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    しおり
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    しおり
    うづきのまこと謂れは知らないし、誰が始めたのかもわからないが、いつの間にか定着した風習、というものがいくつかある。その一つが、卯月の朔日にまつわるものだ。その日に限り、どんな嘘も許される、そんなふざけた習わしだ。特別な祭りなどがあるわけでもなく、その習わしを覚えている者達が、ふと思い出して、誰かに嘘を仕掛ける、そんな日だ。それに乗る者もいれば、乗らない者もいる、あってもなくても良いような、自由で些細な習わしだった。

    「丶蔵、お前ついに海賊を引退するんだって?」
    「今年の流行りはそれかよ。」
    久し振りに会った友人に、丶蔵は苦笑を返した。いつものように集落の通りをぶらついていたところで、急に声をかけられたのだった。
    今日は卯月の朔日。壹岐の海賊たちの間で、軽い騙し合いが繰り広げられる日だ。後の関係に響くような嘘は禁じられており、その日限りの小さな嘘で騙すのが暗黙の了解だった。後腐れのない軽い嘘となると、皆似通ってくるようで、丶蔵に同じ問いを発した友人は、今目の前にいる相手で五人目だった。
    「なんだ、やっぱり嘘か。最近は大人しくしてるみたいだし、もしかしたらって思ったんだがな。」
    「まあ、半分隠居みたいなもんだからなあ、あながち嘘ってわけでもねえか。」
    オオタカ族との戦で負った傷のために、以前のようには動けなくなった。動けないなりにできることもあるが、刀を振るったり力を必要とする仕事はしなくなったので、事情を知らない者から見れば隠居や引退のように見えるのだろう。丶蔵自身、周囲に話していないので、事情を知っている者は然程多くない。あの戦に加わらなかった者は知らないはずだ。もしかしたら本当かもしれない、と思わせるにはちょうど良い嘘なのだろう。
    「本当ってことにしてくれよ。そしたら賭けに勝てる。」
    「人を勝手に賭けに使うんじゃねえよ。」
    「年に一度の遊びだぜ、楽しんだほうが良いだろ。」
    「それならもうちょい面白い嘘にしろよ。俺をネタにしたところで面白くもなんともないだろ。」
    「そう思ってるのはお前だけだよ。」
    友人の含み笑いに、丶蔵は首を傾げた。他にも何か嘘のネタにされているのかもしれない。
    「気になる物言いだな。」
    「まあ、他の誰かが聞きに来るだろうから楽しみにしてろよ。」
    友人はそう言い残して去って行った。なんだか面倒な事になりそうな気がする。卯月の朔日の習わしは嫌いではないが、此度は大人しくやり過ごしたほうが良さそうだ。
    「酒でも買おうと思ったんだがなあ。」
    溜息混じりに呟き、丶蔵はねぐらに戻ることにした。
    その後丶蔵は知り合いに会うこともなくねぐらに帰りつき、細々とした事を片付けている内に夕刻が近付いていた。知り合い連中は騒ぐのが好きだが、わざわざ他人のねぐらまで噂の確認に来るような酔狂な者は居なかったようだ。飯を済ませて寝るか、と腰を上げた時だった。丶蔵のねぐらの戸を叩く者があった。やや控えめな叩き方に、来訪者の察しはすぐについた。丶蔵が戸を開けると、予想通りの人物が立っていた。對馬の侍、境井仁だ。
    「仁、こっちに来てたのか。」
    「ああ、今朝がた着いてはいたのだが、色々と声を掛けられてな。」
    「好かれてんな、侍のくせに。」
    「まあな。」
    涼しい顔で仁が肯く。侍、それも境井家の者ではあるが、オオタカ族の討伐と、それに付随した厄介事の片付け等々で壹岐の者達のためによく動いた仁は、それなりに頼られる存在となっている。丶蔵は彼と個人的な遺恨もあったが、今はそれも晴れ、友人として親しく付き合う間柄だ。
    「寝床は決めてんのか?」
    「そのつもりで来たのだが。」
    「そんなことだろうと思ったよ。」
    仁は壹岐に来ると必ず丶蔵のねぐらに顔を出して、寝床を貸せと言ってくる。二人の間の決まりきったやりとりだった。
    「これは、宿賃だ。」
    そう言って、仁が丶蔵に酒を押しつけた。
    「自分でも飲むくせによ。」
    「一人酒は寂しいだろう。」
    笑う仁に、丶蔵は小さく肩をすくめた。そして、戸を大きく開き、仁を招き入れる。
    「ちょうど片付けたところだ。ありがたく思え。」
    「普段から整えておけば良かろうに。」
    「うるせえ。」
    二人は気安い言葉を交わし、笑い合った。
    仁が旅装を解いている間に、丶蔵は晩酌の支度をする。支度といっても、酒器を出す程度だ。肴は仁が道中で助けた漁師にもらったという干物である。
    「どこでも人助けするんだな、お前は。」
    「やれることをやっているだけだ。」
    仁は笑って丶蔵に目を向けた。お前も同じだろう、と言っているように見えた。
    「そのおかげで美味い肴にありつけるってわけだな。」
    「そうだな、ありがたく思え。」
    軽口で流した丶蔵に、仁がわざとらしく尊大な口調で返した。言ってろ、と苦笑を浮かべつつ、互いの酒器に酒を注ぐ。酒器を手にした仁が悪さを思いついたこどものような笑みを浮かべた。
    「海賊の引退を祝って。」
    そう言って、仁が酒器をかかげた。丶蔵はそれを見て苦い表情を浮かべた。
    「仁、それどこで聞いたんだ?」
    「北の海岸に弓の修練場があるだろう、あそこの者達だ。」
    「そこまで広まってるとはなあ……。」
    まさか仁の耳にまで入るとは思っていなかった。どう説明したものかと考えつつ酒を口にする。
    「今日は面白い噂を色々と耳にしたな。ふかがどこぞに財宝をためこんでいるとか、みさおが青染めをはじめたとか。」
    仁が愉快そうに言った。皆が揃ってしょうもない嘘をつく、そんな珍妙な遊びを本気でやるのは、この島くらいに違いない。毎年恒例の嘘だが、おそらく卯月の朔日の習わしを知らない仁にとっては面白いものなのだろう。仁が楽しげに笑っている姿を見て、丶蔵はネタをバラすのは後でいいか、と黙っていることにした。
    「他には面白い話はあったか?」
    「ああ、丶蔵にまつわることも色々聞いた。」
    「引退話だけじゃねえのか。」
    友人の話ぶりからそんな気はしていたが、一体何を言われていたのやら。聞きたいような、聞きたくないような複雑な気分だ。仁は意味深な笑みを浮かべるだけで、噂について話はしなかった。
    「そういえば、オオタカ族との戦いについての噂もあったな。」
    「大方手柄をあげたのは誰それとかだろう。」
    「そうだな、知らぬ名をいくつか聞いたが、労いに行ったほうが良いだろうか。」
    真面目に言う仁が面白くて、丶蔵は軽い笑い声をあげる。手柄の話はどうせ嘘だろう。あの戦いで一番手柄を上げたのが誰なのか、丶蔵も仁もよく知っている。それを知っていながらも、真顔でこういうことを言うのだから面白い。
    「酒でも持って活躍を聞きに行くのもおもしろいかもな。」
    「そうだな、次の時に何か参考になるやも知れん。」
    本気とも冗談ともつかない調子で仁が応じた。よほど蒙古との戦の事が頭から離れないらしい。對馬での戦は凄惨だったと聞くし、壹岐での戦も過酷だった。すぐに備えのことを考えてしまうことも無理もないとは思うが、さすがに呆れてしまう。
    「次だなんて、不吉なことを言うなよ。」
    「二度あることは三度ある、と言うだろう。」
    「こっちはまだ一回だ。だから次のことはしばらく考えない。余計なことを考えていると酒も不味くなるからな。」
    「それもそうか。」
    丶蔵の言葉に、仁が笑って肯いた。だいたいこいつはごちゃごちゃと考え過ぎるところがある。
    「ところで丶蔵、話は戻るが、引退というのはまことか。」
    仁は随分と話を戻してきた。誰かから聞いた噂話が相当気になっているらしい。
    「さてねぇ。」
    丶蔵は曖昧に笑う。はぐらかすな、と仁がたしなめるように強い調子で言った。意外な反応に、少し驚く。
    「俺がどう身を振ろうとお前が気にするようなことじゃねえだろ。」
    今は親しくしているとはいえ、互いに立場が違いすぎる。そもそも、丶蔵は仁にとっては父親の仇だ。そう考えて、腑に落ちた。
    「ああそうか、俺が海賊をしていた方が、いざという時に後腐れなく斬れるか。」
    あの時、仁は丶蔵を斬らなかった。斬らないと決めた仁を信じている。それでも、丶蔵自身、こいつに斬られてやるべきだったのではないか、という考えが過ることがある。つい口が滑ったのは、酒のせいかもしれないし、嘘がまかり通る日のせいかもしれない。
    丶蔵がちらりと仁の様子をうかがうと、仁は乱暴に酒器を置いた。そして、素早く丶蔵の襟元を掴み、強引に丶蔵の体を引き寄せた。
    「次にそんなつまらぬ事を言ったら、海に叩き落してやる。」
    仁は地の底から響くような声で告げ、丶蔵の体を突き放した。仁に短刀を突きつけられた時のことを思い出し、丶蔵は思わず自らの首を撫でた。仁は鋭く丶蔵を見据え、口を開く。
    「俺は、お前を友だと思っている。お前は違うのか、丶蔵。」
    「俺は、お前の友か。」
    「そうだ。だから、俺に斬られるなど考えてくれるな。」
    友を斬るなど、二度とごめんだ。仁がぽつりと呟いた。いつか彼が語った、斬らなくてはならなかったという友のことを思い出した。その友の話をしていた時のような、痛みに耐えるような顔で、仁が丶蔵を見ていた。そして、ようやく分かった、仁が噂話を気にしていた理由を。
    「ああそうか、お前は俺を心配してくれていたんだな。」
    「ようやく気付いたか。」
    仁が呆れた様な溜息を吐いた。普段なら、仁もきっとはぐらかしていたことだろう。誰かのついた小さな嘘が、誰かの正直な気持ちを引き出すとは、考えもしなかった。
    「俺は自分のできることを続けるだけだ。だが、自分の身の安全を確保できる範囲で励むさ。誰かさんが心配するからな。」
    「そうか。」
    安堵したような顔で、仁が肯いた。いつもよりも幾分か素直に見えるのは丶蔵の気のせいだろうか。
    「仁、お前酔うにはちょっと早くねえか。」
    「こんなの、酔いのうちに入らぬよ。」
    そう言っている割には、頭が揺れている。気付けば仁が持ってきた酒の半分程が空いていた。普段ならばだいぶ出来上がる酒量だ。そろそろ止めておいた方が良いだろうか、などと考えているうちに、仁は自分の酒器に酒を注いでいた。まだ続ける気らしい。丶蔵は苦笑を浮かべ、同じく酒器に酒を注ぐ。
    「ところでお前はまた蒙古の残党狩りに来たのか。」
    仁がこの島に来る理由はそれくらいのはずだ。大部分は討ち払ったはずだが、まだ残党の噂を聞くこともある。そういう噂が、仁の耳に届いたのだろう。丶蔵はそう思っていたのだが、仁の答えはまったく違うものだった。
    「いいや、お前に会いにきた。」
    そう言って、仁は丶蔵を真っ直ぐに見つめ、柔らかく微笑んだ。それを受け止めるのが気恥ずかしくて、丶蔵は目をそらし、酒を呷った。
    「やっぱり酔ってるなお前。」
    「ふふ、どうであろうな。」
    笑う仁の顔はすっかり赤くなっている。だが、彼が完全に泥酔すると、脱ぎ始めるので、そこまで酔っているわけではないはずだ。誰かが半端に酔った仁はタチが悪いと言っていたが、まさしくその通りである。どう対応したものか、と丶蔵が考えていると、ふと今日が何の日なのかを思い出した。
    「なあ仁、今日がどういう日か知ってるのか。」
    「卯月の朔日、だろう。」
    こともなげに仁が言う。習わしを知って言っているのか、知らずに言っているのか、判別がつかない。知っていて言ったのならば性格が悪いが、知らずに言ったのならばやはりタチが悪い。
    「丶蔵、せっかくだから言っておくが、今まで俺はお前に嘘を言っていた。」
    「何だよそれ。」
    「だから今日くらいは正直になろうと思って。」
    「待て、どういう意味だそれは。」
    酔っ払いの戯言なのか、正気で言っているのか全然わからないし、習わしを知っているのかもわからない。仁がふわふわと楽しそうに笑っているのだけは確かなのだが。
    「お前と酌み交わすのは楽しいなあ。」
    「それはどうも。で、仁よ、今の言葉の説明を――」
    「ぐぅ」
    さっきまで普通に話していたというのに、仁が急に寝息を立て始めた。もしや面倒くさくなって寝たふりをしているのかとも考えたのだが、規則的な寝息に不審なところはない。
    「本当に寝やがった……。」
    丶蔵の呆れ声も気に留めず、仁は穏やかな寝息を立てている。
    「ああくそ、気になること言いっぱなしで寝やがって……明日起きたら覚えてろよ。」
    仁の寝顔を眺めて呟き、丶蔵は苦笑を浮かべる。そして、寝支度をするために腰を上げた。

    目が覚めると、周囲は明るくなっていた。いつもならば夜明けの薄明りで自然と目が覚めるものだが、久し振りに飲んだ對馬の酒のせいか、水平線からやや高い位置にある太陽の明るさに気付くこともなく眠り込んでいたらしい。丶蔵はのっそりと寝床から抜け出した。あまり酒量は多くなかったが、まだ体に酒気が残っている気がする。重みの残る頭を軽く振って残った酔いを振り払う。昨夜同程度は飲んでいた上に、明らかに丶蔵よりも酔っていた仁はどうしているだろう。室内を見回すと、酔って床に寝落ちていた仁の姿はなかった。一瞬、昨夜の出来事が夢だったようにも思えたが、残されていた仁の荷物を見て、そうではなかったことを実感する。彼が常に手放さない愛用の太刀も見えないということは、朝の鍛練にでも出たのだろう。荷物は残っているし、そのうち戻ってくるはずだ。それまでに身繕いをして朝餉の用意でもしておくか、と丶蔵はゆっくりと動き出した。
    ざっくりと身繕いを済ませ、ありものの穀類で粥を煮ているところへ、太刀を手にした仁が戻ってきた。昨夜酔って寝落ちしたとは思えないくらいにさっぱりとした顔をしている。仁は丶蔵の顔を見てくすりと笑った。
    「宿酔いの顔をしているな。」
    「對馬の酒は旨いが、慣れてねえんだよ。」
    丶蔵は口をとがらせて言葉を返した。顔を洗っていくらかすっきりはしたが、まだ怠さは残っている。斯く言う仁も、壹岐の酒を飲んだ時はすぐ潰れるし、翌日は宿酔いのしんどさを隠しきれていないことが多い。それに比べたら随分とマシな方だ。次は壹岐の酒を飲ませてやる、と密かに心に決める。
    「それで、今日はどうするんだ?」
    仁に尋ね、ふと昨夜のやりとりが頭を過った。お前に会いに来た、と言って、微笑む仁の姿を思い出し、丶蔵はなんとなく気恥ずかしくなって仁から目をそらす。それこそ、卯月の嘘か、酔っ払いの戯言だ。仁は、丶蔵の様子も、昨夜の出来事も、まるで気にしていない様子で、のんびりと、どうするかなあ、などと言っている。丶蔵の元を訪れた時は、何かしらやることがあるから手伝え、と仁は必ず言ってくる。此度もそうだろうと決めてかかっていたが故の問いだった。だから、それがないとは一欠片も考えてはいなかった。
    「用があって来たわけじゃないのか?」
    思わず驚いた声をあげた丶蔵に、仁は小さく肩をすくめてみせた。
    「用事がないわけでもないが、だいたい済んだのでな。」
    「なんだよそれ。」
    はぐらかすように言った仁へ、怪訝な顔を向ける。仁は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
    問いを重ねようとしたところで、丶蔵の腹の虫が鳴った。それを聞いた仁が真面目な顔で言った。
    「まずは腹ごしらえだな。」
    「そうだな、粥も煮えたことだし。」
    丶蔵は肯き、火にかけていた鍋をおろす。空腹では頭も口も回りが悪い。仁に切羽詰まったところはないようだし、腹を探るのは食事の後で良いだろう。
    「ほら、飯にするから椀を出せ。」
    「客を顎で使うやつがあるか。」
    「勝手に押しかけて来た奴は客とは言わん。」
    そんな軽口を叩きあいつつ、朝餉の支度を整える。丶蔵の作る食事はありものの簡素なものだ。仁はいつもそれを殊の外喜んで食べる。立ち居振る舞いから育ちの良さが滲みでているような男が、喜ぶようなものには思えない食事なのだが。仁の食べる様子を眺めていると、丶蔵の視線に気付いたのか、仁が首を傾げた。
    「どうした?」
    「いや、美味いか、それ。」
    「美味いぞ。丶蔵は粥を煮る腕がいいな。」
    「褒めてんのか、それ。粥なんて誰が煮ても同じだろ。」
    「俺はたまに失敗する。」
    「お前にもできないことがあるんだなあ。」
    そつなく何でもこなす奴だと思っていたのだが、面白いことを聞いた。皆には秘密だ、と仁が冗談めかして言う。
    「そうだな、あとは、誰かと共にとる食事は美味いし、楽しい。」
    直前のふざけた様子とは打って変わって、真面目な調子で仁が言った。丶蔵は訝しむ目を仁に向ける。
    「お前、まだ酒が抜けてねえだろ。」
    「至って素面だ。」
    「それにしちゃ素直過ぎる。」
    「――そういう時もある。」
    そう言って、仁が笑った。その顔を見て、丶蔵は気が付いた。彼の笑顔が出会った頃に比べて、ずっと晴れやかなものになっていたことに。
    「良い顔するようになりやがって。」
    丶蔵は小さく呟いた。何か言ったか、と問う仁に、何でもない、と頭を振る。こんな気恥ずかしいこと、聞かれてたまるか。
    「飯が済んだら、どういう魂胆で来たのか、素直に吐いてもらうからな。」
    「吐けと言われても。」
    仁が苦笑を浮かべ、肩を竦める。そして、それは後で、とやはりはぐらかすのだった。

    日が高くなったころ、丶蔵は仁とともに馬を駆り、森を進んでいた。朝餉の後も仁は来訪の目的をはぐらかし、語ろうとしなかった。そのくせ、丶蔵に何か用はあるか、と聞いてくる。それならば、と仁を連れてきたのがこの森だった。
    「集落で使う修繕用の資材が少なくなってるんだ。暇なら補充を手伝え。」
    目的を告げ、伐採用の鉈を渡す。仁はそれを受け取って、軽く振り、使い心地を確認して肯いた。
    「承知した。」
    そう言って、仁は自分の馬を連れて森へ分け入っていく。雑事も雑事だが、仁が嫌がる様子はない。むしろ楽しそうに見える。仁は手際よく資材にちょうど良い木を刈っていく。意外なものだな、と思いつつ、丶蔵は仁が刈った木材を運びやすいようにまとめていく。
    「何でもやるんだな、お前は。」
    ある程度作業がすすんだところで、丶蔵はなんとはなしに仁に声をかけた。
    「太刀を振るうだけでは生きていけぬからな。」
    慣れた手つきで鉈を振るい、仁が言う。生活のために仕方なく、という風には見えない。丶蔵がじっと見つめていると、仁は首を傾げた。
    「何かおかしなことでも言ったか?」
    「いいや、別に。強いて言えば、妙に楽しそうだなと思ったくらいだが。」
    「確かに、楽しんでいるところもある。」
    蒙古の拠点を潰すよりは気楽でいい、と仁が笑う。それを聞いて、丶蔵は意地の悪い笑みを浮かべた。
    「そういうことなら、今度からもっとこういう雑事を回してやろうか。」
    嫌がるかと思って言ったのだが、仁はのんびりとした調子で、それもいいな、と応じた。軽口への応対ではなく、本心から言っているように見えた。いつもの仁ならば、何かしらの憎まれ口を叩きそうなものだが、昨日から妙に素直だ。もしや、こうやってこちらの言うことを聞いておいて、後から厄介事を持ちかけるつもりなのでは、と丶蔵は仁へ疑いの目を向ける。
    「仁、何か企んでいるなら早めに吐いておいた方が良いぞ。」
    「またそれか。別に何もない。」
    「嘘つけ、朝は後でって言ってただろ。」
    「覚えていたのか。なら、まだ後で、だ。」
    仁はそう言って、もう少し奥も見てくる、と馬とともに森の奥へ向かって歩き出した。丶蔵はその背を見送り、首をひねる。
    「なんであそこまではぐらかすかな。」
    まあ、仁が何を考えているかなど読めた試しがないし、気にするだけ無駄だろう。隠し事もするし、嘘もつくが、言うべきことは言う男だ。仁が話す気になるまで待つ以外ない。丶蔵はそう結論付け、自分の作業に集中することにした。

    「こんなもんかな。」
    丶蔵は額に浮かんだ汗を拭った。春先とはいえ、体を動かして働けば汗ばむ陽気だ。愛馬に集めた資材を山のように積んで戻ってきた仁も、薄く汗をかいている。互いに作業に熱が入っていたようで、資材は予定していた量よりも多く集まっていた。馬二頭では一度で運びきれないかもしれない。
    「集落で手助けしてくれる者を呼んできた方が良いのではないか。」
    「何度か往復するよりはその方が良さそうだなあ。」
    この資材をどう運ぶものか、と話していると、不意に、仁が動きを止めた。どうした、と問いかけようとした丶蔵を手で制し、何かを探るような目を遠くへ向ける。仁の只ならぬ様子に、丶蔵も耳を澄ませた。遠くで叫び声が聞こえた気がした。おそらく、悲鳴だ。誰かが襲われているらしい。仁が気にしていたのはこれか。
    仁は警戒した様子で太刀と弓を手にし、森のある方角へ顔を向けた。近付いてくる者の気配は大方掴んだようだ。丶蔵は仁と視線を交わし、互いに小さく肯き合う。仁は身を翻し、音も立てずに森の中へ姿を消した。丶蔵も人の気配には敏い方だが、仁の位置はもうわからない。隠形の腕は健在らしい。
    仁の手並みに舌を巻きつつ、丶蔵はそのまま何事もなかったように作業を続ける。悲鳴の原因が、自分達にとって敵対的な者だった場合の対策だった。身を隠してやり過ごすこともできなくはないが、蒙古の残党のような、すぐに対処するべき敵の場合もある。以前の自分ならば、仁とともに先制攻撃を仕掛けていただろう。しかし、今はろくに刀も振れない身だ。荒事は仁に任せ、大人しく囮役に徹するしかない。集めた資材をまとめていると、微かに地面の枝葉を踏む音が聞こえた。なるべく足音を立てないように歩こうとして失敗した、というところか。良くない兆候だ。丶蔵は苦い表情を浮かべながら、何も気付いていない素振りで手を動かす。
    忍ばせきれていない足音や、衣擦れの音が近付いてくるのを焦れったく思いつつ、丶蔵は素知らぬ顔で待つ。接近してくる音が止まった。狙いを定めるような、緊張した息遣いが聞こえてくる。自分が刀を振らなくなってよかったな、と接近者達へ心の中で語りかけつつ、丶蔵は密かに溜息を吐いて立ち上がった。そして、既に掴んでいた相手のいるであろう位置に目を向ける。
    「よう、まさか森の中で同胞に会うとは思わなかったな。」
    丶蔵は何食わぬ笑顔を浮かべ、潜んでいる者達へ声をかけた。全員のいる位置にしっかりと目を向けてやる。渋々といった様子で茂みから五人の男が出てきた。男達は皆武装しており、まだ武器を構えてはいないものの、丶蔵を取り囲む位置を取った。少しばかり軽率だったかもしれない、という考えが頭を掠めるが、今更遅い。
    丶蔵は出てきた男達をじっと観察する。武器やいでたち、佇まいから、荒事で生きている連中だということは察しがつく。ふかの集落によく出入りする者ならば、だいたい覚えているが、目の前の男達のことは記憶に薄かった。ふかの仕切る一団とは縁のない連中なのだろう。丶蔵は密かに警戒の度合いを高める。
    「あんた、ふかとつるんでる丶蔵だろ。」
    「そんなに顔を売ってるつもりはないんだがなあ。」
    丶蔵は軽口を叩いて肩を竦めた。一方的に名を知られている、というのもまた良くない兆候だ。どうやってあしらったものか、と丶蔵が考えていると、男の一人がにやにやとあまり品の良くない笑みを浮かべ、口を開いた。
    「丶蔵、あんた境井のと懇ろなんだってな。」
    「……はぁ?」
    唐突な言葉に、巡らせていた考えが頭からすっ飛んだ。丶蔵は思わず素頓狂な声をあげる。そしてすぐにその原因に思い至った。
    「卯月の朔日は昨日だろうが。戯言を本気にするやつがあるか。」
    「戯言なもんかよ。前々から噂が流れているぜ、あんたがあいつの情夫だってよ。」
    「情夫ときたか。」
    衝撃的な単語に眩暈がした。誰だそんな下世話な噂を流したやつは。しかも卯月の朔日に関係なく。言い出した犯人を見つけて、きつめのお仕置きをしても許されるだろう。
    「そういうわけだから、ちょっとツラを貸してもらおうか。」
    「いや、意味がわからんだろ。」
    何故仁と親しいというだけで、あまり知りもしない一団に囲まれた上に、ついてこいなどと言われなければならないのか。全く理屈がわからない。
    「何、あんたに悪さをしようってわけじゃないさ。あの侍を釣り出すのに使わせてもらう。」
    男の一人が剣呑なことを言った。仁への明確な敵意を帯びた言葉に、丶蔵は眉をひそめる。境井の、などと言っていた時点で、仁に対して良からぬ感情を抱いているらしいことは察しがついていた。彼に好意的な者は、仁、もしくは刀競べの連中がつけた一刀という仇名で呼ぶ。察しがついていたとはいえ、相手の発言が滅茶苦茶すぎて対処が遅れたのが良くなかった。
    「大人しくしていれば、あんたには何の害もない。」
    男達がじわりと丶蔵との距離を詰める。
    「餌扱いかよ。というか、俺なんぞのためにあいつがくるわけねえだろ。」
    「そう思ってるのはあんただけだよ。」
    丶蔵を人質にしたところで、仁を釣り出せるとは到底思えないのだが、目の前の男達はそうは思ってくれないらしい。同じ言語を話しているのに言葉が通じないとはどういうことなのか。蒙古の連中相手に囮をしたほうがよほど気が楽だ。嘆きたい気持ちを堪え、丶蔵は自分のとれる手を考える。相手は武装しているのに対して、自分はほぼ丸腰だ。資材集め用の道具はあるが、刀や槍を手にした男相手ではどうにもならない。逃げるには距離が近すぎる。となると、あとは仁に任せるしかない。仁が森に姿を消してしばらく経つ。そろそろ姿を現しても良い頃合いだろう。
    「あいつに用があるなら、直接果たし合いでも申し込んでやれよ。そうすれば素直に出てくるぞ。」
    「あの人斬りの息子相手に果たし合いなんて、死にに行くようなもんだろうが。」
    「それで奇襲やら人質やら考えたわけか。」
    戦略としては悪くない。かつての侍との戦ならば有効な手だったろう。だが、この男達が相手にしようとしているのは、ただの侍ではなく、冥人と呼ばれる者だ。定石にとらわれない戦いなど、彼の得意分野だ。
    「そりゃあ、悪手だな。」
    そう言って、丶蔵は笑った。その瞬間、風を切る音が丶蔵の耳に微かに届いた。続いて、ゴツッと鈍い音が響く。その直後、丶蔵を囲んだ男達の背後に立つ木が大きく揺れ、激しくざわめいた。男達が一斉に音を立てた木の方へ振り返る。それと同時に、丶蔵の目の前に黒い影が音もなく降り立った。影は白刃を閃かせ、雷光のような迅さで駆け抜ける。次の刹那には、丶蔵を取り囲んでいた男達すべてが地に伏せていた。立っていたのは、太刀を手にした仁だけだった。
    「やりすぎだろ。」
    倒れた男達を見回し、丶蔵は呆れた声を上げる。
    「誰も斬ってはおらぬ。まあ、骨のひとつやふたつどうにかなっているやもしれんが。」
    仁は悪びれもせずに言った。確かに、仁の太刀に血は付いておらず、冴え冴えとした輝きを放っている。あれだけの人数を、一息の間に殺すことなく無力化させるとは恐れ入る。
    「しかしさっきの、一体何をしたんだ?」
    仁が鈴や爆竹で敵の注意をそらすのは何度か目にしていたが、今回はそのどちらでもなかった。先程大きく揺れた木の根元のあたりから、仁が一本の矢を拾い上げて丶蔵に見せた。矢尻が落とされた矢だ。
    「樹上からこれを射て、こやつらの背後に注意を向けさせた。鈴や爆竹は、俺だとすぐ露見してしまうからな。」
    「樹上って、お前は猿か。」
    よくもまあ色々と考え付くものだ。呆れつつ言った丶蔵に、仁は肩をすくめた。
    「俺を狙っていたとはいえ、島の者を斬れば厄介なことになろう。だから、なるべく加減のきく手段を考えたまでだ。」
    苦笑を浮かべ、仁が太刀を納める。丶蔵は仁に怪訝な顔を向けた。
    「お前、こいつらとの話聞いてたのか?」
    「途中からな。」
    昏倒した男達を縛り上げながら、仁は肯く。囮役の気も知らず、暢気に立ち聞きとは良い御身分だ。無言で睨む丶蔵に、仁は肩をすくめてみせた。
    「こやつらがお前に危害を加えぬよう一息に倒す位置取りを見極めていたら、聞こえてしまったのだから仕方あるまい。」
    「どっから聞いてた。」
    「懇ろだのなんだののあたりだな。」
    「わりと最初の方からじゃねえか。お前さては面白がってたな?」
    「それもある。」
    あっさりと肯いた仁に、丶蔵は溜息をついた。
    「俺との仲をどうこう言われたところで迷惑なだけだろ。」
    「迷惑なものか。」
    思わぬ返答に、丶蔵はぽかんと口をあけて仁を見る。今の言葉が丶蔵の聞き間違いなのではないかと思えるほどに、仁の表情は平静そのものだった。
    「仁、お前今なんて――」
    今の言葉の真意を聞こうと丶蔵が問いを発した時だった。森がまた不自然にざわめいた。風のせいではない。幾人かの話し声と、馬の蹄の音が聞こえてくる。ここで倒れている連中の増援か、と身構えかけた丶蔵に、仁が案ずるな、と言って片手を上げた。速足になった馬の足音が近付いてくる。
    「丶蔵、一刀、無事だったか!」
    そう言って現れたのは、ふかの手下達だった。確かこの森の近くにある弓の修練場でよくたむろしている連中だ。
    「お前ら、なんでここに?」
    「この森で侍に助けられたって百姓が修練場に駆けこんできたから、大急ぎで援護に来たんだが……手は足りてたみたいだな?」
    仁が縛り上げた男達を見て、海賊が苦笑を浮かべた。丶蔵も苦笑を返す。
    「暴れるのには、少し遅かったな。」
    「相変わらず一刀は手が早いな。」
    折角来たのになあ、だの、俺達の分も残しておけよ、だのと言っている海賊達に、仁は大真面目な顔で次からは少し残しておく、などと応じていた。
    「悪いな丶蔵、二人でおたのしみのところを邪魔してよ。」
    「その変な言い方なんなんだよ。」
    半眼を向けた丶蔵に、皆が曖昧な笑みを浮かべる。どいつもこいつも何か妙な勘違いをしているとしか思えない。どうやってこの誤解を解いたものか、と苦い顔で丶蔵は考える。仁はといえば、皆の言動はまったく気にしていないようで、のほほんと皆を見回している。
    「折角来た、というのならば、頼みたいことがある。」
    仁の言葉に、集まった海賊達が、なんだなんだと、彼の周囲へ寄っていく。
    「頼みって?」
    「この連中をふかに引き渡してはくれまいか。」
    そう言って、仁は縛り上げた男達を示した。皆はすぐさま肯いた。
    「そんなことお安い御用だ。」
    「しばらく頭のところに顔を出してなかったし、ちょうどいいや。」
    口々に勝手なことを言いながら、海賊達は仁の頼みを快諾した。
    「ふかのところに行くってんなら、この資材もいくらか持ってってくれると助かるんだがよ。」
    山のように集めた資材を示しつつ丶蔵が言うと、皆はそれも快諾してくれた。海賊達は自分の馬にてきぱきと荷物を積んでいく。
    「ここにあるので全部か?」
    「資材はここにあるだけだ。」
    「襲撃者は別の場所にもう四、五人転がしてある。それの回収も頼む。」
    「合点だ。」
    丶蔵と仁の返答に肯いて、海賊達が作業を進めていく。
    「お前がなかなか戻ってこなかったのは、別の場所にも連中がいたせいか。」
    手持無沙汰になった丶蔵は、海賊達の仕事ぶりを眺めながら、仁に声をかけた。そうだ、と仁が肯く。
    「まとめて相手にするのは些か骨が折れそうな数だったのでな、小勢のうちに対処しておいた。その時に助けた百姓に、近くの修練場の者に声をかけるよう頼んだのだ。」
    「根回しのいいことで。」
    それで、ふかの手下達が近付いて来た時も落ち着いていたのか、と丶蔵は納得した。
    「だが、そういうことは前もって言っておいてほしいもんだがな。」
    「忘れていた。許せ。」
    ちくりと言った丶蔵に、仁が苦笑を返した。そんな話をしている間に、ふかの手下達は作業を終えたらしく、荷物や賊を積んだ馬に跨り、丶蔵と仁を見ていた。
    「俺達は行くからよ、お二人さんはごゆっくり。」
    「お前らいつまで卯月の朔日の気分なんだよ。」
    丶蔵が呆れて言うと、何人かが首を傾げた。
    「そんなの昨日できっちり終わっているさ。昨日お前と仁がどうってことない仲だって話を皆してたもんだからなあ。つまり、裏を返せばそういうことだろ?」
    「それに普段のお前ら二人を見ていたら、なあ?」
    そんなことを口々に言われ、丶蔵は頭を抱える。昨日、面倒くさがって顔を出さなかったことが仇となったか。この噂の火消しは骨が折れそうだ。
    「そういうことだから、俺達はさっさと退散するよ。おたのしみの邪魔をして悪かったな。」
    「睦み合うのもほどほどにして、後で頭のところにも顔出しておけよ。」
    丶蔵が頭を抱えている間に、皆は好き勝手なことを言い置いて去っていった。
    「どうしてどいつもこいつも俺とお前の仲を勘違いするのかね。」
    溜息まじりに丶蔵は呟いた。遠ざかる海賊たちの背を見送っていた仁が口を開く。
    「卯月の朔日は、島の者達が嘘をつく日だったのだな。」
    どこか愉快そうな響きのこもった声だった。そういえば、昨日ネタばらしをしようと思っていたのに、言わずじまいだった。丶蔵は眉を上げ、仁に目を向けた。
    「お前、知っていたのか。」
    「知らずとも、察しはつく。」
    仁は穏やかに微笑む。卯月の朔日に絡めて、丶蔵との仲をどうこうと揶揄されたはずだが、嫌がったり迷惑がったりといった素振りは見えない。嘘と知った上での余裕だろうか。
    「いつ気付いたんだ。」
    「昨日、丶蔵の家に行く前にはなんとなく察していた。」
    そう言われて、丶蔵は昨夜の仁の言動を思い出した。妙に素直に見えたのだが、あれは全部卯月の朔日の演技だったのか。
    「悪い男だなあ、お前。」
    呆れた表情を浮かべた丶蔵に、仁は少しばかりむっとした表情を浮かべた。
    「昨夜言ったろう、今まで嘘をついてきた、と。」
    「覚えてたのか。」
    寝落ちするほどの酔いっぷりだったので、昨夜のことなど仁はろくに覚えていないのかと思っていた。
    「覚えていたとも。」
    昨夜の俺は、今までで一番正直だったぞ、と真面目な顔で仁が言った。
    「……正直? あれが?」
    昨夜の仁の言葉を思い返す。友だ、と言われた。そして、お前に会いに来た、とも言われた。皆が嘘を言う日に、だ。
    「ほんとうに、悪い男だなあ、お前。」
    しみじみと言った丶蔵に、仁が微笑んだ。
    「皆が嘘をつくのならば、一人くらい正直になっても良いだろう。」
    仁は涼やかに言う。
    「この島では、嘘ばかり吐いてきたからな。」
    「そうだな、鑓川の仁殿?」
    彼が最初に名乗っていた名を思い出し、丶蔵は笑う。それは、彼自身を守る嘘であり、壹岐の者達を守る嘘でもあった。咎める必要のない嘘だ。粗末な嘘だった、と仁は頭を振った。
    「だけどよ、お前の吐いた嘘は、全て真実を明かしたろう。」
    「あの時の嘘はな。」
    「ほかにもまだ嘘をついてたのか、侍のくせに。」
    「嘘も方便というやつだ。」
    悪びれる様子もなく仁が言う。方便と言うのならば、彼にとっても、皆にとっても、必要な手段だったのだろう。
    「お前は、俺の嘘を許すだろう。」
    「思い上がるんじゃねえよ。」
    丶蔵は苦笑を浮かべる。だが、仁の言う通りだ。最初の嘘からずっと許していたのだから、今更咎めるようなことでもない。仁が嘘をつくとしたら、それは何かを守るためのものなのだと丶蔵は知っていた。
    「でも、まあ、そうだな、別に嘘つきだってかまいやしないさ。」
    そのおかげで、こうして互いに生きているのだから。自分だって嘘つきだ。別に、何もかも真実を詳らかにする必要なんてない。嘘も秘密も大切なものを守る手立てになるのだから。
    仁は、お前ならそう言うと思った、と笑う。だけど、と更に言葉を繋げた。
    「友に、言われたんだ。言いたいことがあるなら、生きてるうちに素直に言っておけと。いなくなってからでは、遅いんだと。」
    どこか遠くへ仁が目を向けた。誰かに想いを馳せるような目をしていた。
    「言えなかった奴が、いたんだな。」
    「――ああ、大勢いる。」
    仁は肯いた。そして、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
    伝えていたとしても、何かが変わっていたとは限らない。きっと、今と同じなのだろう。失ったものは戻らない。だけど、お前が大事だと伝えて、抱きしめていれば、あの時ああいえばよかったなどと悔いずに済んだ。あの温もりも、忘れずにいられた。
    独り言のような仁の語りを、丶蔵は黙って聞いていた。誰のことを言っているのかなど、仁自身がわかっていればいい。仁がその誰かを口にしないのならば、自分は知らなくていい。
    「だから、今度は間違えないようにしようと決めたのだ。」
    仁はゆっくりと瞬きをして、丶蔵を見た。その目の真っ直ぐさに、居心地が悪くなるが、丶蔵はしっかりとそれを受け止めた。
    「ただ、素直になるには嘘を重ねすぎた。そこに、島の皆が嘘をついているらしい日があったのでな、利用させてもらった。」
    そう言って、仁が笑う。
    「お前なあ、嘘をつく日に本当のことを言ったって、どれが本当かわからんだろうが。しかも酔っ払ってよ。」
    丶蔵は呆れを帯びた溜息を吐いた。仁はそれもそうだ、と肯く。
    「だが、素面で面と向かってああいうことを言えると思うか。」
    「俺なら集落を裸で走り回る方がマシだな。」
    丶蔵の返答に、だろう、と仁が真面目腐った顔で言う。
    「まあ、酒の勢いとはいえ、一度言って踏ん切りがついた。改めて言う。」
    「いやそれはちょっと落ち着こうか境井殿?」
    丶蔵が制止するが、仁はそれを無視した。そして、勝負に臨む時のような目で丶蔵を見据える。
    「今までこの島に来た時の理由を色々つけていたが、あれは全部嘘だ。本当は、丶蔵、お前に会いに来ていた。此度も、お前に会いに来たのだ。」
    「お、おう。」
    「お前とはよき友でありたい。だから、あまり無茶はしないでほしい。」
    「そうか。」
    「あと、懇ろだの情夫だのというのはひとまず別においておくとして、友として、親しくしたい。これが、今の俺の正直な気持ちだ。」
    全てを言い終え、仁が柔らかく微笑んだ。自分との仲について、どうこう言われることを、迷惑でない、と言ったのは聞き間違いではなかったのだ。仁の正直な思いを聞いて、丶蔵は何と返したものかとしばらく考え込む。そして、やっとの思いで口を開く。
    「お前……そういう気恥ずかしいことは嘘のままにしておけよ。」
    丶蔵は乱暴に言って、そっぽを向いた。顔が上気していることは、仁に気付かれているだろう。仁が自分に対して、そんなことを思っているとは考えもしなかった。これからどんな顔でこいつを迎えてやればいいんだ。
    「うん、でも、嘘はもう飽きた。」
    仁はさっぱりとした顔で言う。その顔がなんとも小憎らしい。丶蔵はわざと仏頂面を作り、仁を睨む。
    「仁、お前、誰彼構わずそういうこと言ってるんじゃないだろうな。」
    「まさか。言うべき相手にしか言わぬ。」
    言うべき者達に、言えずじまいだったから、と仁が寂しそうに笑った。それを見て、丶蔵は改めて言った。
    「やっぱり、悪い男だよ、お前は。」
    「悪い男は嫌いか?」
    「……教えてやらねえ。」
    丶蔵は意地の悪い笑みを仁に向け、口笛を吹いて馬を呼んだ。すぐさま駆けつけた馬にひらりと跨る。
    「ほら、帰るぞ。」
    「そうだな、帰ろう。」
    肯いた仁は、どこか嬉しそうに見えた。

    集落に戻った丶蔵は、ふかの元に顔を出していた。丶蔵が一人で現れたのを見て、ふかが眉を上げた。
    「仁はどうした?」
    「刀競べの連中に引っ張っていかれたよ。」
    「好かれてるねえ、侍のくせに。」
    「まったくだ。」
    ふかの呆れた様な声に、丶蔵は笑いを返し、手近な場所に腰を下ろす。
    「資材集め、助かったよ。あれだけあれば長雨の季節くらいは凌げそうだ。」
    「大風の季節まではもたんか。」
    「今年はあまり来ないことを祈るしかないね。」
    「蒙古どもが来るよりはマシだが、来ないに越したことはねえな。」
    「そうだね。まあ、資材は必要ならうちの若いのにも集めさせるから、あんたは悠々と隠居生活でも楽しむんだね。」
    ふかが揶揄うように言った。丶蔵は溜息を吐いて肩を竦める。
    「そりゃ昨日のネタだろうが。あんまり引っ張るなよ。」
    「昨日あんたが顔を出さなかったからね、一応いじっておこうかと思って。」
    ふかは厳格な掟の下で海賊たちを取りまとめているが、習わしに乗って悪ふざけするくらいの遊び心はある。部下達相手にはそれを出しにくいのだろうが、古馴染の丶蔵には言いやすいのだろう。丶蔵は人の悪い笑みをふかに向ける。
    「なんだ、俺がいなくて寂しかったか?」
    「相変わらず滑りの良い口だね。馴染のない連中には今ひとつだったみたいだけど。」
    そう言ってふかは意地の悪い笑みを返した。森で襲ってきた連中のことだとすぐに察しがついた。
    「あの連中は妙なことばかり口走っていたからなあ……で、結局なんだったんだ、アレは。」
    「オオタカの一件の時に、蒙古と組んでた連中がいただろ。」
    丶蔵は実際に見ていないので、噂でしか知らないが、ある一派が蒙古に与していたとは聞いている。襲撃者達はその一派の者だったらしい。ふかの話を聞いて、丶蔵は首をひねる。
    「それがなんで仁を狙うんだ?」
    「蒙古と組んでいた主力連中を潰すのに、仁が噛んでいたようだね。」
    「仁ならやるなあ。」
    「やるだろ。」
    納得した、と肯いた丶蔵に、ふかも肯き返した。まったく、恨みを買いやすい男だ。買った恨みをそのまま、というかそれ以上にして返すのも境井仁という男なのだが。集落に戻ってきた時に見かけた、襲撃者達のありさまを思い出す。仁は骨のひとつやふたつと言っていたが、それで済んでいるようには見えなかった。
    「まあ、あの連中もあれだけやられれば、さすがに懲りるだろ。」
    丶蔵は、やりすぎだよなあ、と苦笑を浮かべた。
    「しばらくは武器も持てないだろうからね。あとは、仕返しなんて考えられないくらいうちでこき使ってやろうかな。」
    ふかが襲撃者達への対処を口にした。狙われたのは丶蔵と仁なので、何か意見があれば汲む、ということなのだろう。丶蔵は少しの間考え込み、肯いた。
    「いいんじゃねえか。身内の復讐というよりは、食いはぐれた末の八つ当たりに見えたからな。お前の監視下で仕事を覚えさせて食っていく方法を覚えさせてやれば多少はまともになるだろ。」
    丶蔵の言葉に、ふかは、そういうんじゃないよ、と苦い顔をした。図星だったのだろう。海賊の頭らしく、悪ぶっているが、根は情け深いやつなのだ。
    「それにしても、何でも首をつっこむものなのかね、侍ってのは。」
    「あいつの性分なんだろ。だから侍のくせにって言われながらも慕う奴が多いんだ。」
    「そうかもね。でも、恨みも買ってちゃ世話無いよ。」
    「売られた喧嘩は言い値で買うのもあいつの性分だからな。巻き込まれるこっちのことも考えろってんだ。」
    溜息を吐いてぼやく丶蔵に、ふかが悪戯めいた笑みを向けた。
    「あんたを捕まえて仁を釣り出そうなんて企てる連中がいるくらいだもんな。」
    今度は丶蔵が苦い顔をする番だった。丶蔵の顔を見たふかが、愉快そうに笑う。
    「何しろ懇ろな間柄なんだろ。」
    「お前までそれを言うか。」
    丶蔵は更に苦い顔をする。仁のことは最初に拾った縁で親しくしているだけであって、勘繰られるような関係ではないとふかには散々言っているのに、折をみてはこうして揶揄ってくるのだからタチが悪い。
    「いろんな連中が噂しているもんだからつい揶揄いたくなるのさ。捕まえた連中も言っていたしね。」
    悪びれる様子もなくふかが言う。丶蔵は苦い顔のまま丶蔵は深々と溜息を吐いた。
    「卯月の朔日も過ぎたってのになんであんな噂を信じるかね。」
    「それは多分、あたしのせいかもね。」
    ふかは少しばかり気にしているような素振りで肩をすくめる。
    「何言ったんだお前。」
    ふかの言葉に丶蔵は半眼を向ける。噂の出どころがこんな身近だったとは。
    「昨日仁の奴が来てるって聞いたからね、あのお侍は卯月の朔日の遊びなんて知らんだろうから、あんまり揶揄ってやるなよって、釘を刺しただけさ。」
    「釘を刺してどうしてああなるんだよ。」
    嘘が許される日は過ぎたというのに、懇ろだの情夫だのと根も葉もないことを言われるのはどう考えてもおかしい。
    「おかしいねえ、あんたと仁のことはそっとしておいてやれって言っておいたんだけどな。デキてるわけじゃないんだからってね。」
    「それか。」
    白々しく言うふかに、丶蔵は呻いた。ふかが言ったのは事実だが、言われた皆はそれを嘘と思い込んだに違いない。そのせいで、仁と丶蔵は好い仲である、という誤解が事実として広まってしまったのだろう。
    「どいつもこいつも嘘を吐く日に正直になるんじゃねえよ。紛らわしい。」
    「その口ぶりだと、他にも正直になったやつがいたみたいだね?」
    興味津々、といった様子でふかが訊ねた。おそらく察しはついているのだろう。下手に誤魔化すとまた尾ひれをつけた噂にされかねない。丶蔵は観念して素直に白状することにした。
    「仁だよ。」
    「へえ、想いを告げられたりしたのかい?」
    「ふか、お前面白がってるだろ。」
    「まあね。他人の色恋沙汰なんてちょうど良い娯楽さ。」
    無責任に言うふかを軽く睨み、丶蔵は溜息を吐く。全部を話す気はないが、ここで止めると勝手に恋仲という噂を流されそうだ。
    「勝手に色恋沙汰にすんな。あいつとは、ただの友だ。」
    「友ってのは認めるんだね、ようやく。」
    ようやく、というのは確かにそうだ。オオタカの一件が落着した後も、丶蔵は仁を友と言うのは避けていた。仁から許されたとしても、長きにわたって彼を苦しめたことには変わりない。仁が丶蔵に親しく接してくるにつれて、その負い目を直視せざるを得なくなった。だから、丶蔵から仁に対して、友と言うことなどできなかった。だけど。
    「そりゃあんな面と向かって言われたらなあ。」
    仁に言われたことを思い出し、丶蔵は淡く笑って呟いた。それを聞き留めたふかが丶蔵の顔をのぞきこむ。
    「へえ、面と向かって、ねえ。詳しく聞きたいもんだ。」
    「絶対言わねえ。」
    あんな気恥ずかしいこと、ふかが相手でも言えるものか。きっぱりとした態度を見せた丶蔵に、ふかが肩をすくめる。
    「あんたがそう言うんじゃ聞けそうにないね。まあ、よかったじゃないか、嘘から出たまことってやつで。」
    「それは何か違わねえか?」
    丶蔵は首を傾げた。ふかは何か含みを持たせた笑みを浮かべていた。それについて聞こうと口を開きかけた時だった。外から丶蔵を呼ぶ声がした。仁の声だ。
    「ほら、友が呼びに来たよ。さっさと行きな。」
    「いや、顔出せって言ったのお前だろ。」
    「資材の件の礼と、襲撃者の件で用事は済んだ。行っていいよ。」
    そう言って、ふかは追い払うように手を払った。そういうことなら、と丶蔵は立ち上がる。
    「仕事を頼まれたいならいつでも顔を出しなって仁に言っておきな。」
    「やなこった。」
    丶蔵はそう言って笑い、ふかの部屋を後にする。
    「あたしの言ったことが嘘になる日も、遠くはないかもね。」
    丶蔵が部屋を出る寸前に、ふかは一人呟いた。その呟きは、丶蔵の耳には届かなかった。


    「森であれだけ暴れて、そのうえ刀競べで十人抜き?元気にもほどがあるだろ。」
    「そのおかげで今夜の酒が手に入ったのだから良いだろう。」
    呆れて言った丶蔵に、仁は澄ました顔で応じた。昨夜あれだけ飲んで、今夜も飲む気らしい。やはり元気が有り余っている。むしろ昨日よりもはしゃいでいるように見える。じっと見つめる丶蔵に、仁が首を傾げた。
    「どうした?」
    「すっきりした顔しやがって。」
    「ふふ、言いたいことは言ったからな。」
    仁が涼し気な顔で笑う。あれだけ思いの丈をぶちまけたのだから、それはさぞすっきりしたことだろう。一方的に言われっぱなしというのも性に合わない。
    「あーあ、いっそ俺も洗いざらいぶちまけてやろうかな。」
    「言いたいのならば、いつでも聞くぞ。」
    余裕ぶった顔が腹立たしい。丶蔵はその顔をしばらく睨み、深く息を吐いた。
    「やめた。」
    「なんだ、つまらん。」
    「来年の卯月の朔日だ。」
    丶蔵の告げた日付に、仁がきょとんとした顔をした。それを見て、丶蔵は笑い、更に続けた。
    「その時に、全部ぶちまけてやる。だから、覚悟しとけ。」
    「それは楽しみだ。」
    そう言って、仁は朗らかに笑った。

    七宝明 Link Message Mute
    2022/06/30 19:30:09

    うづきのまこと

    エイプリルフール的な習わしがある壹岐の話。壹岐之譚落着後の話。サンプルからお越しの方は2ページ目にお進みください。
    #ゴーストオブツシマ #境井仁 #丶蔵

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