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    冷房召喚の対価「は? え? 空調が壊れた?!」
     夏の日差しが降り注ぐひまわり畑で、俺は悲鳴を上げた。
     よりにもよって何で今。今回だけは回避しなくちゃならなかった。
     何故なら、睦月始がテレビの撮影のためにこのひまわり園へ来訪しているからである。睦月始と言えば人気アイドルで、とにかく顔がいいことは俺だって知っている。さっき通用門で出迎えたのは俺(この園の現場担当者だ)と上司で、眩しいほどに輝くアイドルオーラに目をやられながら挨拶をした。マネージャーの人とあと数人のスタッフさん達を、今回撮影のために設営された控え室代わりの仮設休息所に案内してきたところなんだ。
     これから行われるのは都の観光支援事業の一環で、都内の主立った観光地が芸能人、著名人とコラボする生番組というまあよくある企画のロケだ。それでこのひまわり園に来てくれたのが、まさかの睦月始だった。生で見た彼は色白と言うわけではないが、夏男感はぶっちゃけ無い。ひまわりと写真を撮るよりも牡丹とかのが合いそうだと思った。彼がなんでこの仕事を受けたのかは分からない。チャンスがあったら訊いてみたいけど。
     で、話は本題に戻る。園の職員が仮設休息所の冷蔵庫にペットボトル飲料を補充しに行ったところ、なんと空調が壊れて冷房が効かなくなってたということだった。俺が案内した時はちゃんと冷えていたのに。外気温が高いので、室内の温度も一気に上がったのだろう。
    「あれはダメですね。業者を呼んで修理してもらわないと」
     安くない金額で一式レンタルして設営してもらってるというのに、業者の怠慢だ。心の中では断固クレーム入れてやる、と思いながら業者に電話を掛けた俺は、空中に向かってペコペコと頭を下げながら担当者に大至急の修理を要請した。下手に出るのは中間管理職の悲しい性である。
     それはさておき、業者はすぐに来てくれるらしい。それでも準備とかを含めれば、高速を飛ばしても何やかんやで小一時間強は掛かるだろう。ここは都心からは離れてる山の方だし、正直撮影の方が先に終わる気もした。
     幸いというかまだ七月になったばかりで、真夏よりは多少マシな気温だった。冷たいお茶があれば、しばらくは乗り切れると思いたい。
     それなりの広さがあるひまわり畑を見渡せば、撮影スタッフさんたちが汗水垂らしながら準備で動き回っていた。でっかいカメラを持ったりレフ板抱えたりしながら映えるポジションを探して歩き回っている。俺は一応観光地で働く身だから、ちょっとしたテレビの取材とかは何度か経験がある。だが今回はまあまあ大掛かりなもので、ドラマの撮影もこんな感じなんだろうかと感心した。
     業者の手配を終えると、俺は問題の仮設休息所へ足を向ける。現場責任者としてお詫びをしなければ。室内なのに汗だくにさせるのは申し訳ない。せめて扇風機を持っていくかと思ったものの、そうすると一旦事務所に戻らないといけない。
     園の入り口付近にある事務所から撮影現場までの距離は結構ある。ここは、園の中でも一番奥まった場所にあるのだ。周りは自然に溢れ、山から降りてくる風が心地良い。絶好のロケーションだが事務所との往復は面倒だ。だから今回スタッフ用の休息所を設けたのである。
     ただ、園を管理するための監視塔というか、ささやかな小屋みたいな建物も一応ある。三、四人も入れば窮屈になってしまう程度だが、最悪そこで涼をとってもらうという手もあった。
     少し悩んだが、人気アイドルを熱中症にさせたなんて報道されたら観光促進どころかバッシングくらって苦情の電話とか鳴らされまくって終わる。これは園の存亡の危機だ。なんたって相手はあの睦月始だからだ。打てる手はすべて打っておいた方が、後々絶対良いに決まってる。
     踵を返して急いで事務所に戻った俺は、フォークリフトを持ち出して扇風機を一台借り、それを荷台に積み込んだ。業務用の強力なやつだから大きいし重い。しっかり固定してから園の端っこを通っている荷運び専用道路を安全運転で走る。どうにか仮設休息所にたどり着いた時、ドアの隙間から妙に涼しい風が漏れてくることに気づいた。
     あれ? もしかして空調復活した?
     扇風機を苦労して運んできたってことより、エアコンが直ってくれる方が俄然ありがたい。なんてったって園の存亡が掛かってる。そして奇跡は起きた。これで園の体面は保たれたのだ。
     俺は流れる汗を失礼にならない程度にタオルで拭い、神様に感謝しながらドアをノックした。すぐにマネージャーさんが返事をしてくれた。
    「失礼しま……、え」
    「あ、扇風機を運んできてくださったんですか? お気遣いありがとうございます。事務所からだとかなり距離がありましたよね。大変でしたでしょう」
    「あっ、いえ。こちらこそ申し訳なかったです。空調の調子が悪くなるなんて思いもよらず」
    「仕方ないですよ。アクシデントは誰にも予想できませんからね」
     にこりと優しげな表情で答えてくれるのはマネージャーの月城さんだ。年相応の落ち着き払った佇まいをしているが、笑うと若干幼い雰囲気になる。人好きのする笑顔だ。
     しかし、まさに今アクシデントの真っ最中であることを俺は確信した。にこにこしてる場合とかじゃない。真っ先に空調を確認した。どう見ても電源は完全に落ちて、沈黙しているのだ。それなのに辺りはひんやりとして快適だった。汗を掻いてきた身にはちょっと寒いくらいだ。
     その時第六感というか、俺は別に霊感があるわけじゃないが、なんかとにかく違和感みたいなのを感じでて室内を見渡す。入口奥は小さいながらパーティションで二つの区画に分けられていて、片方のスペースにはスタッフさん達が詰めている。もう片方には簡易応接セットが設置されていた。そこの二人掛け用ソファに、睦月始が目を閉じてややぐったりとした感じで座っていた。
     俺の視線の先に気づいたのか、月城さんはちょっと困った顔をしながら謝罪を口にした。
    「すみません。始くんは暑さに弱くて、今は休ませてもらっています。本番開始までには体調を整えますので、今はこのままで失礼します」
     そんな短時間で体調整えられるとかアイドルすごい、と思いながら俺は応えた。
    「もちろんです。ところであの、空調が故障したと聞きました。結構暑かったと思うのですが大丈夫でしょうか? それに、今は」
     そこで口を噤む。なんでこんなに部屋が冷えている? 空調が壊れて暑くなってたんじゃないのか? その理由を尋ねるのが、なんでか憚られた。言っちゃいけないような、なんというか、そういう雰囲気をひしひしと感じる。
     空調設備が確実に動いてないことをもう一度確認する。外は暑かった。暑かったはずなんだ。空調が壊れて正直終わったと思ったのに、何故か室内は涼しかった。冷気が漂ってると言ってもいい。ふわっとした冷たい空気が足元を撫でるように流れている。冷たくて気持ちいいが、それ以上にゾッとした。
     その冷たい空気の元を辿ると、睦月始のいる方からだということに気づく。彼の体調もやっぱり気になるし、じっと目を凝らしていたら、彼の隣にぼんやりと白い影が見えた。
     えっ、と声を出さなかった自分を褒めたい。うわこれ怪奇現象だ、と思った途端足が竦んで、驚きのあまりギュッと目を閉じた。冷や汗が額から流れ落ちる気持ち悪さに、反射的にタオルで顔を拭いた。
     しまった。大事なゲストを前に見苦しいところを、と思った瞬間金縛りみたいになってたのが解けて、俺はおそるおそる目を開けた。するとそこには、先ほどまで確かに睦月始しかいなかったのに、もう一人別の人物が彼の隣に座っていた。
    「……へ?」
     瞬間移動という言葉が頭の中で踊った。
     間違いなく誰もいなかったはずだ。
     呆然としていると、突然現れた人物が俺の方を向いてにこやかに微笑んだ。
     あれ、この顔知ってる。事前に睦月始の資料を見た時にも載ってたし、テレビとかでも普通に見かける。超目立つ容姿。白い髪に白い肌。人形のような美貌を持ちながら奇行が話題の人気アイドル。彼が睦月始の大ファンだというのは、アイドルに興味無い俺でも聞いた事あるくらい有名な話だ。名前は確か。
    「霜月隼……?」
     え、本当になんだこれ。真夏の怪談?
     月城マネージャーと睦月始はちょい前にスタッフ数人とやって来た。その中に彼の姿は見えなかったはずだ。そして俺は、その後施設内に客を通した記憶は無い。テレビ局の撮影スタッフの方はそれこそ早朝からここに来ている。
     通用門から入って受付の来訪リストに名前を記入し、ゲストの入場証を受け取らないと入れないのだ、ここは。
     いつの間に? 幻覚? いや、それはないか。霜月隼とは何の繋がりもない俺が彼の幻覚を見るなんてことはないだろう。つまり彼は何らかの方法でここに存在しているということだ。
     怪談もホラーも得意じゃないが、しかしそれがゲストであるならば、現場責任者である俺のする仕事は一つだけだった。すぐに意識を切り替え、マネージャーの方へ向き直る。
    「あのー、飲み物をもう一つ用意しますね。撮影開始まではまだ時間ありますし」
    「え? 僕も始くんもまだペットボトルの半分以上ありますから、大丈夫ですよ?」
    「え。でも、あの」
    「お気遣いありがとうございます」
     有無を言わせぬ迫力で月城マネージャーがキッパリと言い切った。俺は睦月始の隣にいる人物を何度か見る。あ、また笑顔を返された。ウインク付きのアイドルスマイル。顔がいい。
     所属ユニットは違っても同じプロダクションの大事なアイドルだろうに、何故マネージャーは彼を居ないもののように扱うのか不思議だった。
     まさかこの人には見えてないんじゃないだろうかと、俺はマネージャーと霜月隼を交互に三回くらい見直した。彼は幻覚なのか? もしかしたら俺は熱中症で倒れてるのかもしれない。それならこの部屋が涼しく感じられてもおかしくない。夢の中なら気温なんて気にならない。夢にしてはなんでこんな意味不明な内容なのか分からないが。
     わけが分からなくなって俺はとりあえずこの場から撤退する。最後にちらりと見た睦月始は、霜月隼に寄り添うような感じで首を傾けて目を閉じていた。
     ちなみに扇風機は一応置いてきた。あんなに冷えてたら要らんと思うけど。


    「準備オッケーです! テスト撮影入れます!」
     俺と上司は他の職員や警備員の人と共に現場で客の誘導をしていた。今日は平日だが、まばらにでも人はいる。撮影の際、普段の園の雰囲気を撮りたいとのことで客は普通に入れていた。撮影に使う場所の周囲だけふんわり規制しているのだ。
     時刻は昼前で、太陽が真上に来つつある。燦燦と降り注ぐ日差しが眩しく、気持ちはいいが、まあ暑い。暑さが苦手らしい睦月始には酷な現場かもしれない。日頃からスポットライトを浴びる仕事だろうから、ある程度は耐性もあると思うが、太陽はやっぱり強いのだ。
     ここは日陰になる遮蔽物も無いから、ひまわりの鮮やかな黄色が青い空と織り成すコントラストがとても美しい。絶景スポットだった。今年のひまわりもたくましく立派に咲いている。これを機に観光客で賑わってくれればありがたい。
    「睦月さん、お願いします」
    「本日はよろしくお願いします」
     かなり怠そうだった睦月始は、そんなアンニュイ感を微塵も感じさせない。雲一つない青空の下、快活で健康的な雰囲気を纏っていた。
     いつの間にかギャラリーも集まってきて、始さーんと叫ぶ客も出始める。すかさずロケ中の声援は御遠慮くださいとお願いする。
     やがて本番が始まり、流れるように中継が始まった。プロの仕事は見ていて気持ちがいいものだ。睦月始がひまわりのことや、撮影の絶景スポットなんかを紹介していく。一通り終わると画面は一旦スタジオへ戻る。こちらは少々の休憩を挟み、再び中継が始まる。そこで最後にこの園の名物スイーツを紹介して終わる。
     ちなみに名物スイーツとは、牧場から仕入れた生乳百パーセントのソフトクリームのことだ。コクが深く、甘さ控えめ。ひまわり畑の真ん中で爽やかな風に吹かれながら食べるソフトクリームは絶品だ。睦月始がやったらさぞかし絵になることだろう。
     彼はカメラが止まると、月城マネージャーに体調を確認されながら、休憩用に設置してあったパラソルの下で腰を下ろした。当然のようにその隣に座る霜月隼。
     え、やっぱりいるんですけど。
     霜月隼が座った途端、睦月始がふっと表情を和らげた。
    「……涼しい」
     安堵しきった声に、なんだか見ちゃいけないものを見てる気になってきた。霊的な意味で。人間知らなくていいことって多分絶対ある。俺は平穏に暮らしたい派だから、違和感を感じたら不用意に近づかない。アイドルの画面外の素顔が気にならないことはないが、自分の身が一番可愛いのだ。
    「あれっ? 暑さちょっとマシになった?」
    「あー、隼さんの御加護かな? 始くん、暑さ苦手だし、休息室の冷房壊れた時は心配したよ」
     う、そこは本当に申し訳ない。撮影スタッフの会話がぱらぱらと耳に入ってきた。御加護って単語が聞こえた気がする。なんじゃそりゃ。確かに気温はちょっと、いや大分下がった気がするが。
     首を傾げていると、ロケが始まるギリギリまで自分だけ日陰に退避してた上司が隣にやって来た。
    「いやあ、修理業者呼んでもらったけど間に合わなかったねー。でもなんか涼しくない? 今日結構暑くなるって言ってたからさあ、熱中症出さないように気をつけなきゃって思ってたからラッキーだわ」
     ガハガハと笑う声が素直にうざい。手配とか色々フォローして回ったの全部俺なんですけど。
    「それにしても睦月始、絵になるねえ! いやあ、こんな人気アイドルが宣伝してくれるなんてありがとう、ありがとう! 冬のボーナスに期待しちゃうよお!」
     あっそうですか、と能天気な上司へ適当に相槌を打ちながら流していると、後半の中継が始まった。
     睦月始はカメラの前ではやっぱりシャキっとしていて、怠さも疲れも感じさせない。上品にソフトクリームを舐めるシーンは同性の俺でもどきっとしたし、ファンの中には多分死人が出たと思う。
     そんなこんなで後半戦もスケジュール通りに恙無く終わり、特筆すべきトラブルも皆無だった。無事に終わって本当に良かった。
    「お疲れ様です。残りのソフトクリーム、いただいてもいいですか?」
    「お疲れ様です、睦月さん。ロケはこれで終了なので、大丈夫ですよ!」
     お世辞でなく、あのソフトクリームは睦月始に気に入って貰えたようだ。ほんのり心が温かくなる。だって仕事で宣伝してもらうにしても、本心から好きだと思ってくれるに越したことはない。
     睦月始がソフトクリームを口にしながらパラソルの下へ戻ると、霜月隼がそそくさとその隣に来る。
    「始、とっても素敵だったよ! 特等席で君のお仕事を見られて幸せだなあ。ふふ、ソフトクリーム美味しそうだね」
     あ、喋った。やっぱり幻じゃなかったのか?
    「……ん」
     ほら、と食べかけのソフトクリームが霜月隼の顔の前へ差し出される。
    「……いいの? 食べちゃうとこっち側へ僕の存在が固定されちゃうのだけど」
    「別にいいだろ。どうせこのあとすぐに事務所方面へ戻るし、お前の次の仕事には場所的にも十分間に合うだろ? 労働の対価としてはささやかかもしれないが」
     ソンザイガコテイ? ちょっと意味が分からない。気のせいか、耳慣れない言葉が多い会話だ。これがインテリの会話というものなのだろうか。二人とも日本の最高学府出身らしいし。
    「そんなことないよ! 僕は始の役に立てて嬉しいよ。君が喚んでくれるのなら地球の裏側だってひとっ飛びさ。それに全然ささやかじゃないでしょ、致死量でしょ! むしろ即死でしょ!? これ以上の甘美な毒はこの世に存在しないよね! 最高のご褒美ありがとうございます!! 二人でひとつのソフトクリームを分け合うなんて、まるで僕たち熱烈に愛し合ってるラブラブなこいび、うんっ」
    「うるさい黙って食え」
     睦月始は、テンション高く捲し立てる霜月隼の口の中に容赦なくソフトクリームを突っ込んだ。顔はいいのに、その顔から繰り出される言葉に俺はちょっと引いた。インテリとは一体何だったのか?
     巷でガチ勢と言われているのはこういう意味だったのかとちょっと納得した。なんのこっちゃと思っていたが、霜月隼のファンはこれでいいのかと他人事ながら心配になる。
    「んっ、ん……。わぁ、とってもコクがあってまろやかだ。こんなにたくさんのひまわりたちを愛でながら食べるのも素敵だね」
    「だろ?」
     何故か満足そうに睦月始が笑う。彼は残りの分をあっという間に食べてしまった。撮影時の上品さからは結びつかない、がっついた良い食べっぷりだった。男子って感じがする。
    「前にも食べたことがある言い草だ。君はもしかして、以前にここへ来たことがあるのかな?」
     俺はそうだったのか、と合点がいく。偶然にも睦月始がこの仕事を受けた理由を知ることができた。
    「遠い昔、記憶も結構曖昧な子供の頃だ。両親と一度だけ訪れたことがある」
    「おや。僕の知らない睦月家のお話だ」
    「最初は葵に来てた仕事だったんだが、あいつの都合がつかなくてな。そこにたまたま居合わせた俺が受けることになった」
    「君だって忙しいのに、奏も驚いたんじゃないのかい?」
    「スケジュールぎゅうぎゅうになりますよって何度も念を押されたな。大学の講義みたいにきっちりと時間が管理できるわけじゃないが、この場所でソフトクリームが食べられるって聞いて、どうしてもやりたくなった」
    「大学生の頃の君は、テトリスみたいに講義を詰めてたものね。春のすごく感心した顔を思い出すよ」
     つまりここは思い出の場所というわけだ。
     ソフトクリームで釣られる睦月始。うちのソフトクリームはものすごく頑張ったと思う。
    「子供の頃から暑さが苦手で、ゆだりそうだった時に両親がソフトクリームを買ってくれたんだ。その時の美味かったっていう気持ちと、嬉しかった気持ちが今でも残ってて、それを思い出したら是が非でもロケに行きたいって思った」
    「ふふ。素敵な思い出だったんだね。久しぶりに食べたソフトクリームのお味はどうだった?」
    「記憶と違わず美味かったな。それと」
    「それと?」
    「今度はお前と食べれて、良かった」
    「……始!」
     感極まったのか、バッと両腕を上げて抱きつこうとした霜月隼の顔面を、睦月始が片手でガシッと掴んで阻止する。すごい反射神経だった。二人はその状態で膠着する。心なしかギリギリと締め上げる音が聞こえる気がする。いやこれどんな状況?
     いい話だった気がするんだけどと悩んだタイミングで、月城マネージャーが迎えに来た。
    「始くん、次の現場に向かいますよ……って隼くん?! こっち来ちゃったんですか?!」
     借りるだけだったのに、と月城さんは焦った顔でスマホを取り出し、どこかへ電話し始めた。
     借りるって何だ? というか、やっぱり月城さんには霜月隼が見えてたってことなのか?
    「始に喚ばれた対価をもらっちゃいました」
     てへっ、と笑う霜月隼に困惑する月城さん。
     対価の言葉の意味は分かるが、何となく俺の知ってる対価の意味とは違う気がした。
    「すみません、月城さん。俺の我儘です。隼の次の現場へは俺が責任を持って届けますと、黒月さんに伝えてください」
     電話が繋がったらしい月城マネージャーが、相手に早口で何やら捲し立てる。慌ただしい通話はすぐに切られた。
    「今、黒月に連絡しました。現場で隼くんを待つとのことです。さあ、私たちも急ぎましょう。テレビスタッフの皆さんにご挨拶を」
     そこでマネージャーは、ちょっと離れたところに立ってた俺に気がついた。真っ直ぐこちらへ来て、ぺこりと頭を下げてくれる。
    「本日はありがとうございました。扇風機まで用意していただけて、助かりました」
     休憩室はなんでか冷たかったから意味あったのかなとか、結局業者がまだ来てないことに気づいて忘れていた怒りがちょっと再燃したりもしたが、慌ててこっちも頭を下げた。
    「至らないところがあり、ご不便をお掛けしました。番組を録画していますので、あとで園の職員と一緒に見させていただきますね」
     ちらりと睦月始の隣にいる霜月隼に目をやると、月城さんは焦ったように笑った。
    「か、彼のことは気にしないでいただけると……!」
     今やはっきりと霜月隼がそこにいるという態度を取ることを不思議に思った。最初のスルーっぷりは何だったんだ。
     よく分からないが、何か深い事情があるかもしれない。あまり突っ込まない方が懸命に思えて、はい、とだけ答えた。
     まだ撤収が終わっていない撮影スタッフに挨拶をし終えた彼らを、俺と上司が通用門まで送っていく。挨拶されたスタッフの人たちは霜月隼を見ても、ああやっぱり、という反応をして何故か感謝の言葉を述べていた。
     通用門で入場証を返却してもらい、台帳にその時間を記入する。ちなみに霜月隼は入場証を所持していた。台帳の方は代表者一名の名前を書けばいいので、彼の名前は載ってなかったが。不思議には思ったけど脳が疲れていたので考えるのが億劫になった。入場証持ってたんだから大丈夫。問題ない。
     車に乗り込む彼ら一同を見送って、俺の仕事はようやくひと段落した。ボーナス、ボーナス、楽しみだーと変な自作の歌を歌いながら園内へ戻っていく上司の背中を見ながら、俺はさっき見た二人を思い出していた。
     睦月始と霜月隼。
     自然な会話を楽しむ彼らは本当に仲が良さそうで、家族みたいな関係にも思えた。テレビとかの画面の向こうじゃアイドルとして見ているけど、こういう普通の会話もするんだなって思って、そりゃ人間なんだからそうだわなって微笑ましくなった。

     ただ、ひとつ感動というか、衝撃だったことがある。
     どんなに顔がよくても力強く掴まれれば、冗談みたいにくっきりとした赤い手形が付くんだなってことだ。
    PLA Link Message Mute
    2023/07/22 0:48:34

    冷房召喚の対価

    #隼始

    7/2公式ツイの、始さんが隼さんを召喚する話。
    夏のひまわり畑で隼始を目撃する一般人。
    ※モブ視点の一人称です。

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