本日もこの恋は進展しません!|ダメ先輩なのに好きなのが一番困る「……小松田さん?」
「……あはは~」
「あははじゃありません!! あははじゃ!! 何ですかこれは!!」
一人称の朝は、毎朝同僚の小松田さんを叱り飛ばす所からはじまる。
「いやぁ、気をつけてたんですけど、またやっちゃいましたぁ~」
「やっちゃいましたぁって、あぁもう……」
小松田さんと仕事をするようになって、もう一年になる。
小松田さんは
一人称と同い年で、
一人称よりも一ヶ月程先にこの忍術学園で働いていた言わば先輩職員だ。一応。そう、一応先輩。問題児と見紛ったとしても、先輩なのである。しつこいがもう一度言おう、仮にもこの人は
一人称の先輩なのだ。いやもういっそ、何度でも言おう。
この人は、
一人称の先輩。
しかしながらなんと言うか、申し上げにくいがこの先輩様は救いようがないほど働けないのである。下手をすると
一人称の方が先輩だと思っている生徒も居るようで、最近はそれを訂正するのも諦めた。もう
一人称は何も言うまい。否定も肯定もしないのは、見えない3つ目の選択肢だ。だって
一人称がこの人のリードの持ち主なのは事実なんだもの。
「怪我は?」
「ありません!」
「……仕方ない、今回はそれで良しとしましょう」
そんな
一人称の先輩様が出来る事と言えば、入門表のサイン取り。でもそのサイン取りは出来るのに、同時に掃き掃除なんてお願いすると確実に何かを起こすのだ。箒を折るとか、学園の正門を開けられなくするとかは可愛い方だ。
酷い時はその折った箒をぶっとばして、運悪くそれが牡鹿にぶつかって、そのまま鹿に追いかけられるとか普通にこの人はそれをやってのける。悲鳴を上げながら牡鹿を背景に彼が
一人称の元に走って来るのを、高学年の生徒たちが屋根の上から笑って眺めて居たのは記憶に新しい。そういえばあのとき笑ってた生徒でまだ〆終わってなかった子が居たな。尾浜くんだったか。明日の夜あたり〆ておかないと。
因みに牡鹿事件の前は何をどう間違ったのか、小松田さんは山兎の大群に攻撃されていた。兎も攻撃する生き物だったんだなぁと、改めて再確認出来た事件だ。当然、その後片付けという名の救出作業をしたのも
一人称である。
「それにしてもどうしてこう……書類ひっくり返して、名簿失くして、帳簿お茶で濡らして、文机に墨ぶちまけて、トドメにこの狭い事務室の中でお財布まで失くせるんですか? 逆に器用ですよ、器用」
「いやぁ~、照れるなぁ~」
「褒めてません! 貶してます!」
「うわぁ~、
名前ちゃん素直~」
「懲りてない……」
こう毎朝続くと流石に精神的に来るというもの。きっと就職活動の際に学園長と事務のおばちゃんが、
一人称の履歴書に書いてあった特技と自己PRの欄を見逃さなかったのが運の尽きだったのだ。今更ながらあんな事を真面目に書いた一年前の
一人称が恨めしい。
「
名前ちゃんは本当お掃除上手で僕羨ましいなぁ、それに仕事もきちっとしてて格好良いし」
「前者は兎も角、せめて後者は出来なきゃ駄目ですよ、小松田さん」
「あっはっは~、本当だよね~」
「……はぁ」
苗字名前、特技は整理整頓と掃除。長所は何事も最後までやり通す諦めない性格。
「
一人称、箒と塵取り、あと他にも使えそうな掃除用具を取って来るので、小松田さん」
「あ、はーい。いつも通りこの座布団の上で待機してまーす!」
「絶対……絶対絶対、ぜえええええったい! そこから動いちゃ駄目ですからね! 昨日みたいに誰かに呼ばれたからって言うのも駄目ですからね!」
じゃないと昨日みたいに行灯倒されかねない。因みに一昨日は障子を突き破り、その前は書類の雪崩に埋まっていた。何故そこまで追加問題をバラエティ豊かに起こせるのか不思議である。
もうここまで来ると
一人称は事務の仕事をしているんじゃなくて、
一人称は小松田さん専用の乳母のような気分になって来る。
「わっかりました〜!」
屈託のない笑顔のそれだけ見れば、全くの無害なのに何故こうも公害を起こせるものか。
一人称にとって小松田さんは野分に等しい。
一人称は事務室の戸を閉め、廊下の仕掛けをかわしつつ足早に用具倉庫に向かう。そしてその前にちょっと寄り道をする。といっても寄るのは用具倉庫の屋根の上なので、実質目的地に変わりはない。ただ倉庫の上に登るのは、単に一人になりたいだけだ。
「またやってしまった……」
一人称が屋根の上に登るのは、心の平安を求めるだけじゃない。小松田さんへのお説教と同じく、毎朝の恒例の一人反省会をする為だ。勿論最初はただの心の休憩、要はサボりをしているだけだったのだけど。
「毎日こんな事してたら、そのうち本当に嫌われるよね。それは嫌なんだけど、仕事はしないとまずいし。っていうかこの調子じゃいつまで経っても雰囲気もへったくれもないよ……」
それがまぁ、気が付けばいつしかこの有様だ。一体どうしてこんな事になってしまったのか、
一人称が一番知りたい。どうしてこうなったのだろう。何がどうして、よりにもよって! と頭を掻きむしりたい。
一人称はどうしてあの野分、小松田秀作を好きになってしまったのだろう!!
「あぁもう、やだ! やだやだやだ!」
両膝抱えてブツブツ言う様は、端から見たらきっと怪しいと解っていても、こうでもしないと気は晴れない。子どものように駄々を捏ねれば、大人か誰かが手を差し伸ばしてくれるなんて事はない。そして勿論これで恋が叶う訳でもない事くらい、解っているのにやめられない。
我ながら情けないと解っているが、拗ねたくもなるのだ。仕事はちゃんとしたい。でも仕事の問題を増やすのは恋慕相手。なんだこの地獄の堂々巡りは。
「そろそろ戻らなきゃな……」
ずるずると音を立てる鼻を、懐から取り出した手拭いで拭う。持って行かなきゃ行けないのは確か箒とちりとりと、そうだ、ぞうきんと桶もあった方が良い。
涙が引くのを待ちながら、頭の中を仕事に切り替える。
「
名前ちゃん!」
「はぁ!?」
そんな事を考えていると、今一番聞きたくない声、小松田秀作様がご登場しなすった。
何故ここに、というか……。
「事務室で待ってて下さいって、言ったじゃないですか!!」
「いやぁ~」
「いやぁ~……じゃない! もう! 何してんですか! また何か雪崩でも起こしたんですか!? 壁に穴でも空けたんですか!? あ、も、もも、もしかしてとうとう事務室を爆破させて……」
「ち、違うよ!! 僕はただ……」
「あぁ、もう良いです! 今そっちに行き……」
ここから話してても埒があかない。取り合えずは下に降りて、それからだ。彼への声かけを言い終わる前に、
一人称はその場から立ち上がり前へ一歩出る。頭が動くよりも先に体が先に動いてしまったことは、今なら否定しない。
だから、朝露で足元が滑って体が学園の外に飛び出してしまったのは、完全に
一人称の油断である。今の時期、この時間帯の屋根は滑りやすい。一昨日それを小松田さんに教えたのは、他でもない自分であったのを思い出したは青い空が見えてから。
一瞬にして頭の中が真っ白になる。何かに掴まらないと危ないと解っているのに、その手に触れられる物は何もない。
怖い。嫌だ。落ちる。
一人称の手が空を泳ぎ体の重心が地面へ傾いた瞬間、誰かが
一人称の手を掴んで引き戻してくれた。
「
名前ちゃん!」
小松田さんだった。
あの一瞬で屋根まで上がって、
一人称を助けてくれた。危ないから登っちゃ駄目だと指摘する
一人称に、「じゃあ気をつけないとね」といつも通り笑っていた、あの小松田さんが。1つとして、何もミスする事なく。あの困った小松田さんが、
一人称を助けに来てくれた。
あぁ、そうか、天と地がひっくり返ったから小松田さんが此所に来られたのか。いや、そんな事有り得ないとは解っているのだけど。
仮にも想い人である小松田さんの事を、言いたい放題する女は
一人称くらいかもしれない。
それでも。
「
名前ちゃん……」
小松田さんが、引き戻す勢いでそのまま
一人称を腕の中に納めてくれる。どうしよう、こんな幸せな事ってあって良いのだろうか。幸せ過ぎて、頭がぼうっとする。いつもなら
一人称が小松田さんを抱き抱えて走って動物から逃げているのに、今日は彼の腕が強くて逞しい。
ああ、でもその前に
一人称は謝らないと。さっきあれだけ怒ったのだ。いくら小松田さんでも毎日怒られたら嫌に決まってる。
溢れて来る涙を堪えながら、小松田さんを見上げて
一人称は言う。
「小松田さん、ごめなさい、
一人称」
「良いんだよ、
名前ちゃん……」
怒ってない!
安堵の気持ちが溢れた瞬間、小松田さんの満面の笑みを広げて見せてくれた。
あぁ、もう、だから嫌いになんてなれないのだ。子どもみたいに無邪気な彼の笑顔が、
一人称の胸を掴んで離さないのは好きだと気付いた時から知っている。
そんな幸せ天国絶頂の
一人称の耳に入る、地獄開始のたった一言。
「出門表にサインを忘れた事くらい」
「……ですよね」
うん、解ってた。だって小松田さんだもの。あのサイドワインダー、小松田秀作だもの。大丈夫、大丈夫よ
苗字名前。ちょっと体が外に出たのを見逃さなかったんでしょうね。さすが小松田さん。
いつものことよ。大丈夫、よくある事じゃない。
でもなぁ、でもなぁ。
「
一人称の身の安全より出門表ってなんでそうなるですか!! 小松田さんのおたんこなす!!」
「ええっ!? なんで
名前ちゃんまた怒ってるのぉ!?」
「ええい、成敗!!」
「うぎゃあ!!」
まぁ、お決まりのオチに慣れたくらいには、もう彼に惚れ込んでる居ますので。
今日のところはどさくさ紛れでも、素直に抱きしめてくれたことで許すとしましょう。
「山田先生、
苗字さんが小松田さんを一本背負いしてまーす!」
「放っておきなさい。どうせいつもの痴話喧嘩だ」