この関係に
うつむいたまんまの北原のつむじを眺めながら、さてどうするべきかと考える。──こいつとの今後を、どう形にしていくのか。
昼飯の約束は明日まで。
それに明後日からは夏休みだ。──そうか、しばらくこいつとも会わなくなるんだな。
「明日もよろしくな」
──まずは明日。そうじゃねえとどうしようもねえ。頷いた北原を解放し、食堂を後にした。
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補講最終日。先週振りに外のテラス席にて弁当を広げる。相変わらずさんさんと差し込む太陽が俺と目の前に座る北原を照らす。テーブルの上はもちろん、こいつと俺の風呂敷だけ。緑青色と紫色。こいつと俺のって分かる──チームの連中とは違う色の──2枚の風呂敷。その上に載ってる弁当だって、2つだけ。──北原廉と昼飯を食べている。それだけで何だか、昨日よりも弁当がうまいと思えた。
最後の弁当のおかずは、ハンバーグにその付け合わせのニンジンやじゃがいも、大根のきんぴら、それと葉物ときのこのおひたしだった。どうやらハンバーグにはごぼうも混ざってるらしい。噛む度にシャキシャキと音がする。歯ごたえと噛めば噛む程口の中に広がる肉の旨味とで、今日のハンバーグはすげえうまいと思った。大根のきんぴらには、他にも野菜の皮が混ざっている。明日からしばらく無くなる弁当の事を考えて、食材が残らねえよう、混ぜたんだろうな。残しちゃ勿体ねえから、こういう休み前は食材があんまりなくて、それまでの弁当で出た使いかけの食材を、何とか活用しておかずを増やしていると言っていた。だから、今日の皮が混ざったこれもそうなんだろう。──野菜の皮が結構おいしくて、箸が進む。
向こう側に座る北原は、さっきから俺の方は見ねえで、ずっと下の方──テーブルの上の弁当ばかりを見ている。
それに不満がねえ訳じゃないが──今は、目の前から消えねえで居る、それだけで良かった。
こいつから、今日の弁当についてのあれやこれやを聞けねえのは少し──いや、かなり残念ではあるが。
焼き色バッチリで噛めば肉汁広がるハンバーグも、てらりと美しい付け合わせも、大根も野菜もちょうど良い歯応えのあるきんぴらも、しんなりとしてちょうど良い味付けのおひたしも。完成させたのはこいつだと知ってるから。──それだけは那雪から聞いたから──。だから、今日は別に聞けなくても良い。こいつとテーブルを囲んでる、そっちの方が重要だった。
お互いに箸を動かし、弁当を食べる。その動作によって生じるかすかな音だけが聞こえ、テラス席はとても静かだった。──ゆったりと、時間が流れていく。
「──今日も課題出たな。」
何となく。今日は俺から話しかけた。──別にこの沈黙を苦に思った訳じゃねえ。こいつとならこの静かなゆったりとした空間も悪くねえってそう思う。ずっとこのままでも良いって、そう思う。けど。少しだけ箸を休めて、北原の方を見る。丸い頭。目の前には相変わらず、北原のつむじだけが見えて。──別にこっち見ねえでも、良いけど。そのまんまでも良い。だけど、今日は──。
──今日はこいつの声が聞きたかった。北原廉の話す声が。──それに、最後の弁当はゆっくり味わいてえ。先に食べ終わっちまうのはもったいねえだろ──。
それに最後だからこそ、俺はこいつとの──北原との会話を楽しみたい。
そんな北原は、未だに下を向いたまんまだったが──ぽつぽつと、俺が出した話題に乗るように、今日の補講で大量に出された課題について文句を言い始めた。──課題については既にそれなりに出ていたのだが、明日から夏休みという事で、更に容赦なく増えていった。量に関しては同感なので、軽く相づちを打ちながら聞く。──しかし、どうやら先週に出された課題は、この間の休みに──多分海に行った次の日の休みに──進めてあるらしく。
「──へぇ、チームで集まって課題進めたりするんだな。」
「まあな。漣先輩がそういう人だったしな。授業でつまずくと、その分、練習時間も減るだろ。だから、定期的に勉強会やるんだよ」
「へえ。team鳳(うち)じゃ考えられねえな。」
「そっちではねえのかよ」
「まあ、俺と星谷が赤点にならねえように定期的テスト前はやるな。でも休み中の課題ってなるとな。──それぞれで集まってかもしんねえな」
「ふーん、意外。集まるの好きそうじゃん。」
「まあな。よく集まってるな。それこそ時間が合えば毎日のようにだが──、そういうことしようって雰囲気にはならねえな。」
「さすが、ナヨナヨチーム。相変わらず仲良いな。」
「そうか?まあ、課題も、もしかしたら休み入って帰郷する前に集まってやるかもしれねえけど──」
穏やかに過ぎていく。
あいつは相変わらずこっちを見る頻度は少ないけど。たまに目が合うようにもなってきて。──どっちでも良い。今日はこのまま合わねえまんまでも。あいつが逃げねえでここに居る──という実感の方が、今はものすごく嬉しいから。──ああ、そうだ。すげえ嬉しい。
「そういや聖にこの間のこと、デートとか言われて──」
唐突に。何かを思い出したように北原が話し出す。
「──デートって、なんで俺と愁が付き合ってんだよ。意味不明。」
──急にそんな話題。出した本人はきっと分かってねえ。“今”出した、そのタイミングの意味を。
そらされてしまった視線を少し残念に思いながら、目の前の北原を見つめる。こいつの一挙一動を見逃す訳にはいかねえから。──そんな話題を出してきた、こいつの真意を探る為には。
不可解だと──そう本人も、言葉その通り思ってるようで。南條が急に言い出した、よく分かんねえこと、だと。そう本気で思ってるみてえで。
眉間にシワ、寄ってる。──だけど。
「……じゃあ本当に付き合うか?」
しっかりと北原の顔を見たまま、そう伝える。──こいつはそっぽ向いたまんま、だけど。そのお陰で、赤く染まった耳も良く見える。だから。
──乗っかるところだろ、これは。じっと。ただひたすら目の前の北原を見つめる。緑青色のあの目を見つめ続ける。
「…………は?」
俺の言動にようやくこちらを見た北原は。
そのまま、驚き固まって。
──さて。どうやってこいつの退路を断とうか。
今日はずっと朝から緊張してて、何してたかあんまり記憶がねえ。補講中のとっかで、夏季休暇中に解くようにと、大量に課題用のプリントが配られたのは覚えてる。俺は一番前の席だから、後ろに回さなくちゃいけなくて。
でもそれ以外、補講の内容は一切覚えてなかった。気付いたらチャイムが鳴ってて、目の前に愁が居て。──さすがに今日は逃げるつもりなんてねえけど、しまったとは思ってしまい──。
多分、見透かされてた。だから、朝、いつものようにご飯とおかずをつめた弁当は那雪が預かると言って。風呂敷に包んだところで、持ってかれちまってた。──俺の分含めて。
「行くぞ」
そう言って前を歩く愁の手には、紫色の風呂敷と緑青色の風呂敷、それぞれに包まれた弁当箱があって。──那雪が、どうせならと俺の練習着Tシャツと同じ色の風呂敷を、俺用にと貸してくれていた。──その風呂敷に包まれた弁当箱を、愁が持っていて──。
これから一緒に食べんだから、当たり前、なんだけど。
逃げるつもりはねえと思っていても──逃げられねえと分かっていても──、愁を前にしたらどうするか分からなかった俺は、大人しく那雪に弁当を預けていた。だから、愁が持ってても不思議じゃねえ。だけど。先週はずっと──あのテラス席に向かうまでの間ずっと──俺が二人分の、紫色と緑青色それぞれに包まれた弁当箱を抱えて持っていた。
それを。今日は愁が持っている。愁が抱えている。
目の前を歩いてく愁の背中。
ずっと視界にちらつく紫と緑青。
──そわそわと。ずっとそわそわとして落ち着かねえ。
愁と先週振りに外のテラス席へとやってきた。昨日と違ってテラス席は太陽が直にあたって、大分眩しい。
風呂敷から出して広げた弁当に、箸を向ける。けど。弁当の味なんてよく分かんねえ。何を今、口に運んでるかも。箸で摘まめたもんを食っている、それしか分かんねえ。──緊張してる。ぴりぴりしてて、愁の方なんて見れる訳がねえ。
静かなテラス席で、しばらくはお互いが弁当を食べる音だけが聞こえていた。
そんな中。気付いたら、愁が話しかけてきた。愁から、声をかけてきた。──珍しかったから、それだけは覚えてる──。ずっと下を向いてた──おかずを凝視しねえと、箸がずっと空を掴んじまうから──俺に、愁が何か──確か課題のこと──話しかけてきて。だから、応えねえと──って、それだけは思って。何を喋ったかはほとんど覚えてねえけど。
ただ、ぼそぼそと下を向いたまま話す俺を気にすることなく愁が返事を──言葉をくれるから。だから、つい。顔、あげちまって。
──愁が笑ってる。それだけが目に焼き付いて──。
「そういや聖にこの間のこと、デートとか言われて──」
──なんでこんな話題。急に出してんだ、俺。有罪だろ。
止めようと思ったのに、口からはあの時思ったことがぼろっと出てくる。
「──デートって、なんで俺と愁が付き合ってんだよ。意味不明。」
そう言いながら、そらした目線の先で校舎の白い壁が目に入る。
昨日と違って、少し陰っていたそこは別に眩しくなんてねえけど。なんとなくその白さが──少しだけ灰色にも見えるその白さが──無性に嫌で、腹が立って、つい睨み付けてしまう。
──やっちまった。
何が──とは思わなかったが、ともかく、何かやっちまった気がする。有罪だろ。どうすんだよ、これ。
聖があんなこと言うから──。ついつい白い壁を睨み付ける目に力が入り──何ならそこにへらへら笑う聖が思い出されて──、更に眉間にシワが寄ったのが分かる。意味不明だろ、だって。──そういうのじゃねえだろ、これは──。聖のせいにしても仕方ねえけど、意味不明だったから──頭の中に残ってて。でもだからって口に出して言うかよ、普通。一昨日のミーティングのことなんて、やったってこと以外、もうほとんど覚えてねえのに──。なんで聖のあんな言葉だけは残ってんだよ。本当に意味不明。だけど──。
そっからのがもっと意味不明だった。
だって。
「……じゃあ本当に付き合うか?」
「…………は?」
──今、愁はなんと言ったのか。思わず、愁の方を向いてしまう。
愁は、まっすぐにこちらを見つめていて。紫色の目が、ただまっすぐ俺に突き刺さり。──そのまま動けなくなる。
そんな愁の目を見返しながら、俺の頭は大混乱していた。真剣な愁の顔。茶化してなんていねえ、本気の、マジの時の愁の目がそこにあって──。なんで、どうして。からっからに乾いた喉を何とかしようと、唾を飲み込む。一瞬の逡巡。唇をなめて、口を開く。どうして──。
「…………誰と、誰が。」
──どうして、俺は期待してんだよ。
愁がこっちを見てくれるかもしんない、その可能性に。
──詰めた距離が、近付いた距離が。
あまりにも近付き過ぎたと思ってた、その距離が。
それで良かったのだと、言うように──。
“そういうの”であってるのだと、言うように。
愁が口を開く。
「俺とお前」