夷陵老祖の秘術 ほか作品紹介「月夜」
「月の見えない夜」
テーマ『待ちぼうけ』
夜間の見回りの際、つい雲深不知処の塀の向こうを見つめてしまう藍忘機の話(アニメ5~6話頃)。
もともと一つの作品でしたが、分けました。
流れは同じですが、「月夜」は藍曦臣が登場し、「月の見えない夜」は藍忘機のモノローグです。
「歳の差」
テーマ『いたずら』
鬼腕を鎮めるために「安息」を合奏する魏無羨と藍忘機。
くしゃみをした忘機を無羨がからかう。
「夷陵老祖の秘術」
テーマ『夷陵老祖』
ギャグ。下ネタあり。なんでも許せる人向け。
鬼腕の手掛かりを掴むために、とある町を訪れる魏無羨と藍忘機。
奇妙な店で買った草紙「夷陵老祖の秘術」の内容とは──?
月夜 そろそろか……。
見回りの最後に、私はいつもの場所に来る。
月明かりがあるため、あたりは比較的明るい。少し風はあるが、肌寒いというほどではない。
こんな夜は、きっとここに現れるだろう。
「藍湛、今日も見回りか。ご苦労様だな」
「夜間の外出が禁じられているのは、知っているだろう」
「はー……ったく。この月が見えないのか?」
「確かに、月が綺麗だな」
「ふーん、藍公子にも、少しは風流を解する心がおありのようだな。今夜はまた一段と酒がうまい! お前の分もあるぞ、一緒に飲もうぜ」
「それとこれとは、話が別だ」
「なんだよ、つれないなー」
先日のやりとりを、思い出していた。
「?」
唇の端が引っ張られる感覚がある。
私は、笑っているのか?
「忘機? まさか、ずっとここにいたのかい」
「兄上」
兄上の声に、我に帰る。私としたことが、人の気配に気付かないとは。
月は雲に隠され、あたりは暗くなっていた。体が冷えていた。
「忘機、もう見回りに力を入れる必要はなくなったのだよ」
魏嬰は金公子との騒動がもとで、先日、故郷に帰ったのだ。
それを忘れるはずはないのだが……。
「不思議なものだな。なぜか私も誰かさんが、今にも両手に酒を持ちながら、忍び込んでくる気がするよ」
「私はそういうわけでは」
「ではなぜ、こんなところに?」
「夜間外出禁止の掟を破った者がいないかと」
「そうか、忘機。だがな、この塀を乗り越えて雲深不知処に忍び込もうなんて、並みのお方は思い付かないはずなのだが」
毎日のようにつきまとってきた人間が、今は離れた地にいるなんて信じられない。あんなにうっとおしく感じていたのに、私は何故か、彼はずっと側にいるものと思っていた。
「……。兄上、言霊を信じますか」
「『失せろ』なんて言ったから、本当にいなくなってしまったのではないかと思ってるのかい。会いたいという強い気持ちがあるのなら、きっとまた会えるさ」
「会いたいというわけでは」
「会いたくないのかい」
「……」
言葉に詰まる。魏嬰は、私とは全く異なった性質を持っていた。衝突ばかりしていた。
会いたいわけがない。
それなのに、私はどうしてここに来たのだろう。
「忘機、別に掟は、外出自体は禁じていないぞ?」
月の見えない夜 月が出ていると、ついここに来てしまう。
以前なら、酒を持った魏嬰が、毎晩のように塀を乗り越えていた場所だ。
魏嬰、酒を飲みたくなるのは、こんな夜か。
今日も月が出ているよ。雲に隠れて、ここからは見えないが。
私は酒を嗜まないが、今はその気持ちも少しは分かる。
私は、たまにこんなことを考える。
魏嬰がここを去ることになったのは、金公子との騒動のためだけではないのではないかと。
なにか非常に大きな力が働いて、彼はいなくなってしまったのではないか。言霊とか、そういった類の。
つまり、私が彼に「失せろ」と言ったのも、一因ではないかと。
だが、一方で、彼と自分との間に、それほどの深い関わりがあったわけではないことも理解している。結局、彼にとっての私は、ほんのわずかな期間、ここで机を並べただけの関係に過ぎないのだ。
はじめこそ、魏嬰の話題で持ち切りだったが、数日もすると、誰も名前すら出さなくなる。
雲深不知処は、静寂と秩序を取り戻した。
それは、私が望んでいたことだったはずなのに、腹立たしい。誰かに対してではない。藍家の者や、ましてや金公子に対して、なにか思うところがあるわけではない。強いていうならば、当たり前に過ぎていく日々に、私は怒りを覚えている。
私の日常は失われてしまったというのに、朝になれば日は昇り、夕には沈む。
あと何回、月の見えない夜を繰り返せば、かつてのような日々を再び迎えられるのだろうか。
歳の差 魏無羨と藍忘機は、「安息」の合奏を日課としている。鬼腕を鎮めるためだ。
「今日も、片腕兄さんのために、合奏するか」
合奏を終え、片付けをしていた時だった。
藍忘機が「くしゅん」と、くしゃみをした。
魏無羨は、「藍家はくしゃみさえ上品だ」と感心した。
「藍湛、風邪か? 昨日の夜狩で冷えたか?」
「情けないな、風邪をひくなんて。同行した君はひいてないというのに」
ここで魏無羨は、藍忘機をからかってやろうと思い付いた。
「あー、そういうことか?」
大袈裟にうなずく仕草をする。
「夜狩の時になにか?」
「こういうことだ、藍湛。お前は風邪をひいた。けれど、俺はひいてない。それはどういうことか」
「なにが言いたい」
「歳だよ、歳! お前と俺とでいくつ違うと思ってるんだ?」
藍忘機は指を折って、自分と、魏無羨の器である莫玄羽との歳の差を数える。
藍忘機が数え終わるのを見計らって、魏無羨は続けた。
「つまり、俺に比べれば、藍湛、お前はおっさん! まぁ、俺にとっては藍じじいと同じ分類だな。一緒にしてもらっちゃ、困るよ!」
魏無羨は、大袈裟にやれやれという仕草をした。
「なっ!」
藍忘機は衝撃のあまり、固まってしまった。まるで、雷に撃たれたように。
「藍湛? 藍忘機?」
魏無羨が顔の前で手を振りながら呼びかけても、反応がない。
(あちゃー、そんなに衝撃的だったか。さすがに、ちょっと言い過ぎたな)
魏無羨は頭を掻く。
しばらく、藍忘機になんと声を掛けたらいいのか迷っていたが、なにか思い付いたようだ。ニヤニヤを隠せないでいる。
ようやく回復してきた藍忘機に、俯いたままの魏無羨が声を掛ける。
「藍湛、こっち見ろ」
藍忘機が自分の方を、向いた気配を感じとると、パッと顔を上げた。
潤ませた瞳は上目遣いに、甘ったれるい口調で話し出した。
「叔父上~、羨羨がお世話してあげる!」
「!」
藍忘機は再び雷に撃たれたような衝撃を受けたが、先程より強かった。
魏無羨はてっきり藍忘機が怒り出すのではないかと思っていたが、反応が薄かったので、つまらなく思った。
ガタガタッ、ガタガタッ。
物音がする。音の先を辿って、魏無羨は叫んだ。
「藍湛、また鬼腕が暴れ出したぞ!」
二人は再び合奏の準備に取り掛かる。
手を動かしながら、藍忘機は魏無羨に声を掛けた。
「魏嬰」
「なんだ、藍湛?」
「私を年寄り扱いするのは構わんが、それなら今度は私より長生きしろよ」
夷陵老祖の秘術 鬼腕の手掛かりを掴むために、魏無羨と藍忘機は、とある町を訪れた。
情報収集のため市場を歩いていると、隅に奇妙な小屋を見つけた。その小屋に入っていく者はみな、周囲を念入りに確かめる。
出てくる時は、何かを懐に入れ、再び周囲を警戒しながら去っていく。大っぴらにできない取引をしていることは、間違いないようだ。
「藍湛、あの小屋、なんか怪しいぞ」
「うん」
他の者を真似て、周囲を警戒しながらさっと小屋に入ってみると、中は雑貨屋に近い造りだった。
店主らしき人物は、客の男と何か話し込んでいた。二人とも声を落としていて、内容は分からない。二人は、チラリとこちらへ視線を向けたが、すぐに話に戻った。
店には多種多様な品物が並んでいた。
縄、蝋燭、筆、薬か何かの小さな包み、井守の黒焼き...。品揃えに関連性を見つけられず、疑いはより濃くなった。
店主と客の方を窺うと、店主は店の奥に引っ込むと包みを持ってきて男に差し出した。
男は中身を確かめると深く頷き、金を払い、そして、そそくさと出ていった。
無羨は店主に聞かれないように気を付けながら、藍忘機に耳打ちする。
「藍湛、この店当たりだぞ」
「うん」
店主は、魏無羨の耳打ちを見ると、冷やかしではないと思ったのか、こちらに近づいてきた。
「情報が欲しいんだけど……」
魏無羨が言い終わる前に、店主は棚から一冊の草紙を取り出して二人の前に差し出した。
「お探しのものはこれかと」
表紙には「夷陵老祖の秘術」とある。
魏無羨には心当たりがなかった。おおかた鬼道の入門書の類だろう。肩透かしを食らったような気分になったが、何の手掛かりもない今、夷陵老祖にまつわる情報ならば、鬼腕ともつながる可能性がある。
店主は付け加えた。
「これは、あの夷陵老祖直伝の秘術をしたためたものでして、大勢のお客様に大変好評をいただいております」
魏無羨は手に取ってめくろうとしたが、店主は手を離さない。買うしかないようだ。
「これ、いくら?」
魏無羨が聞くと、店主は指を五本立てた。
(いくら手掛かりがないとはいえ、高過ぎる)
魏無羨は自分の手を店主の指に重ね、「二」の形にした。
「いやいや」
店主は苦笑いすると、指を二本立て、「四」にした。
「いやいやいや」
魏無羨は再び、店主の指に触れようとすると、藍忘機が口を開いた。
「買う」
魏無羨が驚いて振り返ると、藍忘機の視線は、店主の指を握ったままの魏無羨の指に注がれていた。それは氷のように冷たかった。
(監家では、人に馴れ馴れしく接するのも禁止なのか?)
魏無羨は藍忘機に、耳打ちする。
「藍湛、この草子は大した手掛かりにはならない気がする。中身が分からないのに、高すぎる」
「君は財布を持っていないだろう。それに」
藍忘機は魏無羨の指をちらりと見た。そのまま口を閉ざしてした。
「それに?」
「なんでもない」
「なんだよ? まさか、鬼道に関心があるとか?」
「忘れなさい」
「なんだよー」
魏無羨は藍忘機の肩に腕を回し顔を覗き込むが、藍忘機は耳を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
その様子を見ていた店主は、何か得心がいった顔で頷くと、棚の別の引き出しを開けて、草紙を取り出した。
「仙師さまたちには、こちらの方がよろしいかと」
藍忘機は、財布から銭を取り出すと、草紙を受け取り、さっさと店の外へ出てしまった。礼儀を欠いているとは言えないまでも、その仕草は藍忘機にしては、随分ぞんざいに見えた。
魏無羨はその様子に驚きながらも、藍忘機を追いかけた。
「待てよ、藍湛!」
市場の隅の木陰に並んで腰掛け、藍忘機が開いた草紙を魏無羨が覗き込む。
てっきり絵ばかりだと思っていたが、意外と字が多い。しかも、複雑な手順が書かれている。何かの術だろうか。「縛」の字がやたら出てくる。
(彷屍を捉える術か何かだろうか)
数枚めくったところで、藍忘機は急に草紙を閉じた。
「なんだよ、藍湛!? 驚かせないでくれよ」
草紙を引っ張るが、びくともしない。藍忘機は魏無羨の方を見ようとしないが、耳がほんのり赤くなっている。
(藍湛が見せたがらないってことは、何か禁忌の術だろうか。鬼道とは、別の系統のようだが……)
見られないとなると、俄然見たくなってくるのが、人の心だ。
「なぁ~、藍湛! 俺にも見る権利はあると思うぜ!」
素直に渡してもらうことを諦めた魏無羨は、藍忘機の耳元にそっと顔を近付け、ふっと息を吐いた。
「!」
藍忘機は、ビクッと体を振るわせる。その隙に草紙を奪う。
「どれどれ?」
草紙をパラパラとめくる。先程と同様に、小難しい説明が続く。
あるページに、絵があった。それを見て、魏無羨は、声を上げた。
「わっ!」
そこには、全裸で縛られた男と、縄を持った男が描かれていた。
(こ、これって!)
若い頃は春画本を愛読していた魏無羨だが、内容の過激さに思わず、顔を赤らめる。
ここで、魏無羨の頭に、ある疑問が浮かんだ。
「なあ、藍湛。どうしてこれが春画本って分かったんだ?」
「……」
藍忘機は聞こえないふりをしたが、さっきより耳が赤くなっている。
「こんな特殊な内容、なかなか、すぐには分からないぜ?」
藍忘機の耳は真っ赤になっていた。魏無羨は藍忘機をからかう絶好の好機とばかりに、肘でつつく。
「含光君ってば、もしかして……」
「失せろ!」
藍忘機の声が往来に響き渡った。
市場には、たまたま藍家の門弟が使いに出ていたらしい。
それからしばらくの間、雲深不知処では「含光君の客人が何か無礼を働いて、含光君を怒らせた」という話で持ち切りになった。
雲深不知処では、噂話は禁じられているが、人の口に戸は立てられない。さまざまな噂が門弟たちの間で飛び交った。
「どんな時も冷静な含光君を怒らせるなんて!」
「含光君が『失せろ!』と言ったのは、人生で二回だけらしい」
「二度目は今回。一度目は……」
「あの魏無羨だそうだ」
「魏無羨!」
魏無羨の名を聞くと、みな揃って唾を飲み込んだ。
噂が藍啓仁の耳に入ると、「魏無羨より性質の悪い者がいてたまるか!」と激怒した。彼は頭に血が昇り、そのまま倒れてしまったという。