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    しおり
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    しおり
    氷刃
    ――どうしたものか。
    ハンゾウは自分を取り囲む男達を眺めつつ考えていた。現代の生活にはだいぶ慣れたつもりだったが、まさかこんな事態に陥るとは。
    ハンゾウよりも一回り以上も大きな男達が、何やら早口でまくし立てている。この国の言葉にも少しは馴染んではきたが、こう早口では何を言っているのかさっぱりわからない。ゆっくりと話してくれれば話し合いで解決できるだろう。しかし、男達はゆっくり話してほしい、というハンゾウの丁寧な頼みに何故か激昂し、更に早口になってしまった。
    お手上げだ、とハンゾウは溜息を吐いた。

    ハンゾウが町歩きに出るのはそう珍しいことではない。今日は日用品の買い出しをアリソンに頼まれて出てきたところだった。街の賑わう界隈からだいぶ離れているコール達の家から、徒歩で買い出しに出かけるのはハンゾウにとってちょうどいい鍛練だった。人外めいた身ではあるが、鍛練を怠れば腕は錆びる。ライデンに請われて寺院へ他の者達との訓練に赴くこともあるが、そう頻繁ではないし、全力を出せるわけでもない。日常的にできるある程度の負荷がある鍛練としては、この街歩きが程よいものだった。
    普段ならば、なんの問題も起きない、散歩のようなものだ。ハンゾウ自身は目立つことを好まないし、現世で生きた頃に培った人混みに溶け込む技は今も身に染みついている。ハンゾウはいつものように、動きやすい洋装を身に纏い、陽射し避けのフードを目深にかぶって街を歩いていた。特に人目を引くような動きはしていない。暴漢の類に目をつけられるようなことはないはずだった。だが、今日は違っていた。
    きっかけは些細なことだったのだろう。ハンゾウにはまったく身に覚えがないのだが、賑わう通りを抜けて、日用品店へ向かう途中で、突然道を阻まれたのだ。気付かないうちに、何か無礼な真似をしてしまったのかもしれない。まだこの国の文化に馴染み切っていないハンゾウは、自身が何かをしてしまったのだと考えた。そして、大通りで数名の男に道を阻まれているというのは非常に目立つ。人目をひく、という状況はハンゾウにとって好ましいものではなかった。今は隠密仕事をしているわけではないのだから、気にすることもないと頭では理解しているが、長年染みついた習性のようなもので、とにかく落ち着かないのだ。そういう要因が合わさって、男達に誘われるままに人気のない路地裏に入り込んでしまったのが良くなかった。思い返してみれば、最近はアジア系に嫌がらせをするやつが増えているから気を付けて、と先日コールに言われたばかりだ。まさか自分が標的にされるとは想像もしなかった。
    今の状況は、完全に自らの失策が重なったことが原因だった。ハンゾウはそう結論付け、再びあたりを見回した。反省は後でするとして、今はこの状況をうまく切り抜けなくてはいけない。ハンゾウを取り囲んでいるのは、大柄な男が五人。コールよりはやや小さいくらいで、一見して鍛えているように見えるのは二人程度だ。あとはひょろりとしていたり、やや胴回りに肉付きがよかったりで、組み合ってもそれほど脅威はないだろう。だが、この国の者は小型の火器を携行していることもある。体格だけで危険性を判断はできないことを、ハンゾウは既に学んでいた。武器の携行を考慮に入れつつ、対処方法を考える。
    対話による解決は、とっくに諦めていた。考えられる選択肢は二つ。逃走か、制圧だ。ハンゾウは路地の壁に目を向けた。指先をひっかけられるだけの凹凸があれば、上ることは可能だが、見たところハンゾウの手が届く範囲では平坦だ。道は前後が塞がれているし、今の状態では逃走は不可と判断する。
    残る選択肢は、制圧しかない。街歩きに出る時のハンゾウは武器を携行していない。刃物の類の携行は、街の見回りの者達に捕縛される危険があるとコールから言い聞かされており、ハンゾウはそれに素直に従っていた。丸腰でも、この人数なら対処は可能だろう。方針が決まれば、あとは動くだけだ。
    ハンゾウは男達に目を向け、口を開く。
    「儂は、買い物に来ただけだ。お主等に邪魔だてされる謂れはない。これ以上阻むというのならば、力尽くで押し通る。」
    ゆっくりと故郷の言葉で告げた。どうせこいつらに聞く気はない。ならば、自分が言いたいことを言うだけだ。男達は小柄で華奢な体つきの東洋人が何か言っている、程度の認識だろう。嘲るような笑い声を男達が上げる。ハンゾウは小さく溜息を吐き、被っていたフードを脱いだ。男達を無表情に見上げる。皆コールよりも幾分か年下に見えた。まったく、良い年の男が揃いも揃って昼日中から老いぼれいじめとは嘆かわしい。
    ハンゾウは身を翻し、背後に立つ肉付きのいい男へ狙いを定めた。まずは、武器を携行していそうな者からだ。一足飛びに距離を詰め、鳩尾に掌打を叩きこむ。鍛えていない柔らかな脂肪の感触が伝わった。男の体が後方へ吹き飛ぶ。かなり手加減したので、死にはしないだろう。振り向きざまに隣に立っていた細身の男の胴を蹴り飛ばす。男の体が路地の壁に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちた。残るは三人、反対側の壁際に立つ中肉の男と、ハンゾウの進行方向を阻む筋肉質の男二人だ。中肉の男が自らの腰に手を伸ばす。武器を出されては厄介だ。次の狙いを定めたハンゾウに向かって、筋肉質の男が突進してきた。ハンゾウは壁を蹴って跳び上がり、それを躱す。その隙に、中肉の男がポケットから何かを取り出したのが見えた。取り出した物が刃物や火気の類ではない。直接の危険がないなら後回しだ。ハンゾウは着地と同時に地面を強く蹴って前進する。進行方向を塞いでいる男が、接近してきたハンゾウに向かって身構える。ある程度の戦闘経験はあるらしい。男が拳を繰り出す。半身を退いて一撃目を躱す。続いた二撃目をいなしつつ踏み込み、男の懐に入り込んで服の襟元を掴む。そして、柔術の要領で男の体を投げ飛ばす。男は地面に叩きつけられ、呻き声を上げた。少しの間動かないでいてくれれば十分だ。ハンゾウは残りの二人に視線を向ける。中肉の男が手に持った何かを強く押し込んだ。それと同時に、けたたましい音が鳴り響いた。不快な音ではあるが、動きを阻害するほどではない。武器でないならば対処は後で良い。ハンゾウは自分に向かってきているもう一人の男に意識を集中した。男は素早くハンゾウとの距離を詰め、蹴りを放った。片手で防御しつつそれを受け止める。男が無理矢理足を振り抜いた。ハンゾウは相手の蹴りの勢いを利用しつつ横に跳び、男の側面に回り込む。体勢を整えた男がすぐにハンゾウに向き直った。筋肉質な見た目の通り、膂力はあるようだ。ハンゾウの間合いの外から仕掛けてくるだけの知恵もある。多少はやるようだ。暇があればもう少し遊んでやるのもいいが、ハンゾウには用事がある。さっさと終わらせなければ。ハンゾウは鋭く息を吐くと、強く踏み込んだ。男がハンゾウを迎え撃とうと足を振りかぶる。ハンゾウは深く身を沈め、男の蹴りをかいくぐって足払いを仕掛けた。男の体勢が崩れる。よろめいた男の顎を狙い、拳を振り抜く。男の体が後ろに傾いだ。あと一人、と振り返った時には、鳴り物を響かせていた中肉の男の姿は消えていた。
    「仲間を見捨てて逃げるとは。嘆かわしい。」
    ハンゾウは服を払い、小さく溜息を吐いた。とりあえず、目の前の問題は対処できた。今日の街歩きは早めに切り上げた方がいいだろう。早く買い物を済ませて家に帰ろう、そう決めて、ハンゾウは足早に路地を後にした。

    そして、帰り道である。ハンゾウは再び厄介な事態に陥っていた。取り逃がした男が、他の仲間に連絡をしていたようで、先ほどよりもかなり多くの仲間を引き連れて、ハンゾウを追いかけ回していた。あの鳴り物が合図だったのだろう。鳴らされる前に対処しておくべきだった。完全に判断を誤った。今日の自分は少し失敗が多いなと自省しつつ、ハンゾウは人気のない通りを走っていた。取り囲まれなければ戦闘を回避することは容易いが、自分を狙っている者が多すぎる。このまま家に戻ればコール達に迷惑をかけてしまう。完全に撒くか、全滅させるかしないと家には帰れそうにない。対処方針を決めない事には動きようがない。ハンゾウは周囲に追っ手の姿がないことを確認すると、近くの建物の非常階段とむき出しになった配管を伝って、屋上へこっそりと入り込んだ。屋上から通りを見渡すと、敵の姿がよく見えた。暗い時間になれば撒くことも可能だが、あまり遅くなるとコール達が心配する。できれば日暮れ前には対処を終えて帰宅しておきたいところだ。買い物ついでに身を守る道具になりそうなものも一緒に購入しておけばよかったと後悔するが今更遅い。身一つで対処するしかないのだ。ハンゾウが追っ手達の様子を観察していると、一部の群れに動きが見えた。どうやら、ハンゾウ以外の者でも構わず因縁をつけているらしい。あの連中をここに集めてしまったのはハンゾウだ。自分以外の者が巻き込まれるのは本意ではない。十人近くのならず者に取り囲まれた人物がいる場所に向かって、ハンゾウは建物の屋上伝いに移動を始めた。
    現場に辿り着いた頃、ハンゾウはそこに立つ人物に目を留めて、眉を顰めた。暗色の洋装に身を包んだ、長身の男。ハンゾウにとっては、非常に馴染のある顔の男だ。ならず者連中に取り囲まれていたのは、ビ・ハンだった。あの男がこの街に住み着いているのは知っているし、たまに顔を合わせることもある。だから、彼が存在している、という点では特に何も思わない。しかし、ハンゾウを狙うならず者に、彼が取り囲まれている、という状況はハンゾウの想像の埒外だ。あれと和解したわけではないが、立場上敵対しているわけでもない。今の関係は、いけ好かない顔見知り、といったところだろう。あれに任せて逃げてしまおうか、という考えがハンゾウの頭をよぎる。ビ・ハンならばあの人数の対処も難しくはないはずだ。彼には冷気を操る能力がある。だが、たとえならず者といえど、死人が出るのは困る。あの男が敵対する者を相手に加減をするか不安があった。ハンゾウは溜息を吐くと、様子をうかがっていた屋上から飛び降り、ビ・ハンの隣に降り立った。
    「ハンゾウか。」
    「……助太刀してやる。」
    「奴ら、お前を探しているようなことを言っていたが?」
    ビ・ハンの指摘にハンゾウは黙り込む。取り囲んだ連中も、ハンゾウの姿をみて、あいつだ、などと声を上げている。その声を聞いて、ビ・ハンが言った。
    「助太刀してやろう。」
    「うるさい。」
    二人は背中合わせに立ち、取り囲む男達に鋭い目を向けた。

    「武器は?」
    「ない。」
    「お前ともあろうものが暗器の一つも持たずに?」
    不用心な、と背後のビ・ハンが呆れた声音で言った。ハンゾウはむすりと黙り込んで自分達を取り囲んでいる連中に目を向ける。人数が多い上に、火気や刃物を持った者もいる。丸腰では少し骨が折れそうだ。そして、気にするべき点がもう一つ。
    「誓約は覚えておろうな?」
    ハンゾウは背後の男に向けて問う。
    「俺がお前との約定を違えるとでも?」
    男は笑い声とともに応じた。四百年、律儀に自分のことを覚えていたような男だ、愚問だったか、とハンゾウは小さく息を吐く。
    あの戦いの後しばらくして、ビ・ハンはどういうわけか人間界に舞い戻ってきた。その際に、ハンゾウ達とひと悶着あったのだが、いくつかの約定の元、今は休戦状態になっている。その約定の一つが、人間界の一般人に対する殺生の禁止だった。
    四百年以上殺しを生業にしてきたような男だが、約定は守る、と断言しているのならば信じるだけだ。
    「だが、お前が危険な目に陥るようなら少し忘れるかもしれん。」
    「人に責任をなすりつけるな。」
    不安になる発言は聞かなかったことにして、ハンゾウは足を踏み出した。同時にビ・ハンも動き出す。
    火器を持つ男達が、一斉に引き金に指をかけた。現代の火器は、ハンゾウが現世にいた頃とは比べ物にならないくらい高性能だ。だが、扱う者は今も昔も変わらない。ただの人間だ。それならば恐れるに足らない。ハンゾウは銃口の向きを見極め、引き金が引かれる瞬間に、高く跳躍した。弾丸が虚しく空を裂く。銃口に捉えられるよりも早く、ハンゾウは敵の目の前に降り立っていた。それと同時に一番近くの敵の手首を掴み、そのまま背後に回り込む。腕を無理な方向へひねられた敵が悲鳴を上げる。ならず者達も、味方ごと撃つような真似はしないらしく、ハンゾウを狙っていた銃口が下げられた。だが、敵を抱えたままでは戦えない。ハンゾウは捕らえた男を素早く絞め落とし、地面に転がした。対面では、ビ・ハンが冷気を駆使して火器を砕いている姿が見えた。随分派手にやっているな、と思いつつ、近付いてくる足音に目を向ける。小刀を構えた男が突進してきていた。ハンゾウは半身を退いて最低限の動きで小刀を躱しつつ、膝を跳ね上げる。がら空きの胴に膝蹴りを叩きこまれ、男の体が倒れる。ハンゾウは男の手から小刀を抜き取り、すぐさまそれを投擲した。投擲された小刀は、ハンゾウに銃口を向けようとしていた男の顔を掠めて男のすぐ後ろの壁に深々と突き刺さった。動揺した男に向かって、ハンゾウは駆けだす。
    その時、背後から銃声が響いた。ハンゾウは反射的に横に跳び、体を反転させつつ身構えた。負傷はない。遠くで、ビ・ハンがハンゾウに顔を向けていた。
    「ハンゾウ!」
    「大事ない!」
    ハンゾウの返答に、ビ・ハンは小さく肯いて再び敵へ向かっていた。あちらは既に五人以上倒れている。こちらも急がなくては。ハンゾウは先程まで狙っていた男に目を向ける。銃口がしっかりとハンゾウを捉えていた。引き金が引かれる。ハンゾウは咄嗟に横へ跳んだ。立て続けに銃声が響く。射線を読んでいる余裕はない。勘を頼りに走り抜ける。どうにか無傷で距離を詰めきった。ハンゾウは左手を跳ね上げ、男の手首に己の拳を叩きこむ。握られていた銃が弾き飛ばされ、宙高く舞い上がる。そのまま低い姿勢で突進し、右肘を男の脇腹へ突き立てる。続けざまに蹴りを放ち、男の体を突き飛ばした。地面に転がった男は痙攣したまま起き上がる気配はない。ハンゾウは落ちてきた銃を反射的に空中で掴み、右手に握りこんだ。現代の火器については知識がないので使えないが、鈍器代わりにはなるだろう。
    ハンゾウが一息つくと同時に、冷気を感じた。次の瞬間には、ハンゾウの体は後方へ強く引かれていた。フードを引っ張られたことに気付いた直後、銃声が響いた。弾丸がハンゾウの髪を掠める。ビ・ハンの姿が視界に入った。後方に引かれる感覚がなくなった。ハンゾウは腰を落として膝を曲げ、体勢を立て直す。
    「礼には及ばん。」
    屈んだ姿勢のハンゾウに、ビ・ハンが声を落とす。ハンゾウは立ち上がると振り向きざまにビ・ハンの顔へ向けて手にしていた銃を投げつけた。ビ・ハンが首を傾けてそれを避けると、彼の背後に迫っていた敵の頭に命中した。
    「抜かせ。」
    ハンゾウが返した言葉に、ビ・ハンが笑みを浮かべる。再び銃声が響いた。ビ・ハンが片手を上げる。周囲の空気が一気に凍てつき、空中に生成させた氷塊が銃撃を防いだ。
    「遠距離狙撃か。」
    ビ・ハンが退屈そうに呟いた。先程から何度か誰もいない場所から弾が飛んでくるとは思っていたが、そういうことか。この場にいる敵だけでなく、姿の見えない位置から攻撃してくる敵がいるとは厄介だ。数人倒したが、まだ半数程度が残っている。
    「随分と手古摺っているようだな、ハンゾウ?」
    腕が落ちたか、などと言われ、少しカチンとくる。
    「貴様のように軽々しく使える異能は持っておらんのでな。」
    ハンゾウが操る冥界の炎は全てを焼き尽くす。ならず者といえど、一般人相手に使っていい代物ではない。何より、使用後の反動が大きすぎる。体術は得意分野だが、相手を殺さないように加減しつつ大人数を相手にするのはさすがに骨が折れる。
    「せめて得物があればな。」
    愛刀とまでは言わないが、せめて苦無の一つでもあればもう少し楽になるのだが。つい零した本音を、ビ・ハンが耳聡く聞きつけた。
    「刀で良いか。」
    「貴様も素手だろうが。」
    ビ・ハンはにやりと笑い、虚空を撫でるような動作をした。ビ・ハンの手で氷の刃が生成される。普段この男が使う形の刃ではなく、ハンゾウに馴染のある形の刃だった。ビ・ハンは完成した刃を軽く振って地面に突き立てた。
    「必要なら使え。刃は潰してある。」
    そう言って、ビ・ハンは再び動きだした。ハンゾウは彼の生み出した刃に目を向けた。あの男に借りを作るのは不本意だ。しかし、このまま戦闘がだらだら長引くのも困る。ハンゾウは一瞬だけ迷って、氷の刀の柄を握った。妙に手に馴染む握り心地と重さだ。軽く振って、愛刀と寸分違わない感触に気付く。馴染み過ぎてやや気色悪いくらいだ。
    「形と重さはともかく、握りまで合わせてくるのはいくらなんでも気色悪いな……。」
    ハンゾウの呟きが耳に届いたのか、ビ・ハンが敵の相手をしながら言葉を返してきた。
    「お前の手の癖くらい把握しているに決まっている。」
    「気色悪い。」
    ハンゾウの返事に、ビ・ハンは笑い声を上げていた。相対している連中も気色悪いと思っているだろうな、と呆れつつ、ハンゾウは氷刀を握りこんだ。色々と思うところはあるが、使える物は使うだけだ。刃を提げ、ハンゾウは敵に向かって駆けだした。

    手にした氷刀を振り抜く。相対する男が手にした金属製の棒を跳ね飛ばし、返す刀で男の胴に一閃を叩きこむ。刃のない氷刀なので斬り殺す心配はない。男が倒れるのを目の端に捉えつつ、ハンゾウは駆ける。
    ビ・ハンの寄越した氷刀は今の状況に最適な武器だった。大柄な敵が続いていたため、素手では相手の攻撃をかいくぐって懐に飛び込む必要があったが、氷刀のおかげで対応可能な間合いが広がった。刀の間合いならば、雑兵が束になろうと負けることはない。ビ・ハンが刃を潰して作ったなまくら刀のおかげで、うっかり斬り殺す心配もない。愛刀ならば先程斬り結んだ金属の棒も切断していたかもしれないが、この氷刀は弾くだけで済み、あの程度の打撃で壊れることもない。ビ・ハンが作る氷の刃は、ハンゾウの愛刀と斬り結んでも破損しない。今ハンゾウが手にしている氷刀も同程度の強度があるのだろう。残る敵を制圧するには十分すぎる武器だ。
    ハンゾウは自身に向けられた銃口に気付いた。引き金に指がかけられているが、構わず敵との距離を詰める。銃声が響くと同時に刀を振るい、弾丸をはじく。男は外したわけがないと言いたげな困惑の表情で再び引き金を引こうとした。それよりも、ハンゾウの刀が届くのが速かった。刀を跳ね上げ、銃を握った男の手が天を向いた。ハンゾウは刀を旋回させつつ、がら空きの男の腹めがけて鋭い蹴りを放つ。男は反吐を吐き散らしながら地面に転がった。ハンゾウは身を翻し、視線を巡らせた。ビ・ハンに投げ飛ばされた敵が建物の壁に叩きつけられ、地面に落ちるのが見えた。ビ・ハンはすぐさま手近な敵に向き直って動き出す。その、ビ・ハンの位置よりもさらに向こうで銃を構える男の姿が見えた。そして、男の後ろからは数人の群れが続いている。ハンゾウは自分の近くに敵がいないことを確認して、ビ・ハンの方へ疾走する。
    「ビ・ハン、伏せろ!」
    ハンゾウの鋭い叫びに、ビ・ハンは眼前の敵の攻撃を避けつつ上体を倒して腰を落とした。ハンゾウは地面を蹴って、身を屈めたビ・ハンの背に乗り、そこから更に跳躍する。空中で氷刀を振り上げ、ビ・ハンに銃を向けていた男の肩めがけて体重を乗せた一撃を放つ。刃があれば男の体は両断されていただろうが、手にした氷刀ならば肉を断つことはない。鈍い音とともに、男が苦痛の叫びを上げる。良くて骨折というところか。ハンゾウは男の肩を支点に氷刀を振り抜く。男の体は前方に押されて倒れる。ハンゾウはその反動を利用して、空中で体を回転させ、倒れた男の背後に低い姿勢で着地する。後ろに控えていた三人の男が、ハンゾウの姿を見て身構える。ハンゾウは低い姿勢のまま、横薙ぎの一閃を放つ。氷刀で脛を強打された男達が痛みに呻いて膝をつく。ハンゾウは立ち上がりつつ返す刀を水平に薙ぎ払う。ハンゾウの一撃は三人の胴にまとめて叩き込まれた。男達は一声も上げず、三人同時に地面へ崩れ落ちた。氷刀を軽く払い、ハンゾウは振り返る。ビ・ハンが対峙していた敵を絞め落とし、地面に転がしているのが見えた。
    あれが最後の敵らしい。この場に立っているのは、ハンゾウとビ・ハンだけになっていた。
    最初にビ・ハンとともに対峙した敵を掃討した後も、第二波、第三波と複数回増援が続いていたが、これ以上はなさそうだ。だが、何かを忘れている気がする。周囲を見渡していたハンゾウの視界に、わずかだが不自然な光が映りこんだ。その光に強烈な悪寒を覚え、反射的に横に跳ねる。ほぼ同時に落雷のような轟音が響いた。直前までハンゾウが立っていた位置に、弾丸が撃ちこまれていた。遠距離狙撃をしてくる敵のことを失念していた。今まで乱戦状態が続いていたために手を出してこなかったのだろう。遮蔽物に身を隠しつつ移動し、ハンゾウはビ・ハンに合流した。
    「まだ残っていたな。」
    ビ・ハンは狙撃手のいる方向へ顔を向ける。
    「貴様の力でどうにかならんのか。」
    「射程外だ。」
    「肝心なところで役に立たん異能だな。」
    「人のことを言えるのか、ハンゾウ。」
    ビ・ハンは意地の悪い笑みを浮かべる。中近距離が専門というのは同類か。ハンゾウは小さく息を吐き、頭を振る。ここで詰りあっていても仕方がない。どうするか手を考えなくては。
    「狙撃手までいるとはどういう連中なんだこれは。」
    「儂が知るか。」
    突然絡まれただけの被害者だ。正当防衛だというのにここまで執拗に狙われるとはついていない。とにかく、ここまで来たら完膚なきまで叩き潰すのみだ。
    「あの狙撃手はお前に執心のようだな。」
    「気のせいじゃないか?」
    「いいや、俺は一度も狙撃されていない。お前だけだ。」
    ビ・ハンが断言する。この男が言うのならばそうなのだろう。ハンゾウは少し考え込む。
    「儂しか狙わぬ、というのならば、囮になるか。」
    自分がこの場で狙撃手の気を引いている間に、ビ・ハンが接近して狙撃手を倒す。妥当な案だろう。ハンゾウの提案に、ビ・ハンが不機嫌そうに顔を顰めた。
    「他に案があれば乗っても良いが?」
    「………ない。」
    「ならば、これしかなかろう。」
    貴様の戦闘の腕だけは信用しているつもりだが、と言ったハンゾウに、ビ・ハンは更に苦い表情を作る。そして、渋々と口を開いた。
    「……お前の策でいく。」
    ハンゾウが不敵な笑みを作ると、ビ・ハンは深々と溜息を吐いた。
    「お前がその顔をしている時は良い予感がしない。」
    「貴様が囮をするわけではない。心配することはなかろうよ。」
    ハンゾウは軽く笑い、近くに落ちていた敵の防具を拾い上げる。頭にかぶる、へるめっとというやつだったか、などと考えながらハンゾウは手にした防具を軽く叩く。自分でかぶって使うには少し邪魔臭い。ハンゾウはこれをどう使うか決め、行動を開始すべく身構える。
    「敵の位置は把握しているな。」
    「当然だ。」
    「なら、任せた。」
    ハンゾウは手にしたヘルメットを振りかぶり、敵の射撃範囲へと投擲した。ヘルメットが遮蔽物から飛び出した直後に銃声が響く。ハンゾウは銃声が響くと同時に、ヘルメットを投げた方向と逆へ走り、遮蔽物のない場所へ躍り出た。その数秒後に再び銃声。ハンゾウが通り過ぎた地面を弾丸が抉る。身を晒したままハンゾウは駆ける。敵はハンゾウの動きに慣れてきたのか、少しずつ弾丸が近くに撃ちこまれるようになっていた。弾丸が飛んでくる方向へ目を向けると、少し離れた建物の屋上から銃を向ける人影が見えた。この距離なら安全だとでも思っているのだろう。ハンゾウが接近するような素振りを見せればあの敵は逃げるに違いない。ビ・ハンが対処するまでこのまま距離を保って回避を続ける必要がある。ハンゾウは時折立ち止まって相手の銃撃を誘い、囮役に徹する。
    数回目の銃声が響いた。ハンゾウは横方向へ回避する、弾丸が動きに遅れた髪を掠め、千切れた毛が宙を舞う。敵の狙撃精度が上がってきた。このまま続ければ、銃撃をまともに受ける羽目になりそうだ。ハンゾウは敵のいる屋上へ目を向けた。狙撃手の他に、もう一つ大きな影。狙撃手はそれに気付いていない。囮役はこれで十分だろう。ハンゾウは足を止めて深く息を吐く。日が傾き始めた街に、恐怖に満ちた悲鳴が響いていた。

    「派手にやったな。」
    ハンゾウは狙撃手が陣取っていた建物の屋上へ立ち、その有様に呆れた声を上げた。床に転がった狙撃手は、かろうじて生きているようだが、ビ・ハンに相当手酷く叩きのめされたらしい。傍らには銃身がへし折られた長銃が転がっている。
    「お前を狙うには五百年早いと思い知らせてやっただけだ。」
    「貴様は相変わらずよくわからんことを言う。」
    共通の原語を使っていても言っていることがよくわからない男だ。ハンゾウは深くは追及せず、倒れている狙撃手の顔をのぞきこんだ。単純に手酷く殴られただけらしい。これなら放っておいても問題はなさそうだ。
    「ああ、最初に取り逃がした男だったのか。」
    買い物の前に絡んできた中肉の男だ。ハンゾウばかりを狙っていたのも納得だ。だが、これだけの反撃をしておけば、しばらく手を出してくることもないだろう。この件についてはこれで落着だ。問題はもう一つ。
    「ハンゾウ。」
    名を呼ばれ、ハンゾウはビ・ハンに目を向けた。普段は厳冬の氷のような双眸が、妙に生暖かい。
    「何か俺に言うべきことは?」
    ビ・ハンは意地の悪い笑みを浮かべている。ハンゾウは渋面を作り、口を開く。
    「借りは返す。」
    この男に借りを作ったのは痛恨の極みだ。ハンゾウの言葉に、ビ・ハンは首を傾げる。
    「他には?」
    「他?」
    まだ何か要求する気なのか。怪訝な表情を浮かべたハンゾウに、ビ・ハンが溜息を吐く。
    「助けてもらっても礼すらないのか。」
    ハンゾウはぎり、と奥歯を鳴らした。確かに、礼は言うべきだ、言うべきなのだが。ハンゾウは長い逡巡の末、口を開く。
    「……恩に着る。」
    故郷の言葉でどうにか絞り出すと、ビ・ハンは満足そうな笑みを浮かべ、ハンゾウの知らない言葉で何か言った。おそらく、ビ・ハンの故郷の言葉だろう。
    なんだかどっと疲れが出た。肉体的には問題ないが、精神的な疲労だ。この男が絡むと妙に疲れる。ハンゾウは深い溜息を吐いた。
    「ハンゾウよ、その氷刀だが、素手で長時間持っていると手が凍るぞ。」
    「それを早く言え。」
    ハンゾウは即座に冥界の炎を右手に宿す。手にしていた氷刀は跡形もなく姿を消した。ビ・ハンはそれを何故か残念そうに見つめていた。
    遠くからサイレンを鳴らした車が近付いてくる音が聞こえた。あれだけ銃声が響いていたのだから当然だろう。厄介事に巻き込まれる前にこの場を離れた方が良さそうだ。
    「儂は行く。貴様も面倒事が嫌なら早く消えた方がいい。」
    不本意ではあるが、世話になった相手に声をかける。ビ・ハンはそうだな、と肯いてハンゾウに背を向けて去っていった。ハンゾウはその背を見送ってから、ゆっくりと歩き出した。

    数日後、ハンゾウはコールと共に街を歩いていた。何着か服を新調した帰り道である。ハンゾウ自身は服装にそれほど頓着する方ではないのだが、コールに古着ばかり着せるのは申し訳ないと言われたため、新しく購入することにしたのだ。数着選ぶだけなのに、何故か店中の店員がやってきてあれやこれやと言ってきたので随分と時間がかかってしまった。
    「当世は服選びも大変なのだな……。」
    「いや、今回がイレギュラーなだけだから、多分。」
    気疲れしてぐったりと呟くハンゾウに、コールが苦笑を浮かべて言った。次はもっと楽だと良いのだが、などと言いつつ歩いていると、なんとなく見覚えのある男達の姿が目に入った。ハンゾウはさりげなくコールの後ろに隠れつつ、彼の服を少し引っ張る。
    「コール、少し道を変えよう。」
    「いいけど、何かあった?」
    「……まあ…」
    先日の乱闘騒ぎの事はコール達には隠してある。また因縁をつけられたりしては厄介だ。もう少し人通りの多い道へ出るために路地に入ろうとした時だった、見覚えのある男達と、ハンゾウの目が合った。男達がああっ!と大きな声を上げた。コールが足を止めて振り返った。やり過ごせそうにない。ハンゾウも渋々足を止める。
    男達はハンゾウの前に立つと、突然膝をついた。
    「先日は大変なご無礼を…!!」
    「???」
    予想外の展開に、ハンゾウは瞬きをした。コールも不思議そうに首を傾げている。
    「ジャパニーズ・トラディショナル・マフィアのビッグ・ボスだとは知りもせず…!」
    「じゃぱにーずとらでぃしょなるまふぃあ、とは。」
    呆気にとられるハンゾウとコールに、男達はひとしきりぺこぺこと頭を下げて早口で何かを捲し立てるだけ捲し立て、そのまま去っていった。
    「なんなんだったんですかね、アレ。」
    「儂にもわからん……。」
    立ち尽くしたハンゾウ達の下に、不自然な冷気が届いた。ハンゾウとコールが振り返ると、ビ・ハンの姿があった。
    「今日は貴様に構っている暇はないのだが。」
    「あの連中にお前に手を出さないように釘をさしておいてやったのにその言い草か。」
    「さっきの妙な言葉を吹き込んだのはお前か。」
    あの連中が口走っていた謎の言葉はビ・ハンが原因だったのか。不機嫌な表情のハンゾウを見て、状況を飲み込めていないコールは困ったようにハンゾウとビ・ハンを見ている。
    「ジャパニーズ・トラディショナル・マフィア、まあ老舗のやくざ者とでも。」
    「よりによってやくざ者扱いか。」
    「ああいう半端なならず者ども避けにはちょうどいいだろう。」
    ビ・ハンの言う通り、勝手に怖がって逃げて行ったので、ちょうどいいといえばいいのだが、釈然としない。
    「やくざの大親分が家族水入らずで休暇を過ごしているから邪魔をするな、と言い聞かせておいた。散々叩きのめしたし、お前に絡むような愚か者は出ないだろうよ。」
    「叩きのめした?」
    「コール、その話はまた後で。」
    「ハンゾウ、これも貸しだからな。」
    「待てビ・ハン、それはお前が勝手にやっただけだろうが。」
    「この間の分も合わせて楽しみにしている。」
    一方的に言い置いて、ビ・ハンは去っていった。ハンゾウはなんだかすごく疲れた気分でコールを見上げる。
    「とりあえず、近くのコーヒーショップで休憩する?」
    「……うむ。」
    「じゃあ叩きのめしたって話はそこで。」
    「………うむ。」
    生真面目で優しい子孫に叱られるんだろうな、と思いつつ、ハンゾウは深い溜息を吐いた。
    七宝明 Link Message Mute
    2022/07/03 20:26:05

    氷刃

    映画本編後、ヤング家に居候しているハンゾウと、魔界ぱわーで生き返ったけど400年分の有休もぎとって人間界ふらふらしているビ・ハンが共闘している話です。元気に戦っているだけの話。2021映画版の情報のみで構築されております。 #映画モータルコンバット

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