まだ瞳はかがやき□↓以下はキャプションと同じです。本編は2ページ目からどうぞ。
■エワ即売会(9)展示作品です。とくに期間限定公開ではありません。後日pixivにも投稿予定。
■未来捏造・過去捏造多々ありの、「ウン年後の蔵内(ボーダー勤務)が自分の娘に初恋の話をする」という蔵王のおはなしです。
■キャラクターがお父さん・パパと呼ばれる描写があります。
■主に「尖っていた頃の王子」を捏造しており、あまり仲の良くないくらおうや、モブに当たりの厳しい王子がいます。
■あまり起承転結のある話ではなく、(自分にとっての)萌えシチュの書き散らしのようなかんじです。ゆるくお楽しみくださいますと幸いです。
■なんでもゆるせる方向けです
「おとうさんの初恋ってどんなかんじだったの?」
ぶ、と噴き出しかけたカップの中身をどうにか胃に収めて、しばし蔵内は咳き込んだ。
慌てて自らの座っているソファを確認する──家族皆で選んだ、気に入りの家具なのだ。幸い、飲み物のこぼれた跡はない。
「……初恋?」
「うん。弓場隊とか王子隊にいた頃、なんでしょ? 羽矢ちゃんが、聞いてみたらいいわって」
目の前の人物はそう言ってかわいらしく小首を傾げた。──はあ、と、ため息を吐いて、蔵内は彼女に向き直る。
きらきらと曇りなき眼を輝かせ、蔵内が口を開くのを待っている──彼女は、なにを隠そう、蔵内の一人娘である。
「……そもそも、どうしてそんな話題になったんだ」
苦々しい顔をしながら蔵内は言った。
親の知人と、実の親が経験した恋の話など、どういった経緯でそうなったのか、理解し難かった。羽矢さんもどうして──と考えたところで、まさか、とあらぬ想像が浮かぶ。
羽矢ちゃんには相談にのってもらったの、おとうさん、わたしすきなひとができたの、──脳裏によぎったそれは、ところがあっさりと覆された。
「えっとね、今日は集団で模擬戦をやってたの。わたしの戦い方が若い頃のパパに似てるって言われて、それで羽矢ちゃんが思い出話をしてくれて」
「ああ……そういえば、トリガー構成を変えたって言ってたな。どうだった? 選択肢が増えると、必ずしもいいことばかりじゃないだろう。やっぱり、射手用トリガーだけにしておいたほうがいいんじゃないか」
「そうだね、近接トリガー、まだむずかしいかも。とっさの場面で弾が出ちゃった……通常弾で押し切ろうとしちゃって、それもちょっと、おとうさんみたいだって」
すこし恥ずかしそうにそう言うが、その内容はつまり、力技で通そうとするパワータイプそのものの戦いかただ。蔵内は、在りし日の自らに「爆殺」などという物騒な渾名がつけられていたことを思い出し、苦笑した。
「でも、しばらく今の構成でやってみたいの。──そうだ、せっかくだからおとうさんが立ち回り教えてよ。土曜日とか」
「土曜は……、仕事が入ってるな」
「えー」
今年で小学校を卒業するこの娘は、およそ一年ほど前からボーダーに所属し、戦闘員として働いている。
ずいぶん早い入隊だが、いかんせん親の職業が職業だ。忙しさゆえにどうしても家庭に仕事を持ち帰ることの多い環境で、こどもがボーダーに興味を持つのは、仕方のないことだった。
幸いにして、自身の命の重さをわからないような子ではなかったし、蔵内は、ボーダーそのもの──上層部を強く信頼している。それに、戦闘員を務められるほどのトリオン量を鑑みれば、ボーダーに所属していたほうが、却って安全だろう。
「日曜でよければ、パパも空いてるから。どうだ?」
「あ、じゃあそうする! やったね」
ぶい、とピースサインを突き出す娘は、B級隊員として活躍している──ポジションはかつての蔵内と同じ、射手だ。ただ、まだ合成弾は打てなかった。最近になってスコーピオンを取り入れてみたそうで、その扱いに苦戦しているようだ。
蔵内は近接トリガーを使ったことはない、が、射手としてアドバイスできることや与えられる教えはたくさんある。
自分の娘にそれらを継ぐというのは、正直に言ってしまえば、──かなり、楽しい。蔵内に似ているところもそうでないところもある彼女が、この先どう成長してゆくのかを考えると、ついつい頬がゆるむのだった。
「おまえはその歳にしては本当に優秀だから、きっとすぐに近接用のトリガーも扱えるさ。スコーピオンが合わなかったら弧月でもいいよ。お父さんは戦闘員だった頃、攻撃手用のトリガーは使わなかったけど、大事なのは自分の強みを──」
「おとうさん、口数が多いね? ごまかそうとしたって無駄なんだから。わたしは初恋の話が聞きたいの」
「うっ……」
そう、ほんとうに優秀な子だ。それは、親の蔵内ですら、敵わないことがあるほどに。
蔵内はしばらく口ごもって、それから、はあ、とため息を吐いた。最近のこどもは早熟だと言うが、それにしたって、彼女の聡明さは目を見張るほどだ──親の欲目というものだろうか? ともかく、この話題から蔵内が逃げられないことは、きっと間違いない。
「……具体的に、なにが聞きたいんだ?」
「もちろん、おとうさんの初恋のロマンスが聞きたいんだよ! それ以外になにがあるの」
「そうなのか……? つまり、お父さんは……なにを話せばいいんだ?」
「もう!」
焦れた様子で、娘は地団駄を踏んだ。こういうところだけは、まだ小学生である。
「おとうさん、みんなの前で告白したんでしょう? 羽矢ちゃんがそう言ってたの。それってすっごくロマンチック! その話と、どうしてそうなったのかが聞きたいの! いつどこで知り合ったの? どうして好きになったの? どうしてみんなの前で告白しようと思ったの?」
「待て待て、待ってくれ、質問が多い」
矢継ぎ早に言われて両手を上げる。降参の意を示しながら、蔵内は自らの記憶を探った。
──全く、羽矢さんも余計なことを教えてくれた、そう思いながら、かつてを思い出す。もうずいぶん前のことになるが、忘れられない恋をしたこと。らしくもなく公衆の面前で想いの丈を吐き出してしまったこと。
いまはもう、友人とは呼べなくなった、彼のこと。
「きみさあ、足、引っ張んないでよね」
「え?」
それは、弓場隊に所属してはじめてのチーム戦を経験した、その直後のことだった。
射手にとって、個人戦とチーム戦というのは、まるでやるべきことが違う。味方を巻き込まない立ち回りは予想以上に難しく、たしかに蔵内自身も未熟さを痛感したが──その言葉はあまりに突然で、乱暴だった。
「だから、下手な立ち回りで巻き込まないでよって言ってる」
「オイコラァ、王子ィ!」
「だって事実だもの」
蔵内がぽかんとしている間に、弓場がすかさず王子を怒鳴り付ける。
半ば叫ぶような弓場の声は迫力がある。蔵内など、彼の大声を聞くと正直身がすくんでしまうのだが、叱られた本人はどこ吹く風でいた。
「てめェーだってまだまだ青いンだぞ、突っ掛かってンじゃねェ!」
「だったら、お互いに指摘しあったほうがいいんじゃない? ぼくはそう思うけど」
「言い方ってモンがあんだろォーが!」
本人を差し置いて続く目の前のやりとりに、蔵内は困惑した。止めに入るべきなのだろうか、迷っていると、王子がくるりとこちらを向く。
ボーダーに入って、出会ったばかりの同級生。青い瞳からはいまいち感情を読み取ることができなかった。
「きみ、最後の通常弾、神田に当てそうになっただろう? 角度が悪いんだよ。そのご自慢の脚で移動してから撃てばよかったんだ」
おや、と蔵内は思う。
「王子てめェー……」
「弓場さん」
額に青筋を浮かべる弓場を、蔵内はそっと押し留めて、王子と視線を合わせた。
「王子」
「なに?」
「たしかに王子の言うとおりだ。次は立ち位置をもっと意識してみる」
言われてみれば、それはとても適切なアドバイスだった。戦況も蔵内のこともよく見ている。蔵内はその的確さに驚いた。
正直に言えば、感心したのだ。だが、どうにも王子には意図が伝わらなかったらしい。
「……嫌味ならもうすこし上手く言えば。品行方正でいることにも苦労があるんだね……い゛っ!?」
ひどく冷たい眼でそう言った王子の、そのつむじのあたりに、ごつんと拳が落ちた。喰らわせたのは、それまでずっと黙っていた藤丸だった。
「調子に乗んな!」
「……ぼうりょくはんたい」
「トリオン体だろォーが!」
二方向から叱られる王子を見て、神田だけがけらけらと笑っている。
はじめての反省会は、結局半分ほどの時間が王子への叱責に費やされた。
やがて解散を唱えられ、帰り支度をしながら、蔵内は王子について考える。
よくも悪くも、皆が彼のことを気にかけている。王子にはそういう──愛嬌、のようなものがあった。
憎まれ口を叩いていても、その聡明さ、真剣にものごとに取り組んでいるところ、それらが伝わってくるのだろう。
かくいう蔵内もまた、けっして、王子のことがきらいではなかった。けれども──どうしてか、王子には嫌われているような気がする。
そう思ったところで、王子そのひとと目が合った。長い睫毛の垂れ目がぱちぱちと瞬きをして、周囲をきょろきょろと確認してから、またこちらを見る。
それから蔵内のほうに近付いてくる。おや、と蔵内は驚いた。どうしてわざわざこちらに。──ああ、もしかして、気恥ずかしかったのかもしれないな、などと、蔵内は呑気にも思考する。顔の造作がそう見せるのか、蔵内は冷血漢のように見られることが多かった。王子と出会ってからすこし経つが、彼はまだ緊張していたのかもしれない。他の人間がいないところで、蔵内と会話してみたいと思っていたのでは──と、考えたところで気がつく。
王子の目は、これっぽっちも、笑っていない。
そして彼は囁いた。
「ぼくは、周りを窺っていい顔をするような人間は、きらいなんだ。──たとえば、きみみたいな」
そのときの、凄惨ないろをした瞳を、いまでもおぼえている。
「ロマンのかけらもない!」
「……そうかもな」
ぶう、と頬をふくらませた娘に、蔵内は苦笑した。
思い返してみれば、そのとおりである。出逢った当時、蔵内はずいぶんと敵視されていた。
「失礼だよ! おとうさんは『いい顔してる』んじゃないもん! ただちょっと呆れるぐらいおひとよしなだけで」
「それはそれでひどい言い草じゃないか? ……いろいろ苦労してたみたいだから、警戒したんだろう。まあ、そういうところも嫌いじゃなかったな」
「おとうさんってもしかして……」
じと、と視線が刺さる。
「…………マゾ?」
「ど……どこでそんな言葉おぼえてくるんだ、よしなさい」
予想外の言葉に動揺する蔵内には構わず、だって、と娘は口を尖らせる。
「むかつくんだもの。わたしだったらそんなの、その場でゼロ距離通常弾叩き込んでやる」
「おいおい、模擬戦以外の戦闘は隊務規定違反だぞ」
「わかってる! もののたとえ!」
ぼすん、と彼女の拳がソファを殴った。こら、と諌めて、蔵内はその手をうやうやしく取る。
「……おまえのそういうところは、だれに似たんだろうな。──お父さんだって、最初は困惑したよ。一目惚れしたわけじゃない」
「険悪エピソードじゃないのがいい……」
「はは、そうか」
「だって、パパ、そんなふうで、いったいどこを好きになったの?」
「どこを……、」
そう言われて、蔵内はふと考え込んだ。
胸を焦がす恋情を自覚したあの頃、自分は彼のなにに強く惹きつけられたのだろう。その言葉か、その態度か、あるいは――頭のなかに浮かんだいくつかを、そっと首を振って、打ち消す。
「──ぜんぶだ」
「全部?」
途端に目をまるくした娘に、ああ、と頷く。
「ぜんぶ。なにもかも──いや、理由なんてなかったのかもしれないな。いつの間にか、好きだったんだ。恋っていうのは、たぶん、そういうものなんだろう」
父が滔々と述べるにつれ、子は何度も瞬きを繰り返して、そのちいさな口をあんぐりと開けた。どうした、と訊くと、彼女は言い淀むような様子を見せる。
「おとうさんが……そんな論理的じゃないこと、言うと思わなかったから」
「なんだ、話してほしいんじゃなかったのか。この話はもうやめようか」
「えっ、ヤダ! せっかくいいかんじなんだよ、続き聞く! あのね、だから、」
すっかり取られていた会話の主導権が、ようやく蔵内の手元に来る。ちいさな娘は一所懸命に言葉を紡いで、続きを促した。
──たとえはじまりを意識していなくとも。
ならば、その恋を自覚した瞬間は、いつだったのか。
ドン、と強い音で、握られたこぶしが狭い模擬戦ブースの机を叩いた。
思わず眉を顰めた蔵内と、余裕のある雰囲気を崩さない神田。ふたりを気にするそぶりもなく、王子は、くそ、と吐き捨てる。蔵内はつい、彼に向かって手を伸ばした。
「王子……」
「なに?」
間髪入れず、その手をぱしんと叩き落とされ、蔵内は狼狽した。おいこら、とたしなめる神田に、王子の纏うぴりついた空気がわずか緩む。
「……、やつあたり、した」
悪かったともごめんとも言わない彼が、それでも謝意を抱いていることがわかり、蔵内は胸の内で笑んだ──状況を考えればそんな場合ではないし、王子の機嫌を損ねるだろうとわかっているので、表情には出さなかったけれど。
「──で、敗け続きだけど、どうするよ?」
軽い声音で、神田が肩をすくめる。
蔵内と王子と神田の三人は、弓場とその助っ人に連敗を喫していた。
模擬戦を提案したのは王子だった。「ぼく、弓場さんと戦ってみたいなあ」。そう言い出した王子の瞳は期待に輝いており、彼の矜持、誇りと──驕りを、雄弁に語っていた。
弓場もそれをわかっていたのだろう。彼らは王子の立てた作戦を逆手に取ったような動きで、蔵内らを負かした。こちらは三人、あちらは二人、数の有利にも関わらずその決着は迅速だった。弓場にも助っ人にも傷ひとつ付けられず、三人はそれぞれ、緊急脱出用のベッドに沈められた。
それを、繰り返し。
目に見えてフラストレーションを溜めた王子は、ついに作戦の立案を途絶えさせた。「弓場さん、タイム!」そう言ったのは神田で、彼は蔵内を連れ、王子の借りている模擬戦ブースに入った。──次でラストにすんぞ、という、弓場の声を背にしながら。
「…………正直に言うと、もう、ほんとに、策が思いつかないんだ。ぼくが提案できることはすべてやり尽くしたつもりだ」
王子は口角こそ上げたものの、やはりどこか疲れた様子でそう言った。普段の彼ならばしないような作り笑いに、相当参っているのだということが知れる。
「……」
滅多に見ない──落ち込んでいる王子に、蔵内は困惑した。そっと神田に視線を送るが、彼は何故か笑って、なにも言わなかった。
たしかに、王子の驕りはいちど叩きのめされる運命だったものかもしれないが──かといって、意気消沈する彼を放っておけるはずもない。
何より、王子と同じように、蔵内は勝利したかった。
「王子」
意を決して、蔵内は王子に話しかけた。呼びかけに反応し、じっと蔵内を見るその眼を、まっすぐに見つめかえす。
「もしかしたら、俺にも提案できることがあるかもしれない」
「……わかった。聞かせて」
王子はいつになく真剣な表情で頷いた。すんなりと飲まれたことに、蔵内は内心で驚く。だけれど──それはきっと恐らく、王子がほんとうに勝利に対して貪欲で、くだらない矜持に固執するほど愚かではない、筋金入りの負けず嫌いなのだということだろう。そういう性分は、きらいではない。
「勝つためなら、なんでもするよ。ぼくの力になって」
それはまるで純真な響きの「お願い」だったが、蔵内は彼の瞳を覗き込んで、息を呑んだ。
勝つためなら、なんでもする。
王子は決して軽々しくそんなことを言ったわけではないと、思い知ったからだ。
未だ味わえずにいる勝利を求め、ぎらぎらと輝く眼の、そのひかりの、なんと強いことか。
それを見て、蔵内は。
蔵内は幾度か瞬いて、静かに息を吐き出した。
「そう、王子の……、あいつのそういう負けず嫌いなところが、うつくしいと思ったんだ」
「美しい?」
きょとん、と、娘はただでさえまるいその眼をますます大きくした。
「おとうさん、へん!」
「……そうか?」
「そうだよ! 負けず嫌いでがむしゃらなのって、なんかこう……泥くさいとか言うんじゃないの? だって、わたし、そう言われるもん。きれいなんて言わないでしょう?」
そう言って傾げられたちいさな頭を、蔵内は撫でた。
「見た目だとか上辺だけの印象の話じゃないさ。おまえもそうだよ。──目標に向かって、苦しくてもひたむきに努力できるひとは、うつくしい。……お父さんはそう思う」
むうっ、と頬を膨らして蔵内の手のひらを避ける、その動作が照れ隠しであることを、蔵内はよく知っている。
蔵内自身も、負けず嫌いだと言われる性質ではあるが──王子やこの子のように、手段を惜しまず、どんな目で見られてもその歩みを止めないということが、どうにもできなかった。
その冷静さこそが強みだと、蔵内は度々評価される。自分でもわかっている、それはけっして能力の不足ではなく、できることがちがう、ということだ。王子の持ち得ないところを蔵内は補うことができるし、また、逆も然り。
だからこそ、彼らの生きざまを、敬愛するのだ。
「それで?」
「うん?」
わざとらしく腕を組み、眉を吊り上げて、娘はつっけんどんな物言いをした。あのね、と言葉尻は穏やかながらも声音が強い。
その態度は、どこか橘高に似ているような気がした──この子は彼女にたいそう懐いているようだから、真似をしているのかもしれない。
「羽矢ちゃんは『凄く情熱的な一世一代の告白だったわ』って言ってたの! ね、パパ、どうだったの? 泣いちゃったりした?」
だが、腕を引いてねえねえと強請る姿は、まだまだこどもだ。蔵内は笑って、今度こそ娘の頭を撫でた。
「泣いちゃったり……は、ちょっとだけ、あったかもしれないな」
「ほんとう?」
「ああ。でもなあ、一世一代の、か……あのときのこと、そんなふうに言われると、お父さんは……ちょっと恥ずかしく思う」
「えー? どうして?」
「どうしてって……」
あたりまえのように何故を問う娘は、さながら天使のように無邪気だ。──などと思うのは、所謂親馬鹿の思考回路かもしれない。
蔵内はほんの一瞬だけ息を詰めて、それからゆるく頭を振った。脳がやんわりと追想を拒否している。そっとため息を吐いて、両の手の指を組む。
「……お父さんは、振られたからだよ」
正確には──告白なんて、していない。
蔵内はそれを、させてもらえなかったのだ。
その日、蔵内が対戦ブースの区画に顔を出すと、なんとなく辺りがざわついていた。
なにかあったのかと待ち合わせ相手──王子と神田をさがして、視線をぐるりと巡らせる。階段をいくつか上った先に、神田の姿があった。向こうも蔵内に気がついて、おおい、と手を振ってくる。
「蔵内! よいしょっと」
神田はひょいと柵を乗り越え、蔵内のいるところまで軽々と跳び降りた。トリオン体はこういうときに便利だ。
「王子はどうしたんだ?」
「あー、あいつは個人試合やってる」
「試合? 誰と」
「うん、……」
姿の見えない王子は、対戦中だという。蔵内が相手を問うと、神田はモニタを指した。
確かに、そこに映っているのは王子だった。五本勝負の表示。白い隊服がちらちらと躍る。相手側にいるのは、見知らぬ女子だ。C級用の戦闘服を着込んだ彼女は、明らかにたじろいでいた。
王子のスコーピオンが彼女を追い詰める。弧月やシールドでそれをどうにか防ぐことしかできていない相手は、どう高く見積もっても王子の敵ではない。何をやっているんだ、と蔵内は首を傾げた。王子なら簡単に急所を貫けるだろうに。じわじわとトリオン体を削るようなやりかたは、相手をいたぶっていると思われても仕方がない。
こんな一方的な試合では、まるで王子が、悪役のようだ。
「どうしてC級相手に、あんな……」
困惑する蔵内に神田は答えなかった。ただ、黙って試合が終わるのを待つ。それはそう長くかからなかった。
試合は五対〇で、王子の圧勝だった。
二箇所の扉が開き、それぞれのブースから対戦終了後の二人が出てくる──と、敗北した隊員が王子に駆け寄った。ちょうど、先ほど神田が立っていた辺りだ。王子はそれを躱すようにして階段を降りてきたが、相手がそこに追いすがる。
「やあ、ふたりとも。ちょっと早いけど、もう作戦室に──」
「王子先輩!」
早口に喋りはじめた王子を、高い声が遮った。王子の腕に細い指をした手が絡むのを、蔵内はどこか落ち着かない気持ちで見た。
「あのっ、王子先輩、わたし──わたし、」
王子に敗れたばかりの少女は、声を上擦らせて何事かを言い淀んでいる。それを冷ややかな目で見て、王子はため息を吐いた。
「きみ、しつこい」
「王子?」
どうしたんだ、と蔵内は訊ねようとして──その寸前、王子は女子隊員の手をぱしんと払った。
「ぼくが勝ったら話はおしまいって約束だったよね。しつこいよ。ぼくはきみとは付き合わない」
「ん?」
「おい、王子!」
──なんだって?
ほんの一瞬、蔵内は思考を停止した。その間に、神田が王子を諫めている。けれども王子は取り合わなかった。近頃の彼にしてはめずらしく、露骨にいらついた様子で相手を見据えている。
それはまるで、出会ったばかりの頃のようだった。きみみたいな人間はきらいだと、そう吐き捨てたあの頃の瞳。
「あ、あの、わたし、」
「持ちかけたのは、きみだよ。ぼくと勝負して、きみが勝ったらお付き合いする。ぼくが勝ったときの条件すら示さなかったね。それはつまり、ぼくの視点でものごとを考えるつもりがないってことだ」
「……あ、それは、その……」
たじろぐC級隊員を無視して、王子は喋り続ける。
「試合の勝ち負けで関係を変えようだなんて、どうしてぼくときみみたいな浅い間柄で成立すると思ったのか、ぼくにはさっぱり理解できないね。ここにいる神田やクラウチみたいに、信頼できる相手に言われたならまだしも。ぼくはきみの名前だって知らないのに?」
「う、……ご、ごめんなさ、」
「謝らなくていいよ。ぼくの言ってること、きちんと理解できてるわけじゃなさそうだから」
女子隊員はほとんど泣きそうになって謝罪を述べようとした──が、それも王子に遮られた。彼のよく通る声は人々の注目を集めた。なんだなんだと辺りがざわめき、ちらほらと人が集まってくる。普段ならばそれを意識しない王子ではないだろうに、いまの彼は、まるで周囲が目に入っていない。──怒って、いる。それをわからないほど、蔵内と王子は浅い仲ではなかった。
王子曰く、この隊員は「自分が勝ったら交際すること」を条件に、王子と勝負した──本人も、それを見ていたらしい神田も否定をしないので、間違いないのだろう。
たしかにあまり褒められた行いではない、と、蔵内は思った。好意の押し付け。この場合、王子は被害者と言っていい。だが、それにしたって。
「きみだって、まさかぼくに勝てるだなんて思ってないだろうから──そうだね、きみの狙いは」
「あ……」
「健気な自分を見せつけて、すこしでも意識してもらおうとした、ってところかな。打算的だね」
その途端、かくん、と、彼女の足から力が抜けた。くずおれたその姿になんと声をかけるか迷い──蔵内は、落ちる涙に気がついた。
「う、うう……ごめんなさい、ごめんなさい……」
ざわ、とにわかに場が騒がしくなる。はっとして、蔵内は王子の手をとった。
「王子!」
「なに、クラウチ」
「言いすぎだ!」
常より険しくなった王子の眼が、じろりと蔵内を睨んだ。その隙に神田が、うずくまっている隊員を立たせて目立たない場所へと連れていく。
辺りの人垣はすこし崩れて、遠巻きに蔵内と王子を見守っていた。
「自業自得だと思わない? 話しかけてきたのは彼女からだよ」
王子はやはり、周りの視線を意に介さない。蔵内は内心ひやひやしながらも彼に向き合った。
「限度ってものがあるだろう。──おまえはもう、そんな露悪的な物言いをするやつじゃないはずだ」
「…………わかったような口をきかないでよ」
「王子?」
俯いた王子を見やる。背の低い彼が下を向くと、自然、蔵内の視界は彼のつむじでいっぱいになる。表情が見えない。
握りしめた手が、わずかに震えているような気がした。ぐっ、と引っ張られた手を、離すまいとさらに強く握り込む。
――このときの王子がこんなにも感情的だったわけを、蔵内は神田からのちに聞くこととなる。あのC級隊員の発言があまりにも迂闊だったということ。しかし、このとき蔵内にそれがわかるはずもなく、迷子のこどものような王子の態度に、ただ困惑した。
「うんざりなんだ、もう──見た目だとか、名前だとか」
それは──その気持ちは、蔵内にもわかった。容姿で判断されることにはおぼえがある。ましてや王子はその名前からも、からかいや過剰な期待を抱かれることが多かった。
彼の排他的な態度は、無理解への苦しみなのだと、蔵内は、もう、よく知っている。
「……きみは、そういうものでぼくを見る人じゃないって、信じてたのに」
蔵内は目をまるくした。
「ちがう、王子、俺は」
慌てて弁明しようとする。だが──なにが違うのだろうか?
蔵内はたしかに、王子の気持ちを慮ることができる──が、それと同時に、あの女子隊員が王子へ抱いたであろう憧憬も、すこし、理解できてしまったのだった。
彼女とは、きっと動機は異なるけれど。
こころの奥底、やわいところに、未だ払拭しきれない疑り深さを抱える王子に、わかってもらうには。
「やっぱり、わかってくれないんだ、きみも」
「──、聞け!」
ばちん、と、蔵内は両の手のひらで王子の頬を挟んだ。
「王子、俺みたいに信頼できる相手なら、と言ったな。──いまから俺は、おまえに五本勝負を申し込む。もしも俺が勝ったら、俺の言うことを信じてくれ」
「え、……クラウチ、なに」
「もちろん、信じるなんて強制できることじゃない。だから、信じる努力をしてくれ。──いいか王子、」
ふたりが出会ったばかりの頃のように、ふたたび王子が心を閉ざしてしまうこと。それだけは、堪えられない。
そう思ったから、蔵内はせいいっぱい伝えることにした。自分が好いているのは王子の見た目や彼に貼られがちなレッテルではなく、その負けず嫌いなところ、努力を惜しまないところ、矜持を忘れないところ、そういった内面こそなのだと。
簡潔に、蔵内は言った。
「俺は、王子のことが」
「おとうさんカッコイイ! なんか思ってたのとちがうかもだけど、カッコイイからいいかも。それで、勝ったのね?」
「いいや、お父さんは負けたんだ」
「えっ……はああ!?」
大声をあげた娘に、蔵内は苦笑した。
嘘ではない。蔵内が王子に申し込んだ試合の結果は、二対三で、蔵内の逆転負け。
『ぼくが勝ったんだから、約束はナシだよね? ……でも、きみの気持ちは、伝わったよ』
そう言った王子の姿を、蔵内は未だにおぼえている。あの頃の王子はまだ幼さがあって、声も高く、照れたようなしぐさには、とてもかわいげがあった。──スコーピオンで蔵内の喉笛を掻き切った直後のことではあったけれど。
「だから、振られたんだって言っただろ?」
「そんなぁ……。だったら、パパはどうしたの?」
とうに過ぎたむかしのはなしだが、残念そうな声をあげる娘は、いつかの蔵内に本気で感情移入しているようだった。感受性の豊かな子だ。彼女を安心させるべく、蔵内は、だいじょうぶだよ、とその頭を撫でる。
「パパはこう言ったんだ──」
「「『勝ったほうに告白する権利があるんだろう? すきだよ、クラウチ』って」」
すこし高い声。自らの言葉とまったく同じ内容で重なったそれに、蔵内は振り返った。
「パパ! おかえりなさい」
「ただいま。ずいぶん懐かしい話をしてるね」
入ってきた扉をふたたび閉じ、着用しているネクタイをはずしながらソファの傍に寄ってくる彼──彼こそが、王子一彰。
蔵内の、生涯たったひとりのパートナーだ。
「遅くなっちゃってごめんね。ふたりともお腹空いてるだろう? こういうときは、先にごはん食べててもいいんだよ」
「ううん、いいの。パパと一緒がいいもの」
「それは光栄だ、ぼくのお姫さま。……で、なんで昔の話なんてしてたの? ちょっと恥ずかしいな」
わざとらしいほどに恭しい仕草で娘に傅いてから、王子は首を傾げた。すっかり上機嫌になった我が子は楽しそうに揺れている。
「あのねえ、羽矢ちゃんに聞いたの!」
「ああ、羽矢さんに。きみはほんとうに羽矢さんがすきだね」
「うん! そうだ、パパ、わたしスコーピオン使いはじめたの! 日曜日におとうさんと訓練したいんだけど、パパにも来てほしくて」
「姫の頼みなら、もちろん」
「やったー! 約束ね! じゃあ、ごはん食べよ!」
はしゃいだ娘はぱたぱたと食卓に駆けていく。──歳の割には賢い娘が、「だいすきなパパ」の前ではまるで幼くなるのは、いつものことだ。その後ろ姿を見送ると、王子は浅くため息を吐いた。振り返って、じと、と蔵内を見る。
「こどもにする話? 羽矢さんのことだからちょっと脚色して、ロマンチックとか言ったんだろうけど」
「聞きたいって言われて断るような話か? あの頃のおまえが攻撃的な物言いだったことは誤魔化したよ」
「…………クラウチだって、昔はもっと余裕がなくて、ぼくからしたらわけのわからないところばっかりだったよ」
すこし口を尖らせてそう言ってから、王子は肩をすくめた。それから手招きをするので距離を詰めると、蔵内の胸ぐらを彼の左手が掴んだ。ぐっ、と引っ張られて前につんのめり、──ふに、と、くちびるにやわらかい感触がして、ほんの一瞬で離れていった。
「──まあ、きみのそんなところが面白いと思ったんだけど、ね」
そうして、目を白黒させている蔵内を置いて、彼もまた食卓へと向かった。おとうさん、はやく、と娘の声に急かされ、蔵内は熱くなる頬をどうにかしずめながら返事をする。
キッチンに顔を出すと、彼女は茶碗に米をよそっていた。すこし離れたところ──冷蔵庫からテーブルまでを王子が往復して、事前に蔵内がつくっておいた料理を運んでいる。
「ありがとうな。あとはお父さんがやっておくから……」
「うん」
しゃもじを手渡され、蔵内は残りの茶碗に米をよそう。──と、その様子を、娘がじっと見ていた。どうした、と問うと、彼女はおとなびた仕草で、内緒話をするときのポーズをとった。蔵内はすこししゃがんで、話を聴く姿勢をとる。
あのね、と、おませな彼女は言った。
「パパって、照れ隠しにキスするくせがあるよね。おとうさん、流されちゃだめよ」
そのひとことで頭がまっしろになって、蔵内はこの日の夕食の味を、ろくにおぼえていない。