おまけ詰め合わせ
南條聖は推察する
「廉、遅くない?」
そう春馬が呟いたのは、時計の針が14時を回った頃だった。
それは、午前中にとある騒動があったとある休日の午後のこと。休みの日恒例のチームミーティングとして、俺たちは第2寮にある創と遊晴の部屋で集まっていたのだが。未だに現れない廉のことを気にしてか、春馬がそんなことを呟いた。
今回は特にやることもなかったので、俺的にはまだこの時間に全員揃ってなくても問題ないでしょ──って、思うんだけど。午前中にこっちで廉が何をしてたか、みんな知ってるからな~。廉が居ないの、どうしても気になるのだろう。
あの午前中の騒動──星谷が失踪するという──が一段落すると、少し早いが昼時だったので、集まっていた面々はお昼御飯へと意識を切り替えていた。さっきまで廉(と俺)の差し入れのおにぎりを食べていたのに、切り替え早いな~なんて俺的には思わなくもないけど。まあ、ほとんど戌峰が食べちゃってたし。ちょっとしたおやつ程度の量であればなんて事はないのだろう。
みんなの話題と関心がお昼へと移ったことで、付いてきていた揚羽と蜂矢は先に第2寮へと戻って行った。星谷のこと、ちょっとだけ心配だったらしい揚羽は──無事と分かって安堵はしていたが──、大分後ろ髪を引かれながらの渋々とだったけど。俺としても休日とはいえ、さすがに第1寮でいただく訳にもいかず。自分の第2寮へと戻ることにはしたのだが、様子のおかしい廉をそのままにしておくのはどうなのかと思い。こちらはお重の件を持ち出して、留まろうとした。
それなのに。
『悪い、聖。一人になりてえんだ。』
そう言われてしまえば、深くも踏み込めず。さすがにお重を返す時は手伝うから呼んでほしい──とだけ頼み、俺は第1寮を後にした。
──あれから。確かに時間は経ちすぎてる。お昼を食べたその後にやってたとしても。あの量のお重を洗うにしたって、時間がかかりすぎなのは明白で。
「──確かにちょっと遅いかもね」
「……聖、様子見てきたら?」
そう心配そうに創が言う。
お重を洗うだけのこともできないなんて子供じゃないんだから。──そう濁そうと思ったのに。
「廉の様子、おかしかったんでしょ。聖見てたら何となく分かる。」
遊晴にまで言われてしまってば、動かない訳にもいかず。
みな、一向に帰って来ない廉のことが気になるようで。各々思い思いのことをしながらも、時計とドアを行ったり来たりして眺めてたもんね~。
やれやれ。
廉はよくteam鳳のように俺らはナヨナヨチームじゃねえって言ってるけど。あいつが気付かないだけで結構みんな廉には甘いんだよなあ。どっかのチームのように。
「仕方ないから様子見に行ってくるよ。」
仕方がない──と、立ち上がり、部屋を出た。
ちなみに。 別に俺が行かなくても良いんじゃないかな~って、俺的には思うんだけど。(確かにお重運ぶのは手伝うって言ったけど)
だって、様子見に行くくらいなら、俺じゃなくても良いでしょ。
まあ、タングステンメンタルの廉の様子がおかしい訳だから、変に刺激したくないってのはあるんだろうなあ。(逆に俺なら何とかなるとでも思ってるのも結構心外なんだけど)
廉の様子見るのは良いんだけどなあ。原因なんて分かりきったもんだし。
──あれで無自覚、なんだろうな。正直結構めんどくさい。俺的には全く関わり合いになりたくないし。
あの場では仕方ないかなって思ったけど、第1寮に近付くにつれて、ちょっとずつ向かうのがめんどくさくなってくる。引き返したらだめかな。
ちなみに俺的にはここで廉と出会えるのが一番無難な結果なんだけど……全くそんな気配がない。
思わずため息をつきながら、第1寮の中へと入り、取り敢えず食堂へと向かう。と。
あー、やっぱり引き返したらだめかな……ちょっと、いや、結構帰りたいかもしれない。
そこには、食堂の入り口で向かい合う二人がいて。片方は俺がわざわざ足を運ぶことになった原因なんだけど。もう一人は。
──うっわ。廉の嬉しそうな顔。
気付かれる前に出直したいなあ、なんて思ってたんだけど。その前に廉が相手の目線を辿ってこちらを向く。あー……。
「! 聖じゃねえか! どうしたんだよ?」
少し驚きながら、それでも楽しそうに(さっきとは違う笑みで)声をかけてくる廉。本当に自覚ないのかな。まあ、俺的にはあいつは一回頭見てもらった方が良いって思ってるから、自分の表情の違いなんて気付く訳ないか。
「いやー、廉があまりにも遅いからお迎え。お重洗うだけで何時間かかってんの。」
「あー、わりい。今終わって返しに行くところだった。」
「まあ、それは良いけどね。一人で返すつもりだったの? 蜂矢みたいにこけてひっくり返さないでよね~」
なあんて茶化したら、「そんなことしねえ、有罪!」なんて返ってきたけど。じゃあ最後まで全うしてほしいよね。俺の手を煩わさないでほしいんだけど。
「ちなみに俺的には、俺がここまで来てる時点で大分迷惑かかってるから。これ以上迷惑かけないでね、って意味なんだけど。」
「はあ?!」
聖てめえ、何言ってんだ!まじで有罪!!──と騒ぐ廉を放置して、まあこれ以上迷惑かけられたくないし、廉からお重を半分奪う。
俺的には結構優しいと思うんだけどねぇ。
「ほら、とっとと返しに行くよー。みんな待ってるし。今日ミーティングなんだけど」
いつまで沈黙してんのかなあ。俺が廉に近付いたときも無言だし。話に加わる気はないみたいだけど。その割りにはさあ。──目が、ねえ。まあ、何も言ってこないなら、こっちだって無視するだけだけど。
「あ、おい、聖。勝手に持ってくなよ。──ったく。なんなんだよ」
とっとと歩き出した俺に悪態をつく廉の声が聞こえてくる。俺的には悪態付きたいのはこっちなんだけどねえ~。
「じゃあな! 愁!!」
すっごい満面の笑顔。
これで自覚ないとかやっぱりおかしくない?
なんて思ってたんだけどねえ。
廉に渇を入れられた翌日。
「痛そうだな、それ」
本当にたまたま、第一寮に足を踏み入れた俺は、ばったりとこの男に出会った。──よりにもよって、ねぇ。
「お陰様で。誰かさんの力加減が出来てない渾身のデコピンされたもので。俺的にはもう少し抑えられないのって感じなんだけど。」
次の日だっていうのに、おでこはまだ赤いままで。腫れそうって思って結構冷やしたんだけどな~。
「どうするんだ?」
「そりゃもちろん。元凶に責任取ってもらおうと思って。」
だから、"ここ"にいるんだけど。
廉なら湿布とかそういうの意外に常備してるからもらおうと思って。
「……こんな時間から訪ねるのか?」
へえ。
時刻はようやく7時に差し掛かる頃。俺的には朝練してる連中なら、“こんな時間”って感じでもないと思うんだけど。
「毎日朝走ってる廉ならもう起きてるからね。なら、早い方が俺的にはありがたいしね~」
まあ、俺的にはにっこりと微笑んで返すのもそろそろ疲れてきたから、ほどほどにして立ち去りたいな──ってのが、本音だけど。
「…………」
一瞬の沈黙。
この男が表情豊かなことなんてないから、別に気にはしてないけど。
さっきから動きもしない表情に──それなのに含みのある態度ばっかで──、ちょっとだけイライラする。
「……ほしいのは湿布か?」
「……は?」
「額に貼るんだから湿布だろ?」
「……そうだけど?」
急に何を言い出すのか。
いきなりの展開に、顔を取り繕い損ねた気がした。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、今まで会話していた相手──空閑は、ここから立ち去っていく。
え?何?
これってどういう展開???
「てか、え? 俺、ここで待つの?」
寮の廊下の真ん中で、俺はどうすることもできずに立ち尽くしてしまい。
──いや。何も律儀に従う必要なくない?
思ってもみなかった展開に、つい呆けてしまったが。別に、あの男の言葉を素直に聞く必要はないのだ。
──俺は廉じゃないしな。
廉なら、それはそれは嬉しそうに待つのかもしれないけど。そういえば最近、空閑からの塩対応にも全く堪えるどころか、嬉しそうにしてたし。──いや、あれは嬉しそうと言うか──。
「お、いたいた! 聖、湿布持ってきたぜ!」
そう言って朝からテンション高めで声をかけてくるのは、今ちょうど頭の中で回想していた人と同じ人物で。
え、ちょっと待って。
確かに廉って、普段はローテンションなのに、スイッチ入るとハイテンション寄りになるというか、声にも表情にもトーンの高さが滲み出ることがあるから、テンションの高い北原廉なんて珍しくもないんだけど。
いや、そこじゃなくて。
「なんで廉居るの?」
「はぁ?! 聖、テメーが湿布ほしいって言うからきてやったんだろ?!」
「だから、お前には頼んだ覚えないんだけど。いやまあ、これから頼みに行こうとしてたけどさ。」
その前に空閑に会っちゃって。何故か珍しく会話が弾んで(二言三言だけど)、その空閑に確かに「湿布がほしい」という話はしたけど。
そう、俺は空閑にしたのだ (断じて廉にじゃない)。そしたら何故か空閑が請け負って、待ってたら(待ってないけど)、どうしてかやってきたのは廉で──
──そこで俺は気付いてしまった。何故、あの男が最初渋るような含みある態度をとったのか。
「? 愁が、お前に湿布もらいに来てるぞって聞いたから来たんじゃねえか。」
不思議そうな顔をしながら、廉がそう答える。これは本人自覚無いな。いや、廉が自覚的だったことなんてほとんどないけど。──空閑と出掛けたことを"デート"ってからかった時でさえ、無反応に近かったのに。
あー、これは、どこから突っ込んだら良いんだろうか。──いやまあ、報告は受けてるから(無理矢理だったけど)、"知ってる"んだけどさ。
「あー、それは空閑に申し訳ないことしたかな。わざわざ伝令役買ってもらっちゃって。助かったって伝えといて。」
「?? おう、分かった。……ほら、湿布」
「ど~も~。じゃ、俺戻るから。また後で学校で。」
「ああ。後でな。」
俺の含みなんて一切気付くことなく、廉は手を上げて俺に挨拶する。鈍感過ぎない???って感じだけど、まあそれが廉の良いとこだしな……ちょっとだけ複雑な心境になりながら、俺は来た道を引き返す。なんとなーく、去り際に後ろへと目をやれば。廉は反対側の寮の廊下を帰って行くが、自室がある方ではない奥の通路に入っていくのが見えて。
なるほどねえ~。
きっと空閑に会わなければ、俺は廉の自室を訪ねても会えることがなかったのだろう。だって、廉が居たのは別の部屋だから。──へえ。てっきりあの報告は、廉が勝手に捉え間違えただけだと思っていたのに。空閑が言葉通りに、“付き合う”(何かすることに)って言ったのを、廉が違う意味で捉えたのだとばっかり思ってたんだけど。
ちゃんと双方向で納得して意味を確認し合ってるって訳か。それはまた、なんて言うか。仲が宜しいことで。
これ以上考えても俺的には栓のない話なので、まあどうでも良いかな。取り敢えず、廉が楽しそうに笑ってるし。
廉の後ろ姿が、完全にその廊下へと消えたのを見送って。踵を返した俺は、廉にもらった湿布を貼りながら、元来た道を戻って第2寮へと帰っていった。
月皇海斗は苦労する。
『片割れが華桜館に入ってくの見かけたぞ』
『お前は一緒じゃなかったのか』
そう言ったのは、いつも何だかんだで一緒だったから。オレたちのように行動を共にしてばかりじゃないってのは知ってたけど。──それでもよく隣に並んでいるのを目にしていたから。つい聞いてしまっただけで。それ以上の他意は、全くなかったつもりなんだが。
──まあ、それでも。この状況はオレが原因なんだろうな。
と。自室の自分用のデスク椅子に腰掛けながら、一人そうごちる。
夕飯も入浴も済ませ、あとは寝るだけという時間。一応、消灯時間までは時間があるので、多少うるさくしてもは文句言われないと思うが。目の前で繰り広げられている出来事に、ついつい、オレはため息をついた。──一応、ここはオレの自室でもあるんだがな。
腰かけている椅子を回転させ、自身のデスクにほぼ背を向けながらその光景を眺める。
反対側の壁にあるデスクには、2人の男が居て。──1人は椅子に座り、1人はそのそばに立っていた。
「聖の野郎、まじで何なんだよ!!! 有罪過ぎんだろ!!!!!」
そう喚きたてているのは、立っている方の男で。──件の片割れ、北原廉である。何故、彼がこの部屋に居るのか、オレは深く考えないようにしていた。2学期に入ってから、空閑に用なのか、地味に訪ねる回数が増えたのは知っていたが。それ以外の事は知りたいと思わないからだ。一度だけ、随分となつかれたみたいだな、と空閑に言ったら、『お前と天花寺には負けるがな』と切り返されてしまい。あまり深く考えると、オレの方が墓穴を掘りそうだった。
そして、椅子に座っている男──俺と同室の男である──その空閑はというと。全く相手にせず、自分の机に向き合っていた。確か今日の数学でプリントが出てたからそれをやっているのだろう。
──まあ、だとしても今すぐやる必要はないと思うんだが。正直、横の男の相手をしてほしい。
空閑の机はドア付近だし、壁だって薄く、ただでさえ音が伝わりやすい構造をしてるというのに。そんな場所で騒がれては、廊下にまで響いてそうで。まだ帰ってないと思うが、隣人のあの男が出てきたら、かなりややこしいことになる。
「ひでえって思うだろ。まじで何なんだよ。」
どうやらあのあと、南條の真意を尋ねたらしい北原は、帰って来てからずっとこの調子で荒れていた。夕飯時もかなり機嫌悪そうにしていたし。隠すつもりもないのか、ピリピリとしたその態度に那雪がかなり怯えていた。
──そういえば。
「……うるせえ」
そう言って、空閑が北原をまた小突いていたのを見たな。──あの時みたいにすごい音はしてなかったが。まあ、あの時のあれは小突くとかそういうのじゃなかったしな。(デコピンがあんな音するのか──という疑問は残るが)
「さっきから横でわめくんじゃねえ。」
そうやって怒られて。そこからは、少しだけ北原からの張りつめた空気もゆるんでいた。──今みたいに。少しだけ怯んだ部分もあるのだろう。
「うお、ちょ、愁何すんだよ! 痛ってえな!!!」
ドッタンバッタンという効果音が付きそうな感じで、空閑が北原の首根っこを掴み。
「あ、」
思わず声が出てしまった。
ひょい、と。まるで猫を外に出すように、北原が廊下へと投げ出される。
そして。バタンという音がして扉が閉まり。
──空閑、結構力あるんだな。
全く関係ないことに感心してしまう。と。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン────
──と、ものすごい音が外から聞こえてきて。ついでに「愁」と叫ぶ北原の声も。
「…………いいのか」
つい、そう聞いてしまう。
ドアの向こう側へと投げ出された北原に少しだけ同情してしまって。(あと出来れば早く静かにさせてほしい)
「…………」
無表情のまんまこちらを振り返る空閑。長くはないがそれなりの月日を一緒に過ごしたので、表情のない顔でも、ある程度感情が分かるようになった。と、思っていたのだが。
無言のままの空閑は、オレの質問に答えることなく、ドアへと顔を向ける。一向に止まない北原のドアを叩く音と、「愁!」と空閑を呼ぶ声だけが聞こえてきて。
「────はぁ。」
おもむろにため息をついた空閑は、めんどくさそうな顔を隠そうとせずに(珍しい思いっきり顔に出てる)、部屋の入り口へと向かう。──やっぱりあれは怒っていた、のか? その割りには目元がなんか……なんて表現したらいいんだ?
「うるせえ。ここでわめくな」
開いたドアの先で空閑が再度そう言う。珍しい。声までかなり嫌そうだ。
「──つめてえな、愁! ……相談のってくれたって良いだろうが。」
──あれは一応相談だったのか。そんな思いを抱きながら北原の声を聞く。空閑で隠されて、北原の表情まで見えないが、きっと先ほどわめいていた時と同じ顔をしているのだろう。
「騒いでただけだろ。」
そう空閑が一蹴する。
「っ! ちげえ、俺は」
勢い良く話す北原に、空閑はまたため息でも付いたかのようで。少しだけ間をあけた後。
「じゃあ、仲直りしろ。それまで訪ねてくんじゃねえ。」
ぴしゃっと叩き付けるようにそう言って。空閑は開いたドアを閉じた。──門前払いだな、完全に。
愁、つめてえ! 有罪!──そう騒ぐ北原の声が聞こえたが、今の問答で思うことでもあったのか。それ以降は声が聞こえなくなった。どたどたと駆ける音がしたので、どうやら北原は自室に戻ったらしい。
振り返った空閑と目が合う。
「もう少し優しくしてやったらどうだ?」
一瞬、びっくりしてまばたきをしてしまったが。何事もなかったかのようにそう返す。
「それ、解決になんねーだろ。あいつは踏ん切りが付かねえだけだからな」
「……? どういう意味だ?」
やっぱりさっき見た顔は気のせいなのだろうか。呆れたようにそう話す空閑の顔は、いつも見るようなもので。視線を外された為、定かではないが、その目だってめんどくさいとそう思った色をしてるのだろう。
「俺んとこに来たのは、半分は確かに相談のつもりだろうけど。──半分はただ、愚痴言いたかっただけだろ。」
「それなら普通に聞いてあげれば良いんじゃないのか?」
それくらい、別に素直に聞いてやってあげても良いと思うのだが。(こっちとしてもその方が有り難いしな)
「愚痴を言う自分をあいつはあんまり許せてねえからな。──意地張って認めてねえ時も多いけど。」
がしがしと頭をかいてため息をついた後。壁の向こうを見つめながら、空閑は静かに言葉を繋げる。
「──だから、ある程度は聞いてやるが、限度あんだろ。寮帰って来てからずっとこっち散々聞いてやったんだ。もういいだろ。」
──確かに、南條と会ったらしい北原はものすごく機嫌が悪そうではあったが。ずっと口を結び、怒りをあらわにした態度だった、ってだけで。
「機嫌悪そうだったが、愚痴なんて一言も言ってなかったぞ?」
夕食の時だって、そのイライラを周囲に隠すことはなかったが、愚痴の一言も口にしていなかった。それに。オレはこの部屋での、あのやり取りくらいでしか見ていないのだが。
「態度と目に出てた。──あいつの目は雄弁だからな」
それはまるで、秘密でも打ち明けるかのように。とてもとても楽しそうに、空閑がそっと教えてくれる。
──これは聞くことじゃなかったな。まるで開けてはならなかった扉を開けてしまった気分だ。
「大変そうだな、それは。」
楽しそうに笑う空閑に、皮肉を言って。ちょっとだけ呆れてしまう。そんな事言うんだな、空閑も。意外だった、けど。
──あ。やっぱり、あれは気のせいじゃなかったのか。あの空閑の目の感じ。さっき見た雰囲気が一瞬だけ混ざって。ゆっくりと、細くなる。
「そうでもない。頼ってくるのはあいつだしな」
そう言ってまた笑う空閑のその顔は。とてもとても優しそうな色をしていた。
北原廉は憤る
聖がセーカク有罪で腹黒なのは分かっていたことだった。
食えねえやつだと思っていたし、常に計算して自分の得にならねえことは一ミリもしねえし。何考えてんのかよく分かんねえこともあったけど、大抵悪いようにはならなかったから。あいつが何だかんだで裏で指揮ってくれんのも結構助かっていたんだ。
それでも。
『同じ方向、向いてるって思ってたよ』
向いてるって思ったんだ、ずっと。team漣としてやって来た時からずっと。新人お披露目公演の時も綾薙祭でのテストステージの時も。結局個人戦になっちまったが、あの卒業公演の育成枠獲得の時だって。
『とうとうお前らのこと一番にしてやれなかったね』
そう呟いた時の顔を本人が自覚してるかどうか知らねえが、あんな顔しといて、今さらカンパニーの意思を無視するだなんて。本当に何を考えんのか分かんなかった。
卒業公演が終わった後にあった補講の最終日。明日から夏休みだからと春馬がチームミーティングを開きたいと騒いで、学園のカフェテラスで集まってたとき。突然、聖がそんなことを言い出した。本人の中ではそれなりの脈絡があったんだろうが、急によく分かんねえこと言い出すし、自分に酔ってんのか語り始めるし。その上、ぐちゃぐちゃと余計なことまでつけ足して、『力及ばず、悪いね』なんて。
まじで意味分かんなかった。最終的に育成枠は個人戦だったんだから、取れなかったのはテメーのせいじゃねえ。どう考えても実力が足りなかった自分のせいじゃねえか。──それに負けて得るもんもあったんだ。それは俺だけじゃねえ。春馬も遊晴も、創だって。誰一人んなこと望んじゃいねえだろう。聖の言うことへこへこ聞いてんのも、別にその代わりにアイツが何かしてくれるっていうメリットがあるからじゃねえ。んなのも分かんねえのかよ。
あん時のアイツの顔。多分きっと頭に残り続けんだろうなって思った。
それくらい、アイツにしては珍しく感傷的で感情的な顔だった。
情けなく、下向いたまんま、へらりと笑ったその顔を。
いつものスマイルで隠してるつもりだったんだろう。いや、隠したつもりだったんだろう。──役者目指してる人間としては、完全に失格で有罪だろっていう笑顔。でもその笑顔に、なんでだかほっとしてる自分も居て。
「同じ方向、向いてるって思ったんだ。そん時に」
なのに、なんで。
綺麗に笑ったその顔が。役者としては完璧な、一切隙のないそれで。多分、それが正解なんだろうが、だからって。そんな顔、今は見たくなかった。
下を向いた俺に構うことなく、自分の寮へと入ってく聖に。俺は何も言えず、ただ強く拳を握りしめた。
アイツがどこを向いているのか。この時の俺は全く分からなくなっていた。
*************
聖とそんな事があった後。自分の寮である第一寮に帰って来てからずっと──飯食っても風呂に入ってもずっと──気持ちがむしゃくしゃしていた。腹の中でぐるぐると居座るこの苛立ちに、どうしても我慢できなくて。俺は消灯前に、愁の自室を訪ねることにした。
「聞いてんのかよ、愁!」
つい、声が大きくなっちまったが。それでも愁の目は、机の上にある数学のワークから離れなかった。さっきから一向にこちらを見向きもしない愁にも苛立って、更に声を荒げてしまう。──なんで、こっち見ねえんだよ。
愁のその態度に、余計イライラが増して──。
膨らみに膨らんだこのぐちゃぐちゃな気持ちが。心のどこかで破裂したのを感じた。
「なんなんだよ、聖の奴。…………意味分かんねえ」
ぼそりと。最後に一言、つい、こぼれ落ちる。
あの笑顔のまま通り過ぎて行く聖が、目の前の白い壁──寮の部屋の──に見えて。本当に意味分かんねえ。なんで──。
さっきまでの苛立ちが嘘のように、一瞬で気持ちが凪いでいく。
「……うるせえ」
地の底を這うような愁の声に、ハッとする。見えるのは、見慣れた寮の部屋の白い壁、それだけで。
「さっきから横でわめくんじゃねえ」
やっと愁がこちらを見た──と、思ったら。その目を見る暇もなく、立ち上がった愁に首の後ろ──にあるTシャツの襟──をつかまれて。
ポイっと外に──廊下に──放り出される。
びっくりして我に返った時には、愁にドアを閉められた後で。
「愁!」
そう叫びながら、愁の部屋のドアを叩き続ける。
意味分かんねえ! なんなんだよ!!
しばらくして。
やっと開いたドアの向こう側。顔を出した愁の目を見て、思わず固まる。
「うるせえ。ここでわめくな」
声はかなり嫌そうなそれで。表情だってめんどくさいと言ってるものなのに。
「──つめてえな、愁! ……相談のってくれたって良いだろうが」
一瞬の動揺を悟られたくなくて、勢い良く返したが。その目が気になって、すぐに威勢がなくなる。──だって。
「騒いでただけだろ」
呆れたとでも言うように、目を閉じて。素っ気ない愁の声。でも開いたその目は相変わらずそのままで。
「っ! ちげえ、俺は」
つい、ムキになる。なんなんだよ、愁だって。──そんな目、してるくせに。
心配した、色。それがその目にはあって。
──瞬間、俺にしか聞こえない声で、愁が言った。
「──何とかしたいんだろ」
真剣な愁の目。まっすぐ俺を──俺の目を──見据える、愁の目。確認するかのようなその瞳に、俺はコクりと頷く。……相談、乗ってくれるのだろうか。
「じゃあ、仲直りしろ。それまで訪ねてくんじゃねえ」
ぴしゃりと。それだけ言った愁はドアを閉じてしまい。
「愁、つめてえ! 有罪!」
今の流れは、俺の相談に乗る流れだろ!!
ギリギリと握る拳に力が入り。少しだけ苛立ちが増す。が。
散々愚痴ってただけの自覚もあり。数秒、愁の部屋のドアを睨み付けた後、さすがにこれ以上はダセえと思って自室に帰ることにした。
『仲直りしろ』
最後に見た、愁の力強い目と共に、まっすぐに突き刺さった言葉。愁からの言葉。
仲直り、だなんて。ガキの喧嘩のようで、色々とシャクではあったが。簡単にできる気がしねえのもシャクだった。
多分きっと、その“仲直り”がされない限り、愁の態度は冷たいままなのだと、それだけはなんとなく分かった。けど。
──だからって、愁の言う通りに動く気はねえ。
ぐるぐると、ぐるぐると。渦巻くその感情が再び沸き上がる。結局、この苛立ちは、愚痴ったところで消える訳ねえ。それだけは分かり。
なら。
自分の腹に落ちるまで放って置こうとそう決めて、俺は自室のドアをくぐった。