赤 全員揃っているのを確認すると、藍じじいは口を開いた。
「本日も、藍家の家訓の復唱からはじめる。そうだな、藍忘機、お前が読め。みなは、忘機に続いて復唱するように」
「はい」
みながいっせいに返事をする。
忘機の涼やかな声が響く。
「雲深不知処では……」
まったく、毎日毎日こんな調子だよ。
藍公子も、お変わりなく……。
「!?」
その時、俺は、見てしまった。藍湛の首筋に、赤いものがあるのを。
衣でほとんど隠れてはいるが、俺には分かる。あれは絶対……。
「相変わらず、上の空だな。魏嬰。先日、私がみなに考えておくようにと言ったことがあるが、もちろん、覚えておろうな?」
「はい」
「では、先人達の教えと、実際にどのように解決されたのかを具体的に答えよ。さらに、その上で私見を述べよ」
「はい。先日の事例については、さまざまな解決方法があるが、大きく三つに分けられる。一つ目は……」
ふん、藍じじいの奴、俺が聞いてないとでも?
さて、邪魔が入ったが、さっきの続きだ。
あれは……いや、絶対そうだ。春画で見た奴だ。なんて言うんだっけ……女の子と一夜を共にするときに……
「魏嬰、この続きを申してみよ」
「はい。藍家の始祖は道侶に出会い……」
藍じじい、また指名しやがったな。
そうか、道侶か!
運命の出会いなら、あの堅物の藍湛の心も動くわけか。なるほど、それで体に触れさせたと。
まったく、藍湛の奴も隅に置けないな。まぁ、あれだけの美男子、女の子がほっとくはずもないか。無口で頑固だが、そういうところも、かえって好まれるのだろう。「結婚相手は、少しつまらなくたって、誠実な男がいいのよ」って酒屋のおばちゃんも言ってたし。
「魏嬰、藍家に女当主は何人だ?」
「一人」
「どのような人物だ?」
「名は、藍翼。功績は……」
女……女か……。いったいどういう子なんだ? あの頑固者といい仲になるなんて。まさか、あのお坊ちゃんのことだから、悪い女に遊ばれてるんじゃ……
「魏嬰!」
「その結論に達するには、早い。視点を変えてみよう。例えば……」
「赤くなったり青くなったり……そうかと思えば、すらすら答えやがって。気味が悪い」
おい、藍じじい、聞こえてるぞ!
あー、ダメだ! 気になってしかたがない。
講義が終わり、大方の者が教室を出て行ったのを確認し、そっと話しかける。
「藍湛、藍湛」
周囲に聞こえないように気を遣って、声を落とす。
「なんだ」
「首のところだよ。肌赤くなってるのが見えてるぞ」
「ああ、これか」
「!?」
随分落ち着いてるな。意外と経験豊富なのか?
「昨日の夜、やられてしまってな」
ゴクリと唾を飲み込む。
「藍家の掟を破るわけにもいかず、随分悩んだ」
なんだ、その困り顔は。恥ずかしさを隠したいけれど、一方で知ってほしいような、困り顔は!
「たとえ蚊でも、雲深不知処での殺生を禁ずるという掟は守らねばな」
「……」
「?」
「はあ!?」
「魏嬰、大声を出すな!」
藍じじい、まだいたのか。
藍湛の不思議そうな顔を見て、自分の勘違いが無性に恥ずかしくなってくる。
「あ……いいや、あー、あー……そうだな、蒸し暑くなってきたしな。あんまり、掻いたらダメだぞ。痕が残るからな」
「分かった」
「じゃ、じゃあな!」
「魏嬰、走るな!」
藍じじいの怒号が後ろから聞こえる。
首を傾げる藍湛を置いて、俺は教室を飛び出した。
「余計なこと言わなくて良かった。危うく恥かくところだったぜ」
ため息をつく。
俺って、馬鹿だなあ。
早とちりして、あれこれ想像して。
風流のふの字もない、あの藍湛に限って、女の子とどうこうってこと、あるはずないだろ。
……って、俺、なにほっとしてるんだ?
でも、いつかは藍湛も道侶を得るんだろうな。あの氷の若様も、運命の相手の前では、微笑んだりするんだろうか。
あれ? なんか胸がモヤモヤする。
思わず、胸元を押さえる。
なんだろう、苦しいな。