短いの詰め
1日1颯亜にならなかった文その一
こくり、こくり。
すぐ隣で緩やかに上下する金と黒が混ざり合った頭が動くたび、自分の右手もピクリと動いた。
呼応してしまうのか、猫としての性なのかは分からない。
ただ、珍しいこともあるものだと思いつつも、やがてはこちらの肩へ乗せられるであろう重みをどうしてやろうかと、のんびり考える。
いっそのこと、触れてしまえば良いのだろうか。
「無防備なお前が悪いんだからな」
撫でて下さいと訴えてきているのはそちらの方だ、と。
決め付けてしまえば、後は早い。
乱雑に触れるつもりはなく、それこそ慎重に触れた…筈だった。
「ん、…終わった、のか?」
「…チッ、お前が気になって作曲どころじゃねぇよ」
「ん?俺、お前に凭れてたりしたか?」
「そういう問題じゃねぇ」
この天然め。
寝ぼけ眼をそのままに、こてんと首を傾げている男の頭を今度は乱雑に掴みながら、思わずため息が溢してしまう。
ただ、眠るお前の頭を撫でたかったなんて言える訳もないので、身を屈め、彼を下から顔を覗き込むような体勢を取った。
少し辛いが、自分は知っているのだ。
「ん、んっ」
「ん…」
「ぅ、…んぅ」
目を瞑り、甘く、切なそうに啼く男が、下から噛み付かれるような口付けを好んでいることくらい、散々仕掛けてきたから知っている。
むしろ、自分がそうさせてしまったのかも知れないが。
「…はっ、無防備なお前が悪い」
「…っ?俺が悪い、のか?」
「は?お前、それワザとか?」
「だって、別にお前のこと、責めていない」
耳まで真っ赤にしながら、何てことを。
出会った頃よりもずっとタチが悪くなったことを、知ってしまった。
1日1颯亜にならなかった文その二
ふわふわと膨らんでいくスポンジを見つめながら、気付けば安堵の息を吐いていた。
無意識に、それも大袈裟に。
先輩の前なら有り得ない。
むしろ、自分は何故、エプロンをつけて、ケーキのレシピを片手にオーブンを覗き込んでいるのか。
こんな姿は正直、誰にも見られたくはないと落ち着かなくなってしまう。
それなのに。
「おま…、いや、お前だからまだセーフなのか?」
「…はぁ」
馬鹿みたいなことをしたと、自分でも思う。
今、遭遇してしまった目を丸くしている男が実は、甘い物を好んでいるからといって、素人の手作りを訝しげに見てくることくらい、分かっていた…と思っていたのだが。
仕方ない、まだスポンジは焼きあがっていないがオーブンを止めよう。
「腹、壊すかな…」
「まだ生焼けじゃねぇか」
「うわっ」
肩が、跳ねる。
オーブンのスイッチを押そうとした右手と、レシピを持っていた左の手首を背後から握られたせいだ。
驚いたなんてものじゃない。
「な…んだ、急に」
「命の危機を感じたからな」
「…ッ、安心しろ。お前にはやらない」
「却下」
バレバレかよ。
亜蘭ちゃんおたおめ文
これをやる、と。
顔ごと逸らしながら差し出された、それも高級ブランド名が表記された小さな紙袋を、亜蘭はぱちぱちと瞬きを何度も繰り返しながら見つめた。
無理もない。
心なしか頬を淡く紅潮させている、自分よりも体格や上背が勝る男から、プレゼントなのであろう物を受け取る理由がぱっと思いつかなかったのだ。
つい最近、互いのテリトリーに足を踏み入れ、干渉を試みてきた結果、関係が思わぬ方向へと進展はしたものの。
そう、それこそ、今日は記念日というわけでもない。
今日は、そう。
「…ん?なぁ不知火、今日が俺の誕生日だって、言ったか?」
「言われてねぇ」
「だよな」
敢えて、言うこともないだろうと判断した、己の誕生日。
予め言っておけば恐らく、何だかんだ律儀にプレゼントを用意するだろうと、分かっていたからこそ、だったというのに。
叶うならば当日、周囲の雰囲気によって伝わったところで、後はおめでとうの言葉を頂ければ。
亜蘭にとっては、何よりも喜ばしい『プレゼント』となったのだが。
いかんせん、目の前にいる男は自分とは何もかもが鏡のように正反対かと思えば、どこか似た者同士でもある、元学園一の問題児…不知火颯だ。
面倒見のいい、実は世話焼きで優しい彼は普段鳴りを潜めていることを、亜蘭は身を以て知っている。
だからこそ、まさかこんなことになるとは。
「巴瑠から聞いたのか?」
「おい、この状況で他の男の名前を出すな」
「な…っ、別にあいつは…!」
「別に、誰から聞こうがどうだって良いだろ」
果たして、どうでも良いことなのだろうか。
まさか、あの颯が、他人から得たのではなく、自ら亜蘭の誕生日について伺いを立てた、だなんて。
幼馴染の名前を出した途端、無意識なのであろう、唇をむっと尖らせ、拗ねた様子を見せた、普段は頼り甲斐のあるものの素直になれない、この男が。
恐らく、己の為を思って。
「ぼーっとしてんじゃねぇ。ほら」
「っ、おい」
今はこちらの方が重要だと言わんばかりに、ずいと胸元へ押し付けてきた紙袋を、亜蘭は慌てて受け取った。
目の前の男に対してぶわりと込み上げた感動の余韻に、もう少しだけ浸っていたかったと思いつつ。
人への贈り物を乱雑に扱われたことには、面を食らってしまったが。
買った本人の照れ隠しに、中身が耐えられていることを祈るしかない。
否、照れるのであればいっそのこと、無理に用意することはなかったのだ。
その厚意が嬉しくないと言えば、それが嘘となろうとも。
「気持ちだけでも、十分だったのに」
「誕生日くらい遠慮すんな」
「お前は遠慮しなさ過ぎだ」
今でもそうだ。
好意を抱く者同士が、二人きりになった途端。
颯は、口調こそ普段どおりで、時には意地の悪い面を見せるのだが、ガラリと雰囲気を一変させる男だった。
一言で表すならば、『穏やか』が当てはまる程に。
面倒臭がることはせず、相手を構い、構われようと擦り寄って。
与え、与えられながら、彼は良くも悪くも、素直な態度を亜蘭へ見せるのだ。
そのギャップが、心を乱してくることを知っているにも拘わらず。
「顔、赤いぞ」
「いちいち言わなくて良い」
「無理だな」
「っ、不知火っ」
楽しんでいるのだろうか。
一度崩せば、男は決して容赦などしない。
亜蘭がその悔しさで、手渡された紙袋を両手で胸元に抱えながら、吠えようとも。
颯は平然と、赤くなった頬へするりと長い指を滑らせてきたと思えば、微熱を帯びる耳朶をふにふにと優しく弄ってくるのだ。
先程まで、余裕を無くしていたというのに。
また今日も、肩を縮こまらせ、瞳をとろりと細める羽目となったのは、亜蘭だった。
理さんおたおめ文
理は夢を見た。
大きな手に頭をそっと撫でられる、優しい夢を。
まるでガラスに触れるような掌の感触が、体温が、やけにリアルだと思うものの。
自分が知る筈のない、愛を与えてくれる掌に、それは似ている気がして。
いつも通り、目覚めようとした朝の、ほんの少しだけ前。
理は閉じていた瞼を、ゆっくりと押し上げた。
ぱちり、ぱちり、瞬きを繰り返しながら。
「と…ら?」
「おう、おはよう、理」
「な、んで…」
「もうそろそろ起きるかと思って、寝かせにきた」
今日は、特別な日だから、と。
そう言って破顔するのは、愛しい人で。
そんな彼を微睡みながら視界に捉えた理は、口元を綻ばせ、目を閉じた。
優しい掌によって愛される夢を見る為に。