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    碧悟3旅人が稲妻に旅立ってから少し経つ。彼がいなくとも魈の毎日は変わらない。魔を祓い璃月を護り続ける。それは空が稲妻に行っていても変わらないこと、のはずだった。自由なモンドと違い稲妻は閉鎖的な国ということを彼が旅立つ前に話したのが忘れられない。いつしか、日々のふとした瞬間に彼が息災であるか心配になり、顔を見て声を聞いて安心したいと思うようになっていた。璃月にいるのならば、いついかなる時でも駆け付け、助けられる自信もある。しかし空が国外に出てしまうと魈は途端に躊躇してしまう。璃月から出るなと神の座を降りた鍾離は言わなかった。彼自身、時折モンドへ赴いているとことも知っている。けれども魈はこれまで璃月を出た経験がなく、出ようと考えたことすらなかった。ましてや稲妻は島国で、モンドのように璃月と陸地で続いている国とはわけが違う。気軽に会いに行ける距離でもなく、結局もどかしく思いつつも彼の安全をこの地で願うほかない。孤雲閣の一番高い崖上から、海の向こうの遠く離れた稲妻の山陰を見つめるのが日課になりつつあった。

    ❇︎

    妖魔の返り血で赤く染まってべたつく顔を腕で拭うが、同じく血に塗れたそれでは汚れを広げたにすぎない。今日はいささか数が多かった。一体の力はそれほど強くなかったが魈自身から漏れ出す業障の影響を受けたのか、妖魔たちが次から次へと襲いかかって来た。ここが孤雲閣で、昼夜を問わず凡人が彷徨くような場所でなくて良かった、と地面に赤い足跡を残しながら魈は汚れを洗い落とせる場所を探す。人間のように身なりを気にしないが、かといって肌の上に残る不快感をそのままにしておく程、魈も無頓着ではない。それに今日は月が明るく、夜半であっても周囲の景色がよく見えた。このまま望舒旅館へ戻ると、まだ起きている人間たちを驚かしかねない。数百メートル歩いたのちに砂浜に出た魈は周囲に潤沢にある海水に足をつけようとして、立ち止まる。こんな時、真水で身体を洗い流した方がいいと言ったのは空だ。海水ではべたつきは取れないし、雑菌が傷口から入ったらどうするのだと怒られた時のことを思い出して口元がゆるむ。魈は仙人で、凡人とは身体の作りが違うことを彼も十分に知っているだろうに細かいことで注意してくる姿はそれだけ魈に心を配っている表れでもある。あたたかい記憶に免じて海水で洗い流そうとした身体を、逡巡ののちに仙法で清めることにした。
    穏やかに吹く風が魈の清潔になった肌をさらさらと撫でていく。この頃は靖妖儺舞をおこなっても、以前のように骨肉を蝕む激痛に倒れることが少なくなった。空を経由して鍾離から渡された薬を飲むようになったからか。妖魔の気配は既になく、多少休憩しても構わないだろうとそのまま砂浜に転がる岩に腰掛ける。月輪を映した揺らめく海面を眺め、この海の先に空がいるのだと思うと、簡単に会えないさみしさに締め付けられるような痛みを胸に感じた。

    『本当は……ワープポイントもあるだろうし、戻ってこようと思えばすぐに璃月にでもモンドにでも戻れると思う。ただ俺の性格からしてひと段落するまではきっと戻って来ないと思うから、少しの間お別れだね』
    この後すぐに璃月港に戻り稲妻へ出発するのだと言って空が望舒旅館にやってきた日のことを振り返る。人を待たせていると言いながら離れようとしない彼をいつも通り素っ気なく送り出した魈だったが、今となっては惜しいことをしたと少しばかり後悔していた。他の凡人と比べると魈にとって空は親密に付き合う友だが、その関係性は一言では表現できない。彼はもう気にしなくていいと言っていたものの、璃月に滞在している時は朝晩のどちらかに挨拶交わす契約は続けており、律儀な魈はあいかわらず彼の気配を探し出して顔を出していた。しかし、頻繁に顔をあわせるとはいえ璃月での旅路を伴にする訳でもない。彼がモンドに行けば当然会わない日々が続き、璃月に居たとしても魈は己の責務が最優先であり、付かず離れずの距離感を保っていた。それで良い、とこれまでの魈は満足していたが、今は心に穴が空いたような喪失感があり、何もない日々に退屈している。そんな自身の心境の変化に戸惑っていた。鳥たちも寝静まり、辺りは波が打ち寄せる音とたまに吹く風の音しか聞こえない。今までと変わらない静穏な日常が広がっている。けれども空が隣にいたらと思わずにはいられない。名を知らない花を目にして、彼ならば知っているのだろうかと考える。仲睦まじい山雀のつがいを見て、彼はたまに見せる四角い箱を手にするのだろうかと考える。軽食を売り歩く商人と出会って、彼とその付き添いならいくつ買い求めるのか考える。気が付けば魈の日常は空を中心に回っているほど、彼に焦がれていた。

    「……洞天」
    そんな中、不意に思い浮かんだ単語がそのまま口に出ると、渦の魔神を退けた後、空が歌塵浪市真君から塵歌壺を贈られ洞天を手に入れたことを思い出す。稲妻に旅立つ前に彼は心身の調子を崩していた時期があった。洞天に篭り続け不調を隠そうとしていた彼の、やわい心を蝕む悪夢を呑みに彼の元へ押しかけたことがある。元々立ち入りを許されていたのか、彼との繋がりを少し意識しただけで入り込むことができたそこは、彼の気に満ちたあたたかい空間だったと覚えている。もう一度あそこへ辿り着けたら、感じているこの寂寞感も和らぐだろうか。思い立つと行動に起こすのは早く、軽やかに立ち上がると魈は早速意識を空の洞天へと向ける。

    ❇︎

    穏やかな陽気に包まれて、花の香りが鼻腔を掠める。瞼を持ち上げると、まず眩しさに目を細めた。目が光に慣れた頃、目の前に広がる景色は魈の記憶の中のものと趣が異なっていた。絶雲の間のような岩山の見える草原はそのままに、銷虹霽雨真君が門を守る赤い屋根の邸宅は初めて目にした。以前は璃月風の古宅だったと記憶している。邸宅の前から伸びる舗装された小道は陽光に照らされ、道沿いには色とりどりの花が咲き乱れる花壇や花をつけた低木が並んでいる。小道の先は広場になっており中心には噴水が置かれていた。その奥に見慣れた後ろ姿がある。流れる金糸はいつものように編まれていたが、それを更に巻き付けて団子のようにまとめた彼はしゃがみこんで何やら作業をしているようだった。
    「……空」
    驚かせないように静かに声をかけたつもりだったが、びくりと肩を震わせたのち振り返って見せた表情は驚きで満ちている。
    「えっ魈!? 本物!?」
    すくりと立ち上がった空は嵌めていた手套を駆け寄りながら外して、土に汚れたそれをその場に落として来る。道に転がっていく手套を目で追っていると、視界の外からいきなり両手を絡め取られて魈は思わず小さく飛び上がった。
    「どうしたの? 何かあった?」
    指先に絡む空の手は、手套の中で蒸れていたのかじっとりと汗ばんでおり普段よりも熱い。だが、その温度に彼が目の前に存在しているのだと強く実感していると、骨太のしっかりした手指がすりすりと手套越しに魈の指先を撫でさすっていることに気付く。彼もまた魈が目の前にいることを確認しているようだった。
    「用がなければ来てはならないか?」
    「……ごめん、俺の言い方が悪かった。いつでも好きな時においで。来てくれてありがとう、すごく嬉しい」
    魈の言葉に目を丸くした空は眉を八の字に下げて柔らかく笑うと、ぎゅうっと手に込める力を強くする。痛くはないが、反応に戸惑って立ち尽くしてしまう。魈からすると喜ばれるようなことをしたつもりはない。ただ洞天に満ちる空の気に触れて騒つく心を癒したかっただけだ。特に用事があって訪れたわけでもなく、そもそも本人がいるとは思いもしなかった。だが、息災であることを目で見て確認がとれただけで十分だ。
    「お前は何か作業をしていたのだろう? なら我は……」
    当然久しぶりに彼と交流をしたい気持ちはあったが、忙しい彼の邪魔をするつもりもない。拘束する指先を解いて踵を返そうとすると、焦った様子の空から大きな声で名を呼ばれて引き止められる。
    「久しぶりに会えたんだし、もう少しお話しようよ」
    「……承知した」
    そこのベンチに座って待ってて、絶対だよと声をかけるなりぱたぱたと小走りで屋敷の中へと入っていく姿を見送る。慌ただしい様子に彼は目を離している間にいなくならないかを心配しているのだと推測できるが、契約の国の下に生まれた魈が一度交わした約束を反故にすることは決してない。空の言いつけ通り木製の長椅子に腰を下ろして彼が戻って来るのを待つ間、眼前に広がる庭を眺めていたが花も草木も十分に手入れが行き届いていた。ここまで整備するのには時間と労力がかかっただろうと感心する。ふと彼が何の作業していたのか気になって、作業していたあたりに目を向けると璃月では見たことのない白い花が植えられていることに気付く。風が吹くと清涼な香りが魈の座っている場所まで漂ってくる。興味が湧いて、近くで観察しようと立ち上がると運悪く戻ってきた空に見つかり、帰らないでほしいと再度請われた。
    「そんなに心配する必要はない」
    「……だって魈、用が終わるとすぐ居なくなっちゃう」
    思えば空はいつも挨拶に来た魈にあらゆる誘いを持ちかけてきた。食事を共にしよう、寝しなに璃月の昔話を聞かせてほしい、魔物退治の依頼に付き添ってくれ。それら全てがすぐさま去ろうとする自分を引き止めるための口実であったことにようやく気がつく。脳裏に浮かんだのは、行かないでと縋り付いてきたいつぞやの窶れた姿だ。あれこそが空の取り繕わない本心なのだろう。
    「お前が望むのなら共にいよう。だからそのように毎回用事を捻出する必要はない」
    空は菓子の乗った皿を待って屋敷から出てきた。それを一瞥すると、視線に気付いた彼はおずおずとした様子で皿ごと差し出した。
    「これは今日作って結構美味しかったから……折角だし、食べてみて欲しかったんだ」
    嫌かと小首をかしげ眉が垂れ下がって自信がないような表情をする彼は、魈が食べるかどうか不安なようだ。改めて皿の上に鎮座している物を観察してみる。餡を包んだ桃色の生地に葉を巻きつけてある菓子が二つほど皿に載っていた。魈から見ても繊細な外見をしており、ふた口ほどしかない小ささだが、仄かに花の香りがする。生地か餡に練り込まれているのだろうと指先で摘んで口に放りこんでみる。まず感じるのは鼻へと抜ける独特の芳香だ。そして柔らかいながらも弾力のある生地の食感は嫌いではない。口の中で塩気と甘さが混じり合う。味はどうかと不安そうに尋ねる空に魈にとっては餡が少し甘いと感じることを正直に伝えると、彼は顎に手を当てて考え始めた。眼差しは真剣そのもので、小声で何やら呟いている。魈の意見を反映した製法を考えているようだった。
    「だが、あくまでも我の意見に過ぎない。故に無理に取り入れる必要もない」
    「でも俺、魈に美味しいと思ってほしいんだ」
    そう言うと空は皿に残っていたもう一つを口に運ぶ。味を確かめるようにゆっくり噛んで少しずつ飲み込んでいる。凡人の味覚は分からないが彼の作る料理なのだから、今のままでも十分においしいと評価を受ける筈だ。
    「もう少し全体的に塩気と甘さを抑えて、緋櫻毬の香りを押し出してみようかな。……うん、ありがとう!」
    皿を長椅子に置くと空は陽だまりのような笑顔を魈に向けた。再び手指を取られ、自慢の庭も見てほしいと手を引いて洞天内を案内する彼は珍しくはしゃいでいるように見える。空が楽しいと魈もたのしい。矢継ぎ早に変わる会話内容に都度、うんうんと相槌を打ちながらいると、彼が手塩にかけて育てたという花を見せられる。奇しくも先程魈が興味を抱いたあの白い花だった。
    「モンドに清心みたいな花があるんだよ。清冷で風が強いところにしか咲かない花だから壺の中で育てるのに結構苦労したんだ」
    空は花の前でしゃがむと素手のままそれを丁寧に摘み取る。花々の育成方法を模索し、無事に蕾が開くと満足して一番美しい間に素材として回収してしまうと話す空はちょうど植え替え作業の途中だったらしい。摘み取った最後の一輪を魈に握らせ、モンドでは切り立った崖の上でよく見られる花だと話す。風に吹かれて揺らめく白い花弁の情景を脳裏に思い描きながら、爽やかで凛とした香りをあらためて嗅いでいるとしゃがみこんだまま頬を緩ませている空と目が合う。見つめられていた事実に途端に恥ずかしさを感じて花を突き返す。しかしそんな照れ隠しすらもお見通しなのか、空は肩を震わせてくつくつ笑いながら花を受け取った。
    「つ、……次は何を植えるんだ?」
    「稲妻の植物に挑戦しようかなって思ってるよ」
    会話を続けながら空は作業を再開することにしたらしい。懐から植物の種を取り出すとぱらぱらと土の上に撒いていく。手持ち無沙汰の魈もその場に腰を下ろして彼の作業を見守る。鳴草という脆弱な花を葉が守っている可愛い植物だと話す空の横顔は芽吹かせるその日への期待で輝いていた。鳴草について話していると話題は自然と稲妻での出来事に移っていく。入国したその日から色々な出来事に見舞われたと今日に至るまでの苦労を一つずつ挙げる彼は、今は政府からお尋ね者として触れ書きが出回っているのもあり、反政府軍のところで世話になっていると笑いながら話した。小隊を率いているという。やはり稲妻においても人々の中心にいるようだ。誇らしいと思うと同時に、知らない国のことを楽しそうに話す姿を見て一抹の寂しさを感じた。空はこれからも先へ進み続け、魈の手の届かない所へ行ってしまうのだろう。

    「稲妻料理って結構あっさりしてるからきっと魈も気にいると思うよ」
    いつの間にか話題は稲妻の食事に移っていた。当然のように互いに都合のいい機会に稲妻料理を振る舞う約束を取り付けられるが、悪い気分ではない。彼にとって魈と過ごす時間を必要なものとして考えているのが伝わってくる。
    「魈は最近どう?」
    突然話題を振られて言葉に詰まった。普段、空は魈が何も話さなくても勝手に喋るので魈の方から語ることはあまりない。そもそも他の仙人が相手だとしても世間話に興じるような性格でもない。なにより空のとりとめのない話を聞いているだけで満足だった。視線を泳がせていると、いつの間にか陽が傾き始めており西の空が紅く燃え始めていて、照らされた空の髪の毛が閃閃としていた。その姿を綺麗だと目を細くして、美しいと感じた己の感性の変化に気付く。
    「我の日常は変わらぬ。ただ……」
    植え替え作業を終えたらしい空は手についた土を払い落とすと、真っ直ぐに見つめてくる。なかなか次の言葉を紡げない魈を催促するわけでもなくただ見守っていた。彼はいつもそうだ。魈の足並みと揃えてくれる。
    「お前と出会ってから世界が鮮やかだ」
    空の色、風の音、花の匂い、生き物の営み。それらは最初から魈の日常の隣にあったが、気にも留めていなかった。けれども魈がこれまで一蹴してきたすべてを拾いあげて、空は慈しむ。孤独だった魈の旅路に彼が並び歩くことで気付けば世界の見え方が変わっていた。
    「だがお前がいなければ、それらに意味がないことに気付いた」
    空の色の移り変わりを綺麗だと言い、風が運んでくる様々な音に耳を澄ませ、綻び始めた花と香気を愛で、野鳥の成長を見守る彼の横顔はなによりも美しい。その言葉に驚きを隠せない様子の空は、話すうちに俯いてしまった魈にそっと近付き顔を覗き込むと暖かくて柔らかい声で問う。
    「意味がないって、どうして?」
    「……我はお前の見ている世界を見たい」
    空が伝える世界の鮮麗さを気に入っていた。空が何を見て、何を聞いて、どう感じるのか、どう行動するのかを知りたかった。世界ばかりが鮮やかに映っても、空がいなければ彼の目を通した世界は知り得ない。答えた魈の声はほとんど震えていて、身体には力が入ってぎゅうと縮こまっていた。空は強く力が入って白くなっている魈の握り拳を自身の手のひらで包み込む。
    「……じゃあ、俺と一緒に来る?」
    弾かれたように魈は顔を上げた。声色の温かさとは裏腹に、真剣な眼差しがただの慰めのための言葉ではないことを物語っている。魈の唇は言葉を紡ごうとするが声にならず、はくはくと吐息が漏れるばかりだった。思わぬ提案に驚くあまり音を立てて心臓が騒ぎ始め、血が勢いよく巡っているのが聞こえた。璃月を離れて共にテイワット大陸を旅すれば、確かに彼の見ている世界を隣で感じ取ることができるだろう。空とパイモンと、そして自分が見知らぬ国に訪れて、彼の妹を探しながら人々の手助けをする情景を夢想する。

    「……それは……出来ない……」
    ようやっと絞り出した声は蚊の鳴くようにか細かった。魅力的な提案だと思う。けれども空のそばに居たいという感情よりも、彼と気軽に会えない寂しさを抱き続けることよりも、降魔の務めを降り璃月を離れることへの抵抗の方が強かった。璃月は既に人の時代で、仙である魈たちは彼らの歩む道を見守ると決めた。無論、降魔に関してもいつかは方士たちが主となって璃月を護っていくのだろう。だからといってそれは魈が務めを降りる理由にならない。この戦いは最初こそ岩王帝君に命じられた任務だったが、今となっては魈が選んだ道だ。とはいえ、責務に縛られて動けない自分はまるで夏と共に死にゆく蝉のようだった。渡鳥のように自由に飛んでいく彼から見てどう思うだろうか。
    「……うん。そうだろうなとは思ってた」
    変わらず優しく微笑を湛えていた空は腕を背中に回してそっと抱き寄せてくる。肩口に鼻が埋まり、陽に照らされながら作業をしていた彼からは彼自身の匂いと微かに汗のにおいがする。いつもの彼の匂いだった。
    「魈は律儀だし真面目だから、決めたことを違えるような人じゃないのは知ってる。ただ顔を見たら……言いたくなっちゃった」
    困らせてごめんねと続ける空の声は穏やかで、魈の拒絶を意に介していないようだ。何か言葉を返さなければと思って硬直していると見透かされたように、気にしなくていいよと再度念を押される。彼からの好意を無碍にしてしまったと沈んだ気持ちも、とくとくと重ね合わさった肌から彼の脈動が伝わってくると、不思議と安らいでいく。体格差のない彼は気の抜けた表情で、素肌が剥き出しの魈の右肩口に顔を埋めて頬擦りしている。やわい頬の感触に慣れなくて擽ったい。しかしその温もりがいつも魈の心を鎮め、奥に巣食う不安を取り除いてくれる。意を決して頭の中に浮かんだ考えを言葉にしてみた。
    「……空。時間がある時、我と共に璃月港に来てはくれぬか?」
    「いいけど……。一体どういう風の吹き回し?」
    魈の身体を離して顔を覗き見てくる彼は意外そうな表情をしている。無理もない。魈の方から物事に誘うこと自体がそもそも初めてだ。
    「……共に旅に出ることは出来ない。だが、お前はいつも城内を練り歩き、群衆の中を行き来しているだろう。お前が普段見ているものを、感じていることを……我も知りたい。璃月でならそれが出来る」
    「うん、分かった。じゃあ、なるべく早く会いに行けるようにするね」
    最後にもういちど強く抱き締めて、空は魈の身体を解放する。自身の低い体温と比べて熱い彼の身体が離れて魈も名残惜しさを感じた。くあ、と大口を開けて欠伸をすると、空は生理的な涙で滲んだ眦を下げてにこりと微笑む。
    「俺はそろそろ詰所に戻るよ。俺がいなくても好きなようにこの洞天は使ってくれていいからね」
    思えば魈は夜中に洞天へとやってきた。時間の流れが現実と違うため、この中はまだ夜の帷が降りてきたばかりだが、外は既に朝方なのではないかと推測する。しかし、空も早く休みたいだろうと頭で分かっていてもその場から足が動かず、まだこの場を動きたくないと訴えていた。踵を返そうとしていた彼の外套の裾を咄嗟に掴む。白い布地を握る指先はかすかに震えていた。気がつけば空よりも魈の方が必死に相手を引き止めている。それでもくん、と引っ張られつんめのった彼は突然絞められたにも関わらず怒るわけでもなく、振り返って珍しい様子の魈を一眼見ると、眉を八の字にして困ったように笑って許す。
    「……今日は泊まってく?」
    俺も洞天で寝るよと付け加えた空はどこまでも優しく、離れたくないと言葉はないものの佇まいで主張する魈を甘やかすつもりのようだ。

    ❇︎

    就眠する準備を済ませた空に案内された部屋の内装は以前より彼が使用している寝室と同じだった。扉や床の柄は違うものの配置された家具は変わらず、やはり寝台がふたつ並んでいる。手前の方の寝具は使われている様子が窺えた。
    「俺、奥の方で寝るよ。その方が魈も帰りやすいと思うし」
    いつも使ってる方でごめんねと言いながら、空は四つん這いになって寝台の上を移動していく。お互い向き合って顔を見合わせながら寝具に潜りこんだ。毛足が長く柔らかい肌触りの布はふんわりと魈の身体を包むが、空の匂いが移っていて落ち着かない。抱き締められている時よりも香りを強く感じて、もぞりと毛布の中で身じろいでいると、空の腕が伸びて来る。
    「……俺思いついたんだけどさ」
    「なんだ?」
    邸宅の外はすっかり暗くなり、夜目のきく魈ははっきりと彼のことが見えていたが、部屋の中は月明かりが差し込むだけで薄ぼんやりとしていた。隣で横になっている魈を探しているらしい空の腕はぱたぱたと虚空をかいている。魈の方からその手首を掴んで誘導してやると、見つけたと言わんばかりに輪郭を伝って頬に触れられた。魈の乾燥している肌をさりさりと撫でる手つきは手慣れていて、耳朶やうなじのあたりを愛撫している。
    「この壺に色んな国の雰囲気を持ち込むよ。植物でも、調度品でも。食事だってマスターする。そうすれば魈が来てくれた時に少しでも俺と旅をしたような気持ちになれないかな?」
    空はエリアも細かく分ければ七つあるし、と笑みを浮かべているが、ずいぶん瞼を重たそうにしている。それでも話を続けようとする様子に、このままでは眠らない魈に付き合って眠気を押して起きていそうな雰囲気だ。
    「眠いのなら我のことは気にせず眠るといい。今のお前は部下を指揮する立場なのだろう?」
    諭すと渋々といった顔で空は瞼を閉じた。その際、彼の指先が魈の顔を滑べり落ちて手の上に重なったが、払い除けることはしなかった。魈ももう少しその温度に触れていたかった。
    「分かった……。おやすみ、魈」
    「あぁ、いい夢を」

    空はすぐに寝ついた。すうすうと穏やかな寝息を聞きながら幼い顔立ちを眺める。編んでいる髪の毛を下ろした彼の寝顔はまるで子どものようだった。実際少年の見目のまま変わらぬ魈と違い彼は年若いはずだ。様々な世界を旅した経験が彼を見た目以上に大人びて見せるのだろうか。
    寝顔を見つめていると不意にとろりと意識が遠のく。仙人に休息は必要ないもののはずだった。だが、目の前で安らかに眠りに就いている空の姿を見て、横になって休むことに関心を抱く。否、関心を抱いたのは気の置けない友人と並んで眠る状況だ。まだ塵歌壺を貰う前、野宿をしていた彼らを見張っていた頃、並んで袋状の布に潜り込んでいつまでも楽しげに会話していた姿をよく覚えている。火の始末を忘れて眠る二人の寝顔は無防備で、夢の中でも満足げに緩んでいた。魈に『兄妹たち』がいた時を思い出す。皆、業障の影響が少なく、血よりも強い繋がりを感じていた頃。あの頃が少しだけ懐かしかったのかもしれない。
    (あたたかい……)
    触れ合った手から彼の高めの体温が伝わってきて全身に広がっていく。素肌同士で触れ合うと、手套越しの時とはまた違った感慨が生まれた。空の肌は滑らかで、魈のものよりも弾力がある。とはいえ女のような線の細さや柔らかさはない。けれどもしっかりとしたその骨格には安心感がある。瞼を閉じて、繋がりあった手のひらに額を寄せた。

    ぱちりと目が覚める。空はまだ夢の中のようだ。いつの間にか寝返りを打ったのか、魈に対して背中を向けて壁に頭をぶつけている。上体を起こして窓の外を見ると薄明るくなっており、既に東側の空が白み始めていた。外していた装飾品を手に取って、眠る空を置いてそのまま屋敷を出ていく。このまま起きるまで共にいれば、目覚めた彼は当然魈を気遣うだろう。立てていた予定を変更してしまうかもしれない。魈が自らの歩む道を優先するように、彼には自身の旅路を一番にして欲しいと願う。それが魈の考える公平だからだ。

    銷虹霽雨真君もまだ寝ているのか、魈が動き始めていることを感知していない。茶壺に閉じこもったまま顔を見せなかった。空が丹精込めて整備した庭を抜けて、土地の端まで歩いてみる。下を覗くと雲海が広がっており、地上の様子は窺えない。吹きつける風が強くて凡人であれば落ちてしまいそうだ。そばには魈が立つこの場よりも背の低い岩山がいくつか立ち並んでいて、あちこちに璃月でよく見られる緑の瓦屋根の建物が点在しているのが見える。ここに各国の施設を建て、調度品を飾り、草木を植えたいと彼は言っていた。魈は璃月港の街中の様子を思い浮かべ、振り返って眼前に建つ見慣れないモンド風の建築物と庭を眺める。これまで見たこともない賑やかな空間が出来上がっていくのだと思うと興味が湧いた。空が魈のために用意する世界。七国の要素を取り入れるそれはさながら小さなテイワットだ。
    「……ならば、我はこの楽土を護ろう」
    それは契約ではない。魈がひとりで立てた誓いだった。
    紗紅緋 Link Message Mute
    2022/05/29 12:33:41

    碧悟3

    隣で自分の道を歩む人が出来て、見える世界が変わった魈の話
    *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
    *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
    *作業用BGM:任然『飞鸟和蝉』の影響を若干受けています
    6/13追記:2.7で判明した情報と整合性を取るために一部修正しました
    #gnsnBL #空魈

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    • 海誓山盟マルチしようとしたら過去の仙人と出会う話。謎設定と魈の過去捏造しかありません

      何が出てきても大丈夫な方のみお進みください。
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 碧悟4後ろ向きな空と前向きな魈の話
      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。間章で感情大爆発させるCN魈はいいぞ
      *作業用BGM:周深『大鱼』の影響を若干受けています
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 結婚する空魈6/30の朝、唐突に結婚する自CPがみたいと思ったので書いたら精神が健康になりました。
      現パロです。
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 結婚する空魈2数年後にちゃんとプロポーズする自cp。1万文字ある蛇足みたいなものです。

      #gnsnBL #空魈

      追記:
      先日、ようやく溺愛の続きもアップしました。興味のある方はフィルターを一般からR18に切り換えてご閲覧ください。
      紗紅緋
    • 暗恋両片想いしていた空魈話です。
      魈の過去を含め全てが捏造。 #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 耽溺キスする空魈が書きたかったです。2ページ目は蛇足です #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 碧悟2空がひたすら鬱々している話。少し女々しいかも。

      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 碧悟1魈の精神革命の話。ただひたすら魈の精神描写ばかりです。

      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
      *イメソン:邱振哲『太陽』の影響しかないです #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 寂寞ほぼパイモンと魈の旅人看病記。受けでも攻めでも嘔吐してる姿はかわいい #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 年末のご挨拶本年はTwitterでの活動を辞めたり、pixivからこちらへ移動したりと精神的に慌ただしい一年でしたが、皆様のお言葉の温かさに救われました。本当にありがとうございました。今後も空魈を書き続けていきたいと思います。良いお年をお迎えくださいませ!

      また、1/8に神の叡智7に参加しますが、全48種ランダム配布予定の無配ハガキの図柄にご希望のものがございましたら取り置きいたします。(※新刊2冊も勿論取り置きいたします)
      無配は余れば通販にも回しますが、その際は匿名配送となってしまいますので個人の特定ができません。もしも通販予定の方で、この図柄が欲しい!というご希望がありましたらハガキのみ別途送付もいたしますのでご連絡いただければと存じます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
      紗紅緋
    • 日久生情 サンプル契約恋人のはずがマジ惚れしていく話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/184頁/価格1,000円/R-18)

      ※サンプル部分は冒頭ではありません
      ※バージョン1.3から2.7に至るまでのあらゆるイベントネタが詰まっています
      ※実際はタイトル部分は箔押しとなります
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/
      ※成人指定してあります。表示されない場合はユーザー情報で表示するにチェックする必要があります。


      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 夢で見た人を好きになっちゃうタイプの空くん内容はタイトルのままです。キスから始まっちゃう自cp可愛いなと思って書きたいところだけ書いたので短いです。

      書いてる途中に例のキャラpvが来てしまって、本家(?)の彼はこんなにも苦しんでいるのに、私の書く仙人はなんでいつも旅人メロメロ真君なんだと数日間絶望していましたが、海灯祭イベント見てたらメロメロ真君もあり得なくはないと気を持ち直したので公開です。エピローグが楽しみです。
      追加:エピローグ前にとんでもpv来ちゃって泣いた

      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • 夢の番人 サンプル未来の結末の話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/44頁/価格600円/全年齢)

      ※キャラクターの死の捏造があります
      ※バッドエンドではありませんが、ハッピーエンドでもありませんので、苦手な方はご注意ください
      ※ フォントの都合上、左綴じ横書きの本となっております。
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/

      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 1/8無配遅くなりましたが、1/8神ノ叡智7ではどうもありがとうございました!通販の方もちょこちょこご注文いただけて大変嬉しく思います。
      無配の方を公開いたします。フォロワーさんからいただいた設定の仙人で書いています。自分だけが気付いちゃったあの子の秘密とか可愛いですよね。
      今年はもう一回イベント参加できたら良いなって思います。今後ともよろしくお願いいたします。
      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • お知らせ1/8開催の神の叡智7に空魈で参加することにしました。取り急ぎご連絡まで。
      スメールめっちゃ楽しい
      紗紅緋
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