事を待つ。礼儀正しいと言うより、むしろ尊大。不遜。断られたならばこの部屋を訪れたことさえ無かったことにして立ち去るだろう。尤もそのような事は起きないとお互いに知っていた。お互いに知っているということも含めて。
「駄目ならとうに追い返している」机の前に座ったまま、鉢屋は答えた。「何か用でもあったのか?」
「聞く前に許してくれるんだ」
「誰であれ訪ねてきた人間を無碍にはしないし、」腕を伸ばし、不破の机の前に置かれた座布団を引き寄せる。「お前であれば尚更だよ。兵助」
指で座るように示せば、久々知はゆっくりと敷居を跨いだ。後ろ手で戸を閉める。決して広くはない部屋だ。すぐに座布団の前に辿り着くと、鉢屋の顔を見下ろし、それから大人しく腰を下ろした。
「雷蔵は出掛けているんだね」胡座ではなく膝を抱えるように座り、久々知は壁の反対側に置かれた机を見た。「それとも、まだ学園に帰ってきていない?」
「帰ってはいる。今日は図書委員の仕事で街に用があるらしく、出掛けているだけだ」
朝早く部屋を出て行った姿を思い出す。一つ上の委員長と二人だけなのだと言った表情がどこか誇らしげだったのは、上級生にのみ任せられる仕事のためだろう。
「そう」久々知は鉢屋へ視線を向け、小さく微笑んだ。「運がよかった」
「雷蔵がいない方が都合の良い話でも?」
「そういうわけじゃないけれど、雷蔵は心配してしまうだろうから」
「私なら心配しないとは思わないのか」
「俺がどうしてここに来たのか、分かっているだろう?」
鉢屋は憚ることなく眉を顰め、答えの代わりに頬を指で示した。それから溜息を落とす。言葉はなく、しかし、呆れを伝えるには十分な仕草だった。
「ごめんね」素直な口調で久々知は言った。表情は変わらない。
「謝る必要はない」額から離した手を机に置き、鉢屋は答える。「兵助は悪くないだろう」
「まあ、うん、その通りかも。でも三郎に手間をかけさせているのは事実だから」
「構わない。私が適任だし、それに、」
「それに?」
「心配することを許されているようで、悪い気はしない」
「なにそれ」肩を小刻みに揺らしながら久々知は俯いた。笑っているのだろう。連動して揺れる黒髪が表情を隠す。微かな隙間から覗く笑みは、皮膚が引き攣ったのか、制御された微笑に比べてぎこちない笑みだった。
絹糸の後ろに隠された双眸を二秒見つめ、鉢屋は机の上に置かれた箱を手繰り寄せた。蓋を開け、中に仕舞われていた小箱の内、幾つかを取り出す。反対の手で筆置きに立てかけられた筆を手に取り、指の間で器用に回転させる。瞬間、生まれた風に抵抗するように手入れの行き届いた柔らかな毛が微かに靡いた。
筆を持っていない左手を振る。近付いてほしい、という仕草だ。久々知はその意図を正しく汲み取り、座布団から半分だけ膝を乗り出した。顎に鉢屋の手が触れる。指先の温度が冬を連想させる。思い出されると言った方が正しいだろう。
鉢屋が顔を寄せれば、凹凸のない影が久々知の顔を覆う。薄膜の帳のように。鉢屋は一度手を離し、座ったまま身体の向きを三十度ほど捻った。
再び筆先が回転。微かな風。薄灰色の筆に合わせてまつ毛が踊る。
再び頬に触れる。
肌の上に咲いた薄青い痣を指でなぞる。
自然には生まれ得ない色彩。
学園で過ごす間は健康的に映る肌が血の気なく感じられるのは気のせいではないだろう。目を閉じ、記憶にある久々知の姿を鉢屋は瞼の裏に再生する。冬の長期休みに入る前、帰省する前に見た姿を。
数日間降り続いた雪の光に照らされた姿。
陰影に彩られた中で、唯一、頬だけが赤い。
「似合わないな」鉢屋が目を開く。
「これが似合うと言われても困る」久々知は喉奥でくすくすと笑った。「でも、青がよく似合うと言われたことはあるな」
「制服の青はよく似合う。私たちの中で一番似合っているかもなぁ」
「言い過ぎだよ。確かに勘右衛門とかは、藍よりも明るい色の方がよく似合う気はするけれど。雷蔵……つまり、三郎もよく似合っていると思うよ」
【以降は本編にてお楽しみください】
3 きらきらひかる
日が落ちる頃に戦は終わりを迎えた。夏の長い一日の終わりとしては輝かしい、もう半年も続いた戦の終わりとしては呆気ない終わりだった。
平野を隔てるように流れる川に夕陽の名残が反射し、周囲を彩っていた。この地を行き交った多くの足に踏み倒された草花が赤く輝く。血や、煙や、金属は未だあちらこちらに散らばり、しかし、悲鳴はもう聞こえなかった。
誰もが疲労していた。泣き声をあげる気力もなく、兵士たちは黙って平野に佇んでいた。何に嘆けばいいのかも分からない様子で。
やがて彼らは敵も味方もなく歩き始める。四方に向かって。村や町に帰るのか。動けないものだけが残されていく。すでに夜が押し寄せていた。
森の木陰から、藪から、彼らを窺うものたちが静かに蠢いている。
争いは終わった。後に残るものは自然だけ。
人波に紛れるように戦場を歩き回る。見たことのない雑兵がいたとしても、もう誰も気に掛けないだろう。目敏い者であれば草臥れた雰囲気に反して傷一つなく歩き回る雑兵に違和感を覚えたかもしれないが、何であれ全てが手遅れであることには違いない。目先に積み上がった死体の山よりも勝敗の先に起こり得る問題を気にするような者たちはとうに戦場から消えていた。後は平均的な戦の残風景が広がっているのみ。目新しいものはない。見るべきものは、もう何もない。
久々知は疎らになった人の群れから静かに離脱した。街道へ続く道とは反対に広がる森に向かう。周囲に合わせて俯けた視線の先に、砲弾の爆風で引きちぎれたのか、白い花が落ちていた。花の姿を保ったまま、幸運にも、誰にも踏まれていない。久々知はその花をそっと拾い上げた。傍から見れば、死体に残った金目の物を拾うように見えたかもしれない。掌に収まるほどの小さな花は星の灯に照らされて淡く輝く。小さな花をそっと懐へしまい、久々知は森へ姿を隠した。誰に咎められることもなかった。
森の中を幾らか進み、雑兵の装束を隠し持っていた制服へと変えた。付けていた防具は、殆ど金属の板でしかなく動き辛くする機能しかもたなかったが、捨て置いていく。戦から逃げた兵が遺したものに見えるように。元より彼自身の物ではなく、戦場へ潜入する前に、既にこの世を去っていた人間から拝借したものだ。朝陽が当たれば烏や、光るものを集める習性のある獣が持っていけばいい、と考える。どこかの誰かに拾われて、再び戦道具として使われるよりもずっと良い。
身軽になった身体で地面を蹴り、樹上へ登る。低い位置にある枝から徐々に高さを上げながら、木々を飛び移った。途中、眼下に野犬か狼か、四足歩行の獣が群れを成して歩いているのが見えた。煙の匂いか、はたまた血の香りを嗅ぎつけたのか。群れの一頭が一度だけ樹の上を見上げ、しかし、反対方向の藪に向かい大きく吠えた。そのまま走り去る。藪の影から、小さな影が飛び出していくのが見える。兎か何かだろう。獣の群れが完全に去るのを待ってから、久々知は次の枝へ飛び移った。
半刻ほどで森の終わりに辿り着いた。古びた、もう使われていないことを容易に想起させる荒れた道は、それでも道の形に切り拓かれ、頭上には夜空が浮かんでいた。
いつの間にか昇っていた月の光に目を細める。遅れて、薄明かりに照らされた道の先に佇む人影を捉えた。頭の欠けた石碑に手を置き、真っ直ぐに立っている。ここが街へ通じる道で、今が昼まであれば正しく人を待っている人間に見えただろう。人気のない夜道にあっては、しかし、亡霊を思わせる不気味さがあった。堂々と立っていても、却って不自然ではないほどに。
影が久々知の方に顔を向けた。石碑から手を離し、顔の前に広げて見せる。
「八左ヱ門」久々知は足音をたてず影の元まで歩き寄った。「早かったね」
竹谷は久々知の隣に並び、同じ速度で歩き始めた。
「こちらはもうダメだったからな。早々に切り上げたんだ」
「つまり、うまくいったってことか」久々知は微笑んで頷いた。
五年生に課された課題は長く続く戦を止めることだった。どちらかを勝たせるのではなく、どちらにも勝利を与えずに戦を終わらせること。学園に直接利害の及ぶ戦ではなかったが、比較的距離が近く、これ以上長引けば、いずれ学園の周囲にも戦の範囲が広がるだろうことを懸念しての実習だった。竹谷と尾浜がそれぞれ戦を続けている城に入り込み、戦が続けられないように細工を行う。久々知はその間に戦場の状況を確認する役割で、そこには万が一の時には戦況を平衡に保つために動くことも含まれていた。
「あとは勘右衛門側がどうなったかだな」
「多分そちらも問題ないよ」戦の終わり方を見る限り上手くいったはず、と続ける。
「確かにな。兵助が戻れているんだから、そうだろうけど」
「雷蔵には会った?」
「手前の街で別れた。予定通り三郎と合流して先に戻るってさ」
「みんな予定通りだ」久々知が微笑んだ。「上手くいってよかった」
「上手くいかなければ困る」竹谷も笑いながら言う。「まだ気は抜けないけどな。学園に戻るまでが実習だって六年生の先輩方も仰っている」
【以降は本編にてお楽しみください】