来世で、もう一度指切りを|小指を失くしたまま終わった約束の話「ヤマブシタケ城かあ。良いなー、大手忍者隊のエリートコースじゃん」
「お前こそヤグラタケ城に就職するのだろう」
澄んだ夜空の下で酒を飲み交わすのは、これで何度目だろう。初めて二人で飲んだ際は、「苦い」だの「不味い」だの味に文句を言っていたのに、今じゃ双方立派な酒飲みである。
「なんだ、知ったの? 肴に取っておいたつもりだったのに」
「忍の仕事は情報収集が基本だろう。それより私の就職先を知らないとは……全くそれでよく就職が決まったものだ」
「やだな、滝の肴が減らないようにっていう私の気遣いは無視?」
「ならそれが知られぬように忍べば良いだろう」
「まー、滝相手に本気出してもねえ」
「どういう意味だ」
「にゃははは……」
薄紅色に染まり、緩んだ頬が月の光に照らされる。
突いたらわたしの指がそのまま埋まってしまうのではないかと思える程、柔らかそうなそれに手を伸ばす。
「滝?」
利き手で包んだ彼女の頬はやけに熱を持っていて、柔らかいというより今にも溶けてしまいそうだった。
その一瞬、何時ぞやの夜に触れた彼女の肌の感触を思い出し、自分が邪な考えを思っている事に気付き我に返る。
「今夜は飲むの早くないか?」
「ええ? そ〜お?」
いつも通りだよーと、彼女の小さな口がおちょぼ口になる。長屋の屋根の上で、お互い持ち寄った酒と話を肴に月見酒。雪もあらかた溶け、樹々の枝先が薄く紅くなり出した今日この頃。
卒業を翌々日に控えた身としては、今のうちに存分に遊んで置きたかった。もうこうしてゆっくり時間をかけて隣で話すことは、そう簡単にできなくなる。
「そっか、ヤマブシタケかー……同期で一番遠い所に行くの、滝になるんだね」
「その逆がわたしにも言えるのだけどな」
「まあ、必然的にそうなるわね。寧ろアンタと一番近い所に三木ヱ門が居る事に吃驚」
「それは言うな……」
六年間散々やり合った好敵手が、彼奴がよもや一番近くの城へ。それも珍しく和平を結んでいる城同士になるなど、さすがのわたしもこれには驚いた。おまけに何気なく三木ヱ門の様子を探れば、向こうが満更でもないようだったのだから、人生何が待っているか解らないものだ。
「良い腐れ縁よ。切らないようにする事ね」
「程々にしておくさ」
「案外私とはブッツリ切れちゃったりして」
「嫌な事を言うな」
「でも有り得なく無い話よ」
半分程残っていた杯の酒を一口で飲み干し、唇に残った雫を彼女の小さな舌が舐め取った。明らかに普段より飲んでいるにも関わらず、彼女の目は恐ろしい程冷静にわたしを見ていた。だが言いたいことはよくわかる。
わたしたちが生きてゆく世界は、それが当然の世界なのだから。
「男同士の友情は続いても、男女の縁ほど不確かなものはないわ」
「なら、賭けようではないか」
「賭ける?」
「卒業してから偶然に会う事があるかどうか」
「私と滝の縁が切れてないかって? どうやって確かめるって言うの? 会った瞬間切り合うかもしれないのに?」
「その時はその時だ」
「まあ、それもそうね」
開いた杯に酒を足す彼女の瞳が、先程と比べて楽しげに揺れる。右足の先をちょこちょこと動かしているのは、機嫌がいい時の癖だ。もうひと押しといったところか。
「で、期限は? あと賭けなら何か賞品が欲しいわね……あ、私お酒が良い」
「それは今のお前が欲しいものだろう。しかしまあ、確かに期限は必要だ。四年でどうだ?」
「丁度いいんじゃない?」
「それから……ただ会うだけなのもつまらないな。卒業してから四年間、お互い敵同士でなく会う事が有るかどうかを付け足すか」
「難易度上げるわね。そこまでして、滝が勝ったら一体どんな賞品を強請られるのかしら、私」
きゃらきゃらと笑いながら、態とらしく「ああ、怖い怖い!」なんて、その身を腕で抱えて彼女がふざけてみせる。思っていた以上にご機嫌なのは、酒の影響だけではないはずだ。彼女はこういう面白いことに、目がなかったから。
「何しろ私が望むものだからな。お前が一生をかけるくらいの物が良い」
「うわあ、安易にお酒とか言うんじゃなかった……で、何?」
「私が勝ったら、共になろう」
「……本気?」
「本気だ」
月が彼女の素顔を照らす。僅かに揺れる瞳に、先ほどよりも高揚した頬。耳まで赤いのは、夜の空気が冷たいからでない。
つい今しがた並々と注いだ杯を、男らしく一気に煽る。ごくりと彼女の喉が鳴ると、杯の下から満面の笑みが見えた。
「乗った!」
「そうか」
「じゃ、指切りしましょ。小指出して」
「お、お前と言う奴は……」
折角の雰囲気も、これではぶち壊しではないか。そうジト目で見れば、杯で口元を隠して彼女が笑う。珍しく素直に照れている。
「だって、賭けを忘れられちゃったらたまらないもの。これ位したなら、嫌でも覚えるってものでしょう?」
「意地の悪い奴め……素直に嬉しいと言えば良いもの」
差し出された細い小指に指を絡ませて、約束を歌う。
忘れるものかと心に誓い、彼女に私の小指を預けた。
「嘘吐いたらどうなるか……解ってるでしょうね」
「拳骨一万、針を千本飲ますのだろう」
「残念! そこに押し掛け女房も付くわよ」
「それは怖い」
「怖いでしょう?」
* * *
屋根の上で二人。最上級生らしからぬ態度で笑い合ってから三年。ヤグラタケ城に一通の文が届いた。
届けて寄越したのは、あの腐れ縁の火器馬鹿。よくまあ生きてたわね、という私の憎まれ口に、彼は以前のように噛みつき返しては来なかった。
彼から手渡された文には簡潔に、あの戦輪馬鹿が死んだと書かれていた。約束で使った小指は忍務で切り落とし、無くしてしまったそうだ。
約束した印を落とした挙句、無くすとは一体どういう事か。
「……嘘吐き」
約束したのに、馬鹿じゃないの。
涙が頬を転がり畳を濡らす。
「私の小指はまだ残ってるのに、どうすんのよ。馬鹿」
一体どれだけその約束を待っていた事か。
これでも他の男に声をかけられるくらいの良い女になって、その声全てを断って来たと言うのに。
擦り切れてしまうと嫌だから、あれ以来だれとも指切りせずに待ってやって居たというのに。
「嘘吐き!!」
言いたくもない、責める言葉が口から溢れる。彼の好敵手に背中を擦られながら、私は子どものように嗚咽を漏らすしかできない。居なくなったら、引き止めることもできないのだ。
誰か。これは夢だと言って。
「嘘って言ってよ、滝!!」
あれから長い時間が流れ、私の前で桜が綻び、風に煽られ呆気なく散る。春が終わり、夏が来て、短い秋を迎えて、耐え忍ぶ冬が来た。美しい季節が、巡りに巡る。
それを数十回一人で繰り返し、ある時からぱったりとそれを数えられなくなった。水に漂うが如く、浮つく意識の中で私はただただ眠る。時折瞼を開いて、周りの朧げな景色に安堵し体の力を抜く。
眠って眠って、眠り続けて。ある時からふと、自分がまた桜を愛で、夏の暑さを嫌がり、秋の作物を食べ、冬の雪の白さを楽しみにしている事に気付いた。
昔眺めた景色とは程遠いながらも、四季を折々の色を眺め、私は年を重ねていたようだった。
私の隣や周りには、楽しげに笑う家族や友人の姿。しかし、あるはずの小指が無いような気がしてならなかった。
「一組かあ」
そして今日、ようやっと十三回目の春を迎えて私は中学一年生となった。
まだ着こなせていない制服には愛着が沸かないのに、学年毎に異なるというスカーフの色には安心感があり、どこかそれがくすぐったい。
隣の席に座る女子はどうやらこの色がお気に召さないらしく、先輩達のような深緑か藍色が良いのにと、私に囁いてきた。
紫だって綺麗だと思ったが、それは黙っておく事にした。入学早々、敵を作る事は無い。
不貞腐れている隣の子を眺めていた時、その子の席の先に座る、やけに気になる横顔が目に入った。
目が釘付けになるという言葉は、人の動きを本当によく表した物で、現に私は呼吸でその横顔が揺れてしまう事さえもどかしく感じた。
私はこの顔を見た事がある。
「……あ」
そう気付いた瞬間、あれやこれやと私の中にあった“何か”が溢れ出して来た。
後から後から吐き出したい言葉が出て来るのに、吐き出す事が出来ずにその横顔を凝視する事しか出来ずに居た。
そんな私の異常な様に、不安を覚えたのか隣の席の女子に名前を呼ぶ。それに気づいたらしい目先にあった横顔が、ついに正面に変わった。
穴を開けられそうな程見つめられていた事に気付いていたのかどうかは、はっきり言って知らない。
それよりも、今度は彼がこちらに歩んで来た瞬間、差し出して来た小指から目が離せなくなった。
ああ、もう。全く。何時まで待たせるつもりだったのよ。
そう毒づきたくなるのを堪えて、私は彼にそっと笑顔を向けた。
「小指、生やして来たのね。蜥蜴みたい」
「馬鹿言え。何処ぞの虫が泣かないように、擦り切れたのを態々拾って付け直して来たんだ」