The sky is blue.
ヒュ、という音に遅れて風が強く巻き上がる。断続的にタンタンと響く足音は地を蹴るものだが、その持ち主は風に紛れてまるで視界に残らない。辛うじて青い残像が見えた時、その身体は佇む白を捉えていた。固く握った拳が振りかぶられる。
「I got――!」
「Out」
べちっ。
「――~~~~!!!!!」
自らの勢いの分だけ強い衝撃を喰らった青色が、叩き落されじたばたと派手に地面をのた打ち回る。結果的に激しい平手を喰らわせたシルバーはと言えば、冷めた視線で口角を引き下げていた。転がり回るブラストに向け厳しい声を飛ばす。
「さっさと立つ! それじゃあ狙い撃ちにされるぞ」
「Ouch~~……なんで当たらないんだ!?」
「前振りが大き過ぎる。開けた場所は軌道が読まれやすいって教えたろ。足をつける時は勢いや飛距離を変えてランダムに跳べ」
泣き言をきっぱりと切り捨て、容赦なく問題点を指摘する。改善点を教える辺り親切なのだが、痛みに未だ涙を滲ませる少年は恨みがましい目で唇を尖らせる。
「とか言って、ほんとはPK使ってない?」
「使えないって言ったろ。俺は視野の広さと予測で対応してるだけ。反射速度自体は使ってた頃と変わってないからな。PK無しの俺に勝てないのはお前の力不足だ」
「うぇーーっ」
疲弊した悲鳴と共に少年はばったりと四肢を投げ出す。腕の通信機をちらりと見たシルバーが、10分休憩だと告げ背を向けた。そのまま、離れて彼らの鍛錬を眺めていた自分の方へと真っ直ぐ歩いてくる。
「もっと近くで見てやれば? やる気出すぜ、アイツ」
「調子に乗るから駄目だ」
「あはは」
シルバーが声を上げて肩を揺らす。笑い声は変わらないが、体つきはすっかり青年のそれになり並べば僅かに自分が見上げる形となる。此方の冷めた態度も愉快なだけらしく、相手は笑いつつ隣へと腰を下ろした。
「君は案外厳しいな」
「そうか? 当然だろ。何があっても生きて帰れって、アンタの教えを受けてるからな」
あいつを生きて帰れるようにしてやりたいんだと笑う、嘗て自分をマスターと呼んだ彼の手首には馴染んで少し色の褪せた金の腕輪が嵌められている。その下にある黒手袋は最近身に着けるようになったもので、体毛が白い彼の外見では一際目立っていた。
ソラリス・プロジェクトの失敗によりシルバーはESPを失った。
元々プロジェクトのために無茶な負荷をかけていたのが、先の暴走で制御の範疇を超えた。能力自体は彼の中に残っているが、もう以前のようには扱えない。無理をすれば脳に負担がかかり、今度こそ命を落とすだろう。リミッターを付けているのは万一の為もあるが、能力の負荷を無くしノーマルとして生きる為である。
能力の喪失を、当人はと言えば意外なほどあっさり受け入れた。
「覚悟はしてたから、寧ろ生き残れたことに驚いてるよ。寿命は大分削っちまったけど、それだって分かってたしな。元々俺の命はGUNやシャドウに拾われたものだから……結果的に馬鹿なことしたとは思うけど、惜しいとは思ってない」
「君はまだGUNにいる気か?」
「ESPも無くなったし除籍されるかと思ったんだけど、まだ使いどころがあるんだろ」
「そこまで分かっていて残るのか」
「馬鹿なんだよ。それでもあそこは俺のhomeだし……何より、希望があるなら見限れない」
「……」
「それにGUNが何考えてるか、間近で見てる奴がいた方がシャドウも安心じゃないか?」
「フン……二重スパイにでもなったつもりか?」
「まさか! そんな器用じゃないことは知ってるだろ。俺は人間の近くで彼らが何をするのか見てたいんだ。間違っていると思えば真っ先に正しに行きたい」
声音は穏やかだが、その奥には揺らがない決意が窺えた。昔から、俄かには信じられないほど他者に寛容なところがある。これほどまでの傷を負って、まだ信じる眼は曇らない。昔はそれが幼さゆえだと思っていたが、未だに変わらないところを見ると彼に限っては性善説もあり得るらしい。呆れ混じりに見下ろしていると、あ、とシルバーが声を上げる。
「入院中は言えなかったけど、血とか肉とかありがとな」
「……」
「アンタがGUNに細胞提供してくれたおかげで、生命科学の研究が進んでる。おかげで俺も、予想より長く生きられるかも知れない」
「……そうか」
屈託なく自らの死を語る相手に、頷くだけの言葉を返す。ハリネズミ属はその驚異的な力ゆえか短命が多く、今回の件もあって彼も30までは生きられないと言われていた。不死の細胞は今のGUNにとってそれなりに役立ったらしい。異種族であるヒューマンへの実用には程遠いが、同属であるシルバーに対しては移植でさえ拒否反応が出なかったという。成果に味を占めた一部の研究者に至っては、シャドウやブラストを検体として欲しがっているとも聞く。プロジェクトの被害拡大を防いだという建前のもと、GUNにシャドウを呼び戻そうとする者まで現れた。これには流石のシルバーも苦笑している。
命限られた者は愚かにも、何度でも繰り返す。系譜ならいくらも見てきた。深い溜息を零せばシルバーが自分を見上げて口を開く。
「GUNと共に在るのは俺の生き方だ。でも、ブラストは違う。あいつは自由にいてくれれば――少なくとも俺はそれ以上を望まない。ポテンシャルは一級品だし、負けず嫌いで本人のやる気もある。目標もはっきりしたみたいだし、俺が教えることなんてすぐ無くなるよ。いつまで教えてやれるかも分からないしな」
「……」
「ブラストが乞うなら、シャドウの判断で与えてやってほしい。走ることならアンタが適任だ。俺にはできない」
頼むぜ、と微笑む顔には自らの不足を嘆く諦観も他者への嫉妬も窺えない。かの少年にとって最も望ましい結果だけを探している。他者の幸福を自らの幸福と見做す彼にとって、それこそが最善なのだろう。つくづく難儀な性格をしている。
「……世話のかかる弟子だ」
「悪いね、マスター」
「だが、教えるのは君の方が上手い」
以前から思っていたことを口にする。素っ気なく告げた事実に対し、シルバーが目を丸くした。謀ったつもりはない。呆ける顔をじっと見つめてやれば、言葉に詰まった相手の右手が無言で顔を覆う。隠したところで、棘の合間に覗く耳が赤く染まっているのだから瞭然だ。
「――アンタのそういうトコさぁ……」
「なんだ」
分かっていながら問うてやる。掌の合間から恨みがましげな目を向けてきたので、鼻で笑ってやった。口角が僅かに吊り上がる。閉口する姿に、言葉足らずで碌な抵抗もできなかった頃の姿が重なった。随分と成長したものだが対等には程遠い。子供は子供のまま、幼く未来を語ればいい。
「Hey、もう10分経ったぜ! ――って、何か楽しい話でもしてたのか?」
沈黙を広げていたところ、声も高らかに件の少年が飛び込んでくる。自分とシルバーの雰囲気に首を傾げつつも読み切れなかったらしく、瞬きの後に師を仰いだ。
「シルバー?」
「何でもない。ほら、訓練の続きだろ」
「ちぇーーっ、なんだよ二人して! シャドウが泣いて頼むから助けてやったのに!!」
「は? 何だそれ初耳だぞシャドウ」
「嘘をつくな」
「No Kidding!!」
楽しげな笑い声と共に少年は誰より早く駆け出していく。後で詳しく聞かせろよと言い置いて、シルバーもまた少年の背を追って駆け出した。再び一人になった自分は彼らの風をただ、頬に辿る。駆けて行く二つの背中を見送った。
風が吹けば種が舞い、いずれは草木も萌ゆるだろう。荒廃した未来にも希望は咲くのだと彼らは言う。ならばその行く末を見届けるのが、生き続ける自分の役目になる。この地にいつか花が咲いたなら、その香りを携えて会いに行くのも悪くない。
少年達の笑い声を耳にした。
次の春を待っている。