イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    アイソレイテッド・ストレイン天変地異が起こったのだと感じた。巨大火山の噴火だとか隕石が堕ちたのだとか。とにかくそんな、天地を大きく割いてしまうほどの天災に見舞われたのだと思った。
     真っ直ぐに立っていたはずの両足の感覚は震えるうちに消え失せた。自分の境界さえおぼつかなくなる。耳の奥は絶え間なく響く悲鳴のような轟音でパンクしてしまった。これほどの音が聞こえないはずもないのに、耳は何も音を拾わない。ジェットコースターに乗っている時すら比較にならないほど、目まぐるしく視界が揺れる。目の前が見えているはずなのに、この目には何も映らない。
     瞬く間に五感が失われていき、やがてぷつんとすべてが途絶えた時、愛しい愛しい彼の、胸が張り裂けんばかりの慟哭が聞こえた。
    「始…………!!」
     彼に何かが起こった。感覚が失せた肌の上にびりりと電流が這う。ぞわりとする怖気に身の毛がよだつ。異常事態だ。生命を脅かすほどの事態、世界にとってそんな致命的な何かが起きた。
     隼が昼間に学園祭を楽しんでいた頃には、こんな予兆など何ひとつなかった。ちょっと離れていた間に、始の身に一体何が起こったというのだろう。
     早く彼の元に行かなければ。
     そう思った瞬間、ビリビリと引き剥がされるような感覚がして、ふわりと身体が舞い上がる。驚いて下を見れば、真っ黒な地面に倒れ込む自分の身体が見えた。
     空へと投げ出された意識の方はそのまま天高く飛ばされて、柔らかな不可視の壁に沈み込む。そこへさらに圧力が掛けられて、隼は無理矢理外側へと押し出された。状況にそぐわないポン、という可愛い音がして、宇宙に放り出された人のようにくるくると回りながら世界から切り離されていく。今通り抜けたのは、この世界の境界だ。
    (追い出された……!?)
     つい先ほどまでいつもの日常を過ごしていた世界が、あっという間に遥か遠くへ霞んでいく。意識体となった自分がいつまでこの状態を維持できるのか不明な上、行き着く先がどこなのかなんてそれこそ見当もつかない。このまま宇宙空間に漂うデブリみたいに彷徨う可能性だってある。
     そんな混乱の中たったひとつ理解できたことといえば、隼は愛する彼により、慣れ親しんだ世界から追い出されたということだった。



    「……あ、」
    「わわっ、隼さん……?! す、すみません! この手は初心者の方相手にはちょっと意地悪でしたよね……!」
     頬に熱いものが流れて、驚いて瞬きする間に別の世界の記憶が流れ込む。
     隼の向かいに座っていた恋が、スマホを握ったまま目を大きく見開いて慌てている。恋のせいじゃないと言おうとして、嗚咽が喉に詰まった。
    「……っ」
     これは、とても苦しくて悲しい、別の世界の自分の記憶だ。隼は断片的に見えたものを軽く整理すると同時に、記憶の持ち主であるその世界の隼が自分の中に入ったことを感じる。
     完全に融合しているわけではなく、離れてはくっついたりを繰り返している状況だ。自分の中に二つの意思が存在している。融合しないということは、彼の戻るべき器はまだあの世界に在るということなのだろう。その彼はよほど混乱しているのか、受け取る記憶が不明瞭で、経緯がよくわからない。
     だが、始に何かがあったことだけは分かってしまう。涙を堪えきれないほどの悲しいことだ。それをちらりと想像して、隼の胸がぎゅっと痛む。
    「あの、隼さん。大丈夫ですか? 温かいお茶でも淹れましょうか?」
     恋の隣に座って彼のスマホ画面を覗き込むようにしていた葵が、心配そうに隼へ問いかけてくる。葵とは反対側に陣取っていた涙も、持ち前の直感力で何かを察知したのか、その瞳に心配の色を宿していた。
    「どうしたの? 痛いの? もしかして何かあった?」
    「え。それってまさか、すってんころりん系の事件的なやつですか? ゲームの話じゃなくて?」
     隼は恋とスマホのゲームで対戦をしていたところだった。最近人気のアクションゲームであるそれは、今度出演するバラエティ番組でプレイしなければならないため、ゲームが得意な彼にレクチャーしてもらっていたのだ。それなのに突然相手が涙を流せば、何事かと驚くだろう。
    「なんだなんだあ? どしたー?」
    「何かあったのかな?」
     騒ぎを聞きつけて海と春がやって来る。いつの間にか隼の周りはプロセラとグラビのメンバーたちでごった返していた。
     そもそも本日は、朝から一日かけて舞台の稽古をしていたのだった。両メンバー全員揃っての通し稽古という、なかなかハードなスケジュールが組まれていた。それが一段落してようやく訪れた休憩時間。その合間に隼は恋からゲームの指南を受けていたというわけだ。
     休息が終わればもう一息、大切なシーンの通しが待っている。衣装は全員着たままで、メイクも本番さながらの状態だ。きらびやかな衣装の見た目は異世界感に溢れているが、座っているのは会議室によくある定番のパイプ椅子と長机で、手にはスマホを持っている。世界観がちぐはぐでどこか不揃いな空気が楽しいと、ついさっきまでのんびりと休息を過ごしていたはずだった。
    「驚かせてごめんね。あったと言えばあったのだけど、それは僕じゃなくて別の世界の僕が、」
     言い終わらないうちに、ぽろりとまた熱い雫が落ちる。
     春の後ろから現れた人物が視界に入った途端、全神経が吸い寄せられるように彼へと集中する。突然凝視された当の本人は、不思議そうな顔をして隼の前へ歩み寄ると、床に膝を着いて顔色を窺うように覗き込んでくる。
    「隼、体調でも悪いのか?」
     ああ、会いたい。君の元へ帰りたい。でもこんなにも遠くへ追い出されてしまった。今君に何が起こっているのか知りたい。今すぐ君の元へ────。
     洪水のように溢れる想いは当然隼のものではない。祈りにも似た必死の願いは、別の世界の彼のものだ。
    「隼?」
    「…………、」
     今度は胸が詰まってしまって言葉が出ない。隼を見上げる愛しい顔は、まだ幼さを残す学生の彼よりもずっと大人びていて、ひどく穏やかだ。あの世界で何事もなく二人で時を重ねて行けたら、大人になった彼とこうして語り合うこともできたはずなのに。
     不意にせり上がってきた切なさに、胸がぎゅっと引き絞られる。ずきんとした痛みへと変化したそれは、容赦なく心の柔い箇所を苛む。隼は思わず眉根を寄せて、衣装の胸元をくしゃくしゃに握り締めた。襲い来る更なる痛みに堪えようとした時、温かい熱と、とくとくと心地よく響く音に包まれて、隼の思考は一瞬止まった。
    「熱があるわけじゃないが、やたらと冷えてるな。恋、何があった?」
     始が隼を抱き締めるように抱えていた。普段の隼であれば喜んですぐさま彼を抱き返していたし、実際にそうしても彼は怒ったりしないことも知っている。この世界の二人は、そんなじゃれ合いが許される仲なのだ。
     けれど、もう一人の隼はそうではなかったらしい。与えられる温度に信じられないとばかりに全身を固まらせ、動けなくなってしまった。
    「それが俺にもわからないんです。ゲームで対戦してたら突然隼さんの様子がおかしくなって……」
    「隼の様子がおかしいのはいつものことだけどな」
     ははっと笑う海に、これって笑い事じゃないんじゃないの、と春が苦笑する。
    「それはそうだけど、隼が始に密着されても騒がず普通におかしいだけだなんておかしいよね」
    「言いたいことは伝わるんですけど、言葉が何だかおかしいです春さん」
     密着と言われ、隼の中へ通常の思考が一気に舞い戻ってくる。今回の舞台の衣装は、何といっても普段は鉄壁であるグラビの露出度がとにかく高い。始の胸元は大きく開いていて、座ったまま抱き締められる形になった隼の頬が、彼の素肌の胸に触れていた。意識した途端、カッと頬に熱が灯る。
    「あッあああああああぁぁぁ……!!」
    「……っ」
     突然の雄叫びに驚いた始が、咄嗟に抱えていた隼を離す。
    「うわっ! びっくりした!」
    「今度は何ですか?! 心臓止まるかと思いましたよ……!」
     他のメンバーたちも何事かと狼狽えて、奇声を発した主を見た。
    「なんてことだ……! うっかりとはいえ推しの神聖で見せられない聖域に触れてしまったあああああ! ああぁっ、僕はなんて罪深い生き物なんだ! まさに神のお戯れ! あるいはこれが天の配剤……?! どっちにしてもありがとうございます! これで僕は今日も生きていけます! ありがてえありがてえ…………!!」
    「ああ、いつもの隼だな」
    「そうだね海、安心したよ」
    「お二人ともそこ安心するところですか?! それに隼さん、最後の方キャラ崩れてますよ!」
     はあはあと呼吸を荒らげながらも、隼はこの突然のハプニングのおかげで、もう一人の自分から肉体の所有権を取り返すことに成功した。
     全員が見守る中、何事も無かったかのようにパイプ椅子へ座り直す。長机に両肘を着くと、顔の前で組んだ手の上に顎を乗せた。それから集まった彼らの顔を、意味深にぐるりと見回した。
     心配してくれる顔、不安げだけどしっかり見返してくれる顔。何が来ても平気だという顔、それからちょっと好奇心がはみ出している顔。実に頼もしい仲間たちの顔だ。何してんだコイツ、という顔もあるのはご愛嬌である。
     そしてやっぱり一番隼の心を落ち着かせてくれるのは、彼がいれば大丈夫という安心感──愛してやまない対の顔、だ。
    「さてお集まりの皆様、突然ですが事件です」
     ずこー、と音がしそうなほど、陽と郁が机の上に上半身をスライディングさせた。いつものノリの良さに隼は笑みを深くする。さすがはプロセラ、リアクションが鍛えられている。
    「やっぱり何かあったんですか? さっきのゲームに関係あるんでしょうか?」
    「え、そうなの? 今度はどこの世界かな。稽古が佳境だから、早く解決しちゃわないとね」
     恋はまだスマホを握ったまま、心配そうに隼を見る。原因が何かしら自分に起因しているのかと考えているのだろう。彼はグラビのツッコミ担当だが、グラビらしく根は生真面目なのだ。春は春でいつものことだと、さらりと提案をくれる。
    「まず、ゲームのこととは無関係だから安心してね」
     前置きすれば、恋はほっと安堵の息を吐いた。駆がそんな恋の肩をポンと叩けば、緊張で強ばり気味だった口元がようやく緩む。それを視界へ収めると、隼は海と春へ視線を移した。
    「状況を説明すると、どこか別の世界で何かが起こりました。そしてその世界の僕が今、僕の中にいます」
    「簡潔そうでややこしいな。でも毎度おなじみ世界系の話なら、面倒くさがりのお前がわざわざ世界を超えて来たってことは、そっちで何かヤバい事件が起きたってことじゃないのか?」
    「さすがは海、僕の相方! 飲み込みがとても早い。パーフェクトな回答だ」
    「うーん。褒められても何ひとつ嬉しくない」
    「その、どこか別の世界の隼……うん、確かに紛らわしいね。よし、仮にこの世界の隼を『隼A』として、別の世界の隼を『隼B』としよう」
    「春さん、問題集の問いみたいな言い方ですね」
    「アンクロ塾も今は懐かしく良き思い出の一ページ……俺の顔が小顔になった思い出……うっ、頭が……」
     駆の言葉に過酷な体験を連想したのか、恋の顔がサッと青ざめる。そんな彼らを見て、春は朗らかに笑った。
    「あはは、俺は学校の先生になりたいって思ってた時期もちょっとあったかなあ」
    「春は去年の合同舞台で、教師の役をしていたよね」
    「そうそう。あれはすっごく楽しかった。始よりもうんと年上っていうのが不思議な気分で、何だか癖になりそうだったよ。勿論本業はアイドルで良かったなって再確認したけどね。人に物を教えるのっていろんな視点に立てるから、自分自身の勉強にもなってとっても面白いよ」
     話が脱線したね、と彼は本題を口にする。
    「さて、問題を整理するよ。隼Bの世界で事件が起きて、隼Bは自主的に避難した。もしくは彼の世界から強制的に追い出された。後者の場合は、より深刻な問題が起きたと考えられるね。それで、隼Bは隼Aに何かを要求しているということかな?」
    「はあい。そうです、弥生先生。隼Bは自分の意思とは無関係に世界を追い出され漂っていたところ、この僕、隼Aの中へと流れ着きました。始と共にある僕の力は一際強いから、彼は必然的に僕のところへと引き寄せられたんだね。その辺りの事情は一旦置いておくとして、隼Bの要求はこうだ。彼は自分の世界へ戻り、事件の全貌を探って原因を解明、これを正し、元通り、もしくはそれに近い世界に戻すことを望んでいます」
    「なるほどね。まずは原因を探るところからというわけだ。素晴らしい回答だったよ、霜月くん」
    「わーい、先生に褒められちゃった!」
    「ど、どこからつっこんでいいんですかこれは……」
    「まあまあ、話は進んでるからとりあえず全部聞こうぜ」
     話を聞きながら額を手で抑える郁の背中を、海が苦笑しながらポンと叩く。
    「……まどろっこしい」
    「え」
     先生ごっこでドヤ顔をしている春を押しのけて、ゆらりと立ち上がる影があった。
    「は、始さん……?」
    「その世界へ行って原因を叩けばいいんだろ? さっさと行くぞ」
    「超物理過激派戦闘民族的思考……!」
    「まずは何か食べて落ち着きましょう皆さん!」
     ヒェッとまた青ざめた恋を落ち着かせながら、駆が机の隅に置いてあったお菓子の乗ったトレイをサッと差し出す。それを新が横からひとつ摘んで口に入れた。
    「ん、このチョコイチゴ味だ。葵くんもおひとつどう? 始さん、ここ二、三日忙しくてろくに寝てないって言ってたから、野性味ブーストされてますね」
    「あ、よく見れば目の下にドーランの上からでもうっすらとわかるクマが……。チョコは貰おうかな。これって確か最近人気のお店のやつだよね。誰からの差し入れだろう」
     グラビの面々がザワつく中、カタンと隼が席を立つ。
    「始。君の気持ちは嬉しいけど、残念ながらそれはできないんだ」
     何故、と始が目だけで問う。
     当たり前のように隼と一緒に来てくれるという彼が愛しくて、隼は心の中にいるもう一人の隼を、絶対に彼の始の元へ返そうと決意する。
    「向こうの世界には始がいる。同じ人物──特に君は、同じ世界で同時に存在することができないから」
     始が何かを言うより先に、ちょっと待てよと海が口を挟む。
    「始と隼……始まりと終わりってやつだったな。それが揃ってる世界は安定するって、お前は以前言ってたよな。隼Bだけ追い出されたってことは結構大事なんじゃないのか? 向こうの始……えーっと、この場合は『始B』? その始Bはどうしたんだよ」
    「いやもうAとかBとかのせいで、逆に話が頭に入って来ないんだけど?!」
     それまでじっと話を聞いていた陽が、海の説明で我慢できなくなって思わず叫ぶ。それを隣にいた夜がぴしゃりと窘めた。
    「もう陽ってば。話の腰を折らないで!」
    「陽の気持ちはわかるけど、夜さんの言う通りですよ!」
    「俺だけ怒られるの納得いかねえ……」
    「ドンマイ、陽」
     さらに郁からも異議を申し立てられて気落ちする陽を横目に、海は笑みを消して真剣な面持ちになる。隼とそれに対峙する始をじっと見つめた。少しの沈黙のあと、始は隼からの返答がすぐにないことに痺れを切らしたのか、会話の先を促した。
    「それならどうする。お前だけで行くのか?」
     始にどこまで頼ってもいいのか、隼は未だに悩む部分がある。彼へあまりに干渉しすぎて、この世界に亀裂が入ってしまったら本末転倒なのだ。別の世界の自分を救いたいと思うのは今の自分があるからこそで、この世界が壊れてしまえば、きっとそんな余裕なんて塵に等しく消えてしまう。
     真っ直ぐに隼を心配する美しい紫の瞳に、じわりと心が震える。僕を助けてとひと言口にさえすれば、始は己が被るデメリットなど考えもせずにその手を伸ばし、隼を助けてくれるだろう。それは隼だって同じで、別の世界を含め、始にもし苦しむような事態が起こったのなら、心から救いたいと思うのだ。
     だから傍にはいられなくたって、見守りながら帰りを待っていてくれるとわかるだけで、何でもできる気になってしまう。
    「実はあちらの事情があまり見えなくてね。もう一人の僕を通してあちらの世界の情報を収集したいのだけど、僕の干渉を阻む障壁があるんだ」
     隼の力の効力をいとも容易く打ち消すもの、それはつまり始の存在でしかあり得ない。向こうの世界の始が隼を拒み、そこから追い出した。概要はおそらくそういうことなのだろう。
     何故そんなことが起こったのか。もしかしてあちらの隼はそこまで始に嫌われてしまったのかと考えると、心臓が縮み上がる思いだ。しかしもう一人の隼の記憶の断片を見る限り、二人の間に決別するほどの亀裂や軋轢などはなかった。むしろ、微笑ましいくらいの仲に見えた。
     向こうの始に何かが起きて、隼は追い出されざるを得なかった。そう仮定すればあちらの始は今現在、助けを待っている状況にあるのかもしれないのだ。それならば、事態は一刻を争う。
    「なあ、ひとつわからんことがあるんだが。その理屈で行くと隼もダメというか、ここにもう一人の隼がいることも辻褄が合わないような……。あれ? でも実際に隼が二人いるわけじゃないからいいのか? 意識? 魂? だけが隼の中にいるってことは……。うーん、こんがらがってきたな。弥生先生、パス」
    「生徒の文月くんから難題なパスをもらっちゃった。先生としての威厳と使命感が俺を駆り立てる……! とか言ってる場合じゃないよね。アッ、だからふざけてごめんって、物理はやめて、始!」
     背後からバシバシと叩かれた春が仰け反る。彼は険しい顔をした始からサッと逃れ、海の後ろに隠れつつコホンと咳払いをした。
    「そうそう、以前は身体はそのままで、意識だけ別の世界の自分と入れ替わるなんてケースもあったよね」
     確認するように見つめてくる鶯色の瞳へ、隼は頷いた。
    「ここにいるもう一人の僕は、本体ではなく本体から分離したものであり、本体と同じものではない、というところかな」
    「分離? 入れ替わりとも本体とも違う?」
    「あの世界の始まりと終わりは、対として正しく機能していた。つまり二人は同じ根を持つひとつの存在であったと言える。見た目には別個の人間という形を取ってはいるが、存在の根は同じものなんだ。だからもう一人の僕の本体は、実はあの世界の始ということになる」
    「同じ根から生えて分かれている枝、つまり意識の部分だけ切り取られて分離、それがこちらの世界に飛ばされて来たってこと?」
    「そういうことだよ、春。あちらの世界の僕は、イコールこの僕ではない。この世界の僕は始とは別の存在だから、前提が違うのさ。向こうの世界の在り方はとても珍しいパターンだね。だから彼は僕の中にいても僕と融合することもない。本体から分離という形でこの世界へ来たけれど、そもそも彼はあちらの世界の始のものであって、僕と同一の存在ではないからさ」
     じっと話に耳を傾けていた始が、そこで何か言いたげに隼を見る。何だろうと問おうとした時、海が呻き声を上げた。
    「うおおお、こんがらがってきた! 先生、わかりません! ざっくりまとめると、隼Bは始Bとくっついてる同一個体って感じなのか? 隼Aは独立してるひとつの個体だから、隼Bの見た目はお前と同じに見えるけど、向こうは実質中身が違う。よって同一の存在じゃない隼Aは向こうの世界に行けるけど、始Bと同一である始Aはダメ、みたいな感じ? でもこれだと始Bも始Aと同一存在だとは言えなくないか? 隼Bっていうオマケが付いてるんだし」
    「海さん、そんなお菓子のオマケみたいな言い方……! あと個体ってなんですか、生物とか理科とかの授業ですか。そっちに気を取られて内容が入ってこない……!」
     混乱して机に突っ伏した郁の頭を、涙がよしよしと撫でてやる。
    「でもいっくん、結構わかりやすくない? 僕は楽しくなってきちゃったな。もし皆ともっと昔から知り合えて、一緒に高校生をしていたら……なんて、ちょっとだけ考える時もあるよ。去年の舞台は、そういう意味でもすっごく楽しかった」
    「涙……。そうだね、楽しく理解できるなら学園ごっこ遊びだって悪くないかも」
    「おーい、ツッコミがボケに回ってんぞー」
    「ちょっと陽! 話の腰を折らないで!」
    「お前は優等生の委員長かよ!」
     春がパンパンと二回手を叩き、雑談を中断させる。
    「はいはい、プロセラは毎回話を脱線させない」
    「先生、すみませーん」
     しゅんとするプロセラメンバーにグラビメンバーが苦笑する。さながら優等生と問題児の構図だ。
     隼はその間に、もう一人の自分を通して再度あちらの世界の記憶を覗き見る。向こうの世界はここにいる皆が同じ学園に通っている世界だった。こちらでのもしもの話が、あちらでは現実なのだ。これだから平行世界は面白い。勿論、面白いことばかりでもないのは身に染みて理解しているけれど。
    「難解な部分は考えても仕方ないから、そういうものだと今は理解しておこう。で、隼が向こうへ行くとしても、情報が掴めないって話だったよね」
     春の問いかけに、隼は自分の考えをすぐに纏めた。ここは迷っている場合じゃない。助けを求めることが、きっと最善なのだ。始に向き直ると、その瞳をじっと見つめる。彼は何も言わずにひたりと隼の顔を見据える。
     これから話す言葉の意味を、彼は理解してしまうだろう。傷つけてしまうかもしれないけれど、それでも受け入れてくれると信じられた。
    「それなんだけど、僕に干渉しているのは恐らく向こうの始の力に因るものだから、君の力を借りたいんだ、始。僕には対抗できなくても、同一の存在である君ならば可能だ」
     始は少しだけ目を見開いたが、すぐに頷いた。
    「俺にできることなら。どうすればいい?」
    「僕の望みが叶うように、君はただ願ってくれるだけでいい。あとそれから、指先や手のひらでかまわないから少しだけ触らせてもらえるかな? 接触が一番力が伝わりやすいか……ファアアアァァッ?!」
     言い終わらないうちに、再び頬に愛しい人の熱と心音を感じ、隼は絶叫する。
    「あっははははは! それ、先に隼が死ぬやつだ!」
    「いや、笑ってる場合じゃねえっていうか、あははははは!!」
    「しゅ、隼さんの顔……! ごめんなさ、あは、あはははは!」
    「隼、ウケる」
     再びぎゅうぎゅうと始に抱き締められた隼は、目を白黒させながら絶叫した。そんな様子にプロセラの面々は爆笑し、グラビの方も笑いを堪えようとしながら失敗していた。
     しばらくして水揚げされた魚のようにびくびくと痙攣していた隼が大人しくなり、一同はようやく笑いを収めて成り行きを見守った。
    「おーい隼くん、生きてるか?」
    「死んでたらさすがにちょっとねえ」
    「年長組の会話が物騒!」
    「……はじめ、……はじめの神々しい胸板が……、うっ、これは見せられない……っ」
    「あ、意識戻ったみたい」
     春がぐったりしている隼を始から受け取って、椅子にきちんと座らせてくれる。隼はしばらくしてようやく意識がはっきりしてきた。
    「ああ、召されるかと思った……。こんなラッキースケベ的な展開が許されていいのか……! くっ、これが神の与えし偉大なる試練……!」
    「ラッキー……何だ?」
    「始さんは知らなくて大丈夫ですので!」
    「で、隼。どんな感じ?」
     やはり隼を拒んでいたものは向こうの世界の始で間違いなかった。こちらの世界の始が隼の存在を保護することで、ようやく全貌を覗き込むことができた。
     始と隼、二人揃っていても壊れる世界があることを知っている。けれど、これはとても悲しい事故だ。このままにしておけば、終わりが不在のままにしておけば、歪な世界は歪のまま続いていき、誰も彼もが苦しむままだ。
     まだ間に合う。この世界は助けられる。きっと向こうの世界の始は、無意識に彼の隼を自分から分離させ切り離したはずなのだ。巻き込みたくないと願ったのかもしれない。そして歪に進む世界を矯正できるとしたら、始を助けることができるとしたら、それは彼の半身である隼だけだと無意識が知っていた。
     だから始を助けに行く。
     顔を上げれば始と目が合う。
    「行くんだな。俺は、お前の役に立てたか?」
    「勿論、十分さ。君の祝福があれば、僕は何も怖くないよ」
     大袈裟だ、とは言わなかった。代わりに彼は穏やかな顔で笑った。行ってこい、帰りを待っている、と言わんばかりに。
    「というわけでプロセラの皆へ大切なお知らせがあります。君たちには僕に随伴していただきます!」
    「随伴という名の強制ですよね?!」
     確認しなくても分かる事実に、夜が悲鳴を上げる。
    「それは望むところだが、向こうには俺たちも存在してるんだろ? さっきの例題の、同一個体はダメってやつじゃないのか?」
    「海さん、例題ってなんですか……学園のノリはまだ続くんですか……!」
    「結局そうなんのかよ! はいはーい! 俺は拒否権を行使します!」
    「はい残念でしたー! プロセラに限り、拒否権は認められませーん!」
     引きつった笑顔の陽に笑い返せば、想像した通りの返答が小気味良く返る。
    「言い方! 腹立つ! ……まあ、どうしてもっていうなら付き合ってやらんこともないけどな」
    「ど、う、し、て、も!」
    「ぐっ……!」
    「陽のツンデレ発動。最初から心配だから着いて行くって言えないんだよね。で、隼以外のメンバーは、本体移動じゃなくて分離を作るってことでいいのかな」
    「その通り!」
     ハイと手を挙げて発言した涙に、隼は満足げに頷く。そこへ、おずおずと掛けられる声があった。
    「あ、あのっ、隼さん! それなら俺も行けますか? 思わず泣いちゃうようなことがあったんですよね。それならきっと、人手は多い方がいいです」
     最初に隼の異変を見たのは恋だ。彼はコミュニケーション力が高い分、人の感情の動きには敏感だ。始が戦力外通告されたこともあり、隼を心配してくれているのだ。
    「ありがとう、恋。でも残念ながら、グラビの子も無理なんだ。向こうの彼らは始の力の影響を強く受けているから、僕からの干渉は難しくてね」
    「……そうですか、わかりました。じゃあ俺はこっちで始さんと一緒に、隼さんたちの帰りを待ってますので! 応援してますよ!」
     いつでも皆の応援隊長、と言う彼の思いをしっかりと受け取る。
    「じゃあ善は急げだな。よっしゃ、行くか!」
    「えっ、着替えとかしなくていいんですか? 舞台衣装でメイクもしたままなのに」
    「夜、すってんころりんがこっちの都合を考慮してくれたこと、あると思う?」
    「言われてみれば……うう、涙の正論が正論すぎる」
    「大丈夫ですよ夜さん、何とかなりますって」
    「海と郁がいれば魔界サバイバルもできるだろうな……絶対やりたくないけど。んで、向こうはどんな世界なんだ? 付き合ってやるんだから事前情報くらいは寄越せよな、隼」
    「そうだねえ、向こうの世界は───」



     目的の達成には少しだけ時間が必要だ。
     それまで仮初の学園生活を送ることになる。楽しむと言ったら語弊があるが、張り詰めてばかりでは物事を上手く動かせない。
     学年や部活など、どうしようかと考えながら隼はもう一人の隼と共に、意識をあちらの世界へ繋ぐ。やはり向こうの世界の始の干渉に遭うが、こちらの世界には隼の始がいる。
    「始、もう一度力を貸してくれる?」
    「ああ。……でもその前にひとつだけ、いいか?」
    「うん。何かな?」
     問い返しながらも、訊かれることはもう分かっている。
    「さっきお前は、向こうの世界の俺とお前が、同じ根を持つ同一の存在だと言った。なら、この世界の俺とお前は、」
    「始。始まりと終わりが同じ根、つまり同一の存在だということは、そこはもう完結した世界なんだ。あちらの世界は誰にも知られることなく、今までずっと閉じていた」
    「……それを、俺は壊せるんだな」
    「始まりというのはそういう存在だからね」
    「…………」
     始はそっと目を伏せる。彼が何を思うのか概ねの想像は付くけれど、本当のところは隼にはわからない。けれども確実に隼のことを考えている、それだけは分かる。不謹慎にも嬉しくなってしまう気持ちを止められない。
     彼を喜ばせることも、悲しませることも、傷付けることでさえ。それで彼が隼のことで心を煩わせてくれるなら、そのいずれも喜ばしいことであるなんて、この世界では一生口にすることはないだろう。愛する相手の一番深い場所へと踏み込み、己の存在を刻んで遺す。そんな昏い欲望など。
     始と同一の存在であるというのはどういう気分なんだろう、ともう一人の隼を思う。彼は元々始の一部分であった。世界が始まった時、二人の意識は同化しており、本当の意味で始とひとつのものであったのだろうか。それが分離されて引き裂かれるのは、さぞや堪え難い苦痛だったに違いない。
     この結末がどうあれ、おそらくあちらの世界の隼と始は、確実に別個の存在として分かたれることだろう。一度分離された株は、もう二度とひとつには戻れない。閉じた世界は開かれた。だがそれは、決して絶望などではない。
    「この世界の君と僕は、同一ではなく別の存在だ。それはつまり、この世界は閉じていない、未完成の世界ということさ。これから先、如何様にだって変化していく。どうなっていくのかは僕にもわからない。良くも悪くもあるけれど、認識が存在する限り、どこまでも続いていく。……それは楽しいことだと思わないかい?」
     世界が開くという希望を、君がくれるから。壊すということは、そこからまた新しい可能性が生まれることでもあるのだ。
    「……隼、」
     どう答えていいのかわからないのか、困ったような紫が隼を窺うように見つめてくる。その瞳の中に映る自分は幸せそうに笑っていて、隼は満ち足りる。
    「どうなっても僕はかまわないんだ。それは悪い意味じゃなくて、君と生きる未知の世界を、精一杯楽しみたい」
     だから、たまには僕に君を助けさせて。
     声に出さずに呟けば、始はようやく笑ってくれた。
    「俺だってそれなりに失敗する時もある。その時はお前が何とかしてくれるんだろ?」
    「勿論だよ!」
    「隼、気をつけて行ってこい。……帰りを待ってる」
    「…………うん!」
     ふわりと意識が飛ぶ。眠りに落ちる時の感覚に似ている。そして目が覚めた時にはもうそこは学園の世界だ。
     始の声を意識に焼き付けながら、隼は目を閉じた。


    PLA Link Message Mute
    2024/04/21 20:23:24

    アイソレイテッド・ストレイン

    #隼始
    ミューテイション・ストレインの番外編。隼視点。
    ちょっとごちゃごちゃした話。

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品