名前を付ける
どんな形でもいいって思ってた。夕陽を眺めてたあの時までは。
でも、よそ見しねえ──それだけじゃあ、だめだ。だめなんだ。
こいつがいなかったあれで分かった。今のまんまじゃ、こいつはどっか行っちまう。だから。そうじゃねえ、形を。
──北原とのこの関係に、名前を付ける。
そうすれば、こいつは絶対どこにも行かねえ。その為に。
「俺とお前」
「愁と、俺が……?」
俺の言葉を、ゆっくりと北原が繰り返す。
信じられないと言うように。信じたいと言うように。
ゆっくりと噛み砕いて、飲み込むみてえに。北原は、言葉を繰り返す。──そのままこいつの中に溶け込んじまえば良い。俺の言葉が、北原の中に。染み込んで行けば良い。
そんで。こいつの中でも──北原の中でも、ちゃんと形になれば良い。
「嫌ならいい」
「嫌じゃねえ、嫌じゃねえけど──」
俺の言葉に即答して、それでも言葉に詰まる北原。
何かを言い淀むように、何かを探すように、その目は定まらず。
俺の方を見ることなく下を向き続ける。
テーブルの上に広がって並ぶ、緑青色の風呂敷と紫色の風呂敷。こいつと俺の弁当箱。北原と俺しかいねえ、テラス席。さんさんとあたる太陽は、今日も容赦なく俺達を照らして。少しだけまぶしい。風が吹かなきゃ、今日も暑いとそう思う気温で。
──暑い夏は、まだ終わってねえ。終わってねえんだ。
「愁は──、」
顔を上げた北原が、こちらに問いかける。
「──嫌じゃねえのかよ。」
そんなもん。決まってんだろ。
「嫌だったら、んなこと言わねえ。」
──嫌だったら、そもそもこの場にだって居ねえ。
“ただのクラスメイト”に、遠慮する必要なんてねえだろ。
それに。
もう一度──と。あの時、願った時点で。──嫌なわけがねえ。
それよりも、多分。
──必死だった。こいつをつなぎ止めておくことに。
だってもう、こいつは“ただのクラスメイト”じゃねえんだ。
北原廉は、俺にとって。もうそういう枠組みに居る、奴じゃねえ。
俺が、好きな相手。だから。
よそ見しねえで、そこに居続けてもらえるように。
逃げて、どっか行かれねえように。──目の前から居なくなんねえように。
北原廉が、目の前に居てくれるように。居続けてくれるように。
必死だった。
こちらを見続ける北原の目を。緑青色のその目を。
ただ、ひたすらと。まっすぐに見つめ返す。
──もう、絶対に。逃がさねえ。
だから。
「それに。よそ見しねえんじゃなかったのかよ」
無理にでもこっち向かせてやる。
「愁と俺が……?」
信じらんなくて、愁の言葉を繰り返す。
──信じたくて、愁の言葉を繰り返した。
分かんねえ。これが現実だと、本当のことだと、どうしても理解できなくて。
でも。愁はまっすぐこちらを見つめたまんまで。
真剣な表情。役を競ってた時に何度も見た、本気の表情、だったから──。
「嫌ならいい」
「嫌じゃねえ、嫌じゃねえけど──」
愁のまっすぐな目に──紫色のあの目に──耐えられなくて。
つい、下を向いてしまった。いつだって負けたくねえから、見返していた。けど。もうどうしたら良いのか分かんねえ。これ以上、期待したくなくて。だって有罪だろ、そんなの──。でも。
ハンバーグも付け合わせも、きんぴらもおひたしも。中途半端に残った弁当が目に入る。全然進んでねえ。でも自分の弁当箱の向こう側、テーブルの上に載るもう一つの弁当も、ちょっとずつおかずが残ってて。──風呂敷にまだ包まれてねえ愁の弁当箱。紫色の風呂敷の上に載っている弁当箱。──いつもなら。愁はとっくに飯、食い終わってた。俺との会話をする時は。相づちくらいなら、弁当食べながらでもあったけど。それでも、こうやって言葉を交わす時は、もう紫色の風呂敷に包まれた後で。俺が弁当を片すとき、すでにテーブルの上には愁の仕舞われた弁当箱が載っていて。
それなのに。
今日はまだ、テーブルの上には紫色の風呂敷が広がっていて──。
どうしてか。今日はまだ広げられたまんまのその弁当に、期待しても良いのだと──そう言われた気がした。
「愁は、」
顔を上げて、愁の方を見つめる。
真剣な紫の目を見返すように、まっすぐに愁を見る。
「──嫌じゃねえのかよ。」
分かんねえ。期待してるし、これに頷けば愁のあの笑顔の理由も分かる気がして、悪くねえって思ってる。けど。
信じらんねえから。──信じたいから。
聞いておきたかった。“嫌”かどうか、聞くのなら。愁だって、どう思っているのか。──確認したって、構わねえだろ。
「嫌だったら、んなこと言わねえ。」
真剣な愁のまなざし。
それがまっすぐ突き刺さる。──俺は。
「それに。よそ見しねえんじゃなかったのかよ」
迷う俺へと。畳み掛けるように、愁が言葉を重ねてくる。
──確かに言った。愁こそすんなよって付け加えて。でもそれは──。
──それは、愁が言ったんじゃねえか。よそ見するなと。
夕陽が沈む海に向かって、まだ負けねえと宣言した俺に。よそ見すんなよって。だから──。
「──俺も。よそ見しねえ。」
そう言って。
まっすぐ見つめてくる愁の目の強さに。
抗えなかった。──抗える訳ねえだろ、こんなの。
──だって、愁も。しねえって、そう言ったんだ。嬉しい訳がねえ──。
気付いたら、頷き返していて。
「──じゃあ、よろしくな」
それに、本当はもう一度見たかった。愁のあの笑顔を。
叶うなら、間近で何度でも。何度だって傍で。
見てえと思ったんだ。そう思っちまった──。
ああ、そうか。俺は──。
そわそわも、ピリピリも。
心臓が早鐘打って、痛えのも。
愁の前で緊張しちまうのも。
──好きだから、愁のこと。
そんな単純なこと、だったんだ。
だから、また見たいって思っちまって。あの愁の笑顔を。
こっちを見て──俺を見て、あの顔で笑ってほしい、って。
俺は。
空閑愁が、好きだから。
「──でも、良いのかよ。」
よろしく──そう言われても。全然ピンと来なかった。
頷いちまった手前、撤回するのは有罪だろ。だからって腹に落ちてこねえっていうかなんつーか。──つか、付き合うって、何するんだよ。
「何がだ?」
愁からは、特に何も思っていないトーンで返ってくる。
なんつーか、愁もよそ見しねえって言ったって。それで飲み込んじまうっつーのは、何か──違えだろ。やっぱり納得いかねえ。愁に丸込められたみてえで。(“付き合う”のが嫌な訳じゃねえけど。)
「………………追いついてねえ、俺で。」
言いたくはなかったけど。俺は。まだ追い越せてねえ。追いついてもいねえ。
──それなのに、愁の隣に立てるのだろうか。愁の隣に立っても良いのだろうか。
愁は、そんな俺で良いのだろうか。
「お前は追いかけて来んだろ、何度だって」
箸を手に、どうやら食べることを再開したらしい愁は、弁当を見ながらそう言う。
こちらは見ねえ、けど。さも当たり前のように発せられた言葉に、俺の方がたじろぐ。
「それに。誰がお前にくれてやるか。まだまだ追いつかせてやる訳ねえだろ。」
──ああ、そうだった。愁はそういう奴だった。だから。
だから、俺は本気になろうと思ったんだ。真剣にやろうと思ったんだ。この男を越えるために。
だって、そんな愁に。──惚れちまったのだから。
「──じゃあ、付き合ってやるよ。愁を追い越すのは俺だからな!」
追いかけてやる。何度だって、負けたくねえから。
愁はやっぱり格好良い。どんな時だって。無罪だな。
愁との勝負が続くなら──。それがどんな形でも良いと思った。でも。
愁と俺。この関係を続けるために、まずは名前を付ける。
「よろしくな、愁!」
※おまけ(ちょっと箱ネタ)
※補講最終日の放課後の話
「やっぱり、マズイ……有罪だろ、これ」
放課後、テラス席にて。
テーブルの上にある、ゴーヤ100%ジュースの入ったグラスを睨みながら、俺は思わず悪態を付く。──まじで苦えし、不味い。有罪過ぎる。健康面を気遣ったって言っても、苦いもんは、苦いし、不味いもんは不味い。
向かいに座る聖は、すでに興味が失せたらしく。
さっきからずっとスマホをいじっている。──俺が何を言おうが無視とか、まじで有罪だろ。
昼間と違い、太陽が大分傾いて日陰も増えたここは、それなりに涼しかった。昼の暑さが全然残ってねえとは言わねえが。──やっぱり大分違え。あの時とは。それをちょっとだけ惜しく思う。
午後の補講も終わって、ようやく開放されたっていうのに。
team漣でミーティングがしたい──と、春馬が言い出したから。俺らは、このテラス席でチームミーティングをしていた。
なんでも、明日から夏休みだから──だとか、しばらく顔を合わせねえだろ──だとか。何言ってんだか、さっぱりで、色々と意味不明だったが。
良いんじゃない?──と、聖に押し切られて。まあ、別に。たまには良いかと──愁とのことで気分も良かったから──特に反対する気もなかったけど。
(相変わらず、意味不明だよな。あいつら。)
俺と聖のテーブルから離れた、もうひとつのテーブルを囲む三人を眺める。
ナヨナヨハーブティーのにおいの餌食になりたくなかった俺は、あいつらから少しだけ離れた席に腰を掛け。
──さっきからずっと、このゴーヤジュースと格闘していた。
少しずつ、少しずつ飲み進めて。
あと一口か二口かで飲み終わる、そこまで来たのだが。
あまりの不味さに、ちょっとだけ挫けそうになる。
──でも愁が、俺に出してくれた奴だ。なんとしても飲みきる。
あの時、愁が言ったんだ。『つまんねー顔、してたから』って。だから俺を気遣った愁の思いを無駄にする訳にはいかねえ。
そう覚悟を決めて、グラスを握った。
***************
「でも付き合うったって。何すんだよ」
あれだけ中途半端に残ってた弁当も、気付いたら全部食べ終わってた。風呂敷の中に片付けながら、先ほど感じた疑問を愁に投げる。
──あんだけ味しなかったのに。食べるのを再開させれば、全然そんなことはなくて。やっぱりうまかったな今日の弁当。無罪だろ。そんな事を考えながら、いそいそと弁当を包んでいく。
「そりゃ──、そうだな。──まずはどっか行くか?」
虎石もよく出掛けてるしな──そう言う愁の言葉に、少しだけ首を傾ける。
「海にはもう行ったじゃねえか。」
「別に、同じとこ行かなくても良いだろ。」
「じゃあ──どこ行くんだよ。」
「どっかねえのか?」
「──いや、別に行きたいとこなんてねえけど。」
行き先なあ。大体、バイクで出掛ける時も散々悩んだんだ。
また探せって言われても……。
「そういう愁こそねえのかよ。」
「………………特にねえな」
明後日の方を向きながら、愁がそう答える。
「……つか、じゃあわざわざ出掛けなくても良いだろそれ」
無理矢理探し出したところで……って感じがするし。
つか、なんつーか。
「──出掛けるのに、“付き合えば”良いのかよ」
「…………そうだと思ったのか?」
きょとんと。
少しだけ目を見開いて驚く愁に、ちょっと驚く。
やっぱり愁って結構顔に出るよな──案外と表情がかわいい……じゃなくて。
「──そうじゃねえって思ってるけど、話の流れがよ……」
あの流れで。“付き合う”っつたら、そりゃまあ、よく和泉が女に言ってるような意味だって分かるけど。
だからって何したら良いかで、行きてえとこもねえのにどっか行くの、何か違くねえか?
「……和泉に聞くか……」
「いや、あいつに聞かなくても良いだろ……」
愁が嫌そうに眉間にシワを寄せる。うわ、すげえ嫌そう。
「あー、じゃあ、どうんだよ……」
まあ、別に。“付き合う”ってのがそういう意味ならば。
愁と特別な関係になったってことで。──それだけでかなり悪くねえだろ、って思っちまうが──。無罪だろ、そんなの。
「和泉がよくしてることって言ったら、女のとこにしょっちゅう泊まってる、か?」
あいつよく香水身にまとってるしな。プンプンさせてまじ迷惑。有罪。
和泉を参考にしたら分かるかなって思ったけど、これも何か違えような……。
「それなら、俺の家来るか?」
「愁の家?」
思ってもみなかった展開。でも悪くねーだろ、これ。
「夏休みの課題、やるとか何か口実は要るだろうけど。──どうする?」
「そんなもん、行きてえに決まってんだろ!」
***************
「え、急に何?気持ち悪いんだけど」
さっきまで手の中にあるスマホを眺めてた筈の聖が、急にそんな事を言い出す。
「は?何が」
「いや、何がはこっちのセリフ。──急にニヤつき始めて、どうしちゃったのさ?」
どうやら。昼間の愁とのことを思い出してたせいか、顔に出てたらしい。有罪じゃねえか。
「それともあまりの苦さに、本当に頭おかしくなった?」
「違えよ」
「本当に?」
お前、最近もちょっとおかしかったの、自覚してる?──とかなんとか。ついでのようにぐちゃぐちゃと聖が話を重ねてくる。
「別に良いだろ、その──やっぱり、うまかったんだよ」
「は?」
「だから、ゴーヤジュースだよ!愁が俺に出してくれたんだぜ。──同じもんじゃねえけど。だから、うまかったんだよ。」
そう言って、コップに残ってた分を全部飲み干す。──マズイ。じゃなくて。
「うめえな。うん、無罪だろ。」
愁が俺に“してくれた”ことは、どんなことでも大事にしたかったから──もちろん、飲み干すつもりだったけど。勢いで流しても、ゴーヤ100%分の苦みはどうにもならなかったようで。──口の中、すげえことになってる。
苦みに耐えながら笑う俺にどう思ったのか。
聖が呆気にとられた状態でこちらを眺めているのが視界に入る。
──誤魔化せてねえだろこれ。とにかく更に笑ってみる。
そんな俺を不気味なものでも見たような顔をした後、聖がため息をついた。
なんなんだよ、まじで。
「あー、まあ廉がそう思うならそうなんじゃない?」
斜め向こうに視線を向けて、聖がそうこぼす。
誤魔化せたのか、誤魔化せなかったのか、よく分かんねえが。
──口の中の苦み何とかしてえな。水が飲みてえ。
「ちょっと水、もらってくる」
そう言って、食堂の給水器から水をもらってこようと、立ち上がる。
「! 廉、どこ行くんだよ?」
斜め向こうの席に座る春馬が、いきなり大声で話しかけてくる。
「食堂」
それに淡々と行き先を告げる。
「──帰る訳じゃないんだ?」
カップの載った皿を持ちながら、いつものだるそうな目で遊晴が声をかけてくる。──帰る?なんでだよ。視線をやったついでに、こいつらのテーブルを眺める。ポットにどのくらい残ってるかは知らねえが、遊晴も創もカップの中身は半分くらいだった。
「? まだ居るだろ、お前ら」
「うん、もう少し居ようかな。」
あとちょっとで飲み終わるしね──と言って、創がカップを持ち上げる。
特にお互いテーブルを越えてまで話しかけたりはしてないが、だからって別にこいつを残してまで帰る理由もなかった。
「ん。水もらってくるわ」
三人にコップを見せながら、食堂へ向かうため、こいつらのテーブルの横を通りすぎる。
「やっぱり廉、普通じゃねーか」
俺が通りすぎた瞬間、ヒソヒソと声を抑えた風で話す春馬の声が聞こえ。
「俺はいつも普通だろうが」
足を止めて、振り返って答える。春馬は身を屈め、こそこそと他二人に話しかけてるみたいだったが。──その声はどう考えても耳に入ってくる大きさだった。
有罪だろ。そういうのは堂々と言えよ。
「まあ、春馬みたいなバカではないね」
こちらも春馬も見もねえで紅茶を一口飲んだ遊晴が、そう口を挟んでくる。そのさも当然という態度と言われた言葉に、どういう意味だ?──と、思わず首をひねってしまう。
「ちょ、遊晴!あ、廉は気にしなくて良いから!早く食堂行きなよ、俺ら飲み終わっちゃうし」
そう言って立ち上がった創は、遊晴にくってかかってる春馬の間に割り込んでいる。バカと言われたからか怒る春馬と、そんな春馬を見向きもせずにひたすらカップを傾ける遊晴。
創は「まあまあ」なんて言いながら割って入っているが、どう見てもしばらくは春馬の怒りは収まらなそうで。──めんどくさ、放っとこ。
関わりたくなかった俺は、とっとと食堂の方へと歩き出した。ちらっと見えた向こうのテーブルでは、聖の呆れたような顔が見えて。
テラス席が遠くなり、食堂が近くなった辺りで、急に笑いが込み上げてくる。──なんでか分かんねえけど、どうしてだか気分が良くて。
ウルセー春馬も、ぼーっとどこ見てるか分かんねえ遊晴も、へらへら笑っている創も、腹黒でセーカク有罪な聖も。
なんなんだよ、あいら。意味不明だろ。──そう思うのに。
何故だか、自然と口角が上がってしまう。
明日から夏休みだから──なんて理由で集まるの意味不明だなって思ったが。
──たまにはこういうのも、悪くねえな。
そんな事を思いながら、俺は食堂に入ってった。