勧酒 ほか作品紹介「勧酒」
テーマ『酒』
本編終了後。酔っ払った無羨と忘機の話。
于武陵の漢詩「勧酒(井伏鱒二・訳)」がモチーフです。
「不言而喻(言わなくても分かってる)」
テーマ『雨』
本編終了後。
些細なことから言い争いになった二人。
無羨は雨の中飛び出して行ってしまう。
「不言而喻」は、日本語で「言わなくても分かる」という意味だと知って、そこから着想を得ました。
(中国語初心者のため、ニュアンスが違ってたら、すみません)
勧酒 無羨は忘機に盃を渡した。
夜狩の成果も上々で、しかもこの食事処で辛い料理を腹いっぱい食べた無羨は、機嫌が良さそうだ。
忘機は微笑みながら、受け取った盃を持ち直し、酒を注いでもらう。
彼はくいっと勢い良く飲み干したは良いが、やはりすぐに寝てしまった。
「藍湛、自分で歩けよ!」
宿への帰り道、無羨は忘機に肩を貸してやる。
忘機は「うん」と返事をしたが、言うことを聞くつもりはないようだ。
(酒が入ると、まるで子どもだな)
相手がすぐ寝てしまうこと、その上酒癖が悪いことを知っていながら、勧めてしまう自分も自分なのだが……と無羨は、彼の顔を見ながら思った。
「はじめて会った時も、酒絡みだったな」
「うん」
先程から、無羨がなにか話しかけると、忘機は「うん」と返事をするものの、ちゃんと聞いているのかは定かではない。
無羨は、夜間に雲深不知処に忍び込んだところを、完璧な容姿を持った――しかし、その表情と声色は氷のように冷たい――男に見咎められた日のことを思い出した。
「あの時は、まさかお前とこんなふうになるなんて、思いもしなかったよ」
あの頃、自分はただの悪餓鬼だった。面白いことしか眼中になくて、毎日ただ楽しく過ごせればいいと思っていた。それから、いろいろなことが起きて……。
思わず目をこすってしまったのは、風が吹いて、ごみが目に入ったせいだ、と無羨は自分自身に言い聞かせた。
咲いた花が風雨に遭うように、この穏やかで幸せな日々も、長くは続かないのかもしれない。
(それでも、俺は充分幸せだけど)
そんな考えに耽っていると、急に忘機の声が聞こえた。
「魏嬰、そんなことはない」
まさか、口に出ていたのだろうか。それとも偶然だろうか。
忘機は立ち止まると、無羨の瞳をまっすぐ見つめて言った。
「私はまた君に会うことができた。死でさえも、私たちを分かつことはない」
無羨は瞳は見開かれた。こみ上げてくるものをこらえるように、藍湛から視線を一度逸らした後、再び彼の方を向いた。
「藍湛、俺......藍湛?」
無羨が忘機の方を振り返ると、規則正しい寝息が聞こえた。
「え、今寝る? ちょっと、藍湛! 藍湛!」
どんなに激しく揺すっても起きない忘機にため息をつくと、無羨はおとなしく彼を担いで、宿まで帰ったのだった。
不言而喻(言わなくても分かってる)「魏嬰」
忘機は、無羨を呼び止めた。
しかし、彼は振り返りもせずに、雨の中、屋敷の外へ飛び出して行ってしまった。
ことの始まりは、一炷香程前にさかのぼる。
きっかけは些細なことだった。
無羨は、昼間に市場の女性から聞いた話をしだした。その時を思い出しながら話す彼が、あまりにも楽しそうなので、忘機は不機嫌になった。
それだけなら、こんなことにはならなかったのだが……。
無羨が面白がって忘機をからかっているうちに、お互い引っ込みがつかなくなり、忘機もついには語気を荒げてしまったのだ。
忘機が傘をさしながら無羨を探すと、どこからか犬の鳴き声と「藍湛!」と叫ぶ声が聞こえた。
忘機が駆けつけると、無羨は人気のない市場の片隅でしゃがみ込んでいた。野犬に追い立てられ、ここまで来てしまったようだ。本当はそこからすぐにでも逃げたいのに、もう逃げる気力もないという様相だった。
短い間とはいえ、雨にあたった彼の衣は、全身しっとりとしていた。
忘機は野犬を追い払うと、無羨に近付いていった。
無羨の方も、人の気配に気づき、顔を上げた。
無羨は、くせでつい微笑んでしまった後、相手が忘機だと気付くと、気まずそうに顔を背けた。先程は、無意識のうちに彼の名を呼んでいたのだろう。
「魏嬰」
無羨は顔を背けたままだ。
「魏嬰、私は......」
無羨は、藍湛をじっと見つめた。
彼にそれ以上近寄ることすらできず、雨の中立ち尽くしている姿は、まるでいたずらを叱られた子どものようだ。
それに、よく見てみれば、彼は傘をさしてきたものの、きちんと全身を入れていなかったのか、衣がところどころ濡れている。
普段の彼とは、まるで別人のようだ。
「言わなくても分かってる」
無羨はすねたように言うと、忘機に抱き着いた。
忘機は自分が濡れるのも構わず、傘に無羨を入れ、空いている方の腕で彼を抱き寄せた。
「藍湛……」
「言わなくても分かってる」
まだなにか言いたげな無羨に、忘機は口付けた。
雨粒と無羨の濡れた衣によって、忘機の衣は色を変えていく。
無羨はそれを見て、「姑蘇藍氏の公子様が、衣を汚すなんて」とからかうと、彼の胸に顔をうずめた。
忘機は無羨の頭を撫でた後、濡れた髪を軽く整えてやった。
「魏嬰、うちへ帰ろう」