瓦礫の敗残 マッドドッグの腹の中で、脳の最深部で何かがうねる。澱みであるのかも嵐であるのかも、雪崩であるのかもわからないまま、マッドドッグは自らの中の黒いうねりに身を任せた。なぜ、なぜ、なぜ。誰が殺したなぜ殺したのなら殺したものの名も、死体もない。その言葉が無限に反響して、その言葉が決定打になったのかも、しれない。うねりに身を任せたマッドドッグは賞金稼ぎのマッドドッグではなくなった、賞金稼ぎのサンダウン・キッド。悪辣を撃ち死肉を日銭に変えるうちに、自然とその名は高まる。あいつも、そのことに追い詰められたのだろうか。過去に緩やかに手を伸ばす郷愁をマッドドッグは酒を傾けることで無理やり引き留めた。たらればは必要ない「サンダウン・キッド」は、騙りではない本物は絶対に生きている。
そう強く自覚しながら、自覚は時という津波に削られてゆく、一年が二年、二年が三年になりつつある中、目の前にある現実を受け入れないために生まれたうねりは歪に形を変える。
ある時、マッドドッグはサクセズタウンに寄る羽目になった。ここを避けると目的地はさらに遠くの街になる、しかし食料がない。あの勝負がつかずに終わった決闘から、数年ぶりに酒場に顔を出したマッドドッグを待っていたのはアニーのビンタと馬鹿という叫びだった。
「なにを、何をしてるのさッ! サンダウンの名を騙って、なんになるのよ! おんなじ死人になりたいの!!」
「あいつは生きてる!! 生きてんだ、自分より弱い奴の手にかかって死ぬようなタマの人間じゃねえ!」
「生きてない! 二年だよ、二年も誰かの目がサンダウンを見たことないんだ! 生きてるかもしれない、けどね、死にたがりの賞金首としてのサンダウン・キッドは、死んだかもしれないじゃないか!」
その言葉が耳をつんざいた時、マッドドッグの精神はかえって冴え冴えと澄んだ。それは、決してアニーの説得が成功したということではない。むしろ、逆だ。アニーの言葉は名を騙り信じ続けていた事柄に懐疑の目を向け始め、すでに軋みを上げていたマッドドッグの最後の境界を、そうとは知らずに粉砕した。
アニーの声が遠い、マッドドッグは「俺の手以外で、あいつは死なねえ」と吐き捨てて、マスターに多めの金を握らせて急いで食料の支度をさせた。
現実を遠ざけるために生まれた感情のうねりはいつしか盲信の大樹と化し、マッドドッグの中に深く深く根を張り、壊れかけた自我をかろうじて支える。
死ぬはずがない、俺以外の手で。ただそれだけがマッドドッグの頭に反射する。無闇に行き先も決めずに駆けて駆けて、ふと立ち止まると、太陽が地平を燃やして焦げの夜へと空を塗り替える最中にマッドドッグは立っていた。
マッドドッグの背中に数拍の沈黙を経て「空が落ちてきそうだな」と忘れかけていた声がかかる。だろう、とマッドドッグはいないアニーに伊達男の笑いをかけた。振り返れば、あの日と変わらない姿をした、御敵が静かに立っている。
詩人の素振りは男にいささかも馴染まない、それを皮肉としてぶつければ、眼前の落日は、あの日の決闘のように、ただ静かな視線を返した。