I do not know you.
パーセンテージの書かれた瓶に首を振れば相手の目が丸くなる。アルコールで思い出すのは病室の白い壁だ。記憶は根深く、それが道楽と知ってからも今一つ手を伸ばす気になれずにいる。食事も同様で、必要十分、明日に希望が持てるだけの量があればいい。
現代と言う名をした過去はそこかしこに充足がある。
ひっそりと呼吸も憚る夜のこと。休日という概念に足元をふらつかせながら、自分は友人の家で酒に浸っている。鉢合わせただけの此方の腕を掴み、いい酒があるんだと笑った相手はぐいぐいと腕を引いて自分を部屋に押し込むと早々にグラスを満たしてしまった。こんないい日を祝わないなんて罰が当たると、一体今日が何の日なのか告げることもせず高らかに杯を掲げた。Cheers! 鳴らされた硝子の音が涼やかで、その美しさに免じて同席している。楽しげな相手と意味の分からない幸いにグラスを翳す。
それを三回繰り返し、四回目で諦めた。
机にだらしなく伏せると水滴の浮いた硝子を指で撫ぜ、落ちそうな瞼を瞬きながら視界を探す。まるで変わらぬ顔色で愉快気に杯を煽る姿を横目に、聞きたいことがあるのだと胡乱に呟いた声を、彼は見落とすことなく拾い上げた。聞いていると示すかの如く、机に這うだけのこちらの掌に熱を重ねてくる。目を閉じても相手がそこにいるのだと分かる。熱量、澄ませた鼓膜に潜めた息遣い、微かに脈打つ心臓が刻んだ。口を開くには十分の青。
「たまに、俺にひどく優しくするだろう。何でだ?」
「――――」
答えの代わりに重なる熱が無言で指を這っていく。指先から関節を辿って手の甲を覆い、手首へと至り更に深くを探ろうとする。触れた箇所から骨の形が顕わになって、肉を断たれる錯覚に目が回った。仕草の色香にも素知らぬ振りで口角を上げている。一つ残らず捌いて数えた、未来の出来事が幾重にも重なり層を生む。あれらは夢になった。今はもう無い。
「Silver」
曖昧に繰り返すだけの夢は妄想以上に成り得ないと決めた。例えば彼の背中を殴りつけたことも、蹴られた頭の鈍痛も、全て夢だと決めている。幾度繰り返したところで夢は夢。現実に食い込まない、食い込ませない。虚構と見做した妄想が記憶に紛れようと、そんなものは既に茶番と化している。貴方が死んでしまった未来はもう無くて、自分が殺した命ももう無くて、こんなものは全部形を持たない陽炎だ。
未来を救う英雄が、何者でもない自分の頬を撫ぜて言う。
「俺がもらった希望の話さ」
「……」
「あの時叫ばれなかったら失くしていた。だから、今も大事にしてるんだ」
穏やかな声音に合わせて指先が額を辿る。それがどうして自分と繋がるのかなぞ分かるはずがない。慈しむべきは自分ではない。何も覚えていない、美しい未来しか知らないはずの、自分に優しくする義理など彼にはない。俺はなんにも不幸じゃないよと言いかけた言葉は酩酊に紛れて歪んでしまう。酔いにつられて伏せた瞼から涙が落ちそうで、堪える。なんだってこんな、意味の分からないことばかり抱えて奥歯を噛み締めなければいけないのか、答えなんて欲しくない。全部夢だと笑ってくれれば苦笑うだけで済んだだろう?
「いい子だ。お前は、昔からそうだったよ」
掌が柔らかに額を往復する。昔なんて知らない。俺は未来に産まれるだけの可能性で、英雄の名前すら知らなかった。そんなのは全部勘違いだ、ヒーロー。夢だって言ってくれ。俺はアンタを殺してなんかいないし、誰も死ななかったし、失くさなかったんだよ。
馬鹿だと笑って全部妄言にしてくれなきゃ困るんだ。