分かってるくせに、どうして応えないんだ|花札と百人一首の話 雑踏、ざわめき、人垣、群衆。
間休みの数分という短い時間の廊下は、移動教室で急いでいる生徒やクラスの違う友人と話す者で溢れ返っている。そんな中で人目を引いているのは、我が校でもかなり有名な組み合わせの男女だ。
男の名は鉢屋三郎。成績優秀、学級委員長でありながら、本人のやる気のなさで一般進学コースを選択。学年でも良い意味で目立つグループの一員の男子生徒達とつるんでいる。
女の名は
苗字名前。こちらも成績優秀で、学年でも有名校に進学する特別進学コース。勉強ばかりではなくバスケ部のマネージャーとしても知られ、さっぱりとした性格から男女共に慕われている。
スペック的に既にそれなりに目立つ人間が、それも男女で揃えば目立つのは当たり前だろう。けれどもこの二人はただ目立ち、人一倍目を引いている訳ではない。
「えっと……猪鹿蝶に、青短で、俺の勝ちだ。こいこいでどうよ?」
「お生憎様。はい、五光」
クラスの端で花札に興じている二人を、そっとクラスメイト達が見守っている。たった十分の間休みでも、学生にとっては自由が許される時間。不思議なことにこの短い時間の小さな積み重ねが、結構楽しかったりするものだ。
「やべえ、この役でしかも全敗とかないわー」
「あらやだ。
一人称がこういうの徹底的に叩き潰すタイプだって知らなかった?」
「怖い、怖いよ
名前マネージャー!」
「っていうか、どうせ昼休みに皆でお昼食べるんでしょ? その時遊んで勝たせて貰えば良いじゃん。三郎くらいなら、尾浜くんとか意外と久々知くんも手頃な強さだから楽しめるんじゃないかな?」
「え、何。勘右衛門と兵助と花札したの?」
「うん。だって三郎達の間で流行ってるんでしょ?」
「まさか。俺が花札しにここに来るの、
名前に会いたいってだけだし」
どうだ、と彼女の顔色を盗み見る。
余計な化粧などしていない顔が、柔らかく微笑み俺を見る。綺麗だ。素直にそう思った。
「全く、いい加減その癖直しなって何度言ったら分かるのかな。バスケ部のエースが簡単にその手の言葉吐くもんじゃないよ。三郎顔は良いんだから、釣れる子は本当に釣れちゃうよ」
「いや、だから」
「そりゃ恋愛は自由だよ? でも問題起こして部にまた持ち込むことだけは止めて。キャプテンも部長も顧問もみいーんな色恋沙汰苦手だって言って、結局
一人称に丸投げして来るんだから」
「あ、はい」
ここまで堂々と一方的な逢い引きしに来ておいて、出歯亀も何もないのだが、見守ってくれていたらしい教室の空気が一瞬で同情の色に変わった。余計なお世話だと言いたくなるのを、堪えて次の行動に意識を向ける。
「もう四限始まるし、三郎もう帰った方が……」
「あの、さ。今日の放課後なんだけど」
「ん?」
「鉢屋あ、先生が次の授業のプリント早く取りに来いって言ってたぞー」
「……チッ」
オイ誰だ今影で「神タイミング」とか言った奴。俺の身になってみろよ、蹴飛ばすぞ畜生。
「こら、舌打ちすんじゃない。早くってことは先生待ってるんでしょ? 急いで行っといでよ」
「はあ。またな」
「うん、またね!」
にっこりと
名前が笑って手を振ってくれる。
俺は何て馬鹿な男なのか。
余計な邪魔が入ったことも、笑顔で手を振り返されただけでどうでも良くなってしまう。ああ、もう本当可愛い。頭を撫でて、抱きしめて、キスをしたい。あの柔らかそうな首筋に顔を埋めて、自分の物だという跡を付けて誰にも取られないようにしたい。あの笑顔は反則過ぎる!
悶々と年相応に妄想を迸らせ、単純で馬鹿な俺は浮き足立った気分のまま足を進め、俺は職員室の前でようやっと現実を思い出して凹むのだ。
「何やってんだ、俺は……」
「花札作戦は?」
「全敗」
「恋の駆け引きは?」
「全敗」
「放課後のお誘いは?」
「そこまで言わせる気かよ……」
今この時間は三郎のクラスの担任を含め、自分達の学年の先生達は全員緊急で入った職員会議でいない。昼食前ということもあってか、自習を言い渡された生徒達は食堂に向かうなど好き勝手に動いて行った。勿論課題の為に教室を出て図書室に向かった奴もいるだろうし、一学年丸々教員不在という所に目をつけて別のクラスに遊びに行った奴もいる。
結局教室に残っているのは俺と雷蔵と八左ヱ門のいつものメンツと、片手で数えられる程度の生徒が本格的な昼寝に興じているだけだ。
学級委員という役職上プリントと不在の説明の役目を託された俺は、重たい空気を漂わせつつも適当に仕事をこなして席に着いた。もとい崩れ落ちた。一応優等生として通っていることもあってか、教室での俺の席は教卓前。隣には雷蔵が座っている。
席に戻れば、雷蔵がプリントに書き込みながら苦笑して出迎えてくれた。我が幼馴染みは真に良い奴である。一応八左ヱ門も気を遣ってくれてはいるのだろう、早々に俺の後ろの座席に座って待っていてくれた。
「中々手強いねえ」
「ま、その分想いが実った時の幸せが倍増するんだから、Mになった気分で頑張れよ」
「うるせえ、焼そばヘッド」
「焼きそば馬鹿にすんなし」
「お前を馬鹿にしてんだよ」
俺は
名前が好きだ。
どれくらい好きかと聞かれれば、一晩語ってやったって良い。勿論それで足りるとも思えないから、いっそのこと週末を俺に預けてくれても良い。幼馴染みという特権をフルに生かし、アイツの幼少期から現在に至るまでの輝かしい可愛さの功績と、狂おしい愛おしさを語ってやろう。自分でもこの嵌りっぷりは正直人様から引かれるレベルだと重々承知しているが、好きなものは好きなのだ。どうすることも出来ない。止められないのだ。
彼女を振り向かせたいが一心で会いに行くようになって、もう早いことに半年は経った。当然周りの人間にはバレバレだし、寧ろそれを逆手に取って余計な虫が付かないように周りに見せつける勢いでアタックを繰り返して来た。
例え、それが気付いて貰えずとも俺は諦めずに来たのだ。
でも、やっぱり気付いて貰わないとどうしようもない。
「
名前……」
名前が鈍感ではない事は長い付き合いからよく知っているし、昔はアイツだって告白されていた事だってあった。今は俺のこの言動から告白する人間はいなくなったので、寧ろいたらその生徒は勇者として褒め讃えられるであろう。そして三秒後には即刻俺が地獄に叩き落としてくれる。そしてそれ以降の
名前との接触を断固として阻止する。絶対に、視界に
名前を入れる隙もない程に、だ。
「しっかし
名前も気付かない、いや靡かないもんだよなー」
「まあ、どうしてそうなったのかは、本人が一番よく分かってるはずだから。そっとしておいてあげなよ、八」
「雷蔵さん、意外と手厳しいっすね」
「僕と三郎が幼馴染みで、三郎と
名前が幼馴染みなように、僕と
名前も幼馴染みだからね。僕は片一方だけの味方をすることはないよ」
「うっわー、黒い」
「利他的って言って欲しいなあ」
「恐れ入ります雷蔵様」
何故アイツが俺の抱く感情に気付かないのか。その原因が俺にあることは、俺がよく知っている。
初めこそ大人しく彼女を想っていた俺は、今考えれば大変ヘタレた坊主だった。
そしてヘタレはヘタレらしく大人しく普通にしていれば良かったものを、若気の至りというヤツで身を磨き、言葉はアレだがモテるように努力した。これがいけなかった。
初めこそ褒めてくれていた彼女も、女が一人、二人と増えていくうちに顔色が曇って行った。当時頭が平和の輪っかでスッカラカンだった俺は、てっきり彼女が妬いてくれているものだと勘違いして愛想良くし続けたのだ。
気が付けば彼女はこの環境に慣れてしまい、分かって貰えないまま挙げ句女誑しという汚名を頂いた。誤解である。
正直な話、俺はヘタレのままここまで来たから告白を受けても全て断って来た。だから女性経験など全くないし、それはこの学年の男子生徒は皆知っている。知らぬは一部の女子と、問題の
名前だけ。
このあまりの不憫さから、俺や
名前のクラスメイト達からは生暖かい視線を投げられるわ、有り難いんだか迷惑なんだか俺たち二人をくっつけようと、陰ながら
名前へ俺を後押ししてくれる女子が現れる始末。
「つーかさ、いつまでも
手薬煉引いてねえで、もう素直に直球で言やあ良いじゃん」
「馬鹿言うな、それで避けられたらどうする。お前は俺を殺す気か」
「……鉢屋が純情ボーイになると、こんなにも寒イボ立つとは」
「黙れモップ頭」
そのあまりの言い様に流石にカチンと来たので、竹谷の弁慶の泣き所をどついてやる。
「いっでえ!」
「自業自得だ」
「まあまあ、二人共」
雷蔵が俺を宥めるが、正直今の心情じゃ焼け石に水だ。
「それにしても三郎も頑張ってるよね」
流石というか何と言うか、雷蔵が俺の今まで試してきた努力を上げて、机にしがみついている俺を慰めてくれる。良い奴だよ、お前。本当良い奴。
「最初は登下校の時間を一緒にした所からはじめたんだよね」
「でも家が近所だったし、当たり前って感じで流れちゃったんだよなァ……」
「まあ、元から殆ど一緒に登下校してるようなもんだったしな、お前等。そういや委員会を一緒にしたのはどうなったんだよ」
「それなりに
名前との距離は近付いたと……とは思う」
「おぉ!」
「毎回後輩と一緒に遅刻を怒られてるけどな」
「そりゃ遅刻するお前が悪い」
「あ、やっぱり」
「当たり前だろ」
「どーにもなー、早めに行ったら変に疑われるんじゃないかって、毎回悩んでたら時間が過ぎてる」
「いや考えてねえで行けよ! つーか告れよ!!」
先程蹴られてから大人しくプリントに目を落としていた八に、斜め45°の的確な角度で手刀を速攻で突っ込まれた。
地味に痛い。
「じゃあ言うけど、毎朝俺に味噌汁作ってくれっていう俺の渾身の告白は誰のせいでなくなって、誰のせいでバスケ部の朝練で味噌汁を配られるようになったんだっけ?」
「あー、いや、あれはその……」
「俺これでもちゃんと言ったことあっただろ? なあ? なあ? ……なあ!!」
「す、すまん。何と言うか、まさかあのメールの相談された内容がお前にみそ汁を作るかどうかの話だと思ってなくて……俺と
名前のメールって大抵部の話ばっかだったから……」
「……」
「……」
「…………」
「……あひっ」
沈黙に耐えられなくなった八左ヱ門から、変な笑い声が漏れた。
「お前もう一回地獄落ちて来いよ」
「雷蔵お願い助けて俺サブちゃんに殺されちゃうう」
「流石にサブちゃんっていうのはちょっと……」
「助け求めば鬼二人!! そっちに突っ込まないで助けて!! ってかマジもう、本当アレは悪かったって!! ねえ!! ちょっと!! サブちゃんお願いその手退けて!!」
「サブちゃんサブちゃんやかましいわボケ」
俺の腕の下でジタバタ動く八左ヱ門を尻目に、黙々とプリントを埋めていた雷蔵も呆れたように口を開いた。
「なんだかなあ。三郎も本当に頑張ってるんだけどねえ」
部活の試合に応援しに来て貰えるよう頼んでみたこともあったが、そもそも
名前は俺の所属するバスケ部のマネージャーで、俺だけを見てくれる訳も無かった。
勉強を教えてやろうと言ってみたこともあったが、よくよく考えてみれば
名前の方が勉強の出来る特別進学のクラスだったし、しかも勉強教えて欲しいなら久々知の方が教えるのが上手いと提案されたこともあった。どうやら俺が勉学で切羽詰まっていると思われたらしい。
部活の後の放課後デートに誘ったこともあった。でも次の試合の作戦会議だと思われてキャプテンの竹谷と部長の尾浜も誘われて、何とも言えない切なさを味わったのだ。世知辛いったらない。
今の所試している間休みの訪問アタック、もとい花札もそろそろ潮時かもしれない。今日のあの様子じゃ今日か明日の昼休みには勘右衛門と兵助が申し訳なさそうな顔で謝って来るだろう。俺だってそれを無下にする程友人を思っていない訳じゃない。
そういえば花札の前は相手が読み上げていない百人一首を読み、読み上げ遊びをやっていた。頭の良いアイツに合わせてみたつもりだったが、人が必死に恋の歌を読んでもこちらの気持ちを知って知らずか、やれ関所は開かんだの、噂の色男が何だのと返して来る始末。流石にあれには俺の心もボキボキに折れた。
「俺はいつの間に保健委員になったんだろうな……」
「不運……うん、確かに不運だね」
「雷蔵おお」
「でもあれだな。ここまで来ると
名前が逆に水面下で避けているような……」
沈黙。
「そう、だったのか」
「八!! 何言ってんのっ!?」
「すまん!! 三郎!! 冗談だ!! 冗談だから!!」
「よく考えて見なよ三郎、三郎が嫌なら
名前だってもっと嫌がるって!!」
「いや、近いからこそ言えないだけなんじゃ……」
「おい誰だよこのネガティブ野郎は!!」
「嫌われてるのか、俺」
「雷蔵やばい、これはやばい」
「八が原因でしょー!!」
「アイツは……」
胸が熱い。苦しい。
毎日感じるこの痛みは、一体いつになったら消えるのだろうか。この痛みが愛おしいと思えてしまう程、俺は
名前が好きなのに。 俺の手は届かないまま、離れて行ってしまうのだろうか。この痛み諸共、時間に流されて痛覚も擦り減り、本当に何もなくなってしまうのだろうか。
口から言葉が勝手にこぼれ出す。
「性格も顔も頭も悪くなくて、寧ろスゲー良くて」
「ちょっと目が離せないけど、笑うとスゲー可愛いんだ」
「でもマネージャーやってる時の横顔とかは、逆に格好良くてさ」
「本当、すげえなって。見てるだけで思うんだよ」
「そりゃ、あれこれ考えはするけどさ。でもやっぱ泣かせるとか一番したくねーし」
「泣くよりも、笑って欲しくて。笑わせてやりたくて、でも俺何言っても笑わせてやれねーんだよ」
「アイツ意地っ張りだからさ、無理する前に助けてやりたいんだ。ありきたりだけど守ってやりたいんだよ」
「でもさ、守るも何も、俺ばっかアイツに救われてるんだよ。馬鹿みたいだろ」
「それなのに傍にいること、許してくれるんじゃないかって。隣にいたいっていう俺の我が儘、許してくれるんじゃないかって思うんだ」
「どこにも、行って欲しくないんだ」
次から次へと溢れて来る。こんなにも好きだという気持ちが溢れて、抑えられなくて、荒波に飲み込まれそうになる。 盲目的で、献身的で、全てを捧げてしまいたくなるのは、可笑しいと分かっている。それでも俺の持っている全てを使い、守ってやりたいと思う。
それなのに、俺の手を引いて“ここ”に戻してくれるのも彼女の手なのだ。
鉢屋三郎という人間を、生かしていてくれているような。 そんな気分にさえ、なってきてしまう。
「本当に三郎は
名前の事が好きなんだね」
雷蔵が感慨深そうに言う。その顔はとても静かでありながら、穏やかだ。
「……悪いかよ」
「いいや、寧ろ好都合だよ」
「は?」
穏やかと表現できる顔が、一瞬にして楽しげな顔に変化した。俺は良く知っている。雷蔵のこの顔は、どこかで何かを企んでいるような、悪戯をする前の顔だ。
「と、まあ、こんな感じにコイツお前にベタ惚れなんだけど……」
八左ヱ門と雷蔵が教卓を見つめている。
どういうことだ。どういうことなんだよ。頭の中の血がサッと引く音が聞こえ、思考が一気に鈍くなってゆく。
「どうよ?」
体が動かず、それでも必死に縋るように首を動かす。あまりにも体が引き攣り過ぎて、錆び付いているかのような動きで視界が少し揺れた。
数秒の、沈黙。
「……
名前?」
俺が小さく声をかけると、教卓の中から少々鈍い衝突音がして、微かに机が浮いたような気がした。痛そうな音だった。
しかし外から出てくる気配は、一向に感じられない。
痺れを切らした八左ヱ門が教卓をむんずと掴んで持ち上げた。
そこには背中を小さく丸めた
名前が、膝に顔を埋めて座っていた。
「あ、う……」
「お、とに、聞く」
「え?」
「高師の浜の、あだ波は、かけじやそでの、ぬれも……こそすれ」
「違う!」
何を言うのかと思えば、またその歌を詠むのか。
聞いていたのなら、何故俺の方を見てくれないのかと。悔しくて。切なくて。
「みちのくの、しのぶもけぢずり、たれゆゑに、乱れそめし、われならなくに」
「………」
どうしたら届くのだろう。どうしたら本当に好きだと伝わるのだろう。
「あさぢふの、小野のしの原、忍ぶれど、あまりてなどか、人の恋しき……違う、そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」
頭ばかり賢くて、根性がへたれている俺の口から溢れるのは恋の歌ばかりだ。違うのだと口にしながら、言いたい言葉が出て来てくれない。
そんな俺に痺れを切らしたのか、
名前が立ち上がって扉に向かって行く。呼び止めも出来ずにいる俺が、たった一言言えば済む話。
「好きだ、
名前」
教室の扉に手を掛けた
名前に、やっと言えた一言。
これでまた関所の歌なんかを返されたら俺はどうなるのだろう。自分でも予想が付かない。
「し、忍ぶれど……」
「え?」
「あとは、自分で思い出して!」
早口でそう叫ぶように言うと、ぴしゃりと扉を閉めて
名前は出て行った。
赤く染まった耳たぶの、今にも燃えてしまいそうなあの鮮明な色が目に焼き付いて離れない。
なあ、今アイツ何て答えてった? 忍ぶれど、って、言った? 真っ赤な耳で、言ったよな?
呆然と動けそうにない俺を横目に、八左ヱ門と雷蔵が顔を見合わせて話している。
「この後どうする、雷蔵」
「とりあえず、プリント片付けようか」
何かもう、手助けしなくても良いみたいだし。
そう楽しげな口ぶりで話す幼馴染みの声よりも、今の俺の頭の中は愛おしい人の声が反響するばかりだ。