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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    碧悟2人々が不気味だと近寄らない無妄の丘で、鬱蒼と木々が生い茂る中、陰鬱な空気も気にせず黙々と松の木材を集める。全ては最近ピンばあやから貰った塵歌壺の中を自分好みに賑やかにするためだ。無心に出来る作業は今の空にとって良い気分転換になるものだった。少し忙しいくらいがちょうどいい、とここ数日はずっと木材や鉱物を集めることにモンドと璃月を行き来しながら奔走している。おかげで家具が揃い始め、洞天内もだいぶ華やいできた。
    自分の世界に入っていると、パイモンに服の裾を引かれて我にかえる。振り向くと困った顔のパイモンと、無表情のまま腕を組んだ魈が佇んでいた。
    「……なにをしているんだ?」
    さっぱりわからないといった声色だ。作業の手を止めて軽い挨拶のあとに近況を話す。彼との契約は未だ継続中だが、璃月にいても魈と会うのは久しぶりだ。璃月にいる間は朝はおはよう、夜はおやすみと言いに来てほしいという願望に魈は応えてくれて、律儀に毎日顔を見せに来てくれる。しかしこのごろはマルとも仲良くなり始めて、洞天に篭ることも多いからか、すれ違う日々が続いてた。告げていないから当然だが、洞天の中まで彼が来たことはない。しかしつい先日マルから通行証を貰ったのだ。これがあれば他人を招待することができるという。未だ誰かを呼んだことのない自分だけの城だったが、魈にならば開放しても良いと思える。
    「よかったら魈も俺の洞天においで」
    軽い気持ちで誘いの言葉を投げかけたが、彼の表情を見てすぐに失敗した、と後悔する。魈はまるで理解できない、といった顔をしている。そういえばマルが本来洞天は仙人が自分自身のために作り上げ、清浄を保つために他者に入られないよう封鎖するものだと言っていたことを思い出した。
    「それは……必要のある行為なのか?」
    誘いの意味を問われて、言葉に詰まる。璃月にいればいつでも会うことができるのに、わざわざ洞天に出向いて顔を合わせる必要性など言われてみればない。答えられない空の姿を見て魈が少したじろぎ始める。
    「……いや、お前が望むなら……」
    珍しく困惑した様子に、魈に気を遣わせてしまったと内心反省した。
    「ううん、いいんだ。確かに今こうして会ってるわけだし、わざわざ洞天に来てもらう必要なんかないかも」
    それよりも、と続けて話題を替える。久しぶりに会ったのだから一緒に食事でもしようと誘うと、しぶしぶといった様子だが受け入れてもらえた。望舒旅館までの道すがらに璃月の法律家との出会いや、鍾離と共に坑夫を探す旅をしたこと、モンドの浪花騎士のことを話す。魈は聞き流しているように見えるが、その実静聴しているのだと知っていた。世俗から離れて生きる魈は決して人類を嫌厭しているわけではない。あえて興味関心を持たないようにしているだけだ。人間の繁栄を遠くから見守る彼は話せばこうして心を傾けて聞いてくれた。優しい一面はとても分かりにくく隠れているが、気付いた時の喜びは計り知れない。空はそんな魈が好きだった。けれどもそんな彼が相手でも話せないことがある。

    悲しみのトゲが心に刺さっている。ながく探していた妹と再会したあの日から。

    魈と別れて洞天に戻り、マルに挨拶をして邸宅に入ると右手側の部屋に入った。空と蛍の部屋だ。2つ並んだベッド、2人で座るためのソファ。蛍が空のいるところこそが家だと言うのなら、空はたったひとりの家族として、彼女がいつ戻ってきてもいいように彼女の居場所を作っておかなければならない。けれども乱れることのないシーツを眺めて目覚める朝が来る度に、なんとも言えない寂しさが空の胸を満たしていた。
    ベッドに横たわり枕に顔を埋めていると、カチカチと規則的な音を立てる時計の音がやけに大きく聞こえる。ランタンの淡い明かりが部屋の中を照らす中、虚空に手を伸ばしても握り返してくれる片割れはいない。分かっていても切なくなって胸がキリリと痛んだ。ぐるぐるとあの日蛍から言われた言葉を反芻している。感情が抜け落ちたような表情の彼女を見るのはながく共にいて初めてだった。離れていた間にどんな思いをしていたのだろう。彼女はもう変わってしまったのだろうか、と現時点では答えの出ない疑問が次々と思い浮かぶ。しかし気がつけば時計の針は深夜を指し示していてそろそろ眠らなければならない。空はスン、と鼻を鳴らすと思考を停止するように目蓋を閉じた。

    暗闇の中に焦がれていた妹の後ろ姿がある。力いっぱい叫んでも声が音にならない。手を伸ばしても掠めることすら叶わない。彼女はまるで空に気付くことなくその先の闇に呑まれて行ってしまう。妹を奪われたあの日も、再会できたあの日もいつだって空の手は彼女に届かない。いつの日か決定的に彼女の手を掴み損ねるかもしれないことが怖い。漠然とした不安が夢の中でも付き纏っている。

    まぶたを持ち上げると、涙で視界が滲んでいた。嫌な夢を見たな、と涙を腕で拭うと片手で釣りが出るほどの短い時間しか眠れなかった怠い体を起こす。何か手掛かりがあるかもしれないと読み漁って、床に散らばったままの大量の本を踏まないように歩き部屋を抜けた。そのまま邸宅を出て洞天内を流れるそばの川の水で顔を洗う。朝の爽やかな空気や晴れやかな天気を楽しむ心の余裕はないが、冷たい水に洗われて心なしかさっぱりした気持ちになる。そろそろ空腹を訴えて来るであろうパイモンのために、璃月に戻る準備をする。今日は何をしようか、とこの後のスケジュールを鉛が詰まったような鈍い頭の中で組み立てるが、結局は依頼をこなして、素材を集めるだけの穏やかで平凡で進展のない日々だ。稲妻に行く手段が見つからないことがこんなにももどかしいとは思わなかった。やるべきことが少ないのなら自分で探すほかない。

    璃月港は厚い雲に覆われていながらも朝から様々な料理の匂いが漂っていて、どれも美味しいことを知っていると何を食べようか悩んでしまう。パイモンも色々と目移りしていて今日の朝食を決めあぐねているようだ。
    「チ虎魚焼きもいいけど、中原のもつ焼きも捨てがたいな……」
    「それならいっそどっちも食べるってのはどうだ?」
    「じゃあ半分こにしようか」
    ぶんぶんと音が聞こえるぐらい首を縦に振るパイモンに苦笑しながら席を取って置いてもらうよう頼む。自分は早速注文しに行くとすぐに準備されて商品を渡された。右手にチ虎魚焼き、左手に中原のもつ焼きを持ってパイモンのところに戻り、どちらを先に食べたいか尋ねる。左を指差したパイモンにもつ焼きを手渡すと自分はチ虎魚焼きにかじりついた。はふはふと熱いそれを噛み締めると、香辛料の香りが鼻を抜け、香ばしいパリパリの皮とほろほろした肉厚の魚肉の旨味が口いっぱいに広がる。
    「やっぱり美味しいな!」
    向けられた笑顔に微笑み返しながら、ここに蛍もいてくれたらどんなによかったことか、と叶わぬ願いが顔を出す。思えばずっと抑えてきただけで考えてきたことではあったのだ。彼女と今の楽しさを分かち合えたらどんなに喜ばしいことだろうか、と。寂しさが押し寄せてきて、空の表情から笑みが消えて翳りを見せる。
    「パイモン、全部食べちゃっていいよ」
    「ひと口しか食べてないじゃないか! もういらないのか?」
    軽く頷くと、困惑したパイモンは躊躇いながらも空の手からチ虎魚焼きを受け取りかぶりつく。食べ始めると戸惑いも消えたようだ。ガツガツと食べ始めたパイモンを横目に、空は頬杖をつきながらすっかり見慣れた璃月の街並みに目を向ける。近いうちに雨が降るのだろう、厚く暗い色をした空模様の下でも人間の営みの輝きが曇ることはない。呼び込みの声や、子供達のはしゃぎ声を聴きながら取り残されたような気持ちで眺め続けた。

    悲しみのトゲが心に深く突き刺さっている。時間がいずれ解決するものだと分かっていても、今は水の中に落とされたかのように息苦しいことに変わりはない。

    生まれてからずっと隣にいた片割れの手をもしも掴み損ねて、このまま独りになってしまったらこの先どうやって生きていけばいいのだろうか。いつしか形を変えた不安が空を悪夢として苛み続ける。眠りたくない。そんな意識から、毎日ソファーに横になりながら暗唱できそうなぐらいに読み飽きた文字を追っている。気がつくと寝落ちしていたのを、悪夢に起こされるといった日々が続いていた。神経が常に張り詰めているためか疲労は溜まる一方で、見るからにパフォーマンスが落ちているのを空自身も自覚していて、だんだん洞天に篭る時間が長くなっていく。今ではパイモンにせがまれて食事を済ませに出る以外は洞天で過ごしていた。

    ソファーで横になっていた体を数時間ぶりに起こして怠い体をのろのろと引きずり洞天を出る準備を始める。睡眠不足の脳は常にモヤがかかっていたが、それでも解いた髪を編み直していると心なしか気が引き締められるようだった。そろそろパイモンが空腹を訴えに来る頃合いだ。空に食欲がなくとも、飢え死にさせるわけにはいかない。それにパイモンの方も空がいなければ食事を取れないわけではない筈だ。それでも毎回空腹だと騒ぎ立てるのは空を心配してのことだとわかっている。パイモンがいなければとっくに不安と寂しさに押し潰されていただろう。今日は軽めの依頼でも受けて気を紛らわせるのも良いかもしれない。身体はつらいが夢中になれるものが欲しかった。

    「待て、前を見ろ」
    「……ちょっとぼーっとしてた」
    軽い叱責と共に腕を強く掴まれて、空は我にかえる。眼前には却砂樹が立っていて、どうやら顔面から衝突寸前だったようだ。そもそもここはどこだったか、と記憶を辿る。朝食を璃月港で済まして望舒旅館に赴き、オーナーからの依頼を受けていざ魔物を倒しに行こうとした際、魈に会ったのだった。そこまでは思い出せたが彼と何を話していたか、今どこに向かっているのかはさっぱり覚えていない。
    「魈も今日は余裕があるから、今日の分の依頼をこなすのを手伝ってくれるって話だっただろ。覚えてないのか?」
    「ごめん……。ありがとうパイモン」
    ここ最近の空の事情を一番そばで心配しているパイモンはさりげなくサポートをしてくれて、こっそり耳打ちしてくれた。しかし精彩を欠いた空の様子に魈も違和感を覚えたのだろう。顎を空いた片手に取られ、顔をじっと見つめられる。
    「顔色が悪いな……きちんと休息は取れているか?」
    「寝起きだからまだ寝ぼけてるだけ」
    眦を下げて笑った顔をする。ながく生きていると精巧な作り笑いのひとつやふたつ出来るようになるものだ。それが数千年生きている仙人を欺けるかは別として。紅に縁取られた金眼が品定めでもするかのように細められ、笑顔の真贋を問われる。
    「……まあいい。怪我には気をつけろ」
    「うん、分かった」
    人々が恐る仙人の鋭い視線に内心肝が冷えたが、魈は追求する気が失せたのか目を伏せると同時に掴んでいたままだった空の腕も解放する。
    「行くぞ。帰離原の魔物退治だったな」
    自分で魔物の気配がわかるのだろう魈は空やパイモンを置いてスタスタと歩き出してしまう。彼を追いかけるように空は慌てて駆け出した。

    「……あれ」
    目を覚ますと、それまでの記憶がすっぽりと抜けていた。見知ったベッドは洞天に置いているものだ。ブランケットに包まってどうやら眠っていたらしいが、眠りにつくまでの経緯が記憶があやふやで思い出せない。昨日は魈に手伝ってもらいながら依頼を終わらせて戻ってきた気がするが、果たして今の自分がソファーでなくベッドで寝るだろうかと疑問が湧く。しかし、魈に合わせて動いて普段よりも運動量が多かったから疲れ果ててベッドで横になったのかもしれない、と自分を納得させた。今日は頭がスッキリしていて晴れやかな気持ちで体を起こす。しかし窓から外を眺めると随分陽が高く登っている。どうやらもう昼前のようだった。寝過ごしてしまったのでこれから出かける準備をするよりも、今日は洞天で食事を作って済ませようと一階南部屋に作ったキッチンの竈門に火を入れる。
    「空の作った漁師トーストが久しぶりに食べたいぞ!」
    明るい声色でパイモンがいきなり現れる。原理は未だに説明されないままのその現象ももう慣れた。
    「じゃあ俺もそうしようかな。目玉焼きも食べる?」
    トマトと牛乳で簡単なソースを作り二つ並べた食パンの上にかけると、スライスした玉ねぎを載せて共に焼く。うろうろ周りを飛び回るパイモンに尋ねるが、もちろんと言わんばかりの様子に答えは聞かずともわかった。
    「今日はどうしたんだ、随分機嫌が良さそうだな?」
    「そうかも。なんだか目覚めが良かったんだ」
    ニコニコと笑みを浮かべるパイモンは本当に嬉しそうで、思えば最近はずっと困った表情をさせていたことを申し訳なく思う。料理もしなければ部屋も片付けられずにいた生活をいいかげん改めなければ、とブランチを済ませたら部屋の散らかった本を片付けることを心に誓う。床に平積みしているそれらを棚でも作ってそこに収納するのもいいかもしれない、などと考えていると辺りに美味しそうないい匂いが漂い始める。少し焦げ目のついたパンを皿に載せて待ち切れない様子のパイモンに手渡すと、いそいそとテーブルに持っていき早速かじりついていた。その間に卵二つを割り、フライパンに落とし入れる。じゅわじゅわと端の方から焼けていく様を見つめる。白身の色が変わり始めたら火加減を変えて好みの焼き加減になるまで焼くだけだ。縁はカリカリに焼き上がり、黄身はとろりとまろやかな状態になるよう調整して皿に盛り付け、最後に胡椒を振り掛けたら完成だ。もう半分ほど漁師トーストを胃の中に収めたパイモンのトマトソースで汚れている口元を拭ってやりつつ、空もようやく自分の分を食べ始める。久々の調理だったが、腕は落ちていないようだ。

    食事を終えて、真っ先にしたのはマルに本棚を作りたいと申し出することだった。幸い素材は沢山ある。いくつかの大きさのものを頼むと、空は部屋に戻って散らかした本を拾い集めて二階の部屋に移動させる。まだ何も家具を置いていないそこはちょっとした図書室にするのに最適だった。というのも、洞天の中でひたすら読書をし始めるようになってから買い足した本が異常に多い。長すぎる時間を潰すには、元々あった分を飽きるほど読むだけではやはりもの足りなかったのだ。何度も一階と二階を行き来しながら、この短期間で一体どれだけの本を収集したのだろう、と今更ながらに自分の財布の厚みを心配した。パイモンの手伝いを借りながら全ての本を移動し終えると、室内にはすっかり西日が指していた。依頼を受けに行くかしばし悩んで、結局夕食の準備を始めることにする。本の移動だけとはいえ引き篭もって窶れはじめた身体には結構な重労働で、既に昨日の比ではないぐらいの疲労を感じていたからだ。夕食の準備といっても料理をしていなかった関係で材料が多くなく、凝ったものは作れそうにない。簡単な炒め物ぐらいならできるだろうか、と脳内で作れそうなレシピを思い浮かべる。
    「夕飯は何を作ってくれるんだ?」
    上機嫌のパイモンが再びふわふわと現れる。手伝ってくれたお礼に好物でも作ってあげたいが、材料があまりないことを先に告げて、豚肉の油炒めとミントの和え物と答えた。簡単な料理でも期待してくれる姿に笑みを溢しながら、調理の準備にとりかかる。穏やかで悲しみの影がない良い一日だ。

    久しぶりにベッドに横たわって入眠を試みる。ソファーに寝転がっていても時間を潰すための本が部屋に一冊もないからだ。流石に少し暇だと思いつつ、寝返りを打つと月明かりに照らされたヘッドボードに何か置いてあるのを見つけた。腕だけを伸ばして掴み上げてみると、蝶を象ったなにかだった。手の中でくるくると弄びつつ、一体どこで手に入れたものだっただろうかと考えるが、青々とした葉で出来ているそれになんの見覚えもない。しかし柔らかなマットレスに包まれていると、とろとろとまぶたが重たくなってくる。考えるのをやめてそれをヘッドボードに戻すと空は目蓋を閉じて睡魔に従った。

    暗闇の中で立っている。けれども恐ろしくはない。何故なら自分を理解してくれる片割れが隣にいるからだ。彼女がいてくれるなら、例え定住できる土地がなくとも不安などなかった。お互いの足りないところを補うように育ち、どんな困難でも共に乗り越えてきた。もう一人の自分とも言うべき愛おしい存在。蛍の考えていることは言われなくても伝わってくる、はずだった。それなのにどうして彼女の考えていることが分からなくなってしまったのだろう。力を奪われ封印されていたおよそ五百年の時間は二人の絆を希薄にしたのだろうか。隣にあったはずの存在感を失い、とてつもない不安が襲ってきてか細く情けない涙声が溢れた。盤石だと思っていた足場はいつのまにかぐらついていて今にも転びそうにふらついている。けれども危険を知らせてくれる声も、支えてくれる腕もないこの暗中を歩いていかなければならないのだろうかと蛍を探し求めるように腕を伸ばす。すると予想に反して力強くぎゅっと握り返されたことに驚いた反動で現実に引き戻された。

    月は雲に隠れたのか夢の中と変わらない暗闇の中で、腹のあたりが重いことに気付く。何かが乗っているようだ。跳ね起きた為心拍数の上がった心臓がドクドクと煩い。寝ぼけながらも冷静になろうと呼吸を整えていると夢の中で伸ばした腕は現実でも伸ばしていたようで、なにかがその手を押さえていた。
    「む……起こしたか」
    平坦な声はよく知っているものだ。
    「し、魈……?」
    暗闇に慣れていない目は彼の姿を捉えない。しかし真上から聞こえる声は間違いなく魈だった。
    「なにしてるの?」
    何故彼がここにいるのだろうか。どうやって入ってきたのだろうか。様々な疑問はあるが、真っ先に気になったのは想像される位置からして彼がどうやら腹の重みの原因らしいということだ。左向きになって横になっている空を跨ぐようにしなければ空の体温が移ったぬるいブランケットだけではない左右の温もりを説明できない。
    「……恐ろしいことは何もない。ただお前は安心して眠ると良い」
    ごくり、と生唾を呑むような音の後、空の質問に答えない返事だけをして退こうとする魈をすかさず捕まえる。次第に暗闇に慣れてきた目と、雲が流れて再び月明かりに薄ぼんやりと照らされ始めた環境で、彼の姿がはっきりと見えた。
    「質問に答えてよ」
    普段ならばしない責めるような強めの声が飛び出す。眠気と混乱のせいか感情が剥き出しになっているのを理解しつつも抑えることが少し難しい。怒気を感じ取ったのだろう魈は少し狼狽た様子を見せ、逡巡したのち口を開いた。
    「……お前の夢を呑み込んでいた」
    「夢?」
    こくりと頷いた魈の好物を思い出す。そしてその好きな理由も。彼は昔呑み込んだ美しい夢と似ているから杏仁豆腐の食感を好んでいたはずだ。けれども今見ていた空の夢はあまり美しいものとは言えない、むしろ悪夢と呼べるものだろう。だからこそわざわざ彼がこうして洞天の中まで押しかけて来てまで夢を呑む意味が分からなかった。
    「あの様な下手な笑みで騙そうとするなど……我も見くびられたものだ」
    魈はやけにゆっくりとした口調で、慎重に呼吸しているのが空気の震えで伝わる。まるで痛みかなにかに堪えるようだ。
    「魈……なんか無理してない?」
    腕を伸ばして彼の鍛えられているものの肉付きの薄い背中を撫でると、ぶるりと体を震わせた。刺激してしまったのだろうか。まるで業障の影響を受けている時のようだ。苦しそうに眉根を寄せて声を漏らさないようにしている彼の姿に、怒りはとうに消え失せて困惑よりも心配が先行する。
    「……我とて悪夢なぞもう呑み込みたくもない。だが、夜毎に苦しむお前を助けずにいられる筈もない」
    魈のグローブを嵌めたままの指が、空の濡れていた頬をいつになく優しく拭う。寝ている間に涙を流していたようだ。そのまままるで慈しむような手つきで頬や額に涙で張り付いた髪を外側へと撫で付けた。
    「もしかして昨日夢を見なかったのは魈が食べてくれたから?」
    彼は返事をしなかったが、指に籠る力がわずかに強くなったのを触れ合う肌から感じる。
    「夢を見なかったわけではない。我は掠め取っただけにすぎん。今日とて再び眠れば朝にはその恐ろしさも忘れている筈だ」
    手を振り払って今度こそ空の上から退こうとする彼を引き止めるわけにもいかず、力なく茫然と見送るしかできない。しかし、立ち去ろうとする魈の後ろ姿が悪夢の中の蛍と重なって、咄嗟に必要以上に大きな声で彼の名を呼んでしまった。
    「どうした?」
    置いて行かれる悪夢と違って彼は踵を返して空の元に戻ってきてくれる。その様にコントロール出来ない感情が膨れ上がって行動として現れた。断りもなしに薄く硬い魈の腹に顔を埋めて、その腰に離れないようしっかりと腕を巻きつける。突然抱き竦められて動揺しているのが伝わるが、寂しさを抑えることができなかった。
    「……行かないで欲しい。お願い、ここにいて……」
    「しかし我と共にいたら業障の影響を少なからず受ける。これ以上お前に迷惑をかけるわけには……」
    その言葉の違和感に魈が何か誤解をしていることに気付く。もしかすると彼は空の精神状態の悪化を、自身から漏れ出す業障のせいだと思っているのではないかと思い、尋ねてみると魈は目を丸くしてた。
    「心配かけてごめん。魈のせいじゃないよ。ただちょっと寂しくなっただけ」
    肌が透けるのではないかとこちらが心配するほど薄絹の衣服越しに伝わる体温は空を安心させた。寂しいのならばもっと早く誰かに打ち明けて心でも身体でも触れ合うべきだったのだ。昂っていた感情も自然と落ち着いてきて平静を取り戻す。
    「そういえば、ヘッドボードに置いてあった蝶の飾りみたいなのは魈が置いた?」
    「あれは梧桐の葉で作った魔除けだ。お前の悪夢には効果がなかったみたいだが、普段はそれなりに効果を期待できる。持っているといい」
    空の悪夢は内側から滲み出たもの。除ける魔がいないということだろう。だが、魈の至れり尽くせりの行動に頬が緩む。彼は優しいと知っていたが、ここまで愛情深いとは思わなかった。クールでいつも淡々としている印象があるが、感情がないわけではない。けれども普段は奥深くに隠しているからこそ、こうして行動に至らせるほどに情を抱いていることが知れる。
    「……お前に孤独は似合わない。朝日が昇ったら璃月港に行け」
    「魈も一緒に来てくれる?」
    その言葉にあまり手入れしなくなった指通りの悪い空の髪を梳いていた魈の手が止まる。ちらりと目だけを動かして彼の顔を盗み見ると、戸惑いつつも行くべきか悩んでいるように思えた。
    「冗談だよ。無理してまで付き合ってほしいなんて言わない。……それと、魈がいてくれるから俺独りじゃないよ」
    苦笑しながら魈を抱きしめる腕の力をわずかに強める。嬉しかった。彼がわざわざ洞天内まで来てくれたことも、好まない行為をしてまで助けようとしてくれたことも、そばにいない間のことも考えて魔除けを置いてくれたことも、こうして体温を分け与えてくれることも、空のために璃月港について行くことを検討してくれる姿勢も全部。ぜんぶ。彼のおおきな愛に包まれている感覚に寂しさも不安もすっかりなりを潜めた。
    自分には言えないことがたくさんあることを少し後ろめたく思う時はある。蛍は旅の果てでこの世界の淀みを見ろと言っていた。淀みを見届けたその先でこの世界で築いた今のあらゆる関係が壊れるのが怖い。空自身が魈に抱く純粋な好意が、様々な情報に歪められて形を変えるのが怖い。けれども魈が空のために心を砕いてくれたことは現実で、それを嬉しいと思ったのも事実だ。この先なにが待ち受けていようとも、今のこの幸福感を忘れたくないと強く思う。
    「朝日が昇ったら璃月港の傍まで送ろう。だから……」
    「うん、ありがとう。じゃあ、俺はもうひと眠りするよ」
    名残惜しいもののようやく魈の身体を解放した。身体を横たえると、たどたどしい手つきで魈がブランケットをかけてくれる。きっと昨晩空はいつも通りソファーで寝落ちていたのだろう。それをベッドまで運んでくれたのだ。魈自身は寝る環境に拘りがない。風雨がある程度凌げるならどこでも同じだと思っているような仙人だ。しかし人間はそうではないと理解はできずとも知識として知っている。おそらく人間はベッドで寝るものだと思ったに違いない。
    愛おしさがこみ上げて、すっかり抵抗のない彼の腕を引き寄せて近付いたその額にキスをした。
    「おやすみ、魈。また明日」
    紗紅緋 Link Message Mute
    2022/05/29 12:30:51

    碧悟2

    空がひたすら鬱々している話。少し女々しいかも。

    *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
    *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ #gnsnBL #空魈

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    • 海誓山盟マルチしようとしたら過去の仙人と出会う話。謎設定と魈の過去捏造しかありません

      何が出てきても大丈夫な方のみお進みください。
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 碧悟4後ろ向きな空と前向きな魈の話
      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。間章で感情大爆発させるCN魈はいいぞ
      *作業用BGM:周深『大鱼』の影響を若干受けています
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 結婚する空魈6/30の朝、唐突に結婚する自CPがみたいと思ったので書いたら精神が健康になりました。
      現パロです。
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 結婚する空魈2数年後にちゃんとプロポーズする自cp。1万文字ある蛇足みたいなものです。

      #gnsnBL #空魈

      追記:
      先日、ようやく溺愛の続きもアップしました。興味のある方はフィルターを一般からR18に切り換えてご閲覧ください。
      紗紅緋
    • 暗恋両片想いしていた空魈話です。
      魈の過去を含め全てが捏造。 #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 耽溺キスする空魈が書きたかったです。2ページ目は蛇足です #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 碧悟1魈の精神革命の話。ただひたすら魈の精神描写ばかりです。

      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声などはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
      *イメソン:邱振哲『太陽』の影響しかないです #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 寂寞ほぼパイモンと魈の旅人看病記。受けでも攻めでも嘔吐してる姿はかわいい #gnsnBL #空魈紗紅緋
    • 碧悟3隣で自分の道を歩む人が出来て、見える世界が変わった魈の話
      *ありとあらゆる台詞、キャラクターストーリーへのネタバレ配慮をしていません。
      *プレイ時中国語音声なので、声や細かい言い回しなどはそちらをイメージしてます。kinsenはいいぞ
      *作業用BGM:任然『飞鸟和蝉』の影響を若干受けています
      6/13追記:2.7で判明した情報と整合性を取るために一部修正しました
      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 年末のご挨拶本年はTwitterでの活動を辞めたり、pixivからこちらへ移動したりと精神的に慌ただしい一年でしたが、皆様のお言葉の温かさに救われました。本当にありがとうございました。今後も空魈を書き続けていきたいと思います。良いお年をお迎えくださいませ!

      また、1/8に神の叡智7に参加しますが、全48種ランダム配布予定の無配ハガキの図柄にご希望のものがございましたら取り置きいたします。(※新刊2冊も勿論取り置きいたします)
      無配は余れば通販にも回しますが、その際は匿名配送となってしまいますので個人の特定ができません。もしも通販予定の方で、この図柄が欲しい!というご希望がありましたらハガキのみ別途送付もいたしますのでご連絡いただければと存じます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
      紗紅緋
    • 日久生情 サンプル契約恋人のはずがマジ惚れしていく話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/184頁/価格1,000円/R-18)

      ※サンプル部分は冒頭ではありません
      ※バージョン1.3から2.7に至るまでのあらゆるイベントネタが詰まっています
      ※実際はタイトル部分は箔押しとなります
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/
      ※成人指定してあります。表示されない場合はユーザー情報で表示するにチェックする必要があります。


      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 夢で見た人を好きになっちゃうタイプの空くん内容はタイトルのままです。キスから始まっちゃう自cp可愛いなと思って書きたいところだけ書いたので短いです。

      書いてる途中に例のキャラpvが来てしまって、本家(?)の彼はこんなにも苦しんでいるのに、私の書く仙人はなんでいつも旅人メロメロ真君なんだと数日間絶望していましたが、海灯祭イベント見てたらメロメロ真君もあり得なくはないと気を持ち直したので公開です。エピローグが楽しみです。
      追加:エピローグ前にとんでもpv来ちゃって泣いた

      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • 夢の番人 サンプル未来の結末の話

      1/8開催 神の叡智7にて頒布しました
      (B6/44頁/価格600円/全年齢)

      ※キャラクターの死の捏造があります
      ※バッドエンドではありませんが、ハッピーエンドでもありませんので、苦手な方はご注意ください
      ※ フォントの都合上、左綴じ横書きの本となっております。
      ※通販はFOLIOを利用しています。どうぞよろしくお願いします
      https://www.b2-online.jp/folio/13072300003/001/

      #gnsnBL #空魈
      紗紅緋
    • 1/8無配遅くなりましたが、1/8神ノ叡智7ではどうもありがとうございました!通販の方もちょこちょこご注文いただけて大変嬉しく思います。
      無配の方を公開いたします。フォロワーさんからいただいた設定の仙人で書いています。自分だけが気付いちゃったあの子の秘密とか可愛いですよね。
      今年はもう一回イベント参加できたら良いなって思います。今後ともよろしくお願いいたします。
      #空魈 #gnsnBL
      紗紅緋
    • お知らせ1/8開催の神の叡智7に空魈で参加することにしました。取り急ぎご連絡まで。
      スメールめっちゃ楽しい
      紗紅緋
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