その糸の色は何色か|見抜いてるくせに距離を詰めてこない女 町へ降りる途中の道、見慣れた背中と高く括った柔らかそうな髪が目に入る。
さあ、今度こそ一本取らせて貰おうか。
「やあ、
名前ちゃん。今から
名前ちゃんも町に降りるの?」
そう、後ろから声をかければ、
名前はこちらの気配に気づいていたのだろう。特に驚いた風でもなく、こちらへゆっくりと振り向く。
「ええ、買い出しに行くの」
「僕も図書委員の買い出しなんだ、墨と新しいはたき。
名前ちゃんは何を買いに行くの?」
「裁縫用の赤糸と、針。それからおばちゃんに頼まれて大豆を一貫買わなきゃいけないの。あと細々した用事が少々」
「じゃあ、良かったら僕と行かない? 大豆を一貫なんて、重いだろうし。手伝うよ」
「本当? 助かるわ、ありがとう。ところで……」
まるでこちらを溶かしてしまうのではないかと言う程の微笑みで、彼女はこう続ける。
「呼び方をいつもと変えてもすぐにバレるだけって言ったじゃない、三郎」
「ちえっ」
作法委員会、くのたま五年生の一人。
苗字名前は目が良い。
それは学園中で有名なことで、その理由は紛れもなくこの俺にあることはお互いよく知っている。
「何故お前にはバレてしまうかなー」
「さあね」
「今日のは特に完璧だったんだぞ。お前は目だけじゃなくて鼻も利くし、ついさっき雷蔵の服を剥ぎ取って来たんだが……」
「……雷蔵くん、可哀想」
「これは途中の茶屋で団子を食うしかないな」
「あら、良いわね」
名前の目尻が今日一番に下がる。甘いものが好きなこいつは、存外それ絡みは素直だ。
「勿論、お前のおごりだ」
「なら、お断り。
一人称、今日はそんなにお金持ってないもの」
「じゃあどうしてくれる!」
「知らないわよ」
「……なあ、
名前」
「なあに?」
「お前、俺のこと嫌いか?」
町への道を遮って、顔を覗き込む。
横を歩いていた時には見えなかった彼女の向こうっ面が見え、ついでにちょっと困ったような怒ったような表情も見えた。綺麗な顔が歪んでいるのは、こちらとて嬉しくない。
化粧をせずともそれなりに整った顔をしていると自分でも分かっているのだろう、
名前は普段からそこまで厚い化粧はしない。今日だって日に焼けない為に薄く白粉を塗った程度で、あとは髪を丁寧に梳いて結っただけだ。
厚い化粧など男はそう好むものではないし、
名前はこれだけでも十分魅力が出ているので悪くはないのだが、それはそれで面白くない自分もいる。
「いや、言わんとしていることは分かる。分かるが、あえて言おう。確かにくのたまは皆、忍たまを陥れる子が多い!」
「悪かったわね、陥れるようなくのたまの一人で」
「話は最後まで聞け。くのたまは確かに忍たまに対して悪戯はよくするものさ。さっきも兵助にカラクリで悪戯して来ただろう、
彼奴泣いてたぞ」
「さすがにさっき駄目にした豆腐なら町で買って来てあげる予定よ」
「細々した用事はそれか」
「そう。というか、
一人称もあの絡繰があんな風な動きするとは思ってなかったのよ。試作品だって聞いてたし……でもある意味幸せそうじゃなかった?」
「まあ、確かに。顔に豆腐が飛び込んで来た瞬間の顔は幸せそうだったな」
「なら良いじゃない」
「良くない。お前は俺に何もして来ない」
「あら、やだ。三郎ったら
一人称に虐められたいの?」
「お前が俺のことを嫌ってないならな」
含み笑いで話したのがいけなかったのか、今度は露骨に嫌がっている顔をされた。
それでも整えられた眉は綺麗なまま歪んでいるので、怖さも無ければ迫力も無い。
あるとすれば、それで感じる微かな優越感。
「嫌ってない程度の間柄なら、ああして絡んでくるのだろう? それなのにお前ときたら、こちらが話しかけない限り俺に近寄って来ない」
「嫌ってたら、町に一緒に行く申し出は断ってるわ」
「雷蔵だと間違えてたら?」
「失礼ね。
一人称は貴方と彼を間違えたりはしない」
「だろうね。お前は俺が変装しているのを見抜くのが一番上手い」
「当たり前よ、すぐに気付くもの。はい、問題解決。早く町に行きましょう」
「何故だ」
まるでこの言葉に合わせたかのように、ごうと、強い風が吹いた。
名前の赤く形の良い、小さな唇がきつく結ばれ、白くなってゆく。
「何故お前は、俺が俺だと見抜ける? 先生方だって間違える時もある。それなのに俺はお前が間違えたところを一度も見たことが無い。おまけに雷蔵だけじゃない、誰に変装してもお前は俺だとすぐに気付く」
「そうでしょうね。
一人称、三郎を誰かと間違えたことなんかないもの」
「一体その秘訣はなんだ」
「知りたい?」
優越感よ、さようなら。
今度は
名前が勝ち誇ったような顔で、俺を見上げている。
白くなっていた唇に色が戻り、隙間から見える舌が、話す度にちろちろと顔を出している。
「知りたいね。俺と一定の距離を保ちながら、それでいて嫌ってないなんて言うなら、尚更」
腕を組み、黙る
名前の答えをじっと待つ。
右人差し指を下唇に当てる姿がやけに様になっている。彼女が真面目に話す時の癖だ。
直せと言ってやっているのに、彼女は一体いつまで直さないのだろうと頭の片隅で考える。
「印」
「は?」
「印がついてるの、三郎にだけ」
「俺に? 印が? どこに?」
「それは内緒。というか、貴方には見えないから分からないわよ」
「ふむ……見えない印」
「ねえ、そろそろちゃんと歩きましょう? これじゃあ夕方までにおばちゃんに大豆を届けられないわ」
「なあ、
名前」
「今度は何よ?」
「それは、縄だったりしないか?」
「……は?」
不意を食らったのか、
名前の真っ黒な目がまん丸くなった。
まるで猫のようだ。猫は驚いた時瞳孔が大きく開き、見開いた目は満月のように真ん丸になる。
「何だ。お前は知らないのか? 唐に伝わる、赤い糸の伝説」
「あ、ああ……図書室の書にそんな話が載ってたわね。それなら知ってるけど、ちょっと待って。まさかそれが
一人称と三郎、貴方が繋がってるとか言わないでしょうね?」
「まさか。そのまさかだ」
「……呆れた」
本当に呆れている声で言われるが、そんなこと気になどしていられない。
そのまま俺は言葉を繋ぐ。
「俺は結構お前のを気に入ってる」
「あっ、そう」
「お前はどうだ、
名前」
「少なくとも、嫌ってはないわよ」
「それはさっき聞いた」
「じゃあ何が聞きたいのよ」
再び優越感。
丸かった目は半月のように欠けて、俺を見上げている。
「俺はお前を好いている。俺の隣にいてくれないか、
名前」
強い風は一向に治まらず、彼女の髪を乱す。
乱れて顔にかかった髪を左手で右に掻き寄せ、赤く小さな口の中で舌が楽しそうに踊る。
「面白いことを教えてあげるわ、三郎」
「何だ」
「喜三太くんは、なめくじが大好きなの」
「知ってるぞ、そんなこと」
「じゃあ何で見分けられるか、知ってる?」
「……ふむ」
「ね? 面白いでしょう?」
そう言う彼女の顔は、紅色に染まりまるで林檎のように熟れて見えた。
「ああ、そうか。それは、面白い」
熟れた林檎はとても甘い。自然と俺の喉が鳴った。