夢で見た人を好きになっちゃうタイプの空くん「……空、今日も頼む……」
青白い顔をした魈が、申し訳なさそうに眉を八の字に垂らして外套を指先でつまんでくんくんと引っ張ってくる。幸い仲間たちは先程倒した敵について攻略法を語り合っているようだ。気候は穏やかで話し込んでも問題なく、身体中に広がっているであろう疲労感を癒す時間を設けても不自然ではないはずだ。水音で彼らの視線を集めないよう、水中に沈む岩の上を慎重に歩き魈と共にそばの岩陰に隠れる。すると人目を避けたことによりなりふり構っていられなくなったのか、腕の中に飛び込んできた魈はもう辛抱ならない、早くしてと熱の篭った視線で訴えてきた。咄嗟に支えた身体は熱く、じんわりと汗が滲んでいる。
「目、閉じてね……」
彼が体重を預けやすいように腰をしっかり抱き寄せ背中に片手を添えると、形のいい薄い唇に自分のそれを優しく押し当てる。ふわふわの感触とほのかな温もりに空も静かに目を閉じた。腕の中の魈は意図した通りに、くったりと全身を空に預けてほう、と吐息を漏らしている。
空と魈はいわゆるキスフレだ。否、空が勝手にそう思っているだけで、彼にとってこの行為は痛みを軽減させるものとしか思っていないかもしれない。始まりは力を貸してくれることになった魈が強大な力を得る代わりに、戦闘後は激しい苦痛を抱えていることを知ったことだった。今日のように真っ青な顔色をして脂汗を浮かべながらも気丈に振る舞おうとする友人の姿に何かしてやれることはないかと思ったのだ。焦燥感に駆られた結果、咄嗟に思い付いたのはキスをすることだった。キスには痛みを和らげる効果があると、以前旅をした世界で聞いたことがある。当時、妹相手に試してみたが効果は感じられなかった。けれどもこのまま何もしないよりはマシだろうと、痛みに喘ぐ魈の首飾りを引き寄せて勢いよくキスをしてしまったのだ。乾燥した柔らかい肉の感触に、男友達に許可も取らずキスしてしまったという後悔も束の間、魈には一定の効果があったらしい。珍しくぽかんと幼い表情を見せていた。その上、口元を拭って謝るどころか、もう一度してみて欲しいと強請られれば断れるはずもなく、以来ずるずると傷付いた魈のモルヒネ代わりとしてキスをする関係が三ヶ月間も続いていた。

「ふ、……はぁ……」
唇を離し、大きく息を吐いて額に滲んでいた汗を袖口で拭った魈の顔色はまだ悪く、カタカタと指先が震えていた。もうちょっと休もうよと彼の手を引いて、空はその場に座り込む。少し悩んだ素振りを見せたものの、魈も隣に腰を下ろしてくれた。
「いつも痛い思いさせてごめん」
魈の力を借りるのは、基本月二回攻略しに行く深層螺旋の時だ。普段とは比べ物にならない強さの敵を時間内に倒さなければならない。空だけでは到底倒しきれず、魈を含む多くの友人達に手を貸してもらっていた。ここ最近は敵が強く、魈の殲滅力を持ってしても圧倒できない。手伝ってくれる仲間達に負担ばかりかけて申し訳なく思いながら、後で洞天に招いて食事会でも開いて感謝を伝えようと考えていると、隣からちらちらと視線を感じた。
「どうかした？」
「やはり……もう一度、いいか？」
眉を寄せている魈の熱い腕が首の裏に回され、ぎゅうと抱き寄せられる。うんと返事をするよりも早く、我慢できなかったらしい魈はちゅうちゅうと唇に吸い付き、幼いキスを空に浴びせた。夢中になって何度も口付けを交わしにくる表情をじっと見つめる。鋭い眼光の瞳は閉じられ睫毛の長さがより際立っており、キリリとした眉毛は力なく垂れ下がっている。この行為の意味を知ったら彼は怒るだろうか。こうしてキスをする度に真相を知った彼が怒り出す姿を想像して、絶交は嫌だなぁなどと思っているうちに言い出せなくなってしまった。それに彼の痛苦がいかほどか空には想像もつかないが、唇を差し出すだけでこんなに安心した表情を見せてくれるのなら、キスくらい好きなだけしてあげようとも思える。しかし空も年頃の男子であった。いくら相手が男友達とはいえ、妹以外の他人とキスをしているという状況に興奮がある。それが絶世の美少年ともいえる容貌をした魈であれば尚更だ。正直、最近彼とキスをしていると意図せず股間が膨れそうで平常心を保つのに精神力が必要だった。感じている痛みについては鍾離にでもこっそり相談して、彼との友情にヒビを入れずにキスをしなくとも良かった関係に戻りたい。
(いっそ舌でもいれてみようかな)
ちょっとした嫌がらせ。欲を孕んだ生々しいキスを受けて無垢な彼が嫌悪感を抱き、この行為を拒むようになれば自然消滅するのではないかと考えた空は、魈の引き締まった腰に両腕を回して抱き締め、驚いて固まった隙に舌を差し込んだ。
「んっ！？　……ぁ、ふ……っ」
びくりと腕の中で跳ね上がる身体を押さえつけ、空は好き勝手に魈の口腔内を貪る。彼我の間で上がる水音や生ぬるい熱と濡れた感触がいっそう興奮を煽り、奥で縮こまっている彼の舌を自分のそれで突いて強引に絡め合うと、背筋を駆け上がる快楽を感じた。むくむくと下半身に血が集まっていく。
「んぅ、……は、ぁむ……ッンん」
そのせいか魈の吐息がなんだかエロく聞こえてくる。彼は嫌がるどころか、空に合わせようと健気に下手な息継ぎを繰り返していた。上手く飲み込めなかったどちらのものとも分からない唾液が顎を伝い落ちていくのを肌で感じながら、空は自分の判断が誤りだったことに気付く。そう、予想に反して魈は全然嫌がっていないのだ。息継ぎに慣れないようだが、頬を赤らめてうっとりと目を閉じている。これではただ魈と特に理由もなくディープキスをしているだけになってしまうと焦った空は肩を押して、無理やり物理的に距離を取った。
「……もう終わりか？」
はふはふと上がった息を整えているらしい魈は、とろんとした目つきで頬を赤く染めたまま残念そうな声色で尋ねてくる。彼の意外にも素直で純粋な一面がいっそおそろしい。無知な子供を騙してしまった時のようなバツの悪い思いをしながら、己の身勝手さに巻き込んでしまったことを申し訳なく思い始める。表情を暗くした空だったが、ふと自身の下半身の違和感を思い出し、慌てて食事会開くからみんなを洞天に誘ってきてほしいと頼み、魈を追い払う。一人残されると、テントを張ってる己の様子を見て大きなため息をついた。

❇︎

「……ッあ、空、……んン……そらっ……！」
甘い嬌声が腕の中で上がっている。目の前の白い素肌に吸い付くと蕩けた表情を見せた。可愛い、と思いながら空は快感のままに腰を打ち付ける。びくびくと跳ね上がる肢体を押さえつけて、熱い胎の中に欲を吐き出した。

「……最悪」
濡れた感触に目を覚まし、上体を起こした空は恐る恐る下衣の中を確認して予想通りの結果に眉根を寄せる。夢精するなんて何年ぶりだろうか。大きなため息をついて汚した下着を脱ぎ洗い立てのものに取り替えると、情けない気持ちのままそれを持って洗い場のある外へと足を運ぶ。朝の空気は爽やかで穏やかな風が吹いており、快晴が広がっていることもあって洗濯物がよく乾きそうな良い天気だった。曇っているのは己の心の中だけだ。夢の中で空が抱いていたのは魈だった。女体になっているとか夢にありがちなオプションも何もなく、よく見慣れた彼をこの腕の中に収めていた。蕩けた表情は空の妄想の産物ではないことも知っている。思い出すと再び下半身が元気になりそうになるのを感じ、空は慌てて思考を振り払うように首を左右にブンブンと振った。絶対昨日のキスのせいだと軽率な自分の行いを後悔しながら、これからどうやって彼と付き合っていけばいいのだろうかと頭を抱える。以前のような友達の関係に戻りたかっただけだった。それがどうしてセックスする夢までみるほど拗れてしまっているのか。まさかこの歳になって朝の日差しを浴びながら精液がべっとりと付いた下着を洗う羽目になるとは思いもしなかった。再度ため息をついていると、シュンと空気が裂かれる音がした。
「空、帝……鍾離様が呼んでいる」
背中に穏やかで、今は一番聞きたくなかった声をかけられ、昨日食事会を開いた後時間が遅くなってしまったために、急遽皆を洞天に泊まらせたことを思い出す。
「うん……分かった」
「……どうした？」
想定よりも暗くかたい声を出してしまったために違和感を抱いたのだろう。しかし君のせいだとはとても言えない空は乾いた笑いを溢してその場を濁す。わざと背を向けたまま後で行くよと返して上手くあしらえたはず、だった。しかし魈はわざわざ空の隣に立つと、ずいっと顔を覗き込んで、違和感の正体を探るように見つめてくる。
「な、なに？」
「顔色が悪いな……」
改めて見ると、魈は本当に可愛い顔立ちをしている。大きい金色の瞳を縁取る鴉青色の睫毛は妹が羨みそうなほど長く、丸みを帯びた輪郭はわずかに幼さを残しているみたいだ。今は顔色も良くほんのりと血色感があって、それになんだかキラキラ輝いて見える。
(いや、男友達に可愛いはないし、キラキラはしてないでしょ)
恥ずかしくなって自分で自分の抱いた感想に内心ツッコミを入れていると、ますます様子がおかしいと思われたらしい。心配そうに眉をひそめた魈のひんやりとした指先が優しく額に触れる。普段槍を扱う手指は意外にもすらりとして長いのだなと思わずまじまじと見つめてしまったが、彼からは明らかに発熱を疑われていた。
「だ、大丈夫！　本当に大丈夫だから安心して」
頬がじわじわと熱くなっていくのを感じて、やんわりとその手を振り払い視線から逃れるように背を向ける。不思議と彼に近付かれると清心のような淡い花の匂いも香ってくるのだ。否、それは昨日彼に貸した自分のシャンプーの香りなのだが、空は自身の心境の変化に完全に混乱していた。魈がとても可愛く見える。よく考えれば、毎回キスをするたびに緊張が解けてとろとろの表情を見てきたというのに、何故今まで何の感慨も起こらなかったのか。荒ぶっている拍動を上から押さえつけたが、キスをしている時の感触や彼の表情、漏れてしまった吐息を思い出すと目が回っていく。そうしている間に隣から名を呼ばれながら顎を掴まれたかと思うと、彼我の間でちゅっと軽い音が立った。唇に感じたやわい感触は今思い出していたそれだ。恥ずかしげもなく離れていった魈はどうだと問いたそうな目つきをしている。
「あ、う……ありがとう……？」
「……あの方をあまり待たせるな」
思わず礼を告げると、彼は満足気に口元を緩めてくるりと踵を返して家屋に戻っていく。その後ろ姿をぼんやり見つめながら、空は魈の方からキスをされた事実を一人で噛み締め、まだ彼の温もりが残っているような気がする唇を自身の指先でそっと押さえてみる。頭では分かっていた。彼はただ心配してくれただけで、キスをすることに他意はないのだと。けれども自分はたった一晩で喜びに打ち震えるようになってしまった。友達に戻れる日はまだまだ遠い。