恋人たちのステップ 普段は決して開放されることのないRADのボールルーム。一日がかりの盛大なイベント、TTWFのフィナーレを飾るダンスパーティの、その会場。久しぶりに足を踏み入れたボールルームは、天井から下がるいくつものシャンデリアが、まるで鏡のように磨き上げられたフロアを綺羅びやかに照らしていた。
誰もが正装で参加している華やかな場。いまだかつてこの部屋がこれほどまでの活気に満ちたことはないだろうと思われる今夜の主役は間違いなく、七大君主と実行委員たちから誘われるままに一際大きなシャンデリアの下で踊り続けている、あの留学生だった。
◇◇◇
ダンスパーティ開会の挨拶が終わって曲が始まると、真っ先に彼女の手を引いてホールの中央へと踊り出たのはルシファーとソロモンだった。
二人に連れ出された留学生の、チュールシフォンのブラックドレスが翻る。デコルテのハートシェイプが甘さを、ヌードカラーの胸元から腰にかけて施された、舞い散るようなゴールドの羽根の刺繍が大人っぽさを演出するドレスだった。
縫い付けられたいくつものビジューとラインストーンがシャンデリアの輝きを受けて煌めいている。大きくターンをする度にスカートの裾からマラカイトグリーンのフリルオーガンジーが覗き、肩から手首にかけて繋がれた飾り布がひらりと舞う彼女の様は、まるで魔界の夜空を優雅に渡る鳥のようでもあった。
ファッションに詳しいクラスメイトたちが、あれは一体どこのブランドのドレスかと自分の背後で口々に言い合っている。
曰く、こんなに美しいドレスを過去に一目でも見ていたら覚えていないはずがないらしい。誰も見たことがないのならば、もしかするとオーダーメイドの一点モノかもしれない、と。
なるほど、さすがは運営を任された留学生。並々ならぬ気合いでダンスパーティに臨んだものだと彼女へ視線を戻すと、彼女はちょうど一曲踊り終えたそばから、すぐさまマモンと留学生の天使の小さいやつ──あれはルークと言っただろうか──に手を取られているところだった。
喜んで二人に応じた彼女が再びステップを踏み出す。さきほどルシファーとソロモンにエスコートされていたときとは踊り方を変えているようで、それはまるで子鹿が跳ねているような、元気の良いステップにも見えた。
彼女と踊りたくて、順番を待ちきれない者も多いらしい。一曲終わる度に休む間もなく次から次へと手を取られ、そのすべてに笑顔で応じている彼女は、相手によってまるで別人のようにダンスを変えていた。時に気まぐれな猫のように、妖艶な豹のように、夢見る少女のようにくるくると表情を変える彼女のステップに、いつしか周囲は釘付けになる。ベルゼブブとの豪快なリフトダンスを終える頃には、ボールルームにいる皆が彼女のダンスにすっかりと目を奪われていた。
◇◇◇
長かったはずのダンスパーティも、いつの間にか次が最後の曲。注目を集め続けた主役がラストダンスの相手に選ぶのは誰だろうかとホール中が見守る中、自らシャンデリアの下へと進み出たのは、意外なことに次期魔王付きの完璧執事、バルバトスだった。
自分が目立つことを好まないはずのあのバルバトスが、彼女へラストダンスを申し出たことにざわつく声がボールルームに広がっていく。それもそのはず。ディアボロに付き従って社交界にも出入りしているであろうバルバトスが、ラストダンスを踊る意味を知らないはずがない。にも関わらず、自ら進み出たということは──。
こうなることがわかっていたとでも言うように、周囲の動揺など我関せずといった様子で、バルバトスは胸に片手を当て彼女に向かって深碧の頭を下げた。裾を汚さぬよう両手でスカートを摘まみ、膝を曲げるカーテシーで彼女が応える。
顔を上げた彼女へと差し出されたのは汚れひとつない純白の手袋。その上に、今まで次から次へと手を引かれるままに踊り続けた彼女が、今宵初めて自ら右手を預けていた。まるで大空を飛び続けた渡り鳥が、ようやく見つけた止まり木に降り立ってその羽根を休めるかのように。
重ねた右手はそのまま握られ、バルバトスの左手が彼女の背にまわる。同時に彼女がバルバトスの右肩に左手を添えることで美しいホールドが作られると、思わぬ衝撃にざわついていたボールルームは徐々に静まっていく。
完全な無音になるのを待って流れ始める円舞曲。
ふたりの爪先が滑るような一歩を踏み出す。
動きに合わせて二又の尻尾とブラックスワンドレスが揺れ、翻る裾から鮮やかなマラカイトグリーンが覗けば、それが今この瞬間のためだけに仕立てられたオートクチュールなのだと確信しない者は、このボールルームにはいなかった。