ベッドのはしっこ 今日は随分遅くなってしまったと、ほとんど深夜と呼んで差し支えない時間に一日の執務を終えたバルバトスは自室の扉を開いた。キィと軋む音を立てて見慣れた光景がバルバトスを出迎える。
本当はもう少し早めに終えて自室に戻るつもりだった。もちろん寝坊をするつもりはないが、それでも明日の朝はベッドから離れがたい気持ちになるだろう自分のことを思うと、朝食の下準備もディアボロの身支度も今夜のうちにできる準備はすべて済ませておきたいと思うのも致し方のないことである。
後ろ手に扉を閉める。パタンと音を立てて廊下とこちらが隔てられれば、ここから先は再びこの扉が開くまで次期魔王の執事ではなくバルバトスという一悪魔の個人的な時間だ。普段であれば自分の時間など不要とばかりにベッドに潜り込み翌日の執務に備えて就寝するところだが──サッと視線を向けた先、バルバトスのベッドに今日ばかりは先客がいた。こんもりと膨らんだ掛布が非常にゆっくりとした動きで上下する様を確認して、バルバトスはふぅと溜め息をつく。
「さすがに待たせすぎてしまったようですが……どうにも複雑な気分ですね」
使い慣れたワードローブから夜着を取り出す。
嘆きの館に暮らす彼女が魔王城へ遊びに来る際に「客室」を用意しなくなってからというもの、まだ数える程度しか彼女は泊まりに来ていない。その彼女が自分のベッドでくふくふと幸せそうに眠る姿はバルバトスに喜びをもたらす一方で、落胆にもよく似た感情も運んできていた。
こんな時間まで起きて待っていてほしいなどと面と向かって言うつもりは毛頭ないが、それはそれとしてもう少し意識してほしいと思うのが男心というものである。こうも全身で安心を表現されては手の出しようもないと嘆息して、バルバトスはめくった掛布とスプリングとの間に着替えたその身を滑り込ませた。
「──む、ぅ……」
彼女自身の体温で温まった眠りの繭に、夜気を纏ったままのバルバトスは異物として認識されたらしい。安眠を邪魔する温度差を厭うように身を捩った彼女は、落とされていた瞼をバルバトスの見ている前でゆっくりと持ち上げた。
「ん…………ばる、ばとす……?」
「はい、バルバトスです。起こしてしまいましたか?」
「ごめ、わたし……まってた、のに、ねちゃっ、……」
「いえ、私も随分とお待たせしてしまいましたから」
バルバトスの腕の中で今にも落ちそうな瞼をくしくしと擦る彼女の額に、触れるだけの口づけをひとつ。
「まもなく日付が変わる時間です。本日はもう、このままお休みになりますか?」
こめかみに、目尻に、頬に。言葉ではそう問いながらも、どうか眠ると言わないでとの願いを込めて優しいキスを落としていけば、額をバルバトスの胸に擦りつける彼女の腕が背中にまわる。ついさっきまで眠りの海に沈んでいた彼女の腕は柔らかくて温かく、夢へと誘うようなその拘束は心地がよい。
冷静な自分が「これで満足して今すぐに眠らなければ明日に響く」と警告しているのは知っていて、しかしバルバトスの抱えた欲を満たすには程遠かった。彼女との蕩けるように濃厚で甘い時間の過ごし方を知ってしまった身が、今更その程度の触れ合いで満足できるはずもない。
もっと欲しい。
もっと欲しがってほしい。
固い理性を溶かすような熱をもって、自分が彼女を求めるのと同じくらい強く求められたい。
そう願ったバルバトスの少し冷たい手が彼女の左耳を捕らえる。耳朶を親指と人差し指で挟み、柔らかさを確かめるようにすり、と動かすと、夢を揺蕩っていた彼女の視線がバルバトスのそれと交わった。欲してやまない宝石のような瞳の奥に淡い熱の揺らめきを認めて、吸い寄せられるように唇を重ねる。
触れて、離す。離して、触れる。角度を変え、ほんの少し場所を変え、許しを乞うような口づけを繰り返せば彼女の唇が薄く開いた。砂糖菓子のように甘い唇のあわいに舌を滑り込ませるのと同時に、彼女の後頭部から首、肩、肩甲骨から背を伝って腰まで撫で下ろせば、彼女はくぐもった声を上げる。
「んっ……、ふ、ぅ……や、……ぁっ……」
バルバトスによって熱を灯された彼女が、支えを求めてバルバトスに縋りつく。夜着を握る彼女の両手を背中越しに感じて、やはり明朝の準備を済ませておいて正解だったと、バルバトスは彼女と一緒にシーツの海へ沈み込んだ。