(サンプル)魔法を見せてあげる↓キャプションと同じ概要です。
王子の独立にあわせて、両片想いっぽいふたりがもだもだしているオハナシです。
王子視点→蔵内視点→王子視点、ときどき神田。そのほか弓場さんや18歳男子たちがちらほら。
勉強会(という名の集まり)をしたり、水族館デートをしたり、モールモッドと戦ったりします。
原作と同程度の欠損描写(トリオン体)があります。
「クラウチ、きみに魔法をかけてあげる」
□□□
賭けをしようと思うんだ、と、王子は言った。
「賭け?」
「うん」
王子と自分、ふたりぶんの紅茶を淹れて、神田はくるりと振り向いた。
弓場隊の隊室、主に作戦会議に使われる大きな机。王子はその椅子に腰掛けて頬杖をついていた。
神田の視線の先でうすら微笑みながら、なんでもなさそうに王子は言う。
「ぼく、弓場隊から独立をしようと思うんだけど」
「えっ?」
青天の霹靂。
ぎょっとして、しばし神田は動きを止めた。わずかのち、動揺しながらも紅茶の注がれたティーカップを王子の前に置いてやる。自分も席に着いて、なんだそりゃ、と頭を抱えた。
「いや……、はじめて聞いたな、そうなのか」
「きみにははじめて言ったからね」
「……他のみんなにはもう言ってあんの?」
「ううん。弓場さんにだけ」
あ、ののさんにも伝わってるかな? と王子は小首をかしげる。その平然とした様子を見て神田はため息を吐いた。ついさっき自身で淹れた茶をずるずると啜る。王子が好んでいる銘柄のこの紅茶は、上等なものらしい。が、神田に味の貴賤はわからない。買ってきたのは蔵内だ。
「それじゃ、『王子隊』、つくるのか」
「うん。目標は打倒弓場隊だよ。弓場さんの早撃ちときみの策略を超えたい」
「おー、言うじゃん」
軽口を叩いたらすこし落ち着いた。ふー、と息を吐いて、机の上で指を組む。
神田は、高校を卒業したら三門から去る。それはずいぶんと前から宣言していることで、弓場隊の誰もが知るところだった。だから王子の思惑はそれをふまえてのものだ。つまるところ、神田が卒業するまでに倒してみせる、と言われている。
「ののさんと蔵内にも勝つぞって言わなきゃ失礼だろー」
「オペレーターは……戦闘員とは勝手が違うからね。もちろん動きで攪乱したりはできるけど、そもそも土俵が違うように思うよ。強いて言うなら、ののさんのオペレートに裏打ちされた強さを超えたい、ってところかな。それから、」
クラウチのことだけれど。
王子は淀みなく動かしていた口を急につぐんだ。
なるほど、と神田は心中で合点した。突如切り出された独立宣言には驚いたが──本題はきっと蔵内のことだ。
王子と蔵内は仲が良い。馬が合う、とはまさにふたりのことを指すのだと思う。似ているところも違うところも、互いが互いをおもしろいと思って、傍にいることを選んでいる間柄。
攻撃手と射手、新しく隊をはじめるにはバランスのよい組み合わせでもある。独立するにあたって、王子は蔵内を連れて行きたいのだろう。
いや、すでに王子と蔵内、弓場の間では話がついているのかもしれない。王子と蔵内と神田は同い年でよくつるんでいるから、ふたりで隊を抜けることがうしろめたいに違いない。
「ぼく、クラウチのことを」
ぽつりと落とされた言葉のつづきを待ってやる。
──『連れて行きたいと思ってるんだけど』。
そう告げられるのだと思い込んでいた神田は、
「恋愛感情としてすきみたいなんだけど」
「へあっ?」
──王子の放ったひとことを聞いて、頓狂な声をあげた。れんあいかんじょうとして、すきみたいなんだけど? 驚きのあまりにそのまま復唱する。
「レンアイ、? 恋とか? 愛とか?」
「うん、恋とか愛とか。ぼく、クラウチがほしいんだ」
まるで新しい服が欲しいとでも告げるように、王子の口ぶりは軽い。めまいのような感覚をおぼえて、神田はひたいに手をやった。うーん、としばらく唸って、苦笑いを王子に向ける。
「……はじめて聞いたなぁ」
「はじめて言ったからね」
うっかり先ほどと同じ言葉をくりかえして、先ほどと同じ返事をされた。王子は静かにわらっている。
「これはね、ほかの誰も知らないことだよ。それにぼく自身、最近になってこの気持ちに気がついたし」
「待ってくれ、じゃあ……王子、蔵内と付き合いたいんだ?」
確認するように問うと、王子は首をかしげて答えた。
「どうだろう。キスやセックスはできると思うけど、積極的にしたいとは思わないね」
「セ、」
あまりに明け透けな物言いにさすがの神田も怯んだが、それに構わず王子は話を続けている。
「でももしクラウチがそういうことを誰かとするなら、それはぼくがいいんだ。……ぼく以外とはしてほしくない。これは恋だよね?」
「あー…………たしかに」
恋愛の定義。そんなもの、誰にだってわからない。けれども王子のそれが独占欲であることに間違いはないだろう。王子自身が恋だと言うのならば、否定する理由は、ない。
しかし──驚いた。王子と蔵内、ふたりの間で相互に向いている感情はあくまで友愛だと思っていた。神田にしてみれば、応援したい気持ちもあるし、なんだかさみしいような気もする。けれども何より相応しいのは、「しっくりきた」という表現だろう。
しっくりくる。肩をならべて笑いあっているふたりが、いまよりもうすこしだけ甘やかな距離を手に入れること。──それは驚くほど簡単に、想像のつくことだった。
「でもなんでまた、そんな大事なこと俺だけに話したんだよ」
神田は問うた。王子と蔵内共通の友人として秘密を打ち明けてもらえるのは嬉しかったが、ほんとうに自分だけが聴いてよいものなのだろうか。
──応援してほしいというならば、それなりにしてやりたい、と思うけれど。
「ああ、そうそう。だからね、賭けをしようと思って。きみには証人になってほしいというか」
「証人?」
「うん、ぼくがこの賭けをしたことを知っててほしい」
見守ってほしい、と言う王子はあまりに綺麗に笑んでいて、神田はそれを断ることができない。
「ぼくはね、新しい部隊にクラウチを誘わない。……クラウチのほうから着いて行きたいって、言ってくれるのを待つんだ」
いかにも余裕のある態度で王子は指を組んで、そこにちいさなおとがいを乗せた。
にこ、と微笑めば、そこに在るのはおとぎ話に出てくる王子様そのものだ。
「賭けだよ。クラウチが弓場隊にとどまるのなら、ぼくらは変わらずいい友達。よき好敵手だ。でももしクラウチがぼくに着いて来てくれるのなら」
笑顔の性質が変わる。くちびるの端をにい、と吊り上げた笑みは、戦いの最中に王子が見せる顔だ。強敵に対峙したときの顔。──あるいは、作戦が上手くいったときの顔。
「そのときは、クラウチに告白する。……絶対に手放さない」
「あっはは! オッケー貰える前提なんだな」
大きく笑った神田を見、きょとん、と王子は目をまるくした。首をかしげて目線を上にやってから、うん、とひとつ頷く。
「だって、ぼくはこれからあの手この手でクラウチと一緒の時間を過ごして、ぼくを好きになってもらえるように仕向けるよ。宣言したからにはね」
「うわ、こわいこわい。……ま、俺も応援するよ。告られたらオッケーするくらいには、蔵内も王子のこと好きだと思うからさ」
「……」
紅茶を飲み終わったカップとソーサーを手に、神田は立ち上がり振り向いた。
「…………それほんとう? カンダタ」
その背に、すこしだけ弱気な声がかかる。
ん? ともういちど王子のほうを見ると、彼の碧眼が上目遣いに神田を見つめていた。わずかに迷うような素振りのあと、つい先ほどまでの堂々とした態度とは打ってかわって、ふう、と王子がため息を吐く。
口角こそ上がったままだが、これは真剣に物事と向き合っているときの表情だと、そう神田は思った。
「クラウチのことを考えると、……まるで魔法にかかったみたいなんだ。クラウチも、ぼくのことでこんな気持ちになってくれると思う?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
これだから王子一彰には飽きない。獲物を狙う獣の顔をしたと思えば、次の瞬間には驚くほどのかわいげを見せる。同学年ではあるけれど、ふとしたとき、まるで年下のきょうだいを相手にしているような気持ちになるのだ。
勝利を確信しているようなふりをして、その裏にあったほんのすこしの心細さを吐露してくれた彼を、安心させるように。神田は飄々と言葉を紡ぐ。
「きっとうまくいくって。おまえら、似た者同士だからさ」
□□□
廊下を歩きながら、王子は蔵内に話す内容を考える。メンバーはどうするんだ、ポジション構成は、問われるであろうことをうまく誤魔化さねばならない。
それとなく直通通路の出入口付近をチェックしながらラウンジへ向かう。作戦室にはいなかったから、蔵内はラウンジにいるかまだ基地へ到着していないか、そのどちらかのはずだ。
結局蔵内は見当たらないまま、王子はラウンジへと辿りついた。見渡すと、特徴的な頭の隊員と向かい合って席に着いている姿がある。
「やあ、クラウチ、みずかみんぐ」
「王子」
「おつかれさん」
挨拶を交わして、水上の隣に座る。それを見たふたりは眉を上げてほんのすこし目をまるくした。蔵内の隣が空いていれば、そこに陣取るのが王子の常だった。それをよく知っているふたりは、どういう気まぐれだろうかと王子の顔を見る。
「……どしたん。なんか用事でもあんのか」
「うん。話したいことがあって」
「蔵っちと、俺にも?」
「クラウチに話そうと思ってきたんだけど、ちょうどいいから、みずかみんぐにも」
弓場隊の全員に話し終えたなら、あとは身近な者から広めていってもいいな、と考えていたのは事実だった。
王子は足を組んで膝に手を置き、神田や藤丸に話したときと同じように、なんでもない風を装って口を開く。──ほんとうは、すこしだけ、緊張している。
「ぼく、弓場隊を離れて、新しい部隊をつくるんだ」
「は?」
「……えっ、」
間髪入れずに声をあげたのは水上で、蔵内はやや間を置いてから反応を示した。彼にはめずらしく慌てた様子で、王子のほうに身を乗り出す。王子は小首をかしげて応じた。
「待て王子、それは……いつだ? ランク戦はどうするんだ」
「今期のランク戦いっぱいは弓場隊にいるよ。弓場さんたちにはもう話してある」
「……あとひと月か? 隊員は、」
「オペは伝手がありそうなんだけど、戦闘員はこれから。弓場隊を抜けた後でさがしてもいいわけだし」
「だ……れも、誘ってない、のか」
「うん」
矢継ぎ早に訊ねる蔵内はほんとうにずいぶん慌てていて、王子はすこし嬉しくなる。はじめこそ声をあげたものの落ち着いた様子で、へえ、ふうん、と相槌を打っている水上とは、対照的だ。それだけ蔵内にとって、王子が隣にいることが当たり前になっている──ということの、はず。
自惚れても、いいのだろうか。
「クラウチ、びっくりしすぎだよ」
あはは、と王子が笑ってみせると、蔵内はため息を吐いた。
□□□
王子と蔵内と神田、三人で連れ立って帰ろうとしたところを弓場に呼び止められた。
「王子、おめェーは残れ。話がある」
「はい」
新部隊発足に関してだろう。他の皆が作戦室を後にし、弓場と二人きりになる。王子は弓場との間に机を挟んで立った。弓場が座らないから、王子も座らない。
「新しい隊についてだが」
「はい」
思ったとおりの切り出し。何を告げられるのだろう、と王子は考えた。
──王子は遠くへ行くわけではないけれど、送別会のひとつでも開いてくれるのだろうか。我らが隊長、弓場拓磨は、それはもうたいへんに義理堅いひとだから。
呑気に思考する王子の前で、弓場は腕を組んで堂々と立ったままでいる。彼が席に着かないのはいつものことだけれども、換装した姿ではなく生身で見下ろされるのは、そこそこにめずらしい。前髪の上がった弓場ばかり見慣れているから、なんだかふしぎな心地になる。いつものように叱られたり発破をかけられるというよりは、諭されるような。
チッ、と、弓場は舌打ちをひとつした。ひたいに刻まれた皺の数がいつもより多い気がする。換装した姿のときは、眉間の皺のぐあいまでカスタムされているのだろうか。
「蔵内は連れてかねェのか」
「……はい?」
それは予想だにしなかった質問だった。王子の口から間抜けな声が漏れ出る。
「蔵内を『王子隊』に入れるんじゃねェのかって言ったんだ」
「え……なんでクラウチ連れてくと思ったの、弓場さん。ぼく、そんなのひとことも言ってないよ──」
「敬語。隊長やるってんなら、示しがつかねェーだろうが」
□□□
ああ、と荒船は頷く。ただし声の調子は蔵内の言を肯定するものではなく、納得がいった、という様子だ。
「ボーダーのことじゃない。アレだ、お勧めの。……俺じゃわからないから那須に聞いた」
「那須?」
ボーダー随一の変化弾の使い手に何の用が、と首をかしげかけて、ボーダーに関する用事ではないのだ、と思い直す。
続いた言葉に、蔵内は目をまるくした。
「いまやってるヤツならダントツでお勧めなのは『君に恋した日曜日』。次点で『コーヒーくんとはちみつティーちゃん』。ただし『キミコイ』を観るなら前作を観ておくこと推奨、だってよ」
「は?」
「ん?」
蔵内が頓狂な声をあげ、それを受けて荒船が首をかしげた。
荒船が挙げたのは、どちらも映画のタイトルだ。いまやってるヤツ、との言葉どおり、どちらも現在全国の映画館で上映されているもので、蔵内の記憶が確かならば、両方ともに原作があるはずだ。
そしてその原作とは、どちらも、恋愛ものの、少女漫画だった。
「……会長と観に行くんじゃないのか?」
□□□
──王子と犬飼が、二人でプリ。プリ? プリというのはプリクラのプリだろうか? まさかプリンスのプリではあるまいし。
相も変わらず忙しそうにしている王子は、弓場隊を離れて新部隊のオペレーターと過ごす時間が増えた。弓場隊の作戦室に戻っているときは、だいたい何らかの書類を手に、弓場や藤丸に質問をしている。
ゲームセンターに行く時間など、どこにあるのだろう。それ以前に、なぜ、プリクラ?
「……男二人で?」
「あはは、そう、男二人で!」
困惑を隠せないままに蔵内が聞き返すと、犬飼はけらけらと笑った。
「女の子がいないと追い出されちゃうところもあるけどね。オージがやったことないから撮ってみたいって。なーんか、恋人ができたときの予行練習だよーとか言って、ふざけてたけど……アレ、会長、オージから聞いてないの?」
□□□
──そうか、この先、王子と敵対する可能性があるのか。
蔵内はいまはじめてそれを思った。
王子とは何度も模擬戦をやったことがある。むしろ、王子が一騎討ちをやろうと持ちかける相手は、たいていが蔵内だった。弓場は王子に挑まれてもあまり相手にしなかったし、神田は──王子曰く、「カンダタとは団体戦がやりたいよね」。
けれども、違うチームに属し、王子が蔵内のことを完全に「敵の駒」として見るのだと思うと、すこしのどの詰まるような思いがした。
「ゾエさん、ちょっとわかるなあ」
北添がしみじみと同意した。ポテトチップスを二枚いっぺんに掴んで、ばり、と頬張る。
「みんなでやる模擬戦とかなら、カゲと戦うこともあるけど。違う部隊に所属して敵対するっていうのは、なんだかしっくりこないよねえ」
「んなことねーだろ」
唇を尖らせて言う北添に、当真が否定を返す。こちらは棒状のチョコ菓子を口に咥えていた。当真が喋るたびに、ぴょこぴょこと菓子が上下する。
「あんまり固まってると、そのうち上層部にバラされるんじゃねーの? で、やらされたらやらされたで、意外と違和感ねーもんだと思うぜ、俺は。たかが部隊が変わるだけだろ?」
「そう? それって当真が一人で動く部隊だから言えちゃうんじゃない? ──あっ、そうだよ。おれと辻ちゃんとか、会長とオージとかって、ニコイチ、ってやつだよね」
□□□
明るく笑って王子は立ち上がった。威張るように腰に手をあてて胸を張る。それから学習机に凭れかかって、腕を組んだ。蔵内の手元に広げられたプリントを覗き込む。
「どこがわからないの? クラウチ」
「ああ、ここなんだが……一応、考えるだけは考えたんだ、確認したくて」
「ふーん?」
至近距離で首をかしげられるのは、すこし、緊張する。空の色をした瞳が、じっと蔵内を見た。
シャーペンをとって、字を書き込んでいく。かりかり。解答だけではなく中途の思考も書き込んで、言語化してゆく作業をする。蔵内が音を発さずに言葉を重ねてゆくさまを静かに見守って、そっと、王子の左手が、ペンを握った蔵内の手に添えられた。
「クラウチ、ここ。答えは合ってるけど、すこし飛躍してるね。他の問題でこれをやると間違えるよ。だから、まず、こっちを……」
賢い王子のこと、蔵内の解答を見るや否や、すぐさまに問題点がわかったようだった。そのまま蔵内の手を使って、紙の上に文字が書き連ねられていく。
──いくら他者から、気の合うふたりだ、所謂ニコイチだ、と言われていたって、密着した姿勢はすこし恥ずかしい。こそばゆく感じる蔵内に対して、王子はあくまで平然としていて、蔵内はなんとなく罪悪感をおぼえた。
自分ばかりが意識しているようで、気まずかった。瞬間、ちらと逸らした視線が、ちょうどこちらを見ていた犬飼とかち合う。
犬飼はいちどまばたきをしてから、突然、ばっと手を挙げた。
「センセー! 家庭教師のオージさんが、えっちな個人指導してまーす!」
「ぶっ、わはは、どういうノリだよ、それ」
「出たな、色仕掛けで法外な授業料を請求する悪徳家庭教師。蔵っちを誑かそうとしたってそうはいかへん」
「ふたりとも何言ってるの、もー、オージも蔵っちも困ってるでしょ」
それぞれに騒ぎだした四人を見て、王子がため息を吐いた。握られていた手がぱっと離れていく。
「失礼だなあ。ぼくは来週には弓場隊を離れるんだよ? いまのうちにスキンシップの一つや二つ、えっちな個人指導の三つや四つくらいするよ!」
□□□
その恋の実らないこと、ただそれだけに、第三者である神田がどうしてこんなにも焦れているのかというと、それは王子の方針と蔵内の態度にあった。
蔵内が弓場隊を辞めて王子と共にゆくことを決めたならば、王子は絶対に彼を手放さない。それが王子の言い分だったが、つまりは、蔵内が言い出さない限り、王子は蔵内を手に入れるつもりがない。どころか、永遠にその手を離してしまうつもりでいるらしい。蔵内は蔵内で、王子が自分を指名しないのならば、彼のつくる部隊に自分は不必要なのだと、そう思い込んでいる。これではすれ違いだ。
双方の考えが見事に行き違った結果、そのどちらもが望んでいない別れが、ふたりに差し迫っている。
共通の友人として、また、彼らがお互いに想い合っているのとは異なる意味で、ふたりを大切に想っている身として、もどかしく思う。
だから、神田はいま、目の前にいる王子を、どうにか説得しようとしている。
「自分でタイムリミットつけて、それでこの先も一生諦めておしまいのつもりなんて、勿体なくね?」
──賭けをするのだと、そういう言いかたを繰り返している王子は、その賭けに「敗け」ようものならば、自分の気持ちまで棄ててしまおうとしている。やるせなくてしかたがなかった。
そんなことは、しなくていいのだ。
「……あのね、カンダタ」
ふう、とひとつ息を吐いて、王子は弓場隊作戦室の机に頬杖をつく。まだ弓場隊の隊服を着ているが、一週間後の彼は違う服を着て違う隊室で笑んでいるのだと思うと、すこし寂しい。
□□□
水族館の入口は広く、シンプルで清潔感があった。チケットカウンターへ向かおうとする王子を、蔵内が呼び止める。
「王子、待ってくれ」
「ん?」
「そこに立ってくれないか? 写真が撮りたい」
言われて、飾られている水族館の名が写り込むように立つ。軽くポーズを取ってみせると、蔵内がファインダーを覗き込んだ。カシャ、とシャッター音が鳴る。
「……撮れた。ありがとう」
「どういたしまして? この場合、お礼を言うのはぼくのほうじゃない?」
律儀な彼は、撮らせてくれてありがとう、なんて、そんな謙虚が過ぎることを言う。
「王子が写ってくれると、画面が華やかになるからな」
さらりとそう言ってパンフレットを取り、改めて受付に向かう姿を見ながら、──そういうところがすきなんだよなあ、と、王子は思った。
水族館に入ると、ひんやりとした温度の心地よい空間が、静かに王子と蔵内のふたりを迎えた。客の姿はちらほらと見えるが、賑やかな様子はなく、ただ穏やかで静謐な時間が流れている。
最初のコーナーには、円筒形のちいさな水槽が立ち並んでいた。
「川魚? ちいさいのがたくさんいる」
「このあたりの魚らしいな。あんまり見たことはないけど」
「『河川敷マップ』ならよく行くけどね。あれに魚はいないだろうし」
「そうだな……」
会話を交わしながら蔵内はすっとしゃがみ込んで、さっそく写真を撮りはじめる。王子はすこし離れてそれを見守った。水槽の周りをゆっくりと歩いて、蔵内から遠ざかる。
カメラを操ることに集中する、蔵内の真剣な横顔。すこし遠くからそれを見て、なんともいえない幸福な気持ちになる。勉強しているときだとか、王子とのチェスゲームに臨んでくれるときだとか、彼が誠意をもってやりたいことに取り組んでいる姿はとても格好良くて、王子の目に魅力的に映る。
「王子、この水槽、イモリが入ってるぞ」
「うん?」
ぐるりと回って蔵内のもとへ戻ってくると、蔵内は水槽の下のほうを指差してそう言った。見れば、たしかにちいさな黒いとかげがいる。水槽の表面に、アカハライモリ、と解説が貼ってあった。
「ほんとだ。……いっぱいいる!」
蔵内の隣にしゃがんで覗き込むと、死角になっていた場所に二匹三匹とその姿を見つけた。そのほとんどが微動だにせず、中には目を閉じているものもいる。
「イモリって目を閉じるんだね……寝てるのかな? ぜんぜん動かない」
「ふ、……」
「クラウチ?」
じいっと水槽を観察する王子の隣で、蔵内が吐息だけで笑いそうになって、押し黙った。振り返ってなにかと問えば、苦笑して蔵内は言う。
「いや、……悪い、この間の王子を思い出して」
「え?」
「勉強会の。よく寝てたよな」
目を細めて笑う蔵内に、む、と王子は口を尖らせた。
□□□
ガシャン、ぱりん、と何らかの破壊音が響く中を、人々が逃げ惑っている。ガシャガシャガシャ、ひときわ大きい音の発生源を見やると、巨大な蠍のような姿が見え隠れした。
「まずい、モールモッドだ。逃げ遅れてる人たちを助けなくちゃ。もしやられたらすこしの怪我じゃ済まないよ」
「レーダーの反応は二つあるな。王子、見えたか?」
「いや……見えたのは一体だね。もう一体もすぐ近くにいると思うけど」
王子は吹き抜けの柵に足をかけた。佩いている弧月に手をかけながら、早口に言う。
「指揮権はぼくがもらうよ。──まず、ぼくはモールモッドをおびき寄せて、足止めする。クラウチはその隙を見て、一階と二階の民間人を救出および避難誘導。一階の避難が終わった時点で、ぼくは敵をそちらに誘導、討伐に集中。一階・二階クリア後、蔵内は三階より上階にいる人をさらに上層階へ避難させる。場合によっては援護。──とにかく、きみの優先行動は避難誘導だ。いいね?」
「蔵内、了解。ただしすこしでも危なくなったらすぐに言ってくれ。……緊急脱出が使えないんだからな」
「了解。お互いにね。──行くよ」
足元の柵を蹴って、跳んだ。同時に蔵内も、王子とは違う方向に跳躍する。
「誘導弾!」
吹き抜けを落下しながら、細かく割った弾トリガーを放つ。ドドド、と着弾音がして、手応えがあった。二階フロアにスコーピオンの刃を引っかけて着地する。
王子に気付いたモールモッドが、アパレル店のショーウィンドウを踏み割って吹き抜けのほうへ出てきた。レーダーに映っていたとおり、やはり一体ではなく、二体いる。
『二体とも釣れた。クラウチ、二階から避難誘導お願い』
『ああ、無理はするなよ!』
モールモッドたちが元いたあたり、破壊された店舗内に蔵内が入ってゆくのが見えた。それを遮るように、視界内にモールモッドが躍り出る。するどい刃を弧月で受け止めて、王子は再び誘導弾を放った。半分は目の前に、もう半分は後ろに回った敵に。──ただしトリオンキューブの分割は細かく、威力は控えめだ。牽制のための射撃。
□□□
「……きれいだね、クラウチ」
そっと、王子は告げた。
主語は省いた。王子の想いは伝わらなくてよいのだ。じっと見た蔵内の眼、ひとえのまぶたが、ぱち、とまばたきをする。涙がころりと落ちた。高い鼻梁の下のくちびるがわなないて、ああ、きみはほんとうに泣き虫だね、なんて、王子は笑おうとして、
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雰囲気小説とラブコメを行ったり来たりするようなオハナシです。
関西弁がまったくわからないので、水上のセリフに不自然なところがあるかもしれません。
よろしくお願いいたします。