戯れは程々に
猫科としての性(さが)なのか。
いつの間にか部屋に入り浸っていた颯に腕を掴まれた亜蘭は、ソファーに引き倒された挙句、肩口にぐりぐりと頭を押し付けられた。
まるで、猫が撫でてと言わんばかりに、擦り寄ってくるような仕草で。
いかんせん彼は自分よりも体格が優れている為、愛らしさなどは微塵もないのだが。
それどころか、亜蘭は痛みと重みを感じる始末だ。
引き倒す勢いも強く、容赦がない。
ソファーではなくベッドならば、衝撃も吸収してくれただろうに。
「おい、しらぬ…い?」
「ん、甘い匂い」
「雫さんに貰ったボディーソープだと思う…っ、ひっ!馬鹿、何で舐めて…!」
「味しねぇ」
嗚呼、これはもう、駄目かも知れない。
亜蘭は舐められた鎖骨のことについて咎めようとした口を、大人しく噤んだ。
普段の颯を知る人間ならば卒倒するだろうが、今の彼は間違いなく、ひと月に一度来るか来ないかの甘えたモード。
そうなってしまった場合、何を言おうと話は通じない。
亜蘭はそれが、身に沁みていた。
始まりは、関係が進展して早々だったか。
(もう少し、スイッチが分かりやすかったら…)
全身を使って擦り寄り、温もりを重ね合わせてくる時間が嫌という訳ではない。
圧し掛かった際、本当に相手を押し潰さないよう、颯なりに一応配慮してくれていることも、亜蘭は理解していて。
そこまで柔な体ではないのだが。
兎にも角にも、こちらが何を言おうと、彼は取り合おうとしないのだ。
実際、亜蘭が嫌がるようなことをしたことは一切なかろうとも。
ならば、会話が成立しない以上、諦めて好きなようにさせるしかないだろう。
本当にただ、べったりと甘えたいだけ。
時にはベッドの上で押し倒し、時には胡坐の上に抱え上げながら。
「春宮、もう少し顔、上げろ」
「はいはい」
首元に鼻先をくっ付けられるのは、あまり気持ちの良いものでもないのだが。
言われた通り、亜蘭は顎を上げ、颯の鼻先が肩口から移ってくるのを待ち続けた。
柔らかく、サラサラした彼の髪が首筋を撫でたことに、肩を跳ねさせつつ。
こちらから旋毛がよく見える位置で、どうやらポジションは落ち着いたらしい。
恐らく匂いを嗅いでいるのか、深い呼吸を繰り返している颯の、己よりも広い背中に亜蘭は両腕を回した。
そうすれば、余計と彼の体重を一身に受けてしまうにも拘わらず。
否、人はこれを、『愛しい重み』と呼ぶのかも知れない。
「他に要望は?」
「…あったけぇ」
「本当、人の話聞かないんだな」
ならば、こちらも好き勝手させて貰おう。
ただでさえ、普段曝さない姿を無防備に、自分へ見せているのだ。
きっと今だけは、何をしても許されるに違いない。
亜蘭はそう自身に言い聞かせ、颯の髪に顔を埋めた。
いつもはこちらが受ける行為の、見よう見まねで。
もふもふ、くんくん。
擦り寄せた鼻先を掠める柔い感覚と、鼻腔に広がる優しい香りを楽しむように。
気付けば彼を抱き締めていた腕を解き、その頭を無意識に撫でてやりながら。
「ふふ、可愛い」
自分よりも大きな、気高き猫に向かって、伝えれば恐らく噛み付いてきたであろう言葉を、亜蘭は穏やかに言い放った。
頬を緩ませ、目元をふんわりと細めて。
心なしか、嬉しそうに。
彼の射抜いてくるような鋭い眼差しが隠れて、こちらからでは見えないせいだろうか。
亜蘭は身も心も、気を緩ませていた。
きょとんとした表情を浮かべながら、颯が顔を上げるその時まで。
一方、彼は徐々に顔を顰めていったが。
「お前、誰に向かって…。しかも、なんて顔しながら言ってんだ」
「は?」
「可愛くねぇ」
「ん、んっ、ぅ…!」
まるで、獲物に飛び掛るように。
亜蘭は懐から抜け出した颯によって、唇を荒々しく塞がれた。
逃げるつもりもなければ、逃げられる気がしないにも拘わらず。
唇に吸い付き、隙間から舌を捻じ込んでは、上顎を何度も舌先で擦って。
抵抗しようと伸ばした舌を絡め取られたかと思えば、甘く噛んでくる颯に、亜欄はびくびくと体を跳ねさせながら、若干の恐怖心を抱いた。
さながら獲物を貪る獣のようだ、と。
口付けが、普段よりも長いと感じつつ。
「ふ、ぁっ…んッ、ぅ」
「んっ…。おい、生きてるか?」
「はぁっ、は…ぁっ」
「おい、春宮…、ったく、ゆっくり息しろ馬鹿」
嗚呼、やはり可愛くない。
亜蘭は先程の自分を呪った。
明らかに酸素が足りなくなってきたのだろう、ソファーにだらりと投げ出していた体を、颯にひっくり返されながら。
今度は彼の上に乗り上げる形で。
脱力している自分の体は、それなりの重さがあるにも拘わらず。
颯は澄ました顔のまま、肩で息をしている亜蘭の背中を大きな掌でトントンと優しく叩いていた。
「けほっ…」
「お前、いつまで経っても慣れないのな」
「ば、か…!さっきみたいなのは、初めてだった!」
「あー、はいはい。悪かったから、デカい声出すんじゃねぇよ」
本当に悪気があると思っているのだろうか。
亜蘭は自分よりも厚みのある颯の胸元に顔を押し付け、唇を尖らせた。
無論、彼から顔が見えないように。
拗ねている表情を見られたくないというのもあったが、そんなものを見せれば経験上良いことのあった例が、残念ながら亜蘭にはなかった。
ただ、自分の態度が流石に堪えたのか、或いは呆れたのか。
颯は大きな溜め息をつきながら、亜蘭の背中に腕を回し、静かに頭を撫で始めた。
始めから、そうやって大人しくしていれば良いのだ。
無理矢理終わらせた感がしゅごい