ケーニヒスベルク二十六時 / リトアニア
言われるがままに立たされた店の前で、俺はその温もりを持たぬ笑顔を今一度確認した。幼稚な笑顔は軽く頷いただけだというのに、どうしてこうもこの人を前にすると萎縮してしまうのか。戸を押し開けようと添えた腕で光が反射し、誘われるように時計を覗き込む。ちょうど日付が変わったころだった。
色々と思うところがあるこのカリーニングラードという、どうしても好きにはなれない街。この空気と現在の時刻が相まって、嫌気が最高潮に達したが、ここでため息など吐こうものなら、どんな事態を招くかわからない。
俺は改めて戸を持ち直し、肩の力を抜いて深呼吸をした。後ろで俺の操縦桿を握るロシアさんは言うまでもなく、この先でおそらく待ち受けているであろう人物も、俺は大いに苦手……というよりは嫌悪の対象だった。わかっていたが、観念して気合と力を入れた。
瞬間に、熱風が逆流して吹き付け、小洒落た音楽が聴こえてきた。
まず初めに店内を一望した所見では、『よかった、やつはいない』だった。それから浮かれて三歩ほど進むと、
ーーやつはいた。
非常に残念だ。ここにやつは居てしまったのだ。俺もだが、やつとしても一体どれほどついていないことだろうか。
やつはまだこちらに気づいていない。ほぼ色を持たない銀髪が、ノートパソコンを覗くために下方へ向かう真っ赤な瞳をちらつかせている。
瞬時に俺は、果たしてロシアさんは気づいているのだろうかと気になった。深く考えずに振り返れば、それがきっかけでロシアさんの表情が一気に緩やかになったのがわかった。
仕方なく改めてやつへ視線を戻した。隠れ家に落ち着いている気になっているのか、その目立つ銀髪を隠す素振りも様子も皆無である。ため息が出そうになるが、やはりそれは呑み込む。いっそ隠れていてくれれば、俺はこれで用が終わり、解放されていたかもしれないのに。
何やらまた口元に力が入ってしまった。
とにかく、俺は初めから指示があったようにそいつの元に歩みを進めた。磨かれたタイルの床が、軽く音を飛ばしていく。ようやく気配に気づいた間抜け面が、その色彩と相まってふわりとこちらへ向けられた。
……あからさまに動揺している。いい気味だ。二往復ほど、俺と俺の後ろのロシアさんを見比べて、最後には俺に視線が固定された。
「あれ、お前……こ、これは一体どういう……」
そんな切実な視線を寄越されても、俺も困るんだけど。
「見たまんまだよ。おれはロシアさんがどうしてもって言うから、付き添いで」
そこまで言うと俺の肩にロシアさんの大きな手のひらが乗り、
「うん、もういいよ。リトアニアはあっちで待ってて。何か飲んでていいよ」
俺たちには見せないような、寒気がするほどの温和な笑顔を咲かせる。
「……はい」
「は?」
立ち去ろうとした俺に、やつは『ちょっと待てよ』と引き止める意図で声を発していた。だけど俺にロシアさんに逆らえる道理はないし、我が身可愛さに無視してやった。
すると手頃な席を探す俺の耳に、
「お、おい、そんなところに座っても俺様構ってやんねえぞ。今一人タイムだかんな」
「いいよ。待ってる」
という二人の会話が聞こえた。
俺は大きな窓際の二人がけの席を見つけて腰をかけた。それからふと見やると、ロシアさんはやつの向かいに落ち着いていた。一人で来てるくせに、四人がけの席を陣取ってるバチが当たったのだ。
終始笑顔を絶やさないロシアさんだったが、プロイセンは顔が少し強張ったまま、またノートパソコンに視線を落とした。ひそめた眉間が哀れで面白い。
――数時間前に突然ロシアさんから呼び出しがあり、俺は選択肢もなく付き添いを命じられた。趣旨や目的はほとんど聞かせられず、ただ『プロイセンくんがこの辺にいるかもしれないから、一緒に探して』と告げられただけで、あとは大まかな事情を自分で考えた。要は、ロシアさんが発作的に『お友達』とおしゃべりしたくなり、それに大抜擢されたのがプロイセンで、ロシアさんの情報網を使って居場所を当てられたという流れだ。
早速と言わんばかりに店員にウォトカを注文しているロシアさんを見て、俺も適当にドリンクを注文した。ロシアさんが帰り着くまでの道を、おそらく俺が責任を持って誘導しなければならない。わかっていたので、ほとんどジュースに近いカクテルを待つ。
注文の酒が来て、それでしばらく俺もロシアさんもひたすらに黙ったまま飲んでいた。やつが「構ってやんない」と宣言したので、きっとロシアさんは素直に待っているのだ。やつが用を終えて黙っていられなくなるのを。
続いていたノートパソコンのキーを叩く音が、ふと止まった。カチカチと数回クリックを鳴らし、そうして、何かを読むようにまじまじと画面を覗き込んだ。その動作をロシアさんが楽しそうに見ていると知らないのは、本人だけという、そういうオチだ。
ふ、と表情が弾け、やつは顔を上げた。
「へへ! 見ろよ! 俺様の前にお前が現れたってブログに書いたら、次々と俺様への労わりのコメントが、」
突然何かに止められたように言葉を失い、驚きに「はっ」と声を漏らした。
無理もない。向かいに座ったロシアさんは、何を言うでもなくただ嬉しそうに微笑んでいるのだ。
「な、なんでもねぇよ!」
「いいよ、続けて」
「続けねぇっ!! 全く!」
憤怒なのか羞恥なのか、顔を真っ赤にさせ、乱暴にノートパソコンの画面を調整した。何を誤魔化してるんだか。
俺はロシアさんみたいに、ただやつを観察するという趣味はないので、そっぽを向いた。つまらないにもほどがある。度数の低いジュースのようなカクテルと、俺が最も苦手とする二国の組み合わせ。
避けるように向いた先には窓があり、煌びやかな街並みが見下ろせる。少しだけ心が洗われた気分だ。プロイセンやロシアさん以外のすべてのものに思いを馳せる。
「……なんであいつ連れて来たんだ」
やつの耳障りな声が思考に紛れ込んだ。雑音に飲まれそうな声質のくせして、なんでこんなに浮いて聞こえるのだろうか。
無意識に視線をそちらにくれてしまった。先ほどと同じように、一見無邪気に見える笑顔を掲げているロシアさん。ほらね、とその声が聞こえてきそうだと思ったところで、やつも同じことを思ったらしく、
「だ、だからなんだよ!」
と声を荒げていた。
「なんであいつ連れてきておきながら俺様のことばっか見てんだよ! あいつと来た意味ないだろ! 他の二国はどうした!」
どうやら俺が目障りらしい。いや、ロシアさんのことも疎んでいるが、直接は言えないんだろうなと察した。
ロシアさんは絶やすはずもない笑顔とともに、穏やかに口を開いた。
「ラトビアは面白いけど今の気分じゃないし、エストニアには雑務任せてるから」
「な、なんでそいつなんだよ」
「こう見えてぼく、リトアニアのこと気に入ってるんだ」
ロシアさんが見え透いた嘘を吐いた。嘘ばっかり。俺のことを気に入っているわけがないじゃないか、そんな笑顔を俺たちに向けたことなんかないくせに。
心の安寧を求めて、思わずまた視線を外に向けた。
「それに、ここまで来といて君がいなかったら寂しいでしょう。ぼく、君ほど一人でいることが楽しいとは思えないんだ。慣れてはいるけどね」
……そう、そっちが本音だ。
止まらない人の波を惜しみながら言葉が巡る。もしここまで来てやつがいなかったら、適当に俺で我慢するつもりだっただけのこと。
「……本当は、」
ロシアさんが続けた。
「君も一人が楽しいって言って、一人になってしまう自分を守ってるんでしょう。君の口から一人が好きとは聞いたことないから」
なぜか俺が動悸を起こしてしまった。まるで全てを識っているのだと告げるような、冷たく穏やかな声色。それは俺ですら思ったことはあるが、あえて本人に言ってしまうところがまた、ロシアさんらしい。
やつの反応が気になり、あからさまな視線を送った。鳩が豆鉄砲を食らったような顔から、だんだん眉間の皺が深くなっていく。
お、反論するのか。
期待したが、甲斐性もなく小さく息を吐いた。
「いや、ホントもう……お前にどう思われてるか興味ないし、帰ってくんねえかな。俺様のパーソナルスペース……」 「いぃやぁだ。今日はぼく、君とすごくおしゃべりしたくなっちゃってさ」
一層嬉しそうに笑ってみせる。
俺の経験上、やつに対してだけは、ロシアさんは本心を剥き出しにすることが多い。つまり、それは本音であっている。こんなところに国境を越えてまでくるほどだ、よほどあの耳障りな声が聞きたかったのだろう。俺には理解できない。
それはやつも同じらしく、今度は見せつけるようにため息を吐いて、ソファの背もたれに重心を預けた。意識するようにわざとらしく侮蔑の表情を作り上げる。
「全くいいご身分だよなぁ。他国を私物化して振りまして。昔はあんなに弱虫だったくせに」
挑発して気分を害し、帰ってもらう作戦だろうか。
だけど、残念ながらロシアさんはやつが思っている以上に純粋だ。対してわざとらしさの欠片も見せず、
「あれ? プロイセンくんはあの頃が懐かしいのかな?」
と容易く受け流した。
「猛威をふるった強国だったもんね。現役が恋しいよねぇ。今の生活には不満があるんじゃない」
「何言ってんだ。俺様はもう全部をヴェストに託して引退するんだよ」
挑発を返したロシアさんだったが、さすがに熱くなれる気分ではないらしく、珍しくしおらしい受け答えをしていた。
他へ視界を移したプロイセンと、色々と含まった笑顔を向け続けるロシアさん。心地の悪い沈黙のせいで、俺まで息を呑んでしまう。
ロシアさんから見えないテーブルの下で、やつはさり気なく手を拭っていた。その動作で気づいたが、俺も左手で固い拳と一緒に汗を握り込んでいた。……なるほど、ロシアさんの発している威圧感は、対面するとよりその力を発揮する、もう見知っていることだ。
やつがロシアさんに気圧されていることは、おそらくロシアさんも気づいているし、やつ自身も気づかれたことを悟っている。なんとも居心地の悪い腹の探り合いだ。
落ち着きなく、それはしばらく続いた。
ロシアさんだけなら、始めと何ら変化はないが、やつは完全に夜を狂わされているのがわかる。いい気味だと思いながらも、少しだけ同情する気持ちも、ないわけではない。
「ねぇプロイセンくん」
ロシアさんが大きな一口、また酒を飲み込んだ。喉が焼けるようなウォトカを、あぁも軽々しく飲み干す姿は、その幼い顔立ちとは似つくはずもなく、何度見ても目を引かれる。
グラスをテーブルに置くと、満足げにまた微笑んで、
「やっぱりぼくの家においでよ」
と放った。
また何を言い出すのかと思えば……。
「まだ言ってんのか。そんなの断るに決まってんだろうが」
案の定だ。
やつは重心を前方に戻し、対抗するように、ジョッキに残っていたビールを飲み干した。
「けっ、つまんねぇ夜につまんねぇやつとつまんねぇ話で、俺様まつ毛が全部抜けて胃に穴が開きそうだ」
吐き捨てると、ロシアさんが「開けてあげようか? 穴」と首を傾げた。相変わらず言葉と表情にある齟齬が恐怖を煽る。
「そ、それも断る」
唐突にプロイセンは俺と視線を合わせた。
「おいお前」
また二人を観察していたことに気づき、自ら驚いてしまった。更に目を合わせてしまったことに少しの焦りが滲む。構わずやつは二つ隣の席の俺に向かい、
「お前も黙ってねぇでこいつ連れてどっか違う店行けよ」
軽々しく身振りを付けて口を尖らせた。
「俺様の大事な一人の時間がだな」
却下だ。そんなことしたら、一体俺がどんな目に遭うか。
「知らないよ。よかったじゃない。ロシアさんとのおしゃべり楽しんで」
「け」
反応として予想はしていたのか、特に食い下がる様子もなく、また別の方へ顔を向けた。
「……ねぇ、一人はつまんないよね」
唐突に張りの弱い声で投げかけるロシアさんに、やつは少しだけ耳を傾けた。
その視線の先に、ロシアさんも注目していた。
「ぼくもつまんないんだぁ。プロイセンくんがいないと」
「断る」 「やだなぁ。まだ何も言ってな、」
「断る」
「そう」
未だ視線は交わされぬままだった。何とも潔い言葉の投げ合いだ。お互い張りも感情も一定のままのやりとり。何を探り合っているのだろうか、何を伝えようとしているのか。俺は思わず、見えない二人の表情を見ようと躍起になってしまった。
「……なんで?」
その目をロシアさんが覗き込めば、
「は?」
釣られてプロイセンの顔もロシアさんの方へ引き戻される。
「なんでそんなに拒むのかなぁ。あのときぼくはやれることはやったつもりなんだけど。……ぼくだってもらった国は大事だったし」
あのときの話か、と俺の脳裏にも当時のことが思い浮かぶ。
ロシアさんがベージュではなく、まだ暗い色に身を包んでいたときの話だ。
今よりも当時の方が人当たりの強かったロシアさんに、やつだけは折れずに挑んでいた。そんなやつを煩わしげにしていたロシアさんだったが、でも確かに、俺たちとはまた違った接し方をしていたように思う。
そう、大事にしていた、と言ってもいいのかもしれない。……本人なりに。
「教えてたまるか。その足りねぇ頭で考えろ」
そう言うとやつは、先ほど空になったはずのジョッキを傾け、やはり中が空になっているのを確認すると、高く突き上げてマスターに目配せをした。テーブルに戻そうと視線を下ろし、気になったのだろう、ジョッキの底を象ったような水滴の集まりを、自らの指で拭っていた。
「……わかったぁ」
「は?」
その動作の間にひらめいたのか、ロシアさんが嬉しそうに声を張った。
「だから、君がぼくを嫌がる理由だよ。あ、でもこれが正解なら、君は自分でもわかってないかもねぇ」
面白いくらいにやつの動作が一度止まる。なぜそこまで驚くのかわからないが、図星を突かれたのだろう。
「どう? 君、ちゃんと自分でわかってる?」
「……あのな、んなことはどうだっていいだろ。お前のことなんか興味ねえ。嫌なもんは嫌なんだよ」
言葉に違わず、興味もなげに空のジョッキを置いたものの、「まぁ聞いてやらんこともない」とかなんとかぼやいていた。
「え? ……教えてあげないよ。プロイセンくん恥ずかしくて泣いちゃうし」
ふわりと笑った。それから「あ、でもそれもまた一興かぁ」とさらに目を細める。
「は? こんなにかっこいい俺様が泣くわけないだろ」
つまり、やはりロシアさんに言えと言っているのか。俺に言わせればあのときの捩れが延長しているだけとしか思えないんだけど。
やつのビールを持って、店員が俺と二人の間に入った。そして立ち退くその一瞬、俺ははっと空気を求めてしまった。
――ロシアさんが俺のことを盗み見たことに驚いたのだ。
「……言っていいの?」
……ああ、俺の前で言うことに対しての配慮を意図していたのか。一瞥の意味を悟り、身体に入っていた力が抜ける。お、俺だってそんなわかりきったこと興味ないよと、つい口内で愚痴ってしまった。
「当たってねぇからいいぜ」
気分を害した俺は、改めて窓の外へ目を向けた。……早く帰りたい……。
ロシアさんとやつの間に緊張感が漂った。その口から一体どんな答えが飛び出してくるのか、全く見当もつかないのだろう。
「君、ぼくに憧れてるでしょう」
答えが投下された。真意の全く読めない、ロシアさんお得意の友好的な声色でもって。
めいっぱい言葉を理解する間をとって、やつの方からガタガタッと雑な音が聞こえた。
「……はぁ!?!? ないッ! ないないッ!」
「ふふ、そんな力いっぱい否定しなくても。でも無理ないよねぇ。ぼく、君くらいならどうにでもなるくらいの大国だし、ぼくのこと羨ましいんでしょ? 本当は」
「ち、ちがうってんだろ! お、お前といると危なっかしくて!」
あんまりにもガタガタと物騒な音を鳴らしながら声を張り上げるので、思わず何が起こっているのかまた視界を戻してしまった。他の客の目ん玉もそちらに向かっていたので、今回ばかりは不可抗力だ。
見ればやつは興奮を抑えられないようにテーブルに手を突き、立ち上がっていた。
「……な! なんでもねぇよッ!」
今度こそ確実に憤怒だろう、頭にまで登った血がプロイセンの顔を真赤に染めていた。
乱暴な動作でソファにその腰を投げ込み、視界にロシアさんを入れるのも苦痛なのか、うつむきついでに大きな手のひらで顔の半分を覆った。
そんなやつの様子を、ロシアさんは初めこそは驚いていたものの、座り込んだころにはまた柔らかく綻ばせていた。十二分に思考を巡らせる時間をやつに与え、本人は掻き乱したことに満足したのか、また大人しく見守っている。
結果、やつは、紅潮も引かぬまま視線だけをロシアさんに戻した。
「お、俺様のこと、今でも大事にしてくれてるのはヴェストのとこの国民だし」
なぜその話に繋がったのか俺も首を傾げそうになったが、そうか、元の話題に勝手に戻ったのだ。
「お前は俺様に興味なんかないんだろ。わかってるんだぜ」
「なんでそういうこと勝手に決めちゃうのかなぁ」
困ったようにロシアさんは笑う。
また視線を落とすプロイセン……て、ん? あれ? プロイセンの紅潮は引くどころか、どんどん広がっていっているような気がした。
俺はそのおかしな反応につい見入ってしまう。このまま行けば、純度の高い銀髪まで紅く染まってしまうのではないか。赤毛のプロイセンなんて、気持ちが悪そうだ。いや、悪い。
やつは再び勢い良く飛び上がった。狭い店内ではまたしてもガタガタと音が立ち、
「な! なんか暑くなって来たなあ!? ビール飲み過ぎたかもな!?」
さらに店内が改めて注目したところで、やつは高らかにそう響かせ、向かいに座る笑顔に人差し指を突きつけた。
「と、とにかくもう帰れッ! 俺様にはお前と話すことなんかねぇからよッ!」
当のロシアさんは酔っぱらいを目前に少し引いていた。何を返すでもなくプロイセンを見続けるものだから、俺もまた行く末を見守る形になってしまった。
……て、ちょ、ちょっと待ってプロイセン。それは一体どういう反応だ。元から俺には理解できないプロイセンだったが、とりわけ行動が解読不能だ。やつはロシアさんの困惑に近い眼差しを完全に受け流して、視線をどこかに固定している。耳まで真っ赤にしたままだ。
「お客様、」
時が止まったやつに、マスターがカウンターの中から制止をかけた。それはそうだ。他のお客にも迷惑がかかる。
我に戻ったやつはまた繰り返すように腰を落とした。
「どうしたら君はちゃんとぼくを見てくれるんだろうね」
不意に拗ねたような呟きが聞こえた。
何と言ったのかしっかり理解する間もなく、ロシアさんがウォトカのグラスを掴み上げ、一気にそれを口の中に流し込んだ。残っていた量はどう考えても一口ではなかったのだが、グラスを置いたときの動作で、それが飲み干されていたのがわかった。
……またあんな無茶な飲み方して……
まるで飲み干したものがただの水だったかのように、平然と立ち上がってみせる。
「……なんだか悲しくなってきたからもう出るね。リトアニアも可哀想だし」
その流れを黙って見ていたやつは、明らかに動揺していた。まるでまだ言い残したことでもあるような、なんとも情けない顔をしてロシアさんを見上げている。
……おい、そろそろ俺だって気づくぞ。感情が駄々漏れだプロイセン。
「今になってそんな顔するの。ひどいよ」
八の字眉毛に下がった笑顔で、ロシアさんは聞こえるようにごちった。唐突にプロイセンの胸ぐらを掴み、引き上げると同時に本人は屈む。
――!?
俺は仰天した。一瞬二人がキスをしたように見えたからだった。いや、ロシアさんにとってキスとはただの挨拶だが、それをプロイセンとしたということに驚いたのだ。
……だけど、よく見たら違った。俺は思わず胸を撫で下ろす心地だ。真相は、ロシアさんがプロイセンに何かを耳打ちしただけだった。
ガサツに掴んでいた胸ぐらを開放すると、
「じゃぁね。待たせてごめんねリトアニア。出よう」
と笑顔が久々にこちらを向いた。
返事をしながら慌てて立ち上がり、俺は付き従うように隣に並ぶ。
「あ、勘定」
「適当に済ませといて、ぼく外で冷たい空気に当たってくるよ。のぼせちゃった」
「は、はい……」
出ようと向けられた笑顔が嘘だったかのように、ロシアさんはそれ以降視線を合わせることなく、店を出て行った。
俺はやつを睨んでやる。……ロシアさんの気分を害したのなら、その尻拭いは確実に俺に振りかかる。やつのせいで被害を被るのはごめんだ。
当のプロイセンは俺の意図など知る由もなく、ただ条件反射で睨み返してくる。……くそ、ムキムキ低脳め。
さっさと会計を済ませた俺は、ロシアさんが酔っ払ってふらふらしているのでは、と急いで店を出る。扉を開けた瞬間、ひやっと心地が良いというには冷たすぎる空気が、顔や手を撫でるようにすれ違った。
すぐ目の前にロシアさんは立っていた。
……その姿を見るなり、機嫌が悪いかもしれないと思い出し、生理現象のように身体が強張った。情けない……。
しかし、俺に気づいたロシアさんは思っていたよりもあっけらかんとしていて、
「ぼくちょっと一人で飲んでくるから、適当にホテル探して帰ってていいよ。ホテルの場所あとで知らせて」
と指示をくだした。
ベロンベロンに酔っ払ったロシアさんを、確かに俺は運べないかもしれない。ウォトカをたらふく摂取した呑んだくれロシアさんも得意じゃない。だからその指示はとてもありがたいものだったけど、それで果たして大丈夫なのだろうか。
場所を知らせたとして、ちゃんとロシアさんはたどり着けるのだろうか。
言いたい小言や確認したい事項はたくさんあったけども、どうもそれらが「口答え」と捉えられてしまいそうで、とうとう俺は何も言えないまま、ロシアさんはどこかを目指して歩き出してしまった。マフラーを下げた大きな背中がどんどん遠ざかっていく。
一体今日の俺の役目とは……。自分を見失いそうになりつつも、俺は携帯電話を取り出して、従順にホテルを探す作業を実行した。
あとがき --------------
は、は、初めてのろぷちゃーん!!
が、しかもリト視点( ´ ▽ ` );
いかがでしたでしょうか?
大好きなバンド、サ.カ.ナ.ク.シ.ョ.ンの「表.参.道.2.6.時」という楽曲がろぷちゃんにしか聴こえない病になってしまったので。。笑
CPを第三者視点で描くの大好きマンです。
でもこれだけだと色々腑に落ちない感じなので、続きますよ。
次はろっさま視点(^^)
読了ありがとうございました!