自覚してないってそんな事ある?
補講日も残りあと2日。間近に迫った夏季休暇で浮かれる気分に釘をさすように、早くも夏休み用にと課題が出された俺たちは、チームミーティングの時間を利用して、さっそくその課題をやり始めていた。
メンバーのほとんどの部屋がある第2寮の共有スペース。そこにあるそれなりに広さのあるテーブルの上は、色んな教科の教科書やワーク、ノートやプリントで埋め尽くされていて 。
夏休みを返上した補講期間ではあるが、日曜日(と土曜日の午後)は、学校側の都合上、休みとなるので。本来なら今日は休みでも良いんだよなあ、とは思うんだけど。
その休みに恒例のチームミーティングをわざわざ宛がうとか、みんなドMだよね~、ほんとに。
(まあ、課題なんて、とっとと終わらせたいってのが本音だと思うけど。)
基本的には、自分の課題は自力で解き、分からない場合だけ解けた人間が教える。という方式を取っているので、黙々と各自、課題に向き合っている。今回は誰かの自室ではないのもあって、結構みんな静かに進めていた。──そう、とても静かに。
体力と筋肉だけが取り柄の武闘派集団のせいで、割りと勉強方面はからっきしの人間が多く、唯一頭脳派の(って自分で言うことでもないが)俺が面倒を見るのは、ほぼ当たり前になっていた。しかしながら、今日はその誰からも未だにお声がけがない状況で。
創と遊勢は、教科書や自分のノートを見ても分からない時だけ俺に質問をしてくるし、春馬は全部一通り目を通してから聞いてくる。そのため、ミーティングが始まってまだ1時間も経たない今、声が掛からなくても不思議ではないのだが。
──残る一人、チームリーダーの彼は、分からないことはすぐに分からないと聞いてくる人間だった筈だ。それなのに、一度も質問されていない今の状況は、確実に何かあったのだと言える訳で。
因みに、俺的にはそう頻繁に声をかけられては、自分の課題が進まないので、このまんまで良いんじゃないかな~って思うんだけど。
あまりにも静かすぎる今の状況を不審に思ったのか、俺の横に座っている創が俺に耳打ちしてくる。
「ねえ、聖。なんか廉の様子おかしくない?」
──その気遣いが創の良いところだって俺も思うよ、一応ね。
「え~~?そう?普通じゃない?」
なんとなーく。関わると面倒そうなので、テキトーに相槌を打ってみる。が。
「いや、さっきから廉のワーク、一頁も進んでないから」
と、自分の課題(化学のプリント)から顔を上げることなく遊晴が声を挟んでくる。──普段はどこ見てるのか全く分かんないのに、こういう時だけちゃんと見てるんだよな~
まあ、廉の正面に座ってたら嫌でも目に入るか。
「しかもさっきから、窓ばっか見てるし。廉の奴、まじでどうしたんだよ」
斜め向かいの、一番廉から遠い席に座る春馬も、どうやら気になってるようで。うんうん、お前は本当に気になったら一直線だもんな。それを短所だとは思わないけど、自分の数学のプリント、さっきからずっとそこで止まってるの俺も知ってるからね。
うーん、俺的にはお前らのそういうとこ、本当に素晴らしいと思うよ。でもそれ、俺に振る?って感じなんだけど。
「俺に言われても、ねぇ。」
原因なんて分かりきったことだし。
「でも廉が聖に質問しねえの、怖くない?」
いや、俺的にはすごく有り難いけどね。邪魔されないし。
「聖、廉やっぱり変だって!」
創が必死に俺に訴えかけてくる。
まあ、これだけ自分の事が話題に上がってるのに、全く興味無さそうに窓を眺めてるの、俺的にも確かに鈍感の廉だからって言うには度が過ぎてるかな~とは思うけど。
「じゃあ創が声かけたら。お隣なんだし。」
いつもは廉の専属家庭教師みたいになるので、隣に座っている俺が、わざわざ避けて創を間にしたのも、まあきっと、不安を助長させてんのかなとは思うけど。
「えっ?!俺が???!!」
そんな返しが来ると思わなかったのか、創がめちゃくちゃ驚き、立ち上がる。
ガタン!と。音を立てて倒れた椅子の存在に、さすがの廉も気付いたようで。
「?創、どうしたんだよ。急に立ち上がって。」
「あ、いや、あの、えっと……」
慌てた創が椅子を戻すことも出来ずに、俺と廉を行ったり来たり見つめる。うーん、創にしては珍しく動揺してるみたいだけど、それは、さあ。
「おい、聖、何があったんだよ。」
鈍感大魔王なのに、変なとこで勘が良いんだよな。それとも俺に聞いとけば何とかなるって思ってんのかなぁ~~思ってそう~
「んー、。廉があまりにも熱心に外を見つめてるから、何見てるのか気になったんじゃない?」
「はー?!外なんて見てねえぜ。つか、見てどうすんだよ」
何言ってんだ、こいつ。みたいな顔されたけど、そっくりそのままお返ししたいかなあ。何言ってんの、まじで。
「じゃあ、何か考え事?廉、さっきから全然進んでないよ」
そう遊晴が指摘する。いつもの眠た気な目はそのままに、廉を見据えている。
「……別に。進まねえのは分かんねえだけだっつーの。」
「どこ?」
「え?」
「だから、分かんないとこ。廉が今やってるの英語でしょ。聖程は分かんないけど、俺でも多少は教えられるから」
ほら、早く。と、珍しく強引に遊晴が事を進める。
「あ、英語なら俺も多少は力になれるよ。廉、分かんないのどこ?」
ようやく我に返ったのか、創が椅子を直して座りながら聞きに行く。
なるほど。無理にでも廉の考え事が止まれば良いってことかな。春馬じゃないけど、廉も結構同時にいろんな事考えらんないから、多少は効果あるんじゃないかな。
遊晴と創に急かされながら、廉への英語講座が始まったのを後目に、俺は目の前に座る春馬へと向き直る。
「春馬、お前もさっきからそのプリント進んでないけど。分かんないなら教えるよ?」
あれから更に1時間半程が経過して。またそれぞれの課題を進めている俺たち。
キリが良いとこまで進んだ俺は、顔を上げて壁に掛かっている時計を確認する。──そろそろお昼時か。
さすがに12時になる前には片付けないと、お昼を食べにやってくる他の寮生達の邪魔になる。
どうせ午後もこの課題を終わらせる作業になるのだから、同じチーム同士で同室の創と遊晴のとこでやれば良いのに。いちいち課題を広げ直すのは非効率だって思うんだけど。(こんだけ目一杯に広げてたら、尚更、ね)
そこは漣先輩の教えがみんなに強く根付いてるからで。
きちんとあるべき時間内に用意から片付けまでをして、メリハリを付けること、それは稽古中からずっと言われ続けてたことだった。まあ、例外はあったし、全部が全部って訳じゃなかったけど。
でもそれが結構やっとくと良くて。時間内に、っていうのは集中力が上がるし、どうしたら終わらせられるかっていう段取り力にも繋がるし。大分為になるんだよね~
体育会系ってメンドーだけど、単純だから、俺も指示が飛ばしやすいし、扱いやすいし。うんうん。
「そろそろお昼だから、片付けよっか。春馬、そこら辺で手を止めて広げた教科書片付けて。」
俺が漣先輩の教えから脱線した事を考えていると、創が先にみんなへと指示を出してくれた。助かるな~。俺が言うと、たまに聞かない奴いるし。
「ほら、廉も。その教科書と資料集閉じて。……って、廉聞いてる?」
テキパキと自分のノートやワークを片付けながら、創が廉に声をかける。集中し始めると、周囲の音等ほとんど耳に入らない連中ばかりではあるが(まあその筆頭は創なんだけど)、「止め」という声には反応するので、春馬も遊晴も(勿論俺も)、各自広げていたものを片付け始めているのだが。
「ん?ああ、わりー。なんだよ。」
教科書からようやく顔を上げた廉が、そう尋ねる。
「片付け。お昼になるから、そこの教科書とか仕舞ってって。」
「昼?もうそんな時間かよ。」
まるで今気付きました、というように廉が時計を確認する。が。
──そんな悠長にしてる暇、無さそうなんだよなあ。
「そーそー。だからほら、お前らとっとと撤収撤収~」
荷物もって移動して~と、少しだけ急かす。廊下から賑やかな声が聞こえてきたので、あまり猶予がなさそうだ。
邪魔になるのは勿論の事、それよりも何よりも約一名(いや、二名か?)が喧嘩を買い出すと面倒にしかならないので。とっとと撤収させなくては。
午後は俺の部屋でやるので、そちらに移動させる。同室人は今日の午後から実家に帰省すると言っていた為、気兼ねなく使えるからだ 。
もちろん使用許可は得ている。
「やっぱり、廉、変」
俺の部屋に荷物を置いた遊晴が、ぼそっとそう呟いた。
***************
お昼を食べ終わり。各自少しだけ休憩を取った後(じゃないと何名かは寝てしまうから。満腹感で寝れるってすごいなって俺的には思うけど)、俺の部屋にて再び課題を進める作業を始め、しばらく経った頃。
流石に俺的にもこのまんまは気まずいかなって思うようになってきて。うーん、本当は関わり合いになりたくなかったんだけどなあ。廉が変なの逆に怖いんだよね。原因が分かりきってるから、尚更。嬉しそうなら分かるんだけどさ。
その件の廉は、俺の部屋に来てからもずっと窓の外を眺めていて。
なんだろう。考え事してる時って、そんなに窓の外を見つめたくなるものなのだろうか。俺的には全くもって理解できないんだけど。まあ、当の本人だって、"何を見てるのか" なんてちゃんと認識できてるかどうか、かなり怪しいとこなんだけど。
「れーん。そんなに熱心に見つめて何見てるの?」
まあ、何を見てる訳でもないことを知ってはいるけど。
さっき聞いた時だって、何言ってんだ?みたいな顔されたから、どうせ同じような返しをしてくるって分かってるけど。気になるじゃん。本当に"何か"を見てるかもしれないし。
それなのに。
「……別に何も見てねえよ」
そう言いながらも視線を戻すことなく、窓の外に顔を向けたままの廉に、ちょっとだけ驚く。──いや、これ、結構重症じゃない?
思わず、目の前に座る廉を見つめるが、まるでこっちに気付いた様子もなく。彼は今なお熱心に窓の外を眺めている。
お昼を食べてるときも終始無言で(まあ、別にこれは珍しいことでもないのだが)、心ここに在らずが丸分かりの態度だったから(さすがにこれは初めて見た)、変だなあとは思っていたけど。
他のメンバーは、そんなあまりにも不気味な廉を避けるよう、もう一つのテーブル──さすがに座卓1つじゃ課題やりにくいからって、他の部屋から持ち込んだ──を囲んでいる。とっとと廉とは違う方に座るとか大分薄情だよねえ、お前ら。──まあでも、みんな、午後に入ってからほとんど手が動いてないんだけど。
何か気になることがあると押し黙ってるってのは、タングステンの鋼メンタルの廉でもあるみたいで、そう珍しいことでもないんだけど。単細胞寄りだから、悩むとそれ以外が疎かになるというか、なんというか。
──そういや、最近も同じように空閑絡みで何か悩んでたっけ。
あの時は目の前にあった食べ物に八つ当たりして暴飲暴食に走ってただけだから、いかにも"落ち込んでます"って雰囲気じゃなかったけど。
そう、さすがにここまでじゃなかったんだよなあ。
塞ぎ込んでる訳でも、怒ってる訳でもなくて。
こんなに静かなのが、逆に不気味なんだよな。
分かるけど、俺に押し付けないでほしいよね~。
──これは、まあ。
聞かないことには始まらない、のかなあ……
それは昨日の昼間。今日のこのミーティングの件で、第一寮を訪ねたときの事。虎石から、廉は空閑と出掛けたって聞かされたんだけど、まさか、まさかねえ?いや、普通は喜んでるもんじゃない?──だって、ようやくあの空閑がこっち向いてくれた訳だし。(へえ、空閑とデートなんだって言ったら、虎石が頭抱えてたけど。俺は無関係だし。うん。)
まさかそれが理由で"落ち込んでる"なんて事はないでしょって、俺的には思うんだけど。
「廉、昨日デートだったんでしょ?どうだったの?」
「は?」
本日二度目の "何言ってんだ" って顔。
あれ、何その顔。もしかして自覚してなかったの?
てか、え、原因それだよね?
「え?廉がデート!?誰とだよ!!!」
驚いた春馬の声がする。
「ちげえよ。ただ、愁と出掛けただけだ」
「え、空閑と出掛けたの???」
今度は創がそう言って、驚いた声を出す。
遊晴は成り行きを見守っているのか、黙ったままで。
「……なんだよ。俺が愁と出かけちゃいけねえのかよ。」
「あ、いや……そういう訳じゃなくて……」
思ったよりも語気の強い廉からの返しに、創が少しだけ狼狽えた声を出す。多分、創は純粋に驚いただけなんだろうけど、今の廉には逆効果だったようで。
「廉、空閑に結構邪険にされてたじゃん。よく出掛けられたね?」
さすがに静観してられなかったのか、すかさず遊晴が助け船を出す。淡々としたその声に、少しだけ冷静になった廉が口を開こうとする。が。
「そうそう!廉、全然相手にされてなかったもんな~」
あはははっと、春馬が急に笑いだす。
──いやいや。この状況でそれは火に油でしょ。
「ああ゛!?」
案の定、メンチを切った廉の低い声が返ってくる。し、まあ、思いっきり手まで出てるし。別テーブルだからって、春馬を廉の横に座らせたままにしたの間違いだったかなあ。いやまあ、さっきまでの心ここに在らず状態に比べたらマシだけど、ここで喧嘩しないでほしいかなあ。
──だって、ここ俺の部屋だし。
「ちょっと、春馬!廉も落ち着いて!!」
急に一触即発となった二人を宥めるように、創が間に割って入る。創ってやっぱり肝座ってるよね。キレかけた廉と煽られて臨戦体制になった春馬の間とか。俺なら絶対御免なんだけど。
(それに、襟元掴み合ってる間に入るとかどう考えても一発殴られそうじゃん)
遊晴はいつでも助太刀に──どちらかのストッパーとして──入れるよう、ちゃんと身構えてるし。武道派集団ってやっぱり怖いよね~。
てかさ。
俺的には自覚もないのに噛みつくとか、そっちの方が大分でしょって思うんだけど。廉の言葉借りるなら、有罪ってとこ?
「そうやって全然相手にされてなかったのに、一緒に出掛けることが出来たんだから、喜びなよ。嬉しくなかったの?」
間に入って止める気はさらさらないけど。ここで暴れられて困るのは俺なので、仕方なく口を挟む。
「……そんな事、ねえ、けど。」
どうやら、うまく矛先を逸らせたようで。春馬の襟元を掴んでいた廉の手が弛む。──さすがに廉の態度が軟化すれば、春馬もそのまま取っ組み合いを続けるつもりはないだろう。これで落ち着くかな?って思うんだけど。
「じゃあなんでそんなに気が立ってんだよ。」
しっかりと正面の廉を見据えて、春馬がそう言い放つ。
ほんと、そういうとこが春馬らしいけどさ。
「それ、逆じゃない?どっちかっていうと落ち込んでる感じゃん今の廉って」
お互いに未だ襟元に手が掛かった状態で言うことでもないと思うんだよね、ほんと。
「別に落ち込んでねえ。」
「でも、さっきから課題に集中できてないよ、廉。落ち込んでる訳でも、悩んでる訳でもないならどうしたの。」
そう静かに遊晴が聞く。テーブルの向こうから廉を見つめるまなざしはいつも以上に真剣な色をしていて。
「そうだよ、廉。本当にどうしたの。らしくないとは言わないけど、さっきから変だよ。」
間に割って入ったまんまの創が、こちらもまっすぐ廉の顔を見て言う。眉の下がったその顔は、心配してるのがよく分かる。
「…………何でもねえ。」
よっぽど言いたくないのか。──いや、逆か。どう言葉にしたら良いのか分からないって感じかな。
難しい事分からないもんなあ、廉って。
「頭、冷やしてくる」
そう言って立ち上がった廉は、誰とも顔を合わせないよう、振り返ることもなく部屋から出ていった。
さすがにみんなこれ以上は干渉しないから、戻ってきた廉がどんな態度でも口を挟んだりしないんだろうけど。それでも心配ではあるのか、妙な空気が辺りを包んでいた。
──まあ、気にするなって方が無理だよねえ。あんな廉を見た後じゃ。
どうしたんだろうね、本当に。
そんな廉が変な様子は、結局、戻ってきてからも変わらずで。翌日の補講中までずっとおかしかった。
愁と出掛けたからって、別に何かが変わるとも思ってなかった。
そもそも、俺はただ、愁のバイクに乗ってみたかっただけだ。
同室の和泉からよく出る "愁のバイク" の話が羨ましくて。俺だって、乗ってみてえ。そう思ったって無罪だろ、普通。
「それは、愁のバイクに乗りてえの?それとも愁が乗ってるバイクに乗りてえの?」
そんなことを話したら、険しい顔をした和泉にそんな質問をされた。愁との行き先相談中に。──つか、こっちはなんでバイクで出掛けたいのかと聞くから答えたってのに。なんだよ、急に。
「それ、どっちも一緒だろ?」
何を言ってるのかよく分かんなかったから、そう返した。どっちも同じなのに聞く意味あんのかよ。有罪だろ。
「いや、違えから。全然意味違えから。つか、俺は愁のバイクを "借りて" 乗ってるだけだからな。愁が乗ってるとこに乗せてもらうこと、ねえ訳じゃねえけど稀だから!!」
「この間後ろ乗ったって言ってたじゃねえか。有罪だろ。」
スマホをいじりながら、間髪容れずにそう返す。和泉が地図アプリを使えと言うから、こっちはそれ開いて行き先を入力してる真っ最中なんだよ。邪魔するんじゃねえ、有罪。
てか、俺はそれが羨ましいと言ってんだ。まじで有罪。
「あ~~~お前なんなの?マジで!!」
つか、自覚無しかよ!!と急にわめき散らし、頭を抱え始めた和泉を放置して(つか、まじで意味不明。こいつ頭大丈夫かよ)、俺は地図アプリに入力した行き先を登録した。
──だって一緒だろ。
俺がしてえのは、"愁の運転する愁のバイク" に乗りてえってことなんだから。
そりゃあ、愁と海まで行って帰って来た後はすげえ嬉しかったけど。
念願の愁のバイクに乗れたんだ。嬉しくったって当たり前だろ。
和泉がよく読んでいたバイク雑誌を(買いもしねえ癖にな)、つい、何度か後ろから覗き込んで見ちまったのも。愁のバイクはどんなんなんだろうって、知りたかったからだし。
実際に見た愁のバイクはそりゃあ格好良かった。もちろん乗ってる愁も。思ってた通り、格好良かった。
ちょっとよく分かんねえ動悸の速さはあったけど。望んでた愁のバイクに乗れた興奮だと思うし。
それに、すげえ楽しみにしてたんだ。愁と出掛けられることも。無罪だろ、そんなの。
道中のことは、まあ、ちょっと。あれを "方向音痴" の一言で片付けちまうの、有罪過ぎねえか?って感じだけど、俺も何回か道間違えた(というか伝え損ねた)からな。有罪なのはお互い様というか。なんで海にたどり着けたのか(そんで帰ってこれたのか)、未だによく分かんねえし。
まあ、でも。
海行って、一緒に夕日見て。
それだけだったけど、すげえ楽しかった。
愁のバイクに乗れたらそれで良いって思ってたから、ものすごく得をした気分だった。
愁と出掛けられたこと、すげえ嬉しかった。
──でもだからって、別に何かが変わるなんて思ってなかったし、特に何かを変えたいとも思った訳じゃねえ。
だけど。
そわそわ、そわそわと。
海に行った翌日。俺はどうしてか一日中気分が落ち着かなかった。なんでなのか全然分かんねえけど。とにかく気が立ってるみてえに集中できねえ。第2寮で、チームの皆と課題をやっている間も、気付いたら昨日の愁との出来事がリフレインしていて。
ただ、目の前から愁の顔が消えてかねえ。あの時の愁の顔が。
これっぽっちも課題の内容が入って来ねえのに、聖は変なこと言い出すし。あげく、創には驚かれて、春馬からは笑われるし。何なんだよ一体。その上、遊晴に変だって言われて。
俺だって知るかよ。何でなのか、なんて。
──分かんのは妙な緊張感が体を取り巻いてる、それだけなんだから。
その夜。
相変わらず、張りつめたもんがびりびりと体中にまとわりついてて。弁当作りの最中も何だか身が入らなかった。
食堂で一緒に弁当を作ってた那雪が、何かに気付く。
──試合の前だって。本番の時だって。こんなに緊張しなかった。それなのに。
「あ、空閑君」
──どうしてこんなに逃げたしたくなるんだ。
愁の顔を見た、それだけで。