ただきみのしあわせをねがう 文献を調べる。これではない、これでもない。
人魚の男と人間の女の恋の顛末。人間の男と人魚の女の恋の障害。
文献を調べる。これでもない、これではない。
陸に上がった人魚が気をつけなければいけないこと。海に入る前の人間が準備しておくべきこと。
文献を調べる。文献を調べる。
そもそも恋とは。そもそも愛とは。永遠を誓うとは、番うとは、告白とはなにか。
人間になる、もしくは人魚にする魔法薬の作り方なんてとっくに理解している。完璧に作用させる自信はある。味の方はまだまだ改良の余地があるとしても。自分が飲むなら耐えられるが、相手が飲むならもっと甘く美味にしなければならない。
そんなことは少し時間と手間をかければおそらく簡単にできるのだ。
文献を調べる。文献を調べる。
いくら調べても出てこないものがある。
僕は王子ではないし彼女は姫ではない。劇的な出会いを演出するチャンスは過ぎ去り、格好をつけるどころか一番見られたくないと思っていたところを全てさらけ出してしまった後で。同じ学年でもない、同じ部活でもない、同じ寮でもない、共通点が見つからない。合わせようにも彼女の好きなものがわからない。聞き出せない。確信が持てない。
文献を調べる。いくら調べても出てこない。
アズールとオンボロ寮監督生の関係を発展させるための参考文献が、全く見当たらない。
……と。
モストロ・ラウンジ営業開始前のVIPルームにて、概ねそんな内容の相談をアズールから持ちかけられたジェイドは、目の前で真剣な顔で食い入るようにこちらを見つめている旧友をまじまじと見つめ返してしまった。
そう、彼は真剣である。
笑ってはいけない。大切な友人の努力を、想いを、覚悟を——
「……んん゛っ」
「今笑いを噛み殺しませんでしたかジェイド」
「まさか。そんなわけないでしょうアズール」
危なかった。彼のユニーク魔法が自分と同じものだったら内心面白がっていることがバレるところだった。
完璧に取り繕った笑顔でジェイドは言う。
「ところで、結局アズールの知りたかったことは何なのですか?」
「さっきも言ったでしょう。……彼女との関係を、もっと、その」
「番になりたいと、そういうことですか」
「つがっ! ぼ、僕はただもっと彼女と親しく、いやなんというか何をしたら喜んでもらえるかとかどんなものが好きとか欲しいものとかやってみたいこととか、そういうことを」
「なーに話してんのー?」
のしっ、と背後にかかる重さ。あまりの動揺に彼が部屋に入ってきたことすら気付かなかった。片割れと違い、彼は隠し事やこういった機微に疎い……というより頓着しない。だからあえて呼ばなかったのだが、それが面白くないのだとフロイドの表情と声が何よりも雄弁に語っていた。
「てかさー、オレが途中から部屋にいたのも全然気付いてなかったよねアズール。まじで今ポンコツじゃん、うける」
「ぐっ」
返す言葉もない。
「で、なんだっけ? 小エビちゃんと番になる方法?」
「さっきからつがいつがいと何なんですか‼︎」
「違うの〜?」
「違うんですか?」
口々に問われて、今一度内省をする。この感情は、想いは、違う。と、思う。延長線上にそれがあるかもしれないが、今はとにかく違うのだ。
「僕はただ、彼女に笑ってもらいたいだけなんです」
多分、今はそれだけだ。
言外に『自分に向かって』という願望が含まれていることに、彼はまだ気付いていなかった。
ふぅん、と至極つまらなそうにフロイドは言う。
「アズールさぁ、今までそーゆーレンアイのお願い事とか叶えてきたわけじゃん。そん時どーしてたわけ? 本読みまくってただけ?」
「え。いや、そういう時はまずご本人に相手の事を聞いて、どうなりたいのかを明確にしてから相手を徹底的にリサーチして、必要なものがあれば揃えて……」
「では、今我々がやっている事と同じですね」
「アズールがやってることも小エビちゃんのことも聞いたし、どうなりたいかも聞いたし、次は何だっけ?」
「相手を徹底的にリサーチ。さて、大事な友人のためです。一肌脱ぎましょうかフロイド」
「いいよぉジェイド。ところでリサーチってどうやんの? カニちゃんサバちゃんあたり絞めればいい?」
「そうですね、あとはグリムくんにもご協力いただくとしましょう」
その頃ハーツラビュル寮の談話室にて勉強会をしていたエースとデュース、グリムは急な悪寒にそれぞれ首筋や二の腕をさすり辺りを見回した。どうしたの? 大丈夫? という監督生の声はモストロ・ラウンジまでは届かない。
茫然と事の成り行きを見守っていたアズールは漸く我に返る。普段は至極頼りになるこの双子だが、今ここで動くのは自身でなくてはならない気がした。
「だ、大丈夫です! 僕が行きますから!」
「だってさジェイド」
「ええフロイド。ではいってらっしゃいアズール」
「えっ」
本日何度目かの「えっ」だ。こと監督生絡みのことでは自分がポンコツになっている自覚がある。普段なら双子の言いたいことなんて手に取るようにわかるのに。
「いや、でも、開店準備が」
「そんなんオレらでやっとくって。それとも『きみたちはしんようできませぇん』とか言っちゃう?」
「そんなことあるわけないだろう。僕の右腕と懐刀だぞ」
迷いなく言葉を紡ぎ、一度の瞬きの後にアズールは言う。
「後は頼みます」
うっそりと笑って双子のウツボは声を揃えた。
「「お任せを」」
部屋の扉を開け、振り返ることなく歩みを進める。地上では八本の足はないけれど、水中より体は鈍いけれど、心臓と臍の間のあたりにあった石のような重いものがすっと軽くなっているのを感じる。不思議な感覚だった。
表ではなく裏の通用口に向かう途中で、自分が寮服のままであることに気付き、まずは自室で着替えることにした。前もって得ていた情報によれば、今日監督生はハーツラビュル寮でいつものメンバーと勉強会をしているはずだ。タイミングが合えば講師役をしてくれているトレイ・クローバーは部活で不在。ケイト・ダイヤモンドは本日から切り替わるモストロ・ラウンジ期間限定商品をいち早くマジカメにアップするため来店予定。リドル・ローズハートは図書室にて大量に借りていた本を読破するため自室に籠っている。
そう、チャンスだったのだ。場所が他寮の談話室であることがいささかネックなだけで、あまり不自然でなく監督生に近付けるチャンス。言い訳などどうとでもなる。要は行動する勇気がなかっただけで。
急ぐ中でも制服をきっちり着こなして、最後にさっとコロンをひと吹き。以前監督生が「いい香りですね」と褒めてくれたもの。主張しすぎず、しかし長く香る柔らかで爽やかな鎧。
目的は監督生に喜んでもらうこと。副産物として期待できるのは情報収集。きっと彼女は遠慮をするから、対価だなんだと理由をつけてモストロ・ラウンジに来てもらうことが本日の最終目標だ。
「……よし」
気合を入れて、アズールは自室から一歩を踏み出した。
「……さて、開店準備に勤しむとしましょうか」
「めんどくさ〜。けどアズールと約束しちゃったし、オレもやる」
「偉いですねフロイド。では準備の間、面白い話でもしましょうか」
「面白い話ぃ? キノコの話はナシね」
「残念ながら違います。今人魚と人間の若い異種族カップルの間で人気なもの、知ってますか?」
「知らない。んー、相手の姿に変身は普通にするだろうし、なんだろ。溺れて助けて泡になって人魚姫ごっこ?」
「正解は、海辺の陸地か海の浅瀬に家を建てて住む、だそうですよ」
グラスを並べていたフロイドが嬉しそうに笑う。
「いいじゃんそれ。オレ達が海に帰ってもすぐ会える」
「ふふ」
双子の左右対称な瞳が同じように弧を描く。
アズールのことだから、きっと彼女を尊重して海辺の陸地に家を建てるだろう。自分たちは時々海から顔を出して二人を呼ぶのだ。
隣に彼女を伴ってこちらに駆けてくる彼の瞳はきっとキラキラと輝いているだろう。晴れた日の海面の様に、熱く焼けた海岸の砂粒の様に。それは酷く幸せな光景の様に思えた。
待ち遠しくて、くすぐったくて、なんだか胸がふわふわとして、笑い合いながらモストロ・ラウンジの入り口を開ける。さあ、頑張り屋な友人の代わりに、きりきり仕事をするとしようか。