重い愛と生真面目な恋
つまり、破れ鍋に綴じ蓋。
「楽しかったねえ始。今日はずーっと君と一緒にいられたし、僕の始語りを思う存分披露できたし。何よりも君のとびっきりな話を特等席でたくさん聞かせてもらえるなんて、この身に余る光栄! 最高の贅沢だよ」
収録スタジオをあとにして、二人は並んで歩く。今夜は特に冷え込みがひどいはずなのに、頬は火照っていて熱いくらいだ。
「お前はいちいち大袈裟だ」
思わず苦笑が漏れる。
「え~? そんなことないよ。これは一大事さ。何しろ僕は、全国の始推しの期待を一身に背負ってこの配信に臨んだからね!」
「はいはい。初めはどうなることかと思ったが、何はともあれ生放送が無事に済んでよかった。……あと、」
「あと?」
始は少し言い淀む。
デビューした直後からこれまでのことが走馬灯のように流れてきて、配信中はつい感傷的になっていた。ひどく真面目な答えばかりになってしまい、聞く方は退屈しなかっただろうかと心配になる。
「ちょっと真面目すぎたかな、なんて」
ぷっと隼が吹き出す。
「そんなことないよ。とっても君らしい、誠実で実直な振り返りトークだったよ」
「……お前がまともに司会進行できてて、少し驚いた」
からかうような言葉は、照れ隠しだとあっさり見抜かれているのだろう。隼はおや、という顔をしたあと、不敵に微笑んだ。
「大事な大事な始の、十周年を振り返る番組だもの。そのMCという大役を任された以上、この僕が我を忘れて羽目を外すなんてこと、あるわけないよね?」
どうだと言わんばかりに真っ直ぐにこちらを見る、やけに挑戦的な瞳。
始はそれが、かつて苦手だった。
まだ目的もよく定まらないままにアイドル活動を始めた頃。真っ直ぐなその視線に晒されると、ほんの少しだけ後ろめたいような気持ちが巻き起こったものだ。
ファンだという相手を間近に感じることにまだ慣れていなかったこともあり、並々ならぬプレッシャーを感じていた。
相手の望む自分でいられるか。最高の自分を見せることができているか?
正直に言えば、息が詰まりそうになったこともある。そしてそれ以上に、わけの分からないことを言う相手に混乱したりもした。
あれから十年が経ち、彼はまだ始の隣に立っている。兄弟ユニットを率いる同じリーダーとして。それから、始のファンとして。
「俺がお前を苦手だって思ってたこと、どう感じてた?」
普通に考えれば、好きな相手から負の感情を向けられて、良しとする人間はいないだろう。ずっと気になってはいたが、話題に出すには躊躇われた。全部分かっているよと言われることが、どうにも苦しいからだった。
「うーん、そうだねえ。どうもこうも特にはないかな」
「……何?」
「始が僕をどう思っていても、僕が始を思う気持ちは変わらないもの」
「…………」
あまりのゆらぎなさに、始は思わず足を止めて隼を見た。隼も同じように足を止めて、始を振り返った。
「嫌われたらそれはまあ悲しいけれど、まだ出会った直後の相手だしね。始まったばかりの時にああだこうだって言うのは考えるだけ無駄さ。未来は常に変化していくものだから」
かなわないな、と始は無意識に止めていた息を吐き出す。彼は本当に自由で、柔軟に生きている。型に嵌りきっている自分とは大違いだ。
そんなところにいつの間にか惹かれて、憧れさえ持つようになった。最初の頃はそれを否定していたけれど(何せ彼はライバルユニットのリーダーであったし)、自然と受け入れるようになれたのは──。
「同じ事務所の所属で兄弟ユニットのリーダー同士。同じ寮の二階と三階で暮らしているとくれば、たとえ嫌でも関わることになるからね」
歩いていく先が同じなら、この先、寄り添えるための時間はたくさんあると思っていたと隼は笑う。そうだとしても、未来で歩み寄れるかどうかなんて、それこそ分からないだろうに。
だから、そんなところが。
あの頃の自分がこの感情を知ったら、全力で否定していただろう。ただの勘違いだと鼻で笑うだろう。でも残念ながら大真面目だ。現在の始は生真面目に真剣なのだ。
隼に、恋をしている。
(……今夜は感傷が過ぎるな)
過去を振り返ると、どうしてもセンチメンタルになる。過ぎ去った記憶、戻らない時間。ただ思いを馳せるだけの、褪せてゆく記憶たち。だけどすべてが自分をかたち作る、大切なピースだ。
そんなものが積み重なって生まれたものの一つが、こうして今、始を穏やかな笑顔で見つめる彼への慕情だった。
急に恥ずかしくなって、始はそっと視線を下げる。隼の顔を見ていられない。
昔から変わらぬ、何もかもを見透かす視線で見つめないでほしい。目の奥を探らないでほしい。そんなふうに、包み込むように見ないでほしい。
気持ちはそれなりに前から多分そうなんだと自覚していたが、ハッキリと言葉にしたことはない。してしまって、明確な形を持たせることが何故だか怖かったからだ。
「ふふ、気になる?」
「…………なに、が」
ハッと顔を上げれば、得意げに目を細めて笑う隼の顔。満足した猫のようだ。
どきどきと心臓を逸らせながら始が続く言葉を待っていると、隼はますます笑みを深くした。
「僕の勝負パンツ!」
「────は?」
一瞬何を言われたのか理解ができなくて、始は固まった。
「ちらちらと僕の腰の辺り見てたの、気づいてたよ。始のえっち」
「…………は、」
返答に困りすぎて声がでない。視線を落としていたのは、彼の顔を見るのが気恥ずかしかったからだ。そんな理由をわざわざ説明するのは絶対に嫌だが、パンツを見たがっているだなんていう誤解はもっと嫌だ。
確かにトーク内でそんな話もしていたが、そもそも最初にアピールしてきたのは隼であって、始はきっぱりと『訊いてない』と切り捨てたはずなのだが。
「でも始が気になるなら見せちゃう! 僕のとっておきの勝負服! なんてったって推しのためだけの推し色の特別な日の装備だからね!」
ドヤ顔でパンツを見せてあげると言われても困る。理性は即座に拒絶反応を示すのに、毎日下着が紫色というわけじゃないんだな、と微妙に感心している自分がいる。
違う違う、焦点はそこじゃない。これはなるほどと相槌を打つような会話ではない。けれども理性に反して、何故かやたらと気分の良いらしい大脳辺縁系は、本能の赴くままに違うことを脳に命令する。
「じゃあ、見る」
「………………え、」
今度は隼が固まった。
猫みたいに細めていた瞳を今度はまあるく見開いて、瞬きも忘れて始を凝視する。
その瞳には、可笑しそうに笑う始が映っていた。だから馬鹿げていると思いながらも、始はもう一度同じ言葉を重ねるのだ。
「見せてくれ」
「えっ……?! あっ、ハイッ……!」
かああ、と瞬時に頬を真っ赤に染めた隼の腕を取って引き寄せる。
「俺を堕落させて、遊んでくれるんだろ? ……それとも、お前が俺に遊ばれたいのか?」
「ヒェッ」
耳元で囁けば、隼はピャッと変な声を上げて鳴いた。
仕事帰りの寒空の下、すれ違うサラリーマンもまだ多い時間帯の歩道の上。
目隠しをしているとはいえ、こんなところで何をやってるんだと不意に笑いが込み上げ、始は隼を離してその場に蹲った。堪えきれない笑いで肩が震える。
「始、ひどいよ……! こ、こんな心臓に悪いからかい方! カッコよすぎて気体になるかと思った!」
「……ふ、お前が先に言い出したんだろ」
涙目になりながらなおも笑う始を見て、隼は膨れた。
「わかった。君がそこまで言うのなら、寮に戻ったら絶対見せるからね、僕の勝負パンツ!」
「くくっ、わかった、わかったから」
これ以上笑わせないでくれと噎せると、隼は怒ったように強引に始を立ち上がらせた。今度は隼が始の手を取って、家路を急がせる。
このまま寮に帰って、彼の部屋に連れて行かれて、本当に服を脱いだりするのだろうか?
可笑しいのとわくわくする期待感が拮抗して、自分のテンションも大分高いようだ。二人揃ってただの酔っ払いみたいだった。
隼は変だと思う。でも同じくらい始もおかしい。似たもの同士の二人だと思う。完全じゃないところもまた、お互いに相応しい。蓼食う虫も好き好き。つまり────。
やがて見慣れた建物が現れる。通用口を抜けたら、行くのは自分の部屋じゃない。急に胸の奥に甘い痛みが走る。咄嗟に握られている手へ指を絡めたら、しっかりと意志を持って握り返された。
またひとつ、新しいものがここから始まる確信に、大きく胸が震えた。