遠回りな近況報告、または惚気話遠回りな近況報告、または惚気話
耳障りな電子音がようやく止まる。二人は呼吸することを思い出す。
静寂の中、木の葉ははらはらと落ちた。足元に着地したそれをバッキーはスニーカーの爪先でつんと突く。
そこでサムは我慢ならなくなった。何してんの、と口に出した。
「へ?」
顔を上げたバッキーは眠そうな顔で、口を半開きにしていて、何に対して「何してんの」と言われたのか分かっていない顔をしていた。サムは、顎をつんと突き出してバッキーの足元を指した。
「それ。葉っぱ」
「はっぱ……。え、俺何かしたか?」
「落ちてくるのをぼーっと眺めてた。病室のおじいちゃんみたいに。口をパッカーンって開けたまんま」
その横顔がムカつくくらい整っていたのは伏せて、とりあえず、心此処に在らずだったのだ、と告げる。バッキーは、しばらく無反応だったが、うーん、と唸った。
「……うつったのかもしれない」
「うつった?」
「癖が」
「……誰の」
サムはその時点で嫌な予感がしていた。たぶんこれ以上聞いても仕方ないと。しかし、その気持以上に、これは最後まで聞かねば気が済まない、という気持ちが勝った。今聞かねば、もう同じ話題を出すことはないだろうと。
バッキーはサムから視線を逸らし、また葉っぱを見下ろして言った。
「……俺の、彼氏」
「……」
「……」
数秒の沈黙。心臓がくすぐったくなったのはいつぶりだろう。
「……やっぱもういいわこの話」
「いや聞けよここまで来たら。聞け」
「わーったよ、クソ」
バッキーにそういう相手が随分前からいるのは知っていた。相手がニューヨークに住んでいる男で、ほぼ毎週部屋に泊まっていることも。まだちゃんと報告を受けた訳ではないが、自然に、バッキーの任務後の行動やら何やらから察していた。
それでバッキーが言う「癖」というのは、その恋人の話で、デート中、二人はよく公園に立ち寄りベンチで一息つくのだが、彼氏さんは真横にクソ男前がいるにも拘らず、公園に植えられている木々から葉が落ちるのをじっと眺めるのが好きなのだそうだ。
そこまで聞いて、好き、とは、とサムは首を傾げた。
「何だそれ。眺めるのが好き、って、わざわざ言ったのか? 好き、って」
「言ってた。俺も気になったんだよ。いつもぼーっとして何見てるんだ、って聞いたんだ。そしたら、葉っぱ、って。昔から癖なんだとよ。俺が口挟まなかったら本当に五分くらい……いや延々と見てるんだ、葉っぱが落ちるのを。繰り返しずっと」
公園で木から葉っぱを落ちるのを延々と見ている男性。――ちょっと怖いなと思った。
「ごめん、その男、何歳?」
「五十……いくつだっけ。ええと、俺の六十歳下だから……今度の夏で五十一かな」
「葉っぱで暇つぶしするにはちょっと早くねえか?」
「歳気にしてるみたいだからあんまりそういう言い方はしないようにしてて……」
「お前の彼氏が歳を気にするって、それ全人類どんな顔すりゃいいんだよ」
「んでさ――」
サムの至極真っ当な指摘は無視された。たぶんバッキーは意図的に無視したのではなく、さっさと続きを話したかっただけだろうが、サムとしてはもやもやが残った。
話をまとめると、数学教師だという恋人は、本を読んだり問題に取り組んだりして、考え事に詰まるとその「癖」を発動させるのだそうだ。それは彼の心を落ち着けるための方法として確立されているらしかった。驚くべきことに子どもの頃からそんなだったから、さすがに親も気にかけたらしい。それで言われたのだそうだ。「おじいちゃんみたい」と。人の性格を評したり、口出しするのは無礼だと分かっていながらも、親御さんはまともなんだなぁ、とサムは噛み締めずにいられなかった。
それからバッキーは、つらつらと、サムが会ったこともない男のことを喋った。頭の良さを褒め、一緒にいる時の居心地の良さを語り、バッキーの仕事に口を挟まないことに感謝し、ぼーっとしている割には気遣いが細かいと感心し、そして最後になんと、地味で目立たないけど整ってる、と簡潔に顔を褒めた。あのバッキーが。男の顔を。サムはだんだん「もういいかな」という気持ちになっていたが、そこだけ聞いて「ちょっと見てみてえかも」と思えた。
満足いくまで喋ると、バッキーは、「はあスッキリした」と空を仰ぎ見た。サムは、どっと疲れて、腹の底から溜め息をついた。
「あのな、バッキー。お前、惚気ける相手俺だけか」
「……そうだよ」
うーん、と唸ってしまう。バッキーの話しぶりからすると、相手の男は、周りの人々に「自分はバッキー・バーンズと付き合っている」と自慢したがるタイプじゃない。となると、今この瞬間、バッキーとその相手について知っているのは世の中でサムだけということになる。
こういう話を聞くと、サムは何となく責任みたいなものを感じてしまう。かつて、スティーブにあの指輪の意味を聞こうとしたが、あれに似た、とんでもない秘密に触れてしまっているような気分になるのだ。
「重いわ、全部聞くの」
つい本音を伝えるが、バッキーはそう返されることを織り込み済みだったようだ。自分でもそう思う、と言わんばかりに大きく頷かれる。
「聞いてもらわなきゃ困る。仕事のこともあるし、言わなきゃなとは思ってたんだ。サムだって気になってたくせに」
「そりゃあ、いるんだなとは思ってたけど。お前が意味ありげに、姉貴のホームパーティの誘いを、あー俺もしかしたら用事入るかも行けないかも〜って断るからだろ。下手くそめ、はっきり言いやがれ」
「仕方ないだろ、カミングアウトなんてしたことない。疲れた」
「いや俺の台詞だよそれ」
サムは良くも悪くも聞き上手であるので、友人の相談事を受けることはよくある。だが、カミングアウトを聞く機会はさすがに少ない。バッキーが友人として話してくれたのは嬉しいが、ここまで話し下手だとは思わなかった。疲れた。
実のところバッキーは、もう半年ほど前から「サムには言わなきゃ」と考えていたらしい。それで今日も、今、さくっと言った方がいいかな、でもどうやって説明しよう、と考えていたところ、葉っぱを目で追ってしまっていて、それをサムに指摘されたので、ええいままよ、となったらしい。何だそれ、と呆れた。癖がうつったのはガチじゃん、惚気話終わってなかったのかよ、と突っ込みたくなったが堪えた。もう何も言うまい。
しかし、これだけは言っておくべきだと思った。
「話すのに勇気を出してくれたことは理解するけどよ」
「うん」
「今じゃねえよ、絶対」
バラバラ、バラバラ、と空を裂くような音が遠くから聞こえてきた。木の陰から後方を見やると、ゴーグルが上空を飛ぶヘリコプターを察知した。周囲の安全が確保され、サムとバッキーと、あと危険物を回収するためにやってきた機体だ。サムはアームベルトの機器を操作して、位置情報を送信した。
今じゃなかった。サムとバッキーの間には、タイマーが中途半端な時間をさして止まった爆弾が転がっている。あと葉っぱ。されど葉っぱ。
こんな大事な話、アメリカに帰り着いてからか、せめてヘリに乗り込んで座ってからゆっくり聞きたかった。起爆装置を止めた直後に聞くことじゃない。なんなら、爆弾のタイマーが動いていた間よりも今の方が疲れを感じているかもしれなかった。
◆
コーヒーを一口飲み、ヨウイチは微笑んだ。
「じゃあ、ついに言ったんだ、僕のこと」
「うん、やっとだ」
「ウィルソンさんには知っておいてもらった方が何かと助かるかもしれないからね。良かった」
甘さが足りなかったのか、スティックシュガーを一つ追加でコーヒーに投入して、木のマドラーでかちゃかちゃとかき混ぜ始める。茶色の水面を見つめるヨウイチの目の中に安堵の色が見て取れて、バッキーもほっとする。
本当に、言えて良かった。以前は、自分に恋人ができても誰かに言う必要はないと思っていた。男性が好きだというカミングアウトも、一生するつもりはなかった。なのに。
惚気話が誰にもできないのは寂しいし、大切な存在がいることを誰にも言えないのは、悲しい。もしこのまま、自分が先に逝ってしまったら、なんて暗いことも考えてしまった。さっきヨウイチが言った、「サムに知っておいてもらった方が助かる」というのはいろんな意味を含んでいる。ゆくゆくは、籍を入れたりだとか、もう少し、自分たちのことが周りに認められるように事が進めばいい。急ぎたくはないけれど。その第一歩をやっと踏み出せた。
ガラじゃないのは分かっているが、サムには改めて礼をしなければと思った。それと、サムのことをヨウイチに紹介したいし、その反対もしたい。
「今度さ、サムと――」
バッキーが顔を上げると、ヨウイチはまたいつものように視線を宙に泳がせていた。からっ風が吹いて、遊歩道をゆく人々が寒さに身を寄せ合う。ヨウイチは踊る葉を見つめて、ぼーっとしているのか、はたまたバッキーのようにこれからのことに思いを馳せているのか。どちらでもいい。居心地の良い時間であることには変わりない。
普段ならヨウイチの気の済むまでバッキーもこの空気に付き合うが、今日はどうしても、ひとつ言いたくなった。
「……おじいちゃんみたい」
「えっ」
「病室のおじいちゃんみたい、って、サムも言ってた」
サムに言われた、とは照れ臭くて言えなかった。ヨウイチは二、三秒ぽかんとしていたが、自分の癖について言われたと気付くと、もう、と眉を下げた。「自覚あるから、言わないで」と拗ねる恋人の可愛らしさを、まだ自分だけのものにしたいような、宇宙に自慢したいような。恋とはそういうものなんだろうと思う。
終
(改行・空白除いて3866文字)
※書き出しと終わりを診断メーカーの結果からお借りしました、文字数などはスルーしてます。
はるめるさんには「はらはらと落ちた」で始まり、「わかってるから言わないで」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば10ツイート(1400字)以内でお願いします。
#書き出しと終わり #shindanmaker
https://shindanmaker.com/801664