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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    しおり
    結婚する空魈「魈、結婚しよう」
    「……は?」
    連日の猛暑にとうとう頭が茹だったのかと魈はスマートフォンを眺めていた顔を上げて、前のソファ席に座る空の顔を見る。空の隣に座る妹の蛍もギョッとした表情で兄を見つめていた。しかし空はその場の思いつきの冗談といった顔つきではなく、真面目な目をしている。一旦落ち着こうと魈はすっかり氷が溶けて結露したグラスを手にとって薄まったミルクティーを啜る。コーヒーはいつまで経っても飲み慣れなかった。
    「えーと、何か昨日テレビでやってたっけ?」
    「記憶にないが……」
    空の頭を疑うばかりの蛍と魈は昨日の記憶を掘り起こす。しかし特別変わったことはなく、彼が触発されそうな番組やニュースは思い当たらない。となればネットニュースかと考え込む二人の様子に痺れを切らした空は立ち上がる。
    「俺は正常!」
    「お兄ちゃん、まともな人は自分をまともって言わないよ」
    音を立ててグラスに残っていたジュースを飲み切った蛍は、用が済んだと言わんばかりに立ち上がると会計をしに行ってしまった。魈もそれに続いて立ち上がると、すかさず空に腕を掴まれる。
    「俺本気だから」
    ぐっと力が入って指先が食い込む。射抜くような視線を向けられるが、魈は困るばかりだった。空、と名を呼ぶ。しかし彼は子供のようにぐずった声をあげて唇を尖らせる。
    「……うんって言ってくれなきゃやだ」
    「空、そういうことはせめて自分で稼ぐようになってから言え」

    ❇︎

    物心ついた頃より繰り返し見る夢があった。異形の存在と槍を持った自分が戦い続けている。そこはまるでゲームの中のような世界だった。一面に広がる草原や生い茂る草花、澄み渡った青空。文明の利器等は存在せず、もちろん背の高いビルもない。そのくせ建物が浮いていたり、不思議な植物が生えていた。そんな世界でも生き物が変わらず営む中で魈は人との距離を置いて、寂しいと思うことすらなくなるような長い時間を独りで戦いと共に過ごしていた。
    その夢を両親に話しても想像力が豊かな子供だとしか受け止められなかった。やがて子供ながらに話したところで無駄だと諦め始めた頃、隣の家に幼い双子の兄妹を連れた家族が引っ越してきた。
    兄妹と顔合わせしたのは彼らが引っ越しの挨拶に来た時だった。明るく活発でお転婆な妹はにこやかに挨拶しすぐに冷静な魈相手でも懐いたが、大人しく引っ込み思案な兄は母親の背にしがみついてろくに言葉も話さず、恥ずかしがって顔も見せなかった。しかし、ある日たまたま小学校から帰宅途中に家の付近にある公園のベンチに一人で腰掛けて俯いていたのを見つける。魈は初めて見るはずのその横顔に見覚えがあった。夢の中でいつからか自分の前に現れた三つ編みの少年にそっくりな顔立ち。双子の妹の存在。すべての点が繋がっていく感覚があった。出会う前から彼を知っていると確信した魈はそのまま普段は近づきもしない公園に立ち入ると、半べそをかいている彼に自分から声をかけた。
    『空、どうした?』
    弾かれるように顔を上げた彼は、クラスメイトたちと比べて小柄とはいえ既に高学年の魈の姿をみてびくりと身体を震わせたが、相手が顔見知りである魈だと気付くと一安心したかのように弛緩する。
    『しょうくん……』
    言葉を交わしたことはなかったが、魈の名前をきちんと覚えていたらしい空は、大きな目をうるうるさせてぷすんと鼻を鳴らすと蛍が帰ってこないと告げた。遊具のあたりを見ると、蛍は同学年らしい子供たちとはしゃぎ回っている。転校したてで、内気な彼は蛍のように輪の中に入れなかったようだ。
    『ならもどってくるまでいっしょに遊ぶか?』
    それが始まりだった。

    魈が中学に上がって父親の転勤で県外に引っ越すことになるまで兄妹との付き合いは家族ぐるみで続いたが、空との関係が決定的に変わったのは奇しくも別れの日だった。魈にしがみついて離れなかった空は火がついたように泣きじゃくってその場にいた全員を困らせた。
    『やだ! もうしょうとはなればなれになりたくない!』
    「もう」と言ったのだ。出会ってから毎日一緒に登校し、遊んだ彼と別れの記憶はない。けれどもまるで一度つらい別れを経験したかのような空の騒ぎようを目にして魈はもしかしたら、と考えた。

    成長するにつれて魈の不思議な夢はより鮮明に見えるようになっており、思い出すかのような勢いで夢の中の世界について知り始めると、そちらの方が馴染み深い生き方だと思うようにすらなっていた。テイワット、璃月、アビス、仙人、旅人。自分は夜叉とよばれる仙人で幾千年もの間苛烈な戦いを続け、空は異世界から来た旅人で双子の妹を探していた。本来ならば交わらない生き方の二人が何の因果か出逢い、そして寄り添い始め親交を深めた。孤独に生きていた夜叉にとって旅人は得難い存在で、とても大切に思っていた。しかし二人はそれぞれ使命を抱えており、それを投げ捨ててまでお互いを優先することはなかった。その分、魈は夢の中で感じていた旅人への愛おしさを、そのまま現実にいる弟のような彼へと注いだ。魈からの親愛を笑顔で受け入れる空を見て、双子とはいえ兄の自負があった彼にも兄のような存在ができて喜んでいるだけかと思っていた。しかし魈への執着に近い感情は、最早仲のいい年上の友達に向けられるものではなくなっている。その様子に夜叉の魈と旅人の空が迎えた結末を彼も知っているのだと不思議と直感した。だから魈は期待を込めて泣きじゃくる空にそっと耳打ちした。もし彼も同じ夢を見る一人なのであれば、きっと伝わるだろうと。
    『何かあれば我の名を呼べ』
    もちろん普段から一人称として我などと言わない。空に呼ばれたところで子供の魈は聞き取ることもできないどころか、自分一人の力でこの土地に戻ってくることもできない。恥ずかしさを抑えながら言葉にしたものの、これで違ったらどうしようと不安がよぎったのもつかの間、目の色を変えて魈の顔を覗き見る空はこくこくと首が取れそうな勢いで縦に振った。彼もまた、家族が同席しているこの場でその話をするのは憚れると感じたのだろう。その背後では、大泣きしていた空が涙を拭って少しの間考え始めた様子を見た親たちが流石魈だ、と泣き止ませたことを褒めている。
    『……おれ、しょうに手紙書くよ。それでいい?』
    『ああ。またな』
    くしゃくしゃと柔らかい髪の毛を撫で回して、最後にもう一度抱きしめて欲しそうな顔をしている空を力強く抱きしめる。お兄ちゃんばかりずるいと泣き出した蛍も同じように抱きしめて、魈は二人と別れた。

    それがもう十年前の話だ。中学、高校、大学と他県で過ごしている間、空が携帯電話を手に入れるまで毎週のように手紙のやりとりを交わした。なお、携帯電話を手に入れてからは毎日メッセージが届いている。
    そして空もやはり同じ夢を見ていた。立場が違うため厳密には同じではないがテイワットを知っていた。魈と出会ってから夢を見るようになったのだと語った彼と、夢で見る世界は一体何かと意見を送りあった結果、今の共通認識はテイワットは自分達の前世かもしれないということで落ち着いている。

    頭の中のテイワットに囚われた魈は現実との乖離に、いつからか生きづらさを感じながら過ごすようになっていた。優しい両親を気が付けば自分の親だと思えず、そして遠慮がちな魈の様子に彼らの方も気を遣ってくるのが余計に心苦しかった。そのため高校を卒業後は適当に就職しようと思っていた魈だったが、両親の大学までは出るべきだという意見を素直に聞いて、進学を機に家を出た。彼らは魈を少し変わった子供だと思っていたようだが、善良な心根を持ち魈の意志を尊重してくれる良き親だった。しかし魈が両親に抱く情はそれまでだ。二千年以上続けてきた生き方、考え方をたった二十年で変えることは難しく、気持ちだけならばすっかり仙人に戻ってしまった魈は相変わらず他人と距離を取り俗世に馴染めないままでいる。それならば戻ってきてまた一緒に過ごそうと誘ってきたのは意外にも空ではなく、蛍の方だった。彼女にテイワットの記憶はないが、ないからこそ彼女は今の魈自身を見ていた。ついでにテストの時期は勉強を教えてと甘えてくる蛍にとって、魈はミステリアスで少し陰のあるものの優しい隣の家のお兄ちゃんでしかなかった。

    そうして就職と共に地元へ戻ってきた魈を駅まで迎えにきた空の一言目は「俺の見慣れた魈じゃなくなっている」であった。テイワットでは少年の身体つきのままだった魈だったが、人間である今世の魈は当然成長する。ちょうど空が一番見慣れている姿であろう少年期を離れて過ごしたため、成人している魈が見慣れないのは当然だ。正直なところ、魈自身さえ何度鏡を見ても見慣れない。そんな兄の言葉に最後に見た魈の姿は中学生なのだから当然だと蛍は笑う。二人とも魈が知る姿より少しだけ大人びていた。



    双子に振り回されながら賑やかな一年を過ごし、兄妹は高校三年生になった。いつものようにファミリーレストランで期末テストを控えた二人の勉強を見ていたところで空の発言に戻る。進学して都会に行きたいと話す蛍と違って、空は明確な進路を夏を迎えてもいまだに決めていなかった。それなりの成績である彼には選択肢が多い筈だ。馴染めなさ、生きづらさからあまり深く考えずに選択し続けてきた魈を反面教師にしてよく考えろと言い聞かせてきたが、その結果が結婚なのだろうかと魈は頭が痛い思いをしながら会計を済ませる。先に済ませていた蛍は出入り口で魈と兄を待っていた。
    「今日もお兄ちゃんは魈の家にお泊まり?」
    「……あの様子だとそうだな」
    ふうん、と聞いてきた割には興味がないような声色で返事をしながらスマートフォンを操作する爪先は淡い桃色に色付いている。昨日仕事帰りに押し掛けてきた彼女に塗らされたものだ。
    週末になると自宅には当然のような顔をして双子が入り浸っている。とはいえ蛍は年頃の娘なこともあり泊まることは許さず毎回送り帰していたが、空は穏やかで大人しい割に一度言い出すと聞かない性格のため、送り帰しても自転車で戻ってくるのを何度か繰り返した結果、魈が折れて空の好きにさせている。
    「昔から魈が絡むと超頑固になるもんね」
    蛍の言葉にため息を吐く。旅人であった空は魈に対しても兄のような顔を見せていたが、今世の空は魈にとって弟のような存在であり、彼自身も蛍には見せない甘えた一面を魈には見せた。そうして聞き入れているうちに、彼は魈にだけわがままで甘えん坊になってしまったのだ。
    来た、と呟く蛍の言葉に振り返るとむすっと唇を尖らせたままの空が魈の服の裾を握り締めた。
    「空、いつまでそうして不貞腐れているつもりだ」
    「……」
    分かるだろうと言いたげな瞳に睨まれて、魈は仕方なく空の手を握ると蛍を連れて駐車場へと出る。図体ばかり大きくなった幼児の相手は大変だった。

    ❇︎


    足を抱え直されると内側に入り込むモノの角度が変わってみっともない声が溢れた。まだ昼過ぎで乱雑に閉じたカーテンの隙間からは陽光が漏れ、外からは子供たちのはしゃぐ声が聞こえている。万が一聞こえてはいけないと魈は噛み殺しきれない喘ぎ声を漏らす口を自分の手で塞いだ。

    蛍を送り届けて、空を連れて自宅に戻ると玄関でそのまま押し倒された。舌をねじ込まれながら、Tシャツを捲られて脇腹や胸を摩られると珍しく性急な行為に魈も少しだけ興奮してしまったのが悪かった。すっかりその気になってしまった空をなんとかベッドまで誘導したものの、それからは好き勝手に貪られている。空が言いたいことなどわかっていた。大方何故こうして身体を許す癖に結婚は承諾してくれないのか、だろう。

    再会した一年前から魈は請われるままに空と付き合い始めていた。付き合うがどういうものなのか、経験はなかったが理解はしていた。しかし空に抱いている愛情が果たして恋愛のそれなのか、魈には区別がつかない。ただ空が己と一緒になりたいと泣いたからそれに応えた。その後、幾度かの外出と唇の触れ合いを経て、身体の交わりをしたいと彼から告げられた際に未成年者に手を出すわけにはいかないと断ったら、屁理屈をこねられて彼を受け入れる側になっていた。いつだって魈は流されるままに生きている。まるで現実に足がついていないかのようだった。

    上の空で考え事をしている魈を見て、空はその首筋にがぶりと齧り付く。痛みで意識が現実に戻ってきたことを確認した空に厚い舌で首筋に溜まっていた汗を舐め取られると、押し寄せる快感の波に堪えきれなくなった魈は空の腕に汗で滑る指をかけた。セックスは常に冷静な頭から思考力と理性を奪うから好きではなかった。けれども空の体温はいつだって心地よく、夜叉と旅人の間柄ではなかった交わり方は嫌いではない。お互いに想いを伝えられずに永遠の別れを迎えてしまった二人は、本当はどんな未来を描きたかったのだろうか。

    ❇︎

    「お茶飲む?」
    まあ魈ん家のだけどね、と独り言をこぼしながら空は下着だけ身につけた簡素な格好でベッドから起き上がる。あまりの疲労感に指の一本も動かしたくない魈は口を開くのも億劫になり俯せのまま視線だけを空に送った。当然のように魈の意図を読み取った彼は、汗で額に張り付いた前髪を流しながらこめかみにキスを落とし、持ってくるねと歌うような声色で告げて寝室を出て行った。

    外はすでに陽が落ちているのをカーテンの隙間から確認する。何度気をやったか覚えていないくらいの長い間抱かれていたようだ。とはいえ空が魈を文字通り抱き潰す時は大体金曜日か土曜日だ。その上、翌日あまり体調が良くない魈の看病まで付いている。
    (空が泊まりに来るといつもこうなる……)
    もうすっかり恒例となった行為に深いため息をついて目を閉じる。高校生の体力にはついていけない、と早くも体力の低下を感じている魈は就職してからあまり運動らしい運動をしていない。肉体が老いていくという感覚は不思議なものだった。
    「また何か考え事してる」
    ストローの刺さったグラスを持ってきた空に咎められて、魈は重たい瞼を持ち上げると、目の前に差し出されたグラスを口元に近付けられてストローを咥える。身体を起こすことなく中身の茶にありつき、渇ききった喉を癒やした。
    「そんなことより俺との結婚について考えてよ」
    「……まだそんなことを」
    喉を潤したものの掠れた声はすぐには治らない。しかしそんな状況にも慣れた空は気にすることなく、乗り気ではない魈の様子に頬を膨らませた。
    「もちろん今日明日の話じゃないよ。ちゃんと学校出てから、仕事して、頑張ってお金貯めるから良いじゃん。未来の約束ぐらいしたってさ……」
    ベッドに乗り上げた空は疲れ切って脱力したままの魈の裸体を後ろから抱き締めると、そのまま首筋に柔らかく吸い付いて無体を働いた身体を労わり始める。
    「そもそもこの国では同性の結婚は出来ないだろう」
    「別に俺この国で、なんて言ってないけど」
    「お前……蛍と離れていいのか?」
    すりすりと乾いた手のひらがまだ湿っぽい魈の薄い腹を撫でる。その手つきに性の気配はなく、ただ緩やかに愛撫を繰り返すだけだ。
    「うん。あいつだって人生あるんだし」
    それに記憶も無いしねと明るい声色で続ける空の様子に魈は動揺していた。あれほどまでに焦がれていた片割れに対して随分とあっさりとした態度だ。
    「それよりも俺は魈とも家族になりたいな」
    投げ出していた左手を取られて薬指をつままれて、くりくりと弄られているのを魈はぼんやりと眺めた。家族と言われても実の両親にすら情を抱けなかった自分には想像がつかない話だった。何故空がこだわるのかを理解できずにいると、心を読んだかのように空は続ける。
    「今の俺たちってさ、ただの幼馴染でしかないんだよ。万が一魈に何かあった時に俺は何も知らせてもらえない。何の決定権もない。俺、そんなの嫌だ」
    空が変わらず長く伸ばして緩やかに波打った自分の髪の毛を魈の薬指に巻き付け始めたのを見て心臓がざわめくのを感じ、堪らず押さえるとすぐにその指先を絡め取られる。
    「前はお互いに譲れないものがあったけど今は違う。俺は今の魈を誰よりも大切にしたい。目に見える契約が欲しいよ……」
    足まで絡められて全身を抱き締められると、空の匂いを強く感じた。しかし旅人に何度も抱き寄せられた夜叉が感じていた匂いとは少し違う。シャワーをまだ浴びていない彼からは、制汗剤の人工的なシトラスミントの香りが混じっている。けれどもそれを含めて嗅ぎ慣れた匂いだ。
    「……俺を見て。旅人だった空じゃなくてさ、俺とのこれからを考えてよ、魈」

    魈は必死に頼み込んで縋り付く空を、突き放すこともできなければ受け入れることもできなかった。思えば魈は二十数年あまりの間、多くのことを受け入れることができずに生きてきた。テイワットでないこの世界を受け入れられない。仙人ではない己の身体を受け入れられない。日々感じている生きづらさを誰にも理解してもらえない。空だけが自分を分かってくれる存在であったが、当の本人は世界を受け入れ、定命の身体を受け入れ、かつて渇望したものをあっさりと手放してしまう。取り残されたような気持ちでいると、こっちを見てと言わんばかりに身体を転がされて空と向き合う。
    「なんで泣いているの?」
    「泣いてなどいない……」
    否定したものの、頬を指先で拭われると確かに濡れていた。空に頭を抱え込まれ、空いた手で後頭部から背中にかけてまでを撫で摩られる。まるで赤子を宥めるかのような手つきだった。
    「……きっとテイワットのことを色々知るうちに、魈は魈自身のことが分からなくなっちゃったんだね」
    夜叉の魈は今の魈じゃないんだよと空は続ける。夜叉の生き方しか知らなかった魈は人間の生き方など分からなかった。成長にも老いにも心がついてこれない。テイワットさえ知らずにいたら、この世界に生を受けた人間として当然のように受け入れることが出来たのだろうか。
    「自分がどうしたいか考えてみて。このあと30代になって、40代になって、どんどんおじいちゃんになっていく自分がどう過ごして生きたいか」
    でも泣かせるつもりはなかったんだと空は謝りながら静かに涙を流す魈にキスの雨を降らしてあやし続ける。流されるままに人生の選択をしてきた魈と違って、空はちゃんと魈を含めた自身の未来の展望を描いていた。空の未来の人生の傍らに自分がいる、必要とされている。それはとても幸せなことだと魈も分かっていた。

    ❇︎

    いつの間にか眠っていたらしい。身体を起こすと汗や精液などで湿っていた身体は拭われてすっかり綺麗になっており、下着だけは履かせられて、冷えないように大判のタオルケットがかかっていた。隣に空の姿はなく、そばに投げられていたスマートフォンで時間を確認すると深夜一時を回っていた。昼過ぎからセックスして、そのまま寝てしまったため流石に空腹を感じて、床に散らばっていた服を身につけると寝室を出る。1LDKの間取りの魈が住むアパートは寝室にあたる部屋は狭いが、LDKの部分は少し広めにとってある。一人で住むにはゆったりとしたつくりだ。双子たちが食事しにくることを見越して購入した四人がけにもなる伸長式ダイニングテーブルでは空が腰掛けて勉強をしていた。
    「魈、起きたの?」
    「……腹が減った」
    お湯を沸かすよと言いながら立ち上がろうとする空に勉強を続けるように返す。腰の辺りが重たいが、それももう慣れた感覚だった。シンク下の戸棚を開けると、突然押し掛けてくる育ち盛りの子供二人が好きに食べられるようにストックしてあるインスタント食品が顔を出す。
    「お前も食うか?」
    「食べる!」
    その言葉に塩味の袋麺を三袋手に取り、鍋に水を張る。沸くまでの間に冷蔵庫の中で眠っている肉と野菜を適当に見繕う。魈自身は自炊をあまりしないが、空と蛍がテレビ番組やネットニュースに触発されて勝手にキッチンを使うので、何かしら冷蔵庫の中にはいつも入っていた。一口大に切り終えた肉と野菜を炒めながら、麺を茹で始める。今が一番食べる時期の空は一人前では到底満足できない。かさ増しの野菜を入れてやっても二人前は平らげた。

    どんぶりによそった野菜タンメンをうまいうまいと啜る空は夕飯を食べずにいたらしく、魈が一人前を食べ終わる前に食べ切っていた。夜叉ではない魈は数時間もすれば空腹を感じるし、味の濃い料理であっても分け隔てなく食べられる。しかし食事そのものへの違和感が拭えず、他人よりも食べるのが遅い上に少食だ。事情を知らない者とやむを得ず食事に行くと過剰に心配されたり、もしくはイライラさせたりしてしまうことが苦痛であった。しかし両親や付き合いの長い空と蛍はそんな魈を当たり前のように受け入れていたから、彼らと離れるまで知らなかったのだ。至らない自分でもありのままに受け止めてもらえることが幸せであるということを。
    「……そら」
    「んー? もうお腹いっぱいになっちゃった?」
    「違う。……先程の契約の話だが、受けようと思う」
    へ、と間抜けな声を漏らした空は魈のどんぶりから麺を拝借しようと既に伸ばしていた箸を落とした。からんと転がっていく箸の音が止まった頃、ようやく動揺を収めたらしい空は今度は顔が真っ赤に染まっていく。
    「……ほんとに?」
    「ああ。だがお前が言うように今日明日で結べるものではない。時が来てそれでもお前が望むと言うのなら……応えよう」
    空が必死だったから受け入れたわけではなかった。考えてみれば彼の深夜の勉強も、自分よりも早くに起床して出勤する魈の睡眠時間をきちんと確保しつつ共に過ごす時間を設けたいがためだ。旅人は夜叉を大切にしていたが、妹を差し置いてまで夜叉を選ぶことはなかった。夜叉も使命と旅人を天秤にかけて使命を選んでしまった。その選択を後悔したのは彼ともう二度と会えなくなってからだった。しかし空の世界は最初から魈のために回っている。そのことにどれだけ救われてきたか考えたこともなかった。そしてこれからも、世界から取りこぼされそうになっている魈の手を握り続けていたいと言う。彼の望みはただそれだけのことで、彼我の間に他者から見ても分かる形が欲しいのならば与えてやることくらい大したことないと思えたのだ。けれども空はまだ若く、無限の可能性を秘めている。テイワットに囚われている魈のように、彼が魈に囚われてしまうのは本意ではなかった。学業を終え、社会に出て色々な出会いと経験を積んでから考えても遅くはないはずだ。それでもなお、魈を選ぶと言うのならその時には魈もしっかりと空に応えたかった。

    感激のあまりにほろほろと涙を落とし始めた空は頬を赤らめて笑顔を浮かべる。
    「俺、魈との未来のために頑張るね」
    手を取って甲に触れるだけのキスを落とした彼が、なんの相談もなく他県の大学に進学した後に就職をし、いわゆる遠距離恋愛になるとはこの時の魈は知らなかった。
    ましてや数年後の誕生日にいきなり百八本の薔薇を手にして結婚しに来たと玄関口に押し掛けて来て、近隣住民までをも騒つかせることになるとは夢にも思わないのだ。
    魈の世界が空を中心に回り始める未来が待っていた。
    紗紅緋 Link Message Mute
    2022/07/03 12:47:24

    結婚する空魈

    人気作品アーカイブ入り (2022/07/05)

    6/30の朝、唐突に結婚する自CPがみたいと思ったので書いたら精神が健康になりました。
    現パロです。
    #gnsnBL #空魈

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    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    2022/07/05 6:48:23
    コメント失礼します。朝読ませていただきましたが、こんな爽やかな朝は久しぶりでした。ありがとうございます!!!!!!!!!
    > BOOO
    2022/07/05 7:11:41
    おはようございます!元気な朝を迎えていただけたようで嬉しいです!
    2022/07/06 1:45:14
    末永く穏やかな人生を送ってほしいと思いました。私も穏やかな気持ちで眠れそうです。素敵な作品をありがとうございました。
    > やわらかい餅
    2022/07/06 8:18:28
    空魈は別れが約束されているcpなので、もう絶対離さないからね!みたいな明るく可愛い時空もいいなって思いました。いつもありがとうございます。
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    • 海誓山盟マルチしようとしたら過去の仙人と出会う話。謎設定と魈の過去捏造しかありません

      何が出てきても大丈夫な方のみお進みください。
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 碧悟4後ろ向きな空と前向きな魈の話
      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。間章で感情大爆発させるCN魈はいいぞ
      *作業用BGM:周深『大鱼』の影響を若干受けています
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 結婚する空魈2数年後にちゃんとプロポーズする自cp。1万文字ある蛇足みたいなものです。

      #gnsnBL #空魈

      追記:
      先日、ようやく溺愛の続きもアップしました。興味のある方はフィルターを一般からR18に切り換えてご閲覧ください。
      紗紅緋
    • 暗恋両片想いしていた空魈話です。
      魈の過去を含め全てが捏造。 #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 耽溺キスする空魈が書きたかったです。2ページ目は蛇足です #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 碧悟2空がひたすら鬱々している話。少し女々しいかも。

      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 碧悟1魈の精神革命の話。ただひたすら魈の精神描写ばかりです。

      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
      *イメソン:邱振哲『太陽』の影響しかないです #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 寂寞ほぼパイモンと魈の旅人看病記。受けでも攻めでも嘔吐してる姿はかわいい #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 碧悟3隣で自分の道を歩む人が出来て、見える世界が変わった魈の話
      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
      *作業用BGM:任然『飞鸟和蝉』の影響を若干受けています
      6/13追記:2.7で判明した情報と整合性を取るために一部修正しました
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 年末のご挨拶本年はTwitterでの活動を辞めたり、pixivからこちらへ移動したりと精神的に慌ただしい一年でしたが、皆様のお言葉の温かさに救われました。本当にありがとうございました。今後も空魈を書き続けていきたいと思います。良いお年をお迎えくださいませ!

      また、1/8に神の叡智7に参加しますが、全48種ランダム配布予定の無配ハガキの図柄にご希望のものがございましたら取り置きいたします。(※新刊2冊も勿論取り置きいたします)
      無配は余れば通販にも回しますが、その際は匿名配送となってしまいますので個人の特定ができません。もしも通販予定の方で、この図柄が欲しい!というご希望がありましたらハガキのみ別途送付もいたしますのでご連絡いただければと存じます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
      紗紅緋
    • 日久生情 サンプル契約恋人のはずがマジ惚れしていく話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/184頁/価格1,000円/R-18)

      ※サンプル部分は冒頭ではありません
      ※バージョン1.3から2.7に至るまでのあらゆるイベントネタが詰まっています
      ※実際はタイトル部分は箔押しとなります
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/
      ※成人指定してあります。表示されない場合はユーザー情報で表示するにチェックする必要があります。


      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 夢で見た人を好きになっちゃうタイプの空くん内容はタイトルのままです。キスから始まっちゃう自cp可愛いなと思って書きたいところだけ書いたので短いです。

      書いてる途中に例のキャラpvが来てしまって、本家(?)の彼はこんなにも苦しんでいるのに、私の書く仙人はなんでいつも旅人メロメロ真君なんだと数日間絶望していましたが、海灯祭イベント見てたらメロメロ真君もあり得なくはないと気を持ち直したので公開です。エピローグが楽しみです。
      追加:エピローグ前にとんでもpv来ちゃって泣いた

      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • 夢の番人 サンプル未来の結末の話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/44頁/価格600円/全年齢)

      ※キャラクターの死の捏造があります
      ※バッドエンドではありませんが、ハッピーエンドでもありませんので、苦手な方はご注意ください
      ※ フォントの都合上、左綴じ横書きの本となっております。
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/

      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 1/8無配遅くなりましたが、1/8神ノ叡智7ではどうもありがとうございました!通販の方もちょこちょこご注文いただけて大変嬉しく思います。
      無配の方を公開いたします。フォロワーさんからいただいた設定の仙人で書いています。自分だけが気付いちゃったあの子の秘密とか可愛いですよね。
      今年はもう一回イベント参加できたら良いなって思います。今後ともよろしくお願いいたします。
      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • お知らせ1/8開催の神の叡智7に空魈で参加することにしました。取り急ぎご連絡まで。
      スメールめっちゃ楽しい
      紗紅緋
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